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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
明神電車
廃線後の保存車両
明神電車(一円電車)
(1980年8月撮影)
明神電車(めいしんでんしゃ[1])は、かつて兵庫県大屋町(現・養父市)・朝来町(現・朝来市)の明延鉱山にあった鉱山用軌道。明延(あけのべ)と神子畑(みこばた)を結ぶことからその名がついた。
目次 [非表示]
1 概要
2 廃線後
3 脚注
4 関連項目
概要[編集]
鉱石の輸送を目的に敷設された。
本来は神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道とワンセットの上部軌道に位置づけられていたが、道路整備で下部軌道は早期(1957年)に廃止され、上部軌道に当たるこちらのみが残された。
当初は明延から養父駅へ向かう軽便鉄道が計画されたが予定線の沿線住民の反対により、神子畑からのルートとなった[2]。
1912年の明延 - 神子畑間の索道(延長 5.75 km)設置に始まり、1918年には輸送力増強のために軌道の敷設が計画され、途中に立ちはだかる山々を貫通する3本のトンネルの掘削工事が開始されたが、難工事のために翌年一旦中断された。
その後1927年に工事が再開され、1929年に最大の難工事となった明神第三隧道(延長 3,937 m)の工事が完成し、同年4月より坑内軌道で使用されていた4t級電気機関車と1t積鉱車による鉱石輸送が開始された。
さらに、戦時体制下にあって戦略資源としての錫鉱石の重要度が増大した1941年には軌間の変更(改軌)が行われた。これにより、坑内軌道と同じ 500 mm 軌間から 762 mm 軌間へ拡幅され、輸送力の大幅な強化が実現した[3]。
鉱石列車のほかに、鉱山関係者の便宜を図って人車も1945年から運行された。この時、当初は運賃無料であったのが、1949年から50銭、1952年から1円を徴収するようになった。その運賃はその後、1985年10月の人員輸送廃止[4]まで変わらなかった。「一円電車」と呼ばれる所以はここにある。
なお、登山客へも10円の料金を徴収して開放していた事があり、その後は関係者かどうかに関係なく運賃を1円[5]に統一した。しかし、1960年代にマスコミで「運賃が1円」ということが取り上げられた結果、興味本位の部外者の乗車が増え、その中には運行を妨害するような者も少なからずいたことから、業務に支障が出るという本末転倒の事態になり、部外者の乗車を禁止せざるを得なくなった(しかし、その後も関係者の判断で乗車できることもあった)。
鉱山鉄道としては重軌条化、プッシュプル方式の電気機関車の無線操縦[6]による総括制御など、合理化と輸送力強化がキャパシティの限界まで徹底されていた。
その一方で、自社工場製の電動客車(白銀・赤金)や客車(くろがね・わかば・あおば)による人員輸送も、代替交通機関が存在しなかった事から最後まで継続した。
プラザ合意以降の急激な円高の進行で錫鉱山としての国際競争力が低下し、明延鉱山が1987年に閉山となったことに伴い、明神電車も廃線となった。
なお明神電車は全長約 6 km でほとんどがトンネル区間となっており、軌間 762 mm・直流 550 V 電化であった。
なお、その歴史的経緯から坑道内の 500 mm 軌間を採用した軌道と敷地を共用していた区間が一部にあり、ここは三線軌条となっていた。500 mm 軌間の区間には非電化と電化の区間が両方あり、バッテリー式機関車と電気機関車が併用されていた。
廃線後[編集]
多くの電気機関車・客車・バッテリーカーなどは、養父市立あけのべ自然学校に車両が保存されているほか、一部は、集落の南谷郵便局前にも保存されている。2010年10月からは、毎月第1日曜日に動態保存が行われることが報じられた[7]。その後、養父市立あけのべ自然学校でバッテリートロッコの運転が実施された[8]が、枕木の老朽化等により2011年7月以降は運行を休止している[9]。地元の養父市では2015年夏までに枕木の交換を完了させ、車両の動態保存を進めるNPOでは完了次第トロッコの運転を再開し、将来の「一円電車」動態運行をめざしている[9]。
一部の車両(機関車・客車・貨車)は、道の駅あさご内に展示されている。道の駅あさご・フレッシュあさご・但馬のまほろばで、一円電車のペーパークラフトや道の駅訪問記念きっぷの裏面デザインに、一円電車を印刷されたものも販売された。
