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互先(たがいせん)は、囲碁の手合割の一つ。 概要 ハンデキャップのない対局を指し、 棋力が近い場合に採用される。 囲碁は単純に目数で勝敗を決するとすると先手が有利であるため。 一局で勝敗を決する場合 コミを用いて先手(黒)と後手(白)の均衡を図る。 日本では2000年代以降。 後手に6目半のコミを与える(先手が7目以上リードしていないと勝ちとしない)のが一般的となっている。 先手・後手はニギリによって決められる。 互先の用語はもともとコミの無い時代に。 互いに先(交互に白黒)を持つところからきている。 棋力に差がある場合には定先や置き碁を採用する。
定先(じょうせん)は囲碁の手合割の一つ。 対局者の棋力にわずかに差がある場合用いられる方式で。 置石が無し。 コミなしで行われる対局。 下手が常に黒石(先手)を持ち。 上手が常に白石(後手)を持つことでゲームの特質としての「先手の有利性」を下手のハンデとして対局が行なわれる。 ハンデの隙間を埋めるために逆コミが設けられることもある。 その場合。 逆に黒がもらえる逆コミ6目半までというのが普通である。 なお。 「定先」という言い方は先二や先相先といった複数局を一組とするハンデに対し。 「常に先番で対局している」ハンデであるということ強調するための呼び方であり。 その意識がなければ単に先と呼ぶこともある。
置き碁。 置碁(おきご)は。 囲碁用語のひとつで。 棋力の差がある二人が対局する場合。 ハンデとしてあらかじめ碁盤に石を置いて対局する事をいう。 将棋の「駒落ち戦」に相当する。 通常実力下位の者を下手(したて)。 上位の者を上手(うわて)と呼び。 下手は黒石。 上手は白石を持つ。 通常の対局では黒が先に着手して対局が開始されるが。 置き碁の場合は黒があらかじめ盤上に石を置き(棋譜の記録上は着手とされない)。 ここに白が先に着手して対局が開始される。 あらかじめ置く石を置き石と言い。 通常その数は対局者の実力差に応じて2~9子の間で調整される。 置き石の数によって9子局。 8子局。 …2子局のように呼ぶが。 「1子局」というものはない。 置き碁と互先の間に位置づけられるものに。 定先といって下手が常に先手番を持ち。 コミなしで打つ方法がある。 真剣勝負としての色合いは低く。 純粋な楽しみか。 下手への訓練として行われることが通例である。 現在。 置碁は雑誌等に掲載されるプロアマの交流対局などで見られる程度であり。 プロの公式戦においては見られない。 ただし。 大手合などでは棋力差に応じて置き碁も行われていた。 置き石の配置 石の置き場所は下記のように定められており。 2子から4子までは全て隅の星(2子の場合最も離れた隅の星に置く)。 6子では4子に加えて対辺の二つの星。 8子では隅と辺のすべての星。 5子。 7子。 9子ではそれぞれ4子。 6子。 8子に加えて天元(すなわち。 9子ではすべての星)となる。 数字は。 開始の際に石を置いていく順序を表す。 別名として9子局のことを「星目・井目(せいもく)」。 4子局のことを「四本柱」と呼ぶこともある。 2子局 3子局 4子局 5子局 6子局 7子局 8子局 9子局 対戦者の実力が大きく離れている場合には。 星目の配置にさらに三々や7の七の位置に石を加えることもある。 前者を「星目風鈴(井目風鈴)」。 後者を「中四目」と呼ぶ。 一方が全くの初心者である場合などでは。 星目風鈴と中四目を両方採用したり(星目風鈴中四目)。 最大25子まで置き石を増やすケースもある。 星目風鈴 中四目 星目風鈴中四目 25子局 置き石の効果 通常置き石1つは。 目数にして約10目のハンデといわれる。 例えば互先で打って30目ほどの開きが出る実力差であれば。 3子で打つのが適当ということになる。 ただし置き石が増えるとその相互の関連によってさらに威力が増し。 9子局のハンデは約130目に相当するといわれる。 自由置き碁 置き場所を下手の好きな場所に決めて良い。 自由置き碁と呼ぶ方式もある。 自分の得意なスタイルに合わせて自由に配置できる。 星以外の定石も学べる。 様々な配置を工夫できるなど。 通常の置き碁にはない楽しみ方ができる。 プロアマ本因坊対抗戦などで採用されている。 自由置き碁の配置の一例(6子) 事前置石制 当初。 囲碁は互先であっても。 下図のように白黒2子ずつを置き合った状態から対局を始めていた。 これを事前置石制または「鎮子碁」と呼ぶ。 日本では早くからこの制度が消え。 第一着から自由に打つ方法が広まっていたが。 中国などでは20世紀初頭まで事前置石制が行われていた。 また。 チベットの碁(密芒)では。 17路の盤に白黒6子ずつを置いてスタートする。 参考図書 大竹英雄『基本置碁事典 上・下』日本棋院 『新・早わかり置碁小事典―九~三子局パターンの研究』日本棋院
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一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
囲碁のルールについて 概要 基本的なルールは長い歴史の中でも変わっていないが、トラブルが少なくなるように、ゲームとして楽しめるように細かな改良が続けられてきた。 大部分はほぼ不変で、囲碁がボードゲームとして完成されていることを表している。 現在では大きく分けて、中国ルールと日本ルールの2系統が主流であるが、どちらを用いてもほとんどの場合勝敗や戦略には変わりがない。 以下では日本ルールを説明する。 囲碁においては信義則が重要となる。 日本囲碁規約にも「この規約は対局者の良識と相互信頼の精神に基づいて運用されなければならない。」とある。 とりわけゲームの特性上、終局処理に両者の合意が数多く必要とされる囲碁においては円滑に対局を行う上で必要不可欠である。 ネット碁で対局者がお互い匿名である場合も多いが、そのような状況では信義則はより重要である。 基本ルール 碁盤の線の交点に黒と白が交互に打つ。 地(自分の領域)の多いほうが勝利。 相手の石は上下左右を囲うと取れる。 着手禁止点(自殺手) コウ 対局者(プレーヤー) 黒番と白番と呼ばれる2人のプレイヤーがそれぞれ、黒・白の石を使用する。 黒番・白番を略して、それぞれ黒・白と呼ぶこともある。 盤上の石の状態 以下の条件で盤上の交点上に石が存在し続ける。 石の連続 複数個の一つの色の石が縦横の碁盤の線に沿ってつながっているものは石の一団とよばれる。 縦横のつながりが重要で、斜めは関係ない。「つながっている」「囲まれる」などの言葉は、縦横に限った話である。 4.2.取り 石の一団は、その周囲の交点全てに相手の石を置かれると取られる。 石の一団は隣接点で呼吸をしている。 隣接点が空点(石が存在しない交点、呼吸点)であれば、呼吸ができる。 隣接点に相手の石があれば呼吸を邪魔される。 上下左右四方向とも相手の石にふさがれると窒息してしまい取られてしまう。 もし、隣接点に味方の石がある場合は、味方の石を通じて呼吸ができ、石の一団で一つでも呼吸のできる石があれば、その石の一団全体が呼吸できる。 全ての石の縦横が塞がれ、呼吸のできる石が一つも無くなった場合は、その石の一団全体が窒息し取られてしまう。取った石はハマとよばれる。 石の存在 取られない石は、着手されてから終局まで盤上に存在し続ける。 5.着手 黒と白が、交互に一つずつ石を置いていく(打つ、着手する)。 黒が先手で、白が後手となる。 以下に述べる着手禁止点を除く。 盤上のすべての空いている交点に着手して良い。 パスも可能。 呼吸点 盤上の交点に石を置いたとき上下左右に隣接した4つの交点が存在する。 石はこの点を使って呼吸をしていると考えることができ、この点を呼吸点と呼ぶ。 呼吸点をすべて相手の石で囲まれると石は死にハマとなる。 自殺の禁止 自分の石を置くとその石が取られる状態になる点は着手禁止点となる。 つまり自殺は禁止。 自殺手によって、相手の石が取れる場合は、自殺手は許され、打ち込んだその石自体も取られない。 同型反復禁止(コウ) 対局者の一方が一つの石(以後一子と称す)を取った後、即座にもう一方の対局者が一子を取れる状態になる場合、この状態をコウと呼ぶ。 一子の取り合いを続けていると永久に対局が終わらないことになるため、コウには特別ルールを設けている。 一方の対局者がコウの一子を取った後、 もう一方の対局者は別の場所に1手打たない限りはコウの一子を取り返すことが出来ないものとする。 なお。 この別の場所に打たれる一手のことを、 コウ材またはコウダテと呼ぶ。 コウがあまりに長くその局が長手数になると打つ石が碁笥の中に無くなってしまう場合があるが、 その時は互いのアゲハマを同じ数交換し補充する。 終局 投了 一方のプレーヤーが投了を告げた場合はその時点で終局となり、 もう片方のプレーヤーが勝ちになる(「中押し(ちゅうおし)勝ち」と表記される)。 連続パス(対局の停止) 二人のプレーヤーが連続でパスをすると終局処理に入る。 ネット碁でない通常の対局では、パスの代わりに、両対局者の合意によって終局状態に移行する。 言葉で終局を確認したり、 頷きあったりして確認することが多い。 逆に。 「両対局者の合意」などの終局状態への移行手続きを形式化した表現が連続パスであると考えて良い。 6.3.死活判定 盤上にある石は活き。死にの二つの状態のどちらかになる。 日本囲碁規約では以下の通り定められている。 活き:相手方の着手により取られない。 又は取られても新たに相手方に取られない石を生じうること。 ここで「取られても新たに相手方に取られない石」とは例えば、 ウッテガエシのような「一度取られてもその後取られない石」や、 相手がある石を取ろうとしたことが原因で自分が新たに置ける活き石が該当する。 セキ:一方のみの活き石で囲んだ空点を目(め:地を数える単位も同じ漢字だが、読み方はもく)といい。 目以外の空点を駄目(ダメ)という。 活き石のうち、駄目を有する(隣接している)活き石をセキ石という。 死に:活きでないこと 死活判定は必ずしも簡単ではない。 日本囲碁規約逐条解説では、死活例が多数示されているが、あくまでも基本パターンを示したに過ぎず、 ここでも対局者両者の合意が前提となる。 6.4.地 セキ石以外の活き石の目を地という。 死石を除去すると、 盤上には活きた白石と黒石のみが存在する。 自分の石と碁盤の端で囲んだ領域を、 自分の地と定義する。 死石の処理 相手の死んだ石は、盤上から取り除き、自分のハマに加える。 ハマをもって相手方の地を埋める。 終局に関するトラブル 日本ルールでは終局に関するルールがやや煩雑である。 お互いの合意が成立していないのに終局が成立していると勘違いし、駄目詰めに対して必要な着手(手入れ)をせずに石をとられてしまい、 終局していたかどうかで争いになってしまうといったトラブルが後を絶たない。 こういったトラブルはアマチュアだけでなくプロでも起こり得る。 2002年王立誠二冠(棋聖・十段)に柳時熏七段が挑戦した第26期棋聖戦七番勝負第五局において、 終局したと思っていた柳時熏は「駄目詰め」の作業に入っていたが、 王立誠は終局とは思っておらず柳時熏の石六子を取ってしまった。 終局していないのなら柳時熏は取られないように「手入れ」すべきで、 終局しているなら順序関係なくお互いの地にならない駄目をつめるだけだったため柳時熏は手入れを怠った。 これにより王立誠の逆転勝利となり。 行為の正当性を巡り囲碁界に論争を巻き起こした。 この騒動では、 初めてビデオによる裁定が行われた。 なお一部で誤解されているが、 この事件によって日本囲碁規約が改訂されたということはなく。 この事件の影響はプロの間で終局処理が実際に日本囲碁規約に沿った形で明確に行われるようになったということである。 勝敗判定 地の一点を「一目」という。 地の面積は、交点の数で数え、 単位は目(もく)である。 双方の地の目数を比較して、 その多い方を勝ちとする。 同数の場合は引き分けとし、 これを持碁という。 中国ルールにおいては、 地の目数と盤面で生きている石の数の合計の大小で勝敗を決する。 このため、セキの場合などに勝敗が変わることがある。 麻雀などの他の点数を使うゲームと異なり、 囲碁においては通常目数の差は重要ではない。 複数回対局して優劣を競う大会などでは、目数差は累積せず、単に勝敗のみを記録して集計する。 ハンディキャップ 囲碁は先手有利のゲームなので、 両者が同程度の有利さで対局する(互先)場合、 コミと呼ばれるハンディキャップを先手の地の計算から引くことが一般的。 実力差がある場合は、 置き碁が行われることがある。 反則 囲碁において反則負けとなる行為には以下のようなものがある。 ハガシ 一度打った自分の手を打ち直すこと。 二度打ち 相手の手番を飛ばして二度続けて打ってしまうこと。 コウの取り番の間違い。 コウ材を打っていないのにコウをとってしまうこと。 着手禁止点 打った時点で相手に取られてしまうような着手は打ってはいけない。
囲碁の格言は、 囲碁においての戒めや教訓を短くまとめたものをいう。 よく知られているものは古くから伝えられ、 作者不明のものがほとんどであるが、 現代の棋士によって新たに創作された格言もある(苑田勇一など)。 囲碁の格言は上達のためのエッセンスを含んでいて有用であるが、 戦法や考え方の進歩などで意味を失っているものもある。 アタリアタリはヘボ碁の見本 やたらに次々とアタリをかけるのは、味を消したり相手を強化させるだけで、得にはならない。 厚みを地にするな 中央方面に地を囲うのは、手数がかかって効率が悪い。厚みは中央に地を作るのではなく、攻めに活用すべきである。 「厚みを囲うな」とも。 一隅二シマリ三ヒラキ 布石の基本的な順序を教えた格言。まず空き隅に打つのが大きく。次にシマリを打って隅の地を確保する(カカリはシマリと同格)。 さらに辺へヒラいて模様を確保する。 さらに「四ツメ五トビ」と続くこともある。 ただし近年では。隅のシマリを省いて辺に展開する中国流などの布石も有力とされている。 一間トビに悪手なし 中央に向けての一間トビは。 確実に連絡しつつ自分の石を強化する手で。 まず悪手にはならない。 一石に負けなし 一方の打った石が全て連絡している状態(一石)になると。 ほとんど負けない。 石の連絡の重要さを教えた格言。 一方石に死になし 弱い石がいくつかあって。 カラミ攻めにされるとシノぐのは大変だが。 弱石が一つだけならそう危険はない。 一方地に勝ちなし 一ヶ所に固まった地は大きく見えるが。 実際には何ヶ所か隅などをしっかり確保する方が大きく。 勝ちやすい。 追うはケイマ。 逃げは一間 相手の石を追いかける時は。 厳しく相手の石に迫るケイマが。 攻められている時は。 堅く連絡している一間トビを活用するのが有力。 大場より急場 序盤戦では一般に。 広く展開して模様を拡大する手(大場)が大きいが。 自分の石の根拠を固める手。 双方の力関係に大きく影響する手(急場)が見た目より重要なことも多いという意味。 岡目八目(おかめはちもく) 「傍目八目」とも。 対局者でない第三者の方が冷静に盤面を見られるため。 八目ほども先を読めるという意味。 ただし。 プロの場合では対局者が一番詳しく読んでいることがほとんどといわれる。 切った方を取れ 二線にキリが二つ入りうる形の場合。 相手がキってきたらそれを素直に取っておくべき。 キリチガイ一方をノビよ 相手にキリチガイを打たれた場合。 一方の石をノビて強化しておくのがよい。 多くは弱い石を。 味方に連絡させるようにノビるとよい。 車の後押し悪手の見本 相手の石を必要以上にオシていくのは。 敵を一歩先に進出させ。 強化させるのでよくないという教え。 ケイマにツケコシ ケイマの形の石に対しては。 ツケコシに打つのが急所となる。 ケイマのツキダシ悪手の見本 逆にケイマに対して出て行く手は。 相手を連絡させて安心させてしまう悪手となりやすい。 サバキはツケから 敵の勢力圏内でサバくときには。 相手の石にツケて調子を求めるとよい。 サバキ許さぬブラサガリ 自分の勢力圏内に敵が打ち込んできた場合。 相手に付け入る隙を与えないブラサガリの形が有効である。 左右対称中央に手あり 左右対称の形では。 中央に急所があることが多い。 (玄玄碁経「亀勢」) 三目の真ん中 ダメが詰まった三子の石は。 その真ん中から一路離れた位置が急所となる。 下図黒1が「三目の真ん中」の急所にあたる。 白から打つ場合も。 同点に打って形を整える。 シチョウ知らずに碁を打つな シチョウは石を取る手段として重要だが。 取れるかどうか正しく読み切るのはそう簡単ではない。 しっかり練習しておくべきという意味。 死はハネにあり 相手のフトコロを狭めるハネは。 しばしば敵の死命を制する。 初コウにコウなし 序盤戦で発生したコウには。 多くの場合それに見合うコウダテがない。 このため。 取り番の方が有利になる。 スソアキ囲うべからず 二線のトビコミなどで大きくヨセられる余地のある場所は。 囲っても効率が悪い。 隅の急所は二の一 絶隅(一の一)は。 一手でアタリになる。 二手で眼を作れるなど特殊な環境にある(隅の特殊性)。 これを利用し。 その隣である二の一の点が。 死活や攻め合いの急所になる場合が多い。 攻めたい石にツケるな ツケは自分の石を強化すると同時に相手の石も強くしてしまうので。 攻めたいと思っている石にツケていくのは得策ではない。 大石は死せず 大きな石は周辺に利き筋なども多く。 無理に取りに行ってもそう取れない。 ダメの詰まりは身の詰まり ダメを無用に詰めると。 自らの首を絞めることになるという戒め。 ダメヅマリの項目参照。 ツケにはハネよ。 ハネにはノビよ 敵にツケられたらハネて受け。 ハネられたらノビるという基本的な打ち方の教え。 強い方にツケよ 星に両ガカリされた時。 ハサミのない強い方の石にツケた方がよい。 ただし近年は考え方が変わり。 ハサミのある方にaとツケていくことが多くなっている。 敵の急所は我が急所 相手にとっての急所は。 自分にとっても重要な着点となることが多い。 この格言は。 『週刊碁』誌の「プロ棋士が選んだ囲碁格言ベスト10」で。 1位に選ばれた。 二線敗線。 四線勝線 二線を必要以上にハウのは。 地が1目ずつしか増えないのに相手の厚みがそれ以上に増し。 一般によくない。 四線をノビていくのは。 地が3目ずつ増えていくので効率がよい。 ただしこれは布石段階での話であり。 終盤に入ってからは二線のハイは極めて大きなヨセとなる。 二目にして捨てよ 自分の石をカカエられたら。 一本サガッて捨て石を増やし。 手数を延ばしておいて周辺から利かすのが有効な手段になる。 二目の頭は見ずハネよ 自分と相手の石が二子ずつ並んで対峙した状態の時。 相手の頭をハネるのは多くの場合に急所となる。 ノゾキにツガぬ馬鹿はなし 相手にノゾキを打たれたら。 素直にツイでおくべき(ただし上級者は利かされを嫌い。 あえてツガずに反発する手を考えることも多い)。 広い方からオサエよ 星から両辺にヒラいている時に三々に入られたら。 広くヒラいている方からオサエた方が大きな模様形成が期待できる。 ポン抜き30目 特に中央に近い場所でのポン抜きは四方に威力を発揮し。 大きな戦力となる。 「30目」は具体的な数字ではなく。 大きい価値を持つというたとえ。 二目抜いた形はさらに強力で。 「亀の甲60目」ともいわれる。 まずコウを取れ コウが発生したら。 とりあえずコウを取っておく。 相手のコウダテをひとつ消費させることができる。 眼あり眼なしは唐(から)の攻め合い 眼のある石とない石の攻め合いは。 眼がある方が有利となる。 ただしダメの数が多ければ。 眼のない方が勝つときもある(「眼あり眼なしも時によりけり」)。 四隅取られて碁を打つな 隅は地を取るのに最も効率のよい場所であるため。 四つの隅とも敵に取られてしまってはまず勝てないという教え。 ただし大模様作戦を得意とする武宮正樹などは。 四隅を取らせて勝ってしまった碁も数多い。 両コウ三年のわずらい 両コウで相手の石を取った形は。 相手が無限のコウ材を持つことになり。 後の戦いが不利になる。 形勢に余裕があれば。 一手かけて両コウを解消しておくのも一法である。 ワタリ8目 自分の石を連絡させるワタリの手には。 かなりの大きさがある。 状況によって目数は変化するので。 8目は絶対的な数字ではない。---------
囲碁用語一覧は。 囲碁に関する用語のうち既に記事のあるもの。 及び記事の書かれる予定であるものの一覧である。 なお囲碁用語は。 「トビ」「ノゾキ」「ケイマ」などのように。 カタカナで表記されることが一般的である。 参考図書に『新・早わかり 用語小事典―読んで調べる囲碁知識 』(日本棋院)がある。 あ行 アキ隅:文字通り。 まだどちらの石も着手されていない。 空いている隅。 アゲハマ 味:今すぐに問題はなくとも。 周囲に相手の石が来ると厳しい手段が発生するようなやや危険な形を「味が悪い」と表現する。 またこうした危険を残さない確実な手を「味のよい手」などと呼ぶ。 アタリ 厚み アテ アテコミ アテツケ アマシ:先に地を稼ぎ。 敵の攻撃をうまくかわして勝ちに持っていく打ち方。 荒らし 囲碁 囲碁の歴史 囲碁九品 囲碁殿堂 石の下 一合マス 一間トビ 薄い:相手の石が来ると。 連絡が切れやすい・眼形に乏しい形。 またこのような形を守る手を「(手)厚い手」と呼ぶ場合がある。 打ち込み ウチカキ ウッテガエシ エグリ:急所に打ち込み。 相手の根拠を奪うような手。 オイオトシ 王座 大ザル 大ゲイマ 大高目 大目ハズシ オキ 置き碁 オサエ オサマリ:「治まり」とも。 完全ではないが。 だいたい眼を持って急には攻められない形になること。 オシ オシツブシ 重い:捨てにくく。 負担になりそうな石の一団。 あるいはそのような石を作るような打ち方。 か行 カカリ 確定地 カケ 欠け眼 欠け眼生き カス石:取られても大勢に影響しない石のこと。 形 肩ツキ カナメ石:相手を切断している石など。 取られると不利をもたらす石のこと。 辛い:地をしっかり稼ぐ打ち方を表現した言葉。 カラミ 軽い:ある一団の石が捨てやすく。 どうにでもサバけるような状態。 また。 そのような打ち方。 関西棋院 緩着:追及するチャンスを逃すような。 相手にほとんど響かない手。 「ぬるい手」とも表現される。 利かし 利き 棋士 棋聖 棋戦 棋譜 急場 キリ キリチガイ 切り賃 棋力 愚形 グズミ 腐る:相手の強い石にくっつくなどして。 石の働きを失うこと。 形勢判断 ケイマ 消し ゲタ 碁石 コウ 小ザル コスミ コスミツケ 碁聖 後手 五ノ五 碁盤 細かい:形勢が終盤になっても接近していることを指す。 コミ 小目 根拠:封鎖されても。 中だけで十分生きられるような状態を「根拠がある」と表現する。 逆に。 封鎖されると眼形に乏しい状態を「根拠がない」と表現する。 さ行 サガリ サシコミ サバキ サルスベリ 三々 三連星 地 死活 持碁 シチョウ シノギ シボリ シマリ 純碁 定先 定石 女流棋士 筋 捨て石 スベリ 隅:碁盤のカドに近い部分。 隅の板六 隅のマガリ四目 セキ 攻め 攻め合い 競り合い 先手 相場:着手や一段落した形が。 ほぼ妥当と見なせること。 た行 対局時計 互先 高目 タケフ タタキ ダメ ダメヅマリ 段級位制 着手 挑戦手合制 ツギ ツキアタリ 作り碁 作る ツケ ツケコシ ツケノビ ツブレ:大石が死ぬなど。 壊滅状態になること。 ツメ 詰碁 手筋 手抜き 天元 投了 トビ トビツケ 取らず三目 な行 ナカデ ナラビ ニギリ 日本棋院 入神 入品 ネット碁 ヌキ ノゾキ ノビ は行 ハイ バカ八 ハザマ ハサミ ハサミツケ ハナヅケ ハネ ハマ ハメ手 ヒラキ ヒラキヅメ 封じ手 布石 含み フリカワリ 辺:碁盤の辺に近い場所。 多くは四線より低い位置を指す。 ボウシ ホウリコミ ポカ:うっかりミスのこと。 星 本因坊 本手 ま行 マガリ マガリ四目 ⇒隅のマガリ四目 マネ碁 見合い 見合い計算 眼 名人 目:「もく」と読む。 地の数や。 碁石の数を数える語。 「3目勝つ」。 「2目置く」など。 ただし置石の場合。 「子」と書いて「もく」と読ませることもある。 目算 目ハズシ モタレ 持ち込み:相手の地中に打ち込んだ石がそっくり取られ。 丸損となること。 模様 や行 ユルミシチョウ ヨセ ら行 連絡 六死八活 わ行 ワタリ ワリウチ ワリコミ 秋山賢司「アマ碁狂列伝14 横井利彦氏の巻」(『棋道』1989年4月号)
中国の囲碁 棋待詔(囲碁を以って仕えた官職)も参考 起源・考古資料 朱氏筆 三星碁図 絹本着色 中国元代 根津美術館 囲碁の実際の起源ははっきりとは判っていないが。 中国で占星術の一法が変化・洗練されて今の形となったのではないかと言われている。 考古学的な考証を見ると。 2002年に中国陝西省の考古学者が。 前漢の景帝陽陵で。 前漢時代(206 BC - 24 AD)のものと思われる陶製碁盤の断片を発見した。 中国の考古学者の調査によれば。 この碁盤は皇帝の陵墓から出土したとはいえ。 皇族が使用したものではなく。 陵墓の墓守達の遊戯のために使用されていたものと推定されている。 このことから。 中国では囲碁は2000年前には庶民の間にゲームとして一般的であったと考えられる。 初期の碁石は。 唐宋期のものが残っている。 先秦時代 伝説では。 堯が息子の丹朱が賢くないのを見て。 囲碁を発明し。 教えたという。 晋代の張華は「博物志」で。 「堯造圍棋,以教子丹朱」と「舜以子商均愚,故作圍棋以教之」と記載する。 “夏人烏曹作賭博圍棋。 ”(『潛確類書』)と。 夏の時代に発明されたとする伝説もあった。 もちろんこれは寓話であり事実ではない。 紀元前には囲碁のことを「弈」(エキ)と呼んでおり。 「棋」は六博という別のゲームの駒を意味していた。 後漢にはいると六博がすたれて。 「棋」は弾棋を意味するようになったが。 弾棋もすたれると。 ようやく囲碁のことを「棋」というようになった。 春秋時代。 孔子は囲碁について触れ。 「飽食終日,無所用心,難矣哉!不有博弈者乎,為之,猶賢乎已!」(一日中何もしないよりは六博や碁でもやっていた方がましだ)と述べている。 (論語・陽貨) 『孟子』や『春秋左氏伝』にも「弈」(囲碁)に関する記載がある。 先秦時代の囲碁のルールは明らかでない。 漢魏晋 石製碁盤 望都漢墓 中国後漢 この期間。 囲碁はサイコロを使ったゲームの「六博」とともに「博弈」と称され。 上層階級に広まった。 ただし。 前漢では運次第の「六博」の方が知力を競う囲碁よりも流行していた。 後漢に至ってようやくこの状況は改善され。 囲碁は兵法に類似しているとして。 段々と重視されるようになってきた。 班固の『弈旨』は世界初の囲碁の専門書とみなされる。 馬融は『圍棋賦』のなかで最初に「三尺之局兮,為戰鬥場」との思想を表明した。 曹操や孫策や王粲などの当時の著名人はみな囲碁をたしなんだ。 関羽が矢傷を負った際。 碁を打ちながら手術を受けたというエピソードはよく知られる。 河北省望都の後漢の墓から出土した棋具と魏の邯鄲淳の『芸経』の記載から。 この時代の碁盤は17路だったと考えられる。 碁石については。 安徽省亳州の元宝坑一号墓から後漢末の四角い碁石が出土しているという。 山東省鄒城の劉宝墓から出土した西晋の碁石は卵型である]。 中国に現存する最古の棋譜と言われているものに三国時代の「孫策詔呂范弈棋図」があるが。 19路であるために後人の仮託であろう。 南北朝時代 この時期に囲碁は。 南方の文人や雅士の間で流行した。 碁盤は19路に拡大した。 19路の碁盤の現物は隋の時代のものが河南省安陽張盛墓から出土している。 南朝では棋品制度と圍棋州邑制度が設けられ。 専業の棋士をそれぞれ異なる級に分け。 一定の待遇を与えた。 梁の武帝は自ら『圍棋賦』を作って。 囲碁を唱導し。 囲碁は黄金時代を迎えた。 武帝はまた全国的な囲碁の大会を開催した。 これは証拠がある最初の全国大会である。 参加者は夥しかった。 大会後。 上品級と入品を確定した棋士は278人であった。 唐代] 王積薪(黒)驪山老媼(白) 唐代に入り。 囲碁は急速に発展した。 宮中には棋待詔という職が設けられ。 皇帝と囲碁をする棋士を専門に養成した。 王積薪は開元年間の名人であり。 圍棋十訣をまとめた。 「不得貪勝,入界宜緩,攻彼顧我,棄子爭先,舍小就大,逢危須棄,慎勿輕速,動須相應,彼強自保,勢孤取和」というこの秘訣は囲碁の古典理論とされる。 伝説では王積薪は夢のなかで青龍が棋経九部を吐いて己に授け。 この時からその芸が進んだという。 唐の天宝年間。 安史の乱を避けて王積薪は四川に行き。 驪山の老婆の嫁姑の対局を見たという伝説がある。 宋代の「忘憂清楽集」には。 王積薪の「一子解双征」の棋譜が載っている。 (一説には顧師言と日本国王子の対局という)。 開元25年(西暦738年)。 棋士の楊季鷹が特使とともに新羅に使者として赴いた。 楊季鷹に新羅棋士で敵うものは居なかった。 約百年後。 長安で顧師言と日本王子高岳親王が対局した。 初めての正式な日中対抗戦と言えよう。 顧師言はこの対局で「神來之筆」と後に呼ばれた「三十三招鎮神頭」で。 一挙に勝ちを決めた。 またこの時期に囲碁が日本に伝来した。 宋代 宋の張擬は孫子の兵法を真似て《棋経十三篇》を書き。 後世の囲碁理論と実践に深い影響を及ぼした。 北宋時期の劉仲甫は囲碁に関する著作が多く。 《忘憂清樂集》。 《棋勢》。 《造微》。 《精理》。 《棋訣》等がある。 北宋時期の范仲淹。 欧陽脩。 司馬光。 王安石。 蘇軾。 黄庭堅といった文人や忠臣も高い囲碁の造詣を持っていた。 元代 元朝の嚴德甫と晏天章は『玄玄碁経』を編集し。 前人の大量の理論の著述や囲碁の死活や定石をあつめた。 明代 明末の名人の過百齢が『官子譜』を書き。 各種の手を収録した。 民間では囲碁を使った賭け事が盛んになり。 朱元璋が「禁棋令」を出すほどだった。 清代 清朝の時代も。 囲碁の名手は続々と出た。 康熙年間。 黄龍士が徐星友に三子譲った対局の10番の棋譜「血泪篇」は著名である。 。 乾隆四年(1739年)。 施定庵と范西屏は浙江平湖で有名な「当湖十局」を打った。 公的な地位の低下は。 明清時期の民間の棋士の経済収入を長く不安定な状態にした。 棋士の収入は。 囲碁の指導や弟子への伝授のほか。 主に観客(主に顕官。 富裕な商人。 上層文人)の「賞金」や「賭け金」に依存していた。 これは明らかに運まかせであった。 もし太平の世であれば。 貴顕たちにも余裕があって。 民間の囲碁活動も盛んになり。 棋士の生活も安定する。 「諸子爭雄競霸,累局不啻千盤」,「海内国手幾十数輩,往來江淮之間」と。 王燮は「弈墨·序」で清初の棋壇の盛况ぶりを描写した。 しかしいったん民生が苦しくなると。 棋士の生活も苦しくなった。 囲碁のレベルも自然と段々下がり。 後継者も減った。 このような賞金にたよった生活方式は。 棋士に独特の勝負観と社会的地位を形成した。 囲碁は依然として高尚な芸術であったが。 棋士は役者や占い師のように低く見られた。 日本の囲碁 日本伝来 源氏物語絵巻 竹河 部分 日本には遣唐使に加わった吉備真備が伝えたとされる。 しかし大宝律令の中に碁に関する項目があること。 隋書倭国伝に「好棋博。 握槊。 樗蒲之戲。 (囲碁。 握槊。 樗蒲(さいころ)の競技を好む)」との記載があるから。 実際にはさらに以前から伝わっていたと思われる。 奈良時代には盛んに打たれていた様で。 正倉院に碁盤「木画紫檀棊局」が収められている。 平安時代には貴族のたしなみとして好まれ。 「枕草子」「源氏物語」などこの時代の代表的な文学作品にもしばしば碁の描写が登場する。 現在伝えられている日本最古の棋譜と呼ばれる物は1252年に日蓮がその弟子吉祥丸(後の日朗)と打ったという棋譜であるが。 おそらくは後世の偽作である。 愛好者の広まり 室町時代に入ると。 それまで公家。 僧侶階級に愛好されていた囲碁は武家や庶民にも広がり。 同時に碁盤と碁石を使った様々な数とり遊びも生み出されて広まった。 有力者は「碁打ち」「上手」と呼ばれる半専業の者を抱えて。 競わせるようになり。 その中には同朋衆や。 出自不明の者も少なくなかった。 戦国時代に入ると。 戦のシミュレーションとして大いに好まれ。 隆盛を迎える。 武田信玄他。 多くの戦国武将が碁を好んだという記録が残っている。 この時期に群を抜いた第一人者として登場したのが日海(後の本因坊算砂)である。 この時代には。 それまでは対局する両者が碁盤上にあらかじめいくつかの石を置いて対局していたものを。 盤上にまったく石の無い状態から打ち始める方式への移行もあった。 このため布石の概念も算砂の時代から生まれたといえる。 算砂は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の囲碁の師であり。 三人共に算砂に五子置いていたと言う。 算砂を現在のトッププロとすれば。 信長たちは現在のアマチュア4、5段ということになる。 その腕を信長に認められた算砂は名人の称号を名乗ることを許され。 更に秀吉にも重用されて扶持を貰うようになり。 家康が将軍となった後は名人碁所(めいじんごどころ)として碁界を統括することを命ぜられた。 (算砂は将棋所も受けている) 戦国から江戸にかけては日本の碁のレベルが飛躍した時代であり。 来日していた朝鮮人の李礿(礿は示編に勺)に三子を置かせて勝利したという記録が残っている。 三子という数字は現代でいえばトッププロとトップアマの差である。 江戸の黄金期 江戸時代には算砂の本因坊家と井上家。 安井家。 林家の四家が碁の家元と呼ばれるようになり。 優秀な棋士を育て。 互いに切磋琢磨しあうこととなった。 四家はそれぞれ幕府から扶持を受けており。 それぞれの宗家は血筋ではなく。 実力により決められる事となった(血筋も影響したようではある)。 その技術の発揮の場が年に一回江戸城内。 将軍御前にて行われる御城碁である。 この勝負は四家がそれぞれ代表を数人選んで対局され。 負けることは家の不名誉であり。 弟子の集まり方にも影響があった。 また囲碁界の統括者である名人碁所の地位は。 各家元いずれかの宗家であり。 棋力が他を圧倒し。 かつ人格的にも他の家元からも認められることが必要とされた。 本因坊道策のように例外的に何の反対も無く名人となった者もいるが。 名人の地位は他の棋士に対して段位を発行する権限を保有するなどの数々の特権と大きな名誉を有しており。 多くの場合は名人の地位は争いとなった。 争いの解決は対局で行われ。 その対局を争碁(そうご。 あらそいご)と呼ぶ。 史上初の争碁は二世本因坊算悦と安井家二世の算知との間で争われた。 御城碁における手合割を不服としたもので。 9年がかりで6戦して3勝3敗の打ち分けのまま。 算悦の死によって終わりを告げた。 算知は算悦の死後10年目に名人碁所の座に就くが。 算悦の弟子で三世本因坊となっていた道悦がこれに異を唱え。 再び争碁が開始された。 幕府の意にあえて逆らった道悦は。 遠島あるいは死をも覚悟しての争碁であった。 両者20戦して道悦の12勝4敗4ジゴとなったところで対戦は打ち切られ。 名人算知は引退を表明した。 また道悦も「公儀の決定に背いたのは畏れ多い」とし。 弟子道策に後を譲って隠居した。 道策の技量はこのときすでに道悦を上回っていたとされ。 争碁後半で道悦が大きく勝ち越したのには道策との共同研究によるところが大きかったといわれる。 四世本因坊道策は当時の実力者たちを軒並みなぎ倒し。 全て向先(ハンデの種類)以下にまで打ち込み。 実力十三段と称揚された。 もちろん名人にも文句なしに就位している。 始祖算砂。 棋聖道策と言う二人の不世出の棋士により。 本因坊家は名実共に四家の筆頭となった。 時の最強者本因坊道策の下には天下の才能が集まったが。 厳しい修行が仇となったのか次々と夭折した。 このうち本因坊道的は19歳の時すでに師の道策と互角であったとされ。 囲碁史上最大の神童といわれる。 晩年。 道策は道的に劣らぬ才能本因坊道知を見出し。 これを後継者とした。 道知もまた後に名人碁所となる。 道知以後は本因坊家の家元も三代にわたって六段止まりとなり。 囲碁界自体も沈滞の時代を迎える。 しかしここで現れた九世本因坊察元は他家を力でねじ伏せて久々の名人となり。 本因坊家に中興をもたらした。 また安井家七世安井仙知(大仙知)も華麗な棋風で活躍し。 後世に大きな影響を与えた。 18世紀末から19世紀初頭は十一世本因坊元丈と安井家八世の知得の角逐時代を迎える。 両者は80局以上に及ぶ対戦を重ねるが戦績はほぼ互角で。 江戸期最高のライバルと謳われる。 後の十一世井上幻庵因碩・十四世本因坊秀和と合わせ。 名人の力を持ちながら名人になれなかった者として「囲碁四哲」と呼ばれる。 十二世本因坊丈和は棋力は第一級であったが。 幻庵因碩と碁所の座を争い。 策略を駆使して名人位に就いたために後世に悪評を残した。 ただしその腕力は史上でも随一とされ。 幻庵因碩が刺客として送り込んだ愛弟子赤星因徹を「三妙手」で返り討ちにした松平家の碁会(1840年)は江戸囲碁史のハイライトとされる。 丈和隠退後。 幻庵因碩は名人位を望むが。 これに抵抗したのが本因坊一門の若き天才児本因坊秀和であった。 秀和は本場所というべき御城碁で幻庵を撃破し。 その野望を阻んだ。 秀和は史上最強の棋士として名が挙がるほどの実力であったが。 名人位を望んだ時には世は幕末の動乱期に突入しており。 江戸幕府はすでに囲碁どころではない状況に陥っていた。 本因坊秀和の弟子である本因坊秀策は若い頃より才能を発揮して。 御城碁に19戦19勝と言う大記録を作ったが。 コレラにより夭折した。 秀和と秀策と秀策の弟弟子である村瀬秀甫(後の本因坊秀甫)の三人を合わせて三秀と呼び。 江戸時代の囲碁の精華とされる。 江戸時代には武士だけではなく。 各地の商人・豪農が棋士を招聘して打ってもらうことが良くあり。 落語の『碁打盗人』で有名なように。 市井でも盛んに打たれていた。 一方で地方によっては双六などとともに賭け事の一種と見られて。 禁止令が発されることもあった。 日本棋院誕生 しかし明治維新により江戸幕府が崩壊すると。 パトロンを失った家元制度もまた崩壊した。 本因坊宗家の秀和は生活に苦しみ。 一時は倉庫暮らしとなったほどである。 更に西洋文明への傾斜。 伝統文明の軽視と言う風潮から囲碁自体も軽く見られるようになった。 その中で囲碁の火を絶やすまいと1879年に村瀬秀甫は囲碁結社「方円社」を設立(方は碁盤。 円は碁石のことで囲碁の別名である)。 新たに級位制度を採用するなど。 底辺の開拓を試みた。 それに対抗して秀和の息子である土屋秀栄(後の本因坊秀栄)は1892年に「囲碁奨励会」を設立した。 こうして坊社対立時代が続くが。 秀栄は秀甫に本因坊の座を譲って和解した。 しかしその1ヶ月後に秀甫は死去。 秀栄が本因坊に復帰する。 こうした対局の熱気を受けて新聞にも囲碁欄が登場するようになり。 一般の囲碁界に対する興味が高まってきた。 一旦は秀栄が本因坊家を相続。 名人位に就位して並み居る棋士をなぎ倒して囲碁界を統一した。 しかし秀栄の死後は団体が乱立し。 囲碁界は混乱の極みとなる。 秀栄は後継者を決めないままに死去し。 田村保寿(後の本因坊秀哉)と雁金準一が後継の座を争い。 囲碁界は混沌とした時期を送った。 結局秀栄の弟本因坊秀元がいったん二十世本因坊を襲名し。 一年後に秀哉に本因坊位を譲ることでこの難局を収拾した。 この状況の中で関東大震災が起き。 囲碁界も大ダメージを受けた。 この苦境を乗り切るためには分裂は好ましくないという機運が生まれ。 帝国ホテル創業者として有名な大倉喜七郎の呼びかけにより。 1923年に東西の棋士が集まって日本棋院が設立された。 発足直後に一部の棋士が離脱し棋正社を結成。 日本棋院との間で対抗戦が行われた(院社対抗戦)。 この時の本因坊秀哉名人と雁金準一の対局は新聞上に記載されて大人気を呼んだ。 これによって読売新聞は発行部数を一挙に3倍に伸ばしたといわれる。 1927年には大手合(棋士の段位を決めるための対局)が始まり。 これも新聞上で人気を博した。 本因坊秀哉名人は死期が近づいてくると本因坊の世襲制を取りやめることを宣言し。 本因坊の名跡を日本棋院に譲り渡した。 1936年。 日本棋院は本因坊の座を争う棋戦を開催することを決定した。 これが本因坊戦であり。 囲碁のタイトル戦の始まりでもある。 秀哉名人は引退するに当たり木谷実と数ヶ月に及ぶ引退碁を打ち(木谷先番5目勝)。 終了後まもなく死去した。 秀哉名人に代わって第一人者の地位を勝ち取ったのが。 中国から来た天才棋士・呉清源である。 呉清源は1933年。 木谷実と共にそれまでの布石の概念を覆す「新布石」を発表し。 本因坊戦の開催と前後して秀哉名人と対局を行い。 その冒頭「星・三々・天元」という極めて斬新な布石を披露し。 世間をあっと驚かせた。 この新布石は囲碁界のみならず一般社会をも巻き込んで囲碁のブームを巻き起こした。 戦後の囲碁 1941年には実力制による本因坊戦が開始され。 関山利一(利仙と号す)が第一期本因坊の座に就いた。 しかし太平洋戦争が勃発すると棋士たちは地方に疎開せざるを得なくなり。 各地でどさ周りをするようになった。 日本棋院の建物も空襲で全焼しており。 棋士・岩本薫の自宅に一時事務所を移転した。 その中でも本因坊戦は続けられていた。 1945年8月6日の第三期本因坊戦(橋本宇太郎対岩本薫)の第2局は広島市郊外で行われ。 対局中に原子爆弾の投下が行われ。 対局場にも爆風が及び。 碁石が飛び散ったが。 対局は最後まで行われた。 この対局は「原爆下の対局」と呼ばれる。 戦後しばらく日本棋院は都内各所の料亭などに場所を借りて対局を行っていたが。 自前の対局所を持つべきだという声が強まり。 1947年港区高輪に棋院会館が開設された。 呉清源は戦前より。 当時の一流棋士たち相手に十番碁(十回対局をして優劣を決める)を何度も行い。 その全てに勝利した。 1950年には名人の別名である九段位(現在はそういった意味は無い)に推挙され。 「昭和の棋聖」と呼ばれた。 1950年には不満を持った関西の棋士たちが当時の本因坊・橋本昭宇(橋本宇太郎)に率いられて日本棋院を離脱し。 新たに関西棋院を設立した。 1951年。 その橋本から高川格が本因坊を奪取。 以後9連覇という偉業を成し遂げた。 また1953年には王座戦。 1956年には十段戦。 1962年には名人戦が新たなタイトルとして設立され。 新聞碁でもタイトル戦が中心となる。 呉清源は1961年に交通事故に遭い。 その後は精彩を欠いた。 それに代わって碁界を制覇したのが坂田栄男である。 坂田は高川格から本因坊位を奪い取った後に七連覇。 また名人戦でも1963年の第二期では藤沢秀行からタイトルを奪った。 この年は30勝2敗という驚異的な成績を残し。 十段を除く当時のタイトルを独占した。 この坂田時代に待ったをかけたのが台湾から来日して日本のプロとなった林海峰である。 1965年に名人を坂田から奪ったのを皮切りに。 坂田の牙城を崩していった。 更に林に対抗した木谷実門下の大竹英雄が登場し。 竹林時代を作る。 またその他の木谷実の門下生たちも一気に活躍し出し。 石田芳夫。 加藤正夫。 武宮正樹の三人は木谷三羽烏と呼ばれた。 この後1990年代まで。 木谷の弟子たちが互いにタイトルを奪い合う一門の黄金時代(木谷一門黄金時代)が続いた。 この時期この中に割って入ったのが藤沢秀行で。 50代になってから棋聖戦で6連覇を記録するなど一人気を吐いた。 1974年。 読売新聞が主催していた名人戦が朝日新聞に移籍するという名人戦事件が勃発。 物価の上昇にも関わらず長年据え置かれていた各棋戦の契約金が見直されるきっかけとなった。 これにより1975年に天元戦。 1976年には棋聖戦・碁聖戦が設立。 現在の七大タイトルが出揃うこととなった。 木谷三羽烏の後に時代を築いたのが。 またしても木谷門下の趙治勲と小林光一の二人である。 先に趙が活躍をはじめ。 1983年には棋聖・名人・本因坊の三大タイトルを一年に独占する大三冠(だいさんかん)を達成し。 1987年には七大タイトル全てを一回以上獲得する(一年に独占ではない)グランドスラムを達成した。 少し遅れて活躍を始めた小林は趙から棋聖・名人を奪い取り。 それぞれ八連覇・七連覇を達成した。 小林は本因坊を取れば大三冠というチャンスを幾度となくつかむが。 その都度趙に阻まれる。 趙は1989年から本因坊十連覇を成し遂げ。 これは囲碁界のタイトル最長連覇記録となっている。 90年代後半に入ってからは。 ようやく衰えを見せた木谷一門に代わり。 依田紀基と王立誠の両名が覇権を争い。 21世紀に入ってからは張栩。 高尾紳路。 山下敬吾。 羽根直樹ら平成四天王がタイトル戦線を割拠した。 しかし。 2009年に平成生まれの天才棋士・井山裕太が初の大タイトルとなる名人を戴冠すると。 2012年には一挙に五冠王となり。 23歳にして第一人者の地位に就いた。 そして。 2016年には囲碁史上初となる七冠独占を達成し。 世代交代の波を告げた。 また。 同時期から村川大介。 伊田篤史。 一力遼などの平成生まれの棋士たちが続々と躍進を見せている。 現代の日本の囲碁 ただし90年代からは囲碁の世界戦が開始され。 当初は武宮正樹らの活躍があったものの。 近年は韓国・中国の後塵を拝する時代が続いている。 日本は若手の育成が遅れ。 韓国・中国の急速な伸張に対抗しきれずに現在に至る。 囲碁人口自体も老年の男性に偏り。 若いうち(10歳前後)が大事といわれる棋士の育成が阻害されている。 このように競技人口の高齢化が深刻な問題となっていた日本囲碁界だったが。 1998年から2003年まで週刊少年ジャンプにて漫画『ヒカルの碁』(後にテレビアニメとしても放送)により囲碁ブームとなり。 多くの子供たちが囲碁を打つ姿が見られるようになった。 しかし連載終了によって囲碁ブームも去り。 子供たちをどう育成していくかが今後の課題である。 「囲碁競技人口」は。 1982年の1130万人から。 2004年450万人。 2006年360万人。 2007年240万人と漸減傾向が続いている。 日本は国際大会でも連敗を続けており。 世界戦では日本人がベスト16にも名を連ねられないことも珍しくない。 この原因の一つとして。 韓国・中国と日本の賞金の違いが考えられる。 日本の棋聖戦の優勝賞金は4500万円(2010年現在)の賞金であり。 国際戦最高額の富士通杯が2000万円であることから。 日本は国内戦を優先に戦っている。 韓国・中国の国内戦は日本戦に比べると安く。 韓国の最高額であるKT杯マスターズプロ棋戦で5000万ウォン≒500万円である。 また韓国人棋士は世界戦に優勝すると兵役を免除されるという特典がある。 しかしこうした実利的な面ばかりでなく。 囲碁熱の高さ。 囲碁に対する国民の注目度。 それがもたらす層の厚さが大きな要因といえる。 また日本の主要な棋戦と持ち時間の長さが異なることも要因の一つとして挙げられている(後述)。 現代の韓国・中国の囲碁 中国と韓国では長らく囲碁は余技としてあまり重視されておらず。 江戸時代には日本とはっきりした実力差があった。 たとえば1620年に朝鮮の第一人者が来日した際には。 本因坊算砂は三子置かせて勝利を収めている。 昭和に入っても中韓にはプロ棋士という制度がなかったため。 囲碁を志す者は日本にやってきてプロを目指すのが通例であり。 呉清源・林海峰・趙治勲・曺薫鉉らはその代表である。 曺薫鉉は。 日本で修業した後。 韓国へ帰り囲碁の普及に尽力した。 しかし1955年に韓国棋院が設立され。 韓国内でプロを目指すものも増えてきた。 中国でも1981年に中国囲棋協会が創設され。 棋士を目指す子供が急増し。 国内で囲碁のリーグ戦が開かれるようになった。 また1984年から開始された日中対抗戦・日中スーパー囲碁では聶衛平が日本のトッププロに対して11連勝を記録し。 レベル向上を印象づける結果となった。 1988年に日中韓の棋士たちが集まる世界大会世界囲碁選手権富士通杯が創設され。 世界大会が次々と創設されるようになった。 その国際戦を曺薫鉉・李昌鎬らの韓国棋士が勝利するようになると人気が爆発し。 韓国内のそこここで囲碁教室が開かれるようになり。 頭の良い子供たちは収入の良いプロ囲碁棋士になれと親から言われるようになった。 特に李昌鎬の活躍は目覚ましく。 16歳で世界大会初優勝を果たした後。 世界の第一人者と呼ばれるようになった。 21世紀初頭に至り。 韓国勢は世界の囲碁界を制した。 李昌鎬と李世ドル(ドルの字は石の下に乙。 韓国の国字)の二人が相争いながら世界タイトル戦線を席巻し。 それに曺薫鉉・劉昌赫の二人を加えた四人が世界の四強と言われた(全て韓国)。 それを追いかける朴永訓ら新鋭の層も極めて厚く。 その覇権は盤石と思われた。 しかし2005年ころから国家レベルで若手棋士の育成に励む中国が急ピッチでこれを追い上げ。 常昊・古力ら若い棋士が世界のトップを争うようになっている。 中国では周睿羊。 陳耀燁。 王檄ら。 韓国では崔哲瀚。 朴永訓。 姜東潤ら10代から20代の若手がトップ戦線を走り。 周俊勲ら。 台湾勢も台頭し始めた。 その他の国の囲碁 事前置石の無い自由布石は。 四百年前の日本に端を発するため。 諸外国においては事前置石のルールが受け継がれている。 中国韓国では。 プロ組織の編制を機に自由布石が普及を開始した。 これらの近代普及以前に囲碁が伝わった地域としては。 中国韓国以外にはチベットが知られており。 チベットの皇子が来日した際。 17路式の囲碁の遊具を持参して日本のプロと打ったという記録がある(密芒)。 戦後になると。 岩本薫らの努力によって。 これらの国以外にも囲碁は世界に普及し始めた。 さらにインターネットの出現によりネット碁を通じてどこにいても強い相手と戦える環境が整い。 南米のアマチュアが日本のプロ九段を破るような事態もすでに発生している。 日本棋院所属のマイケル・レドモンド(アメリカ出身)など。 欧米出身のプロ棋士も数人存在する。 アマチュアの世界では更に拡大の傾向を見せており。 アメリカで20万人・ロシアで10万人・ドイツで5万人の競技人口がいると推定される。 持ち時間の歴史 江戸時代。 明治時代には持ち時間という考え方がなく。 対局時間は無制限であった。 ただし全ての碁が極めて長かったというわけではなく。 1日で2局打ち上げた記録も残るなど早打ちの棋士も多かったらしい。 大正期以降。 新聞碁が主流になってくると掲載時期の関係から無制限というわけにはいかなくなり。 1926年の院社対抗戦。 本因坊秀哉名人対雁金準一七段戦で初めて持ち時間が導入された。 この時の持ち時間は両者16時間ずつという極めて長いもので。 これは秀哉が極端な長考派であったことが影響しているとされる。 またこの時は秒読みというものがなく。 考慮中の雁金に突然時間切れ負けが宣告されるという幕切れを迎えた。 秀哉名人引退碁では両者に持ち時間40時間が与えられている。 タイトル戦初期の頃には持ち時間も各10~13時間。 三日制であったが。 これは徐々に短縮されていった。 現在は一般棋戦では持ち時間5時間。 棋聖・名人・本因坊の三大タイトルの七番勝負のみ二日制。 各8時間持ちとなっている。 しかし韓国・中国では各3時間持ちというのが一般的であり。 国際棋戦もこれに合わせて行われるものが多く。 日本人棋士が国際戦で振るわない原因の一つに挙げられている。 持ち時間の長い国内棋戦に対し。 3時間が主流の国際棋戦では布石に持ち時間を使うよりも研究で突き詰める方が効率がよく。 日本の棋士が布石の研究で遅れた部分もある。 このため日本国内のタイトル戦も国際戦に合わせるべきという声が高まり。 王座戦などで3時間制が導入されるようになっている。 「早碁」も当初は持ち時間が4時間というものであったが。 近年テレビ放送に合わせて1手30秒。 持ち時間10分というシステムが一般化した。 参考文献 日本の囲碁 林元美『襴柯堂棋話』1778年(嘉永2年) 安藤如意『坐隠談叢』1904年(明治37年)**改訂版 1910年(明治43年)**渡辺英夫増補版 1955年(昭和30年) 増川宏一『碁 ものと人間の文化史59』法政大学出版局 1987年 横井清『中世民衆の生活文化』講談社 2007年 中山典之『囲碁の世界』岩波新書 2003年 日本囲碁大系 現代囲碁大系 『囲碁百年』(全3巻)平凡社 1968年 福井正明『碁界黄金の十九世紀―江戸後期から明治‐日本の碁を頂点に導いた名手たち』日本棋院 2007年 『昭和の名局』(全5巻)日本棋院 1980年 田村竜騎兵『物語り 囲碁英傑伝』毎日コミュニケーションズ 2005年(初版1972年) 伊藤敬一『昭和囲碁名勝負物語』全2巻 三一書房 1994年 中山典之『昭和囲碁風雲録』全2巻 岩波書店 2003年
