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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
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ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
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オススメするネット囲碁対局場3選
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3:幽玄の間
2:KGS
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推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
糸満馬車軌道
路線総延長 9.3 km
軌間 762 mm
停車場・施設・接続路線(休止当時)
凡例
uexKBHFa
0.0 垣花
uexBHF
蚊坂
uexBHF
金城
uexBHF
安次嶺
uexBHF
当間
uexBHF
高宮城
uexBHF
具志
uexBHF
地覇
uexBHF
伊良波
uexBHF
座安
uexBHF
保英茂
uexBHF
翁長
uexBHF
阿波根
uexBHF
潮平
uexBHF
兼城
uexBHF
川尻 ? -1920
9.3 糸満
exSTRrf
沖縄県営鉄道:糸満線
糸満馬車軌道(いとまんばしゃきどう)は、現在の沖縄県那覇市垣花町(国場川の左岸、現在の奥武山公園の北側)と糸満市を結んでいた馬車鉄道、およびその運営会社である。1935年(昭和10年)に休止となり、その後正式に廃止された。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
3.1 年表
4 輸送・収支実績・車両
5 駅一覧
6 接続路線
7 脚注および参考文献
8 関連項目
路線データ[編集]
廃止時点
路線距離:垣花 - 糸満 9.3km
軌間:762mm
駅数:16駅(起終点駅含む)
電化区間:なし(全線非電化)
運行形態[編集]
開業当初は30分間隔で運転され、垣花 - 糸満間を40-60分で結んでいた。
歴史[編集]
1917年(大正6年)1月に地元の資本家らが那覇 - 糸満間で旅客運送を行う馬車鉄道の起業を出願し、同年10月[1]には特許を受けた。会社は1918年(大正7年)3月に設立され、1919年(大正8年)6月に垣花 - 地覇間が開業。翌1920年(大正9年)5月までに全線が開業した。
1923年(大正12年)には競合路線となる沖縄県営鉄道糸満線が開業するが、同線は迂回ルートであったことから所要時間では糸満馬車軌道と大差なく、経営への影響は軽微だった。しかし、1931年(昭和6年)にバスの運行が始まると利用者が皆無となり糸満からの魚類運搬のみで経営困難となった。軌道や車両の保守も覚束なくなり1935年(昭和10年)9月頃には休業状態で事務所もなくなり再興の見込みもなかった[2]このように破産状態にある会社に荒れた道路を復旧できるはずもなく、やむなく関係町村の青年団により道路上の軌条を撤去することになった[3]。1939年(昭和14年)11月には正式に廃止された。
年表[編集]
1917年(大正6年)10月22日 特許下付[1]
1918年(大正7年)3月25日 糸満馬車軌道設立[4](1926年(昭和元年)度現在資本金100,000円、払込済み50,000円[1])
1919年(大正8年)
6月12日 垣花 - 地覇間 (2M54C[1]) が開業
7月4日 地覇 - 川尻間 (2M72C[1]) が開業
1920年(大正9年)5月1日 兼城 - 地内間 (0M15C) が開業[1]、 あるいは川尻 - 糸満間が開業(全線開業)、川尻駅を廃止
1935年(昭和10年)運行を休止
1939年(昭和14年)11月29日 廃止許可[5]
輸送・収支実績・車両[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 客車 貨車
1919 155,513 15,779 15,471 308 10
1920 145,007 35,431 34,993 438 5,242 10
1921 155,876 38 38,129 28,803 9,326 10
1922 128,784 32,672 27,362 5,310 11 3
1923 79,752 1,039 24,707 20,752 3,955 9,410 11 3
1924 87,052 114 22,475 19,257 3,218 6,194 11 3
1925 68,238 613 20,570 18,363 2,207 償却金1,750 881 11 3
1926 68,950 44 20,244 19,711 533 償却金1,567 10,291 11 3
1927 95,709 58 20,877 20,438 439 25,829 11 3