また朝来市内にある明延鉱山神子畑選鉱所跡は史跡公園に整備され、一部、公園内にレール等が保存されており、史跡公園 - 道の駅あさご間に、橋梁跡やトンネル、廃線跡などの遺構が残っている。道の駅あさご - フレッシュあさご間の国道312号線沿いには、明神鉄道で使われていた鋳鉄橋が保存されている。
脚注[編集]
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^ 岡本憲之編 『全国軽便鉄道失われたナローゲージ物語300選』 JTB、1999年、p.194。ISBN 4-533-03198-6。
^ 岡本憲之著『一円電車と明延鉱山』神戸新聞総合出版センター、2012年、p.28
^ これに伴い、10 t 級電気機関車と 4 t 積鉱車が導入されている。
^ 日本交通公社時刻表編集部編『あなたも名探偵 時刻表クイズ』日本交通公社出版事業局、1986年、ISBN 4533006132
^ 本来は99銭の設定であったが、正しく支払うのに必要な通貨が存在せず徴収不能のため、便宜上1円としたという。
^ 当線最大級の 10 t 級電機であったNos.1 - 3の3両を改造し常時2両を使用、1両を検査予備として間に 5 t 積グランビー鉱車を挟んで1編成を構成した。なお、車載不能であった機器は隣に連結された背の低い有蓋貨車に搭載された。
^ 「一円電車」復活へ 地元住民、線路整備に汗 朝日新聞2010年10月4日
^ 鉱石の道イベント情報より
^ a b 「将来は一円電車を」明延鉱山跡のトロッコ軌道 養父市が枕木交換進める NPO「早く走らせたい!」 - 産経ニュースWEST2015年4月10日
関連項目[編集]
鉱山鉄道
神子畑選鉱所
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カテゴリ: 近畿地方の鉄道路線 (廃止)兵庫県の交通史鉱山鉄道1円
妙見の森リフト
妙見リフト
索道に沿って桜が植えられ、また索道の下にも所々花が植えてある。
妙見の水広場前駅のりば
妙見の森リフト(みょうけんのもりリフト)とは、兵庫県川西市内で能勢電鉄が運営するリフト(特殊索道)である。2013年3月16日に妙見リフトから改称した[1]。正式名称は索道線。能勢妙見堂のある妙見山山頂への足である。戦前はこの区間に妙見鋼索鉄道がケーブルカーを運行していたが(上部線)、戦時中に不要不急線として撤去され、戦後に能勢電鉄によって再整備される際に建設費などを考慮してリフトとなった。
戦前の妙見鋼索鉄道上部線はふれあい広場(旧・妙見の水広場)付近でカーブしており、なおかつリフトは直線上に敷設する必要があるため、リフトの起点(ふれあい広場のりば)はカーブのすぐ上に設置せざるを得ず、妙見の森ケーブルのケーブル山上駅からは徒歩5分ほどの距離となった。
冬期は、年始および能勢妙見山でお火焚き祭りのある2月11日をのぞいて運休する(詳細は公式サイトの妙見リフトのページを参照)。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運賃
3 歴史
4 乗り場
5 接続路線
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):0.58km
駅数:2駅(起終点駅含む)
高低差:88m
運賃[編集]
大人片道350円、往復690円。小児片道180円、往復350円(2017年3月18日改定)[2]。
歴史[編集]
「能勢電鉄妙見の森ケーブル#歴史」も参照
1925年(大正14年)8月1日 - 妙見鋼索鉄道下部線(滝谷 - 中間間)とともに、上部線中間 - 妙見山間開業[3] 。
1944年(昭和19年)2月11日 - 妙見鋼索鉄道下部線・上部線が廃止され、資材は供出[3]。
1960年(昭和35年)8月27日 - 能勢電気軌道(現在の能勢電鉄)が妙見リフト・郷土館前(現・妙見の水広場前) - 妙見山間開業[3]。
1989年(平成元年)7月1日 - 郷土館前を展望公園前に改称。
1993年(平成4年)10月1日 - 展望公園前を妙見の水広場前に改称。
2013年(平成25年)3月16日 - 「妙見リフト」から「妙見の森リフト」に改称[1]し、妙見の水広場前をふれあい広場に改称。
乗り場[編集]
ふれあい広場 - 妙見山
妙見山乗り場が山頂側である。
接続路線[編集]
ふれあい広場:妙見の森ケーブル(ケーブル山上駅)
脚注[編集]
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^ a b 妙見山の各施設が生まれ変わります! (PDF) - 能勢電鉄ニュースリリース、2013年2月28日
^ 鋼索鉄道事業の旅客運賃上限変更認可ならびに運賃改定の実施について (PDF) - 能勢電鉄、2017年3月9日