碁盤 碁盤は。 囲碁の用具の一つで碁石を打つ板のことである。 盤の上面には縦横に直線が描かれ。 それらは直角に交わっている。 また。 このような縦横の直線の交差により作られている格子状のものを。 碁盤の目状と称する事もある(京都市内の通りなど)。 目次 1 概要 2 19路盤 3 15路盤 4 13路盤 5 9路盤 6 歴史 7 深曾木の儀 概要 碁盤を作る木材には榧(カヤ)。 桂。 イチョウ。 ヒノキ(主に台湾産)。 ヒバ(主に米ヒバ。 en:Callitropsis nootkatensis)。 南洋材のアガチス(アガヂスとも)。 北米産のスプルース材などが使用される。 碁盤を作るためには少なくとも樹齢数百年の大木が必要である。 榧製。 特に宮崎県産の榧の柾目盤が最も珍重され高価であるが。 近年は榧の大木は国内では非常に稀少となり。 中国・雲南産の榧を使った盤が多く販売されるようになった。 桂・イチョウなどの盤が普及品としては上物とされ。 また安価なものには大木が得やすいスプルース材が多い。 業者の広告等で「新カヤ」という商品名で呼ばれているものはスプルース。 「新桂」と呼ばれているものはアガチスであるが。 それぞれ榧や桂とは全く別種の木材であることには注意すべきである。 木材を圧縮接着した積層材の盤。 またプラスチック製のものやゴム製。 持ち運び用のマグネット碁石に対応した金属製の碁盤も販売されている。 碁盤上に引かれた線はヘラや筆を使って引く手法(箆盛り・筆盛り)の他に。 太刀目盛り(たちめもり)と呼ばれる独特な伝統的手法がある。 これは日本刀の刃を丸め。 温めて黒漆を付け盤面に刃先を押しつけて線を引くものである。 表面に漆が乗るため。 線には微妙な盛り上がりができる。 視覚障害者が。 手触りでマス目を判断して碁を楽しめるように。 この線をわざと厚めに作る碁盤も存在する。 碁盤の価格は数千円から一千万円超までさまざま。 アガチス。 桂。 スプルース製の厚さ1寸までの卓上盤なら数千円程度。 アガチス。 桂。 スプルース製の足付盤や榧製の卓上盤では数万円から十万円程度。 イチョウ。 ヒノキ。 ヒバ製で三十万円程度まで。 榧製は1面ずつ価格が異なるが。 相場として板目盤で五万円から八十万円程度。 柾目盤は希少価値が高いのでたいへん高価で。 数十万円からで銘盤ともなれば数百万円から一千万円超。 さらに高いものは。 価格応談など。 客観的な価格では対応しきれない碁盤もある。 形状は畳などの上で椅子を用いない対局で床に直接置き使用する足付盤以外にも。 テーブルの上で用いる薄い板状のものも公式戦で使用される。 それ以外にも折畳式のものなどもある。 厚さ二寸くらいまでの卓上用の薄い板盤は。 充分に乾燥していない一枚板では実用にたえられないほど反ったり線の升目がくるったりする恐れがあるため。 板を何枚か接いで1面の盤をつくることが多い。 これは接盤(つぎばん)。 接合盤と呼ばれる。 他にも。 左右二枚の板を差し込んで1面の盤にすることで反りなどを防ぐさし込み盤というものもある。 また。 盤の反りや変形には木目の影響も大きく。 この点でも「柾目」が珍重されている。 足付き碁盤の裏側の中央部分にはへこみがある。 これは「へそ」と呼ばれる。 木材の乾燥による歪みや割れの防止と。 石を打った時の音の響きを良くする効果がある。 2寸程度の薄い足付き盤にはへこみはない。 また。 血溜まりと呼ばれることもあり。 対局中に横から口を挟む人間は首を刎ねられ。 このへこみに乗せられる事になると言う。 碁盤の脚は。 クチナシの実の形を模しており。 「他人の対局に『口無し』ということ」を示唆している。 中国では布製の碁盤も用いられることがある。 盤上の線のことを「路」(連珠では「道」)と呼ぶ。 標準的な碁盤は19路だが。 それ以外にも様々な盤があり。 よく見かけるのは以下の4種類である。 他に入門・研究用として7路以下の盤もよく用いられる。 東京大学の囲碁授業では。 6路盤が採用されている。 また21路盤のように。 標準より広い盤も存在する。 19路盤 使用される縦横19本の線を持つ盤を19路盤(じゅうきゅうろばん。 連珠愛好家の間では19道盤(じゅうきゅうどうばん))という。 碁盤といったとき特に断りがなければこの19路盤を指す。 交点(目)の数は361。 マス目の数は324。 大きさは縦1尺5寸(45.5センチ)。 横1尺4寸(42.4センチ)。 厚さは足付き盤で2寸~9寸程度まである。 連珠で代用されることもある。 また。 広将棋にも用いられる。 15路盤 縦横15本の線を持つ盤を15路盤(じゅうごろばん。 15道盤(じゅうごどうばん))という。 囲碁では使われず。 連珠で使われるため「連珠盤」と呼ばれている。 交点(目)の数は225。 マス目の数は196。 大きさは縦1尺2寸。 横1尺1寸と将棋盤とほぼ同じで。 厚さは足付き盤で2寸~9寸程度まである。 ちなみに。 15路盤を採用したのは昭和初期に連珠の第3世名人・高木楽山がルールとして規定したためとされており。 これまでは19路の碁盤を使用していた。 15路盤が採用されたのは。 連珠は囲碁の付属物ではないという考え方と。 黒に束縛を加えても17路盤や19路盤では先手が有利であるのに対し。 13路盤より狭い盤では逆に後手が有利となるので。 対等に勝負できるようにしたためとされている。 13路盤 縦横13本の線を持つ盤を13路盤(じゅうさんろばん)という。 通常の19路盤に比べ大きさが小さく全体が把握しやすいため9路盤で基本をつかんだ初級者がより実戦に近い感覚を学ぶために使われることが多い。 目の数は169。 マス目の数は144。 5分から2寸程度の薄い板で作られている。 9路盤 縦横9本の線を持つ盤を9路盤(きゅうろばん)という。 主に囲碁の初心者が囲碁の実戦の感覚をつかむために用いられる。 盤の大きさが小さいため通常の布石はあまり意味をなさないが。 一定の棋力に達した者同士でも楽しむことができる。 目の数は81。 マス目の数は64。 コンピュータ囲碁プログラムは9路盤をはじめとする小路盤において力を発揮するとされている。 2014年現在。 プログラムは19路盤では2014年7月現在アマ高段者程度の棋力とされているが。 9路盤においてはプロとほぼ互角の棋力を持つというプロ棋士の感想がある。 歴史 漢景帝陽陵からは。 漢代のものと思われる陶製碁盤が出土している。 装飾の施された木画紫檀棊局(もくがしたんのききょく)という碁盤も著名。 正倉院宝物となっている。 碁盤の大きさについては以下の記録が残っている。 『囲碁式』(1199年頃)縦1尺4寸8分。 厚さ3寸4分 本因坊道悦の標準盤 縦1尺4寸5分。 横1尺3寸5分。 厚さ3寸9分 『大江俊矩記』(1807年)縦1尺4寸8分。 厚さ5寸3分 現在は碁盤・将棋盤は実際の使い勝手より。 厚いほど高級とされているため。 八寸・九寸などという盤も稀に存在する。 深曾木の儀 日本の皇室では。 七五三にあたるものとして。 碁盤から飛び降りるという儀式が行なわれる。 世界をしっかりと踏んで立ち成長するようにとの願いを込め。 右手に扇。 左手に山橘を持ち,碁盤の上から南の方角へ飛び降りる。 皇太子徳仁親王。 秋篠宮文仁親王の使用した碁盤は。 1964年に日本棋院から寄贈された。 皇室に限らず。 「碁盤の儀」として七五三に行っている例もある。
碁石は。 囲碁。 連珠に使用する用具で。 黒・白2色の円盤形の物体である。 黒白2色で一揃いとなり。 碁笥(ごけ)ないし碁器(ごき)と呼ばれる容器に入れておく。 囲碁を行う上では単に「石」と呼んだりする(※当項目でも以後は“石”と表記する)。 ゲームを行う上では黒181個。 白180個を用意する(ただし。 この個数にルール上の意味はなく。 対局中に不足した場合はアゲハマを同数交換したり。 余所から持ってくるなどの形で適宜補充する)。 連珠では「珠」と呼び。 黒113個。 白112個を用意するが。 実際には60個程度ずつで差し支えない。 目次 1 形態 2 碁石の歴史 3 碁石の素材 4 碁笥 4.1 碁笥の呼称問題 5 グリーン碁石 6 子 形態 石の大きさは白石が直径21.9mm(7分2厘)。 黒石が直径22.2mm(7分3厘)。 黒石のほうが若干大きくなっているのは。 白が膨張色でやや大きく見えるためで。 このように若干の差をつけることにより。 人間の目にはほぼ同じ大きさであるように見える。 厚さは6mm - 14mm程度まである。 厚みは号数で表され。 25号でおよそ7mm。 40号でおよそ11mmで。 一般に。 厚いものほど打った時の音が響き。 高級品とされるが。 打ちづらくなってくる。 60号近いものも存在するが。 34号以上は十分高級である。 9mm前後(32 - 34号)のものが持ちやすく。 最も多く用いられている。 「石」と呼ばれるが素材は必ずしも石材のみが用いられてはいない(後述#碁石の歴史を参照)。 黒石は那智黒。 白石は碁石蛤の半化石品が最高級とされる。 蛤の白石には「縞」という生長線が見られ。 細かいものほど耐久性が高く。 「雪」と表現され。 比較的目が粗いものを「月」と呼んで区別する。 現在販売されているグレードは雪印。 月印。 実用とあり。 最も縞模様の細かい最高級の雪印。 それに次ぐ月印。 縞模様があまり細かくない実用となっている。 ほかに。 生産段階でわずかな傷などがあったものを組み合わせた徳用というものもある。 練習用には硬質ガラス製のものなどが使用される。 石は使用によって破損し。 小さなものをホツ。 周辺の欠けたものをカケという。 碁器の中の石をかき混ぜて音を立てる行為はマナー違反とされている。 碁石の歴史 碁笥に入れられた碁石 古くは『風土記』(733年頃成立)に碁石に関する記述が見られ。 『常陸国風土記』に鹿島のハマグリの碁石が名産として記述されている。 また『出雲国風土記』に。 島根県の「玉結浜」の記載があり。 この海岸からは碁石に適した石が採れたという。 奈良県の藤原京で発掘された碁石は丸い自然石で。 材質は黒石が黒色頁岩。 白石が砂岩。 7世紀末 - 8世紀始めに使用されていたと推定される(週間碁)。 自然石の碁石は江戸期まで使用された。 本因坊道策が幼い頃使ったという碁盤と自然石の碁石が現存している。 正倉院に所蔵された聖武天皇愛用の碁石は紅牙撥鏤碁子(こうげばちるのきし)と名付けられ。 直径1.6cm 厚さ0.8cm。 象牙を染めて花鳥の文様を彫り付けたものであり。 色は緑と紅色である。 収蔵品の台帳である「東大寺献物帳」(国家珍宝帳)によると百済の義慈王(在位641年 - 660年)から藤原鎌足あてに贈られたものであるという。 600枚が納められたと記載されているが。 現存するのは252枚である。 『源氏物語絵巻』では碁石は黒と白のものが使用されていることが分かる。 現在は黒は黒色の石を用い。 那智黒石(三重県熊野市で産する黒色頁岩または粘板岩)が名品とされる。 白はハマグリの貝殻を型抜きして磨いたものである。 碁石の材料となるハマグリの代表的な産地は古くは鹿島海岸や志摩の答志島。 淡路島。 鎌倉海岸。 三河などであった。 鹿島のハマグリは殻が薄く。 明治期の落語の速記本に「せんべいの生みたく反っくりけえった石」と描写されるように。 古い碁石には貝殻の曲線どおり。 薄くて中央が凹んだものがある。 その後。 文久年間に宮崎県日向市付近の日向灘沿岸で貝が採取されるようになり。 明治中期には他の産地の衰退と共に日向市のお倉が浜で採れるスワブテ蛤が市場を独占し上物として珍重された。 現在では取り尽くされてほとんど枯渇してしまっている。 現在一般に出回っているものはメキシコ産である。 白石と黒石は価格が違い。 ハマグリ製の白石が非常に高価で。 業者によっては黒石は「那智黒石付き」と。 白石のおまけ扱いにしている。 高級品は貝殻の層(縞のように見える)が目立たず。 時間がたっても層がはがれたり変色したりしない。 ハマグリの碁石は庶民が気軽に買えるものではなく。 明治期には陶器や竹製の安物の碁石が存在した。 大正時代にガラスの碁石が試作されたが。 当初は硬化ガラスではなく普通のガラスだったので。 脆く割れやすかった。 その後プラスチックや硬質ガラス製の製品が出回り。 安価な用具の大量生産が囲碁の普及に果たした役割は大きいと言える。 近年では持ち運び用のマグネット製のものもある。 メノウ製の高級品もある。 中国では古代には木で碁石を作ったらしく。 中国呉の時代(222年 - 280年)に書かれた『博奕論』(韋曜)に「枯棊三百」 と記されている。 「枯棊」とは。 木でできた碁石のことを指し。 日本の寛永年間(1624年 - 1644年)の『玄玄棊經俚諺鈔』という解説本には。 「碁石は元と木を似て造る。 故に枯棊と云う」と注記している。 また碁石は300個が定数であったことも記されている。 時代が下ると。 高級な碁石は「玉(ぎょく)」と呼ばれる一種の宝石から作られた。 中国唐代の『杜陽雑編』という書物に。 宣宗帝年号大中年間(847年 - 860年)に日本一の碁の名手である日本の王子が来朝し。 中国一の名手と対戦する逸話の記載がある。 日本の王子は日本には冷暖玉という宝石の碁石があることを物語り。 「本國の東に集真島有 島の上に凝霞臺とて臺上に手譚池あり 池中に玉子を出す 製度によらされども自然に黒白明分有 冬ハ暖く夏は冷也 故に冷暖玉とぞにいふ 日本の王子入唐して此石を冷暖玉として唐朝へ進上せらると載たり」と記されている。 玉の碁石は割れやすく。 日本のように音を立てて盤に打ち付けるということはなかった。 中には石一個が銀貨二枚に相当するとされるほど高価なものもあったが。 かつての名品の多くが。 碁は退廃的として攻撃された文化大革命時代に収集家から奪われるなどして散逸してしまった。 碁石の素材 現在は以下のような素材で作られた碁石が存在する。 蛤/那智黒石 瑪瑙碁石(中国産) 云子碁石(中国碁石)(中国産・大理石製。 黒石は光を透過させると緑色に見える特徴がある) 硬質ガラス碁石(日本産/韓国産) ユリア樹脂製碁石 プラスチック碁石 プラスチック重量石(通常のプラスチックより重く。 打ち味が比較的良いとされる) マグネット碁石 碁笥 碁笥(ごけ)とは。 碁石を入れる容器。 碁器(ごき)とも呼ばれる。 白石黒石の2個で1組となっている。 材質は最高級品は桑(特に御蔵島産の「島桑」が珍重される)。 次いで柿。 紫檀。 黒檀。 一般的に用いられているものは欅。 花梨。 桜。 楠。 ブビンガ。 栗。 棗。 合成樹脂などがある。 表面は木地を出すことが多いが。 凝ったものには蒔絵や鎌倉彫を施したものも見受けられる。 古くは合子(ごうす)と呼ばれ。 正倉院には撥鏤棊子とセットで渡来した精緻な美術品である「銀平脱合子」が収蔵されている。 江戸時代には筒型に近い本因坊型と。 丸みのある安井型があった。 現代で使われているのは安井型に近いものが多い。 計点制ルールでは。 内部が蜂の巣状で石数180個が確認しやすい独特の碁笥を用いる。 なお。 碁笥には蓋があり。 対局中にアゲハマを入れておくのに用いられる。 碁笥の呼称問題 碁笥の素材については上記のほかにも色々な種類の木が用いられるが。 外国から輸入した木材を木目や質感が似ていることから「新○○」と称していることが多く。 混乱を招いている。 例えば。 輸入木材であるマホガニーは「新サクラ」。 棗は「新ケヤキ」。 ケンパスを「新カリン」などと銘打って販売されていることが多い。 しかし。 木目や質感が似ているからと言って。 本来の名前を無視してサクラやケヤキの名を冠するのはどうなのかという議論が近年ネット上で見受けられるようになった。 碁盤に関しては「新カヤ」はスプルース材。 「新桂」はアガチス材という輸入材であることが知られるようになってきたが。 碁笥に関しては碁盤ほどではなく。 素材を輸入材と知らずに買うビギナーも多い。 この問題に関して良心的な店では新サクラ等の呼称を使わずマホガニー製。 棗製と本来の名称で呼ぶ店もある。 グリーン碁石 通常の碁石は白と黒の2色を用いるが。 目に優しいとされる緑系の色を用いたグリーン碁石も少数ながら使用されている。 これは作家の夏樹静子が発案し広めたもので。 黒の代わりに濃い緑を。 白の代わりに薄い緑を用いている。 素材は硬質ガラスで。 厚さは使いやすく9mmで作られている。 普通の白黒の碁石に比べて値段は高い。 日本棋院の一般対局室の一部で使用されている。 子 碁石は一般には何個と数えるが。 囲碁用語としての助数詞は「子(もく)」である。 しかしながら。 囲碁用語特有の読み方のため。 「もく」と読めずに本来は誤読の「子(し)」が広まっている。 一方で。 碁石を指すのに「目(もく)」を当て字として使った例もある。 置き碁というハンデ戦で下手が2つ石を置いて対局することを2子局と呼ぶ。 ^ 囲碁の盤は19路で19×19=361個の石が置ける。 黒181個。 白180個で盤を埋め尽くすことになる。 ^ 連珠の盤は15路で15×15=225個の石が置ける。 黒113個。 白112個で盤を埋め尽くすことになる。 ^ 宮崎県 (2011年7月25日). “雅趣・伝統の美”. 2012年5月28日閲覧。 ^ この逸話の概要は以下のようなものである。 「遣唐使として皇帝と会見した日本の王子が。 日本一の碁の名手を名乗り『国の名誉を賭け。 唐の名手と対戦したい』と碁の勝負を申し入れた。 そこで皇帝は碁の国手といわれた大臣の顧師言を呼び出し。 日本の王子と対局させた。 双方の実力は互角で序盤から互いに譲らぬ激闘となったが。 御前試合で君命を辱めることを恐れた顧師言が汗を振り絞った思考の末。 三十二手目に死に物狂いの名手を放ち。 それを見た日本の王子は驚嘆し。 遂に兜を脱いだ。 対局の後で王子は外使の接受担当の鴻臚卿に『顧先生は貴国で何番目の名人なのか』と質問し。 鴻臚卿は『三番目であります』と返答した。 実際は顧師言は国一番の名手だったのだが。 日本の名人と対等勝負だったので。 唐の体面を考慮して嘘をついたのだった。 日本の王子は不服顔で『唐で一番の名手と対局したい』と言った。 鴻臚卿は動ぜず『第三を破って第二と対局し。 第二を破って第一と対局できるのです。 なぜにいきなり第一と対局できましょう』と答えた。 日本の王子は碁盤に蓋をして『小国の第一は。 ついに大国の第三に及ばぬのか』と嘆息した」 この対局の棋譜は記録され。 現代に伝わっている。
囲碁の記録一覧は囲碁に関する記録の一覧である。 目次 1 タイトル 1.1 通算記録 1.2 連続記録 1.3 最年少記録 1.4 その他記録 1.5 タイトル連覇記録 1.6 タイトル同時在位 1.6.1 名誉称号 1.6.1.1 他棋戦称号 1.6.2 グランドスラム 1.6.3 大三冠 1.7 名人・本因坊 2 年間記録 3 通算・連勝 3.1 通算 3.2 連勝 4 対局記録 4.1 手数 4.2 長考 4.3 珍形 5 1000勝達成棋士 5.1 1000勝達成 5.2 1100勝達成 5.3 1200勝達成 5.4 1300勝達成 5.5 1400勝達成 6 脚注 7 関連項目 8 注釈 9 外部リンク タイトル 通算記録 記録 棋士 通算タイトル獲得・棋戦優勝数 趙治勲 74(2015年11月現在) グランドスラム(通算で7大タイトルを全て経験) 趙治勲。 張栩。 井山裕太 大三冠(棋聖・名人・本因坊同時獲得) 趙治勲。 井山裕太 同一トーナメント戦最多優勝 坂田栄男 11回(NHK杯) 連続記録 記録 棋士 同時タイトル保持数 坂田栄男。 井山裕太 7 同時タイトル保持数(七大タイトル中) 井山裕太 7 同一タイトル戦連続出場 加藤正夫 12期 王座戦。 1980年〜1991年) 最長在籍 林海峰 名人リーグに35年連続を含む39期(名人位含む) 最長タイトル保持 加藤正夫 14年6ヶ月 最年少記録 記録 棋士 年齢 棋戦 最年少棋聖 井山裕太 23歳10か月 最年少名人 井山裕太 20歳4か月 最年少本因坊 石田芳夫 22歳10ヶ月 最年少王座 趙治勲 20歳5ヶ月 最年少天元 井山裕太 22歳6か月 最年少碁聖 山下敬吾 21歳11ヶ月 最年少十段 伊田篤史 21歳11か月 最年少グランドスラム 井山裕太 23歳10か月 最年少大三冠 井山裕太 24歳4か月 最年少六冠 井山裕太 23歳10か月 最年少五冠 井山裕太 23歳5か月 最年少四冠 井山裕太 23歳2か月 最年少三冠 井山裕太 23歳1か月 最年少二冠 井山裕太 22歳10か月 最年少名人本因坊 井山裕太 24歳4か月 最年少タイトル (七大タイトル) 井山裕太 20歳4ヶ月 名人戦 最年少タイトル (七大タイトル以外) 井山裕太 16歳4ヶ月 阿含・桐山杯 最年少タイトル挑戦 井山裕太 19歳3か月 名人戦 最年少入段 趙治勲 11歳9か月 最年少九段 井山裕太 20歳4か月 その他記録 賞金・対局料の史上最高総額 井山裕太 1億6461万円 年間の7大タイトル挑戦手合にすべて出場 井山裕太 最年長タイトル 藤沢秀行 67歳(王座) 最年長リーグ在籍 橋本宇太郎 74歳(本因坊リーグ) 入段からタイトル獲得までの年数最短記録 伊田篤史 6年0か月 九段昇段最短記録 井山裕太 8年10か月 親子タイトルホルダー 父羽根泰正(1990年王座)。 息子羽根直樹(棋聖・本因坊などを獲得) 囲碁七大タイトル獲得記録 順位 獲得回数 棋士名 1位 42期 趙治勲* 2位 35期 小林光一* 3位 32期 井山裕太* 4位 31期 加藤正夫* 5位 23期 張栩* 6位タイ 21期 坂田栄男 | 林海峰* 8位 17期 大竹英雄* 9位タイ 14期 藤沢秀行 | 山下敬吾* 表示 *は現役棋士 2016年天元戦終了時点 タイトル連覇記録 順位 記録者 タイトル 連覇数 獲得年度 備考 1 趙治勲 本因坊 10 1989 - 1998 2 高川格 本因坊 9 1952 - 1960 3 加藤正夫 王座 8 1982 - 1989 3 小林光一 棋聖 8 1990 - 2001 5 坂田栄男 本因坊 7 1961 - 1967 5 小林光一 名人 7 1988 - 1994 7 藤沢秀行 棋聖 6 1977 - 1982 7 大竹英雄 碁聖 6 1980 - 1985 7 小林光一 碁聖 6 1988 - 1993 タイトル同時在位 複数のタイトルに同時に在位した棋士(最高獲得時・七大タイトル) タイトル数 棋士名 タイトル 開始 終了 在位期間 備考 7 井山裕太 棋聖・名人・本因坊 王座・天元・碁聖・十段 2016十段 2016名人 197日 6 井山裕太 棋聖・本因坊・王座 天元・碁聖・十段 2012王座 2013十段 156日 棋聖・名人・本因坊 王座・天元・碁聖 2013名人 2014王座 405日 棋聖・名人・本因坊 王座・天元・碁聖 2015天元 継続中 495日 5 張栩 名人・王座・天元・碁聖・十段 2009十段 2009名人 183日 4 加藤正夫 本因坊・王座・天元・十段 1979王座 1980十段 159日 名人・王座・碁聖・十段 1987碁聖 1988十段 255日 趙治勲 棋聖・名人・本因坊・十段 1983棋聖 1983十段 41日 小林光一 棋聖・名人・天元・十段 1986棋聖 1986名人 211日 3 坂田栄男 名人・本因坊・王座 1963王座 1965名人 本因坊・王座・十段 1966王座 1967王座 石田芳夫 名人・本因坊・王座 1974王座 1975名人 大竹英雄 名人・碁聖・十段 1980碁聖 1980名人 王立誠 棋聖・王座・十段 2001十段 2001王座 204日 名誉称号 各タイトルを5連覇または通算10期以上保持した者は。 現役引退後または60歳の誕生日を迎えた後に「名誉○○」(○○はタイトル名)を名乗ることが許される。 ただし本因坊戦はかつて「名誉本因坊」の称号を用いていたが。 1998年以降「○○世本因坊××」(××は棋士の雅号)と呼称することに変更された。 本因坊9連覇の高川秀格はその栄誉をたたえ。 特例として1964年より。 49歳現役で「名誉本因坊」を名乗ることが許された。 また趙治勲も本因坊10連覇により。 60歳の誕生日を待たずして現役時より「二十五世本因坊」の名乗りを許されている。 名誉称号一覧 名誉称号 該当者 名誉棋聖 藤沢秀行 ・小林光一 名誉名人 趙治勲 ・小林光一 永世本因坊 高川格 (二十二世) ・坂田栄男 (二十三世) 石田芳夫 (二十四世) ・趙治勲 (二十五世) 井山裕太(二十六世) 名誉王座 加藤正夫 名誉天元 林海峰 名誉碁聖 大竹英雄 ・小林光一・井山裕太 名誉十段 名誉日本棋院選手権者 坂田栄男 名誉NHK杯選手権者 坂田栄男 他棋戦称号 名誉女流本因坊 : 謝依旻 名誉女流名人 : 謝依旻 (2016年時点) 名誉称号資格者 グランドスラム 七大タイトルを全て一回以上通算で経験する事をグランドスラムと呼び。 これを達成したのは趙治勲。 張栩。 井山裕太の三人(2013年現在)。 このうち。 井山裕太は七大タイトル全てを同時に保持したことがある(2016年)。 後1タイトルで達成するのは林海峰。 山下敬吾の2人。 グランドスラム達成者 棋士 棋聖 十段 本因坊 碁聖 名人 王座 天元 1. 趙治勲 1983 1982 1981 1979 1980 1976 1987 2. 張栩 2010 2009 2003 2006 2004 2003 2008 3. 井山裕太 2013 2011 2012 2012 2009 2012 2011 年は初獲得年。 黄色はグランドスラム達成時のタイトル。 大三冠 棋聖・名人・本因坊を同時に保持する事を大三冠と呼び。 これを達成したのは趙治勲と井山裕太の二人(2013年現在)。 棋士 棋戦 1回目 2回目 1. 趙治勲 棋聖 1983 1997 1998 1999 本因坊 1997 1998 名人 1996 1997 1998 棋士 棋戦 2. 井山裕太 棋聖 2014 2015 2016 本因坊 2014 2015 2016 名人 2013 2014 2015 大三冠獲得時の獲得棋戦 名人・本因坊 タイトル名人と本因坊を同時獲得した棋士。 列1 氏名 年 1 坂田栄男 1963-1964 2 林海峰 1969 3 石田芳夫 1974 4 趙治勲 1981-1982 1996-1998 5 張栩 2004 6 高尾紳路 2006 7 山下敬吾 2011 8 井山裕太 2013- 年間記録 年間最高勝率 坂田栄男 .9375(30勝2敗。 1964年) 年間最多勝利 張栩 70勝(14敗。 2002年) 年間最多敗戦 山下敬吾 32敗(39勝。 2004年) 年間最多対局 羽根直樹 88局(2002年。 63勝25敗) 年間最多獲得賞金 井山裕太 1億7212万円(2015年) 通算・連勝 通算 通算最多勝 趙治勲 1400勝 (2012年9月27日現在) 通算最多敗 林海峰 845敗 (2011年4月現在) 通算最多対戦 趙治勲-小林光一 128局。 趙65勝-小林63勝(2011年7月現在) 最年少1000勝達成 結城聡 39歳2ヵ月(日本棋院記録は趙治勲の43歳1ヶ月) 最年長1000勝達成 石井邦生 74歳3ヵ月 最短1000勝達成 結城聡 27年1ヶ月(日本棋院記録は趙治勲の31年4ヶ月) 最長1000勝達成 石井邦生 59年10カ月 連勝 一般棋戦最多連勝 29 坂田栄男(1964年) 大手合 33 趙治勲 同一タイトルマッチ 17 坂田栄男(本因坊戦。 1963年〜1967年) 御城碁 19 本因坊秀策 対局記録 手数 最長 411手(山部俊郎-星野紀。 1950年大手合) 最短(中押) 33手(前田陳爾—春山勇) 最短(作り碁) 121手(武宮正樹—張栩。 2003年名人リーグ) 長考 (時間無制限) 星野紀 16時間 (持時間制) 武宮正樹 5時間7分(1988年本因坊戦挑戦手合第5局。 対大竹英雄) 珍形 長生 林海峰—小松英樹(1993年本因坊リーグ)。 王銘エン―内田修平(2009年世界囲碁選手権富士通杯予選B) 石柱(盤面を一方の石が19個並んで横断) 本田幸子—山本豊(1951年大手合) 1000勝達成棋士 1000勝達成 順 棋士 達成日 達成年齢 入段からの年数 1 坂田栄男 1984年4月13日 64歳1ヶ月 49年0ヵ月 2 林海峰 1994年8月4日 52歳2ヶ月 39年3ヵ月 3 加藤正夫 1996年5月23日 49歳2ヶ月 32年1ヶ月 4 小林光一 1998年11月28日 46歳2ヶ月 31年7ヶ月 5 大竹英雄 1999年2月18日 56歳9ヶ月 42年10ヶ月 6 趙治勲 1999年8月12日 43歳1ヶ月 31年4ヶ月 7 橋本昌二 2001年9月 66歳4ヶ月 54年4ヶ月 8 羽根泰正 2001年11月8日 57歳4ヶ月 43年7ヶ月 9 武宮正樹 2006年2月9日 55歳1ヶ月 40年10ヵ月 10 本田邦久 2007年5月 61歳10ヵ月 46年4ヵ月 11 王立誠 2008年2月14日 49歳3ヵ月 35年10ヵ月 12 山城宏 2008年7月7日 49歳10ヵ月 36年3ヵ月 13 石田芳夫 2010年5月20日 61歳9ヵ月 47年1ヶ月 14 結城聡 2011年4月3日 39歳2ヵ月 27年1ヶ月 15 依田紀基 2011年7月21日 45歳5ヵ月 31年3ヶ月 16 工藤紀夫 2011年7月21日 71歳2ヵ月 56年6ヶ月 17 小林覚 2011年12月1日 52歳7ヵ月 37年8ヶ月 18 片岡聡 2014年2月27日 55歳6ヵ月 41年10ヵ月 19 王銘琬 2015年6月4日 53歳6ヵ月 38年2ヵ月 20 淡路修三 2015年9月24日 66歳1ヵ月 47年5ヵ月 21 石井邦生 2016年2月1日 74歳3ヵ月 59年10カ月 22 彦坂直人 2016年8月18日 54歳5ヶ月 40年4ヶ月 1100勝達成 順 棋士 達成日 達成年齢 入段からの年数 1 林海峰 1998年3月2日 55歳9ヵ月 42年11ヵ月 2 加藤正夫 1999年3月18日 52歳0ヵ月 34年11ヵ月 3 小林光一 2002年2月28日 49歳5ヶ月 34年10ヶ月 4 趙治勲 2002年4月4日 45歳9ヶ月 34年0ヶ月 5 大竹英雄 2004年7月22日 62歳2ヶ月 48年3ヶ月 6 羽根泰正 2008年6月19日 63歳11ヶ月 50年2ヶ月 1200勝達成 棋士 達成日 達成年齢 入団からの年数 1 加藤正夫 2002年3月21日 55歳0ヵ月 37年11ヵ月 2 林海峰 2002年4月18日 59歳11ヵ月 47年0ヵ月 3 趙治勲 2005年1月27日 48歳7ヵ月 36年9ヵ月 4 小林光一 2005年9月1日 52歳11ヵ月 38年4ヵ月 5 羽根泰正 2015年5月21日 70歳10ヵ月 57年1ヶ月 1300勝達成 棋士 達成日 年齢 入段からの年数 1 林海峰 2006年10月19日 64歳4ヵ月 51年5ヵ月 2 趙治勲 2008年6月19日 51歳11ヵ月 40年2ヵ月 1400勝達成 棋士 達成日 年齢 入段からの年数 1 趙治勲 2012年9月27日 56歳3ヵ月 44年5ヵ月 2 林海峰 2015年8月6日 73歳2ヵ月 60年7ヵ月 1000勝達成棋士 日本棋院 坂田栄男 | 林海峰 | 加藤正夫 | 小林光一 | 大竹英雄 | 趙治勲 | 羽根泰正 | 武宮正樹 | 王立誠 | 山城宏 | 石田芳夫 | 依田紀基 | 工藤紀夫 | 小林覚 | 片岡聡 | 王銘琬 | 淡路修三 | 石井邦生 | 彦坂直人 関西棋院 橋本昌二 | 本田邦久 | 結城聡
囲碁のタイトル在位者一覧は。 日本国内棋戦七大タイトルの歴代在位者一覧であり。 1941年の本因坊戦創設から現在までを網羅する。 目次 1 表記上の注意 2 一覧 3 七大タイトル獲得数 4 年代別優勝ランキング 5 関連項目 同一タイトル4連覇以上を達成した棋士。 初のタイトル獲得。 それぞれのタイトルの最年少保持記録は備考に入れている。 名誉称号資格を獲得した棋士は備考に入れている。 一覧 棋聖 十段 本因坊 碁聖 名人 王座 天元 備 考 棋聖戦 1-3月 十段戦 3-4月 本因坊戦 5-7月 碁聖戦 6-8月 名人戦 9-11月 王座戦 10-12月 天元戦 10-12月 1941年 (昭和16) 関山利一 本因坊戦創設。 関山利一初のタイトル保持者 1942年 (昭和17) 1943年 (昭和18) 橋本宇太郎 橋本宇太郎新本因坊(初タイトル) 1944年 (昭和19) 1945年 (昭和20) 岩本薫 岩本薫新本因坊(初タイトル) 1946年 (昭和21) 1947年 (昭和22) 岩本薫 岩本薫初のタイトル防衛 1948年 (昭和23) 1949年 (昭和24) 1950年 (昭和25) 橋本宇太郎 本因坊戦1年1期制に 1951年 (昭和26) 橋本宇太郎 1952年 (昭和27) 高川格 高川格新本因坊(初タイトル) 1953年 (昭和28) 高川格 橋本宇太郎 王座戦創設 1954年 (昭和29) 高川格 高川格 高川格史上初の二冠 1955年 (昭和30) 高川格 橋本宇太郎 1956年 (昭和31) 高川格 橋本宇太郎 高川格二十二世本因坊資格・初の5連覇・初の名誉資格 1957年 (昭和32) 高川格 島村俊廣 島村俊廣新王座(初タイトル) 1958年 (昭和33) 高川格 藤沢朋斎 藤沢朋斎新王座(初タイトル) 1959年 (昭和34) 高川格 橋本昌二 橋本昌二新王座(初タイトル) 1960年 (昭和35) 高川格 半田道玄 高川格本因坊9連覇。 半田道玄新王座(初タイトル) 1961年 (昭和36) 坂田栄男 坂田栄男 坂田栄男新本因坊(初タイトル) 1962年 (昭和37) 橋本宇太郎 坂田栄男 藤沢秀行 宮下秀洋 名人戦創設。 十段戦創設。 宮下秀洋新王座。 藤沢秀行新名人(初タイトル) 1963年 (昭和38) 半田道玄 坂田栄男 坂田栄男 坂田栄男 坂田栄男史上初の名人本因坊・史上初の三冠 1964年 (昭和39) 藤沢朋斎 坂田栄男 坂田栄男 坂田栄男 高川格二十二世本因坊襲名 1965年 (昭和40) 高川格 坂田栄男 林海峰 半田道玄 坂田栄男二十三世本因坊資格。 林海峰新名人(初タイトル) 1966年 (昭和41) 坂田栄男 坂田栄男 林海峰 坂田栄男 1967年 (昭和42) 坂田栄男 坂田栄男 林海峰 藤沢秀行 坂田栄男本因坊7連覇 1968年 (昭和43) 坂田栄男 林海峰 高川格 藤沢秀行 王座戦挑戦手合に移行 1969年 (昭和44) 大竹英雄 林海峰 林海峰 藤沢秀行 大竹英雄新十段(初タイトル) 1970年 (昭和45) 林海峰 藤沢秀行 坂田栄男 十段戦行われず 1971年 (昭和46) 橋本宇太郎 石田芳夫 林海峰 坂田栄男 石田芳夫新本因坊(初タイトル)・最年少本因坊 1972年 (昭和47) 坂田栄男 石田芳夫 林海峰 坂田栄男 1973年 (昭和48) 坂田栄男 石田芳夫 林海峰 林海峰 1974年 (昭和49) 橋本昌二 石田芳夫 石田芳夫 石田芳夫 1975年 (昭和50) 林海峰 石田芳夫 大竹英雄 大竹英雄 藤沢秀行 天元戦創設。 石田芳夫二十四世本因坊資格 1976年 (昭和51) 加藤正夫 武宮正樹 加藤正夫 大竹英雄 趙治勲 小林光一 新名人戦開始。 碁聖戦創設。 加藤正夫新十段。 武宮正樹新本因坊。 趙治勲新王座・最年少王座 小林光一新天元(初タイトル) 棋聖戦 1-3月 十段戦 3-4月 本因坊戦 5-7月 碁聖戦 6-8月 名人戦 9-11月 王座戦 10-12月 天元戦 10-12月 備 考 1977年 (昭和52) 第1期 藤沢秀行 第15期 加藤正夫 第32期 加藤正夫 第2期 加藤正夫 第2期 林海峰 第25期 工藤紀夫 第3期 島村俊廣 棋聖戦創設。 工藤紀夫新王座(初タイトル) 1978年 (昭和53) 藤沢秀行 加藤正夫 加藤正夫 大竹英雄 大竹英雄 石田芳夫 加藤正夫 1979年 (昭和54) 藤沢秀行 加藤正夫 加藤正夫 趙治勲 大竹英雄 加藤正夫 加藤正夫 加藤正夫史上初の四冠。 十段4連覇 1980年 (昭和55) 藤沢秀行 大竹英雄 武宮正樹 大竹英雄 趙治勲 加藤正夫 加藤正夫 天元戦挑戦手合に移行 1981年 (昭和56) 藤沢秀行 大竹英雄 趙治勲 大竹英雄 趙治勲 橋本昌二 加藤正夫 藤沢秀行名誉棋聖資格。 加藤正夫天元4連覇 1982年 (昭和57) 藤沢秀行 趙治勲 趙治勲 大竹英雄 趙治勲 加藤正夫 片岡聡 藤沢秀行棋聖6連覇。 片岡聡新天元(初タイトル) 1983年 (昭和58) 趙治勲 加藤正夫 林海峰 大竹英雄 趙治勲 加藤正夫 片岡聡 趙治勲史上初の大三冠 1984年 (昭和59) 趙治勲 小林光一 林海峰 大竹英雄 趙治勲 加藤正夫 石田芳夫 王座戦三番勝負から五番勝負に移行 趙治勲名誉名人資格。 大竹英雄名誉碁聖資格 1985年 (昭和60) 趙治勲 小林光一 武宮正樹 大竹英雄 小林光一 加藤正夫 小林光一 大竹英雄碁聖6連覇 1986年 (昭和61) 小林光一 小林光一 武宮正樹 趙治勲 加藤正夫 加藤正夫 小林光一 加藤正夫名誉王座資格 1987年 (昭和62) 小林光一 加藤正夫 武宮正樹 加藤正夫 加藤正夫 加藤正夫 趙治勲 趙治勲史上初のグランドスラム 1988年 (昭和63) 小林光一 趙治勲 武宮正樹 小林光一 小林光一 加藤正夫 趙治勲 武宮正樹本因坊4連覇 1989年 (平成元) 小林光一 趙治勲 趙治勲 小林光一 小林光一 加藤正夫 林海峰 加藤正夫王座8連覇 1990年 (平成2) 小林光一 武宮正樹 趙治勲 小林光一 小林光一 羽根泰正 林海峰 小林光一名誉棋聖資格。 羽根泰正新王座(初タイトル) 1991年 (平成3) 小林光一 武宮正樹 趙治勲 小林光一 小林光一 藤沢秀行 林海峰 1992年 (平成4) 小林光一 武宮正樹 趙治勲 小林光一 小林光一 藤沢秀行 林海峰 小林光一名誉名人資格・名誉碁聖資格。 藤沢秀行最年長タイトル保持者(67歳)。 初めて7大タイトル全てが防衛される 1993年 (平成5) 小林光一 大竹英雄 趙治勲 小林光一 小林光一 加藤正夫 林海峰 趙治勲二十五世本因坊資格。 林海峰名誉天元資格 小林光一棋聖8連覇・碁聖6連覇・3タイトル同時6連覇(史上唯一) 1994年 (平成6) 趙治勲 大竹英雄 趙治勲 林海峰 小林光一 趙治勲 柳時熏 小林光一名人7連覇。 柳時熏新天元(初タイトル) 1995年 (平成7) 小林覚 依田紀基 趙治勲 小林覚 武宮正樹 王立誠 柳時熏 小林覚新棋聖。 依田紀基新十段。 王立誠新王座(初タイトル) 1996年 (平成8) 趙治勲 依田紀基 趙治勲 依田紀基 趙治勲 柳時熏 柳時熏 1997年 (平成9) 趙治勲 加藤正夫 趙治勲 依田紀基 趙治勲 山田規三生 工藤紀夫 山田規三生新王座(初タイトル) 1998年 (平成10) 趙治勲 彦坂直人 趙治勲 依田紀基 趙治勲 王立誠 小林光一 趙治勲本因坊10連覇(同一タイトル連覇記録)・大三冠3連覇 彦坂直人新十段(初タイトル) 1999年 (平成11) 趙治勲 小林光一 趙善津 小林光一 趙治勲 王立誠 小林光一 趙治勲棋聖4連覇・名人4連覇。 趙善津新本因坊(初タイトル) 2000年 (平成12) 王立誠 小林光一 王銘琬 山下敬吾 依田紀基 王立誠 柳時熏 王銘琬新本因坊。 山下敬吾新碁聖(初タイトル)・最年少碁聖 棋聖戦 1-3月 十段戦 3-4月 本因坊戦 5-7月 碁聖戦 6-8月 名人戦 9-11月 王座戦 10-12月 天元戦 10-12月 備 考 2001年 (平成13) 王立誠 王立誠 王銘琬 小林光一 依田紀基 趙治勲 羽根直樹 羽根直樹新天元(初タイトル) 2002年 (平成14) 王立誠 王立誠 加藤正夫 小林光一 依田紀基 王銘琬 羽根直樹 2003年 (平成15) 山下敬吾 王立誠 張栩 依田紀基 依田紀基 張栩 羽根直樹 依田紀基名人4連覇。 張栩新本因坊(初タイトル) 2004年 (平成16) 羽根直樹 王立誠 張栩 依田紀基 張栩 張栩 山下敬吾 王立誠十段4連覇 2005年 (平成17) 羽根直樹 趙治勲 高尾紳路 依田紀基 張栩 張栩 河野臨 高尾紳路新本因坊。 河野臨新天元(初タイトル) 2006年 (平成18) 山下敬吾 趙治勲 高尾紳路 張栩 高尾紳路 山下敬吾 河野臨 2007年 (平成19) 山下敬吾 趙治勲 高尾紳路 張栩 張栩 山下敬吾 河野臨 2008年 (平成20) 山下敬吾 高尾紳路 羽根直樹 張栩 張栩 張栩 張栩 平成四天王がタイトル独占 2009年 (平成21) 山下敬吾 張栩 羽根直樹 張栩 井山裕太 張栩 山下敬吾 井山裕太新名人(初タイトル)・最年少タイトル保持者・最年少名人。 張栩史上初の五冠 山下敬吾棋聖4連覇。 張栩碁聖4連覇 2010年 (平成22) 張栩 張栩 山下敬吾 坂井秀至 井山裕太 張栩 結城聡 坂井秀至新碁聖。 結城聡新天元(初タイトル) 2011年 (平成23) 張栩 井山裕太 山下敬吾 羽根直樹 山下敬吾 張栩 井山裕太 張栩王座4連覇。 井山裕太最年少天元 2012年 (平成24) 張栩 井山裕太 井山裕太 井山裕太 山下敬吾 井山裕太 井山裕太 2013年 (平成25) 井山裕太 結城聡 井山裕太 井山裕太 井山裕太 井山裕太 井山裕太 井山裕太史上初の六冠・最年少棋聖 2014年 (平成26) 井山裕太 高尾紳路 井山裕太 井山裕太 井山裕太 村川大介 高尾紳路 村川大介新王座(初タイトル) 2015年 (平成27) 井山裕太 伊田篤史 井山裕太 井山裕太 井山裕太 井山裕太 井山裕太 伊田篤史新十段(初タイトル)・最年少十段・入段からタイトル獲得までの年数最短(6年0か月) 2016年 (平成28) 井山裕太 第54期 井山裕太 第71期 井山裕太 第41期 井山裕太 第41期 高尾紳路 第64期 井山裕太 第42期 井山裕太 井山裕太棋聖4連覇。 史上初の七冠独占達成(十段戦)。 井山二十六世本因坊資格。 名誉碁聖資格 2017年 (平成29) 第41期 井山裕太 井山か 余 井山か 本木 井山裕太名誉棋聖資格 棋聖 十段 本因坊 碁聖 名人 王座 天元 備 考 棋聖戦 1-3月 十段戦 3-4月 本因坊戦 5-7月 碁聖戦 6-8月 名人戦 9-11月 王座戦 10-12月 天元戦 10-12月 七大タイトル獲得数 タイトル数の黄色は名誉称号資格。 太字は最多獲得。 2017年棋聖戦終了時点。 棋士名 七大タイトル合計 三大タイトル合計 棋聖 名人 本因坊 王座 天元 碁聖 十段 1 趙治勲 42 29 8 9 12 3 2 2 6 2 小林光一 35 16 8 8 0 0 5 9 5 3 井山裕太 32 15 5 5 5 4 5 5 3 4 加藤正夫 31 6 0 2 4 11 4 3 7 5 張栩 23 9 3 4 2 7 1 4 2 6 坂田栄男 21 9 0 2 7 7 0 0 5 6 林海峰 21 13 0 8 5 1 5 1 1 8 大竹英雄 17 4 0 4 0 1 0 7 5 9 藤沢秀行 14 8 6 2 0 5 1 0 0 9 山下敬吾 14 9 5 2 2 2 2 1 0 11 高川格 12 10 0 1 9 1 0 0 1 11 依田紀基 12 4 0 4 0 0 0 6 2 13 王立誠 11 3 3 0 0 4 0 0 4 14 武宮正樹 10 7 0 1 6 0 0 0 3 15 石田芳夫 9 6 0 1 5 2 1 0 0 15 高尾紳路 9 6 0 3 3 0 1 0 2 17 橋本宇太郎 8 3 0 0 3 3 0 0 2 17 羽根直樹 8 4 2 0 2 0 3 1 0 19 柳時熏 5 0 0 0 0 1 4 0 0 20 橋本昌二 3 0 0 0 0 2 0 0 1 20 半田道玄 3 0 0 0 0 2 0 0 1 20 王銘琬 3 2 0 0 2 1 0 0 0 20 河野臨 3 0 0 0 0 0 3 0 0 24 岩本薫 2 2 0 0 2 0 0 0 0 24 島村俊廣 2 0 0 0 0 1 1 0 0 24 藤沢朋斎 2 0 0 0 0 1 0 0 1 24 工藤紀夫 2 0 0 0 0 1 1 0 0 24 片岡聡 2 0 0 0 0 0 2 0 0 24 小林覚 2 1 1 0 0 0 0 1 0 24 結城聡 2 0 0 0 0 0 1 0 1 31 関山利一 1 1 0 0 1 0 0 0 0 31 宮下秀洋 1 0 0 0 0 1 0 0 0 31 羽根泰正 1 0 0 0 0 1 0 0 0 31 山田規三生 1 0 0 0 0 1 0 0 0 31 彦坂直人 1 0 0 0 0 0 0 0 1 31 趙善津 1 1 0 0 1 0 0 0 0 31 坂井秀至 1 0 0 0 0 0 0 1 0 31 村川大介 1 0 0 0 0 1 0 0 0 31 伊田篤史 1 0 0 0 0 0 0 0 1 年代別優勝ランキング ※0年~9年までの10年間のタイトル獲得数 1950年代 9 高川格 5 橋本宇太郎 1 島村俊廣, 藤沢朋斎, 橋本昌二 1960年代 16 坂田栄男 6 林海峰 4 藤沢秀行 3 高川格 2 半田道玄 1970年代 12 加藤正夫 8 石田芳夫 7 林海峰 6 大竹英雄 5 藤沢秀行, 坂田栄男 1980年代 17 趙治勲 16 加藤正夫 14 小林光一 8 大竹英雄 5 武宮正樹 1990年代 19 趙治勲 17 小林光一 5 林海峰, 依田紀基 4 武宮正樹, 柳時熏 2000年代 17 張栩 10 山下敬吾 8 王立誠 7 依田紀基, 羽根直樹 2010年代 30 井山裕太 6 張栩 4 山下敬吾 3 高尾紳路 関連項目