1928 102,002 45 21,002 18,363 2,639 11 1
1929 102,396 33 20,183 18,169 2,014 11 1
1930 101,944 33 20,069 20,048 21 11 1
1931 82,403 35 15,817 16,011 ▲ 194 11 1
1932 70,037 62 11,325 11,833 ▲ 508 10 1
1933 69,430 59 9,984 10,624 ▲ 640 10 1
1934 5,520 30 6,278 6,894 ▲ 616 9 1
1935 営業休止
鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
駅一覧[編集]
廃止時点
垣花(かちぬふぁな) - 蚊坂(がじゃんびら) - 金城(かなぐしく) - 安次嶺(あんしみ) - 当間(とーま) - 高宮城(たかみやぐしく) - 具志(ぐし) - 地覇(ちーは) - 伊良波(いらは) - 座安(ざあ) - 保英茂(びん) - 翁長(おなが) - 阿波根(あーぐん) - 潮平(すんざ) - 兼城(かねぐしく) - 糸満(いとまん)
接続路線[編集]
糸満駅:沖縄県営鉄道糸満線
脚注および参考文献[編集]
[ヘルプ]
^ a b c d e f 『帝国鉄道年鑑』昭和3年版
^ 『糸満馬車軌道(一)・自大正六年至大正九年』290-291頁
^ 『糸満馬車軌道(一)・自大正六年至大正九年』287頁
^ 『日本全国諸会社役員録. 第29回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道運輸営業廃止」『官報』1939年12月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
帝国鉄道協会(編纂) 『帝国鉄道年鑑』 帝国鉄道協会、東京市麹町区有楽町、1928年5月、昭和3年版、pp. 561-562。(国立国会図書館デジタルコレクション)本書の統計は「昭和元年度」「昭和1年」の表記を使っているため本項目もそれに倣った。
『糸満馬車軌道(一)・自大正六年至大正九年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
沖縄県の鉄道
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)かつて存在した日本の軌道事業者馬車鉄道沖縄県の交通史
沖縄軌道
[隠す]沖縄軌道
路線総延長 17.7 km
軌間 762 mm
停車場・施設・接続路線(停止当時)
凡例
沖縄県営鉄道:与那原線
M0C 与那原
uexBHF
与原
uexBHF
我謝
uexBHF
2M24C 小那覇
uexBHF
仲伊保
uexBHF
和宇慶
uexBHF
津覇浜
uexBHF
4M16C 津覇
uexBHF
奥間
uexBHF
安里
uexBHF
5M38C 当間
uexBHF
高江州
uexBHF
屋宜
uexBHF
添石
uexBHF
伊舎堂
uexBHF
6M54C 泊
uexBHF
久場
uexBHF
熱田
uexBHF
和仁屋
uexBHF
8M74C 渡口
uexBHF
与儀
uexBHF
比屋根
uexBHF
殿内前
uexKBHFe
10M79C 泡瀬
沖縄軌道(おきなわきどう)は、現在の沖縄県与那原町と沖縄市泡瀬を、沖縄本島の東海岸沿いに結んでいた馬車鉄道、およびその運営会社である。太平洋戦争が激化した1944年(昭和19年)ごろに運行を停止した。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
3.1 年表
4 輸送・収支実績・車両
5 駅一覧
6 接続路線
7 脚注および参考文献
8 関連項目
路線データ[編集]
運行停止時点
路線距離:与那原 - 泡瀬 17.7km
軌間:762mm
駅数:24駅(起終点含む)
電化区間:なし(全線非電化)
運行形態[編集]
1925年(大正14年)4月時点では1日7往復の旅客列車が設定されていた。いずれの列車も起点の与那原で沖縄県営鉄道与那原線の連絡を受ける形になっている。所要時間は与那原 - 泡瀬間全線で2時間27分。
歴史[編集]
現在の西原町にあった製糖工場にサトウキビを運搬するためのトロッコとして計画されたが、製糖期を除くと使い道がなかったため、旅客運送を主目的とした軌道会社が別途設立された。
1913年(大正2年)1月に製糖会社の役員らが設立発起人となって人車軌道の起業を出願し、同年9月に特許を取得。翌1914年(大正3年)3月に沖縄人車軌道が設立された。その後、同年11月10日に与那原 - 小那覇間が開業し(手続き上は11月1日開業か)、1916年(大正5年)12月9日までに与那原 - 泡瀬間の全線が開業している。なお、動力については1914年(大正3年)11月1日に馬力併用の手続きを取っており、開業当初から実態は馬車鉄道だったようである。社名も1915年(大正14年)1月13日に沖縄馬車軌道に改称しており、1929年(昭和4年)10月15日にも再び社名を改めて沖縄軌道としている。
昭和初期には与那原 - 泡瀬間を結ぶバス路線が開業しているが、沖縄軌道は製糖工場へのサトウキビ搬入代が収入の大半を占めていたせいか廃止されなかった。