^ a b c 曽根悟(監修) 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』14号 神戸電鉄・能勢電鉄・北条鉄道・北近畿タンゴ鉄道、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年6月19日、16-17頁。
関連項目[編集]
日本の索道
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、妙見の森リフトに関連するメディアがあります。
妙見の森リフト - 能勢電鉄
[隠す] 能勢電鉄 能勢電鉄 妙見線・日生線・鋼索線・索道線
(梅田方面<<)川西能勢口 - 絹延橋 - 滝山 - 鶯の森 - 鼓滝 - 多田 - 平野 - 一の鳥居 - 畦野 - 山下(>>日生中央) - 笹部 - 光風台 - ときわ台 - 妙見口
廃線区間:川西能勢口 - 川西国鉄前
鋼索線:黒川 - ケーブル山上 索道線:ふれあい広場 - 妙見山
カテゴリ: 日本の索道能勢電鉄川西市の交通
大阪電気軌道長谷線
長谷線
概要
現況 廃止
起終点 起点:桜井駅
終点:初瀬駅
駅数 2駅、5停留所
運営
開業 1909年12月11日
廃止 1938年2月1日
所有者 初瀬軌道→初瀬鉄道→長谷鉄道→大阪電気軌道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 5.6 km (3.5 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線
凡例
STR
桜井線
BHFq KRZu STRlg
←大軌桜井線
exKBHFr STR STR
大和鉄道
BHFq STRrf STR
↓参急本線
exKBHFl exSTRlg STR
0.0 桜井駅
exBHF STR
0.2 北口停留所
STRrg xKRZu STRrf
STR exBHF
1.1 外山停留所
STR exBHF
1.6 宇陀ヶ辻停留所
STR exBHF
2.0 慈恩寺停留所
HST exSTR
大和朝倉駅
STR exBHF
3.5 黒崎停留所
STR exKBHFe
5.6 初瀬駅
HST
長谷寺駅
長谷線(はせせん)は、かつて近畿日本鉄道(近鉄)の前身である大阪電気軌道(大軌)が保有していた鉄道路線(廃線)である。
目次 [非表示]
1 概要
2 路線データ
3 運行概要
4 歴史
5 輸送・収支実績
6 車両
7 駅一覧
8 接続路線
9 脚注
10 参考文献
概要[編集]
真言宗の古刹として知られる長谷寺は、古くから「初瀬(はせ)詣で」として多くの参拝客を集めていた。そのため鉄道院桜井線の桜井駅より分岐して、長谷寺より1km手前の初瀬駅に至る軌道を参拝輸送などの目的で建設することになり、1909年(明治42年)に開業した。
会社は当初初瀬軌道(はせきどう)と称したが、後に初瀬鉄道と改称し、さらに大正になると長谷鉄道に再編するなど、改変を繰り返した。
その後、近鉄の前身である大軌が子会社の参宮急行電鉄(参急)を設立し、桜井駅から伊勢神宮へ向かう路線を建設することになったが、長谷鉄道ではこれが開業すると全線で並行する形になるため、会社では競争を避け補償も兼ねる目的から、1928年(昭和3年)に大軌へ合併することにして同社の長谷線となった。
1929年(昭和4年)に参急線が開業した後、1930年(昭和5年)に経営合理化のため軌道自動車(ガソリンカー)が3両導入されて老朽化が進んでいた既存の蒸気動車を代替し、路線存続の道が模索された。
しかし、参急線に加えて並行区間に乗合自動車が営業を開始し乗客が激減したため、長谷線は1938年(昭和13年)に全線廃止となった。
路線データ[編集]
路線距離:桜井 - 初瀬間5.6km
軌間:1067mm
駅数
停車場:2
停留所:5
電化区間:なし
複線区間:なし
運行概要[編集]
1933年12月20日当時
運行本数:6時から22時台まで日19往復(毎時ほぼ1本で、夕方2本)
所要時間:全線14分
なお当時、参急本線の桜井 - 長谷寺間は所要6分、終日1時間間隔
歴史[編集]
1909年(明治42年)12月11日 初瀬軌道により開業
1912年(明治45年)2月10日 初瀬鉄道と改称、軌道条例に基づく軌道から軽便鉄道法に基づく軽便鉄道に変更[1]
1913年(大正2年)6月7日 鉄道免許状下付(奈良県磯城郡初瀬町-三重県飯南郡松阪町間)[2]
1915年(大正4年)
4月13日 新設の長谷鉄道へ事業譲渡
11月9日 鉄道免許失効(奈良県磯城郡初瀬町-三重県飯南郡松阪町間、指定に期限までに資本増加手続きを完了せさるため)[3]