棋道賞は年間で活躍した囲碁棋士に贈られる賞。 目次 1 概要 2 歴代受賞者 3 記録 4 詳細 概要 1967年(昭和42年)。 日本棋院の機関誌「棋道」主催で。 関係者と棋戦主催者の代表により誌上で選考する形で創設。 1999年(平成11年)の第33回からは。 「碁ワールド」誌主催となった。 部門賞は年によって変更されることがある。 賞は「最優秀棋士賞」「最多勝利賞」「勝率第一位賞」「連勝賞」「殊勲賞」「敢闘賞」「技能賞」「女流賞」「新人賞」。 第25回(1991年度)から殊勲賞。 敢闘賞。 技能賞。 を廃して。 「優秀棋士賞」「最多対局賞」「国際賞」が創られた。 毎年2月の選考会の後に発表。 3月に日本棋院で合同表彰式が行われる。 歴代受賞者 ※受賞は翌年。 - 年号 成績年 最優秀 棋士賞 最多勝利 賞 勝率 第一位賞 連勝 記録賞 殊勲賞 敢闘賞 技能賞 女流賞 新人賞 特別賞 第1回 昭和42 1967年 坂田栄男 林海峰 大窪一玄 大窪一玄 武宮正樹 岩本薰 久井敬史 木谷禮子 加藤正夫 第2回 昭和43 1968年 高川格 高川格 藤澤秀行 高川格 藤澤秀行 兒玉幸子 石田芳夫 加藤正夫 木谷禮子 武宮正樹 第3回 昭和44 1969年 林海峰 藤澤秀行 梶原武雄 藤沢朋斎 大竹英雄 加藤正夫 武宮正樹 本田幸子 石田芳夫 第4回 昭和45 1970年 大竹英雄 石田芳夫 石田芳夫 石田芳夫 武宮正樹 小島高穗 加藤正夫 木谷禮子 曹薰鉉 第5回 昭和46 1971年 石田芳夫 石田芳夫 加藤正夫 島村俊廣 島村俊宏 工藤紀夫 藤沢朋斎 杉内雅男 --- 趙治勲 第6回 昭和47 1972年 坂田栄男 高木祥一 加藤正夫 高木祥一 加藤正夫 趙治勲 杉内寿子 大平修三 本田幸子 小林光一 第7回 昭和48 1973年 林海峰 武宮正樹 武宮正樹 武宮正樹 小林光一 岩本薰 石井邦生 杉内寿子 山城宏 第8回 昭和49 1974年 石田芳夫 武宮正樹 戸澤昭宣 土田正光 戸澤昭宣 趙治勲 小林光一 島村俊宏 白鳥澄子 上村陽生 第9回 昭和50 1975年 大竹英雄 趙治勲 大平修三 小林光一 趙治勲 坂田栄男 大平修三 小川誠子 郡寿男 第10回 昭和51 1976年 加藤正夫 加藤正夫 趙治勲 武宮正樹 高木祥一 武宮正樹 小林光一 趙治勲 小林千寿 小林覚 第11回 昭和52 1977年 加藤正夫 林海峰 林海峰 林海峰 小林光一 島村俊宏 工藤紀夫 小林千寿 新垣武 第12回 昭和53 1978年 加藤正夫 大竹英雄 羽根泰正 大竹英雄 山城宏 羽根泰正 石田章 小川誠子 王立誠 第13回 昭和54 1979年 加藤正夫 趙治勲 林海峰 橋本誼 趙治勲 趙治勲 春山勇 石田章 小川誠子 片岡聡 第14回 昭和55 1980年 趙治勲 趙治勲 佐藤昌晴 山部俊郎 福井正明 佐藤昌晴 山部俊郎 木谷禮子 伊藤庸二 第15回 昭和56 1981年 趙治勲 山城宏 山城宏 山城宏 王銘琬 依田紀基 小林光一 楠光子 石倉昇 白鳥澄子 第16回 昭和57 1982年 趙治勲 小林光一 石田章 小林覚 石田章 片岡聡 王立誠 石田章 小林禮子 依田紀基 第17回 昭和58 1983年 林海峰 林海峰 小林覚 山城宏 王銘琬 小林覚 高木祥一 杉内寿子 小県真樹 楠光子 第18回 昭和59 1984年 趙治勲 小林光一 桑田泰明 桑田泰明 小林光一 山城宏 依田紀基 大平修三 楠光子 王銘琬 第19回 昭和60 1985年 小林光一 小林光一 郡寿男 羽根泰正 王銘琬 楠光子 宮沢吾朗 楠光子 大矢浩一 武宮正樹 第20回 昭和61 1986年 加藤正夫 王立誠 工藤紀夫 加藤正夫 依田紀基 王立誠 山城宏 小川誠子 新海洋子 第21回 昭和62 1987年 加藤正夫 趙治勲 大平修三 大平修三 依田紀基 王銘琬 大平修三 宮崎志摩子 小松英樹 藤澤秀行 第22回 昭和63 1988年 小林光一 小県真樹 羽根泰正 小林覚 小林光一 依田紀基 依田紀基 宮崎志摩子 羽根泰正 宮崎志摩子 三村智保 藤澤秀行 第23回 平成元年 1989年 小林光一 依田紀基 依田紀基 依田紀基 王銘琬 依田紀基 依田紀基 青木喜久代 - 第24回 平成2 1990年 小林光一 依田紀基 後藤俊午 後藤俊午 羽根泰正 小林覚 依田紀基 中澤彩子 柳時熏 - 連勝 記録賞 殊勲賞 敢闘賞 技能賞 25~ 年号 成績年 最優秀 棋士賞 最多 勝利賞 勝率 第一位賞 連勝賞 最多 対局賞 優秀 棋士賞 国際賞 女流賞 新人賞 特別賞 第25回 平成3 1991年 小林光一 小松英樹 工藤紀夫 王立誠 柳時熏 藤澤秀行 青木喜久代 趙善津 第26回 平成4 1992年 小林光一 小松英樹 土田正光 加藤正夫 小林光一 小松英樹 藤澤秀行 小松英樹 加藤朋子 山田規三生 第27回 平成5 1993年 小林光一 加藤正夫 王銘琬 加藤正夫 加藤正夫 佐藤昌晴 小川誠子 加藤朋子 第28回 平成6 1994年 趙治勲 加藤正夫 小林覚 小林覚 山田規三生 柳時熏 加藤朋子 森田道博 第29回 平成7 1995年 小林覚 小林覚 王立誠 王立誠 小県真樹 加藤正夫 武宮正樹 王立誠 中澤彩子 羽根直樹 第30回 平成8 1996年 趙治勲 羽根直樹 山田規三生 松村龍一 片岡聡 依田紀基 柳時熏 西田栄美 高尾紳路 第31回 平成9 1997年 趙治勲 羽根直樹 山下敬吾 山田規三生 山下敬吾 工藤紀夫 山田規三生 青木喜久代 山下敬吾 第32回 平成10 1998年 趙治勲 山下敬吾 高尾紳路 小松英樹 山下敬吾 山下敬吾 王立誠 彦坂直人 依田紀基 小林泉美 秋山次郎 第33回 平成11 1999年 趙治勲 高尾紳路 山下敬吾 羽根直樹 高尾紳路 趙善津 小林光一 依田紀基 知念かおり 小林泉美 第34回 平成12 2000年 王立誠 山下敬吾 張栩 高尾紳路 山下敬吾 依田紀基 王銘琬 山下敬吾 王立誠 祷陽子 張栩 第35回 平成13 2001年 王立誠 羽根直樹 三村智保 高尾紳路 羽根直樹 林海峰 羽根直樹 --- 小林泉美 溝上知親 第36回 平成14 2002年 加藤正夫 張栩 張栩 小林覚 張栩 王立誠 張栩 ハンス・ピーチ 小林泉美 河野臨 第37回 平成15 2003年 張栩 張栩 蘇耀国 山田規三生 張栩 山下敬吾 依田紀基 羽根直樹 趙治勲 小林泉美 蘇耀国 第38回 平成16 2004年 張栩 高尾紳路 鶴山淳志 高尾紳路 山下敬吾 山下敬吾 - 知念かおり 金秀俊 趙治勲 第39回 平成17 2005年 張栩 小林覚 井山裕太 武宮正樹 張栩 羽根直樹 高尾紳路 張栩 矢代久美子 井山裕太 第40回 平成18 2006年 山下敬吾 張栩 仲邑信也 張栩 山下敬吾 高尾紳路 張栩 依田紀基 謝依旻 松本武久 第41回 平成19 2007年 張栩 張栩 森田道博 張栩 張栩 山下敬吾 趙治勲 - 謝依旻 黄翊祖 第42回 平成20 2008年 張栩 張栩 林子淵 森田道博 井山裕太 羽根直樹 井山裕太 - 謝依旻 謝依旻 第43回 平成21 2009年 張栩 井山裕太 李沂修 張栩 井山裕太 高尾紳路 井山裕太 - 謝依旻 李沂修 第44回 平成22 2010年 張栩 山下敬吾 山城宏 山下敬吾 山下敬吾 山下敬吾 謝依旻 - 謝依旻 林漢傑 第45回 平成23 2011年 山下敬吾 井山裕太 金秀俊 金沢真 井山裕太 井山裕太 羽根直樹 謝依旻 - 謝依旻 内田修平 謝依旻 第46回 平成24 2012年 井山裕太 井山裕太 井山裕太 張豊猷 井山裕太 張栩 山下敬吾 - 謝依旻 伊田篤史 第47回 平成25 2013年 井山裕太 井山裕太 一力遼 富士田明彦 井山裕太 - 井山裕太 向井千瑛 富士田明彦 一力遼 第48回 平成26 2014年 井山裕太 河野臨 許家元 河野臨 河野臨 高尾紳路 一力遼 藤沢里菜 金沢真 藤沢里菜 第49回 平成27 2015年 井山裕太 井山裕太 許家元 芝野虎丸 井山裕太 山下敬吾 伊田篤史 一力遼 謝依旻 許家元 - 年号 成績年 最優秀 棋士賞 最多 勝利賞 勝率 第一位賞 連勝賞 最多 対局賞 優秀 棋士賞 国際賞 女流賞 新人賞 特別賞 ※5期以上のタイトルを獲得した棋士の名前には着色している。 記録 最優秀棋士賞獲得数 9回:趙治勲 7回:加藤正夫・小林光一・張栩 3回:林海峰 詳細 ※受賞は翌年。 - 成績年 最多勝利 賞 勝数 勝率 第一位賞 率 連勝 記録賞 第1回 1967年 林海峰 30 大窪一玄 .750 大窪一玄 12 第2回 1968年 高川格 藤澤秀行 26 高川格 .722 藤澤秀行 11 第3回 1969年 藤澤秀行 34 梶原武雄 .727 藤沢朋斎 9 第4回 1970年 石田芳夫 35 石田芳夫 .795 石田芳夫 9 第5回 1971年 石田芳夫 加藤正夫 36 島村俊廣 .786 島村俊宏 13 第6回 1972年 高木祥一 加藤正夫 30 高木祥一 .732 加藤正夫 12 第7回 1973年 武宮正樹 36 武宮正樹 .818 武宮正樹 13 第8回 1974年 武宮正樹 39 戸澤昭宣 .765 土田正光 戸澤昭宣 11 第9回 1975年 趙治勲 39 大平修三 .739 小林光一 11 第10回 1976年 加藤正夫 趙治勲 46 武宮正樹 .787 高木祥一 13 第11回 1977年 林海峰 42 林海峰 .808 林海峰 24 第12回 1978年 大竹英雄 39 羽根泰正 .829 大竹英雄 13 第13回 1979年 趙治勲 林海峰 39 橋本誼 .762 趙治勲 12 第14回 1980年 趙治勲 38 佐藤昌晴 .735 山部俊郎 11 第15回 1981年 山城宏 38 山城宏 .792 山城宏 12 第16回 1982年 小林光一 42 石田章 小林覚 .795 石田章 14 第17回 1983年 林海峰 38 小林覚 .795 山城宏 11 第18回 1984年 小林光一 38 桑田泰明 .786 桑田泰明 13 第19回 1985年 小林光一 39 郡寿男 .788 羽根泰正 12 第20回 1986年 王立誠 37 工藤紀夫 .750 加藤正夫 13 第21回 1987年 趙治勲 40 大平修三 .838 大平修三 17 第22回 1988年 小県真樹 39 羽根泰正 小林覚 .800 小林光一 依田紀基 12 第23回 1989年 依田紀基 51 依田紀基 .773 依田紀基 16 第24回 1990年 依田紀基 46 後藤俊午 .800 後藤俊午 14 成績年 最多 勝利賞 勝率 第一位賞 連勝賞 最多 対局賞 局 第25回 1991年 小松英樹 38 工藤紀夫 .844 王立誠 16 柳時熏 59 第26回 1992年 小松英樹 43 土田正光 .815 加藤正夫 16 小林光一 小松英樹 63 第27回 1993年 加藤正夫 40 王銘琬 .813 加藤正夫 22 加藤正夫 62 第28回 1994年 加藤正夫 39 小林覚 .829 小林覚 18 山田規三生 54 第29回 1995年 小林覚 王立誠 44 王立誠 .800 小県真樹 16 加藤正夫 67 第30回 1996年 羽根直樹 48 山田規三生 .810 松村龍一 15 片岡聡 66 第31回 1997年 羽根直樹 50 山下敬吾 .913 山田規三生 18 山下敬吾 69 第32回 1998年 山下敬吾 60 高尾紳路 .806 小松英樹 山下敬吾 17 山下敬吾 75 第33回 1999年 高尾紳路 61 山下敬吾 .821 羽根直樹 19 高尾紳路 75 第34回 2000年 山下敬吾 59 張栩 .811 高尾紳路 20 山下敬吾 77 第35回 2001年 羽根直樹 63 三村智保 .795 高尾紳路 18 羽根直樹 88 第36回 2002年 張栩 70 張栩 .833 小林覚 17 張栩 84 第37回 2003年 張栩 56 蘇耀国 .782 山田規三生 18 張栩 77 第38回 2004年 高尾紳路 44 鶴山淳志 .750 高尾紳路 15 山下敬吾 71 第39回 2005年 小林覚 46 井山裕太 .7547 武宮正樹 16 張栩 63 第40回 2006年 張栩 49 仲邑信也 .805 張栩 15 山下敬吾 68 第41回 2007年 張栩 51 森田道博 .8049 張栩 17 張栩 73 第42回 2008年 張栩 51 林子淵 .7949 森田道博 14 井山裕太 69 第43回 2009年 井山裕太 43 李沂修 .7600 張栩 17 井山裕太 高尾紳路 57 第44回 2010年 山下敬吾 40 山城宏 .800 山下敬吾 16 山下敬吾 63 第45回 2011年 井山裕太 48 金秀俊 .7742 金沢真 13 井山裕太 67 第46回 2012年 井山裕太 51 井山裕太 .8095 張豊猷 13 井山裕太 63 第47回 2013年 井山裕太 43 一力遼 .8511 富士田明彦 18 井山裕太 61 第48回 2014年 河野臨 50 許家元 .7895 河野臨 19 河野臨 76 第49回 2015年 井山裕太 許家元 41 芝野虎丸 .8125 井山裕太 24 山下敬吾 60 - 成績年 最多 勝利賞 勝 勝率 第一位賞 率 連勝賞 最多 対局賞 局
国際囲碁連盟(IGF)は。 囲碁の国際普及を目的とする組織。 1982年3月18日に加盟国29か国で発足。 その後。 加盟国は75か国(2015年時点)。 他に4つの団体会員(イベロアメリカ囲碁協会。 世界ペア碁協会。 欧州囲碁連盟。 應昌期圍棋教育基金)がいる。 目次 1 発足までの経緯 2 活動 2.1 棋戦 2.2 普及 3 組織 4 参考文献 5 註 6 外部リンク 発足までの経緯 1957年頃から日本棋院と関係者の間で国際囲碁普及組織の必要性が検討され始め。 一時は日本棋院中央会館に国際囲碁協会が設立されて。 1963年には9か国が参加するインターナショナル・アマチュア・ゴ・トーナメントが開催された。 また1957年からはヨーロッパ碁コングレスが開催されて。 1959年にヨーロッパ囲碁協会も設立された。 1975年には。 日本棋院が後援してロンドン囲碁センターが設立される。 1979年に世界アマチュア囲碁選手権戦が開始され。 これの運営組織を元にして1982年に国際囲碁連盟が設立された。 活動 棋戦 世界アマチュア囲碁選手権戦を主管。 1990年から98年まで。 相鉄杯世界女流アマチュア囲碁選手権戦を主管。 1991年から国際アマチュア・ペア碁選手権大会を主管。 2006年から。 韓国首相杯国際アマチュア囲碁選手権戦に協力。 2012年から。 百霊愛透杯世界囲碁オープン戦を共同主宰。 普及 2006年。 国際競技連盟連合(GAISF)加盟。 2005年。 世界ブリッジ連盟。 国際チェス連盟。 国際チェッカー連盟とともに。 国際マインドスポーツ協会設立を図り。 4競技による世界マインドスポーツ大会開催を目指すことを発表。 2008年に第1回ワールドマインドスポーツゲームズを。 組織委員として開催した。 囲碁の世界統一ルールの制定のための検討を行っている。 組織 2013年まで。 会長には主に日本棋院理事長が就任。 本部。 事務局は。 日本棋院内に置かれていた。 2005年。 初の女性棋士の理事として。 梅沢由香里五段が就任。 2006年。 重野由紀(1998年~2006年までイタリアに在住)が事務局長に就任し。 2013年までつとめる。 2014年7月。 韓国で開かれる国際囲碁連盟年次総会で韓国棋院に国際囲碁連盟会長が移り。 事務局長も韓国に移る。 会長は洪錫炫(ホン・ソクヒョン)。 事務局長は李夏辰(イ・ハジン)となった。 参考文献 岩本薫『囲碁を世界に-本因坊薫和回顧録』講談社 1979年
囲碁の組織 囲碁に関する組織。 競技団体。 親睦・研究・普及・教育組織など。 I IGO AMIGO い 囲碁 サンサン 井上家 か 韓国棋院 関西棋院 き 棋正社 棋待詔 棋道報国会 け 瓊韻社 こ 国際囲碁連盟 GO-NET せ 全日本囲碁連合 全日本学生囲碁連盟 た タイゼム 台湾棋院 ち 中国の囲碁タイトル在位者一覧 中国囲棋会 中国囲棋協会 中国棋院 と 東洋囲碁 に 日本棋院 ね ネット棋院 は 林家 (囲碁) ひ 裨聖会 ほ 方円社 本因坊 や 安井家 よ ヨーロッパ囲碁連盟 り 緑星囲碁学園
公益財団法人日本棋院は。 東京都千代田区五番町(市ヶ谷駅前)に本部をおく。 囲碁の棋士を統括し。 棋戦をおこなっていくための公益財団法人。 約300人の棋士が所属するほか。 職員として事務員や棋院発行の出版物をまとめる記者などが所属している。 目次 1 歴史 2 発行誌 3 組織 3.1 東京本院 3.2 関西総本部 3.3 中部総本部 3.4 日本国外 4 役員 4.1 現在の役員 4.2 歴代総裁 4.3 歴代理事長 5 顕彰 6 関連項目 7 外部リンク 歴史 明治維新以降。 幕府というパトロンを失った棋士たちは離合集散を繰り返し。 囲碁界は混沌とした情勢であった。 1872年(明治5年)に村瀬秀甫により設立された史上初の近代的なプロ棋士の団体である方円社と。 封建的な風習を墨守する家元の本因坊家とが。 対立。 並存する時代が長年続いていた。 1923年(大正12年)の大正関東地震(関東大震災)を機に棋士たちの大同団結の機運が高まり。 翌1924年(大正13年)。 大倉喜七郎を後援者として。 本因坊秀哉以下の坊門の棋士や方円社などほとんどの棋士が集結し。 日本棋院が設立された。 設立直後に棋正社の独立などもあり多少動揺した日本棋院であったが。 その後新布石法の発表などで囲碁の人気も高まり。 磐石の体制を築く。 第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)の東京大空襲で赤坂区(現港区)赤坂溜池にあった棋院本部が焼失するなど大きな被害を受けた。 戦後すぐに瀬越憲作。 岩本薫らが中心になって再建を目指し。 大手合も料亭や後援者の邸宅などを借りて再開された。 1948年(昭和23年)には港区高輪に新しい棋院会館が設立され。 順調に日本棋院の再建は成されていった。 1947年(昭和22年)には坂田栄男。 梶原武雄ら8棋士が「囲碁新社」を旗揚げするが。 1949年(昭和24年)復帰する。 さらに1950年(昭和25年)。 今度は当時本因坊の座にあった橋本宇太郎を旗頭に関西棋院が設立された。 橋本は翌年の本因坊戦で坂田の挑戦を1-3からの大逆転で降してタイトルを防衛。 関西棋院の独立を守った。 その後いく度か再統合の話も出ているが。 段位の調整や(主に日本棋院側の)財政問題などがネックとなり実現していない。 この日本国内の棋院の分裂構造は日本将棋連盟が関東・関西・中部と一枚岩なのと比べきわめて対照的である。 1971年(昭和46年)には千代田区五番町の市ヶ谷駅前に現在も使用されている新会館が建設された。 その後紆余曲折はあったものの。 現在でも。 世界囲碁界の中でも重要な地位を占める。 ただし1990年代以降赤字財政が続いている他。 囲碁人口の減少(2007年(平成19年)の囲碁愛好者は約240万人。 『レジャー白書』による)。 国際棋戦における日本棋士の不振など。 問題山積が現状である。 2011年(平成23年)に公益財団法人へ移行した。 発行誌 機関誌として月刊「碁ワールド」。 また年刊「囲碁年鑑」がある。 入門者向け雑誌として「囲碁未来」。 週刊誌として「週刊碁」がある。 棋道 日本棋院の創立とともに。 日本棋院の機関誌として。 1924年(大正13年)10月に創刊。 棋戦などの手合の情報の掲載の他。 独自の企画なども行い。 情報誌としての機能に加え。 メディアを通じての囲碁普及の役割も担った。 1999年(平成11年)7月号で終刊し。 「囲碁クラブ」と合併して「碁ワールド」となる。 詳細は「棋道」を参照 囲碁クラブ 「棋道」の姉妹誌として「爛柯」が1925年(大正14年)に創刊され。 その後「囲碁クラブ」に改名。 戦時中に休刊し。 1954年(昭和29年)に復刊。 「碁ワールド」発刊により終刊。 独自棋戦の主催も行い。 1988年(昭和63年)から1996年(平成8年)までの。 プロとアマチュア混合の地域対抗団体戦「キリン杯GO団体戦」などがある。 碁ワールド 「棋道」「囲碁クラブ」を引き継ぐ機関誌として。 1999年(平成11年)8月から発刊。 囲碁未来 初級者向けの月刊誌。 1962年(昭和37年)に「碁」として創刊。 1967年(昭和42年)終刊。 1973年(昭和48年)に復刊し。 1980年(昭和55年)に「レッツ碁」に改名。 1995年(平成7年)に「囲碁未来」に改名した。 週刊碁 週刊の情報新聞として。 1977年(昭和52年)から発行。 朝日新聞社が販売協力する。 組織 東京本院 発足当初は銀座に仮事務所を置き。 1925年12月に永田町の溜池に会館を建設。 1920年5月の空襲で溜池は消失し。 終戦後は柿の木坂の岩本薫宅を仮事務所とし。 1948年に高輪のビルを購入して会館とした。 1954年に東京駅八重洲口の国際観光会館ビルに日本棋院中央会館を開館(1991年に八重洲囲碁センターに改称移転。 2013年に有楽町に移転し有楽町囲碁センターとなっている)。 1971年に千代田区の市ヶ谷駅前に本院を移転した。 関西総本部 大阪市にあり。 近畿地区。 広島。 岡山両県を統轄する。 1950年(昭和25年)に関西棋院が独立した際に。 日本棋院残留派によって同年発足した。 2008年(平成20年)2月現在。 山田規三生・井山裕太など棋士39名が所属する。 中部総本部 名古屋市にあり。 中部地区と三重県を統轄する。 1940年(昭和15年)設立の日本棋院東海支部から。 1948年(昭和23年)に日本棋院東海本部に昇格。 1955年(昭和30年)に日本棋院中部総本部となる。 2008年(平成20年)2月現在。 羽根直樹・羽根泰正・山城宏など棋士43名が所属する。 独自のタイトル戦として王冠戦がある。 日本国外 日本棋院南米本部(Nihon KI-IN do Brasil) 日本棋院ヨーロッパ囲碁文化センター(Stichting The Nihon KI-IN European GO Cultural Centre) 日本棋院アメリカ西部囲碁センター(Nihon KI-IN GO Institute Of The West U.S.A) 日本棋院ニューヨーク碁センター(New York GO Center) 役員 現在の役員 (2016年現在) 総裁:今井敬(経団連名誉会長) 顧問:大竹英雄(九段) 理事長:團宏明(公益財団法人通信文化協会理事長) 副理事長:山城宏(九段) 常務理事:大淵盛人(九段)。 円田秀樹(九段)。 小林千寿(五段)。 宮川史彦(七段)。 平野則一(五段)。 原幸子(四段)。 重野由紀(二段) 理事:阿久根操。 岩崎和人。 小川誠子(六段)。 齋藤喜以子。 角和夫。 堀義人。 松浦晃一郎 監事:久保秀夫(六段)。 満田庸一(公認会計士) 歴代総裁 初代(1924 - 46年):牧野伸顕(外務大臣。 内大臣) 2代(1955 - 67年):津島寿一(大蔵大臣。 防衛庁長官) 3代(1967 - 73年):足立正(王子製紙社長。 ラジオ東京(現:TBS)社長 4代(1973 - 74年):佐藤喜一郎(三井銀行会長) 5代(1974 - 82年):田実渉(三菱銀行会長) 6代(1982 - 87年):稲山嘉寛(旧経団連会長。 新日本製鐵社長) 7代目(1993 - 1996年11月):朝田静夫(元日本航空相談役) 8代目(2004年7月 - ):今井敬(旧経団連会長。 新日本製鐵相談役名誉会長) 歴代理事長 初代(1946 - 48年):瀬越憲作 2代(1948 - 49年):岩本薫 3代(1949 - 51年):津島寿一 4代(1951 - 55年):足立正 5代(1955 - 56年):三好英之(北海道開発庁長官) 6代(1956 - 75年):有光次郎(文部事務次官) 7代(1975 - 78年):長谷川章 8代(1978 - 86年):坂田栄男 9代(1986 - 87年):色部義明(協和銀行相談役) 10代(1988 - 93年):朝田静夫 11代(1993 - 98年):渡辺文夫(日本航空会長) 12代(1999 - 2004年):利光松男(日本航空社長) 13代(2004年):加藤正夫 14代(2006 - 2008年):岡部弘(デンソー会長) 15代(2008 - 2012年):大竹英雄 16代(2012 - 2016年):和田紀夫(NTT相談役) 17代(2016 - ):團宏明(公益財団法人通信文化協会理事長) 顕彰 秀哉賞 年間最優秀棋士に贈られる賞。 本因坊秀哉の名を取って。 1963年(昭和38年)に創設。 識者と関係者による秀哉賞選考委員によって選考される。 大倉喜七郎賞 囲碁の普及。 発展の功労者に贈られる賞。 日本棋院創設に功績のあった大倉喜七郎の名を取って。 1964年(昭和39年)に創設。 当初の名称は大倉賞だったが。 1989年(平成元年)に現在の名称に改称。 棋道賞 「棋道賞」も参照 年間で活躍した棋士に贈られる賞。 1967年(昭和42年)に。 日本棋院の機関誌「棋道」主催で。 関係者と棋戦主催者の代表により誌上で選考する形で創設し。 最優秀棋士賞。 記録部門賞。 その他の部門賞を選ぶ。 1999年(平成11年)の第33回からは。 「碁ワールド」誌主催となった。 部門賞は年によって変更されることがある。 1988年(昭和63年)からは国際賞を設置。 当初あった敢闘賞。 技能賞。 殊勲賞は。 1990年(平成2年)以降は廃止されて優秀棋士賞が作られた。 特別賞など。 その年限りの賞を贈られることもある。 記録部門賞も。 当初は七段以上の棋士を対象にしていたが。 棋戦の構成上その規定に合理性がないため1995年(平成7年)からは五段以上に改められた。 松原賞 関西総本部主催。 土川賞 中部総本部主催。
一般財団法人関西棋院は囲碁の棋士を統括し。 近畿を中心として棋戦や囲碁普及などの活動をう組織(一般財団法人)。 日本棋院から1950年に分離独立。 現在117人の棋士。 女流棋士が所属。 機関誌『囲碁関西』(月刊)を発行している。 目次 1 概要 2 歴史 2.1 独立までの動き 2.2 東西対立から独立 2.3 発展と現状 3 顕彰 4 近年の関西棋院棋士のタイトル戦 5 所属棋士 6 役員 7 脚注 8 出典 9 外部リンク 概要 本院は大阪府大阪市中央区北浜にあり。 全棋士が本院所属である。 事業活動として。 プロ棋士の対局の実施運営。 各種囲碁大会・囲碁セミナー・囲碁ツアーの実施。 機関紙『囲碁関西』など出版事業。 免状の発行。 囲碁サロン・囲碁教室・子ども囲碁学園の経営。 囲碁ネット事業等。 2010年現在。 48支部ある。 所属棋士が各種タイトル戦に参加する場合。 まず3段階(ABC方式)の院内予選を行ない。 その勝者が日本棋院所属棋士と混合の最終予選に出場することが多い。 また関西棋院独自の棋戦として。 関西棋院第一位決定戦と産経プロアマトーナメント戦がある。 その一方。 本因坊戦最終予選の参加枠は4人(日本棋院の7分の1)に限られ。 竜星戦・阿含桐山杯・NECカップ囲碁トーナメント戦についても出場制限が課されている。 日本棋院同様の院生からの入段(プロ入り)制度とは別に。 特例で年長のアマ強豪をプロ編入してきた歴史があり。 陳嘉鋭・坂井秀至・石井茜らにプロ棋士への道を開いた。 2009年からは「研修棋士制度」としてプロ編入試験(試験碁)を制度化し。 日本だけでなく中国・韓国出身のアマ強豪が続々入段している。 歴史 独立までの動き 日本棋院設立から昭和初期までの関西囲碁界は。 主な棋士は日本棋院に参加し。 関西支部(後に関西本部)が設立されていた。 中心にいたのは久保松勝喜代。 光原伊太郎などで。 独自の大手合も行っていたが。 五段以上の昇段は東京でなければ認められず。 若手の高川格や田中不二男をはじめ。 有力な棋士は東京の大手合にも参加していた。 終戦後は。 戦時中に宝塚に疎開していた橋本宇太郎を中心にまとまり。 関西在住の棋士達の待遇面(主に昇段制度。 交通関係)での地位向上を目指した。 1947年(昭和22年)には。 空襲で焼けた日本棋院会館の復興のために全棋士による募金活動が行われ。 関西支部には計50万円の目標が課せられたが。 関西でも資金が必要であることから。 募金の半分を東京に送ることにして募金を行った。 その結果100万円が集まったが。 全額を関西で使おうという意見が棋士や後援者で強まり。 関西の会館の建物を買い。 財団法人関西棋院として財務上は独立した組織となった。 東西対立から独立 関西棋院が法人として独立した後も。 日本棋院との関係はそれまでとは変わりなかった。 1950年(昭和25年)には日本棋院と関西棋院の12人ずつの選手による東西対抗戦。 及び東西対抗勝ち抜き戦が行われ人気を博す。 同年第5期本因坊戦で橋本宇太郎が本因坊位を獲得するが。 その就位式席上で日本棋院津島寿一総裁が。 これまで2年で1期だった本因坊戦を1年1期に改めると述べた。 本因坊当人に相談もなく決められたことで。 関西棋院の内部は独立派が生まれて。 協調派と分かれ。 多数となった独立派により同年9月に免状発行権を持った組織として独立が宣言される。 協調派の棋士は。 日本棋院関西総本部を設立した。 翌年の第6期本因坊戦では。 日本棋院新鋭の期待株坂田栄男が挑戦権を得た。 この七番勝負で橋本は坂田に1勝3敗に追い込まれたが。 そこから3連勝して本因坊を防衛。 もしこの勝負に橋本が敗れていたら関西棋院は発足直後に解散に追い込まれていただろうとも言われている。 また1958年に日本棋院東海本部が中部総本部に再編成した際に。 伊神肇。 植松弘聖らが離脱して。 名古屋市に関西棋院中部総本部を設立した。 発展と現状 この後。 橋本宇太郎と橋本昌二の「両橋本」(両者に血縁関係はない)が関西棋院の二枚看板となり。 十段・王座のタイトルを奪うなど活躍した。 1962年には名人戦リーグに10名中4名。 本因坊リーグにも8名中3名の関西棋院所属棋士が参加(半田道玄が本因坊挑戦権獲得)。 第1期・第2期の十段の座を橋本宇太郎と半田道玄の関西勢同士が争うなど。 大いに気勢を上げた。 橋本昌二は「組織存続のため。 日本棋院との戦いは死活問題だった」と語る。 しかし日本棋院との緊張関係が緩和に向かった上。 独立によって日本棋院所属棋士との対局機会が減少したこともあり。 所属棋士の活躍は次第に目立たなくなった。 七大タイトル保持者も。 1981年の橋本昌二(王座)以降。 長らく出現しなかった(次項参照)。 三大タイトル(棋聖・名人・本因坊)リーグ在籍者もゼロの年が目立ちはじめ。 特に本因坊リーグへは2000年度(結城聡)以降。 2009年度(同)まで参加がなかった。 しかし2010年になり。 坂井秀至が碁聖のタイトルを奪取すると。 結城聡も天元位を獲得してこれに続いた。 若手の瀬戸大樹・村川大介らの活躍もあり。 関西棋院は久々にかつての勢いを取り戻しつつある。 2012年の第68期本因坊リーグは8名中3名(32期ぶり)。 2013年の第38期名人戦リーグも9名中3名を関西棋院勢が占めた。 中部総本部には一時は20名を超える棋士が所属したが。 2010年3月末をもって閉鎖された。 2012年4月1日。 法人制度改革に伴い。 公益法人より活動の制約が少ない一般財団法人となった。 日本棋院との再統合も何度か話題に上っているが。 両院の段位の調整。 (主に日本棋院側の)財政問題などがネックとなり。 未だに実現していない。 全日本囲碁連合結成に参加するなど。 そのあり方の模索が続いている。 顕彰 1973年に関西棋院賞を創設し。 最優秀棋士賞。 利仙賞(敢闘賞)。 道玄賞(殊勲賞)。 新人賞を設ける。 1981年からは連勝賞。 1992年には永井賞(30歳未満が対象)。 山野賞(普及貢献賞)。 2007年には吉田賞(対外戦最多勝)を設けた。 近年の関西棋院棋士のタイトル戦 詳細は囲碁のタイトル在位者一覧を参照。 色付きはタイトル獲得。 年 棋戦 関西棋院棋士 結果 相手 1941年 本因坊 関山利一 3-3 加藤信 1943年 本因坊 橋本宇太郎 1-0 関山利一 1945年 本因坊 橋本宇太郎 0-2 岩本薫 1949年 本因坊 橋本宇太郎 4-0 岩本薫 1951年 本因坊 橋本宇太郎 4-3 坂田栄男 1952年 本因坊 橋本宇太郎 1-4 高川格 1953年 王座 橋本宇太郎 1-0 前田陳爾 1955年 王座 橋本宇太郎 2-1 島村利博 1956年 王座 橋本宇太郎 2-0 坂田栄男 1957年 王座 半田道玄 0-2 島村利博 1958年 王座 半田道玄 0-2 藤沢朋斎 1959年 王座 橋本昌二 2-0 山部俊郎 1960年 王座 半田道玄 2-0 大窪一玄 1962年 十段 橋本宇太郎 3-1 半田道玄 1962年 本因坊 半田道玄 1-4 坂田栄男 1963年 十段 半田道玄 3-1 橋本宇太郎 1965年 王座 半田道玄 2-0 大窪一玄 1967年 王座 橋本昌二 0-2 藤沢秀行 1971年 王座 橋本昌二 0-2 坂田栄男 1972年 王座 橋本宇太郎 1-2 坂田栄男 1974年 十段 橋本昌二 3-1 坂田栄男 1975年 十段 橋本昌二 0-3 林海峰 1977年 棋聖 橋本宇太郎 1-4 藤沢秀行 1977年 天元 苑田勇一 1-3 島村俊宏 1979年 十段 橋本昌二 1-3 加藤正夫 1981年 十段 橋本昌二 2-3 大竹英雄 1981年 王座 橋本昌二 2-1 加藤正夫 1982年 王座 橋本昌二 2-0 加藤正夫 1986年 天元 苑田勇一 1-3 小林光一 1988年 天元 苑田勇一 1-3 趙治勲 1989年 碁聖 今村俊也 1-3 小林光一 1997年 碁聖 結城聡 1-3 依田紀基 1998年 碁聖 苑田勇一 0-3 依田紀基 2002年 碁聖 結城聡 1-3 小林光一 2005年 棋聖 結城聡 3-4 羽根直樹 2005年 碁聖 結城聡 0-3 依田紀基 2007年 王座 今村俊也 1-3 山下敬吾 2007年 碁聖 横田茂昭 0-3 張栩 2009年 碁聖 結城聡 0-3 張栩 2010年 碁聖 坂井秀至 3-2 張栩 2010年 天元 結城聡 3-0 山下敬吾 2011年 碁聖 坂井秀至 2-3 羽根直樹 2011年 天元 結城聡 0-3 井山裕太 2013年 十段 結城聡 3-2 井山裕太 2013年 十段 結城聡 2-3 高尾紳路 2014年 王座 村川大介 3-2 井山裕太 2015年 王座 村川大介 0-3 井山裕太 2016年 王座 余正麒 0-3 井山裕太 所属棋士 結城聡 苑田勇一 今村俊也 坂井秀至 白石裕 横田茂昭 橋本昌二 本田邦久 村川大介 中野泰宏 瀬戸大樹 清成哲也 余正麒 藤井秀哉 芦田磯子 小西和子 榊原史子 倉橋正行 吉田美香 石井茜 佐田篤史 他。 総勢117人 役員 理事長:中川和雄 副理事長:永井一夫 常務理事:滝口政季(九段)。 太田清道(棋士会会長)。 勝間史朗(七段)。 今村俊也(九段)。 藤原克也(六段)。 理事:東郷武。 田口榮一 監事:五味正義。 久保田大 (2010年10月1日現在)
中国棋院 各種表記 繁体字: 中國棋院 簡体字: 中国棋院 拼音: Zhōngguó Qíyuàn 注音符号: ㄓㄨㄥ ㄍㄨㄛˊ ㄑ|ˊ ㄩㄢˋ 英文: China Qiyuan テンプレートを表示 囲碁 Go board part.jpg ゲームの詳細 囲碁のルール 囲碁のハンデキャップ (互先 - 定先 - 置き碁) 囲碁の格言 囲碁用語 歴史と文化 囲碁の歴史 碁盤 - 碁石 囲碁の記録一覧 囲碁のタイトル在位者一覧 棋道賞 組織と棋士 国際囲碁連盟 日本棋院 関西棋院 中国棋院 韓国棋院 台湾棋院 全日本学生囲碁連盟 棋戦 棋士 日本の囲碁棋士一覧 コンピュータ コンピュータ囲碁 幽玄の間 AlphaGo対李世乭 表 話 編 歴 中国棋院(ちゅうごくきいん。 簡体字:中国棋院)は。 中華人民共和国の中国全国体育総会の下部組織で。 中国の棋類(棋牌)に分類されるボードゲームを管轄している団体。 囲碁。 シャンチー(象棋)。 チェス(国際象棋)。 連珠(五子棋)。 ブリッジ(桥牌)。 麻雀(麻将)などを実施。 1992年に設立。 プロやアマチュアの大会の開催。 棋士の育成などを行っている。 各地方を統括するための同種の組織として。 上海棋院。 成都棋院などがある。 目次 1 組織 2 棋士ランキング 3 その他 4 関連項目 5 外部リンク 組織 国家体育総局の事業機関に位置づけられる。 初代院長には囲碁の名棋士である陳祖徳が就任。 陳は健康上の理由から2003年に退任し。 続いてやはり囲碁棋士で副院長であった王汝南。 華以剛が院長を歴任。 それぞれ60歳定年で退任。 4代院長には国家体育総局棋牌運動センター主任の劉思明が就任。 内部組織としては。 囲棋部。 象棋部。 国際象棋部などがある。 歴代院長 1992-2003 陳祖徳 2003-2007 王汝南 2007-2009 華以剛 2009-2015 劉思明 2015-楊俊安(代理) 各競技の棋士は。 それぞれ中国囲棋協会。 中国チェス協会。 中国象棋協会。 中国ブリッジ協会などに所属している。 棋士ランキング 1997年から。 囲碁。 チェス。 シャンチー。 ブリッジの棋士の成績に応じた点数制によるランキングを制定し。 毎年4月。 8月。 12月の3回発表している。 その他 『ヒカルの碁』主人公・進藤の日本棋院院生時代からの友人・伊角が中国棋院に滞在するエピソードがあり(単行本16巻)。 中国全土から中国棋院に集められた有望若手棋士達が囲碁の研鑽に励む姿が描かれている。 そのレベルは非常に高いものである。 本部は北京の天壇公園のすぐ近くに位置しており。 新館。 旧館2つのビルからなる。 旧館には日中友好の一環として日本の援助の元に建てられ。 日本から輸入された建材が多く使われている。 また。 新館には対局室。 貴賓用対局室。 宿泊施設があり。 2008年に大幅に改修された。 2年に一度。 韓国棋院と持ち回りで世界囲碁選手権富士通杯の準々決勝の会場となっている。
韓国棋院は。 大韓民国の囲碁の組織。 プロの囲碁棋士が所属し。 棋戦などを行う。 目次 1 歴史 2 出版物 3 主な棋戦 3.1 国内棋戦 3.2 国際棋戦 4 顕彰 5 関連項目 6 脚注 7 外部リンク 歴史 日本の木谷実九段の門下として1941年にプロ棋士初段となった趙南哲が。 1943年に韓国に帰国し。 1945年に囲碁団体として漢城棋院を設立。 1947年に朝鮮棋院。 1949年に大韓棋院と名前を変え。 1954年に韓国棋院となる。 当時の韓国では。 日本ルールによる「現代囲碁」と。 あらかじめ白黒16個の置き石をした上で対局を始める。 巡将碁(スンジャン・パドゥク)と呼ばれる伝統的な囲碁が混在しており。 趙南哲らは「現代囲碁」の普及を目指した。 1950年に韓国囲碁界で初の段位決定戦を行ない。 南哲が三段。 他に12人を初段とした。 この直後の朝鮮戦争の勃発で活動を休止するが。 3年後の休戦協定後に活動を再開。 1954年に昇段大会。 入段大会を開始。 1956年に新聞棋戦国手戦を開始。 趙南哲が第1期国手となり。 以後9連覇して第一人者となる。 その後。 1959年開始の覇王戦。 最高位戦など多くの棋戦が開催され。 当初は金寅。 尹奇鉉。 河燦錫。 曺薫鉉など。 日本で囲碁を学んだ棋士がトップとなっていたが。 1970年代には徐奉洙が曺に互してタイトルを取るなど。 韓国で育った棋士も次第に一流の実力を持つようになる。 1989年には曺薫鉉が第1回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦で優勝し。 続いて第2回は徐奉洙。 第3回は劉昌赫。 第4回は李昌鎬が優勝するなど。 1990年代以降はあらゆる世界棋戦で好成績を挙げ。 世界最強の囲碁勢力となった。 1996年にはLG杯。 三星火災杯の2つの世界選手権を開始。 1997年 - 1998年のアジア通貨危機による不況では。 多くの棋戦がスポンサーによって終了したり。 賞金額を削減されるという危機に見舞われたが。 その後は経済の復活に伴って新たな棋戦も開始された。 2000年以降は。 ポスト李昌鎬として李世乭。 朴永訓。 崔哲瀚などが世界選手権を制し。 国内棋戦でも李昌鎬とタイトルを分け合うようになる。 女流棋士も。 中国出身で客員棋士に迎えた芮廼偉九段の影響もあってレベルアップされ。 2008年には朴鋕恩が韓国人女流初の九段となった。 2010年には囲碁広報大使として女優の李英雅を任命している。 出版物 1967年から月刊誌『棋界』(기계)を刊行。 1969年からは『月刊囲碁』(월간바둑)に改名。 主な棋戦 国内棋戦 国手戦(東亜日報主催)1956年 - 覇王戦(大韓毎日新聞主催)1959年 - 2003年 最高位戦(釜山日報主催)1959年 - 1999年 王位戦(中央日報主催)1966年 - 2007年 名人戦(韓国日報主催)1968年 - 2003年。 2007年 - KBS杯バドゥク王戦(韓国放送公社主催)1980年 - 棋聖戦(世界日報主催)1989年 - バッカス杯天元戦(スポーツ朝鮮主催)1996年 - (前身はバッカス杯戦) GSカルテックス杯プロ棋戦(毎日経済新聞。 毎経TV主催)1996年 - 圓益杯十段戦(韓国棋院主催)2006年 - プロ女流国手戦(韓国経済新聞主催)1994年 - 女流名人戦(毎日新聞主催)2000年 - 女流棋聖戦 2006年 - 韓国囲碁リーグ 2004年 - 国際棋戦 東洋証券杯世界選手権戦(ソウル経済新聞主催)1990年 - 1998年 三星火災杯世界オープン戦(中央日報。 KBS。 ユニテル3社共同主催)1996年 - LG杯世界棋王戦(朝鮮日報主催)1997年 - BCカード杯世界囲碁選手権戦(BCカード主催)2009年 - 農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦(農心主催)1999年 - 宝海杯世界女子選手権戦(韓国経済新聞。 KBS共同主催)1994年 - 1998年 正官庄杯世界女子囲碁最強戦(囲碁TV主催)2002年 - 顕彰 1978年 - 1983年。 棋道文化賞 最優秀棋士。 敢闘賞。 新鋭棋士賞などを授与 1989年 - 1992年。 プロ棋士MVP 1993年 - 2002年。 囲碁文化賞 最優秀棋士。 新鋭棋士。 女流。 アマチュア等の賞を授与 2003年 - 。 囲碁大賞 最優秀棋士。 人気棋士等の賞を授与
台湾棋院は台湾の囲碁の組織。 プロの囲碁棋士が所属し。 棋戦や囲碁の振興活動などを行う。 正式名は『台湾棋院文化基金会(台灣棋院文化基金會)』。 英語名はTaiwan Chi Yuan Culture Foundation。 目次 1 歴史 2 棋戦 3 関連項目 4 注 5 外部リンク 歴史 台湾のプロ組織には。 1972年(民国61年)発足の中国囲棋会が存在していた。 2000年(民国89年)3月4日に。 中環集団社長の翁明顯が理事長となって台湾棋院が発足。 2003年(民国92年)から。 関西棋院との定期交流戦を開始。 2008年(民国97年)3月に。 新しい棋士処遇制度を定めるが。 これに同意しなかった周俊勲。 林聖賢。 彭景華。 周奎宏ら12名の棋士を。 主催する棋戦への5年間出場停止処分とした。 しかし海峰棋院理事長林文伯らの調停により。 2009年9月に改訂した同意書にサインし復帰となった。 2008年から中国乙級リーグに参加。 1勝3敗3分の成績で丙級落ちするが。 2012年丙級リーグで1位となって乙級昇級を果たした。 2009年に林至涵が台湾棋院設立後初の九段昇段を果たし。 2011年には陳詩淵も九段昇段。 棋戦 国内棋戦 中環杯囲棋オープン戦(台湾棋院文化基金会主催)1994年〜 CMC杯電視快棋戦(緯来電視台放送。 台湾棋院文化基金会主催)2001年〜 東鋼杯プロ囲棋戦(台湾棋院文化基金会主催)2001年〜 天元戦(民生報。 台湾棋院文化基金会主催)2002年〜 棋霊王杯戦(台湾棋院文化基金会主催)2002年〜 新人王戦 2002年〜 魔戒杯戦(台湾棋院文化基金会主催)2003年〜 中環杯国手戦(台湾棋院文化基金会主催)2005年〜 王座戦(台湾棋院文化基金会主催)2006年〜 国際棋戦 中環杯世界囲棋選手権戦(台湾棋院文化基金会主催。 中環・JPモーガン後援)2005年〜 亜芸杯両岸交流戦(台湾棋院文化基金会主催)2006年〜 その他。 台湾棋院以外主催の棋戦 名人戦(応昌期囲棋基金主催)1972年〜
全日本学生囲碁連盟は。 日本の囲碁の学生組織。 1957年(昭和32年)創立。 北海道。 東北。 関東。 北信越。 中部。 関西。 中国四国。 九州の8地区の囲碁連盟から構成される。 目次 1 創設 2 主催イベント 3 参考文献 4 外部リンク 創設 学生の囲碁は。 1924年(大正13年)に東京大学囲碁連盟が結成され。 いったん弱体化するが1930年に再結成。 1931年に6校によるリーグ戦が開始。 これを母体に1942年に関東大学囲碁連盟が結成され。 参加校は8校となる。 しかし大戦の影響でリーグ戦も1943年に中断。 戦後1947年に関東大学囲碁連盟が再建。 リーグ戦も再開。 1952年には関西学生囲碁連盟設立。 1957年に全日本大学囲碁連盟が結成され。 同年から全日本学生本因坊決定戦も開始された。 結成時の役員は。 会長津島寿一。 副会長藤田梧郎。 理事に村島誼紀。 酒井健夫。 林裕。 1964年には全日本学生囲碁十傑戦も開催され。 この頃の参加校は100校ほどになった。 主催イベント 全日本大学囲碁選手権(1957-) 全日本学生本因坊決定戦(1957-) 全日本学生囲碁十傑戦(1964-) 全日本女子学生本因坊決定戦(1966-) 全日本学生囲碁名人戦(1979-) 全日本学生囲碁王座戦(2002-) 世界学生囲碁王座戦(2003-) この他に。 各地区の囲碁連盟によって団体リーグ戦や。 個人戦の地区予選。 その他の大会も開かれている。 参考文献 坂田栄男『囲碁百年 3 実力主義の時代』平凡社 1969年 安永一『囲碁百年』時事通信社 1970年