戦争が激しくなった1944年(昭和19年)の中頃には客扱いを休止したと見られ、戦後は復活することなく消滅した。正式な廃止手続きは行われておらず、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年(昭和27年)4月28日に軌道法の適用対象から外れている。
年表[編集]
1913年(大正2年)9月27日 : 軌道特許[1]
1914年(大正3年)
3月23日[2] : 沖縄人車軌道設立[3](資本金75000円、大正14年時点で全額払込済み[1])
11月1日 : 与那原 - 小那覇間 (2M24C[1]) が開業[4]
1915年(大正4年)
1月13日 : 沖縄馬車軌道に改称
2月8日 : 小那覇 - 津覇間 (1M72C[1]) が開業
7月9日 : 津覇 - 当間間 (1M22C[1]) が開業
10月13日 : 当間 - 泊間 (1M16C[1]) が開業
1916年(大正5年)
4月21日 : 泊 - 渡口間 (2M20C[1]) が開業
12月9日 : 渡口 - 泡瀬間 (2M05C[1]) が開業し全線開通
1929年(昭和4年)10月15日 : 沖縄軌道に改称
1944年(昭和19年) : 軍の徴用により馬匹の確保が困難になったため客扱いを停止[5][6]
1945年(昭和20年)3月23日 : 空襲により運行停止[5][6]
輸送・収支実績・車両[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 客車 貨車
1914 10,327 378 177 201 利子31 4
1915 99,552 4,000 8,525 6,169 2,356 利子40 7 40
1916 119,335 6,761 18,727 11,223 7,504 14 50
1917 117,519 4,192 20,883 14,432 6,451 11 50
1918 105,200 2,554 18,752 11,781 6,971 1,936 11 50
1919 98,700 2,130 23,871 17,531 6,340 12 51
1920 70,320 5,178 27,525 22,149 5,376 2,518 11 15
1921 64,843 4,378 23,048 16,958 6,090 11 7
1922 53,023 4,776 22,084 17,641 4,443 11 7
1923 47,966 2,543 16,015 13,587 2,428 2,944 10 7
1924 48,470 4,408 17,697 14,892 2,805 2,832 10 7
1925 46,284 3,493 14,967 14,792 175 838 10 7
1926 47,940 1,245 18,711 14,866 3,845 雑損3,213償却金3,7818 10 7
1927 53,757 1,607 20,632 17,373 3,259 償却金1,600 2,040 10 7
1928 54,627 4,492 22,829 21,601 1,228 10 7
1929 23,426 3,730 10,638 9,861 777 10 7
1930 52,264 8,300 18,856 15,520 3,336 1,829 10 7
1931 36,150 3,766 12,383 12,699 ▲ 316 10 7
1932 22,013 9,763 11,681 12,164 ▲ 483 10 7
1933 13,522 45,473 10,364 10,976 ▲ 612 10 7
1934 15,711 7,341 8,074 8,492 ▲ 418 10 7
1935 15,113 5,421 6,975 7,114 ▲ 139 10 7
1936 14,242 5,576 7,473 7,754 ▲ 281 32 10 7
1937 7,822 5,562 7,013 7,739 ▲ 726 10 7
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
駅一覧[編集]
運行停止時点
与那原(よなばる) - 与原(よーばる) - 我謝(がじゃ) - 小那覇(おなは) - 仲伊保(なかいほ) - 和宇慶(わうけ) - 津覇浜(つははま) - 津覇(つは) - 奥間(おくま) - 安里(あさと) - 当間(とーま) - 高江州(たかえす) - 屋宜(やぎ) - 添石(そいし) - 伊舎堂(いさどう) - 泊(とまり) - 久場(くば) - 熱田(あった) - 和仁屋(わにや) - 渡口(とぐち) - 与儀(よぎ) - 比屋根(ひやごん) - 殿内前(とんちのめえ) - 泡瀬(あわせ)
接続路線[編集]
与那原駅:沖縄県営鉄道与那原線
脚注および参考文献[編集]
^ a b c d e f g h 『帝国鉄道年鑑』昭和3年版
^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『帝国鉄道年鑑』昭和3年版では3月21日
^ 『帝国鉄道年鑑』昭和3年版では11月1日