1927年(昭和2年)12月21日 大阪電気軌道との合併について、鉄道大臣と内務大臣が認可[4]
1928年(昭和3年)
1月8日 大阪電気軌道に合併、同社の長谷線となる[5]
9月27日 軌道自動車(ガソリンカー)運転認可申請[6]
1929年(昭和4年)
10月27日 参宮急行電鉄が桜井 - 長谷寺間を開業
12月23日 軌道自動車運転認可[7]
1930年(昭和5年)
1月30日 貨物営業廃止認可[8]
7月3日 軌道自動車(レカ1形)新造認可[9]
1938年(昭和13年)2月1日 廃止[10]
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1910 263,825 26,592 20,469 6,123
1911 265,364 25,220 17,605 7,615
1912 276,191 26,104 17,322 8,782 1,659
1913 276,330 26,451 18,954 7,497 11,319
1914 248,183 23,724 20,212 3,512 12,246
1915 284,687 26,756 17,081 9,675 3,178
1916 271,992 25,125 17,888 7,237 2,310
1917 366,134 319 35,491 23,848 11,643 1,158 3,455
1918 409,329 4,267 41,725 31,177 10,548 2,178
1919 503,426 4,459 55,144 44,979 10,165 773
1920 517,597 4,148 70,253 54,174 16,079 290
1921 497,096 2,693 76,778 53,546 23,232
1922 534,849 2,267 81,512 51,921 29,591
1923 565,732 1,729 85,528 57,589 27,939 94
1924 566,662 2,836 87,508 55,168 32,340 2,066
1925 580,199 3,463 88,993 53,897 35,096 準備金繰入3,500 4,773
1926 577,954 5,039 87,720 54,595 33,125 4,726
1927 486,483 3,627 71,833 42,824 29,009 2,154
1928 637,873 9,097 97,516 58,699 38,817 8,443
1929 539,138 32,462 87,849 51,288 36,561 16,977
1930 270,687 6,052 27,261 35,503 ▲ 8,242 16,551
1931 204,321 18,634 21,860 ▲ 3,226 償却金26,543 17,205
1932 184,572 17,056 11,250 5,806 9,577
1933 186,537 17,294 13,771 3,523
1934 192,894 18,234 13,311 4,923 7,000
1935 182,807 16,670 12,899 3,771 7,561
1936 183,119 16,380 16,990 ▲ 610 償却金26,106 5,774
1937 149,345 12,847 13,203 ▲ 356 2,863
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両[編集]
開業時、初瀬軌道ではアメリカのフロンティア期における蒸気機関車のような「カウキャッチャー」(排障器)を取り付けた、日本では例の少ない蒸気動車4両(工藤式。当時は自働客車と称した。いずれも汽車製造製)を導入した(「日本の気動車史」も参照)。
長谷鉄道の時代には乗客増加に対処するために客車2両を増備した。詳細は不明だが定員より明治中期製造の2軸客車を譲り受けたものだとされている[11]。
1918年には貨物営業開始のため有蓋貨車2両が製造され、翌年度には鉄道省より無蓋貨車を購入した。これらの貨車は当初は蒸気動車に連結されていたが、運行上の問題が多く、1924年にオーレンシュタイン・ウント・コッペル社製の蒸気機関車1両(C形タンク)を購入し、長谷鉄道1号とした。
1930年には日本車輌製造製の軌道自動車(ガソリンカー)であるレカ1形レカ1 - レカ3の3両を購入し、7月には蒸気動車を置き換えた。1両は余市臨港軌道へ譲渡され同社のキハ1とされ、その後1939年7月に小湊鐵道へ渡りキハ1として使用されたが、短期間で無動力の客車に改造され、1954年(昭和27年)まで使用された[12]。