棋戦(きせん)とは囲碁の大会。 特にプロのものを指す言葉。 目次 1 歴史 1.1 黎明期 1.1.1 代表的な新聞の棋譜掲載 1.2 トーナメント制の発展 1.3 世界への拡がり 2 国際棋戦 2.1 世界選手権 2.2 国際対抗戦 2.3 国際女流棋戦 2.4 国際ペア碁棋戦 3 日本の棋戦 3.1 タイトル戦 3.1.1 名誉称号 3.1.1.1 他棋戦称号 3.1.2 グランドスラム 3.1.3 大三冠 3.2 主要棋戦 3.3 女流棋戦 3.4 地方棋戦 3.5 非公式棋戦 3.6 ペア棋戦 3.7 終了棋戦 4 韓国の棋戦 4.1 一般棋戦 4.2 若手棋戦・シニア棋戦 4.3 女流棋戦 4.4 ペア碁棋戦 4.5 韓国囲碁リーグ 4.6 終了棋戦 5 中国の棋戦 5.1 棋戦 5.2 優勝杯 5.3 若手棋戦 5.4 女流棋戦 5.5 地方棋戦 5.6 ペア碁棋戦 5.7 中国囲碁リーグ 5.8 その他 5.9 終了棋戦 6 台湾の棋戦 6.1 一般棋戦 6.2 限定棋戦 7 脚注 7.1 注釈 7.2 出典 8 参考文献 9 関連項目 歴史 黎明期 室町時代末期から公家や大名により当代の名手を集めた碁会が催されることが多くなり。 著名な碁打ちの強さの格付けもされるようになる。 江戸時代になると。 その中の本因坊算砂や利玄といった者たちから家元制が生まれ。 家元が幕府に出仕しての御城碁や。 寺社奉行の許可に基づく争碁などが公的な対局として行われていた他。 武家や豪商が後援者となっての対局も行われた。 明治時代になって囲碁界が江戸幕府の保護を失うと。 棋士達はスポンサーの支援によって対局を行った他。 新たに結成された方円社では月例会の棋譜は雑誌「囲棋新報」に掲載される。 囲碁愛好者の拡大に応じ。 1878年(明治11年)に郵便報知新聞で初めて新聞に棋譜が掲載され。 時事新報が1896年から「碁の栞」と題して棋譜連載。 続いて1898年に國民新聞。 神戸新聞で棋譜を掲載する。 1905年に萬朝報で開始された「碁戦」は。 本因坊門と方円社それぞれの勝抜き戦を交互に掲載し。 1910年からは両派合同の連合選手戦となった。 その後。 日本新聞。 讀賣新聞。 その他の新聞が棋譜掲載を行うようになった。 この頃対局料は。 講評や弁当代まで含んで20円で。 萬朝報が参入した頃には25円になった。 代表的な新聞の棋譜掲載 時事新報 1896年 碁の栞。 1901年 囲碁新手合 萬朝報 1905年 碁戦 東京日日新聞 1906年 敲玉新譜。 1926年 新進打切碁戦 東京二六新聞 1906年 読者勝抜戦 都新聞 1907年 雁金派碁譜 東京朝日新聞 1908年 少壮決戦譜 中外商業新聞 1909年 囲碁新手合 やまと新聞 1909年 青年。 女流棋客戦 大阪朝日新聞 1909年 関西囲碁研究会提供譜 東京毎日新聞 1910年 当代名手碁戦 報知新聞 1920年 敗退争覇名碁戦 トーナメント制の発展 大正時代に設立された裨聖会では。 その棋譜を報知新聞に掲載。 1924年に日本棋院が設立されると。 1927年からその大手合は朝日新聞。 日本棋院を脱退した5名の棋士による棋正社の手合は報知新聞。 日本棋院対棋正社敗退手合は読売新聞と。 それぞれの組織が新聞社と契約するという形になる。 國民新聞は日本棋院の少年棋士の対戦譜。 東京日日新聞では日本棋院の新進棋士の新進打切碁戦を掲載。 また1928年(昭和3年)には東京日日新聞主催で全国素人囲碁大会が開かれ。 全国規模のアマチュア棋戦の嚆矢となった。 その後。 プロ棋士によるトーナメント戦としては。 1933年(昭和8年)に読売新聞主催の日本囲碁選手権手合が行われ。 優勝者呉清源と本因坊秀哉名人との記念対局が話題となった。 同年には。 時事新報による木谷實と呉清源の十番碁も行われた。 1938年(昭和13年)に本因坊秀哉の引退に伴い。 本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し。 その名跡を選手権制で争う「本因坊名跡争奪全日本囲棋選手権大手合」いわゆる本因坊戦が昭和14年から毎日新聞主催で開始される。 その後。 同様のタイトル戦形式の棋戦が行われるようになり。 1953年に王座戦。 1954年にラジオ放送によるNHK杯争奪トーナメントなどが始まる。 1961年(昭和36年)には多くの軋轢を経た後。 名人戦も開始される。 また女流棋士による棋戦として1930年(昭和5年)に時事新報主催の東西対抗女流棋士戦。 早碁棋戦として1936年(昭和11年)に時事新報主催の早碁選手権大会など。 様々な形の棋戦が行われるようになった。 世界への拡がり 日本で発展した棋戦の形式は。 韓国でも1947年の朝鮮棋院設立(後に韓国棋院)とともに行われるようになった。 中国では中華人民共和国の囲碁強化政策により。 1957年に全国囲棋個人戦開始。 1962年に中国囲棋協会がプロ棋士制度を取り入れたことにより。 日本や韓国と同様の形式の棋戦が行われるようになる。 台湾でも1974年開始の名人戦など。 同様の棋戦が発展した。 ヨーロッパでも明治以降に囲碁の愛好者が少しずつ増え始め。 各国でトーナメント戦が行われるようになり。 1957年にはヨーロッパ碁コングレスが開始された。 各国間の交流も次第に盛んになり。 1955年に5ヶ国のアマチュア棋士が参加しての国際囲碁トーナメント大会。 1963-64年に9ヶ国によるインターナショナルアマチュア•碁•トーナメント開催。 1979年からは世界アマチュア囲碁選手権戦がには15ヶ国の参加で開始。 2007年には68ヶ国•地域が参加するまでになっている。 プロ棋士の国際棋戦としては。 1988年に世界囲碁選手権富士通杯。 IBM早碁オープン戦。 応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦が開始。 1990年代以降は韓国や中国の主催による世界選手権も開始され始めた。 これまでのプロ棋戦はスポンサーとの契約金を主催する棋士組織内で成績や段位に応じて分配する形で行われていたが。 2009年開始のBCカード杯世界囲碁選手権ではトーナメント上位者に賞金を与えるという賞金制の試みもなされている。 囲碁はマインドスポーツの一つとしての位置づけも広まり。 2008年開始のワールドマインドスポーツゲームズや。 2010年第16回アジア競技大会でも競技種目と採用されるようになった。 また中国では団体戦形式の中国囲棋リーグ戦が1999年に開始。 同形式の韓国囲碁リーグも2004年に開始。 高い人気を持っている。 国際棋戦 世界選手権 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 決勝 持ち時間 秒読み コミ 優勝賞金 出典 応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦 応昌期基金会 1988年 五番 3時間30分 なし 8目(計点制ルール) 40万米ドル 三星火災杯世界囲碁マスターズ 中央日報 韓国放送公社 三星火災海上保険 1996年 三番 3時間 5分前 6目半 3億ウォン LG杯世界棋王戦 朝鮮日報社 LG 1996年 三番 3時間 5分前 6目半 2億5000万ウォン 春蘭杯世界囲碁選手権戦 春蘭集団 1999年 三番 3時間 5分前 7目半 15万ドル 百霊愛透杯世界囲碁オープン戦 貴州省人民政府 貴州百霊企業団 2012年 五番 2時間45分 1分5回 7目半 180万元 Mlily夢百合杯世界囲碁オープン戦 国際囲碁連盟 中国棋院 2013年 五番 3時間 1分5回 7目半 180万元 利民杯世界囲碁星鋭最強戦 中国囲棋協会。 中国棋院杭州分院 2014年 国際対抗戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 持ち時間 秒読み コミ 優勝賞金 出典 テレビ囲碁アジア選手権 日本放送協会 中国中央電視台 韓国放送公社 1989年 なし 6目半 中韓天元対抗戦 中国新民萬報 スポーツ朝鮮 華中実業 東亜製薬 1997年 3時間 1分5回 6目半 国際新鋭囲碁対抗戦 1997年 農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦 韓国日刊スポーツ 農心 1999年 1時間 1分 6目半 2億ウォン 阿含・桐山杯日中決戦 毎日新聞社 京都新聞社 KBS京都 中国中央電視台 阿含宗 1999年 なし 6目半 500万円 鳳凰古城世界囲棋嶺鋒対決 鳳凰古城旅行 北京天下鳳凰文化伝播 2003年 7目半 5万ドル 関西棋院台湾棋院交流戦 2004年 2時間30分 3分前 6目半 日台精鋭プロ選手権 海峰棋院 日本航空 大通旅行社 LGS傳奇圍棋網 2008年 1時間 1分 6目半 120万元 中国・常徳杯世界囲棋名人争覇戦 人民日報社 湖南省体育局 常徳市人民政府 2010年 2時間45分 5分前 7目半 30万元 招商地産杯中韓囲棋団体対抗戦 招商地産 2011年 2時間45分 1分5回 60万元 珠鋼杯世界囲碁団体選手権 中国囲棋協会。 広州市体育総会 2013年 200万元 終了棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 廃止年 決勝 持ち時間 秒読み コミ 優勝賞金 出典 世界囲碁選手権富士通杯 読売新聞社 富士通 文部科学省 1987年 2011年 一番 2時間 5分前 6目半 1500万円 IBM早碁オープン戦 週刊碁 日本アイ・ビー・エム 1988年 1990年 1時間 30秒 5目半 300万円 東洋証券杯世界選手権戦 ソウル経済新聞社 韓国東洋証券 1989年 1998年 五番 3時間 1分 5目半 トヨタ&デンソー杯囲碁世界王座戦 トヨタ自動車 デンソー 日本経済新聞社 2001年 2009年 三番 3時間 10分前 6目半 3000万円 中環杯世界囲碁選手権戦 2004年 2007年 2時間30分 5分前 6目半 BCカード杯世界囲碁選手権 BCカード 2009年 2012年 五番 2時間 1分3回 6目半 3億ウォン 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 廃止年 持ち時間 秒読み コミ 優勝賞金 出典 日中スーパー囲碁 週刊碁 新体育雑誌社 朝日新聞社 NECグループ 1984年 2001年 日中天元戦 ブロック紙3社連合 新民晩報 囲棋月刊 富士通 1988年 2002年 3時間 1分 5目半 日中名人戦 朝日新聞社 人民日報社 1988年 1994年 3時間 1分 5目半 真露杯SBS世界囲碁最強戦 ソウル放送 眞露グループ 1993年 1997年 1時間 1分 5目半 20万ドル ロッテ杯中韓囲碁対抗戦 囲棋電視 1994年 1997年 30分 1分1回 6目半 7万ドル 世界囲碁最強戦 東亜日報 1996年 1996年 4時間 5分前 5目半 中韓新人王対抗戦 スポーツソウル BCカード 上海建橋学園 1998年 2005年 3時間 1分5回 6目半 3,000ドル CSK杯囲碁アジア対抗戦 CSKグループ 日本経済新聞社 全日本空輸 沖縄タイムス社 琉球新報社 琉球放送 沖縄テレビ放送 琉球朝日放送 NHK沖縄放送局 囲碁・将棋チャンネル 2002年 2006年 2時間 5分前 6目半 国際女流棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 持ち時間 秒読み コミ 優勝賞金 出典 穹窿山兵聖杯世界女子囲碁選手権 蘇州市呉中区人民政府 2010年 2時間 5分前 7目半 20万元 黄竜士双登杯世界女子囲碁団体選手権 2011年 1時間 5分前 7目半 550万円 華頂茶業杯世界女流囲碁団体戦 2012年 2時間 1分5回 7目半 20万元 中韓女子囲碁対抗戦 終了棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 廃止年 持ち時間 秒読み コミ 優勝賞金 出典 翠宝杯世界女子選手権戦 翠宝公司 1993年 1993年 宝海杯世界女子選手権戦 韓国経済新聞 韓国放送公社 宝海醸造 1994年 1997年 興倉杯世界女子選手権戦 韓国経済新聞 韓国放送公社 興倉社 1999年 2001年 3時間 6目半 東方航空杯世界女子プロ囲碁選手権戦 中国東方航空 上海東方電視台 2000年 2000年 70分 なし 5目半 9万元 泰利特杯中韓女子囲棋対抗戦 2000年 2001年 山水黔城杯国際女子プロ囲棋選手権戦 貴陽市 2001年 2001年 10万元 豪爵杯世界女子プロ囲碁選手権戦 江門市 大長江グループ 2002年 2002年 3時間 5分前 10万元 正官庄杯世界女流囲碁最強戦 2002年 2011年 1時間 40秒3回 6目半 大理杯世界女流プロ世界選手権 2006年 2007年 2時間 5分前 7目半 遠洋地産杯・世界女子プロオープン戦 北京龍沢源置業 2007年 2007年 2時間 5分前 10万元 国際ペア碁棋戦 国際名人ペア碁トーナメント 2011- 日本の棋戦 本因坊戦などの棋戦は日本棋院によって行われたが。 1950年の関西棋院独立以後は。 本因坊戦他多くの棋戦は日本棋院と関西棋院の2組織の共同で行われる。 その他に日本棋院単独。 関西棋院単独で行われる棋戦もある。 (歴代の七大タイトル獲得者は囲碁のタイトル在位者一覧を。 歴代の記録については囲碁の記録一覧を参照。 ) タイトル戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 挑戦手合 持ち時間 秒読み 優勝賞金 タイトルホルダー 出典 棋聖戦 読売新聞社 1976年 七番 8時間 10分前 4500万円 井山裕太 名人戦 朝日新聞社 1976年] 七番 8時間 10分前 3700万円 高尾紳路 本因坊戦 毎日新聞社 大和証券グループ 1940年 七番 8時間 10分前 3200万円 井山裕太 王座戦 日本経済新聞社 1952年 五番 3時間 5分前 1400万円 井山裕太 天元戦 新聞三社連合 1975年 五番 3時間 5分前 1300万円 井山裕太 碁聖戦 新聞囲碁連盟 1975年 五番 4時間 5分前 800万円 井山裕太 十段戦 産経新聞社 1961年 五番 3時間 5分前 700万円 井山裕太 上記が日本棋院の七大タイトルで。 棋聖・名人・本因坊はリーグ戦で挑戦者を決定し。 他の棋戦はトーナメントで挑戦者を決める(十段戦は。 第49期まで敗者復活式トーナメントで挑戦者を決定していた)。 特に賞金額が大きい棋聖・名人・本因坊の3つを。 三大タイトルと呼ぶことがある。 2003年以後の昇段制で棋聖戦・名人戦・本因坊戦・世界戦優勝1回。 王座戦・天元戦・碁聖戦・十段戦優勝2回で九段昇段。 また棋聖戦・名人戦・本因坊戦の挑戦権獲得あるいは王座戦・天元戦・碁聖戦・十段戦優勝1回で八段昇段となっている。 タイトルの序列は2012年以降は上記の順序で。 賞金額によって決まっている。 日本棋院の棋士の序列は。 七大タイトル保持者。 名誉称号保持者。 三大タイトル経験者。 以下九段・八段・……とされている。 複数のタイトルを持つ棋士の呼称についての規定はない。 なお。 名人と本因坊の二冠を達成した場合は「名人本因坊」と呼ばれる。 2016年に井山裕太が第53期十段戦を制して七大タイトルを独占し日本囲碁界初の七冠を達成した(2016年4月21日~11月3日)。 これに次ぐ六冠を達成したのも井山だけである(棋聖・本因坊・王座・天元・碁聖・十段 2013年3月14日〜4月25日。 2016年11月4日~;棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖 2013年10月17日〜2014年12月16日。 2015年11月25日~2016年4月20日)。 名誉称号 各タイトルを5連覇または通算10期以上保持した者は。 現役引退後または60歳の誕生日を迎えた後に「名誉○○」(○○はタイトル名)を名乗ることが許される。 ただし本因坊戦はかつて「名誉本因坊」の称号を用いていたが。 1998年以降「○○世本因坊××」(××は棋士の雅号)と呼称することに変更された。 本因坊9連覇の高川秀格はその栄誉をたたえ。 特例として1964年より。 49歳現役で「名誉本因坊」を名乗ることが許された。 また趙治勲も本因坊10連覇により。 60歳の誕生日を待たずして現役時より「二十五世本因坊」の名乗りを許されている。 名誉称号一覧 名誉称号 該当者 名誉棋聖 藤沢秀行 ・小林光一 ・井山裕太 名誉名人 趙治勲 ・小林光一 永世本因坊 高川格 (二十二世) ・坂田栄男 (二十三世) 石田芳夫 (二十四世) ・趙治勲 (二十五世) 井山裕太(二十六世) 名誉王座 加藤正夫 名誉天元 林海峰 名誉碁聖 大竹英雄 ・小林光一・井山裕太 名誉十段 名誉日本棋院選手権者 坂田栄男 名誉NHK杯選手権者 坂田栄男 他棋戦称号 名誉女流本因坊 : 謝依旻 名誉女流名人 : 謝依旻 (2017年時点) 名誉称号資格者 グランドスラム 七大タイトルを全て一回以上通算で経験する事をグランドスラムと呼び。 これを達成したのは趙治勲。 張栩。 井山裕太の三人(2013年現在)。 このうち。 井山裕太は七大タイトル全てを同時に保持したことがある(2016年)。 後1タイトルで達成するのは林海峰。 山下敬吾の2人。 グランドスラム達成者 棋士 棋聖 十段 本因坊 碁聖 名人 王座 天元 1. 趙治勲 1983 1982 1981 1979 1980 1976 1987 2. 張栩 2010 2009 2003 2006 2004 2003 2008 3. 井山裕太 2013 2011 2012 2012 2009 2012 2011 年は初獲得年。 黄色はグランドスラム達成時のタイトル。 大三冠 棋聖・名人・本因坊を同時に保持する事を大三冠と呼び。 これを達成したのは趙治勲と井山裕太の二人(2013年現在)。 棋士 棋戦 1回目 2回目 1. 趙治勲 棋聖 1983 1997 1998 1999 本因坊 1997 1998 名人 1996 1997 1998 棋士 棋戦 2. 井山裕太 棋聖 2014 2015 2016 本因坊 2014 2015 2016 名人 2013 2014 2015 大三冠獲得時の獲得棋戦 7大タイトル 主要棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 持ち時間 秒読み 優勝賞金 出典 阿含・桐山杯 毎日新聞社 京都新聞社 KBS京都 阿含宗 1994年 2時間 1分 1000万円 新人王戦 しんぶん赤旗 1975年 3時間 5分前 200万円 NHK杯 日本放送協会 1953年 なし 500万円 竜星戦 囲碁・将棋チャンネル 1990年 なし 600万円 フマキラー囲碁マスターズカップ フマキラー 2011年 1時間 5分前 500万円 広島アルミ杯・若鯉戦 広島アルミニウム工業 2006年 なし 200万円 女流棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 挑戦手合 持ち時間 秒読み 優勝賞金 出典 女流本因坊戦 共同通信社 パーク24 1981年 五番 4時間 5分前 580万円 女流名人戦 産経新聞社 クイーポ 1988年 三番 3時間 5分前 500万円 女流棋聖戦 NTTドコモ 1997年 三番 なし 500万円 会津中央病院杯・女流囲碁トーナメント戦 温知会 2014年 一番 5時間 5分前 700万 地方棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 持ち時間 秒読み 優勝賞金 出典 王冠戦 中日新聞社 1953年 4時間 5分前 170万円 関西棋院第一位決定戦 山陽新聞社 1957年 産経プロアマトーナメント戦 産経新聞社 2005年 1時間30分 5分前 100万円 非公式棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 持ち時間 秒読み 優勝賞金 出典 おかげ杯 濱田総業 2010年 なし 300万円 棋戦優勝者選手権戦 囲碁・将棋チャンネル 2013年 なし 200万円 ゆうちょ杯囲碁ユース選手権 ゆうちょ銀行 2014年 なし 100万円 ペア棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 持ち時間 秒読み 優勝賞金 出典 プロ棋士ペア碁選手権 日本ペア碁協会 囲碁・将棋チャンネル 週刊碁 THE DAILY YOMIURI 読売新聞社 1995年 なし 終了棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 廃止年 決勝 持ち時間 秒読み 優勝賞金 出典 中野杯U20選手権 中野孝次基金 2004年 2013年 一番 1時間 1分 100万円 大和証券杯ネット囲碁オープン 大和証券グループ 2006年 2013年 一番 なし 500万円 NECカップ囲碁トーナメント戦 日本電気 1981年 2012年 一番 10分 30秒 1000万円 東京精密杯女流プロ最強戦 東京精密 碁ワールド 1998年 2008年 三番 1時間 1分 450万円 大和証券杯ネット囲碁レディース 大和証券グループ 2007年 2010年 一番 なし 100万円 幽玄杯精鋭リーグ戦 2007年 2011年 なし 10万円 JALスーパー早碁 テレビ東京 日本航空 2003年 2005年 なし JAL新鋭早碁 JAL女流早碁 鳳凰杯オープントーナメント戦 2000年 2007年 1時間 100万円 関西女流囲碁トーナメント テレビ大阪 2002年 韓国の棋戦 韓国ではプロ棋戦は韓国棋院が中心となって実施される。 一般棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 国手戦 東亜日報 1956- 名人戦 韓国日報 1968-2003。 2007- KBS杯バドゥク王戦 KBS 1980- バッカス杯天元戦 スポーツ朝鮮 1996- GSカルテックス杯プロ棋戦 毎日経済新聞。 毎経TV主催 1996- マキシムコーヒー杯入神連勝最強戦 2000- 物価情報杯プロ棋戦 韓国棋院・囲碁TV主催 2005‐ 若手棋戦・シニア棋戦 大舟杯プロシニア最強者戦(国際新聞。 囲碁TV主催)2010- メジオン杯オープン新人王戦(韓国棋院。 囲碁TV主催)2013- 女流棋戦 プロ女流国手戦(韓国経済新聞主催)1994- 女流名人戦(毎日新聞社 (韓国)主催)1999- 女流棋聖戦(扶安郡。 韓国棋院主催)2006- GGオークション杯女流対シニア連勝対抗戦(韓国棋院主催)2007- 女流十段戦 2012- ペア碁棋戦 SG杯ペア碁大会(囲碁TV主催)2011- 韓国囲碁リーグ 「韓国囲碁リーグ」も参照 2004年より開催。 4人一組のチームで行われるリーグ戦。 8チームがそれぞれ18試合を行い。 リーグ終了後に3位と4位が戦い。 勝者が2位と戦い。 更にその勝者が1位と戦い優勝を決める。 優勝チームは中国甲級リーグの勝者と対抗戦を行う。 終了棋戦 覇王戦(大韓毎日新聞社主催)1959-2003年 最高位戦(釜山日報主催)1959-99年 王位戦(中央日報主催)1966-2007年 韓国棋院選手権戦(慶南毎日新聞主催)1969。 77-78年 最強者戦(国際新報主催)1973-79年 棋王戦(朝鮮日報主催)1974-95年 MBC杯国棋戦 1974-76年 国棋戦(京郷新聞主催)1975-1996年 帝王戦(MBC TV主催)1982-95年 バッカス杯戦(東亜製薬主催) 1983-94年 大王戦(大邸毎日新聞主催)1983-97年 棋聖戦(世界日報主催)1990-2008 SBS杯連勝囲碁最強戦(SBS主催)1992-97年 倍達王戦 (韓国PC通信主催)1992-2000年 KT杯マスターズプロ棋戦(韓国棋院。 囲碁TV主催)2002-03年 囲碁マスターズ(韓国棋院主催)2005-2007年 圓益杯十段戦(韓国棋院)2006-13年 OllehKT杯オープン選手権(韓国棋院・囲碁TV主催)2010-2013 若手シニア終了棋戦 新王戦(スポーツソウル主催) 1985-89年 BCカード杯新人王戦(ソウル新聞主催) 1991-2008年 SKガス杯新鋭プロ十傑戦(京郷新聞主催) 1997-2008年 オスラムコリア杯新鋭連勝最強戦(囲碁TV主催) 2001-08年 ジャックフィールド杯プロシニア棋戦(囲碁TV主催)2000-05年 KC&A杯新人王戦 2011年 中国の棋戦 中国では。 中国囲棋協会。 または1992年設立の中国棋院が中心になって行うが。 成都棋院による西南王戦など地方独自に実施される棋戦もある。 また全国運動会。 全国体育大会や。 全国智力運動会などでも種目と採用されている。 棋戦 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 名人戦 中国棋院。 人民日報主催 1987- 天元戦 新民晩報社。 新民囲棋主催 1988- 棋聖戦 中国囲棋協会。 洛陽市 2013- 優勝杯 棋戦名 主催・協賛・後援 創設年 CCTV杯中国囲棋電視快棋戦 CCTV主催 1987 阿含・桐山杯中国囲棋快棋公開戦 中国棋院。 中国国際友好連絡会 1999 リコー杯囲棋戦 中国棋院。 リコー主催 1999 威浮房開杯棋王戦 中国囲棋協会。 無錫日報。 無錫威孚房家開発有限公司主催 2003 倡棋杯中国プロ囲棋選手権戦 中国囲棋協会。 上海応昌期囲棋教育基金会主催 2004 竜星戦 中国囲棋協会 2005 衢州・爛柯杯中国囲棋冠軍戦 浙江省体育局。 衢州市人民政府。 中国囲棋協会 2006 若手棋戦 新人王戦(中国棋院。 上海棋院主催) 1994- 新秀戦・リコー杯新秀戦(中国囲棋協会主催)2002- 女流棋戦 建橋杯女子囲棋公開戦(中国棋院。 上海棋院。 上海建橋学院主催) 2003- 百霊杯戦(中国囲棋協会。 貴州百霊企業集団主催) 2005- 黄龍士佳源杯女子名人戦 (中国棋院。 姜堰市主催)2010- 全国女子囲棋国手戦 (中国囲棋協会。 陝西省体育局主催)2012- 地方棋戦 海峡杯全国囲棋招待戦(福建省海峡文芸出版社主催)1986-91年 西南王戦(中国棋院。 成都棋院) 2002- ペア碁棋戦 リコー杯囲棋混双戦(中国囲棋協会。 理光(中国)投资有限公主催)2005- 中国囲碁リーグ 1999年より開催されている地域毎のチーム対抗のリーグ戦。 甲級の下に乙級。 丙級があり。 乙級の上位と甲級の下位各2チームが入れ替えとなる。 日本。 韓国。 台湾よりの参加者もあり。 台湾のチームの参加もある。 2013年には女子甲級リーグも開始された。 中国囲棋甲級リーグ戦 中国囲棋乙級リーグ戦 中国囲碁丙級リーグ戦 中国囲碁女子リーグ戦 その他 全国囲棋個人戦 1957- 全国囲碁段位戦 体育大会囲碁試合 中国水岸帝景杯 中国代表選抜・訓練試合 終了棋戦 新体育杯戦 1979-92年 国手戦(中国囲棋協会主催)1981-87年 十強戦 1987-94年 棋王戦(中国囲棋協会。 中国体育報社。 嵊州市主催)1989-2001年 宝勝電纜杯囲棋戦 1991-98年 大国手戦 1993-1994年 五牛杯王位戦 1995年 覇王戦 1995-97年 友情杯戦 1995-97年 NEC杯囲棋賽(中国囲棋協会。 NEC主催)1996-2009年 楽百氏杯囲棋戦(中国囲棋協会。 楽百氏有限公司主催)1997-2002年 棋聖戦(中国囲棋協会。 上海南江企業発展公司主催)1999-2001年 華山論道囲棋精鋭戦(陝西旅游集団公司。 陝西省社会体育管理中心。 中国囲棋協会主催)2001-06年 ルノー杯覇王戦(齊魯晩報。 山東岱銀集団主催) 2002年 国手新秀戦戦・新秀菊花杯 1985-94年 女子名人戦 (中国囲棋協会。 山東齊魯晩報主催)1989-91年 浪潮杯・八喜杯・石化加油卡杯女子名人戦 (中国囲棋協会他主催)2001-05年 紅金竜杯女子新秀戦 2002年 日立杯中国プロ囲棋混双赛(上海市体育局。 上海囲棋協会。 上海日立家電主催)1996-2003年 台湾の棋戦 台湾では。 1952年設立の中国囲棋会によって棋戦が行われていたが。 2000年に台湾棋院。 2008年に海峰棋院が設立され。 それらによる棋戦も行われるようになった。 一般棋戦4 国手戦 1981-99。 2005- 東鋼杯プロ囲棋戦(台湾棋院文化基金会主催)2001- 天元戦(民生報。 台湾棋院文化基金会主催)2002- 王座戦(台湾棋院文化基金会主催)2006- 棋王戦(海峰棋院主催)2008- 碁聖戦(台湾棋院主催)2008- 十段戦 (中華職業囲棋協会主催)2011- 海峰杯プロ囲棋戦(海峰棋院主催)2009- 思源杯プロ囲棋戦(台湾棋院主催)2009- 終了棋戦 名人戦(応昌期囲棋基金主催)1974-2009 中環杯囲棋オープン戦(台湾棋院文化基金会主催)1994-2012 電視快棋戦(中華電信。 台湾棋院文化基金会主催)2000-08。 2012 愛心杯プロ囲棋戦(台湾棋院文化基金会主催)2007-11 棋王戦(中国囲棋会主催)1979-89年 永大杯囲棋戦(応昌期囲棋教育基金会主催)1993-99年 棋霊王杯プロ囲棋戦(台湾棋院文化基金会主催)2002-04年 台湾棋院杯 2002-05年 魔戒杯プロ囲棋戦(台湾棋院文化基金会主催)2003-05年 鈺徳杯十段戦 2007-08年 限定棋戦 新人王戦(台湾棋院文化基金会主催)2002- 女子名人戦 2011- 参考文献 安藤如意。 渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年 木谷實『囲碁百年 2 新布石興る』平凡社 1968年 安永一『囲碁百年』時事通信社 1970年 「囲碁史略年表」(『1993年度版囲碁年鑑』日本棋院。 1993年)
囲碁棋士の獲得タイトル数ランキングは。 日本の囲碁棋士による獲得タイトル数のランキングである。 2017年3月11日現在 順位 棋士名 タイトル数 1 趙治勲 74 2 坂田栄男 64 3 小林光一 60 4 大竹英雄 48 5 井山裕太 51 6 加藤正夫 47 7 張栩 39 8 林海峰 35 依田紀基 10 謝依旻 26
囲碁のタイトル在位者一覧は。 日本国内棋戦七大タイトルの歴代在位者一覧であり。 1941年の本因坊戦創設から現在までを網羅する。
囲碁世界タイトルの獲得者一覧 囲碁世界タイトルの獲得者一覧は。 主要国際プロ棋戦の歴代獲得者一覧である。 目次 1 歴代優勝者 2 主要国際タイトル獲得数 3 脚注 4 関連項目 2016.12.16 現在 国際棋戦 個人戦 応昌期杯 春蘭杯 三星火災杯 LG杯 百霊愛透杯 Mlily夢百合杯 正官庄杯 穹窿山兵聖杯 ⇒囲碁世界タイトルの獲得者一覧 団体戦 農心杯 黄龍士双登杯 金竜城杯 華頂茶業杯 招商地産杯 国手山脈杯 ⇒ 国際団体棋戦の優勝国一覧 その他 テレビアジア選手権 利民杯世界囲碁星鋭最強戦 日本の棋戦 七大タイトル 棋聖戦 名人戦 本因坊戦 王座戦 天元戦 碁聖戦 十段戦 ⇒囲碁のタイトル在位者一覧 その他 新人王戦 阿含桐山杯 囲碁マスターズカップ 若鯉戦 ペア碁選手権 女流棋戦 女流本因坊戦 女流名人戦 女流棋聖戦 会津中央病院杯 ⇒囲碁の女流タイトル在位者一覧 地域棋戦 王冠戦 関西棋院第一位決定戦 産経プロアマ テレビ棋戦 NHK杯 竜星戦 韓国の棋戦 国手戦 名人戦 KBS杯 GSカルテックス杯 入神連勝最強戦 Let's Run PARK杯オープントーナメント 韓国囲碁リーグ ⇒韓国の囲碁タイトル在位者一覧 中国の棋戦 タイトル 名人戦 天元戦 棋聖戦 倡棋杯 衢州・爛柯杯 中信銀行杯 阿含桐山杯 リコー杯 威孚房開杯 竜星戦 全国個人 全国段位 甲級リーグ 乙級リーグ戦 丙級リーグ戦 ⇒中国の囲碁タイトル在位者一覧 条件戦 西南王 新人王 新秀戦 建橋杯 女子名人 女子新人王 百霊杯 台湾の棋戦 国手戦 天元戦 王座戦 棋王戦 碁聖戦 十段戦 東鋼杯 海峰杯 思源杯 中正杯 ⇒台湾の囲碁タイトル在位者一覧 執筆の途中です この項目は。 囲碁に関連した書きかけの項目です。 この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ゲーム)。 囲碁のタイトル囲碁の棋戦国際囲碁棋戦業績別の人物一覧囲碁関連の一覧
国際団体棋戦の優勝国一覧 この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 目安に適合することを証明するために。 記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。 なお。 適合することが証明できない場合には。 記事は統合されるか。 リダイレクトに置き換えられるか。 さもなくば削除される可能性があります。 (2011年8月) 国際団体棋戦の優勝国一覧は。 国別対抗で行われる囲碁のプロ団体棋戦・対抗戦の歴代優勝国一覧である。 ここに記載する棋戦は。 公式非公式(各国棋院の承認有無)を問わず。 各国の男性棋士・女性棋士・新鋭棋士のトップクラスが集う棋戦・対抗戦とする。 目次 1 1985~1999年 2 2000年~2009年 3 2010年~ 4 脚注 5 関連項目 1985~1999年 年 度 真露杯 スーパー囲碁 ロッテ杯 日韓新鋭戦 中韓新鋭戦 備考 参加国 日中韓 日中 中韓 日韓 中韓 条 件 女流・新鋭含む 新鋭 新鋭 方 式 勝ち抜き 勝ち抜き 一斉 一斉 一斉 1985年 中華人民共和国の旗中国(8-7) 1986年 中華人民共和国の旗中国(9-8) 1987年 中華人民共和国の旗中国(9-8) 1988年 日本の旗日本(7-2) 1989年 1990年 中華人民共和国の旗中国(8-3) 1991年 日本の旗日本(8-7) 1992年 韓国の旗韓国(7-4) 日本の旗日本(7-5) 1993年 韓国の旗韓国(6-4) 日本の旗日本(7-3) 1994年 韓国の旗韓国(7-4) 中華人民共和国の旗中国(6-3) 韓国の旗韓国(8-6) 韓国の旗韓国(11-9) 1995年 韓国の旗韓国(6-4) 中華人民共和国の旗中国(7-5) 中華人民共和国の旗中国(9-5) 日本の旗日本(24-15) 1996年 韓国の旗韓国(7-4) 中華人民共和国の旗中国(7-2) 中華人民共和国の旗中国(8-6) 韓国の旗韓国(23-19) 1997年 韓国の旗韓国(9-1) 団体戦は終了 中華人民共和国の旗中国(9-5) 日本の旗日本(18-12) 中華人民共和国の旗韓国の旗中韓タイ 1998年 韓国の旗韓国(49-24) 中華人民共和国の旗韓国の旗中韓タイ 1999年 韓国の旗韓国(29-27) 韓国の旗韓国(10-8) 年度 真露杯 スーパー囲碁 ロッテ杯 日韓新鋭戦 中韓新鋭戦 2000年~2009年 年 度 農心杯 CSK杯 江原杯 WMSG 男子 泰利特杯 WMSG 女子 国際新鋭戦 中野杯日中戦 日韓新鋭戦 中韓新鋭戦 備考 参加国 日中韓 日中韓台 中韓 世界各国 日中韓 世界各国 日中韓台 日中 日韓 中韓 条 件 女流 女流 新鋭 新鋭 新鋭 新鋭 方 式 勝ち抜き 一斉 勝ち抜き 一斉 勝ち抜き 一斉 一斉 一斉 一斉 一斉 2000年 韓国の旗韓国(6-4) 中華人民共和国の旗中国(7-1) 韓国の旗韓国A(3-0) 韓国の旗韓国(20-16) 真露杯が農心杯として再開 2001年 韓国の旗韓国(7-4) 中華人民共和国の旗中国(6-4) 中華人民共和国の旗中国A(3-0) 韓国の旗韓国(6-4) 2002年 韓国の旗韓国(6-4) 韓国の旗韓国 中華人民共和国の旗中国(3-0) 2003年 韓国の旗韓国(6-4) 日本の旗日本(3-0) 韓国の旗韓国(3-0) 2004年 韓国の旗韓国(5-4) 中華人民共和国の旗中国(3-0) 正官庄杯 韓国の旗韓国(3-0) 中華人民共和国の旗中国(30-12) 国際新鋭戦に台湾が加わる 2005年 韓国の旗韓国(6-4) 韓国の旗韓国(2-1) 中華人民共和国の旗中国(8-4) 韓国の旗韓国(3-0) 中華人民共和国の旗中国(29-13) 正官庄杯が団体棋戦に移行 2006年 日本の旗日本(6-4) 中華人民共和国の旗中国(3-0) 中華人民共和国の旗中国(6-4) 中華人民共和国の旗中国(7-3) 中華人民共和国の旗中国(3-0) 中華人民共和国の旗中国? 2007年 韓国の旗韓国(6-4) 韓国の旗韓国(6-4) 中華人民共和国の旗中国(3-0) 中華人民共和国の旗中国(27-5) 2008年 中華人民共和国の旗中国(7-3) 韓国の旗韓国 韓国の旗韓国(7-3) 中華人民共和国の旗中国 韓国の旗韓国(2-0-1) 2009年 韓国の旗韓国(7-3) 中華人民共和国の旗中国(9-1) 中華人民共和国の旗中国(3-0) 中華人民共和国の旗中国(40-8) 年度 農心杯 CSK杯 江原杯 WMSG 男子 正官庄杯 WMSG 女子 国際新鋭戦 中野杯日中戦 日韓新鋭戦 中韓新鋭戦 2010年~ 年 度 農心杯 WMSG 男子 アジア大会 男子 スポーツアコード 招商地産杯 正官庄杯 黄龍士佳源杯 WMSG 女子 アジア大会 女子 国際新鋭戦 中野杯日中戦 備考 参加国 日中韓 世界各国 世界各国 世界各国 中韓 日中韓 日中韓台 世界各国 世界各国 日中韓台 日中 条 件 女流枠有 女流 女流 女流 女流 新鋭 新鋭 方 式 勝ち抜き 一斉 一斉 一斉 一斉 勝ち抜き 一斉 一斉 一斉 一斉 一斉 2010年 韓国の旗韓国(6-4) 韓国の旗韓国 韓国の旗韓国(6-4) 韓国の旗韓国 韓国の旗韓国(3-0) 中華人民共和国の旗中国(47-13) 2011年 韓国の旗韓国(7-3) 中華人民共和国の旗中国(5-0) 中華人民共和国の旗中国(6-4) 韓国の旗韓国(9-4) 中華人民共和国の旗中国(3-0) 中華人民共和国の旗中国(2-1-1) 中華人民共和国の旗中国(41-13) 中華人民共和国の旗中国(38-22) 2012年 中華人民共和国の旗中国(8-4) 年度 農心杯 WMSG 男子 アジア大会 男子 スポーツアコード 招商地産杯 正官庄杯 黄龍士佳源杯 WMSG 女子 アジア大会 女子 国際新鋭戦 中野杯日中戦 脚注 ^ 開催ごとに異なる。 ^ a b c d 個人戦出場棋士等を除く ^ 中韓のみ。 後継棋戦の正官庄杯が日中韓。 ^ 第5回より台湾が加わる。 関連項目 囲碁世界タイトルの獲得者一覧 囲碁タイトルの在位者一覧 囲碁の棋戦 国際棋戦 個人戦 応昌期杯 春蘭杯 三星火災杯 LG杯 百霊愛透杯 Mlily夢百合杯 正官庄杯 穹窿山兵聖杯 ⇒囲碁世界タイトルの獲得者一覧 団体戦 農心杯 黄龍士双登杯 金竜城杯 華頂茶業杯 招商地産杯 国手山脈杯 ⇒ 国際団体棋戦の優勝国一覧 その他 テレビアジア選手権 利民杯世界囲碁星鋭最強戦 日本の棋戦 七大タイトル 棋聖戦 名人戦 本因坊戦 王座戦 天元戦 碁聖戦 十段戦 ⇒囲碁のタイトル在位者一覧 その他 新人王戦 阿含桐山杯 囲碁マスターズカップ 若鯉戦 ペア碁選手権 女流棋戦 女流本因坊戦 女流名人戦 女流棋聖戦 会津中央病院杯 ⇒囲碁の女流タイトル在位者一覧 地域棋戦 王冠戦 関西棋院第一位決定戦 産経プロアマ テレビ棋戦 NHK杯 竜星戦 韓国の棋戦 国手戦 名人戦 KBS杯 GSカルテックス杯 入神連勝最強戦 Let's Run PARK杯オープントーナメント 韓国囲碁リーグ ⇒韓国の囲碁タイトル在位者一覧 中国の棋戦 タイトル 名人戦 天元戦 棋聖戦 倡棋杯 衢州・爛柯杯 中信銀行杯 阿含桐山杯 リコー杯 威孚房開杯 竜星戦 全国個人 全国段位 甲級リーグ 乙級リーグ戦 丙級リーグ戦 ⇒中国の囲碁タイトル在位者一覧 条件戦 西南王 新人王 新秀戦 建橋杯 女子名人 女子新人王 百霊杯 台湾の棋戦 国手戦 天元戦 王座戦 棋王戦 碁聖戦 十段戦 東鋼杯 海峰杯 思源杯 中正杯 ⇒台湾の囲碁タイトル在位者一覧
中国囲棋協会 簡体字表記 中国围棋协会 ピンイン zhōng guó wéi qí xié huì 中国囲棋協会 中国の囲碁の組織。 プロの囲碁棋士が所属し。 囲碁普及活動や。 棋士の育成。 棋戦などを行う。 英語名はChinese Weiqi Association。 目次 1 歴史 1.1 成立期 1.2 プロ化と発展 1.3 国際化の時代 2 制度・組織 3 脚注 4 参考文献 5 関連項目 6 外部リンク 歴史 成立期 現代中国(中華人民共和国)では囲碁は体育省の管轄となり。 国家体育運動委により学校教育なども含めて普及。 教育の活動が行われ。 副首相の陳毅や強豪の過惕生らがこれを推し進めた。 1956年に全国囲碁模範試合を開催。 1957年に囲碁規則の制定など。 組織的な活動が行われ始める。 1959年には地域毎の合宿訓連隊。 1961年に国家集中訓練隊を組織。 また1957年からは全国個人戦が始まり。 第1回には過惕生が優勝。 1960年代には陳祖徳らが活躍する。 1962年に中国囲棋協会となり。 名誉主席に陳毅。 主席に国家体育委副主任の李夢華が就く。 1964年には段位制を開始し。 初段から五段までを認定。 過惕生。 陳祖徳。 呉淞笙。 劉棣懐の4人が五段となる。 対外的には1960年から日中囲碁交流なども行われ。 陳祖徳が日本の九段からも勝利を挙げるほどにレベルアップする。 1963年には陳毅に日本棋院と関西棋院から名誉七段が贈られた。 プロ化と発展 文革が始まると各種の囲碁の活動は中断し。 国家集中訓練隊は解散。 陳祖徳らも下放される。 訓練隊は1972年に復活。 中断していた日中囲碁交流も1973年に再開した。 また1972年の陳毅死去後は。 国務院副総理の方毅が名誉主席に就く。 1978年から「新体育教育」誌後援の新体育杯が開始され。 聶衛平がトップ棋士として活躍し始める。 聶は日中囲碁交流でも好成績を挙げ。 1979年の第1回世界アマチュア囲碁選手権戦で優勝して。 実力を世界に知らしめる。 1982年にプロ(専業棋手)制度と新たな段位制度を開始し。 それまで実績のあった陳祖徳。 呉淞笙。 聶衛平の3人を九段として認定。 陳。 呉。 聶の3名は1983年に国家体育委より体育運動栄誉章を贈られた。 1984年から始まった日中スーパー囲碁では。 聶などの活躍で第1回から3回まで3連勝するなど。 日本に対しても引けを取らないレベルに達したことが示された。 1986年には国家少年隊を組織し。 有望な少年を北京に集めての訓練を行う。 この第1期生は常昊。 周鶴洋。 羅洗河。 王磊らで。 その後も中国囲碁界の中核を担う棋士を育成している。 国際化の時代 現在は。 1992年に設立された中国棋院が。 囲碁。 シャンチー(中国象棋)。 チェス。 連珠。 麻雀。 コントラクトブリッジなどのゲームを統括し。 棋戦を実施している。 1995年には馬暁春が。 東洋証券杯世界選手権戦と富士通杯の。 二つの世界選手権に優勝。 また1995年には点数制を開始し。 棋士のランキングが作られるようになった。 1998年には中国初の世界選手権として。 春蘭杯世界囲碁選手権戦を創設。 1999年に開始された中国囲棋甲級リーグ戦・乙級リーグ戦には。 韓国や日本の棋士も参加して行われる。 2000年にLG杯世界棋王戦に優勝した兪斌は。 この年の全国優秀運動員十傑にも選ばれた。 制度・組織 最高機構として全国委員会。 執行機関として常務委員会。 日常業務に事務局を置く。 地域には。 北京。 上海。 天津に特別市分会。 及び各省分会。 自治区分会。 解放軍分会を置き。 各分会の下に文化宮。 青年宮。 少年宮。 業余(アマチュア)学校。 運動学校がある。 また各地に囲棋協会を置き。 個々に段位の認定を行うが。 五段以上の段位は中国囲棋協会でのみ認定できる。 主席 王汝南。 顧問 陳祖徳。 副主席 聶衛平。 華以剛。 羅建文。 他。 副主席は。 実運営に関わる人以外に。 各地の名士が名誉職として就任することがある。 代 主席 任期 1 李夢華 1962.11 - 1988.4 2 陳祖徳 1988.4 - 2006.11 3 王汝南 2006.11 - 2007.1
Category:囲碁の棋戦 プロ。 アマチュアの。 各国。 地域のタイトル戦やその他の大会。 公的な対局の行われるイベントを含む。 か ► 韓国の囲碁の棋戦 B BCカード杯新人王戦 G GGオークション杯女流対シニア連勝対抗戦 GSカルテックス杯プロ棋戦 K KBS杯バドゥク王戦 KTF杯戦 KT杯マスターズプロ棋戦 L Let's Run PARK杯オープントーナメント M MBC杯国棋戦 韓国女子囲碁リーグ O OllehKT杯オープン選手権 S SBS杯連勝囲碁最強戦 SG杯ペア碁大会 SKガス杯新鋭プロ十傑戦 い 囲碁マスターズ え 圓益杯十段戦 お 王位戦 (韓国囲碁) 王座戦 (韓国) オスラムコリア杯新鋭連勝最強戦 か 韓国囲碁リーグ 韓国棋院選手権戦 き 棋王戦 (韓国) 韓国囲碁棋士ランキング 棋聖戦 (韓国) こ 国棋戦 国手戦 さ 最強者戦 最高位戦 (韓国) し ジャックフィールド杯プロシニア棋戦 女流棋聖戦 (韓国) 女流名人戦 (韓国) 新王戦 せ 全国棋士選手権戦 た 大王戦 大舟杯プロシニア最強者戦 て 帝王戦 電子ランド杯王中王戦 は 倍達王戦 覇王戦 バッカス杯天元戦 陜川郡招待河燦錫国手杯英才囲碁大会 ふ 物価情報杯プロ棋戦 プロ女流国手戦 ま マキシムコーヒー杯入神連勝最強戦 み 未来の星新鋭最強戦 め 名人戦 (韓国) メジオン杯オープン新人王戦 こ ► 国際囲碁棋戦 Category:国際囲碁棋戦 プロ。 アマチュアのタイトル戦やその他の大会。 公的な対局の行われるイベントを含む。 * 囲碁世界タイトルの獲得者一覧 国際団体棋戦の優勝国一覧 B BCカード杯世界囲碁選手権 C CCTV賀歳杯囲棋戦 CSK杯囲碁アジア対抗戦 I IBM早碁オープン戦 ING杯世界コンピュータ囲碁大会 L LG杯世界棋王戦 M Mlily夢百合杯世界囲碁オープン戦 あ アジアインドア・マーシャルアーツゲームズにおける囲碁競技 2010年アジア競技大会における囲碁競技 え 遠洋地産杯世界女子プロオープン戦 お 応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦 おかげ杯 か 華頂茶業杯世界女流囲碁団体戦 江原ランド杯韓中囲碁対抗戦 関西棋院台湾棋院交流戦 き 穹窿山兵聖杯世界女子囲碁選手権 金立智能手机杯海峡両岸囲棋冠軍争覇戦 金竜城杯世界囲碁団体選手権 く グロービス杯世界囲碁U-20 こ 豪爵杯世界女子プロ囲碁選手権戦 興倉杯世界女流囲碁選手権戦 黄龍士双登杯世界女子囲棋勝抜戦 国際アマチュア・ペア碁選手権大会 国際新鋭囲碁対抗戦 国際名人ペア碁トーナメント 国手山脈杯国際囲棋戦 国務総理杯世界アマチュア囲碁選手権戦 さ 山水黔城杯国際女子プロ囲棋選手権戦 三星火災杯世界囲碁マスターズ し 春蘭杯世界囲碁選手権戦 招商地産杯中韓囲棋団体対抗戦 真露杯SBS世界囲碁最強戦 す 翠宝杯世界女流囲碁選手権戦 スポーツアコードワールドマインドゲームズ せ 正官庄杯世界女子囲碁最強戦 世界アマチュア囲碁選手権戦 中国・常徳杯世界囲棋名人争覇戦 世界囲碁最強戦 世界囲碁選手権富士通杯 世界学生囲碁王座戦 世界青少年囲碁選手権大会 千灯杯海峡両岸都市囲棋対抗戦 そ 相鉄杯世界女流アマチュア囲碁選手権戦 た 泰利特杯中韓女子囲棋対抗戦 大理旅遊杯世界女子プロ囲碁選手権戦 ち 中韓天元対抗戦 中環杯世界囲碁選手権戦 て テレビ囲碁アジア選手権戦 と 東方航空杯世界女子プロ囲碁選手権戦 東洋証券杯世界選手権戦 トヨタ&デンソー杯囲碁世界王座戦 に 日台精鋭プロ選手権 日中韓ペア碁名人選手権 の 農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦 ひ 百霊愛透杯世界囲碁オープン戦 へ ペア碁ワールドカップ ほ 鳳凰古城世界囲棋嶺鋒対決 宝海杯世界女子選手権戦 み 未来の星新鋭最強戦 り 利民杯世界囲碁星鋭最強戦 日中竜星戦 わ 第1回ワールドマインドスポーツゲームズ ワールドマインドスポーツゲームズ 第2回ワールドマインドスポーツゲームズ た ► 台湾の囲碁の棋戦 Category:台湾の囲碁の棋戦 プロ。 アマチュアのタイトル戦やその他の大会。 公的な対局の行われるイベントを含む。 M MOD電視快棋戦 あ 愛心杯プロ囲棋戦 え 永大杯囲棋戦 お 王座戦 (台湾) か 海峰杯プロ囲棋戦 き 棋王戦 (台湾) ギョク徳杯台湾女子名人戦 棋霊王杯プロ囲棋戦 こ 国手戦 (台湾) ご 碁聖戦 (台湾) し 思源杯プロ囲棋戦 十段戦 (台湾) 新人王戦 (台湾囲碁) じ 女子囲棋最強戦 た 台湾棋院杯プロ囲棋戦 台湾の囲碁タイトル在位者一覧 ち 中環杯囲棋オープン戦 て 天元戦 (台湾) と 東鋼杯プロ囲棋戦 ま 魔戒杯プロ囲棋戦 め 名人戦 (台湾) り 力兆杯プロ囲棋戦 台 Template:台湾囲碁棋戦 ち ► 中国の囲碁の棋戦 * 中国の囲碁の招待棋戦 C CCTV賀歳杯囲棋戦 CCTV杯中国囲棋電視快棋戦 N NEC杯囲棋賽 あ 阿含・桐山杯中国囲棋快棋公開戦 え 永達杯王中王戦 か 海峡杯全国囲棋招待戦 華山論道囲棋精鋭戦 き 棋王戦 (中国) 棋聖戦 (中国) 洛陽龍門杯中国囲棋棋聖戦 金立智能手机杯中国囲棋世界冠軍争覇戦 く 衢州・爛柯杯中国囲棋冠軍戦 け 建橋杯女子囲棋公開戦 元老戦 こ 弘通杯国家囲棋隊勝抜戦 国手戦 (中国囲碁) し 十強戦 倡棋杯中国プロ囲棋選手権戦 商業杯囲棋元老招待戦 全国女子囲棋国手戦 女子名人戦 新秀戦 新人王戦 (中国囲碁) 新体育杯戦 せ 西南王戦 全国囲棋個人戦 全国囲棋団体選手権戦 全国女子囲棋精英戦 中華人民共和国全国体育大会における囲碁競技 全国智力運動会 た 大国手戦 ち 中国の囲碁タイトル在位者一覧 中国囲棋棋手排名 中国囲棋甲級リーグ戦 中国囲棋天元戦 中国女子囲棋甲級リーグ戦 は 覇王戦 (中国) 晩報杯全国業余囲棋選手権戦 ひ 百霊杯戦 ふ 富士通杯U15少年囲棋戦 ほ 宝勝電纜杯囲棋戦 め 名人戦 (中国囲碁) ゆ 友情杯戦 ら 楽百氏杯囲棋戦 洛陽白雲山杯囲棋世界冠軍招待戦 り リコー杯囲棋混双戦 リコー杯囲棋戦 リコー杯新秀戦 竜星戦 (中国) 中 Template:中国囲碁棋戦 に ► 日本の囲碁の棋戦 * 棋戦 (囲碁) 囲碁世界タイトルの獲得者一覧 国際団体棋戦の優勝国一覧 挑戦手合制 A AlphaGo対李世ドル T Template:棋戦 (囲碁) Template:アマチュア棋戦 (囲碁) あ 阿含・桐山杯日中決戦 か Template:韓国囲碁棋戦 し ジュニア名人戦 湘南ひらつか囲碁まつり 新さっぽろ囲碁まつり せ 世界児童国手戦 ち 中韓新人王対抗戦 に 日中囲碁交流 日中スーパー囲碁 日中天元戦 日中名人戦 ほ 鳳凰杯オープントーナメント戦 北米INGマスターズ 北米マスターズ・トーナメント め 名人戦 (囲連星) よ ヨーロッパ碁コングレス ろ ロッテ杯中韓囲碁対抗戦