^ a b 『日本鉄道旅行地図帳』九州・沖縄
^ a b 『図説・沖縄の鉄道』102頁
今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
加田芳英『図説・沖縄の鉄道』沖縄出版、1986年
帝国鉄道協会(編纂) 『帝国鉄道年鑑』 帝国鉄道協会、東京市麹町区有楽町、1928年5月、昭和3年版、p. 561。(国立国会図書館デジタルコレクション)本書の統計は「昭和1年」の表記を使っているため本項目もそれに倣った。
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
沖縄県の鉄道
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)馬車鉄道沖縄県の交通史
沖縄県営鉄道糸満線
糸満線
当時の糸満駅
当時の糸満駅
概要
現況 廃止
起終点 起点:国場駅
終点:糸満駅
駅数 11駅
運営
開業 1923年7月11日
運行停止 1945年3月
所有者 沖縄県
使用車両 沖縄県営鉄道#車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 15.0 km (9.3 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(停止当時)
凡例
与那原線
exBHFq exABZq+r
0.0 国場
exBHF
1.2 津嘉山
exBHF
2.5 山川
exBHF
4.3 喜屋武
exBHF
6.0 稲嶺
exBHF
7.5 屋宜原
exBHF
8.5 東風平
exBHF
10.6 世名城
exBHF
12.3 高嶺
exBHF
13.9 兼城
uexSTR exSTR
糸満馬車軌道
exSTRrf
15.0 糸満
糸満線(いとまんせん)は、現在の沖縄県那覇市にあった国場駅と、糸満市にあった糸満駅を結んでいた、沖縄県営鉄道の鉄道路線。1923年(大正12年)に県営鉄道3番目の路線として開業したが、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月に運行を停止。沖縄戦で線路施設が破壊され、そのまま消滅した。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 備考
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
路線データ[編集]
運行停止時点
路線距離:国場 - 糸満 15.0km
軌間:762mm
駅数:11(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
歴史[編集]
1923年(大正12年)7月11日 国場 - 糸満間が開業。津嘉山駅・山川駅・喜屋武駅・稲嶺駅・東風平駅・世名城駅・高嶺駅・兼城駅・糸満駅を開設
1934年(昭和9年)5月 屋宜原駅を開駅[1]
1945年(昭和20年)3月 運行を停止
駅一覧[編集]
運行停止時点
国場駅(こくば) - 津嘉山駅(つかざん) - 山川駅(やまがわ) - 喜屋武駅(きやん) - 稲嶺駅(いなみね) - 屋宜原駅(やぎばる) - 東風平駅(こちんだ) - 世名城駅(よなぐすく) - 高嶺駅(たかみね) - 兼城駅(かねぐすく) - 糸満駅(いとまん)
接続路線[編集]
国場駅:沖縄県営鉄道与那原線
糸満駅:糸満馬車軌道
備考[編集]
那覇から糸満までは直線距離だと約10km位であるが、糸満線は東に大きく迂回する経路をとっている。また、山川駅 - 稲嶺駅間では当時の有力者で医師・県会議員の大城幸之一が自分の出身地へ線路を曲げたため、南から北へわざわざ戻るような軌道の敷き方がされていた。このカーブは「幸之一カーブ」と呼ばれた。
終点の糸満駅は北緯26度7分49 - 50秒の位置にあったと推定され、外地を除くと日本最南端の駅であった[2]。この記録は現在も破られていない(現在の最南端駅は北緯26度11分36秒の沖縄都市モノレール線赤嶺駅)。なお、跡地には駅の便所と見られる構造物が残っている[3]。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 今尾 (2009)。鉄道省 (1937) に掲載なし
^ 外地を含むと台湾の屏東線枋寮駅が1941年(昭和16年)12月の開業から1944年(昭和19年)11月の路線休止まで最南端駅であった。
^ 「沖縄県営鉄道」『鉄道データファイル』82号、デアゴスティーニ・ジャパン、2005年。
参考文献[編集]
今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(覆刻:1986年)、p. 441。ISBN 4-88540-048-1。
帝国鉄道協会(編纂) 『帝国鉄道年鑑』 帝国鉄道協会、東京市麹町区有楽町、1928年5月、昭和3年版、pp. 442-443。
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
沖縄県の鉄道
沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)沖縄県営鉄道