レカ1形は長谷線廃止後3両とも大和鉄道へ譲渡されレカ21形となった。
駅一覧[編集]
桜井駅 - 北口停留所 - 外山停留所 - 宇陀ヶ辻停留所 - 慈恩寺停留所 - 黒崎停留所 - 初瀬駅
慈恩寺停留所は、1944年(昭和19年)に開設された大和朝倉駅に近接。初瀬駅は長谷寺駅より大阪寄りにあり、現在は観光バス用の駐車場と化している。
接続路線[編集]
桜井駅:鉄道省桜井線、大阪電気軌道桜井線、参宮急行電鉄本線、大和鉄道線
脚注[編集]
^ 「軽便鉄道指定」『官報』1912年2月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年6月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許失効」『官報』1915年11月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「第参拾五回報告書」大阪電気軌道、1928年 p.3
^ 「第参拾五回報告書」大阪電気軌道、1928年 p.12
^ 「第参拾八回報告書」大阪電気軌道、1929年 p.4
^ 「第参拾九回報告書」大阪電気軌道、1930年 p.2
^ 「第四拾回報告書」大阪電気軌道、1930年 p.3
^ 「第四拾回報告書」大阪電気軌道、1930年 p.2
^ 「鉄道営業廃止実施」『官報』1938年2月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道ピクトリアル』1973年10月号、55頁
^ 『鉄道ピクトリアル』1973年10月号、54頁
参考文献[編集]
山崎寛「長谷鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.284 1973年1月号
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カテゴリ: 近畿日本鉄道の鉄道路線近畿地方の鉄道路線 (廃止)奈良県の交通史
大仏駅
大仏駅
だいぶつ
Daibutsu
◄加茂 (8.8km)(1.1km) 奈良►
所在地 奈良県添上郡佐保村(現・奈良市)
北緯34度41分27.6秒
東経135度49分20.0秒座標: 北緯34度41分27.6秒 東経135度49分20.0秒[1]
所属事業者 関西鉄道
所属路線 関西鉄道線(大仏線)
キロ程 8.8km(加茂起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1898年(明治31年)4月19日
廃止年月日 1907年(明治40年)8月21日
備考 キロ程は木津川市HPより[2]
テンプレートを表示
大仏駅(だいぶつえき)は、かつて奈良県添上郡佐保村(現・奈良市)の関西鉄道線(通称:大仏線)に存在した駅(廃駅)である。
なお本記事では、関西鉄道の一部区間であった大仏線についても解説する。
目次 [非表示]
1 歴史
1.1 年表
2 駅構造
3 駅周辺
4 大仏線
5 隣の駅
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク
歴史[編集]
関西鉄道による奈良駅への乗り入れに伴い開設された駅である(後述の大仏線参照)。駅名は東大寺にある大仏にちなんだものであり、関西鉄道が奈良駅と区別した上で観光アピールに用いるため、この名称をつけたと言われる。しかし、東大寺は東方に1.8km離れた所にあって、徒歩や人力車で向かう必要があった。なお開業時には、「名古屋大仏(奈良)間全通シ大和廻リニ便利ナリ」という広告が市販の時刻表に掲載された。
年表[編集]
1898年(明治31年)4月19日 関西鉄道加茂 - 当駅間開通に伴い終着駅として開業
1899年(明治32年)5月21日 当駅 - 奈良間開通に伴い途中駅となる
1900年(明治33年)6月6日 大阪鉄道を関西鉄道が合併
1907年(明治40年)
8月21日 木津経由への経路変更に伴い廃止
11月 駅舎およびレールを撤去開始[2]
駅構造[編集]
駅の諸設備は築堤上に置かれ、旅客ホーム1面1線、機回り線、貨物ホーム1面1線という構成で、旅客ホームに到着する発着線から機回り線を分岐する分岐器は10番、機回り線からさらに西側の貨物扱線へ分岐する分岐器は8番を使用し、駅構内の奈良寄りは佐保川に接していた。
駅周辺[編集]
大佛鐵道記念公園
当駅は現在の奈良市立佐保小学校が設けられている東側付近、一条街道との交点に設けられていた。当駅の南端に当たる奈良市法蓮町には「大佛鐵道記念公園」が設けられており、公園内に記念モニュメントがある。
大仏線[編集]
大仏線
基本情報