棋士 (囲碁) 囲碁 Go board part.jpg ゲームの詳細 囲碁のルール 囲碁のハンデキャップ (互先 - 定先 - 置き碁) 囲碁の格言 囲碁用語 歴史と文化 囲碁の歴史 碁盤 - 碁石 囲碁の記録一覧 囲碁のタイトル在位者一覧 棋道賞 組織と棋士 国際囲碁連盟 日本棋院 関西棋院 中国棋院 韓国棋院 台湾棋院 全日本学生囲碁連盟 棋戦 棋士 日本の囲碁棋士一覧 コンピュータ コンピュータ囲碁 幽玄の間 AlphaGo対李世乭 表 話 編 歴 棋士(きし)は。 碁打ちともいい。 囲碁を打つ人の総称。 プロを指す事が多いが。 アマチュアでも棋士と呼ぶ事もある。 目次 1 呼称 2 歴史 2.1 中世まで 2.2 近世 2.3 近代以降 3 プロ棋士制度 3.1 日本 3.2 世界 4 各国における棋士 4.1 日本のおもな現役棋士 4.1.1 日本七大タイトル保持者 4.1.1.1 日本七大タイトル経験者 4.1.2 その他の棋士 4.1.3 女性の棋士 4.1.3.1 日本女流四大タイトル保持者 4.1.4 他の物故棋士(昭和以降) 4.2 現代の中国 4.3 韓国 4.4 台湾 4.5 その他 5 棋士の呼び名 5.1 日本 5.2 中国 6 脚注 7 参考文献 8 関連項目 9 外部リンク 呼称 室町時代末期に囲碁を専業とする者が現れると。 彼らは「碁打」と呼ばれるようになる。 江戸時代に家元が俸禄を受けるようになると。 「碁衆」あるいは将棋の家元との区別で「碁方」「碁之者」などの呼び名が使われた。 また江戸時代には「碁士」「碁師」などの呼び方も生れ。 地方においても賭碁をする者は碁打と呼ばれた。 明治になると「碁客」「碁家」「棋客」「棋家」といった呼び方がされ。 また棋戦に出場する者は「選手」とも呼ばれ。 大正時代の裨聖会もこの呼び名を使った。 日本棋院が設立されると「棋士」を使うようになり。 以降の各組織でもこれに倣い現在に至っている。 また日本棋院以前の囲碁専業の者や高手に対しても棋士と呼ぶことが多い。 歴史 「囲碁の歴史」も参照 中世まで 漢の時代には『奕旨』を著した歴史家の班固などの愛棋家が知られ。 建安七子と呼ばれた文人でも孔融や。 王粲。 『弈勢』を著した応瑒が碁に長じていた。 呉は琴棋書画が盛んであり。 代表的な打ち手の孫策と呂範の対局が最古の棋譜として残されていて。 棋力の高さを示している他。 武将の陸遜。 蔡頴。 諸葛瑾が知られ。 民間人で「呉の八絶」の一人の厳子卿と馬綏明は『広博物志』で棊聖と呼ばれている。 東晋では河南省で天才少年と言われて後に宰相の王導に引き立てられ将軍となった江彪が最強とされ。 范注『棋品』で江彪が棊品第一品。 王導が五品と記されている。 竹林の七賢と言われた中でも阮籍。 王戎は碁好きだった。 この頃に王担之が囲碁の別称として「坐隠」と呼んだことが『世説新語』にあり。 僧の支遁が手談と呼んだ。 南北朝時代には。 斉 (南朝)の王抗が第一品の打ち手とされていて。 武帝に命じられて北魏の孝文帝から派遣された打ち手の苑寧児と対局した。 初唐では裵寂。 王勃。 廬藏用。 高智周らが棋士として高名だった。 玄宗の時に棋待詔制度が設けられ。 王積薪。 顧師言。 王倚。 王叔文。 滑能。 朴球などが就いた。 顧師言は日本の王子と対戦して。 鎮神頭の妙手で勝ったとされている。 日本の王子の名ははっきりしないが。 高岳親王。 伴小勝雄の説がある。 また玄宗は新羅の聖徳王の葬儀への使節に楊李膺という近衛兵きっての打ち手を同行させ。 新羅の打ち手に連戦連勝して面目を保った。 宋代では棋待詔に賣充。 楊希粲。 劉仲甫。 李逸民。 沈才子などが高名であった。 潘慎修『棋説』。 楊希粲『双泉図』。 李の『忘憂清楽集』。 沈括『夢渓谷筆談』。 劉の『棋訣』。 張擬『棋経十三篇』。 厳徳甫と晏天章『玄玄経(玄玄碁経)』などの著作も書かれ。 沈括『夢渓筆談』では囲碁の変化の数についても記された。 べん京などの大都市では道観や寺院などで棋会がしばしば開かれるようになり。 高手が競った。 元代には文人の中から。 『玄玄碁経』を再編した虞集。 劉因。 黄庚などの名手が出た。 高句麗では長寿王の時代に国手である道琳という僧がいて。 百済の蓋鹵王の側近に送り込まれて国力を削ぐ工作をしたとある。 日本では遣唐使に加わった伴小勝雄が碁師と呼ばれており。 小勝雄に習った紀夏井は少しの間に小勝雄を越えるほどになった。 宇多法皇と醍醐天皇に寵遇された法師寛蓮は。 『花鳥余情』で碁聖と記されている。 『二中歴』では寛蓮の他。 賀陽。 祐挙。 高行。 実定。 教覚。 道範。 十五小院。 長範。 天王寺冠者といった名がある。 九条兼実は碁を好み。 その邸で対局した九条良経の小童が囲碁の上手と『明月記』にある。 慈円も後鳥羽上皇に招かれて対局していた。 鎌倉時代には玄尊による『囲碁口伝』『囲碁式』も書かれた。 近世 明の初期。 相子先が高名を馳せたが。 太祖の命で楼得達と対局し。 勝った楼得達が棋官の地位を得た。 他に趙九成。 氾洪などが国手と呼ばれた。 嘉靖から万暦の頃に明では最も囲碁が盛んになり。 浙江省一帯の永嘉派として鮑一中。 李沖。 周源。 余希聖など。 安徽省一帯の新安派として程汝亮。 汪曙。 方子謙など。 北京周辺の京師派には李釜。 顔倫などがいて。 王世貞『奕旨』では鮑一中。 程汝亮。 李釜。 顔倫が取り上げられている。 明末には。 江蘇省出身の過百齢が出て。 上京して国手の林符卿に勝ち。 国手とされるとともに『官子譜』などを著した。 他に方子振。 汪幼清などが名手として名を上げた。 清朝初期には盛大有。 周東候らを打ち負かした黄龍士が最も知られ。 その弟子の徐星友も国手となった。 続いて范西屏。 施襄夏。 梁魏今。 程蘭如が大家となる。 清末には囲碁も水準を落とす中で。 「晩清の十八国手」と呼ばれる秋航。 任惠南。 董六泉など。 続いて周小松。 浙江省の陳子仙。 漢陽の徐耀文。 李湛源など国手と呼ばれる棋士がいた。 室町時代に日本から明に渡った僧虚中は。 林応龍と協力して『適情録』がまとめられた。 『満済准后日記』『看聞御記』では召し出された囲碁の上手として。 大円。 式部。 宗勝。 一色。 北野。 吉原。 昌阿(性阿)の名がある。 その後には阿弥衆の中で。 碁の上手として重阿弥が知られていた。 続いて仙也。 春阿弥。 宗心。 樹斎などが現れ。 その後の本因坊算砂。 本能寺の僧利玄。 神尾宗具。 仙也の子の仙角。 山の内入道。 鹿塩。 庄林といった者は公家や寺院の他に豊臣秀次や徳川家康などの武家にもしばしば招かれて。 江戸時代の家元制度の基礎となった。 また北条幻庵に徳斎という者が召し出されており。 北条氏直の頃には真野仙楽斎が関東での碁の上手と言われていた。 江戸幕府からは家禄を受ける家元として。 算砂を始祖とする本因坊家。 算砂の弟子の中村道碩を継ぐ井上家。 安井算哲に始まる安井家。 利玄の禄を継いだ林家が定められた。 四家は名人・碁所を筆頭にして。 御城碁などで切磋琢磨し。 棋聖と呼ばれた本因坊道策。 本因坊丈和など多くの高手を生んだ。 「江戸時代の囲碁棋士一覧」も参照 また本因坊算砂は朝鮮通信使にいた本国第一人者の李礿史と三子で対局した。 本因坊道策は琉球使節の親雲上浜比嘉には四子で対局し。 浜比嘉に三段を認めた。 1710年の琉球使節では。 屋良里之子が本因坊道知に三子。 相原可碩に先番で打った。 近代以降 明治時代になると家元制度は崩壊したが。 本因坊家を存続させた本因坊秀和。 本因坊秀栄の一門や。 本因坊秀甫らによる近代的な囲碁組織方円社によって多くの棋士が活躍した。 「方円社#方円社の棋士」も参照 また女流の喜多文子や吉田操子が男性棋士と互角の成績を残し。 普及や組織運営にも大きな役割を果たした。 本因坊秀哉や高部道平は。 中国も訪問して交流を行った。 この頃の中華民国では汪雲峰。 呉祥麟。 潘朗束。 顧水如。 王子晏。 劉棣懐。 過惕生らがいたが。 三子程度の差があった。 大正末期に碁界合同による日本棋院が誕生し。 雁金準一の棋正社との対抗戦が世間を湧かせた。 また顧の弟子の呉清源が見いだされて日本へ渡り。 木谷實らと角錐しつつ高段へと昇った。 昭和になると終身名人制を廃して。 本因坊戦などの選手権制の棋戦が多く生まれ。 日本棋院と。 そこから分裂した関西棋院の棋士が鎬を削った。 また昭和20年代には呉清源が。 十番碁で当時の一流棋士すべてを打ち込んで最強と目された。 主な棋戦優勝者: 本因坊戦 関山利一。 橋本宇太郎。 岩本薫。 高川格(二十二世本因坊)。 坂田栄男(二十三世本因坊)。 林海峰。 石田芳夫 王座戦 橋本宇。 高川。 島村俊廣。 藤沢朋斎。 橋本昌二。 半田道玄。 宮下秀洋。 坂田。 藤沢秀行。 加藤正夫(名誉王座) 日本棋院最高段者トーナメント戦・日本棋院第一位決定戦・全日本第一位決定戦 坂田。 島村。 宮下。 藤沢秀。 大竹英雄 日本棋院選手権戦 高川。 坂田。 大平修三。 石田 NHK杯争奪トーナメント 島村。 岩本。 橋本宇。 坂田。 木谷。 高川。 橋本昌。 大竹。 藤沢秀。 林 関西棋院早碁名人戦 窪内秀知。 半田。 鯛中新。 東野弘昭。 橋本宇。 佐藤直男 日本棋院早碁名人戦 坂田。 宮下。 杉内雅男。 藤沢朋 最高位決定戦 坂田。 木谷實。 藤沢秀 囲碁選手権戦 木谷。 坂田。 曲励起。 島村。 高川。 藤沢朋。 杉内。 藤沢秀 日本最強決定戦 呉清源。 坂田 名人戦(旧) 藤沢秀。 坂田。 林。 高川。 石田。 大竹 十段戦 橋本宇。 半田。 藤沢朋。 高川。 坂田。 大竹。 橋本昌。 加藤 プロ十傑戦 坂田。 藤沢秀。 林。 橋本宇。 石田。 趙治勲 女流選手権戦 伊藤友恵。 杉内寿子。 木谷禮子。 本田幸子。 小林千寿。 小川誠子 プロ棋士制度 日本 法律では職業として囲碁を行うのには資格は不要だが。 試合を開催する団体が定める認定が必要になる場合がある。 以下は日本棋院と関西棋院が定める規則についての記述である。 日本棋院と関西棋院の2つがプロを認定する組織として存在している。 さらに日本棋院は東京本院・中部総本部・関西総本部に分かれている。 このいずれかで入段試験を突破した者だけがプロ初段の棋士となり。 プロ棋戦への参加資格を得る。 プロ入りのためには。 普通まずプロの卵である院生となって入段試験手合を勝ち抜くことで資格を得る。 また院生にならずとも。 外来で予選・試験手合を突破することでもプロ入りは可能である。 プロ入りには年齢制限があるが。 関西棋院では研修棋士制度を設けており。 プロ棋士相手の試験碁で一定の成績を収めればプロ入りが可能である。 日本棋院の院生で棋士になれなかった者には。 研修棋士を経て「普及棋士(準棋士)」の資格が与えられた。 また院生以外で入段試験に合格できなかった者には普及専門の「地方棋士」の資格が与えられた。 世界 韓国・中国・台湾でも独自のプロ組織があり。 それぞれの棋戦が行われている。 またこれらの棋士が一堂に会して戦う国際棋戦も盛んである。 各国における棋士 「Category:囲碁棋士」および「囲碁のタイトル在位者一覧」も参照 日本のおもな現役棋士 日本七大タイトル保持者 (2016年4月現在) 井山裕太(棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖・十段) 日本七大タイトル経験者 趙治勲(二十五世本因坊・名誉名人有資格者)棋聖8期。 名人9期。 本因坊12期。 十段6期。 天元2期。 王座3期。 碁聖2期 七大タイトルグランドスラム 張栩 棋聖3期 名人4期 本因坊2期 王座7期 天元1期 碁聖4期 十段2期 七大タイトルグランドスラム 井山裕太 棋聖3期 名人5期 本因坊4期 王座3期 天元4期 碁聖4期 十段2期 七大タイトルグランドスラム 小林光一(名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖)棋聖8期。 名人8期。 十段。 天元各5期。 碁聖9期 石田芳夫(二十四世本因坊)名人1期 本因坊5連覇。 王座2期 天元1期 林海峰(名誉天元)名人8期 本因坊5期 王座1期 天元5期 碁聖1期 十段1期 大竹英雄(名誉碁聖)名人4期 王座1期 碁聖7期 十段5期 山下敬吾 棋聖5期 名人2期 本因坊2期 王座2期 天元2期 碁聖1期 王立誠 棋聖3期 王座4期 十段4期 羽根直樹 棋聖2期 本因坊2期 天元3期 碁聖1期 小林覚 棋聖1期。 碁聖1期 依田紀基 名人4期 十段2期 碁聖6期 武宮正樹 名人1期 本因坊6期 十段3期 高尾紳路 名人1期 本因坊3期 天元1期 十段2期 王銘エン 本因坊2期 王座1期 趙善津 本因坊1期 工藤紀夫 王座1期 天元1期 柳時熏 王座1期。 天元4期 羽根泰正 王座1期 山田規三生 王座1期 村川大介 王座1期 河野臨 天元3期 片岡聡 天元2期 結城聡 天元1期 十段1期 坂井秀至 碁聖1期 彦坂直人 十段1期 伊田篤史 十段1期 その他の棋士 三大タイトル挑戦者 杉内雅男 淡路修三 山城宏 七大タイトル挑戦者 高木祥一 苑田勇一 今村俊也 中野寛也 横田茂昭 秋山次郎 余正麒 一力遼 主要棋戦優勝者 本田邦久 三村智保 小松英樹 森田道博 加藤充志 その他 白江治彦 石倉昇 女性の棋士 「女流棋士 (囲碁)」を参照 日本女流四大タイトル保持者 (2016年6月18日現在) 謝依旻 (女流本因坊・女流名人・女流棋聖・会津中央病院杯) 他の物故棋士(昭和以降) 藤沢秀行(名誉棋聖) 高川格(二十二世本因坊) 坂田栄男(二十三世本因坊) 加藤正夫(名誉王座) 橋本昌二 影山利郎 中山典之 加田克司 安倍吉輝 現代の中国 中華人民共和国では副首相陳毅によって囲碁強化が進められ。 全国囲棋個人戦などの大会の実施。 中国囲棋協会設立によって。 日本に追いつくことを目標として棋士を育成した。 顧水如の弟子の陳祖徳は日中囲碁交流で初めて日本の九段に勝利し。 1970年代には聶衛平が最強の地位を得る。 また日本と同様の棋戦が多く開催されるようになり。 劉小光。 馬暁春。 曹大元。 江鋳久。 陳臨新。 銭宇平。 兪斌。 張文東らが活躍する。 また孔祥明や芮廼偉などの女流棋士も男性と互角に戦うようになった。 1990年代以降は。 七小龍と呼ばれる常昊。 周鶴洋。 邵煒剛。 王磊。 羅洗河。 劉菁。 丁偉が国内棋戦の他。 国際棋戦でも活躍し。 2000年代には小虎世代と呼ばれる古力。 孔傑。 胡耀宇。 黄奕中。 王尭。 謝赫。 邱峻。 劉星らが世界戦で好成績を上げる。 韓国 木谷實門下だった趙南哲が第二次世界大戦後に韓国棋院を設立して。 現代囲碁の普及を行った。 日本で修行した金寅。 尹奇鉉。 河燦錫らが活躍し。 1970年代から曺薫鉉。 徐奉洙。 続いて劉昌赫。 李昌鎬を加えた四強時代となり。 1990年代には国際棋戦で多数の優勝を飾るようになる。 薫鉉。 昌鎬の活躍で囲碁ブームが起こり。 2000年代は李世乭。 朴永訓。 崔哲瀚。 睦鎮碩。 趙漢乗。 元晟溱。 姜東潤。 朴廷桓。 朴鋕恩らが国内戦。 世界戦で活躍する。 台湾 台湾からは呉清源に見いだされた林海峰が日本で名人になるなど活躍し。 続いて王立誠。 王銘琬。 張栩なども日本でタイトルを獲得した。 また実業家応昌期の後押しで中国囲棋会などの囲碁組織が作られ。 周咸亨。 陳永安。 陳長清がプロ棋士として活躍する。 続いて彭景華。 林聖賢などが成長し。 1990年代には中国で修行した周俊勲が第一人者となり。 林至涵。 陳詩淵。 王元均がこれに続いている。 その他 1978年にはアメリカ人のジェームズ・カーウィンが日本棋院で欧米人として初の初段となり。 その後は日本棋院のマイケル・レドモンド。 ハンス・ピーチ。 韓国棋院のアレキサンダー・ディナーシュタイン。 スベトラーナ・シックシナなどがプロ棋士となっている。 アメリカではアメリカ在住の棋士による組織でトーナメントが行われており。 レドモンドや。 中国出身の江鋳久や豊雲。 韓国出身の車敏洙などが出場している。 2012年アメリカ囲碁協会は。 韓国棋院と提携しプロ組織となった。 2014年には。 欧州囲碁連盟が独自にプロ棋士を認定を始めている。 欧米の他にアルゼンチンのフェルナンド・アギラールなども国際棋戦でしばしば上位に進出し。 またオーストラリア出身の黒嘉嘉も台湾とオセアニアで活躍している。 棋士の呼び名 日本 「前聖」「後聖」歴史上棋聖と称えられる。 本因坊道策を前聖。 本因坊丈和を後聖と呼んだ。 明治時代になって本因坊秀策の評価が高まり後聖に据えることも多い。 「五弟子」「五虎」「六天王」本因坊道策の弟子の。 小川道的。 佐山策元。 井上道節因碩。 星合八碩。 熊谷本碩。 吉和道玄 「囲碁四哲」江戸時代。 名人の力量ありとされながら名人とならなかった。 本因坊元丈。 安井知得仙知。 井上幻庵因碩。 本因坊秀和 「天保四傑」天保期前後に活躍した。 伊藤松和。 阪口仙得。 太田雄蔵。 安井算知 (俊哲)。 嘉永頃には囲碁四傑と呼ばれていたが。 明治37年の安藤如意「坐隠談叢」で天保四傑と記され定着した 「方円社四天王」小林鉄次郎。 水谷縫次。 酒井安次郎。 高橋杵三郎。 「戦後派三羽烏」「アプレゲール三羽烏」藤沢秀行。 梶原武雄。 山部俊郎。 「棋道」編集長の宇崎玄々子により命名。 「竹林」大竹英雄。 林海峰。 「黄金トリオ」木谷実門下の。 加藤正夫。 石田芳夫。 武宮正樹。 3人の若手時代に雑誌で連載した「黄金トリオ研究室」で命名。 「木谷門三羽烏」とも呼ばれた。 「アマ四強」アマチュア棋戦の優勝常連である。 菊池康郎。 村上文祥。 平田博則。 原田実。 西村修。 金沢盛栄。 三浦浩。 中園清三らを加えて。 五強。 六強。 七強などとも呼んだ。 「四天王」:1990年代に活躍した王立誠。 小林覚。 片岡聡。 山城宏についてしばしば用いられた。 「若手四天王」山下敬吾。 羽根直樹。 張栩。 高尾紳路。 ただし近年は四人が「若手」のレベルにとどまらない活躍をしているため。 単に「四天王」と呼ばれることも多い。 最近では「平成四天王」と呼ばれるようになった。 中国 「大龍」1980年代に中国の囲碁を世界レベルに引き上げた。 聶衛平 「中龍」1990年代に聶衛平を打ち破って一強時代を築いた。 馬暁春 「七小龍」1990年代後半からトップ棋士となった。 常昊。 周鶴洋。 邵煒剛。 王磊。 羅洗河。 劉菁。 丁偉 「小虎」2000年代になってトップ棋士となった。 古力。 孔傑。 黄奕中。 王尭。 謝赫。 邱峻。 劉星など 「小豹」小虎の次の世代でトップを狙う棋士。 彭荃。 王檄。 王雷。 唐莉。 陳耀燁など
現代囲碁大系 『現代囲碁大系』(げんだいいごたいけい)は。 講談社から1980年から1984年にかけて刊行された。 呉清源。 高川格。 坂田栄男。 藤沢秀行。 林海峰。 大竹英雄。 石田芳夫。 加藤正夫。 武宮正樹。 趙治勲。 小林光一ら。 現代囲碁を代表する棋士たちの打碁全集。 全47巻。 別巻1。 編集主幹は林裕。 古典棋士たちについては日本囲碁大系が刊行されている。 内容 明治・大正名棋家集1 本因坊秀哉・小岸壮二・中川亀三郎・広瀬平治郎・岩佐銈(1980年) 明治・大正名棋家集2 雁金準一・高部道平・野沢竹朝・井上因石・稲垣兼太郎(1980年) 昭和名棋士集1 鈴木為次郎・瀬越憲作・久保松勝喜代・加藤信・小野田千代太郎・光原伊太郎・細川千仞・向井一男・高橋重行・田中不二男・伊予本桃市(1981年) 昭和名棋士集2 福田正義・林有太郎・長谷川章・篠原正美・村島誼紀・鍋島一郎・染谷一雄・中村勇太郎・渡辺昇吉 (1981年) 岩本薫(1981年) 橋本宇太郎 上(1980年) 橋本宇太郎 下(1980年) 木谷實 上(1981年) 木谷實 下(1981年) 前田陳爾・宮下秀洋(1982年) 呉清源 上(1980年) 呉清源 下(1980年) 関山利一・半田道玄(1981年) 島村俊廣(1981年) 瀬川良雄・炭野恒廣・久井敬史・橋本誼・石井邦生(1984年) 鯛中新・鈴木越雄・窪内秀知・宮本直毅・本田邦久(1982年) 酒井通温・岩田達明・羽根泰正(1982年) 高川格 上(1981年) 高川格 下(1981年) 藤沢朋斎 上(1980年) 藤沢朋斎 下(1980年) 坂田栄男 上(1980年) 坂田栄男 下(1980年) 杉内雅男(1981年) 梶原武雄(1984年) 藤沢秀行 上(1980年) 藤沢秀行 下(1980年) 山部俊郎(1982年) 曲励起・加納嘉徳・榊原章二・加田克司(1981年) 大平修三(1983年) 橋本昌二(1981年) 工藤紀夫・高木祥一(1982年) 林海峯 上(1980年) 林海峯 下(1980年) 大竹英雄 上(1980年) 大竹英雄 下(1980年) 石田芳夫 上(1980年) 石田芳夫 下(1980年) 加藤正夫 上(1980年) 加藤正夫 下(1980年) 武宮正樹(1983年) 小林光一(1984年) 趙治勲(1983年) 日本棋院精選集(1982年) 関西棋院精選集(1981年) 女流珠玉選1(1983年) 女流珠玉選2(1983年) 別巻 現代囲碁史概説・現代囲碁史年表(1984年)
日本の囲碁棋士一覧では。 日本の現役の囲碁棋士全員を記述する。 目次 1 タイトル保持者 2 女流タイトル保持者 3 一覧 4 八段以下 5 四段以下 6 引退棋士 6.1 東京本院 6.2 関西総本部 6.3 中部総本部 6.4 関西棋院 7 物故棋士 7.1 日本棋院 7.2 関西棋院 8 外部リンク タイトル保持者 棋戦 棋士 段位 在位年 棋聖 井山裕太 九段 2013- 名人 井山裕太 〃 2013- 本因坊 井山裕太 〃 2012- 王座 井山裕太 〃 2015- 天元 井山裕太 〃 2015- 碁聖 井山裕太 〃 2012- 十段 井山裕太 〃 2016- 女流タイトル保持者 女流棋聖・女流名人・女流本因坊 謝依旻(六段) 会津中央病院杯 藤沢里菜(二段) 一覧 表は入段順。 ◎は名誉称号獲得。 ○は三大タイトル獲得経験者(棋聖・名人・本因坊)。 △はそれ以外の七大タイトル獲得経験者。 中は中部総本部。 西は関西総本部所属。 関は関西棋院所属。 入段年齢は4月2日起点の満年齢。 タイトルは棋聖・名人・本因坊・天元・王座・碁聖・十段・囲碁選手権戦 ・日本最強決定戦。 棋士 段 位 年 齢 入 段 師匠 出 身 入段 年齢 所 属 高川格 九段 - 1928 ◎ 光原伊太郎 和歌山 13歳 坂田栄男 九段 - 1935 ◎ 増淵辰子 東京 16歳 藤沢秀行 九段 - 1940 ◎ 福田正義 神奈川 15歳 林海峯 九段 74歳 1955 ◎ 藤田梧郎 呉清源 上海 13歳 大竹英雄 九段 74歳 1956 ◎ 木谷實 福岡 14歳 石田芳夫 九段 68歳 1963 ◎ 木谷實 愛知 15歳 加藤正夫 九段 - 1964 ◎ 木谷實 福岡 16歳 小林光一 九段 64歳 1967 ◎ 木谷實 北海道 15歳 趙治勲 九段 60歳 1968 ◎ 木谷實 釜山 12歳 岩本薫 九段 - 1917 ○ 広瀬平治郎 島根 16歳 橋本宇太郎 九段 - 1922 ○ 瀬越憲作 大阪 16歳 関 木谷實 九段 - 1924 ○ 久保松勝喜代 鈴木為次郎 兵庫 16歳 関山利一 九段 - 1926 ○ 鈴木為次郎 兵庫 17歳 関 呉清源 九段 - 1929 ○ 瀬越憲作 福建省 15歳 半田道玄 九段 - 1934 ○ 鈴木為次郎 広島 19歳 関 杉内雅男 九段 96歳 1937 ○ 井上一郎 宮﨑 17歳 曲励起 九段 92歳 1942 ○ 岩本薫 三重 16歳 引退 大平修三 九段 - 1947 ○ 木谷實 岐阜 18歳 武宮正樹 九段 66歳 1964 ○ 田中三七一 木谷實 東京 14歳 王立誠 九段 58歳 1972 ○ 加納嘉徳 台湾 14歳 小林覚 九段 57歳 1974 ○ 木谷實 長野 15歳 王銘琬 九段 55歳 1977 ○ 富田忠夫 台湾 16歳 依田紀基 九段 51歳 1980 ○ 安藤武夫 北海道 15歳 趙善津 九段 46歳 1984 ○ 安藤武夫 韓国 14歳 高尾紳路 九段 40歳 1991 ○ 藤沢秀行 千葉 15歳 羽根直樹 九段 40歳 1991 ○ 羽根泰正 三重 15歳 中 山下敬吾 九段 38歳 1993 ○ 菊池康郎 北海道 15歳 張栩 九段 37歳 1994 ○ 林海峰 台北 15歳 井山裕太 九段 27歳 2002 ○ 石井邦生 大阪 13歳 西 島村俊廣 九段 - 1929 △ 三宅一夫 鈴木為次郎 三重 17歳 宮下秀洋 九段 - 1930 △ 本因坊秀哉 福島 17歳 藤沢朋斎 九段 - 1933 △ 神奈川 15歳 橋本昌二 九段 - 1947 △ 橋本国三郎 兵庫 12歳 関 工藤紀夫 九段 76歳 1955 △ 前田陳爾 勝本哲州 青森 15歳 羽根泰正 九段 72歳 1958 △ 島村俊廣 三重 14歳 中 片岡聡 九段 58歳 1972 △ 榊原章二 千葉 14歳 彦坂直人 九段 55歳 1976 △ 馬場滋 愛知 15歳 中 結城聡 九段 45歳 1984 △ 佐藤直男 兵庫 13歳 関 柳時熏 九段 45歳 1988 △ 大枝雄介 ソウル 17歳 山田規三生 九段 44歳 1989 △ 島村俊廣 大阪 17歳 西 河野臨 九段 36歳 1996 △ 小林光一 東京 16歳 坂井秀至 八段 43歳 2001 △ 佐藤直男 兵庫 28歳 関 村川大介 八段 26歳 2002 △ 森山直棋 兵庫 12歳 関 伊田篤史 八段 23歳 2009 △ 馬場滋 三重 16歳 中 茅野直彦 九段 79歳 1953 中村勇太郎 千葉 16歳 戸沢昭宣 九段 76歳 1956 木谷實 北海道 16歳 石井邦生 九段 75歳 1956 細川千仭 福岡 15歳 西 三王裕考 九段 76歳 1957 瀬越憲作 広島 17歳 小島高穂 九段 75歳 1959 横浜 17歳 石榑郁郎 九段 74歳 1960 木谷實 岐阜 18歳 高木祥一 九段 73歳 1962 中川新之 横浜 19歳 福井正明 九段 73歳 1962 岩本薫 東京 19歳 佐藤昌晴 九段 70歳 1964 木谷實 新潟 18歳 酒井猛 九段 69歳 1964 中岡二郎 東京 17歳 坂口隆三 九段 68歳 1965 藤田梧郎 京都 17歳 西 中村秀仁 九段 71歳 1966 長谷川章 山梨 21歳 宮沢吾朗 九段 67歳 1966 木谷實 北海道 17歳 馬場滋 九段 69歳 1967 酒井利雄 愛知 20歳 中 淡路修三 九段 67歳 1968 伊藤友恵 東京 19歳 上村陽生 九段 67歳 1971 坂田栄男 宮﨑 22歳 橋本雄二郎 九段 62歳 1971 大窪一玄 石川 17歳 新垣武 九段 60歳 1971 坂田栄男 沖縄 15歳 郡寿男 九段 60歳 1974 大阪 18歳 西 伊藤廣二 九段 58歳 1975 愛知 17歳 中 園田泰隆 九段 59歳 1976 木谷實 宮﨑 19歳 黄孟正 九段 58歳 1976 富田忠夫 台湾 18歳 神田英 九段 55歳 1977 安藤武夫 島根 16歳 鄭銘コウ 九段 53歳 1979 富田忠夫 台湾 16歳 石倉昇 九段 62歳 1980 神奈川 26歳 安田泰敏 九段 53歳 1980 大枝雄介 福岡 17歳 小県真樹 九段 52歳 1980 土田正光 岐阜 16歳 中 大矢浩一 九段 51歳 1980 小林光一 東京 15歳 後藤俊午 九段 50歳 1980 早瀬弘 兵庫 14歳 西 マイケル ・レドモンド 九段 53歳 1981 大枝雄介 アメリカ 18歳 宋光復 九段 53歳 1981 川本昇 東京 18歳 小松英樹 九段 50歳 1981 安永一 愛知 15歳 青木紳一 九段 51歳 1983 菊池康郎 神奈川 18歳 大淵盛人 九段 51歳 1983 大枝雄介 福岡 18歳 円田秀樹 九段 50歳 1983 辻井良太郎 佐賀 17歳 西 広江博之 九段 50歳 1983 広江勝彦 岐阜 17歳 中 今村善彰 九段 48歳 1983 島村俊廣 広島 15歳 石田篤司 九段 47歳 1984 山下順源 大阪 15歳 西 中小野田智己 九段 47歳 1984 安藤武夫 鹿児島 15歳 森田道博 九段 46歳 1984 福井正明 藤沢秀行 千葉 14歳 星野正樹 九段 50歳 1985 岡信光 千葉 18歳 中野寛也 九段 47歳 1985 島村俊廣 広島 16歳 中 場嘉源 九段 46歳 1985 大枝雄介 台湾 15歳 三村智保 九段 47歳 1986 藤沢秀行 福岡 17歳 大垣雄作 九段 46歳 1986 榊原章二 宮城 16歳 松岡秀樹 九段 49歳 1987 土田正光 愛知 19歳 中 加藤充志 九段 42歳 1990 菊池康郎 東京 16歳 仲邑信也 九段 43歳 1991 山下順源 大阪 18歳 西 秋山次郎 九段 39歳 1992 菊池康郎 東京 15歳 溝上知親 九段 39歳 1993 菊池泰郎 長崎 16歳 蘇耀国 九段 37歳 1994 敖立テイ 広東 15歳 石井新蔵 九段 74歳 1957 橋本宇太郎 奈良 15歳 関 大山国男 九段 72歳 1961 宮本直毅 福岡 17歳 関 本田邦久 九段 71歳 1961 橋本宇太郎 石川 16歳 関 牛窪義高 九段 69歳 1963 窪内秀知 高知 16歳 関 牛之浜撮雄 九段 69歳 1963 宮本直毅 鹿児島 16歳 関 遠藤隆博 九段 68歳 1965 小坂田幸次 京都 17歳 関 太田清道 九段 68歳 1965 高川格 関山利一 愛媛 17歳 関 森野節男 九段 66歳 1967 白石裕 鹿児島 13歳 関 苑田勇一 九段 65歳 1968 小川正治 大阪 17歳 関 山崎吉廣 九段 68歳 1968 白石裕 石川 20歳 関 本田満彦 九段 68歳 1969 鯛中新 長崎 21歳 関 川村和憲 九段 66歳 1971 窪内秀知 兵庫 21歳 関 村岡茂行 九段 61歳 1972 白石裕 高知 17歳 関 久保勝昭 九段 59歳 1972 窪内秀知 大阪 15歳 関 堀田陽三 九段 60歳 1973 窪内秀知 兵庫 17歳 関 長谷川直 九段 57歳 1973 関山利夫 京都 14歳 関 清成哲也 九段 55歳 1976 倉橋正蔵 宮崎 15歳 関 高原周二 九段 52歳 1979 橋本昌二 長崎 15歳 関 今村俊也 九段 51歳 1980 苑田勇一 奈良 15歳 関 湯川光久 九段 50歳 1980 家田隆二 大阪 14歳 関 滝口政季 九段 54歳 1981 東野弘昭 香川 19歳 関 森山直棋 九段 51歳 1981 橋本昌二 愛知 16歳 関 横田茂昭 九段 47歳 1983 赤木一夫 岡山 14歳 関 新垣朱武 九段 46歳 1985 太田清道 沖縄 15歳 関 倉橋正行 九段 44歳 1986 藤沢秀行 倉橋正蔵 大阪 24歳 関 陳嘉鋭 九段 62歳 1987 広東 33歳 関 山田規喜 九段 45歳 1987 本田邦久 福井 15歳 関 矢田直乙 九段 43歳 1988 白石裕 和歌山 15歳 関 関山利道 九段 43歳 1988 関山利夫 大阪 15歳 関 中野泰宏 九段 43歳 1992 森野節男 福岡 19歳 関 八段以下 棋士 段 位 年 齢 入 段 師匠 出 身 入段 年齢 所 属 杉内寿子 八段 90歳 1942 女流 江面雄一 八段 74歳 井上国夫 八段 69歳 奥村英夫 八段 68歳 中 梅木英 八段 尾越一郎 八段 土井誠 八段 62歳 小松藤夫 八段 57歳 吉岡薫 八段 57歳 中 佐々木正 八段 片山安雄 八段 52歳 中 藤澤一就 八段 52歳 1981 村松竜一 八段 54歳 小長井克 八段 53歳 恩田烈彦 八段 52歳 西村慶二 八段 49歳 岡田伸一郎 八段 50歳 星野正樹 八段 植木善大 八段 48歳 西 泉谷英雄 八段 47歳 大森泰志 八段 48歳 青木喜久代 八段 48歳 1986 女流 楊嘉栄 八段 45歳 酒井真樹 八段 48歳 佐坂志朗 八段 47歳 西 釼持丈 八段 47歳 井口豊秀 八段 45歳 有村比呂司 八段 44歳 中根直行 八段 44歳 中 高梨聖健 八段 45歳 1989 中尾準吾 八段 46歳 杉本明 八段 43歳 河野貴至 八段 42歳 矢中克典 八段 45歳 西 河野光樹 八段 43歳 下島陽平 八段 38歳 山田拓自 八段 37歳 潘善琪 八段 40歳 金秀俊 八段 38歳 1996 張豊猷 八段 35歳 1997 黄翊祖 八段 29歳 2002 鄭銘瑝 台北 15歳 宮川史彦 八段 45歳 1989 中 家田隆二 八段 関 楳田晴彦 八段 関 倉橋正蔵 八段 関 徳永汎久 八段 関 谷田治巳 八段 関 小田浩光 八段 関 吉田昇司 八段 関 斎藤正 八段 関 吉田美香 八段 1986 関 本田悟朗 八段 関 小西和子 八段 1989 関 古谷裕 八段 関 楠光子 七段 1956 女流 長原芳明 七段 泉谷政憲 七段 鄒海石 七段 笠井浩二 七段 谷口敏則 七段 山本正人 七段 金川正明 七段 小林健二 七段 大野伸行 七段 萩原睦 七段 梁川裕政 七段 西 円田陽一 七段 西 下地玄昭 七段 鄭銘琦 七段 前田良二 七段 高林正宏 七段 西 篠田三明 七段 中 山田和貴雄 七段 西 奥村靖 七段 中 大木啓司 七段 山田至宝 七段 西 鈴木伊佐男 七段 鶴丸敬一 七段 宮崎龍太郎 七段 佐野貴詔 七段 西 北野亮 八段 西 遠藤悦史 七段 水間俊文 七段 黒瀧正憲 七段 高橋秀夫 七段 田原靖史 七段 金澤秀男 七段 鈴木嘉倫 七段 武井孝志 七段 西 松本武久 七段 1997 高野英樹 七段 1998 孔令文 七段 鶴山淳志 七段 1999 首藤瞬 七段 望月研一 七段 林漢傑 七段 2000 三谷哲也 七段 2002 大場惇也 七段 安斎伸彰 七段 李沂修 七段 28歳 2004 潘善琪 台湾 16歳 大橋成哉 七段 26歳 2005 仲邑信也 大阪 15歳 西 内田修平 七段 27歳 2005 大淵盛人 山梨 16歳 志田達哉 七段 26歳 2006 福井 16歳 中 金沢真 七段 24歳 2007 藤沢秀行 神奈川 15歳 一力遼 七段 19歳 2010 宋光復 宮城 13歳 本木克弥 七段 21歳 2012 藤澤一就 群馬 17歳 平田智也 七段 23歳 2010 宋光復 広島 17歳 紙谷哲雄 七段 関 三川新次 七段 関 端山省三 七段 関 出雲哲也 七段 関 金野為人 七段 関 榊原正晃 七段 関 金秉民 七段 関 勝間史朗 七段 関 藤井秀哉 七段 1996 関 瀬戸大樹 七段 33歳 2000 17歳 関 余正麒 七段 21歳 2009 張呂祥 台湾 14歳 関 高見沢忠夫 六段 高林拓二 六段 明戸和巳 六段 小川誠子 六段 1970 女流 信田成仁 六段 平本弥星 六段 郭求真 六段 浜中隆光 六段 中 峯松正樹 六段 西 萩谷和宏 六段 玉城忍 六段 小山栄美 六段 1987 女流 小山竜吾 六段 菅野昌志 六段 岡田結美子 六段 1989 女流 加藤朋子 六段 1991 女流 桑本晋平 六段 西 松原大成 六段 矢代久美子 六段 女流 黒瀧正樹 六段 荒木一成 六段 西 久保秀夫 六段 小林泉美 六段 1995 女流 吉原由香里 六段 1996 女流 桑原陽子 六段 1996 女流 佐々木毅 六段 西 熊丰 六段 光永淳造 六段 1999 加藤啓子 六段 女流 加藤祐輝 六段 中 岩丸平 六段 西 山森忠直 六段 2000 中 川田晃平 六段 中 山田晋次 六段 鈴木歩 六段 2001 女流 大橋拓文 六段 但馬慎吾 六段 西 謝依旻 六段 27歳 2004 黄孟正 台湾 15歳 女流 白石勇一 六段 2005 山中章雄 六段 関 岡橋弘忠 六段 関 柏原康人 六段 関 高橋功 六段 関 石井資郎 六段 関 張呂祥 六段 関 芦田磯子 六段 1975 関 山内正樹 六段 関 角慎介 六段 関 林耕三 六段 関 八幡幸一 六段 関 榊原史子 六段 1989 関 藤原克也 六段 関 前田亮 六段 関 今井一宏 六段 関 河英一 六段 関 河合哲之 五段 河野征夫 五段 小林千寿 五段 1972 女流 叶井天平 五段 小山秀雄 五段 新海洋子 五段 1978 女流 佐藤文俊 五段 堀田誠司 五段 中 平野則一 五段 菊地義雄 五段 中澤彩子 五段 女流 佃亜紀子 五段 西 女流 河合将史 五段 桂篤 五段 タラヌ・カタリン 五段 中 王唯任 五段 山本賢太郎 五段 西 武宮陽光 五段 阪本寧生 五段 西 向井千瑛 五段 女流 鈴木伸二 五段 26歳 2008 岩田一 北海道 18歳 村松大樹 五段 28歳 2009 仲邑信也 大阪 20歳 西 知念かおり 五段 1993 女流 窪内秀明 五段 関 丸山豊治 五段 関 長崎裕二 五段 関 松村修 五段 関 影山敏之 五段 関 水野弘美 五段 関 鈴木敬施 五段 関 孫英世 五段 関 四段以下 棋士 段 位 年 齢 入 段 師匠 出 身 入段 年齢 所 属 田中智恵子 四段 西 女流 高群徹朗 四段 1979 中 小松英子 四段 桐本和夫 四段 1982 西 原幸子 四段 金艶 四段 富永武 四段 1992 稲垣陽 四段 1992 中 古田直義 四段 1993 西 青葉かおり 四段 巻幡多栄子 四段 大澤奈留美 四段 井澤秋乃 四段 金賢貞 四段 中 万波佳奈 四段 上田崇史 四段 2001 竹清勇 四段 2001 古家正大 四段 2003 西 安藤和繁 四段 2004 柳澤理志 四段 2005 中 玉井伸 四段 2005 田尻悠人 四段 2007 富士田明彦 四段 2007 寺山怜 四段 2008 大淵浩太郎 四段 24歳 2009 大淵盛人 神奈川 17歳 孫喆 四段 21歳 2011 萩原睦 神奈川 16歳 村岡美香 四段 関 白石京子 四段 関 李楊 四段 関 星川拓海 四段 関 久保田大 四段 関 畠中星信 四段 関 尚司和子 三段 中山薫 三段 菅野尚美 三段 水戸夕香里 三段 西 穂坂繭 三段 甲田明子 三段 村上晶英 三段 奥田あや 三段 万波奈穂 三段 堀本満成 三段 熊本秀生 三段 中 伊藤優詩 三段 安達利昌 三段 沼舘沙輝哉 三段 竹内康祐 三段 鶴田和志 三段 21歳 2010 吉岡薫 愛知 15歳 中 藤沢里菜 三段 18歳 2010 藤沢秀行 埼玉 12歳 許家元 三段 19歳 2013 高林拓二 台湾 16歳 佐藤彰 三段 関 荒木真子 三段 関 多冨佳絵 三段 関 小野幸治 三段 関 田村千明 三段 関 三根康弘 三段 関 金昞俊 三段 関 髙嶋武 三段 関 星川航洋 三段 関 井上直紀 三段 関 尹春浩 三段 関 古庄勝子 二段 谷宮絢子 二段 井上初枝 二段 佐藤真知子 二段 木谷好美 二段 西 中村邦子 二段 松本奈代子 二段 中 重野由紀 二段 中 一色識央 二段 上地宏樹 二段 中 武田祥典 二段 中 関達也 二段 大澤健朗 二段 中 小田鉄兵 二段 西 稲葉貴宇 二段 高木淳平 二段 西 高橋真澄 二段 中 吉川一 二段 西 常石隆志 二段 小松大樹 二段 西 風間隼 二段 菊地正敏 二段 中 大西研也 二段 田中伸幸 二段 西 藤村洋輔 二段 2013 姚智騰 二段 2013 小山空也 二段 20歳 2014 小山竜吾 神奈川 18歳 六浦雄太 二段 17歳 2014 羽根泰正 愛知 15歳 中 芝野虎丸 二段 17歳 2015 神奈川 16歳 浅野泰子 二段 中 古川坤鈺 二段 長島梢恵 二段 中島美絵子 二段 種村小百合 二段 西 三村芳織 二段 兆乾 二段 王景怡 二段 中 下坂美織 二段 伊藤加代子 二段 関 井上綾子 二段 関 星川愛生 二段 関 木和田一臣 二段 関 石井茜 二段 関 小野田拓弥 二段 関 洪清泉 二段 関 谷口徹 二段 関 佐田篤史 二段 関 吉田晴美 初段 卞聞愷 初段 2013 中 大谷直輝 初段 2014 西 外柳是聞 初段 2014 張瑞傑 初段 2014 宇谷俊太 初段 西 羽根しげ子 初段 中 富紅梅 初段 渋澤真知子 初段 宮本千春 初段 西 木部夏生 初段 星合志保 初段 2013 金子真季 初段 2014 國澤大斗 初段 関 飛田早紀 初段 関 橋本寛 初段 関 姜旼候 初段 関 渡辺貢規 初段 関 新井満涌 初段 関 阿部良希 初段 関 原正和 初段 関 内海晃希 初段 関 呉柏毅 初段 関 飯田純也 初段 関 髙嶋湧吾 初段 関 渡辺由宇 初段 関 西山静佳 初段 関 西健伸 初段 関 清成真央 初段 関 黎婷 初段 関 出口万里子 初段 関 佐藤洋平 初段 関 大熊悠人 初段 関 髙津昌昭 初段 関 佐藤優太 初段 関 中條ちひろ 初段 関 王景弘 初段 関 太田亮 初段 関 田口美星 初段 関 マイヤー・フランシス 初段 関 棋士 段 位 年 齢 入 段 師匠 出 身 所 属 引退棋士 東京本院 棋士 入段 師匠 石井衛 1952 細川千仭 谷宮悌二 1955 梶和為 小杉清 1957 小杉直楓 黒沢忠尚 1959 中村勇太郎 春山勇 1960 五十川正雄 木谷實 川本昇 1961 増淵辰子 福井進 1965 岩本薫 石田章 1966 福田正義 金島忠 1968 木谷實 時本壱 1968 宮下秀洋 梅木英 1969 岩本薫 岩田一 1970 尾越一郎 1976 木谷實 鳴沢泰一 1978 松本篤二 1941 木谷實 本間明男 白江治彦 1957 大窪一玄 小山鎮男 浅野英昭 1966 木谷實 鄒海石 小杉勝 本田幸子 1947 木谷實 安藤武夫 岡信光 趙祥衍 1963 木谷實 野口仁 1967 岩本薫 宮崎洋 吉田洋逸 額謙 1969 木谷實 大戸省三 1971 木谷實 等力博 関和也 鈴木津奈 白鳥澄子 酒井正則 近藤幸子 伊藤義夫 宮崎志摩子 1987 大枝雄介 久保本登美子 安東明雄 佐藤真知子 1972 木谷實 尾崎宏 宮下鈴枝 ジェームス ・カーウィン 1978 岩本薫 関西総本部 棋士 入段 師匠 橋本誼 1950 鍋島一郎 西上好彦 1960 細川千仭 辻井良太郎 天宅信雄 川村匡迪 細川千仭 松岡章 田中秀春 谷村義行 平野正明 細川千仭 前谷信吾 細川千仭 井手八百次郎 太田正人 谷村久仁子 中部総本部 棋士 入段 師匠 岩田達明 1943 木谷實 桑田泰明 1959 土田正光 1961 木谷實 西條雅孝 1964 酒井康雄 伊藤誠 1964 木谷實 森島薫 下平昭夫 酒井義允 酒井栄男 山下克久 池崎世典 奥村登 島村導弘 島村俊廣 西本欽哉 関西棋院 棋士 入段 師匠 東野弘昭九段 松浦日出夫八段 窪内秀知九段 中井喜三二段 森山玄之二段 近藤進二段 白石裕九段 吉田宅治八段 水谷守江三段 森川満夫七段 楳田晴彦九段 井上修作六段 窪内秀明六段 1963 窪内秀知 柏原康人七段 1958 鯛中新 宮本義久九段 1951 橋本宇太郎 物故棋士 日本棋院 棋士 入段 師匠 広江勝彦 1960 酒井利雄 鍋島昭 武田みさを 大窪一玄 1944 増淵辰子 松岡輝夫 呉清源 1929 瀬越憲作 岡谷三男 細川千仭 佐々木正 1980 坂田栄男 筒井勝美 1947 木谷實 酒牧幸典 吉田陽一 1953 細川千仭 岡光雄 鈴木政春 鈴木為次郎 神林春子 大山寿子 早瀬弘 1955 瀬川良雄 石橋千涛 益子富美彦 大枝雄介 尾崎春美 木谷實 小西泰三 山本豊 安藤俊行 横山国忠 1958 高橋俊光 大枝雄介 1954 前田陳爾 北村洋司 中山典之 梶原武雄 1937 関山利一 安倍吉輝 1960 榊原章二 1944 渡辺礼二 長谷川加与子 関根直久 森川正夫 久島国夫 1965 木谷實 水野一郎 横山孝一 浮田昌侑 1969 岩本薫 玉木昌治 長沼信 1950 瀬尾寿 上村邦夫 1962 木谷實 中岡二郎 1941 鹿間千代治 伊藤有 石毛嘉久夫 木谷實 道家昂 ハンス・ピーチ 1997 小林千寿 稲垣弘一 1953 酒井康雄 児玉国夫 瀬川良雄 1929 久保松勝喜代 大谷素弘 田亦聖 山下順源 1963 細川千仭 山崎祐男 関山利一 佐藤馨 木村嘉男 梶和為 1941 木谷實 久井敬史 1937 瀬越憲作 山部俊郎 1941 向井八段 石榑まき子 1972 木谷實 平光尚 加納嘉徳 1943 鈴木秀子 天野雅文 藤沢秀行 井口精治 桜本三郎 大平修三 1947 木谷實 小林誠一 鈴木為次郎 渡辺英夫 芦葉勝美 1942 木谷實 小林禮子 1956 木谷實 関西棋院 棋士 入段 師匠 深川牛次郎三段 山口賛石七段 岩田三郎五段 朝倉忠雄五段 石嶺真一六段 新村新一四段 沼田耕蔵五段 鈴木越雄八段 小坂田幸次八段 寺田健一五段 松浦吉洋九段 伊藤和照五段 桜井将也五段 鯛中新九段 関山利夫九段 1951 関山利一 余田一雄七段 刈谷啓八段 小松重雄四段 西沢克晃七段 水田羨博九段 藤木人見八段 小林将宏七段 岸本一男九段 赤木一夫八段 小川正治六段 亀山稔八段 飯野靖峯七段 小山靖男九段 柳内恵美子四段 小林正昌四段 武田賢子二段 長谷川広七段 田辺巖人五段 岡部洋明七段 佐藤直男九段 木下敬章六段 青柳英雄八段 伊神肇七段 濱田守哉七段 水野弘士九段 井上要九段 植村四郎七段 東野政治九段 大熊千久子四段 安田清七段 島田義邦六段 南善己九段 宮本直毅九段 横山達也五段 浅野時秀七段 星川信明九段 畑中喜見生三段 徳永汎久九段 1963 関山利一 赤木一夫 外部リンク 日本棋院の棋士 関西棋院の棋士 囲碁の棋戦 国際棋戦 個人戦 応昌期杯 春蘭杯 三星火災杯 LG杯 百霊愛透杯 Mlily夢百合杯 正官庄杯 穹窿山兵聖杯 ⇒囲碁世界タイトルの獲得者一覧 団体戦 農心杯 黄龍士双登杯 金竜城杯 華頂茶業杯 招商地産杯 国手山脈杯 ⇒ 国際団体棋戦の優勝国一覧 その他 テレビアジア選手権 利民杯世界囲碁星鋭最強戦 日本の棋戦 七大タイトル 棋聖戦 名人戦 本因坊戦 王座戦 天元戦 碁聖戦 十段戦 ⇒囲碁のタイトル在位者一覧 その他 新人王戦 阿含桐山杯 囲碁マスターズカップ 若鯉戦 ペア碁選手権 女流棋戦 女流本因坊戦 女流名人戦 女流棋聖戦 会津中央病院杯 ⇒囲碁の女流タイトル在位者一覧 地域棋戦 王冠戦 関西棋院第一位決定戦 産経プロアマ テレビ棋戦 NHK杯 竜星戦 韓国の棋戦 国手戦 名人戦 KBS杯 GSカルテックス杯 入神連勝最強戦 Let's Run PARK杯オープントーナメント 韓国囲碁リーグ ⇒韓国の囲碁タイトル在位者一覧 中国の棋戦 タイトル 名人戦 天元戦 棋聖戦 倡棋杯 衢州・爛柯杯 中信銀行杯 阿含桐山杯 リコー杯 威孚房開杯 竜星戦 全国個人 全国段位 甲級リーグ 乙級リーグ戦 丙級リーグ戦 ⇒中国の囲碁タイトル在位者一覧 条件戦 西南王 新人王 新秀戦 建橋杯 女子名人 女子新人王 百霊杯 台湾の棋戦 国手戦 天元戦 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コンピュータ囲碁 囲碁 Go board part.jpg ゲームの詳細 囲碁のルール 囲碁のハンデキャップ (互先 - 定先 - 置き碁) 囲碁の格言 囲碁用語 歴史と文化 囲碁の歴史 碁盤 - 碁石 囲碁の記録一覧 囲碁のタイトル在位者一覧 棋道賞 組織と棋士 国際囲碁連盟 日本棋院 関西棋院 中国棋院 韓国棋院 台湾棋院 全日本学生囲碁連盟 棋戦 棋士 日本の囲碁棋士一覧 コンピュータ コンピュータ囲碁 幽玄の間 AlphaGo対李世乭 表 話 編 歴 コンピュータ囲碁(コンピュータいご)とは。 人工知能研究の一分野で。 ボードゲームの囲碁を打てるコンピュータプログラムを作ることを目的とした試みのことを指す。 目次 1 概要 2 歴史 2.1 1970年代以前 2.2 1980年代 2.3 1990年代 2.4 2000年代 2.5 2010年代前半 2.5.1 第1回囲碁電王戦 2.6 2010年代後半 2.6.1 アルファ碁の動向 2.6.1.1 李世乭との対戦 2.6.1.2 バージョンアップ 2.6.2 アルファ碁以外の動向 2.6.2.1 第2回囲碁電王戦 2.6.2.2 ワールド碁チャンピオンシップ 3 コンピュータ碁の課題だった点 3.1 モンテカルロ碁の登場前 3.2 モンテカルロ碁の登場後 3.3 アルファ碁(AlphaGo)の登場 4 コンピュータ囲碁棋戦 5 囲碁プログラム 6 注釈 7 脚注 8 参考文献 9 関連項目 10 外部リンク 概要 本格的な研究が始まったのは1980年代以降であり。 台湾。 中国といった囲碁の盛んな国においても研究開発が行われている。 日本では。 2000年代前半。 日本棋院から段級位認定されたことを売りにするアプリケーションがあったが。 重要な場面での手抜きなどコンピュータ囲碁特有の弱点が有り実際には級上位レベルであった。 (アマ初段を認定されたアプリケーションに手談対局4。 最高峰3。 最強の囲碁2003。 銀星囲碁3がある)。 数十年の研究にもかかわらずアマチュア級位者の実力を脱することがなく。 これらのプログラムが人間の初段と互先で戦って勝つのはほぼ不可能という評価をされてきた。 しかし。 2000年代後半に入ってモンテカルロ法を導入することにより。 アマチュア段位者のレベルに向上したとされた。 2012年にはプロ相手の公開対局で4子局で勝てるようになり。 アマチュア6段程度の棋力があると認定されるにいたった。 2014年。 AI将棋の思考エンジン「YSS」の開発者で。 コンピュータ囲碁プログラム「彩」の開発者でもある山下宏は。 プログラムの棋力はアマチュア県代表レベルであり。 98%のアマチュアは勝つことができず。 プロとは4子の手合(将棋の飛香落ちに相当)で。 コンピュータ将棋に比べると10年遅れている感じだと述べた。 2012年から2015年にかけて。 プロ棋士相手の公開対局においては4子を超える手合で勝つことがなく。 棋力の伸びが停滞していると考えられていたが。 Google傘下の英国・Deepmind社が開発した人工知能コンピュータソフト「AlphaGo(アルファ碁)」が。 2015年10月に樊麾(英語版)(フランス)との対局で。 史上初となるプロ棋士相手の互先での勝利を収めると。 翌2016年3月には世界トップクラスのプロ棋士である李世乭(韓国)との五番碁にも勝利し。 人類のトップクラスに一気に並び追い越した。 歴史 1960年代 … 38級程度 1970年代 … 15級程度 2000年代後半 … アマ三 - 四段程度 2010年代前半 … アマ四 - 六段程度 2016年〜 …プロ最強レベルと互角以上 1970年代以前 コンピュータ囲碁の研究はアメリカで始まった(1962年Remusによるコンピュータ囲碁の論文「囲碁の好手。 悪手に関する研究」)。 最初に19路盤で動作するプログラムを書いたのは1969年のアメリカのZobristで。 この時の棋力は38級程度(囲碁のルールを覚えた程度の棋力)であった。 70年代に入って。 置かれた石の周辺に発生する影響力を関数として扱う手法や。 石の生死を判定するアルゴリズムなどが生まれた。 1979年には。 攻撃と防御の基本的戦略と。 完全につながった石を「連」。 つながってはいないがひと塊の石として認識できる石の集まりを「群」として扱う階層パターンを持った囲碁プログラムInterim.2が15級程度の棋力を発揮した。 1980年代 1984年に。 初めてのコンピュータ囲碁大会USENIXが開催される。 翌1985年。 台湾の応昌期が設立したING杯(1985-2000)は2000年までに互先で人間の名人に勝てば4000万台湾ドル(約1億4千万円)の賞金を出したことで有名になった。 80年代のソフトでは。 アメリカの「Nemesis」「Go Intellect」。 台湾の「Dragon」。 オランダの「Goliath」などが有力で。 日本の第五世代コンピュータでも人工知能応用ソフトとして「碁世代」が開発された。 また。 この頃から。 商用囲碁ソフトが販売されるようになった。 1990年代 90年代になると中国の「Handtalk」。 「Silver Igo」などがアマチュアの級位者上級並みの棋力に到達した。 また。 日本での大会としては。 FOST杯(1995-1999)。 世界コンピュータ囲碁大会 岐阜チャレンジ(2003-2006)などが開催された。 初期のコンピュータ囲碁のアルゴリズムは。 人間の思考に近い手法を採用していた。 まず。 石の繋がり・地の大きさ・石の強さ(目の有無)などからある局面の状況を評価する静的評価関数をつくる。 次に。 評価関数の結果を元に石の活きを目指す・相手の石を殺す・勢力を拡大するなどさまざまな目的の候補着手を導く。 もしくは。 定石・布石・手筋などのデータベースを参照する知識ベースの手法により候補となる着手を作成する。 各着手についてその後。 数手進めた局面を評価関数によって評価する(ゲーム木探索)。 到達局面での評価を元にミニマックス法により互いの対局者が最善手を選択した場合の現局面における各候補着手の優劣の評価を行い着手を決定する。 その際。 アルファベータ法を採用し。 有望ではない着手の先読みを途中で打ち切り。 有望な手を深く読む工夫を施した。 1993年。 ランダムな候補手で終局まで対局をシミュレーションし(プレイアウトという)。 その中で最も勝率の高い着手を選ぶというモンテカルロ法を応用したアルゴリズムを持つ囲碁プログラムが登場した。 当初は。 コンピュータの性能が低かったことと。 単純にランダムな着手によってプレイアウトを行ったため従来の手法を持ったプログラムより弱かった(原始モンテカルロ碁)。 2000年代 2000年代後半になって。 ゲーム木探索とモンテカルロ法を融合し。 勝率の高い着手により多くのプレイアウトを割り当てプレイアウト回数が基準値を超えたら一手進んだ局面でプレイアウトを行う「モンテカルロ木探索」を実装した囲碁プログラム「Crazy Stone」が登場し。 パソコンの計算能力の向上もあいまって格段の棋力向上を果たした。 2006年。 「Crazy Stone」が第11回コンピュータオリンピアードの9路碁部門で優勝すると。 急速にその手法が広がり他の多くのソフトウェアも同様のアルゴリズムを採用した。 2007年に開催された第1回UEC杯コンピュータ囲碁大会で優勝した「Crazy Stone」(2011年から『最強の囲碁』として市販)は。 エキシビジョンマッチでプロ棋士の青葉かおり四段(以下。 段位・称号は対局当時のもの)との8子局に勝った。 翌2008年第2回大会優勝時には青葉との7子局で勝ち。 同年8月には情報処理学会のイベント「第7回情報科学技術フォーラム」でトッププロの王銘琬九段と対局し。 19路盤の8子局で中押し勝ち。 9路盤の黒番互先で1目勝ちをおさめた。 王はこの対局を振り返って。 「十九路盤の棋力を判定するならアマ三段ぐらいだが。 まだ底知れない力を秘めている」「プロレベルまで。 十年以内で来るのではないか」と評価している。 また。 2008年3月には。 パリ囲碁トーナメントのエキシビジョンで。 モンテカルロ碁の「MoGo」がタラヌ・カタリン五段と対戦し19路盤では9子のハンデをもらって敗れたが。 ハンデなしの9路盤で3局対戦し1局に勝利した。 2009年8月には。 同年5月に開催された「第14回コンピュータオリンピアード」の優勝プログラム「Zen」(『天頂の囲碁』として市販)が。 王銘琬から9路盤黒番コミ2目半で勝利した。 Zenも実力をアマチュア三 - 四段と評価されており。 王は「従来の囲碁ソフトは読み切れる局面で力を発揮したが。 このソフトは読み切れないような難しい局面において力を発揮する」と評価した。 2010年代前半 2010年10月には。 第15回コンピュータオリンピアードの優勝プログラムである台湾の『ERICA』と藤沢里菜初段の対局が6子局で打たれ。 結果は藤沢の中押し勝ちとなった。 ERICAは序盤に悪手を連発したものの。 中盤からは独特の手を打ち。 藤沢は「最初は順調だったが。 途中から定石にない手を時々打たれて難しくなった」と対局を振り返った。 2011年12月には。 第5回UEC杯コンピュータ囲碁大会のエキシビションとして。 優勝した「Zen」と鄭銘瑝九段。 準優勝の「ERICA」と小林千寿五段の対局が持ち時間30分の6子局で打たれ。 ERICAは敗れたがZenは中押し勝ちした。 鄭はZenについて「アマチュア四段以上はある」とその実力を評価した。 2012年2月25日には。 ライブストリーミングサイト「ニコニコ生放送」の企画で。 Zenと二十四世本因坊秀芳(石田芳夫九段)の13路盤対局が。 Zenの黒番コミなしで打たれ。 結果は石田の中押し勝ちとなった。 石田はZenの実力について。 19路盤なら5子差程度ではないかと語った。 2012年3月17日には。 電気通信大学のイベントで。 Zenと大橋拓文五段との9路盤対局。 同じくZenと武宮正樹九段との19路盤対局が行われた。 大橋との対局は持ち時間20分。 コミ7目で黒と白を入れ替えての2局打たれ。 ZENの黒番では大橋の中押し勝ち。 白番ではZenの5目勝ちとなった。 武宮との対局は持ち時間30分。 一局目が5子局。 2局目が1局目の結果を受けての一番手直りで打たれ。 1局目はZenの11目勝ち。 4子局となった2局目はZenの20目勝ちとなった。 2012年11月25日には。 電気通信大学のイベントで。 Zenと蘇耀国八段。 大橋拓文五段。 一力遼二段の3名が9路盤で対局した。 対局はプロ一人がそれぞれ黒と白を1局ずつ持って計6局。 黒番コミ7目の持碁有りで打たれ。 プロの6戦6勝となった。 盤面の小さな9路盤はコンピュータに有利な舞台ではあったが。 プロ側は事前研究を重ね。 また。 一力が劣勢から逆転した第1局の勝利からもヒントを得て全勝を果たした。 2013年からは「電聖戦」が開催されることとなった。 これはその年のUEC杯コンピュータ囲碁大会で決勝に進んだ2つのプログラムが。 日本棋院のプロ棋士とハンデ付きで戦うというものである。 第1回大会では石田芳夫が4子局で戦い。 Zenには中押し勝ちしたもののCrazy Stoneには3目負けした。 石田はCrazy Stoneを「アマ六段くらいの力は十分ある。 ただ。 プロレベルにはまだまだ」と評した。 大会実行委員長の伊藤毅志は「プロレベルになるのは約10年後」と語った。 第1回囲碁電王戦 2014年2月11日には。 コンピュータ将棋と人間が対局する棋戦「将棋電王戦」を主催するドワンゴが。 囲碁版となる「囲碁電王戦」を電気通信大学の後援で開催した。 第1回はエキシビジョン的な要素が強く。 本格的なものではなかった。 張豊猷八段と平田智也三段がZenを相手に9路盤でそれぞれ黒と白を1局ずつ持ち。 合計4局が互先先番コミ6目半。 持ち時間20分・秒読み30秒で打たれ。 人間側の4戦4勝となった。 Zenの開発者である加藤英樹は「プロ棋士にもミスがあったが。 チャンスを生かすことができなかった。 これまではコンピューターが打つ手の意外性で人間と戦ってきたが。 研究を重ねられて通用しなくなってきたようだ。 ソフトに改良を加え。 来年こそは勝ちたい」と語り。 張は「コンピューターの打ち方を学んでいたからこそ勝てたが。 小さい碁盤ではプロとコンピューターは。 ほとんど互角だと思う」と感想を話した。 また。 第1回電王戦では世界アマチュア囲碁選手権戦 日本代表決定戦連覇の実績を持つ江村棋弘とZenの13路盤対決。 政界きっての打ち手とされる小沢一郎アマ6段とZenの19路盤対決も行われており。 13路盤対決は白黒を入れ替えて2局行われたがいずれも江村の勝利。 1局のみ行われた19路盤対決ではZenの勝利となっている。 Zen開発チームの代表・加藤英樹は「小沢さんとの一戦では。 厳しい手を選ぶことが多いZenが(人間のように)囲い合っていたのは新たな発見。 19路でプロと互角に戦うのは大変だが。 9路では10年程度で追いつきたい」と話した。 同年7月26日。 ニコニコ囲碁サークルにおいて。 小沢一郎同様政界の強豪である与謝野馨アマ7段とZenの対局が行われ。 Zenが勝利している。 2014年3月の第2回電聖戦では。 依田紀基九段がCrazy Stone(UEC杯準優勝)。 Zen(UEC杯優勝)と向4子局(下手半目コミ出し)を打ち。 Crazy Stoneに2目半負。 Zenに中押し勝ちと。 第1回とほぼ同じ結果に終わった。 2014年12月の時点ではコンピュータが人に勝つのは10年後になるのではと予想されていた。 2015年1月には世界最強銀星囲碁15と井山裕太名人が向4子局を2局打ち。 井山が2勝した。 PCのスペックはCPU: Core i7-5960X 8コア 3.0GHz メモリ: 16GB。 第1局は白30目勝ち。 第2局は白1目勝ちだった。 2015年3月の第3回電聖戦では25世本因坊治勲(趙治勲マスターズ)がCrazy Stone(UEC杯優勝)と向3子局。 Dolbaram(UEC杯準優勝)と向4子局を打ち。 Crazy Stoneに中押し勝ち。 dolbaramに中押し負けした。 2015年5月には。 人工知能学会全国大会において下坂美織二段がZenと3子局を打ち。 下坂が中押し勝ちした。 2015年11月に行われたミリンバレー杯世界コンピューター囲碁トーナメントではDolBaramが優勝し。 エキシビションマッチで中国棋院所属棋士の連笑七段(中国名人)がDolBaramと向4子局からの一番手直り3番勝負を行うことになった。 結果は連笑が4子でDolBaramに中押し勝ち。 5子でDolBaramに中押し勝ち。 6子でDolBaramに中押し負けであった。 2010年代後半 アルファ碁の動向 2016年1月28日。 Googleの完全子会社であるイギリスのGoogle DeepMind社が開発した。 ディープラーニングの技術を用いた人工知能(AI)のコンピュータソフト「アルファ碁(AlphaGo)」が。 2013年から2015年まで欧州囲碁選手権を3連覇した樊麾二段と対局し。 5戦全勝したことに基づく研究論文がイギリスの科学雑誌ネイチャーに掲載された。 囲碁界でコンピュータがプロ棋士に互先で勝利を収めたのは史上初である。 対局は2015年10月5日から10月9日にかけて。 互先コミ7目半の中国ルール。 持ち時間60分で切れたら1手30秒。 ただし30秒単位で合計3回の考慮時間の条件で5局打たれ。 1局目で白番のアルファ碁が2目半勝ちした後はいずれもアルファ碁が中押し勝ちした。 またこの論文では。 アルファ碁と市販版のCrazyStoneやZenなど5種の既存のソフトウェアが1手5秒の条件で対局し。 495戦して494勝の成績を上げたこと。 およびCrazyStone。 Zen。 Pachiの3ソフトに4子のハンデを与えてそれぞれに77%。 86%。 99%の勝率を上げたことを報告した。 ソフト同士の対局を行ったアルファ碁のハードウェアはCPU48。 GPU8の構成であるが。 開発チームはCPU1202。 GPU176からなる分散コンピューティングでもアルファ碁を稼働しており。 こちらは前者に対して勝率77%を上げ。 プロ五段の実力があると推定しており。 樊麾に対して勝利したのはこの分散コンピューティングによるものである。 李世乭との対戦 詳細は「AlphaGo対李世ドル」を参照 論文公開と同時にGoogleは。 2016年3月にアルファ碁が韓国の第一人者である李世乭九段と五番碁を打つことを発表した。 2016年2月22日にソウルで行われた記者会見において五番碁の詳細が公表され。 対局は3月9日から15日までの1週間のうち5日間に1日1局ずつ。 どちらかが先に3勝しても必ず第5局まで打たれ。 持ち時間はチェスクロックを使用しての双方2時間で切れたら1手1分。 ただし1分単位で合計3回の考慮時間があり途中休憩はなし。 コミ7目半の中国ルールで打たれる。 Googleが李に支払う金額は。 対局料として15万米ドル。 五番碁に3勝して勝利した際の賞金が100万米ドル。 それとは別に1局勝つごとにボーナスが2万米ドル(支払いは1米ドル=1100韓国ウォンの固定レートで行われる)。 アルファ碁が五番碁に勝利した際は100万米ドルをUNICEF。 STEM教育(Science=科学。 Technology=技術。 Engineering=工学。 Mathematics=数学)および囲碁関連慈善団体に寄付するとされた。 対局はアルファ碁が先に3勝をあげ。 通算成績4勝1敗で勝利した。 バージョンアップ 2016年から2017年の年末年始にかけて。 インターネット対局場の東洋囲碁。 野狐囲碁に「magister」「master」と名乗るアカウントが登場し。 柯潔。 朴廷桓。 井山裕太ら全てトップレベルのプロ棋士と推定される相手に1手60秒未満の早碁で60戦全勝の結果を残し話題となった。 2017年1月4日にDeepMindのCEOであるデミス・ハサビスは自身のTwitterアカウントで。 この2つのアカウントはバージョンアップしたアルファ碁の非公式テストを行ったものであったことを明かし。 対局した棋士への謝辞を述べるとともに。 2017年中に長時間によるプロ棋士との公式の対局の予定があることを発表した。 アルファ碁以外の動向 2016年2月には。 Zenと伊田篤史十段が4子局を打ち。 Zenが中押し勝ちした。 2016年3月1日には。 ドワンゴが東京大学と日本棋院の協力を得て。 世界最強の囲碁AIを目指す「DeepZenGoプロジェクト」の発足を発表した。 Zenの開発者である尾島陽児と加藤英樹を中心に。 ディープラーニングを専門とする東京大学の松尾豊研究室が参加し。 ドワンゴは自らの有するディープラーニング専用GPUサーバファームを提供し。 半年から1年でアルファ碁に対抗しうるコンピュータ囲碁の開発を目指す。 記者会見に出席した加藤は。 現段階でZenはアルファ碁に対して勝率は3から4%と推定されるが。 両者の差は開発環境におけるハードウェアの物量と性能差によるところが大きいとし。 アルファ碁に匹敵する環境を得られれば1年で追いつき追い越すことも可能であると述べた(以下。 本プロジェクトに関与するZenを特に「DeepZenGo」と記載するが。 引用元の発言で単にZenと語られている場合はそのまま記載する)。 2016年3月の第4回電聖戦では。 小林光一名誉棋聖がZen(UEC杯優勝)。 darkforest(UEC杯準優勝)と向3子局を打ち。 Zenに4目半負け。 darkforestに中押し勝ちした。 Zenはアルファ碁以外のコンピュータ囲碁として初めて公開の場で3子局でプロ棋士に勝利した。 2016年6月7日には。 第30回人工知能学会全国大会のイベントとしてZenと武宮陽光六段の2子局が打たれ。 Zenが9目半勝ちした。 Zenはアルファ碁以外のコンピュータ囲碁として初めて公開の場で2子局でプロ棋士に勝利した。 2016年1月に日本棋院は「第1回13路盤プロアマトーナメント戦」を開催し。 アマチュア予選にコンピュータ囲碁ソフトが参加可能であること発表した。 同年6月に開催されたアマチュア・コンピュータ代表決定トーナメントでは。 同年UEC杯優勝のZen。 4位のAya。 6位のCGI。 7位のRayの4ソフトが参加しアマチュア選手と本戦進出を争ったが。 予選通過に5連勝が必要な中。 Zenが3勝。 その他3ソフトが1勝するにとどまり。 予選通過はならなかった。 2016年11月23日には。 「寝屋川囲碁将棋まつり」でZenが河英一六段と互先で対局し。 Zenが中押し勝ちした。 発足当初の発表通りに最後となることが発表されていた2017年3月の第5回電聖戦では。 一力遼七段がFine Art(絶芸)(UEC杯優勝)。 DeepZenGo(UEC杯準優勝)と互先で打ち。 二局ともコンピュータ囲碁が中押し勝ちした。 コンピュータ囲碁は初めて電聖戦でプロ棋士に連勝した。 第2回囲碁電王戦 2016年11月9日にドワンゴはZen開発者の加藤。 東大松尾研。 日本棋院と共同で「DeepZenGoプロジェクト」の中間報告を行い。 同年9月段階におけるDeepZenGoが。 2015年10月にアルファ碁が樊麾に勝った時と同程度の棋力に向上したと推定されることを発表した。 これを受けて同時にドワンゴは第2回囲碁電王戦を開催し。 DeepZenGoと趙治勲名誉名人が11月19日から23日にかけて三番碁を打つことを発表した。 三番碁は互先で日本ルールのコミ6目半。 持ち時間はチェスクロックを使用した2時間で切れたら1手1分。 ただし1分単位で合計3回の考慮時間があり。 途中でどちらかが先に2勝を上げても必ず第3局まで打たれる条件で行われる。 対局におけるDeepZenGoのハードウェアスペックはCPU: Xeon E5-2699v4×2(44コア。 2.2GHz)。 GPU: TITAN X(Pascal世代)×4であり。 ソフトウェアとハードウェアの趙への貸与は行われない。 11月19日に打たれた第1局は223手で黒番趙の中押し勝ち。 序・中盤ではDeepZenGoが趙をリードし。 対局中には立会人の張栩九段が「ここまではボクより強い打ち方をしているのでは。 基本がしっかりしている」と評価し。 趙も対局後「布石がめちゃくちゃ強い。 まだ展開が予想できない序盤での想像力の高さに人工知能の強さを感じた」と振り返った。 しかし終盤のヨセでDeepZenGoに疑問手が出ると趙が正確な着手で逆転した。 11月20日の第2局は179手で黒番DeepZenGoが中押し勝ち。 DeepZenGoはアルファ碁以外のコンピュータ囲碁として初めて公開の場で互先でプロ棋士に勝利した。 DeepZenGoは第1局同様に序盤でリードを築くと最後は趙の大石を殺して勝利を確定させた。 開発者の加藤は「感無量です。 (持ち時間を1時間近く残して負けた)第1局より一手の考慮時間を1.6倍増やした。 最終局に向けてさらに改良を加えていきたい」と語り。 趙は「強すぎますね。 人間が気がつかない手を打つ。 ソフトが出たら勉強したい」と振り返った。 11月23日の第3局は167手で黒番の趙が中押し勝ちし。 2勝1敗で三番碁の勝ち越しを決めた。 模様を張るDeepZenGoに対して趙が実利を稼いで凌ぐ展開となったが。 ヨセに入った段階でDeepZenGoが形勢を過大評価していることを悟った開発者の加藤が投了を判断した。 3局全体を振り返って趙は「強かった。 日本にきて55年間囲碁の勉強をしているけど。 今までの積み重ねは何だったろうというくらい。 序盤の感覚は違った。 3月にZenの碁を見てから半年でボクは退化したけど。 その間にZenはすごく成長した。 半年後に対局したら負けちゃうかもしれないけど。 恥ずかしいとも。 悔しいとも思わない。 AIが強くなったら。 それを使って勉強して。 互いに強くなっていったらいいんですよ。 ここまで強くなってくれて感謝の気持ちしかありません」と語り。 加藤は「負けたほうが得るものが多い。 どこを直せば強くなるのか方向が見えてきたので。 得るものが多い対局だった」と総括した。 ワールド碁チャンピオンシップ 2016年11月29日に日本棋院は。 新国際棋戦「ワールド碁チャンピオンシップ」を2017年3月21日から23日に大阪で開催することを発表した。 日本・中国・韓国のプロ棋士代表とコンピュータ囲碁の4者が総当たり戦で争う。 日本ルールのコミ6目半で持ち時間は3時間。 賞金は優勝3000万円。 準優勝1000万円。 3.4位500万円。 日本代表として井山裕太九段(発表当時六冠)。 コンピュータ囲碁はDeepZenGoの出場が同時に発表され。 中国代表は芈昱廷九段。 韓国代表は朴廷桓九段が出場する。 日本棋院はアルファ碁にも出場を打診したが。 スケジュールの都合で不参加となった。 3月21日の芈昱廷九段 - DeepZenGo戦は283手で芈が黒番中押し勝ち。 22日の朴廷桓九段 - DeepZenGo戦は347手で朴が黒番中押し勝ち。 23日の井山裕太九段 - DeepZenGo戦は235手でDeepZenGoが黒番中押し勝ちし。 DeepZenGoは1勝2敗の3位に終わった。 コンピュータ碁の課題だった点 モンテカルロ碁の登場前 評価関数が作りづらいこと チェスや将棋では。 それぞれの駒の価値が異なるため。 駒の交換による損得を評価することができる。 また。 王将・キングというターゲットがはっきりしているため。 王将・キングの守りが薄いか堅いかを評価するなど比較的有効な評価関数を作ることが可能である。 しかし。 囲碁では。 石自体に軽重がなく。 置かれた場所や形により要石になったりカス石になったりする。 そのため。 チェスや将棋のように。 有効な評価関数を作ることはできなかった。 オセロでは。 隅を取ることが非常に重要である。 そのため。 隅を占めることを高く評価する評価関数が有効である。 しかし。 囲碁では。 同じ盤上の地点であっても。 状況によってその価値が大きく異なることが多く。 ここを占めれば明らかに有利という評価が難しい。 感覚的な部分が多いこと 将棋に比べ。 囲碁は最善手と次善手の差が少ない。 また。 理詰めで着手を導きやすい将棋と比較して。 感覚的な部分が多分にあることも。 コンピュータプログラム(アルゴリズム)との親和性が低い一因である。 データベースが膨大であること 将棋・チェス・オセロの定跡と囲碁の定石では。 終局までの手数に占める定石・定跡の手数の割合が将棋・チェス・オセロのほうが高く。 勝敗に対する影響度も定石に比べ定跡のほうが高い。 そのため。 データベースの充実による棋力上昇は。 将棋・チェス・オセロのほうが効果的である。 オセロと囲碁は。 終局に向かうにつれて。 着手可能点が減り。 最終的には読みきり可能な点で等しい。 しかし。 オセロの場合は。 定石が終わり終局まで読みきれる終盤に至るまでの間(中盤)が囲碁と比べ圧倒的に短い。 盤面が広いこと 将棋・チェス・オセロ・囲碁の盤面の広さは。 囲碁が一番広く。 しらみつぶしに着手を評価する場合も囲碁が一番困難である。 このような理由により。 悲観的な見方では21世紀中に名人に勝てるコンピュータソフトは現れないだろうと言われていた。 限られた範囲内の死活を問う詰碁ではしらみつぶしに着手を探ることでプロ級の評価が挙がるプログラムはあったが。 実戦の死活は詰碁になっている部分から石が長く連なっている場合も多く。 その先で一眼できる可能性があったり。 他の生きた石と連絡が残っている場合がある。 更に。 仮に石が死ぬケースであってもフリカワリでそれに代わる利得がある場合などもあり。 しらみつぶしに調べるには手数が膨大で不可能である。 このため。 あらゆる手を読まなければならない複雑な中盤になると。 途端に弱くなる。 特に厚みをどう評価するかは人間のプロにも非常な難題であり。 これをプログラムに組み込むことはきわめて難しかった。 モンテカルロ碁の登場後 一方。 囲碁は将棋などに比べて最善手と次善手。 三番手の差が小さく一本道の攻防が少ないという特徴から。 ランダムなプレイを多数回行って勝率を調べることで形勢を評価することが可能である。 したがって。 その性質を利用したモンテカルロ碁の登場により。 2009年にはこの段階でアマチュアの最上位者やプロ目前の奨励会員三段と同等の棋力と評価されていたコンピュータ将棋よりも先に。 プロ最上位者に勝つのではないかとする見解も現れた。 また。 モンテカルロ碁では。 従来の評価関数を用いるアルゴリズムに比べて。 ソフト開発者の棋力がそれほど必要ない そのため。 研究者の裾野の広がりが期待できるとされた。 モンテカルロ碁は。 終局までをシミュレーションし。 勝率の高い着手を選択する。 したがって。 計算力が棋力に大きな影響を与える。 このことから。 プレイステーション3を8台使用するソフト「不動碁」が現れるなど。 計算機の廉価化も棋力向上の要素となっている。 また。 アルゴリズムの改良により。 木探索の効率化も図られている。 具体的には。 石の配置などから良さそうな手を判断し。 優先的もしくは限定的にプレイアウトを行う方法。 終局図に至る手順を考慮せずすべての着手を1手目とみなすことにより1回のプレイアウトで数十倍のプレイアウト結果を得たと仮定してプレイアウト回数を稼ぐ方法などがある。 モンテカルロ碁の弱点として。 死活やシチョウなど「正解手順はたった一つでかつ長手順だが。 正解手順とそれ以外の手順に極めて大きな結果の差が生じるような」手順を見つけにくい点がある。 単純なランダム着手によるプレイアウトでは弱いが。 着手点を絞るためには手の評価を行わねばならず。 正確な評価をしようとするほど。 リソースを消費し。 プレイアウトの数を減らさざるを得ないという矛盾が生じる。 このため。 パターンの少ない小碁盤であるほど。 一般にその棋力は向上する。 他方で。 目算が苦手であるなどの問題点も明らかとなっている。 こうした問題点は将棋ソフトがプロ棋士を次々と下している(将棋電王戦に関する記述を参照)中で。 19路盤はおろか13路盤でもアマの日本代表クラスに歯が立たないなど。 囲碁における棋士の優位はしばらくの間揺るがなかった。 このため。 モンテカルロ法も限界に近付いており。 新手法の発見がなければプロ棋士の優位を揺るがすのは難しいとする開発者サイドの見方もあった。 その後。 着手を絞る方法をいかに簡素で効果的にするか。 もしくは。 プレイアウトの数を稼ぎいかに有効な手に深くモンテカルロ木探索を延ばすかというアプローチで。 モンテカルロ碁の研究が進んでいた。 アルファ碁(AlphaGo)の登場 「AlphaGo」および「AlphaGo対李世ドル」を参照 2015年10月に非公開で行われていた対局でGoogleが開発したコンピュータソフト「アルファ碁(AlphaGo)」が。 欧州のプロ棋士であるファン・フイ(中国ではプロ二段)と対戦し。 5戦全勝していたことが2016年1月28日に各報道機関を通して伝えられた。 アルファ碁はモンテカルロ木探索にディープニューラルネットワークを組み合わせており。 自ら対局を繰り返して試行錯誤し強化学習を行った。 その結果。 アルファ碁は他の市販ソフトに500局中499局で勝利を収めるほどの実力に達し。 他のソフトがトッププロ棋士に3子置いても勝つのが難しいという状況から驚異的なブレイクスルーを果たすこととなった。 コンピュータ囲碁棋戦 コンピュータオリンピアード(囲碁部門は1989年より開催) UEC杯コンピュータ囲碁大会(2007年 - ) CGFオープン(2001年 - ) 世界コンピュータ囲碁大会 岐阜チャレンジ(2003 - 2006年) ING杯(1985 - 2000年) FOST杯(1995-1999) KGSコンピュータ囲碁トーナメント 21世紀杯 天宇杯 SG杯 European Go Congress FJK2000 コンピュータ囲碁大会 囲碁プログラム Crazy Stone 最強の囲碁(2011年 - ) Zen 天頂の囲碁 KCC Igo(Korea Computer Center) 世界最強 銀星囲碁 ファミリー囲碁 バリュー囲碁 おやじの挑戦 囲碁の奥義 Go++(Go4++) 最強の囲碁(- 2010年) The Many Faces of Go AI囲碁 igowin Goemate(HandTalk) 手談対局 最強囲碁伝説 ハンドトーク HARUKA 対局囲碁 最高峰 囲碁一番 Wulu 囲碁皇帝 烏鷺 Katsunari(勝也) やさしい囲碁指導対局 若葉 至高の囲碁 永聖 お気軽囲碁対局 囲碁世界 達観の囲碁 囲碁大全 初段くん Aya(彩) 囲碁世界V 剛腕王 孟帝 囲碁大全コンプリート MASAYAN 囲碁初段 Go Intellect 平成棋院 道策 囲碁塾 Goliath 対局囲碁 ゴライアス GREAT 5 GNU Go MoGo Erica Fuego Fungo Martha GORO caren(カレンのささやき) Leela Steenvreter 不動碁(GGGo。 GGMCGo) 思考錯碁 Yogo Smart Go GoLois Indigo Explorer NeuroGo Go Star Topgoer GMS Northan Star(Polar Star) GoAhead Dariush Star of Poland Jimmy 碁世代(GO Generation) EGO(Nemesis) AlphaGo DeepZenGo(Zenを基礎としている) 注釈 ^ 盤面状態の種類は。 オセロで10の28乗。 チェスで10の50乗。 将棋で10の71乗と見積もられるのに対し。 囲碁では10の160乗と見積もられる。 また。 ゲーム木の複雑性は。 オセロで10の58乗。 チェスで10の123乗。 将棋で10の226乗と見積もられるのに対し。 囲碁では10の400乗と見積もられている。 ただし。 9路盤の囲碁はチェスほど複雑ではない。 ^ 将棋のBonanzaなどの例外はあるが。 通常は戦法などについての知識が必要となる。 脚注 ^ 山下宏 (2014年6月22日). “コンピュータ囲碁の仕組み 将棋との違いの資料” (ppt). YSSと彩 ^ 人工知能概論 ^ 「メイエン事件簿」第30回 かんぱいモンテカルロ 2008年9月8日 ^ 囲碁ソフト『天頂の囲碁』とプロ棋士の王九段が公開対局 マイコミジャーナル2009年8月11日 ^ 囲碁ソフトと藤沢初段が対戦-金沢でコンピューターチェス世界選手権 金沢経済新聞 2010年10月6日 2011年5月12日閲覧 ^ Zen。 日本勢初優勝 UEC杯コンピュータ囲碁 朝日新聞2011年12月13日 2011年12月25日閲覧 ^ 囲碁コンピューターvs人間コンピューター ニコニコインフォ 2012年2月24日 2012年3月18日閲覧 ^ 囲碁ソフトがトッププロの棋士に勝利 NHK NEWS web 2012年3月17日。 2012年3月18日閲覧 ^ コンピューターにプロ全勝 九路盤。 巧みにミス誘う 朝日新聞デジタル 2012年11月27日 2014年1月2日閲覧 ^ 第1回電聖戦 ^ ルポ:第1回電聖戦 囲碁ソフトが3目勝ち 仏大学教員開発の「クレージー・ストーン」 毎日新聞 2013年3月25日。 2013年3月31日閲覧 ^ 「囲碁電王戦」プロ棋士が圧勝 NHK NEWS WEB 2014年2月11日。 2014年2月13日閲覧 ^ “【マンスリー囲碁】まだまだ人間が優位の電王戦”. 産経ニュース (2014年3月10日). 2015年4月23日閲覧。 ^ 第2回電聖戦より。 なお。 手合割の決定に際し。 運営委員会は「今年のUEC杯のコンピュータ同士の対戦から。 顕著な進歩が見られなかった」としている。 ^ “The Mystery of Go, the Ancient Game That Computers Still Can’t Win”. www.wired.com (2014年12月5日). 2016年8月3日閲覧。 ^ “世界最強銀星囲碁15と井山裕太名人との対局のお知らせ”. シルバースタージャパン. (2015年1月20日) 2015年2月25日閲覧。 ^ Mastering the Game of Go with Deep Neural Networks and Tree Search 2016年1月28日 2016年1月29日閲覧 ^ 李世ドル九段 囲碁プロ負かした人工知能と来月五番勝負 聯合ニュース 2016年2月23日 2016年3月1日閲覧 ^ “アルファ碁。 最終局も制す 最強・李九段に4勝1敗”. 朝日新聞. (2016年3月15日) 2016年3月15日閲覧。 ^ 謎の囲碁棋士「Master」の正体は「AlphaGo」 Googleが発表ねとらぼ 2017年1月5日 2017年1月5日閲覧 ^ ドワンゴ。 Googleの囲碁AIに対抗するプロジェクトを発足 PC Watch 2016年3月1日 2016年3月1日閲覧 ^ 囲碁イベントの結果 人工知能学会ウェブサイト 2016年6月21日閲覧 ^ 【ニュースリリース】第1回13路盤プロアマトーナメント戦開催のご案内 日本棋院 2016年1月20日 2016年6月16日閲覧 ^ 出場アマチュアが決まりました 日本棋院ドリームファンディング 2016年6月13日 2016年6月16日閲覧 ^ AlphaGoを追うドワンゴ/東大の囲碁AI「DeepZenGo」がプロ棋士と対局 PC Watch(中村真司) 2016年11月9日 2016年11月21日閲覧 ^ 第1局 「Zenはボクより強い」と一力遼七段も絶賛 産経ニュース 2016年11月19日 2016年11月21日閲覧 ^ 「囲碁電王戦」第1局。 趙治勲名人が勝利 日本最強の囲碁AI「DeepZenGO」敗れる ITmedia 2016年11月19日 2016年11月21日閲覧 ^ 囲碁電王戦 治勲がソフトに先勝…第1局 毎日新聞2016年11月19日 2016年11月21日閲覧 ^ 将棋電王戦ではバージョンアップや改良は禁止されており。 実際に佐藤紳哉からやねうら王に「棋力が向上している」というクレームがありドワンゴはこれを「運営の判断ミス」と言ってバージョンアップ前のソフトと対局することに決定したが。 囲碁電王戦ではDeepZenGo側が「最終局に向けさらに改良を」と述べているようにプログラムの修正が認められている。 ^ 和製囲碁AI。 トッププロに初勝利 電王戦。 勝敗タイにasahi.com 2016年11月20日 2016年11月21日閲覧 ^ 囲碁電王戦 趙九段がAIに勝つ 最終局で2勝1敗 毎日新聞2016年11月23日 2016年11月23日閲覧 ^ 趙治勲名誉名人「ボクは退化したけど。 (Zenは)すごく成長した」 産経ニュース 2016年11月23日 2016年11月23日閲覧 ^ 日本の囲碁AI 三番勝負でトップ棋士に負け越し NHK NEWS WEB 2016年11月23日 2016年11月23日閲覧 ^ 囲碁に新国際戦 井山王座と中韓代表。 AIも参戦 日本経済新聞 2016年11月29日 2016年11月29日閲覧 ^ 「ワールド碁チャンピオンシップ」中国・韓国代表棋士が決定日本棋院 2017年1月10日 2017年1月18日閲覧 ^ 井山裕太六冠が来春。 AIと対局へ 「ワールド碁チャンピオンシップ」で 産経ニュース2016年11月29日 2016年11月29日閲覧 ^ 井山は朴に。 DeepZenGoは芈に敗れる【ワールド碁チャンピオンシップ1回戦】 ^ 井山。 DeepZenGoともに連敗【ワールド碁チャンピオンシップ2回戦】 ^ 朴廷桓九段(韓国)が優勝! DeepZenGoが井山に勝利【ワールド碁チャンピオンシップ3回戦】 ^ でるかコンピューター名人 囲碁に確率重視の「モンテカルロ法」 朝日新聞2009年4月8日 2009年4月9日閲覧 ^ 第一回囲碁電王戦初日 たかお日記 2014年2月11日 2014年3月19日閲覧 ^ プロ棋士やあの小沢一郎氏が参戦!!将棋電王戦の囲碁版『第1回囲碁電王戦』開催 週アスPLUS 2014年3月19日閲覧 ^ 2010年開発終了 参考文献 出典は列挙するだけでなく。 脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。 (2015年6月) 『週刊碁』2009年1月12日号 Playing with Shannon: a forum about computer go programming 囲碁における正確な着手予測のためのファジーパターンマッチング コンピュータ囲碁の歴史と将来の展望(勝也作者による解説) コンピュータ囲碁研究の現状と展望 コンピュータ囲碁(<特集>ゲームとコンピュータ)(Aya開発者によるコンピュータ囲碁の解説) モンテカルロ法で囲碁。 将棋(Aya開発者によるモンテカルロ碁の解説) コンピュータ囲碁における モンテカルロ法 - 理論編 - コンピュータ囲碁における モンテカルロ法 - 実践編 - モンテカルロ木探索 : コンピュータ囲碁に革命を起こした新手法 関連項目 人工知能 評価関数 三目並べ 囲連星 コンピュータ将棋 コンピュータチェス コンピュータオセロ 将棋 - チェス - 囲碁 二人零和有限確定完全情報ゲーム
幽玄の間(ゆうげんのま)は。 日本棋院が運営するインターネット囲碁対局サービス。 幽玄の間では。 アマチュア25級~8段が自由に対局をしている。 近い棋力の人と級・段位の向上を目指してポイント変動をかけ戦う“レーティング対局”と 練習対局及びペア碁や五目並べなどのお楽しみもできる“自由対局”の大きく2つ
AlphaGo対李世ドル 本来の表記は「AlphaGo対李世乭」です。 この記事に付けられた題名は。 技術的な制限により。 記事名の制約から不正確なものとなっています。 AlphaGo対李世乭(アルファご・たい・イ・セドル)は。 韓国のプロ囲碁棋士李世乭とGoogle DeepMindによって開発されたコンピュータ囲碁プログラムAlphaGoとの間の囲碁五番勝負である。 この対局は1997年に行われたディープ・ブルーとガルリ・カスパロフとの間の歴史的なチェス対局と比較されている。 対局はコミ7目半の中国ルールを使い。 持ち時間は両者2時間で。 切れると1手1分の秒読み。 ただし1分単位で合計3回の考慮時間がある。 勝者(勝ち越し者)は100万米ドルの賞金を得る。 もしAlphaGoが勝利すれば。 賞金はUNICEFを含むチャリティーへ寄付される。 賞金に加えて。 李世乭は全5戦の対局料として15万米ドル。 1勝につき2万米ドルを得る。 目次 1 背景 1.1 AI分野における難問 1.2 樊麾との対局 2 対局者 2.1 AlphaGo 2.2 李世乭 3 規則 4 対局 4.1 概要 4.2 第1局 4.3 第2局 4.4 第3局 4.5 第4局 4.6 第5局 5 配信 6 関連項目 7 脚注 背景 AI分野における難問 詳細は「コンピュータ囲碁」を参照 囲碁は創造的。 戦略的思考を必要とする複雑なボードゲームである。 長い間。 AIの分野における難問と見なされており。 チェスよりも解決がかなり困難である。 数学者のI・J・グッドは1965年に以下のように記している。 コンピュータ上の囲碁? – 単に規則に則ったゲームというよりも。 合理的な囲碁のゲームをプレーするようにコンピュータをプログラムするためには – 戦略の原理を形式化する。 あるいは学習プログラムを設計する必要がある。 囲碁の原理はチェスよりも質的かつ神秘的であり。 判断力により依存する。 したがって。 囲碁の合理的なゲームをプレーするようコンピュータをプログラムすることは。 チェスの場合よりもさらにいっそう難しいだろうと私は考える。 2015年より前は。 最良の囲碁プログラムはアマチュアの段レベルに達するのがやっとであった。 小さな9路盤(9×9)ではコンピュータは健闘し。 一部のプログラムはプロ棋士に対して9路盤で勝利できるが。 標準的な19路盤ではプロ棋士に太刀打ちできていなかった。 人工知能の分野における多くの人々も。 囲碁はチェスよりも人間の思考を模倣するためにより多くの要素を必要とすると考えていた。 AlphaGoはそれ以前のAIの取り組みとはニューラルネットワークを応用している点において最も大きく異なっている。 ニューラルネットワークでは。 評価経験則が人間によってハードコードされておらず。 代わりにプログラム自身によって自分自身との対局を数千万回繰り返すことによってかなりの程度まで学ぶ。 AlphaGoの開発チームでさえ。 AlphaGoがどのように石の配置を評価し次の手を選択しているかを指摘することはできない。 モンテカルロ木探索(英語版)もプログラムの推論効率を改善するための主要な方法として用いられている。 コンピュータ囲碁研究の結果は。 認知科学。 パターン認識。 機械学習といったその他の同様の分野に応用されている。 樊麾との対局 樊麾対AlphaGo – 第5局 AlphaGoは2015年10月に。 ヨーロッパ王者でプロ二段の樊麾(英語版)を5-0で破った。 AIが人間のプロ棋士をハンディキャップなしの19路盤で破ったのはこれが初めてであった。 一部の解説者は樊麾と李世乭(プロ九段)との間の実力の差を強調した。 コンピュータプログラムのZenとCrazy Stone(英語版)はこれ以前に九段のプロ棋士を4子のハンディキャップ付きで破っていた。 カナダのAI専門家ジョナサン・シェーファー(英語版)は。 樊との対局後に論評し。 AlphaGoを未熟な「神童」と比較して。 「プログラム(AlphaGo)が真にトップの棋士と対局した時が本物の成果となるだろう」と考えた。 シェーファーは。 2016年3月の対局では李が勝利するだろうと考えた。 プロ棋士で国際囲碁連盟事務局長の李夏辰(英語版)は。 AIが李に挑戦する見通しに「非常に興奮している」と意見を述べ。 両者に等しく勝利する機会があると考えた。 プロ棋士は。 樊とAlphaGoの対局から。 大局観が要求される局面でミスがあることなどは分かっていたが。 それから3月までにどの程度プログラムが改善されているかは分からなかった。 Google DeepMindのデイヴィッド・シルバーは。 AlphaGoは李の以前の棋譜を使って特別に鍛えられてはいないと述べた。 対局者 AlphaGo 詳細は「AlphaGo」を参照 AlphaGoはGoogle DeepMindによって開発された囲碁をプレーするコンピュータプログラムである。 AlphaGoのアルゴリズムは機械学習と木探索手法の組み合わせを用いており。 人間の対局とコンピュータの対局の両方からの広範囲の訓練を組み合わせている。 システムのニューラルネットワークは当初。 人間の対局の専門知識からブートされた。 AlphaGoは最初は。 約3千万通りの着手のデータベースを使って。 記録されている歴史的な対局の熟練した棋士の着手と一致するように試みることによって人間の打つ手を模倣するように訓練された。 ある程度の熟練度に達した時点で。 強化学習の手法を用い。 旧バージョンのAlphaGo自身との考慮時間が極端に短い対局を繰り返して訓練された。 システムはプレーする手の「データベース」を使用しない。 AlphaGoの作成者の一人が説明したように。 我々はこの機械をプレーするようにプログラムしたが。 それがどんな手を思い付くかは全く分からない。 その手は訓練からの創発現象である。 我々は単にデータセットと訓練アルゴリズムを作成しただけだ。 しかし。 それが思い付く手は我々の手を離れており — そして碁打ちとして我々が思い付くものよりもずっと優れている。 李との対局に使用されるAlphaGoのバージョンは。 樊麾との対局と同等のコンピュータパワー(1,202 CPU。 176 GPU)を使う。 李世乭 詳細は「李世ドル」を参照 李世乭(2012年) 李世乭は九段のプロ囲碁棋士であり。 世界最強の囲碁棋士の1人である。 1996年に12歳でプロに昇段し。 それ以降に18回の世界王者となっている。 李は出身の韓国において「国民的英雄」であり。 型にはまらない創造的なプレーで知られている。 李世乭は当初AlphaGoを「大勝」で破るだろうと予測した。 対局の数週間前。 李は韓国の名人戦で勝利した。 規則 対局は五番勝負で行われ。 賞金は100万米ドルである。 中国ルールに従い。 コミは7目半。 持ち時間は両者2時間で切れると1手1分以内に着手。 ただし1分単位で合計3回の考慮時間がある。 対局は3月9日から15日までの1週間で行われ。 13時(日本・韓国標準時)から始まる。 対局 この対局は韓国ソウルのフォーシーズンズホテルで2016年3月に行われ。 ライブでストリーミング配信される。 DeepMindチームのメンバーでアマチュア6段の黄士傑 (Aja Huang。 台湾出身)がAlphaGoのために碁盤に石を置く。 AlphaGoはアメリカ合衆国に位置するサーバを使ったGoogleのクラウドコンピューティングによって動作する。 概要 対局 日付 黒番 白番 結果 手数 第1局 2016年3月9日 李世乭 AlphaGo AlphaGo中押し勝ち 186 第2局 2016年3月10日 AlphaGo 李世乭 AlphaGo中押し勝ち 211 第3局 2016年3月12日 李世乭 AlphaGo AlphaGo中押し勝ち 176 第4局 2016年3月13日 AlphaGo 李世乭 李世乭中押し勝ち 180 第5局 2016年3月15日 李世乭 AlphaGo AlphaGo中押し勝ち 280 結果: AlphaGo 4 – 1 李世乭 第1局 AlphaGo(白)が第1局を勝利した。 李は一局の大半を通して主導権を握っているように見えたが。 AlphaGoが最後の20分に優位に立ち。 李が投了した。 李は終局後に。 開始時に重大なミスを犯したと述べた。 李は。 序盤におけるコンピュータの戦略は「卓越」しており。 AlphaGoは人間の囲碁棋士が打たないであろう普通ではない手を打ったと述べた。 GoGameGuruでこの対局を解説したDavid Ormerodは。 李の7手目を「序盤でAlphaGoの実力を試す奇妙な手」と説明し。 この手をミスと見なし。 AlphaGoの応手を「正確かつ効果的」と見なした。 Ormerodは序盤はAlphaGoがリードし。 李は81手目に挽回を始めたが。 119手目と123手目に「疑問手」を打ち。 129手目が「敗着」となったと説明した。 プロ囲碁棋士の趙漢乗は。 AlphaGoの打ち回しは2015年10月に樊麾を破った時よりも大きく改善されていたと論評した。 プロ囲碁棋士マイケル・レドモンドは。 コンピュータの打ち方は樊との対局時よりも積極的であったと述べた。 9段の金成龍によれば。 李世乭は102手目のAlphaGoの強手に驚かされたようである(この手の後に李は10分以上長考した)。 99手目まで 100-186手目 第2局 AlphaGo(黒)が第2局に勝利した。 李は対局後に。 「AlphaGoはほぼ完璧なゲームをプレーした」。 「序盤から自分がリードしたと一度も感じなかった」と述べた。 AlphaGoの作成者の一人デミス・ハサビスは。 プロの解説者がどちらがリードしているか分からなかったゲームの中間点からAlphaGoが勝利を確信していた。 と述べた。 安永吉(英語版)(8段)は。 特にAlphaGoの151。 157。 159手目を賞賛した。 AlphaGoは変則性と幅広い視点からの手を見せた。 これらの手についてプロ囲碁棋士が一目ではミスのように見えると解説したが。 後から振り返ると意図された戦略であった。 特に。 AlphaGoの167手目は李に戦うチャンスを与えたように見えた。 ほとんどの解説者は明白なミスであると断言した。 しかし。 多くの人々は現在はこの手が地の差を犠牲にしてAlphaGoの勝利を確かなものとするための賢明な終盤の機略であったと考えている。 99手目まで 100-199手目 200-211手目 第3局 AlphaGo(白)が第3局に勝利した。 第2局後。 棋士の間では。 AlphaGoが本当に人間が強いという意味において強いプレーヤーであるかどうかについて。 まだ強い疑いがあった。 第3局ではこの疑いが晴れた。 分析者は以下のように論評した。 AlphaGoは。 経験を積んだ棋士からのその強さに対する全ての疑いが晴れるように非常に説得力を持って勝利した。 実際。 AlphaGoはほとんど恐ろしいほどに非常にうまくプレーした ... AlphaGoに非常に厳しく一方的な攻撃を耐えさせたことで。 李はそのこれまで気付かれていなかった力を明らかにした .. 李は彼の攻撃から十分な得を得ることができなかった ... 黒の明暗によって最も技巧的な中盤戦の一つの影が薄くなった。 安永吉(8段)とDavid Ormerodによれば。 この一局は「AlphaGoが全ての人間の棋士よりも単純に強い」ことを示した。 AlphaGoは前2局では見られなかった「コウ」として知られる扱いにくい状況を舵取りできていると見られた。 安とOrmerodは148手目が特に注目に値すると考えた。 複雑なコウ争いの中盤に。 AlphaGoはコウ争いに勝っていると十分な「自信」を見せ。 他の大場に先着した。 黒番の李は高中国流を採用し大きな黒の勢力を作ったが。 AlphaGoが12手目にそこへ打ち込んだ。 このためプログラムは弱い石をしのぐ必要があったが。 成功した。 安永吉は李の31手目が「敗着」であったと説明し。 アメリカ囲碁協会(英語版)のAndy Jacksonは結末は35手目に既に決まっていたと考えた。 AlphaGoは48手目によってこの勝負の主導権を握り。 李に守勢を余儀無くさせた。 李は77/79手目で反撃したが。 AlphaGoの応対は効果的で。 90手目に局面を単純化することに成功した。 AlphaGoは次に盤の下辺を大きく支配し。 安が「洗練された」と描写した102手から112手目で局面を強化した。 李は115手目と125手目で再び攻撃したが。 AlphaGoの応対はまたも効果的だった。 李は最終的に131手目から複雑なコウを仕掛けたが。 プログラムのエラーを誘うことはできず。 176手目に投了した。 99手目まで 100-176手目(122手目は113の位置。 154手目はGo wT.svg。 163手目は145。 164手目は151。 166手目と171手目は160。 169手目は145。 175手目はGo bT.svg) 第4局 第4局は李(白)が勝利した。 DeepMindのデミス・ハサビスは。 AlphaGoは79手目にミスをし。 その時点では勝率が70%と見積っていたが。 87手目に。 その推定値が突如急落したとしている。 David Ormerodは87手目から101手目を典型的なモンテカルロベースのプログラムのミスと述べた。 李は。 AlphaGoが「相場碁」(好機が訪れた時に多くの小さな利を得ることによって勝とうとすること)を好んでいるようであることから。 思い切った作戦の一種である「アマシ」作戦で打つことを選び。 中央よりも辺や隅に地を取った。 駆け引きに強いAlphaGoであるが。 「生きるか死ぬか」の局面に誘導することでわずかなリードを判断する能力がほとんど無意味になる可能性があると李は考えた。 序盤は第2局(この局も李が白番)と同じ進行だった。 李は盤の辺と隅に地を取ることに集中し。 AlphaGOが中央に模様を張る展開となった。 白は40手目と48手目で上辺のAlphaGoの模様を荒らしに行った。 AlphaGoは47手目の「カタツキ」で応じ。 4子を捨て石にして47手目から53手目・69手目で先手を取った。 李は72手目から76手目でAlphaGoを試したがミスは誘発されず。 この時点で解説者らは李の打ち回しが勝ち目のないものだと感じ始めていた。 しかしながら。 「素晴らしい手筋」と表現された。 白の78手目のワリコミと続く82手目の強手によって。 完全に形勢が逆転した。 この手により中央の白の一団が黒地に食い込み。 より難解な碁となった。 AlphaGoの83手目と85手目の当初の応対は適切だったが。 87手目から101手目にかけてAlphaGoは大悪手を連発した。 李は92手目の段階でリードを奪い。 安永吉は黒105手目を決定的な敗着と表現した。 131手目から141手目のよい戦術にもかかわらず。 AlphaGoは終盤での巻き返しが不可能であると判断し投了した。 AlphaGoの投了は。 勝率が20%未満であると評価した時に発動した。 これは。 逆転の見込みが無いと判断すれば。 最後まで打つのではなく投了するプロ棋士の判断と合うように意図されたものである。 中国のプロ棋士(9段)古力は白78手目を「神の一手」と形容し。 この手は全く想像していなかったと述べた。 GoGamuGuruの安永吉は。 この一局が「李世乭にとっての傑作であり。 囲碁の歴史における名局となることはほぼ確実だろう」と結論付けた。 李は試合後に。 AlphaGoは白番(後手)の時が最も強かったと考えていると述べた。 GoGamuGuruのDavid Ormerodは。 79手目から87手目のAlphaGoの打ち方の分析はまだであるが。 モンテカルロ木探索を用いたアルゴリズムにおける既知の弱点によるものと考えている。 モンテカルロ木探索ではあまり関連性のない配列を刈り取るように試みる。 ある場合においては。 非常に限られた一本道で局面が進行するが。 探索木が刈り取られた時にこれが見落されると。 「探索レーダー」外となってしまう。 99手目まで 100から180手目(177手目はGo bS.svg。 178手目はGo bT.svg) 第5局 AlphaGo(白)が第5局に勝利した。 この一局は接戦であると評された。 ハサビスは。 ゲームの序盤にプログラムが「大きな失敗」をしでかした後に追い上げたものであると述べている。 黒番の李は第1局と同様の布石をし。 第4局で使用して成功したのと同様の戦略で右辺と左上隅を囲ったが。 AlphaGoは中央に大きな勢力を得た。 形勢はそれまで互角であったが。 AlphaGoが右下において「石塔シボリ」の手筋を認識できずに打った白の48手目から58手目によって。 李が主導権を握ることになった。 AlphaGoは次に中央だけでなく上辺にまで勢力を広げ。 李による69手目から81手目までの攻撃を防ぐことに成功した。 David Ormerodによると。 この黒の攻めは慎重すぎたであったという。 白90によってAlphaGoは形勢を互角に持ち込み。 Ormerodにより「珍しいが。 微妙に印象的である」と評された。 わずかに得な手を打った。 李は167。 169手と一か八かの勝負手に出たが。 AlphaGoはこれをうまく防ぎ切った。 安永吉は白の154。 186。 194手目を特に強い手であると指摘した。 終盤。 プログラムは完璧なヨセで李が投了するまでリードを保った。 99手目まで 100-199手目(118手目は107の位置。 161手目は) 200-280手目(240手目は200の位置。 271手目は。 275手目は。 276手目は) 配信 対局の模様は中国語。 日本語。 朝鮮語。 英語の解説付きでライブ配信された。 朝鮮語の配信はBaduk TVを通じて行われた。 古力(九段)と柯潔(九段)が解説を行った中国語での第1局の配信はテンセントとLeEcoによって提供され。 視聴者は約6千万人に達した。 英語のオンライン配信はマイケル・レドモンド(九段)とアメリカ囲碁協会副会長Chris Garlockによって行われ。 平均視聴者は8万人。 第1局の終局近くには視聴者が10万人に達した。 関連項目 電聖戦 ディープ・ブルー対ガルリ・カスパロフ 将棋電王戦