国 日本の旗 日本
起点 加茂駅
終点 奈良駅
開業 1898年(明治31年)4月19日
廃止 1907年(明治40年)8月21日
運営者 関西鉄道
路線諸元
路線距離 9.9 km
軌間 1,067 mm (狭軌)
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
eABZq+l BHFq
0.0 加茂駅
exTUNNEL1
黒髪山トンネル
exBHF
8.8 大仏駅
eABZql BHFq
9.9 奈良駅
経路変遷図
大仏線(だいぶつせん)は、かつて関西鉄道の一部であった加茂 - 大仏 - 奈良間の通称で、大仏鉄道(だいぶつてつどう)と言われる場合もある。
全国各地で鉄道の敷設が進む中、奈良周辺においては、1890年12月27日に(初代)大阪鉄道の手で関西本線湊町(現在のJR難波) - 天王寺 - 奈良間が開業し、その後の1896年4月18日には奈良鉄道の手で現在の奈良線にあたる京都 - 木津 - 奈良間の路線が開業していた。
一方で関西鉄道は、東海道本線のルートから外れた旧東海道の宿場町を縫うような路線の建設を目指し、現在の草津線・関西本線草津 - 柘植 - 名古屋間にあたる路線を1895年11月7日に開業させていたが、同社ではさらに奈良・大阪方面へ路線を延伸し、国有鉄道東海道本線から乗客を移行させることを目論むようになった。
同社では、とりあえず柘植から西進して大阪へ向かう路線を建設することを目指し、それと同時に加茂から分岐・南進して、大阪鉄道奈良駅へ乗り入れることを目指すことにした。大阪方面の延伸に関しては、1897年に現在の片町線にあたる片町(廃駅) - 京橋 - 四条畷間を開業させていた浪速鉄道を合併し、同社の保有していた路線と接続させる形で、網島(廃駅) - 四条畷 - 祝園 - 新木津(廃駅) - 加茂間の路線を1898年に開業させ、名阪間の直通列車を走らせるようになった。
しかしながら奈良方面の延伸については、1890年に開業した大阪鉄道が既に駅を設置しており、さらに1896年には京都 - 奈良間を結ぶ奈良鉄道が乗り入れており、運行上錯綜した状態となりつつあった。このような事情から、関西鉄道による奈良駅への乗り入れに当たっては新たに地上施設の拡張を要し、しかも関係3社それぞれが官公庁への諸認可手続きを申請して認可を得る必要があり、交渉は長引くこととなった。このため、加茂から奈良へ向けて路線建設を進めてきた関西鉄道は暫定的に、仮のターミナル駅として大仏駅を建設することとした。
その後、1899年5月21日に3社協定が成立して関西鉄道の奈良駅乗り入れが実現し、さらに1900年に大阪鉄道を合併して湊町 - 奈良 - 名古屋間のルートを本線にすると、同社では大仏駅に代わって奈良駅の方に集客・輸送の重点をおくようになり、大仏駅の乗客は急激に減少することになった。
そして1905年に奈良鉄道を関西鉄道が合併すると、1907年に旧奈良鉄道線と並行しており、25パーミル(‰)の急勾配を有していて運転の障害にもなっていた加茂 - 大仏 - 奈良間の路線を廃止し、加茂 - 木津間に新線を建設して木津 -奈良間を本線に組み込むことにした。これに伴い、本線の距離は3.2km伸びたものの、勾配の解消で所要時間を変更せずに運行可能となり、大仏線は廃止された。
同時に、新木津 - 加茂間も廃止(新木津駅は休止後、のちに廃止)され、木津へ関西本線・片町線・奈良線の各線が集まるような現在の形が形成されている。
隣の駅[編集]
関西鉄道
関西鉄道線(大仏線)
加茂駅 - 大仏駅 - 奈良駅
脚注[編集]
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^ 国土地理院1/20000地形図「奈良」1908年(明治41年)測図、1912年(明治45年)5月3日発行
^ a b 幻の鉄道 大仏鉄道(加茂駅~大仏駅~奈良駅) - 木津川市
参考文献[編集]
高山禮蔵 「明治期の私設鉄道停車場配線図から - 七条、伏見、木津、大仏、奈良 - 」、『鉄道史資料保存会会報 鉄道史料 第89号』、鉄道史資料保存会、1998年
関連項目[編集]
日本の鉄道駅一覧
関西鉄道が建設したターミナル駅
網島駅(大阪)
愛知駅(名古屋)
外部リンク[編集]
大仏線|まぼろしの汽車みちを歩く - ウェイバックマシン(2014年2月3日アーカイブ分) - 交通科学博物館
大仏駅跡|まぼろしの汽車みちを歩く - ウェイバックマシン(2014年2月1日アーカイブ分) - 交通科学博物館
大仏鉄道研究会公式ホームページ - 大仏鉄道研究会
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