囲碁用語 用具 碁石と碁笥 - 碁盤 - 対局時計 - 碁罫紙 ルール 盤上:コウ - 地 - 長生 - 作る - 取らず三目 - 持碁 - ダメ - ハマ 対局:互先 - ニギリ - コミ - 定先 - 置き碁 - 持ち時間 - 早碁 - 封じ手 着点 三々 - 小目 - 目ハズシ - 星 - 高目 - 大目ハズシ - 大高目 - 五ノ五 - 天元 基本の形 自分の石から:グズミ - ケイマ - コスミ - サガリ - サルスベリ - シマリ - スベリ - トビ - ツギ - ナラビ - ノビ - ヒラキ - フクラミ - マガリ - ワタリ 相手の石に:アタリ - アテコミ - オサエ - オシ(ソイ) - カカエ - カカリ - カケ - カタツキ(カド) - キリ - ツキアタリ - ツケ - ツメ - ヌキ - ノゾキ - ハザマ - ハサミ - ハネ - ヒキ - ボウシ - ワリウチ - ワリコミ 手筋 石の下 - ウッテガエシ - オイオトシ - オキ - オシツブシ - ゲタ - シチョウ - シボリ - 捨て石。 ホウリコミ - ダメヅマリ - マクリ - ユルミシチョウ 死活 一合マス - 欠け眼生き - クシ六 - 隅の板六 - 隅のマガリ四目 - セキ - 詰碁 - ナカデ - 如仏の判決 - バカ八 - 六死八活 序盤 定石:大斜定石 - ツケヒキ定石 - ナダレ定石 - ハメ手 - 村正の妖刀 布石:新布石 - 三連星 - 中国流 - ミニ中国流 - 小林流 中盤 厚み。 模様 と 消し - 荒らし - 打ち込み - 大場 と 急場 - 攻め と シノギ。 サバキ。 フリカワリ - 攻め合い - 力戦 終盤 ヨセ - 出入り計算 - 見合い計算 棋理 囲碁十訣 - 格言 - 形勢判断 - 大局観 - 先手 と 後手 - 利かし と 手抜き - 本手 - マネ碁 - 見合い その他 囲碁九品 - 純碁 - 棋風 - 長考 - 妙手 関連項目 歴史 - 段級位 - 囲碁の記録一覧 - 碁会所 - コンピュータ囲碁 - ネット碁 - 棋士 (囲碁) - 囲碁のタイトル在位者一覧 - 本因坊 - 名人 - 棋聖 - 棋道賞 - 観戦記者 - ヒカルの碁
ネット碁 ネット碁(ネットご)は。 インターネットや専用線などのコンピュータネットワークを介して行われる囲碁の対局である。 インターネット囲碁。 ネット囲碁ともいう。 オンラインゲームの一つ。 目次 1 概要 1.1 歴史 1.2 ネット棋戦 2 利用・特徴 3 利点 4 問題点 5 脚注 6 関連項目 7 外部リンク 概要 歴史 日本ではパソコン通信(ニフティサーブ)の時代から。 電子メールを利用した「メール碁」。 掲示板を利用した「ボード碁」「ポスト碁」。 チャットを利用した「RT(リアルタイム)碁」などのオンライン対局が楽しまれていた。 現在のネット碁(オンライン)の草分けは。 株式会社アイシステムがソニーと協力し1989年にパソコン通信(NTTの公衆パケット網を利用)による世界で最初のネット碁(GO-NET)としてサービス開始。 専用パソコンソフト「碁熱闘」を利用した。 1988年に通信機能を持ったセガのメガドライブが発売されたため。 1992年からメガドライブにメガモデム(DDX-TP)またはメガターミナル(ターミナルアダプタ)を付けてゲーム機通信によるオンラインのネット碁を提供した。 その後。 NTTの公衆パケット網を利用したネット碁(オンライン)は隆祥産業(1993年?)サンサン(1994年)等が挙げられる。 1995年にリリースされたWindows95からインターネットが主流となり。 GO-NET。 サンサン等のネット碁サーバーはインターネットとNTT公衆パケット網を併用した。 インターネット利用のネット碁は。 1992年2月。 アメリカのニューメキシコ大学に設置された無料サーバー「IGS(Internet Go Server)」によるオンライン対局である。 その後。 IGSの売却や有料化の検討といった表明を受けて。 有志により各国に無料サーバーが設立された(「NNGS(No Name Go Server)」等。 多くは閉鎖されている)。 IGSは1995年。 韓国企業INetに売却され。 日本では株式会社NKBが運営権を取得し。 パンダネット事業として運営を開始した。 パンダネットは後にIGS本体を買収した。 1997年2月。 パンダネットは日本人(jpドメイン)ユーザーによるIGSへの接続を有料化した。 これに反撥した有志により。 1997年6月8日。 無料サーバー「WING(World-wide InterNet Gokaisho)」が設立された。 その他。 1996年に東芝情報システム株式会社が設立した「WWGo(World Web Go)」。 1998年7月27日にリリースされた「Yahoo!ゲーム囲碁」。 2000年に株式会社棋聖堂がスポンサーとなった「棋聖堂囲碁サーバ(Kiseido Go Server, KGS)」なども。 無料利用を希望するユーザーの受け皿となった。 現在。 大手有料サイトとしては日本棋院幽玄の間。 パンダネット。 サンサン]。 韓国の東洋囲碁などがある。 大手無料サイトとしてはKGS。 Yahoo!モバゲー囲碁などがある。 漫画ヒカルの碁(1999-2003年)では。 主人公に憑依している天才棋士・藤原佐為がその正体を隠したまま自在に対局できるネット碁の世界で活躍する描写がある。 ここでは様々な条件下にある世界中の人々がインターネットを通じて囲碁を打ち。 観戦し。 情報を共有するというネット碁の利点とともに。 中にはマナーに欠ける打ち手もいるという問題点も描かれている。 囲碁棋士の井山裕太は。 師匠石井邦生からネット碁(アイシステムのGO-NET)を通じて指導を受けた。 ネット棋戦 ネット碁の普及とともに。 1998年からネット棋戦が開催されるようになった。 それまでにも。 GO-NETが会員を対象にリーグ戦等を開催していた。 1998年。 アマを対象する第1回パケット名人戦(主催:サンサン。 協賛:NTT。 後援:日本棋院)が優勝賞金50万円で開催された。 第3回(2000年)からはプロアマオープンの棋戦となり。 日本棋院の要望で[第1期パケット名人戦]と名称を改め。 主催:サンサン。 後援:日本棋院。 関西棋院で開催された。 パケット名人戦は2006年まで都合9回開催された。 第2期パケット名人戦(2001年)からは優勝賞金が100万円に増額された。 その後。 2006年にはプロ棋士を対象とするネット早碁棋戦として。 大和証券杯ネット囲碁オープンが開催された。 翌年。 女流棋戦とアマチュア棋戦が併設され。 2012年に公式戦となるまでに発展したが。 2013年に終了した。 アマチュア棋戦としては。 パケット名人戦(1998年-1999年)。 ジュニア名人戦(2002年-)。 全日本学生囲碁名人戦(2007年-2009年)。 学生棋聖戦(2011-2015)。 全日本学生囲碁最強位戦(2013年-)。 ネット棋聖戦(2014年-)等が開催されている。 韓国のOllehKT杯オープン選手権(2010年-)では。 アマチュア予選にネット碁が使われている。 利用・特徴 ネット碁のサイトには有料と無料とがあり。 双方を併用しサービスに差を設けている所もある。 概ね会員制であるが。 非会員をゲストとして機能制限付きで迎え入れているサイトもある。 通常は会員となる旨を運営者に申し込むことでアカウント(ID)を作成する。 ログインして申告棋力を設定し。 対局を待っている相手に申し込んだり。 自分が申し込みを待ったりして。 合意が成立すると対局開始となる。 こうした手続きを省き。 対局希望者同士を自動的にマッチングするサービスを備えたサイトもある。 棋力の目安となるランクは囲碁の段級位制に準じたもの(英語では級をk。 段をdと表記する)が大半で。 対局成績によって自動的に変動する。 レーティングの手法はサイトによってまちまちである。 なお。 海外のレーティングは。 日本の碁会所に比べて厳しめといわれている。 他の会員の対局を観戦したり。 他の会員とのチャットによる会話を楽しむことも可能なケースが多い。 ネット碁で対戦した際の棋譜はSGFなどのファイルフォーマットで記録される事が多く。 後で見直すことができる場合も多い。 プロ棋士の公式戦を中継するサービスも同時に行われる場合がある。 利点 ネット碁の利点は。 時と場所を選ばず。 安全に。 棋力に応じた相手と対局できることである。 時を選ばない。 ネット碁は24時間運営されており。 世界中の人々が接続していることから。 ほぼいつでも対局が成立する。 深夜営業している碁会所は少ないため。 仕事で忙しい人も対局機会を確保できる。 場所を選ばない。 近くに対局相手がいなくても対局ができる。 このことは。 囲碁人口が比較的多いアメリカ。 ヨーロッパ。 南米などでのレベルと人気の向上に大きく貢献している。 囲碁が盛んな日本を含む東アジアにおいても。 普段打てないような遠隔地(外国在住の相手と打てることもある)の相手や見ず知らずの多くの愛好者と対局できるという利点から人気が高く。 ネット碁を通じた遠隔地の囲碁愛好家とのコミュニケーションもしばしば見られる。 安全性が高い。 ネット碁には特有の問題点もあるが。 実害がないという点では安全である。 例えば。 碁会所の不健康な側面(賭け碁。 ローカルマナー等)。 直接の対局に特有な問題点(喫煙。 威圧感を与える言動。 碁石や扇子による騒音等)。 あるいはそれらに起因するトラブル等を気にする必要がない。 また。 同一の対局条件が適用され。 かつ現に対局者であるという以上の属性(年齢。 性別。 国籍。 社会的地位等)が強調されないため。 より競技囲碁に近い対等性・公平性を確保できる。 棋力に応じた相手と対局できる。 適正なレーティングが施されている場合。 母数が多い範囲から外れた棋力の持ち主(まったくの初心者や級位者。 あるいはアマチュア高段者)であっても。 常時多人数を抱える大型のネット碁サイトであれば。 棋力に見合った相手を見つけやすい。 ネット碁の参加者には匿名のプロ棋士が入っていることもある。 安価である。 碁会所の席料は1日辺り1000円程度かかることが多いが。 ネット碁は有料であっても月々2000円程度であり。 利用形態によるが安価に多数回対局することが可能である。 碁会所への交通費などもかからない。 問題点 マナーに欠ける打ち手がいることはネット碁に限らないが。 ネット碁特有の問題点として相手の顔が見えないことから本人の自制が働きにくく。 コミュニティーによる教育や是正の機会に乏しいこともあり。 対局の前提自体を破壊するような悪質な行為が目立つ傾向にある。 荒らし : 対局または観戦中に暴言を吐いたり。 相手を挑発したりする。 エスケーパー : 負けそうになると投了せずに接続を切って逃げる。 あるいは自分が時間切れになるまで対局を放棄する。 ただしインターネットの回線品質の問題で。 意図せず接続が切れたり。 遅延によって時間切れ負けになるケースがあるため。 劣勢時に接続が切れたからといって直ちにエスケーパーということは難しい。 切れ負け狙い : 完全に負けている局面であっても相手が持ち時間が少ないときに相手の時間切れ負けや所用で席を離れなければならなくなること等を狙って意味のない手を打ち続ける。 サンドバッガー : 故意に棋力を過少申告したり。 意図的に負けてランクを下げたりして。 自分より弱い相手をいたぶるように打つ。 ただし高段の場合初期登録段位に制限があるケースが多く。 また他サイトや碁会所での段位を参考に登録した結果。 意図せず棋力を過少申告してしまう場合もあるため。 ランクに見合わない棋力であることをもってマナー違反とは限らない。 ソフト打ち : コンピュータープログラムに代打ちさせる。 市販される囲碁プログラムは現在アマ6段。 プロ棋士に対して4子ほどの棋力があるため。 代打ちによって(本来の棋力に見合わない)上位のランクを得ることも十分可能となっている。 なりすまし : (不正目的で)他人に対局してもらう。 あるいは他人を詐称する。 特に大会においては大会そのものを成り立たなくさせる深刻な問題である。 このうち。 悪質性が明らかな違反行為に対しては。 大半のサイトが会員資格停止等を含めた対策を講じている。 ただし悪質性が明らかでない。 または証明不可能な事例も多く。 実質的に参加者の良心に任されている部分が少なくない。 同様のことはチェス。 将棋。 オセロ。 麻雀のオンライン対局でも問題になっている。 脚注 ^ ふぃご村囲碁道場:ポスト碁とRT碁。 2015年7月30日閲覧。 ^ MEGAターミナル ^ サンサン ^ GOBASE.org。 2015年7月30日閲覧。 ^ 2002年。 株式会社パンダネットとして分社化された。 ^ IGS有料化問題を語ろう (1997年8月15日)。 2015年7月30日閲覧。 ^ WING:WINGヒストリー(1997年6月17日)。 2015年7月30日閲覧。 ^ ISP事業「InfoPepper」の一部として提供されていた(東芝情報システム株式会社:技術情報誌「Wave」バックナンバー:Vol. 3(2003年7月)。 2015年7月30日閲覧)。 その後。 2006年4月に株式会社イージェーワークスに「InfoPepper」の営業権が移管され。 2008年にパンダネットとの運営提携及び有料化が行われた。 さらに2013年にパンダネットに事業譲渡された。 ^ 棋聖堂:会社概要。 2015年7月30日閲覧。 ^ 2003年。 韓国棋院の株式会社世界サイバー棋院(現サイバーオロ)との提携により設立された。 提携企業の選定を巡る日本棋院内の紛争が話題となった(朝日新聞:提携先の再選定勧告日本棋院のネット対局計画で監査委(2004年4月22日)。 2015年7月30日閲覧)。 ^ サンサン ^ 第1回パケット名人戦 ^ 第1期パケット名人戦 ^ パケット名人戦 ^ 日本棋院:囲碁ネット棋戦大和証券杯。 2015年7月30日閲覧。 大和証券杯としてはネット将棋棋戦も開催されていた。 ^ パケット名人戦 ^ ジュニア名人戦(2002年-) ^ 学生棋聖戦 ^ 岩橋培樹「東アジアに展開される碁ビジネス-現代的な創造産業としての現状と可能性-」。 公益財団法人アジア成長研究所「東アジアへの視点」第20巻3号。 pp. 30-32。 2015年7月30日閲覧。 ^ 日本棋院:世界の囲碁人口分布図(2003年)。 2015年7月30日閲覧。 ^ 電聖戦の項目を参照。 ^ 一例としてKGSヘルプ:初心者向けFAQにエスケーパー。 荒らし。 サンドバッガーの定義が記載されている。 また。 KGSヘルプ:対局のマナーには日本の慣習を強調し過ぎない。 最大公約数的なマナーが記載されている。 関連項目 KGS Go Server GO-NET 囲碁 サンサン タイゼム 東洋囲碁 Smart Game Format GNU Go
KGS(KGS Go Server)とは無料の囲碁サーバ。 いわゆるインターネットを利用したネット碁サイトであり囲碁の対局・観戦・検討を無料で行うことができる。 ユーザにはランク(30級から9段)が過去180日間に行われた公式対局から数理的に割り当てられ。 その推移をランクグラフから見ることもできる。 米国の慈善家William Shubert氏が囲碁普及のために非営利で創始運営しており。 各国の有志がボランティアとして協力することで成り立っている。 また。 日本国内の碁盤店棋聖堂がスポンサードし2006年までは棋聖堂碁サーバー(Kiseido Go Sever, KGS)として運営されていた。 会員数は10万人におよび。 世界中の碁打ちが集っている。 ヨーロッパからはフランス人が多く。 アジアでは日本人。 中国人が多い。 一方。 韓国からの参加は少ない。 プロ棋士による囲碁講座が有料サービスKGS Plusとして提供されている。 KGS Plus会員と非会員(通常ユーザ)では。 囲碁講座以外において差は無い。 クライアントはCGoban3と呼ばれるJavaのソフトを利用し。 Javaのインストールが必要となる。 棋譜はSGF形式で保存される。 2006年より棋聖堂との関係を弱めKGS (KGS Go Server)となった。 関連項目
GO-NETは。 ネット碁のシステム。 千葉県松戸市に本社をおく株式会社アイ・システムが運営する。 1989年にパソコン通信による日本で最初のネット碁としてサービス開始。 専用パソコンソフト「碁熱闘」。 その後。 当時通信機能を持った唯一のゲーム機セガのメガドライブ(1988年発売開始)を利用した対局システムを提供した。 NTTの公衆パケット網にメガモデム(DDX-TP。 メガターミナル(INS-P)で接続した。 インターネットの普及に伴いインターネット経由のパケットも受け入れるようになった。 日本棋院が推薦。 技術協力。 サービス 一般対局。 番付形式による年4回の本場所。 リーグ戦による順位付け。 段級位別の月例トーナメント戦。 昇段戦。 県対抗のチーム戦。 初心者のためのわかばリーグなどの対局システムがある。 対局者は実名で利用することが特徴。 プロ棋士の井山裕太は入段前に。 師の石井邦生との指導対局で利用していた。 2006年には井山裕太と会員5人による打ち込み五番勝負を実施。 緑星囲碁学園通信部の制度があり。 学園生同士の対局。 学園出身プロ棋士による指導対局ができる。 2001-02年に20歳以下の若手プロ棋士によるトーナメント「GO-NET杯新星戦」を開催。 優勝者は川田昇平初段(当時)。 大会の模様は「碁ワールド」誌2002年1-7月号にも連載された。 他の活動 日本青少年囲碁協会の活動に協力し。 アイ・システム社が事務局となっている。 アイシステム社のある千葉県松戸市で碁会所「GO-NET囲碁サロン」も経営。
囲碁 サンサン(いご さんさん)は。 ネット碁のシステム開発と運営。 福島県いわき市に 本社をおく株式会社サンサンが運営する。 目次 1 概要 2 主催したネット囲碁棋戦 3 他の活動 4 脚注 5 外部リンク 概要 1994年にゲーム機通信によるオンラインネット碁としてサービス開始。 セガのメガドライブを端末にロムカートリッジソフト「サンサン」。 NTTの公衆パケット網を利用した。 当時NTTはISDN回線の普及に力を入れていた。 ISDN回線のDチャンネルパケット(INS-P)は時間による課金が無く。 送受信されたパケット(128オクテット)の量のみに課金された。 囲碁は考慮時間が長く送受信されるデータ(着手の位置と考慮時間等)は極めて少ないため当時は囲碁のオンラインネットには最適の通信手段だった。 1993年4月に発売開始されたメガドライブ2は。 初代メガドライブから「拡張コントロール端子」が外されたため通信機器(メガモデム。 メガターミナル)を拡張できず。 ゲーム機通信が行えない仕様になった。 そのためNTT公衆パケット網からの接続を停止2010年まで初代メガドライブとメガターミナルの組み合わせが利用された。 1995年Windows95の発売からインターネットが普及したため。 Windowsソフトの開発を行い。 2000年からはインターネット経由のパケットとNTTの公衆パケット網からのパケットを一緒に1台のサーバで処理した。 2005年にははNTT公衆パケット網からの接続を停止し。 接続形態をインターネットのみに変更し現在に至る。 ネットで対局された全ての棋譜をデータベースに保存し。 常時閲覧可能。 対局中のチャット等も棋譜に記録し。 マナーの改善に努力している。 2015年1月に囲碁BOT(囲碁人工知能)を複数種類導入した。 2016年4月にAlphaGoが李世ドルをハンデなしで破った歴史的な出来事があったためか。 囲碁BOT(囲碁人工知能)との対局を望む囲碁ファンが増えている。 主催したネット囲碁棋戦 パケット名人戦(1998年-2006年) アマを対象に第1回パケット名人戦(1998年)。 第2回パケット名人戦(1999年)を開催 棋士を含めたプロアマを対象にパケット名人戦(2000年-2006年)を開催。 優勝書金100万円は当時としては画期的なネット棋戦。 ジュニア名人戦(2002年-) 学生棋聖戦(2011年-2015年) 大学生。 大学院生を対象としたネット棋戦。 他の活動 「未来棋院に協力し。 少年少女の 囲碁の育成に力を注いでいる。
タイゼム(Tygem)は。 インターネットによるネット碁のシステム。 韓国の東洋オンライン社が運営する。 2004年に設立。 韓国。 日本。 中国向けのサイトがある。 対局システムの他に。 ネット碁による棋戦。 囲碁講座。 その他各種のイベントを運営している。 日本語版では関西棋院公式ネット「関棋ネット」も運営していた。 2004年に韓国棋院の棋士曺薫絃。 李昌鎬。 劉昌赫などの呼びかけに応じて。 東洋グループ。 中央日報。 DACOMなどによって設立された。 2008年7月にサイトの名称を「東洋囲碁」に改称することが発表された。 2009年2月現在。 タイゼムと東洋囲碁の公式サイトが併存しているが。 接続する対局室は共通である。 目次 1 主なサービス 1.1 ネット対局 1.2 ネット棋戦 2 関棋ネット 3 外部リンク 主なサービス ネット対局 無料と有料の会員制度がある。 懸賞対局 プロ棋士など高段者の対局で。 観戦者が勝敗予想して。 ポイントを懸賞として賭けることができる制度。 LG杯など。 国際棋戦の対局中継で行われる場合もある。 ネット棋戦 東洋生命杯タイゼム囲碁オープン戦 韓国。 日本。 中国のプロ棋士の3人一組16チームによる対抗戦 東洋総合金融証券杯 第2回までは「タイゼム王中王戦」として。 予選を勝ち抜いた韓国。 日本。 中国3カ国の計32名のプロ棋士よるトーナメント戦 第3回は「日韓中3カ国対抗戦」として。 予選を勝ち抜いた韓国。 日本。 中国3カ国の各5名のプロ棋士よるトーナメント戦 日韓スター棋士対抗戦 日韓32人のプロ棋士によるトーナメント 第1期は日本勢が優勝した。 全日本学生囲碁名人戦 1978年から2002年の第24回まで行われていた学生囲碁名人戦を。 インターネット対局により2007年から再開するもの。 関棋ネット 関西棋院棋士による囲碁教室。 指導碁。 棋譜診断。 棋士の対局のLIVE中継などを行っていた。
東洋囲碁はインターネットによるネット碁の対局場。 旧名称はタイゼム(Tygem)。 2008年7月に東洋囲碁へ名称変更した。 運営主体の東洋オンラインジャパン社は韓国。 東洋オンライン社の100%子会社である(設立2004年11月,資本金5000万円,本社:東京都港区赤坂)。 東洋オンラインは東洋総合金融証券。 東洋生命を中心とする東洋グループに属し。 Tygem。 pigwing(ゲームポータルサイト)。 miclub(女性向けポータルサイト)の運営のほか。 グループのIT関連業務を担当している。
Smart Game Format(SGF)はボードゲームの棋譜保存に使われるコンピュータファイルフォーマットである。 SGFは。 Smart Go Board の作者としても知られる Anders Kierulf によって1987年に提案された。 その後改良が加えられ。 現在一般的に使われているのは1990年代に作られた第4版(FF)である。 SGFフォーマットが最も一般に普及しているゲームは囲碁であるが。 複数のボードゲームに対応している。 SGFが対応している主要なボードゲームには以下のものがある。 囲碁 オセロ チェス - Portable Game Notation形式が一般的。 連珠 将棋 Lines of Action バックギャモン Hex The Game of the Amazons Octi Gess SGFはゲーム情報の保存に木構造表現を使用するが。 この木構造では単純な変化を追加することができる。 なお。 SGFでは可搬性の向上を理由に。 バイナリデータの代わりにテキストベースのデータ形式を採用している。
GNU Go(グニュー・ゴ)は。 フリーソフトウェア財団によって作成される。 コンピュータが人間と囲碁の対局を行うためのフリーソフトウェア。 GNU Goのソースコードは可搬性が高く。 Linuxおよび他のUNIX形式のシステム。 Windows。 macOSなどで簡単にコンパイルできる。 その他のプラットフォームへの移植版も存在する。 GNU Goは。 およそ8から12級の強さでユーザーと対戦できる。 碁盤サイズは5×5から19×19までをサポートしている。 GNU Go自身はASCIIベースではあるが。 Go Modem ProtocolおよびGo Text Protocolという2つのプロトコルをサポートしており。 これらを使ったGUIフロントエンドが別途実装されている。 目次 1 戦績 2 歴史 3 外部リンク 3.1 公式サイト 3.2 フロントエンド 3.3 非公式なソフト 戦績 2006年。 世界コンピュータ囲碁大会 岐阜チャレンジ2006において。 銀星囲碁に次いで準優勝を果たした。 歴史 GNU Go 1.1 March 13 1989. GNU Go 1.2 1995. GNU Go 2.0 April 20, 1999. GNU Go 2.4 September 12, 1999. GNU Go 2.6 February 13, 2000. GNU Go 3.0 August 24, 2001. GNU Go 3.2 April 25, 2002. GNU Go 3.4 July 31, 2003. GNU Go 3.6 November 17, 2004. GNU Go 3.8 February 19, 2009.(最新版)
詰碁 詰碁(つめご)とは、囲碁の部分的な死活を問う問題のこと。将棋の詰将棋に対応するもの。 目次 1 概要 2 例題 2.1 解答 3 歴史 4 詰碁名作ベストテン 5 その他 6 脚注 7 関連項目 8 参考文献 9 外部リンク 概要 白黒の石が置かれた囲碁の盤面の一部(まれには全部)と、手番(「白番」、「白先」もしくは「黒番」、「黒先」)が示され、どのように打てば自分の石を生きにもちこめるか、または相手の石を殺すことができるか、すなわち死活を考えるものである。 いくつも詰碁を解き、パターンを覚えておけば、実戦に類似した形が生じた場合に短時間で対応できるようになる。また、読みの力を養う絶好のトレーニングともなることから、囲碁の上達には欠かせない。このため、多数の詰碁問題集が市販されている。 なお、詰碁という用語は、死活のからむ問題に用いられる。一方で、死活に関係なく、局所的な得を図るような問題は手筋問題といわれる。 たとえば、黒番で黒の石を生かす問題は「黒先活(くろせんいき)」、白の石を殺す問題は「黒先白死(くろせんしろし)」という(白番の場合は、「白先活(しろせんいき)」、「白先黒死(しろせんくろし)」)。また、最善の手順を尽くすとコウになる(コウに勝ったとした場合にのみ自分の石が生きられる/相手の石を殺せる)問題もあり、それらは「黒先コウ」「白先コウ」という。詰碁の問題集では結果(たとえば「黒先コウ」)まで書いているものもあるが、「黒先」か「白先」のみが示されていることの方が多い。結果が書かれていないものでは、最善の結果になる手を答える。たとえば、黒先の問題で、白の無条件死になる手順と、コウになる手順があったとすると、無条件死の手順を示さなければ正解とならない。 詰碁の難易度は様々で、初級者でもすぐ解けるものから、プロ棋士が何日もかかるような難問もある。「3分で解ければ初段」などと、棋力の目安のついた問題などもある。 例題 自分の石を生かす問題と相手の石を殺す問題。共に黒先。 ダメヅマリにより白はaに打つことができない(まとめて取られてしまう)。白の2手目が3なら黒2でやはり白死(欠け眼になる)。なお、黒が初手で2に打つと白1 黒3 白aで失敗(白活き)となる。 歴史[ソースを編集] 詰碁は、囲碁の死活を独立させたもので、古くから棋書の一部として存在した。中でも元に成立した『玄玄碁経(げんげんごきょう)』(1349年)が有名。明時代には『官子譜(かんずふ)』が作られた。この時代には詰碁を「珍瓏(ちんろう)」と呼んでいる。また中国ではヨセを官子と呼ぶ。(「詰碁」の語はおそらく「詰将棋」の影響によって日本で作られたと考えられる。囲碁の死活には「詰める」という言葉を使わないため)中国では詰碁という言葉は用いられず「死活問題集」「攻防問題集」「手筋問題集」「官子(ヨセ)問題集」「布局問題集」という用語が使われてきた。 日本では、1713年、井上道節因碩により『囲碁発陽論』が作られた。これは難解なことで有名だが、作成当時は井上家門外不出の書とされていた。1812年には林元美により『碁経衆妙(ごきょうしゅうみょう)』が出版された。 近代になると、職業棋士が、雑誌、新聞などで継続的に詰碁を発表するようになる。有名な詰碁作家として前田陳爾、橋本宇太郎、呉清源、加田克司、石榑郁郎、石田章、張栩らがいる。また数は多くないがアマチュアの作家(塚本惠一ら)も活躍している。
碁会所 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年9月) 碁会所(ごかいしょ)とは、席料を支払い、有料で囲碁を打つことができる場所である。 囲碁センター、サロンのような形態で、駅前などに集中していることが多く全国的に存在している。日本棋院内にも有料で打てる場所がある。 店内に複数の碁盤を用意し、来客者同士で対局を行わせる形式が一般的である。最も重要な要素は席亭(店主)によるマッチメイキング能力である。来客者の碁打ちとしての力量の見極めはもとより、常連客においては打ち方の筋・性格などを見極め「楽しく打てる」(時には刺激を与えるため苦手同士を打たせる)場を作ることが求められる。 サービスは碁会所によってもさまざまであるが、その店独自の段級位システムを構築しているケースが多い。また、初心者への指導も行っている碁会所もある。その他にも、大会などのイベントが催されることもある。 2000年代ごろからはネット碁の普及が進み、碁会所に行かずとも対局相手を探すことが容易になったため、碁会所にとっては小さくない打撃となっている。 2010年ごろには「囲碁ガール」という言葉も生まれ、女性向きの雰囲気の碁会所や、囲碁喫茶・囲碁カフェなど、多様な碁会所の在り方が模索されている。 ゲーム (game) は、遊戯、競技もしくは賭博。 目次 1 理論 2 映画・テレビドラマ 3 音楽 4 その他 コンピュータゲーム、およびそのソフトウェアであるゲームソフト。 ゲーム機、コンシューマーゲーム(携帯型ゲーム、テレビゲーム)機。 スポーツの試合。 テニスや卓球などでセットを構成する単位。(ゲームの集合がセット) ボウリングやダーツなどの1試合のこと。ボウリング場やソフトダーツマシンでの課金単位でもある。(ゲームの下の単位がラウンドである) トランプゲーム「コントラクトブリッジ」の用語。 狩猟やサバイバルゲームなどにおける獲物。 理論 ゲーム理論でプレイヤー達が自己の利得を最大化する為に戦う状態。 暗号理論でプロトコルの安全性を定義する際頻繁に使われるモデル。ゲーム法等。 映画・テレビドラマ ゲーム (映画) - 1997年のアメリカ映画。 g@me. - 2003年の日本映画。東野圭吾の小説『ゲームの名は誘拐』を映画化した。小説の記事を参照。 ゲーム (エンジェルのエピソード) - テレビドラマ『エンジェル』のエピソードの一つ。 音楽 ザ・ゲーム - クイーンのアルバム。 ゲーム (ラッパー) - ラッパー、MC、俳優。 Game (宮沢りえの曲) - 日本の女優、宮沢りえのシングル。 Game (宮沢りえのアルバム) - 日本の女優、宮沢りえのアルバム。 GAME (FLOWのアルバム) - 日本のロックバンド、FLOWのアルバム。 GAME (Perfumeのアルバム) - 日本のテクノポップユニット、Perfumeのアルバム。 GAME (L⇔Rの曲) - 日本の音楽バンド、L⇔Rが1996年に発表した楽曲、またはそれを収録したシングル。 GAME - 日本の歌手、浜崎あゆみの楽曲。2004年7月28日に発表されたシングル『INSPIRE』のカップリングとして収録され、 2004年12月15日に発表された6枚目のアルバム『MY STORY』も収録された。 GAME - 日本の歌手、福山雅治の楽曲。両A面シングル『Beautiful life/GAME』に収録。2012年ロンドン五輪、2014年ソチ五輪テレビ朝日中継テーマソング。 GAME - 日本のフォークデュオ。コブクロの楽曲。アルバム『One Song From Two Hearts』に収録。フジテレビ系列金曜ドラマ『家族の裏事情』主題歌。 その他 ザ・ゲーム - アメリカ、WWEプロレスのプロレスラー 、トリプルHのニックネーム。 ザ・ゲーム (宝塚歌劇) - 1989年初演。 電子掲示板2ちゃんねるのカテゴリの1つ。ゲーム (2ちゃんねるカテゴリ)を参照。 GAME - 大西博がASCII誌に発表したコンピュータのプログラミング言語処理系。 ザ・ゲーム (ゲーム) - 心理戦ゲームの1つ。 ● ゲーム > コンピュータゲーム この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2014年10月) プラットフォーム[表示] トピックス[表示] 表 話 編 歴 コンピュータゲーム産業 活動/職種[表示] 種類[表示] 関連項目[表示] 一覧[表示] 表 話 編 歴 コンピュータゲーム(英: Computer game)は、コンピュータによって処理されるゲーム[1]のことである。 形態によって、アーケードゲームやコンシューマーゲーム(テレビゲーム/携帯型ゲーム)・PCゲーム 及びモバイルゲームなどの分類がある。ゲーム画面をビデオモニターに出力するため「ビデオゲーム」や「デジタルゲーム」とも呼ばれる。いわゆるLSIゲームも含め「電子ゲーム」と呼ばれる場合もある。この他、ただ「ゲーム」と呼ぶだけで専らコンピュータゲームのことを指したりもする。 なお、日本での「コンピュータゲーム」という呼称は和製英語であり、英語圏ではビデオゲーム(英: Video game)と呼ばれ、コンピュータゲームという言葉はPCゲーム(英: PC game)を意味する。中国語では「电子游戏(電子遊戯)」などとも訳されている。 目次 1 歴史 2 特徴 2.1 ルールとプレイ人数 2.2 乱数 2.3 グレーゾーンな遊び 3 分類 3.1 ゲーム一般としての分類 3.2 プラットフォームによる分類 3.3 ゲームシステムによる分類 3.4 オンライン機能の有無による分類 3.5 プレイヤー条件による分類 3.6 他のプレイヤーとの関係による分類 3.7 価値観による分類 3.8 出版主体による分類 4 脚注 5 参考文献 6 関連項目 歴史 詳細は「コンピュータゲームの歴史」を参照 コンピュータゲームの黎明期に発祥した『スペースウォー!』のプラットフォームはミニコンピュータであった。その後マイクロプロセッサの普及につれ、熱心な利用者たちがその活用法を模索していく中で様々なプラットフォーム上で動作するようになりゲーム専用のコンピュータも登場した。黎明期にはコンピュータのような高度な装置を使用しない電子回路やビデオ画面を利用したゲームもありそれらが提供する素朴な遊びが家庭に進出していった。それらは集積回路が大量生産される時代に入って高度化や多様化が進みやがては一大産業にまで発展していった。日本においては1970年代末よりアーケードゲームやLSIゲーム(電子ゲーム)から徐々に広まり1980年代には『スペースインベーダー』や家庭用ゲーム機の代名詞となるファミリーコンピュータが社会現象となった。ゲーム産業は、テクノロジー/ビジネスモデル/コンテンツデザインによって「変質しながら成長していく巨大な森」といわれる[2]。 日本においては国立国会図書館法の一部を改正する法律が2000年10月1日に施行され、コンピュータゲームソフトを含むパッケージ系の電子出版物に納本義務が課せられた。 特徴 ここでは特徴として、非電源ゲームの主としてボードゲームやテーブルゲームやカードゲームとの対比を述べる。コンピュータの処理能力の進歩によりCG/シェーダ/アニメーションといった映像表現や演出が高機能かつ多彩となり[3][4]、バーチャルリアリティのような没入感を実現するデバイスも増えた[5][6]。インターネットの普及に伴って遠隔地にいるユーザ同士がプレイを共有することや、デバイスを問わず幅広くデジタルビジネスに対応できるコンピュータネットワーク/クラウドコンピューティングを利用したゲームソフトも登場した[7][8]。人工知能(AI)については、機械学習[9]/深層学習の技術によってアルゴリズムを自動生成することも可能となり、人間のように自分で学習し考えるコンピュータの開発も進んでいる[10][11][12]。 以下の #ルールとプレイ人数 と #乱数 の節に関しては #分類 の節も参照のこと。 ルールとプレイ人数 一般にゲームというものは、何らかのルールを定める、あるいは何らかのルールが自然発生するところから始まる、と言ってよいであろう。コンピュータゲームもルールが存在するが、コンピュータがゲームを決定してルールの適用も任せることとなる。必要な要素をコンピュータがシミュレートしつつ進められるため、実在の遊具や人間の対戦仲間を必要とするとは限らない。プレイヤーが1人であっても、コンピュータチェス/コンピュータ将棋/コンピュータ囲碁のように人工知能 (AI) が対戦相手役を兼ねることができる。 ゲームの進行は、プレイヤーの入力に対する結果をコンピュータが演算し、その処理結果に対してさらにプレイヤーが次の入力を行うという繰り返しによってなされる。単純な形態としては数当てゲームが挙げられるが、これはコンピュータが定めた1つの数字に対してプレイヤーが値を入力し、コンピュータがその値と自らの定めた数字を比較した結果、どちらが大きいかのみを答える。このヒントに従ってプレイヤーは新たに値を入力し、再びコンピュータが判定を行った結果、ヒントを出すという過程を繰り返す。そして、正解に至るかプレイヤーが飽きてコンピュータの電源を切るまで、ゲームは続く。コンピュータゲームはいずれも多かれ少なかれ、こういった人間とのやり取りを繰り返すことで、遊びを提供する性質を持つ。 プレイヤーの行動である入力以外が、コンピュータによって処理される。主なハードウェア構成は、演算処理を行うハードウェア本体、プレイヤーの入力機器であるコントローラー、処理結果の出力機器であるモニタ画面やスピーカーから構成され、原則的にはこれ以外の補助機器の類を必要としない。また、入力機器は簡便なものが用いられ、大抵は両手のみで全ての操作が行えるようになっているが、中にはKinectのように体全体を使ってコントロールする入力機器も存在する。いずれもコントローラーを介して入力された操作を、ゲーム機内部のコンピュータが処理した結果として出力を行う。 乱数 『テトリス』のように偶然性を用いるために乱数を利用する場合があるが、コンピュータには本当の意味での乱数は生成できず、代わりに擬似乱数が使用されている。などと、あたかも真の乱数でないことが問題であるかのような説明がよくあるが、擬似乱数を使用すること自体には、通常は何の問題もない。CR時定数回路とカウンタ等といったごく単純な方法でも、擬似乱数列の初期化のための「真の乱数」によるシードを得るには普通のゲーム用途なら十分過ぎるほどであり、理由になっていない。あるいは、最低でも1MHzはあるコンピュータのクロック速度を利用すれば、人間によるいかなるボタン操作でも、ゲームの目的には十分なシードにできることは自明と言い切って良いであろう。アーケード『テトリス』の場合、バッテリバックアップによって状態を保持することで、パターン化を可能にされることを防いでいたのだが、バッテリ切れにより「電源パターン」が可能になってしまった。また、本来であれば事実上不可能なはずの永久パターンが、電源パターンによって可能になる、といった場合もある。「古いメダルゲームやルーレットではこういった乱数パターンは素朴なものが多かったが」などと言う者もいるが、前述のように真の乱数を何らかの方法で生成して擬似乱数列のシードとすることは1970年代のマイコンでも(最悪でもコストにして数百円程度のハードウェアを付加する等の工夫をすれば)さほど不可能でもなく、過去にしばしば発生している低質な乱数によるゲームの崩壊といった現象[13]は、実際のところわざとやっているか手抜きかそもそもまともな擬似乱数列生成器[14]を使っていないか擬似乱数列生成器のまともな使い方を理解していなかった[15]、といったパターンがほとんど全てである。シューティングゲーム等には、1980年代前半頃は乱数を利用するものも多かったが、その後はもっぱら、いわゆる「覚えゲー」にデザインされる傾向が強く、乱数はシューティングゲームの場合なら弾のバラマキかた等、わずかに利用される他は排除される傾向もある。 グレーゾーンな遊び 隠しコマンドや裏技やチートなどと呼ばれるもののうち、デバッガ等を利用して直接メモリを書き換えるような行為は別としても、コンピュータ・プログラムの常として取りきれなかったバグがゲームルールの抜け穴を作ってしまったりすることもある。これは単なる設計上の不具合である広義の不良品であったりあるいは制作側が予期しなかった行為ないし設計上で組み込まれたジョークないし本来の楽しみ方ではない機能であるが、これらは遊ぶという行為がその行為そのものに価値を見出さずゲームのエンディングを見る、無敵戦闘機、最強主人公など他の部分に価値を見出した場合に積極的に利用される。 オプション画面を攻略に利用する行為は暗黙のルールとしてはやってはいけないこととされるが、セーブデータを削除するとゲームが進行するというグレーゾーンを突いたゲームもある[16][17]。 分類 詳細は「コンピュータゲームのジャンル」を参照 ゲーム一般としての分類 「ゲーム#ゲーム理論の援用」も参照 一般のゲームと全く同様に、コンピュータゲームに関しても、理論的な「人数 / (非)ゼロ和 / (無|有)限 / (不)確定 / (不)完全情報」というような分類が応用できる。コンピュータゲームの特殊性としては、(プログラム等の提供者を信じる限りにおいて)第3者として対戦ゲームなどの信用できる判定者としてコンピュータを利用できる、(「ゲーム性」の点で疑問はあるかもしれないが)プレイヤーは眺めるだけといった「0人ゲーム」といったものが(非電源ゲームなどと比較して)割とありえる、といった点がある。以下は、よりコンピュータゲーム固有の事情や観点からの分類である。 プラットフォームによる分類 コンピュータゲームは初めは汎用コンピュータ上で動作するデモンストレーション用ソフトウェアに過ぎなかったが、これらがビジネスとして十分通用すると見なされると、業務用ゲーム機やテレビゲームのようなゲームに特化したハードウェアであるゲーム専用機が登場した。1980年代初頭までは1つの製品では限られた種類のソフト(基本は1ハード当たり1ソフト)しか遊べなかったが、アタリや任天堂以降の製品ではプラットフォームとなるハードウェアに、対応するゲームソフトが多数供給されると言う新しいモデルが出来上がった。後にはより小型化されディスプレイを内蔵した携帯型ゲーム機も発売され、これらの市場をまとめて「コンシューマーゲーム」(コンシューマー=民生市場向け→「家庭用」)とも呼ばれる。家庭用ゲームは処理機能面で必要十分な半導体集積回路が安価に提供されるなどの産業面の進歩もあった。ゲーム専用機以外のプラットフォームとしてはパソコンゲームが古くから存在していた他、デジタル機器の進歩に伴い携帯電話やスマートフォン/スマートデバイスで動作するゲームも登場した。 ゲーム専用機 アーケードゲーム - 業務用ゲーム 大型筐体ゲーム - 大型の専用筐体を用いたアーケードゲーム コンシューマーゲーム - 家庭用ゲーム テレビゲーム(据え置き型ゲーム) - 家庭用ゲームの古い表現 携帯型ゲーム - 持ち運びし易いもの ゲーム専用機以外のハードウェア DVDプレイヤーズゲーム/UMDプレイヤーズゲーム/BDプレイヤーズゲーム - DVDなどの再生機能つきゲーム機だが明確なジャンルではない パソコンゲーム - パーソナルコンピュータで利用するもの モバイルゲーム - 携帯電話やスマートフォン/スマートデバイス、BREWアプリケーション/Javaアプリケーション、App Store/Google Play ゲームシステムによる分類 以下に示すのは、既存のゲームジャンルを便宜的に区分して列挙したものである。既存のゲームジャンル幾つかに跨るものも存在し、それが新しいジャンルに発展したものもあるため、ジャンル分けも絶対的なものではない。テイルズ オブ シリーズのように独特のジャンル名が付けられる場合がある。 操作技能要求系はいわゆる反射神経や動体視力がものを言うゲームであるが、その幾つかでは要素の出現パターンが決まっており、それらの暗記が求められるものもある。またコントローラーの性質で、遊び易かったり遊びにくかったりするという要素も強い傾向がある。 アクションゲーム - 操作技能を要求し、かつ他のどの条件にも当てはまらないゲーム 対戦型格闘ゲーム(格ゲー) - 1対1で格闘するゲーム、人間のプレイヤー同士でも対戦できる 落ち物パズル - 落下するという特性でリアルタイム性を持たせたパズル、『テトリス』を原型とする シューティングゲーム(STG) - 弾丸を発射し敵を撃破しながら進むゲーム ファーストパーソン・シューティングゲーム(FPS) - 主観視点で操作する3Dシューティング ガンシューティングゲーム(ガンシュー) - 銃型コントローラーを使うシューティングゲーム スポーツゲーム - スポーツを主題とするもの、擬似的にスポーツするものとスポーツをテーマとしたアクションゲームの2種類がある レースゲーム - 様々な乗物の自動車競技を主題とするもの リズムアクションゲーム - 楽器型コントローラーをタイミングよく操作するなどで擬似的な演奏状態を楽しむもの 操作技能不要系は即決的な判断よりも、熟考して判断することが重視されるゲームである。より複雑なゲームルールである傾向が強く、また遊ぶ時間も他のジャンルに比べ、長くなる傾向がある。セーブで中断に対応するものも多い。ゲームのジャンルとしては、ロールプレイングゲームやウォー・シミュレーションゲームのように、コンピュータゲームが生まれる以前から遊ばれていたものや、ボードゲーム/カードゲームといった卓上ゲームをコンピュータで遊べるようにしたものも多い。 コンピュータRPG(RPG) - 役割を演じるゲーム シミュレーションロールプレイングゲーム(SRPG) - ストラテジー要素が加えられたRPG シミュレーションゲーム(SLG) - コンピュータ上で再現された仮想空間で様々な体験をできるもの ウォー・シミュレーションゲーム - 軍隊の指揮官になるなどして戦争を行うシミュレーション 歴史シミュレーションゲーム - 実史上の出来事を題材にしたシミュレーション 経営シミュレーションゲーム - 経営者となって企業を運営して行くゲーム 育成シミュレーションゲーム - 仮想的にキャラクターや自分自身を成長させ仮想環境との関係を築くゲーム アドベンチャーゲーム(ADV) - 様々な謎を解き明かし先へ進むゲーム、サウンドノベルやビジュアルノベル パズルゲーム - パズルを解くゲーム ホラーゲーム - 恐怖心を楽しむもの、ホラー映画のゲームへの応用 恋愛ゲーム - ゲーム内のキャラクターと擬似恋愛行為を楽しむもの、恋愛シミュレーションゲームは様々なパラメーター操作を組み合わせたものでスケジュールに沿ってゲームが進行する、恋愛アドベンチャーゲームはストーリーに沿って進行するもので選んだ選択肢で結果が変化する 統合系は幾つかのゲームジャンルの要素を組み合わせたり、またはゲーム以外の概念を既存ゲームに組み込んだものである。登場当初は確定したジャンルが存在しなかったものも多い。RPGにアクションゲームの要素が加えられたアクションロールプレイングゲーム(ARPG)やパズルゲームにリアルタイム性を持たせたアクションパズルがある。 リアルタイムストラテジー(RTS)は、シミュレーションゲームにリアルタイム性を持たせたものである。一時停止を使用しないことでプレイに緊張感を与え、ほとんどが戦闘を扱う。少人数のオンラインゲームに分類される。シミュレーションゲームにおける分類はウォー・シミュレーションゲームや歴史シミュレーションゲームとなる。代表作は『スタークラフト2』であり、eスポーツとも呼ばれる。 マルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ(MOBA)は、RTSのサブジャンルであり、その中の代表作である『League of Legends』ではゲーム史上初となるプロアスリートビザが発行された(後に『スタークラフト2』でも認められた)。 オンライン機能の有無による分類 オンラインゲームはコンピュータネットワークを利用して機能するゲームのジャンルである。古くはパソコン通信などであったが、2000年代に於いてその多くではインターネットへの対応を見せる。スタンドアローンなゲームに対して用い、狭義では常にネットワークに接続した状態で行うものを表す。ネットの多人数参加型コンピュータRPGとしてMORPG/MMORPGがある。 ブラウザゲーム - インターネット上でブラウザを介して提供される ソーシャルゲーム - ソーシャル・ネットワーキング・サービスを介して提供される クラウドゲーム(クラウドゲーミング) - クラウド上で処理をするストリーミング配信 プレイヤー条件による分類 プレイヤーに条件が示される分類である。販売店で購入者の適格チェックが行われる場合もある。成人向けゲームは全年齢対象の老若男女に受け入れられるように配慮されておらず、未成年者には与えるべきではないと考えられる。 アダルトゲーム(エロゲー) - 主に性的表現が極端なもの、脱衣麻雀や泣きゲー/鬱ゲー 残酷ゲーム(グロゲー/暴力ゲーム) - 主に暴力表現や出血表現が極端なもの 他のプレイヤーとの関係による分類 プレイ人数による分類よりも他のプレイヤーとの関係による分類が有意と言える。2人対戦を基本とするゲームでも、アルゴリズム(人工知能)を対戦相手とした1人プレイのモードが存在する。これはコンピュータが対戦相手役を兼ねるものであり、プレイヤーが1人であってもゲーム内容は2人プレイと同質のものとなる。 複数人が同時にプレイするコンシューマーゲームにおいては家庭内でゲーム機を介して他人とコミュニケーションするという意味合いもあって、協力関係であるものと競争関係にあるものが主流となっている。複数のプレイヤーが相互に一人プレイを行う形態もレトロゲームや、ボードゲームや『モノポリー』といったパーティーゲームをコンピュータゲーム化したものに見られる。携帯型ゲーム機ではセーブデータを複数保持することで、同じロムカートリッジで(厳密には各々のプレイヤーが個別に遊べるだけではあるが)複数プレイヤーに対応するものもある。 2000年代より急速に進歩を見せたオンラインゲームのように、コンピュータネットワーク(インターネット)経由で他のプレイヤーと協力ないし競争するタイプのゲームも増え、こちらでは特定人数による対戦形態からMMORPGのように、ほぼ無制限なプレイヤー人数と同じ仮想世界を共有する形態も、一般化の傾向が見られる。 価値観による分類 プレイヤーに与える感覚による分類であり、ユーザー視点でもあるため、メーカーの意図しないジャンルに分類されることもある。知育玩具のような考えもあり、キッズコンピュータ・ピコに代表される教育用や教材用ソフトウェアも存在している。老人性認知症の予防、腹腔鏡を使った低侵襲手術を目的とした「シリアスゲーム」も展開されている。ゲーム分野以外にゲーム化を狙う「ゲーミフィケーション」という動きも見られた。2013年からは「ナラティブ」という言葉も取り上げられてきた[18]。 クソゲー - プレイヤーが否定的に評したもの バカゲー - プレイヤーが馬鹿馬鹿しいと感じる内容のもの レトロゲーム(レゲー) - 既に販売されなくなった古いもの 洋ゲー - 日本国外、特に欧米のゲーム会社が制作したもの ギャルゲー - 女性キャラクターの魅力を主体とするもの 乙女ゲーム - 男性キャラクターの魅力を主体とするもの キャラクターゲーム(キャラゲー) - 漫画やアニメのキャラクターを採用しているもの 音楽ゲーム(音ゲー) - プレイヤーがリズムや音にアクションをとるもの 対戦型格闘ゲーム(格ゲー) - 選択したキャラクターを用いて主に1対1の格闘技で戦う対戦ゲーム 大型筐体ゲーム - 大型の専用筐体を用いたアーケードゲーム 体感ゲーム - 身体を動かし操作する入力機器を用いたもの カジュアルゲーム - 気軽に短時間で遊べるもの シリアスゲーム - 教育や医療目的が主体のもの アドバゲーム - 広告を目的として提供されるもの 出版主体による分類 どのような経路で販売ないし流通しているのかによる分類だが、こういったゲームソフトの流通経路はコンピュータゲームに限らない。パッケージソフトウェアに対してダウンロードゲームがある。同人ゲーム(インディーズゲーム)は黎明期のパソコンゲームがほぼこの様式だったが同人ゲームからプロダクション化してメジャーデビューする場合もあり、セルフパブリッシング(自己出版)の場合もある。 脚注 [ヘルプ] ^ “コンピューターゲームとは”. コトバンク. 朝日新聞社. 2013年11月8日閲覧。 ^ “Project FLARE”. スクウェア・エニックス. 2013年11月8日閲覧。 ^ “タイトル画面で見る、ゲームグラフィック30年の歴史(動画)” (2013年11月10日). 2014年3月28日閲覧。 ^ “『風ノ旅人』のJenova Chen氏が語る、ビデオゲームにおける感情表現” (2013年10月19日). 2013年11月8日閲覧。 ^ “Project Morpheus発表に、Facebookによる巨額買収――なぜ今VRがアツいのか、そしてなぜ体験すべきなのか【GDC 2014】” (2014年3月27日). 2014年3月28日閲覧。 ^ “後藤弘茂のWeekly海外ニュース SCEのPS4向けVRシステム「Project Morpheus」” (2014年3月21日). 2014年3月28日閲覧。 ^ “これまでより、これからの10年のほうが刺激的――久夛良木氏基調講演” (2006年9月22日). 2014年3月28日閲覧。 ^ “業界20年のベテランが予見する“次の10年に来るビデオゲームの9つのトレンド”【GDC Next】” (2013年11月6日). 2013年11月8日閲覧。 ^ “[GTC 2014]賢い人工知能はGPUで作る。NVIDIAが取り組むGPGPUの新たな活用分野「機械学習」とは何か?” (2014年3月27日). 2014年3月28日閲覧。 ^ “機械が学習 変わる世界” (2014年3月18日). 2014年3月28日閲覧。 ^ “データ分析も人手不要に 「知性持つ機械」の破壊力” (2014年3月4日). 2014年3月28日閲覧。 ^ “本当に人間に残る仕事は何だろう/アルゴリズムが全て呑み込む未来” (2014年3月10日). 2014年3月28日閲覧。 ^ たとえば カルドセプト サーガ#バグ問題 を見よ。 ^ 一般に最低要求水準とされる、いわゆる「Park-Miller "minimal standard"」なら、8ビットプロセッサ程度の能力があれば数十バイトで実装可能なはず。 ^ 「Park-Miller "minimal standard"」の場合、最下位ビット側を単純に取り出したり、剰余を使ったりしてはいけないのだが、それは「(本来ならば)常識」である。 ^ “[GDC 2014]ゲームにできることはもっとたくさんあるはず。ヨコオタロウ氏がストーリーライティングの手法やゲームの可能性を語る” (2014年3月21日). 2014年3月28日閲覧。 ^ “ゲームの可能性を閉じ込める“見えない壁”の向こう側へ――ヨコオタロウ氏の講演をリポート【GDC 2014】” (2014年3月21日). 2014年3月28日閲覧。 ^ “【ひらブラ vol.11】長く遊べるゲームを低コストでつくるには(ナラティブなゲームってなんだろう?)” (2014年3月28日). 2014年3月28日閲覧。 参考文献 “「マリオ」ゲームで脳の特定の部位が発達:研究結果”. WIRED. コンデナスト・ジャパン (2013年11月7日). 2013年11月8日閲覧。 関連項目 プロジェクト コンピュータゲーム ポータル コンピュータゲーム ポータル コンピュータゲーム ゲームクリエイター - ゲームクリエイター一覧 - ゲームミュージック - ゲーム音楽の作曲家一覧 ゲーム機 - ゲーム機一覧 - ゲーム会社一覧 - コンピュータゲームのタイトル一覧 - ゲーム雑誌 東京ゲームショウ - Electronic Entertainment Expo - ゲームズコム - ゲームズ・コンベンション ● ゲーム(英: Game)とは、遊びや遊戯と訳される。勝敗を決めるなどのルールや環境または他人との相互作用を元にした普通楽しみのために行なわれる活動である。 目次 1 ゲームの定義 1.1 ウィトゲンシュタインによる定義 1.2 カイヨワによる定義 1.3 コスティキャンによる定義 1.4 クロフォードによる定義 1.5 JUNZOによる定義 1.6 他の定義 2 ゲームの要素と分類 2.1 ゲーム理論の援用 2.2 ツール 2.2.1 ランダム性の有無による分類 2.2.2 コンピュータの登場と発達 2.3 参加する人数による分類 2.3.1 シングルプレイヤーゲーム 2.4 隠された情報の有無による分類 2.5 必勝法を探索する問題の困難性による分類 2.6 ルール 2.7 スキル、戦略、チャンス 3 さまざまなゲーム 3.1 スポーツ、eスポーツ 3.1.1 ローンゲーム 3.2 卓上ゲーム 3.2.1 器用さとコーディネーションのゲーム 3.2.2 ボードゲーム 3.2.3 カードゲーム 3.2.4 ダイスゲーム 3.2.5 ドミノとタイルのゲーム 3.2.6 鉛筆と紙によるゲーム 3.2.7 推理ゲーム 3.3 コンピュータゲーム 3.3.1 オンラインゲーム 3.4 ロールプレイングゲーム 3.5 ビジネスゲーム 3.6 シミュレーション 3.7 デザインゲーム 4 脚注 5 参考文献 6 関連項目 7 外部リンク ゲームの定義 ゲームの定義が語られる場合は、ヨハン・ホイジンガの著書『ホモ・ルーデンス』やロジェ・カイヨワの著書『遊びと人間』、ケイティ・サレンとエリック・ジマーマンの共著『ルールズ・オブ・プレイ』が特に用いられている[1][2]。 ウィトゲンシュタインによる定義 哲学者のウィトゲンシュタインは、著書『哲学探究』のなかで、カテゴリ化に関する議論のなかでゲームの定義を議論した。おそらくゲームを定義づけようとした最初の議論と考えられている。ゲームと呼ばれているものは、ルールや競争を共通の要素として持っている。しかし、彼は、どのようにゲームを定義づけようとしても、必ずその定義から外れてしまうような「ゲーム(とみなされる活動)」があると述べ、しかしそれでもなお、ゲームと呼ばれるものには一定の類似点(家族的類似性)によってゆるやかにまとまっていると主張した。 カイヨワによる定義 フランス人社会学者のロジェ・カイヨワは、著書『遊びと人間』("Les jeux et les hommes")のなかで、以下のようにゲームを定義した。すなわち、楽しみのために行なわれること、時間と場所が区切られていること、勝敗が不確定であること、何かを生産するものではないこと、ルールに支配されること、現実の活動から意識的に切り離されていることをゲームの参加者が知っていることである。また彼は、playに対応するパイディアPaidea(娯楽)の類型に対するものとして、ルール的制約をもちgameに対応するルドゥスLudus(闘技)を提案した。 コスティキャンによる定義 ゲームデザイナーのグレッグ・コスティキャンは雑誌Interactive Fantasyの記事 'I Have No Words & I Must Design' において、例えば『シムシティ』の作者ウィル・ライトが自分の作品を(「ゲーム」ではなく)「toy(おもちゃ)」であるとしている言葉などを引きつつ、ゲームとは「充分な情報の下に行われた意思決定 (decision making)をもって、プレイヤーが与えられた資源を管理 (managing resources)しつつ自ら参加し、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標 (goals)達成を目指す」ものであるとした[3]。 クロフォードによる定義 ゲームデザイナーのクリス・クロフォードは二分法の一連を使ってゲームという用語を定義することを試みた[4]。: 自身の美のために作られるのは芸術であり、貨幣のために作られるのはエンターテインメントである。(これは彼の定義の中でもっとも硬くない。クロフォードは、しばしば従来のビジネスの知恵より創造的な道を選ぶと認める。これは彼の13のゲームのうち続編が1つだけである理由である) それがインタラクティブならばエンターテインメントは遊びである。映画と本はインタラクティブでないエンターテインメントの例として挙げられる。 遊びにゴールが存在しないなら、それは玩具である。(クロフォードの定義によると、(a)プレイヤーが規則を作ることによっておもちゃがゲームの要素になることができる、(b)シムピープルやシムシティはゲームではなく玩具である。)ゴールを持っているならば遊びは挑戦。 挑戦が「競合するアクティブなエージェント」を持っていないならば、それはパズルである。一人ならばそれは衝突である。(クロフォードは、これが主観的なテストであると認める。目立ってアルゴリズム的な人工知能を持つコンピュータゲームはパズルとしてプレイすることができる。これはパックマンにおいてゴーストを回避するために使用されたパターンを含む。) 最終的に、プレイヤーが相手よりアウトパフォームすることができるのみであり、彼らのパフォーマンスを妨げるために攻撃することができないのならば、衝突は競技会である。(競技会は競走とフィギュアスケートを含む。)しかし、攻撃が許されるならば、衝突はゲームとされる資格を得る。 したがって、クロフォードの定義は次のようにされるかもしれない:遊ぶアクティブなエージェントとの、互いに干渉できるインタラクティブでゴール指向の活動。 JUNZOによる定義 エニックス元社員のJUNZO氏は著書「人生ドラクエ化マニュアル」の中で「ゲームとは目的を達成する為のルールに基づいた敵との楽しい闘い」と定義した。さらに、この定義に基づき「目的」「ルール」「敵」をゲームの三大要素だとした。そして、あるものに、このゲームの三大要素(「目的」「ルール」「敵」)を導入することにより、そのあるものをゲーム化できる、というゲーム化理論を考案した。 他の定義 ゲームとは、少なくとも二人以上のプレイヤー同士が対立構造を持ち、ルールに従って定量化可能な結果にいたるシステムである[5]。 ゲームとは、少なくとも二人以上のプレイヤーが、目的の達成のためにそれぞれ使用可能な資源のマネージメントを行うことである[6][7]。 ゲームデザイナーの陳星漢によると「人間の欲望を満たすもの(インタラクティブ・エンターテインメント)」という[8]。 特にテレビゲームは「褒める装置」ともいわれる[9]。 ゲームの要素と分類 ゲームのルールあるいはゲームのプレイに必要な情報は、プレイヤーの間でよく知られたものと仮定される(完備情報の仮定)。 ゲーム理論の援用 ゲーム理論そのものは、(そのような名前ではあるが)ここで扱っている「ゲーム」を研究することは主な目的ではないが(ちなみに、そちらはゲーム研究という)ゲーム理論において状況の分析などに使う分類はゲーム研究でも有用なため、しばしば流用される。まず前述のように、一般にここで扱っているようなゲームでは、完備情報ゲーム or 不完備情報ゲーム という分類では、完備である。 一般によく使われる表現に「人数 / (非)ゼロ和 / (無|有)限 / (不)確定 / (不)完全情報」という5要素を並べたものがある。例えばチェスなど多くの伝統的ボードゲームの分類である「二人零和有限確定完全情報ゲーム」などである。以下の節のうちのいくつかは、この分類法中に含まれるような話題を扱っている。 ツール ゲームはしばしば、必要とされるコンポーネントによって分類される(ミニチュアゲーム、球技、カードゲーム、ボードゲーム、コンピュータゲームなど)。よく皮革が使用される場所で、ボールは歴史を通じてポピュラーな試合の部品であり、結果としてラグビー、バスケットボール、フットボール、クリケット、テニス、バレーボールなどの球技は世界的に人気になった。他のツールは一定の地域に特有である。たとえば、ヨーロッパの多くの国ではユニークなトランプの標準的なデッキを持っている。チェスなどのほかのゲームは主にそのゲームのピースの開発と発展を通じて追跡されるかもしれない。 多くのゲームのツールはトークンであり、他のものを表すことを意図される。トークンはボード、プレイマネー、または得点などの無形のアイテムの質入であることがある。 かくれんぼまたは鬼ごっこなどのゲームはどのような明白なツールも使用しない。むしろ、それらのインタラクティブ性は環境によって定義される。環境が変更されるならば、同じ、または同様な規則を持つゲームは違うゲームプレイを持つかもしれない。たとえば学校の建物でのかくれんぼは公園の同じゲームと異なる。オートレーシングは同じ車によってもレーストラックまたはストリートレースのコースに依存して根本的に違うことがある。 ランダム性の有無による分類 ランダム性(乱数的な要素)の有無という視点である。確定ゲーム (deterministic game) と不確定ゲーム(確率的ゲーム、probabilistic game) といった用語がある。 probabilistic gameの例として、各種トランプゲーム、まわり双六、バックギャモンなどがある。トランプゲームにおいてはカードをシャフルする(かき混ぜる)事がランダムさの源で、まわり双六やバックギャモンにおいてはサイコロの目に従うことがランダムさの源である。 deterministic gameの例としては囲碁、将棋、チェス、チェッカー、ダイヤモンドゲームなどがある。これらのゲームでは偶然の要素はない。 コンピュータの登場と発達 コンピュータの登場とそのコンピュータネットワークの発達によって、ゲームに多彩なルールと環境と対戦相手をもたらし、ディスプレイと呼ばれる表示装置にグラフィックや画像と呼ばれる絵を映し出すことで表現される世界や、オンラインというコンピュータなど介したネットワークで接続された環境も用意することができるようになった。こういったコンピュータを使用する形をとるコンピュータゲーム(電子ゲーム、テレビゲーム)に日本が家庭向けパッケージ製品の世界シェアを多くもつことにもなったおかげで、日本で「ゲーム」と言えばコンピュータを使ったゲーム機・ゲームソフトを指す呼称にもなっている。 参加する人数による分類 ゲームがもし「勝ち負けを競うもの」だとしても、競う相手は一人からでも楽しむ事のできるゲームも数多く存在する。 一人で楽しむ事のできるゲームはソリテール(ソリティア)、もしくはペーシェンスと呼ばれる。ソリテールの多くは、事前目標に到達できたことを「勝ち」、そうでないことを「負け」とも考えられる。 ソリテールにはボード、カードなどを使うものも昔から多様な種類が存在することも知られている。一人で遊ぶ事を主眼としたコンピュータゲームなどはソリテールに分類する事もできる。 ソリテール以外のゲームに、参加する人数が固定しているもの=例えばの話だが囲碁、将棋、コントラクトブリッジなどと、そうでないもの=例えばの話だがポーカー、7並べ、ババ抜きなどがある。固定しなくても、上下限があるものも数多く存在している。 シングルプレイヤーゲーム ほとんどのゲームは複数のプレイヤーを必要とする。しかし、シングルプレイヤーゲームは、プレイヤーが直面している挑戦のタイプとしてユニークである。ゲームのゴールに到着するために互いに張り合っているマルチプレイヤーゲームと違って、シングルプレイヤーゲームは環境(人工的な相手)の要素に対する、自分のスキルに対する、時間に対する、またはチャンスに対するのみの戦いである。ヨーヨーで遊び、壁を背景としてテニスをすることは、一般的に、手ごわい相手の欠如のため試合と認められない。 コンピュータが相手を提供する場合、コンピュータゲームをシングルプレイヤービデオゲームと評することは有効ではない。コンピュータが記録するのみであるならば、ゲームは正当にシングルプレイヤーとされることがある。 「シングルプレイヤー」と評された多くのゲームは実際にはパズルまたはレクリエーションと名づけられるかもしれない。 隠された情報の有無による分類 囲碁、将棋、オセロなどは、現在の相手の手がすべて分かるという意味で、隠された情報がないゲームである(完全情報ゲーム)。 これに対し、ポーカー、麻雀などは、相手の手など、プレイヤーから隠された情報を推測するという要素の加わるゲームといえる(不完全情報ゲーム)。 必勝法を探索する問題の困難性による分類 ゲームの必勝法探索問題それ自身の困難性は、今のところ定義されておらず、ゲームのクラスに対する必勝法探索問題の困難性が定義されている。 ハミルトンゲームはNP完全問題である。(先手後手あわせて)n手で終了するゲームの必勝法を探索する問題は {\displaystyle \sum _{n}P\cup \prod _{n}P} \sum _{n}P\cup \prod _{n}P に属する。 (一般化された)しりとりはPSPACE完全問題である。 尚、二人零和有限確定完全情報ゲームには必勝法があることが知られている。 ルール ゲームがしばしばそれらのツールによって特徴付けられ、また規則によって定義される。規則がハウスルールに左右され、規則の十分な変化は結果として通常「新しい」ゲームを生じさせる。たとえば、野球は"本当の"野球によって、またはウィッフルボールによって行われる。しかし、プレーヤーが、3つだけのベースによって遊ぶと決めるならば、彼らは間違いなく違うゲームをしている。いくつかのゲームが意図的に自身の規則の変更に関係していることを例外として、そのときでさえしばしば不変のメタ規則が存在する。 ルールは一般にターンオーバーと、プレイヤーおよび各プレイヤーのゴールの権利と責任を決定する。プレイヤーの権利は、資源を使用することやトークンを動かすことを含む。よくある勝利条件は、最初にポイントまたはトークンの一定の割合を貯蔵すること(カタンの開拓者たちなど)、ゲームの終わりにより多くのトークンを持つこと(モノポリーなど)、ゲームのトークンを特定の条件に置くこと(チェスの詰みなど)である。 スキル、戦略、チャンス ゲームのツールと規則は結果としてスキル、戦略、運またはそれらの組み合わせの必要性を生み出すであろうし、それに応じて分類される。 スキルのゲームはレスリング、綱引き、石蹴り、ライフル射撃、スケートなどの物質的なスキルのゲームとイングリッシュドラフトとチェスなどのメンタルスキルのゲームを含む。戦略ゲームはイングリッシュドラフト、チェス、囲碁、アリマア、三目並べを含み、しばしば特別な道具を必要とする。運のゲームはギャンブルゲーム(ブラックジャック、麻雀、ルーレットなど)、および蛇と梯子やじゃんけんを含む。多くはカードやサイコロなどの機器を必要とする。しかし、ほとんどのゲームはこれらのうち2つまたは3つの要素を含む。たとえば、アメリカンフットボールや野球は物質的なスキルと戦略の両方に関係し、ティドリーウィンク、ポーカー、モノポリーは戦略と運を結合する。多くのカードゲームとボードゲームは3つすべてを結合する。ほとんどのトリックテイキングゲームやリスク、カタンの開拓者たち、カルカソンヌなどの多くの戦略的なボードゲームは、メンタルスキル、戦略、および運の要素に関係している。 さまざまなゲーム ゲームはスポーツからボードゲームやコンピュータゲームまでのさまざまな形式を取ることができる。 スポーツ、eスポーツ サッカーは世界的に人気のあるスポーツである。 多くのスポーツは特別な装備と専門の運動場を必要としており、プレイヤーのグループよりずっと大きいコミュニティの関与を引き起こす。都市や街はスポーツのリーグの組織のためにそのような資源を保持することがある。 人気のあるスポーツはゲームを見ることのみによって楽しむ、見るスポーツを行うものを持つことがある。コミュニティはしばしば、おそらくそれを象徴するであろうローカルなスポーツチームと(チームまたはほとんどのプレイヤーが加わったばかりであっても)提携する。彼らはしばしば相手に対して自身を位置合わせするか、伝統的なライバル関係を持っている。ファンの概念はスポーツのファンを起源とする。 スタンリー・フィッシュは社会建築(試合のツール上の規則の操作)のクリアな例として野球のボールとストライクを挙げた。ストライクゾーンの目標がゲームの規則によって制御される間、人々がそれらを本当であるとみなすことに合意したことのみもって、それは存在しているもののカテゴリーを典型的に示している。問題についての判断が現在の試合の中で問題にされることがないような適切な権限である審判員によってラベルを付けて分類されるまで、どの投球もボールまたはストライクではない。 競争相手が相互作用しないので、競走や体操などの一定の協議は、近代オリンピックにおける多くの含有にもかかわらずクロフォードなどの定義によるゲームではない。彼らは間接的な方法で互いに挑むのみである。 また、ゲーマーによるコンピュータゲームを競技とするeスポーツも行われ、プロフェッショナルスポーツと認定されたものもある[10]。 ローンゲーム ローンゲームは、一般に「フィールド」またはピッチより小さい、刈り取られた草(または等級付けられた交互の土)のエリアにある芝の上で行えるアウトドアのゲームである。ピッチの上で伝統的に行われる多くのゲームのバリエーションは家庭の前庭や後庭での使用のために「ローンゲーム」としてマーケティングされる。メジャーなローンゲームはホースシュー、ショルフ、クロッケー、ボッチェ、ローンボウルズ、およびスケートを含む。 卓上ゲーム 卓上ゲームは一般に、遊びの要素が小さい領域に制限され、通常ゲームのピースを置き、回復し、動かすことのみで構成され、激しい運動を必要としないゲームを指す。したがって、これらのゲームんほとんどは、プレイヤーが座り、ゲームの要素が存在するテーブルで行われる。さまざまな主要なゲームの型は一般に卓上ゲームのうちに入る。このカテゴリー、特にパーティーゲームに分類される多くのゲームが、遊びにおいてもっと自由な形式で、たとえ、基本的な前提が、ゲームが広い領域、大量の力やスタミナ、箱に入らない専門的な機器を必要としていないことであっても、パントマイムなどの身体活動に関係することを行うことが可能であることには注目する価値がある(時々、鉛筆と紙のようなものが必要になる)。 器用さとコーディネーションのゲーム ゲームのこの分類は、関係しているスキルの要素が手先の器用さまたは手と目の統合と関連しており、コンピュータゲームを除くあらゆるゲームを含む。ジャックス、ペーパーフットボール、ジェンガなどのゲームは、非常にポータブルな、または即席で作られた機器のみを必要とし、あらゆる平面で行われる一方、ピンボール、ビリヤード、エアホッケー、テーブル・フットボール、テーブルホッケーは専門的なテーブルまたは試合用のその他の内蔵モジュールを必要とする。テーブルホッケー、ビリヤード、ピンボール、テーブル・フットボールは私的および公的なゲームルームで人気のある備え付け品であり続けるが、ホームビデオゲームシステムの出現は主としてテーブルホッケーなどのこれらのいくつかを取り替えた。これらのゲームは、反射とコーディネーションを必要としているので、一般に酔った人によってより不十分に実行されるが、結果として怪我を受けることがありそうにない。このようなゲームはドリンキングゲームとして人気がある。さらに、クォーターズなどの専門のドリンキングゲームもまた身体的な調整力に関係し、同様な理由のために人気がある。 ボードゲーム パーチージはインド起源のボードゲームのアメリカの順応化である。 ボードゲームは、プレイヤーのステータス、資源、進歩が、物質的なトークンを使用して追跡されるボードを中心的なツールとして使用する。多くはサイコロやカードを使用する。(戦略的な戦闘をシミュレーションするために多くのコンピュータゲームが作成されたが)戦争のシミュレーションをするほとんどのゲームはボードゲームであり、ボードはプレイヤーのトークンが移動するマップであることである。事実上全てのボードゲームは「ターンベースの」遊びに属する。1人のプレイヤーが考え、移動し、そして次のプレイヤーが同じことをし、プレイヤーは順番に作用できるのみである。いくつかのカードゲーム、ほとんどのスポーツ、ほとんどのコンピュータゲームのような「リアルタイムの」遊びに反する。 チェス、囲碁、将棋、オセロなどのいくつかのゲームは完全な決定論であり、興味は戦略要素のみである。一方では子どものゲームは非常に幸運ベースである傾向がある。たとえばキャンディランドは作成される決定の要素を事実上全く持っていない。他のボードゲームは戦略と幸運の要素を結合する。バックギャモンは2つのサイコロのロールに基づいた最もよい戦略的な動きを決定することをプレイヤーに要求する。トリビアゲームは、人が得る問題に基づいたたくさんの無作為性を持っている。ドイツのボードゲームは、多くのボードゲームより幸運のファクターがやや少ないことがしばしば存在することについて有名である。 ボードゲームのグループは、上で述べられているトリヴィアゲーム、ドイツスタイルボードゲームのほかにレースゲーム、ロール・アンド・ムーブ・ボードゲーム、アブストラクトゲーム、言葉遊び、ウォー・シミュレーションゲームを含む。いくつかのボードゲームは複数のグループに属し、他のジャンルの要素を含んでいる。たとえば、クラニアムはひとつの人気のある例であり、プレイヤーは4つの主要なスキルのそれぞれに成功しなければならない:芸術性、ライブパフォーマンス、トリヴィア、語学力。 カードゲーム カードゲームは中心的なツールとしてカード一組を使用する。これらのカードは、標準的な52枚の英米式トランプデッキ(コントラクトブリッジ、ポーカー、ラミーなどを行う)、違うスート記号による32、36、40枚の地域的なデッキ(ドイツのスカートなど)、78枚のタロットカードのゲームのデッキ(ヨーロッパでトリックテイキングゲームを行うために使用される)、あるいは個々のゲームに特有のデッキ(セットや1000ブランクホワイトカードなど)であることがある。UNOとロークは元来標準のデッキとされたが、その後カスタマイズされたデッキが商品化された例である。マジック:ザ・ギャザリングなどのいくつかのトレーディングカードゲームは大きな入手可能なセットから個々に収集されるか購入されるカードの小さなセットによって行われる。 いくつかのボードゲームはゲームプレイの要素として、通常ランダム化のために、またはゲームへの注意を継続させるためにカード一組を含む。逆に、スコアを維持するために、クリベッジなどのいくつかのカードゲームはムーバーとボードを使用する。そのような場合の2つのジャンルの間の区別は、ゲームのどの要素が真っ先に作動しているかに依存する。ランダムな行動のためにカードを使用しているボードゲームは通常ランダム化のほかの方法を使用でき、一方クリヘッジはちょうど同じぐらい容易に紙に得点を記述することができる。使用されるこれらの要素は、単に目的を達成する伝統的でもっとも容易な方法である。 ダイスゲーム ダイスゲームは中心的な要素として多くのサイコロを用いる。ボードゲームはしばしばランダム化要素のためにサイコロを用い、サイコロの各ロールはゲームの結果への深い影響を持っているが、サイコロがゲームのほかの要素の成功か失敗かを判断しないので区別される。代わりにこれらがゲームをする人の中心的な指示者である。有名なものにはヤッツィー、ファルクレ、ブンコ、ブラフ、デュド、ポーカーダイスなど。サイコロが、ごく自然に、見たところ乱数の生成を行うようにデザインされるので、これらのゲームは通常運の占める程度が高い。プレイの戦略的な要素を通じて、そして確率論の教義を通じてある程度プレイヤーが指示することができる。このゲームはギャンブルゲームとして人気がある。ブラフやポーカーダイスは本来ギャンブルゲームとして考えられたが、現在おそらくもっとも有名な例はクラップスである。 ドミノとタイルのゲーム ドミノゲームは多くの点でカードゲームと同様であるが、代わりの一般的な機器は、2つの終わりを持ち、それぞれにいくつかの数のドット(あるいは「目」)が置かれ、上で現れる2つの可能な終端の値がセットの中にユニークであるような、ドミノと呼ばれるタイルのセットである。ドミノゲームは、主にマッチしている他のドミノの終端にプレイヤーの「手」からドミノをプレイしている中心に置くことによってプレイされる。このとき全体のオブジェクトは、すべてのオープンな終端を与えられた数に達せさせるため、あるいは単にボードの上に人の手からすべてのドミノをプレイするために、常にプレイを作ることができるかもしれない。セットは一つの終端の可能なドットの数の中で、およびピースの組み合わせの数によってさまざまである。歴史的に最も一般的なセットはダブル・シックスであるが、最近はダブル・ナインのようなより「拡張」されたセットが導入されている。これはゲームにおいてより大きな手と多くのプレイヤーの参加を許す。マギンズ、メキシカントレイン、チキンフットは非常に人気のあるドミノゲームである。42は"トリックテイキング"カードゲームに非常に類似しているドミノゲームである。 伝統的なドミノのバリエーションは以下の通りである:トリオミノは理論において同様であるが、三角であり、1つのタイルあたり3つの値を持っている。同様に、クアッドオミノスとして知られているゲームは4角形のタイルを使用する。 いくつかの他のゲームはカードの代わりにタイルを使用する。ラミーキューブはアングロ・アメリカン式トランプに非常に類似している、4色の間でランクを上げていくことを数えるタイルを使用する、カードゲームラミーの同種である。麻雀はカード風の値と絵によるタイルのセットを使うラミーに非常に類似している別のゲームである。 最初に、プレイするゲームのほかの要素の上で、ボードのレイアウトを形成するために、いくつかのゲームはグラフィカルなタイルを使用する。カタンの開拓者たちとカルカソンヌがその例である。それぞれの中で、「ボード」は一連のタイルからなる。カタンの開拓者たちの中で、最初のレイアウトはランダムであるが静的であり、カルカソンヌではゲームはタイルごとのボードである「建物」によってプレイされる。ボードを全く持っていないが、ピースを動かすためにタイルを使用する抽象的な戦略ゲームハイブはチェスに類似しているメカニカルで戦略的な要素を持っている。ピース自身がレイアウトを形成し、また動くことができる。 鉛筆と紙によるゲーム この種類のゲームは文房具以外の専門的な機器をほとんどまたは全く必要としない。ただし、ボードゲームとして商品化される(たとえば、スクラブルはクロスワードパズルのアイディアに基づき、ボックス型のグリッドとピースによる三目ならべセットは商業的に入手可能である)。これらのゲームは多様であり、ピクショナリーのような描かれたデザインに注目しているゲームや、スプロウツのような"点と点を結ぶ"ゲーム、ボッグルやスカッテルゴリエスなどの文字と言葉のゲーム、数独やクロスワードパズルなどのソリテールとロジックのパズルゲームがある。 推理ゲーム 推理ゲームは、1人のプレイヤーが知っている情報をコアとして所持し、オブジェクトは、テキストまたは話された言葉の中で事実上それを漏らさない情報の断片を推理することを他人に強いることである。ジェスチャーはおそらくこのタイプのもっとも有名なゲームであり、キャッチフェイズ、タブー、ピクショナリーなどの、通信のタイプの異なる規則に関係しているたくさんの商業用のバリエーションを生み出した。このジャンルはまたウィン、ルーズ・オア・ドロー、パスワード、および25000ドルのピラミッドなどの多くのゲームショーを含む。 コンピュータゲーム コンピュータゲームはコンピュータをゲームルールの情報処理に深く利用している。コンピュータは、カードまたはサイコロなどの、人あるいは人工知能との間でのゲームで使用されるバーチャルなツールを作成することができるか、ゲームプレーをとおじて処理できる現世の、もしくはファンタスティックなものよりずっと精巧な世界をシミュレーションすることができる。 ビデオゲームでは1つ以上の入力デバイスを使用する。アーケードゲームでは一般的に押しボタンとジョイスティックの組み合わせである。パーソナルコンピュータ用ゲームではキーボード、マウス、トラックボールである。ゲーム機ではゲームコントローラまたはモーションセンシティブツールである。パドルコントローラなどのより難解な機器も入力のために用いられる。コンピュータゲームにおいて、単純なキーボードからマウス、ジョイスティック、ジョイパッドにいたるまでのユーザーインタフェイスの発展はゲームの開発の性質を大きく変更した。 多くのジャンルのビデオゲームが存在する。最初の商業用ビデオゲームポンは卓球の簡単なシミュレーションであった。処理パワーの増大に伴い、アドベンチャーやアクションゲームなどの新しいジャンルが開発された。これが障害の一連を通じて第三者の眺望からキャラクターを誘導しているプレイヤーに関係した。この「リアルタイム」要素は、一般に「ターンベースの」戦略に制限されるボードゲームによって容易に再現されない。この有利さは、ビデオゲームがより現実的に戦闘などの状況をシミュレーションすることを可能にする。さらに、コンピュータゲームの遊びは実世界の表現と同じ物質的なスキル、力、危険を必要とせず、空想的な自然、物質的な暴力を伴っているゲーム、またはスポーツのシミュレーションの要素を許し、非常にリアルだが、誇張されるか不可能な物理学を提供できる。最後に、シングルプレイヤーのよってプレイすることができるシミュレーションを引き起こし、コンピュータは成功のさまざまな程度によって、チェスなどの伝統的なテーブルゲームにおいて1人以上の人の相手をシミュレーションすることができる。 サンドボックススタイルゲームとして知られるより無制限のコンピュータシミュレーションにおいて、ゲームは、プレイヤーが自由にこの宇宙の限界の中で好きな何かをすることができるかもしれないバーチャルな環境を提供する。時々、ゴールの不足または欠如があり、これは、これらが「ゲーム」または「おもちゃ」のどちらと考えられるべきであるかについてのいくらの討論を起こした(クロフォードは特におもちゃの例としてウィル・ライトのシムシティに言及する[4]。) オンラインゲーム ネットワーク化された時分割方式のコンピュータの最初期から、オンラインゲームは文化の一部であった。PLATOなどの初期の商用システムは厳密に教育的な分野と少なくとも同じくらいゲームによって有名であった。1958年、Tennis for Twoは訪問者の日を支配し、ブルックヘブン国立研究所のオシロスコープに注意を引きつけた。1980年代、パロアルト研究所は主にメイズウォーによって知られていた。それは訪問者に実地のデモとして提供された。 現在のオンラインゲームはインターネット接続を使用して行われる。いくつかがクライアントプログラムを献呈した一方、ブラウザゲームはウェブブラウザのみを必要とする。いくつかのより簡単なブラウザゲームは、ビデオゲームをほとんどしない人口統計のグループ(特に女性と中年)にアピールする。 コンピュータゲームは出現したニューメディアのランドスケープの全てのセクタでよく設立される。メディアは、1つだけの方法を循環する伝統的な方法からインタラクティブな方法へ変換する。これはビデオゲームの世界中で広がっている現象である。これは、オンラインとオフラインの空間が別れずに「合併される」と考えられることができる方法の明白な例である[11]。) 社会的変化と開発の結果としてメディアの客の特徴が変化する。彼らはアクティブになり、これまでよりもっと対話する。この現象において、ゲームのプレイヤーは私たちの社会の中での構成に似ている。彼らは両方とも自動調節であり、彼ら自身の社会規範を作成していて、ゲームのコードを通して、そして時々、それを実行する人々によるゲームの取締りを通じて、規則と強制に縛られる。取り締まられる価値はゲームによって変わる。ゲーム文化の中にエンコードされた価値の多くはオフラインで文化的な価値を反映するが、ゲームはまたチャンスを強調の選択肢に提供したり、ファンタジーと遊びの名において価値を鎮圧する。新しい世紀のゲームのプレイヤーは現在見たところゲームを通じて深い自身を表現している。彼らが匿名のステータスによって遊ぶことができるときに、急ぎ、また一度も外出したことがないポジションから外に進むことを発見できる。それらはコンピュータ技術のインタラクティブで浸水の可能性に基づいた新しい体験と楽しみを提供する。 ロールプレイングゲーム RPGとしばしば省略されて呼ばれるロールプレイングゲームは、通常、参加者が虚構の設定上で活動するキャラクターの役割を受け持つタイプのゲームである。本来のロールプレイングゲームという用語が指す、テーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)とも呼ばれるこれらのゲームは通常、テーブルに向かい合った複数人の参加者によってプレイされ、筆記具と紙を用いたフィクションの展開に終始傾注する。 プレイヤーたちは協力して、彼らのキャラクターに関連した設定を作り、その設定を発展させ、探求し、また他人になりきって日常生活の枠を飛び越えた冒険を経験することになる。今日のテーブルトークロールプレイングゲームは、伝統的なジャンルの境界を越えて、様々な作品が作られており、戦闘重視なものから、よりストーリー重視なものまで、数百種類のゲームが存在している。 ロールプレイングゲームという用語は、今日ではコンピュータRPGを指すためにも使われる(日本ではより一般的でもある)。あらかじめプログラムされた状況とストーリーを単独のプレイヤーが遊ぶゲームであることが多いが、インターネットの発達により、MORPG、MMORPGと呼称される小規模・大規模の複数プレイヤーが参加するコンピュータRPGも存在する。 また、一人で、コンピュータを用いずにプレイできるテーブルトークロールプレイングゲームとして、ゲームブックなども存在する。 ビジネスゲーム ビジネスゲームはインタラクティブなボードゲームから、違う支柱(ボール、ロープ、輪など)と活動のさまざまな種類に関係しているインタラクティブゲームまでのさまざまな形式を取ることができる。これらのゲームの目的は組織的な性能のいくつかの面にリンクし、ビジネスの発展についての議論を生成することである。多くのビジネスゲームは組織的な行動に注目する。これらのいくつかがコンピュータシミュレーションである一方、他方はプレイと情報の聞き出しによるシンプルなデザインである。チームビルディングはそのような活動の共通のフォーカスである。 シミュレーション 用語「ゲーム」はさまざまな活動のシミュレーション[12][13]または再現を含み、訓練、分析、予測などのさまざまな目的のために「実生活」で使うことができる。有名な例は軍事演習と役割演技である。この意味の根は、先史時代に端を発するかもしれないことが、原始文明を観察することから人類学によって推論された。それにおいて、子どものゲームは重要なほどに狩猟、戦争、看護、などの大人の活動を真似する。これらの種類のゲームは現代に保存される。 デザインゲーム デザインゲーム(design game)とは、まちづくりにおけるシミュレーションの一種で、具体的な空間計画等を行う際に、空間イメージをシミュレーションし、目標のイメージを関係者で共有するための手法。ワークショップのような集会において、参加者が意見やアイデアをだし合い、実際に設計やデザインに参加する。ワークショップ形式での新しい公園やまちを計画する際など住民参加型の計画に用いられる。種類として、将来の町の姿をシミュレーションする「ライフデザインゲーム」や 町の更新をシミュレートする「建替えデザインゲーム」など各種ある。 脚注 [ヘルプ] ^ 馬場章氏×遠藤雅伸氏 『ゲーム・テクノロジーから教育を変える』 Edu×Tech Fes2013 - YouTube ^ “ドロッセルマイヤーズが考える,ゲームシステムと世界観の理想の関係とは? ボードゲーム制作の視点からメカニクス構築を紐解く講演会レポート”. 2014年2月22日閲覧。 ^ “I Have No Words & I Must Design” (日本語). 2020年2月10日閲覧。 ^ a b Crawford, Chris (2003). Chris Crawford on Game Design. New Riders. ISBN 0-88134-117-7. ^ Salen, Katie; Zimmerman, Eric (2003), Rules of Play: Game Design Fundamentals, MIT Press, p. 80, ISBN 0-262-24045-9 ^ Costikyan, Greg (1994), I Have No Words & I Must Design 2008年8月17日閲覧。 ^ Avedon, Elliot; Sutton-Smith, Brian (1971), The Study of Games, J. Wiley, p. 405, ISBN 0471038393 ^ “『風ノ旅ビト』誕生秘話――人の感情を動かすゲームが生まれるまで【GDC2013】”. 2013年3月31日閲覧。 ^ “六百デザインの「嘘六百」: 時折綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト”. 2013年12月26日閲覧。 ^ “米国政府、PCゲームLeague of Legendsをプロスポーツと認定。外国人選手にアスリートビザを発行”. 2013年8月25日閲覧。 ^ Flew, Terry and Humpphreys, Sal (2005) "Games: Technology, Industry, Culture" in Terry Flew, New Media: an Introduction (second edition), Oxford University Press, South Melbourne 101?144 ^ “Roleplay Simulation for Teaching and Learning”. 2008年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月30日閲覧。 ^ “Roleplay Simulation Gamer Site”. Playburg.com. 2009年7月29日閲覧。 参考文献 ホモ・ルーデンス ISBN 4122000254 遊びと人間 ISBN 4061589202 ルールズ・オブ・プレイ(上)ゲームデザインの基礎 ISBN 4797334053 ルールズ・オブ・プレイ(下) ISBN 4797334061 中山幹夫「はじめてのゲーム理論」有斐閣ブックス 関連項目 ポータル ゲーム ウィキペディアの姉妹プロジェクトで 「ゲーム」に関する情報が検索できます。 ウィクショナリーの辞書項目 ウィキブックスの教科書や解説書 ウィキクォートの引用句集 ウィキソースの原文 コモンズでメディア ウィキニュースのニュース ウィキバーシティの学習支援 遊び - 競技 - 賭博 - 試合 テーブルゲーム マインドスポーツ コンピュータゲーム ゲーマー エレクトロニック・スポーツ シリアスゲーム ゲーミフィケーション ゲームデザイン ゲーム理論 スイス・ゲーム博物館 グローバルゲームジャム(GGJ) - 全世界同時に同テーマでゲームを開発するイベント。Global Game Jam JAPAN 公式サイト。 外部リンク 遊戯史学会 ゲーム用語辞典 ゲームと遺伝子 戦争遺伝子の副産物として登場したゲーム ?ゲームと遺伝子(5) 狩猟採集社会の命を賭けた「ゲーム」?ゲームと遺伝子(4) なぜ相手を殴りつけたりしないでサッカーが成立するのか?ゲームと遺伝子(3) 199万年の戦争をしてきた人類がいてゲームがある?ゲームと遺伝子(2) 人間がゲームを好むのは根源的な理由がある?ゲームと遺伝子(1) カテゴリ: ゲーム ● ●--------- --------- --------- wiki 囲碁 wiki ネット碁 wiki オンラインゲーム 対局時計 wiki コンピュータゲーム 桂三枝 --------- --------- --------- --------- ---------