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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
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面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。
相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
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「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
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これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
沖縄県営鉄道海陸連絡線
海陸連絡線
概要
現況 廃止
起終点 起点:那覇駅
終点:桟橋荷扱所駅
駅数 2駅
運営
開業 1917年7月1日
運行停止 1945年3月
所有者 沖縄県
使用車両 沖縄県営鉄道#車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 1.0 km (0.62 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(停止当時)
凡例
exSTR
与那原線
exSTR exENDEa
exBHF exDST
0.0 那覇駅
exABZrg exSTRrf
exKDSTe
1.0 桟橋荷扱所駅
BOOT
那覇港
海陸連絡線(かいりくれんらくせん)は、与那原線の起点であった那覇駅から那覇港の桟橋荷扱所駅まで伸びていた、沖縄県営鉄道の鉄道路線である。
那覇駅の構内側線として与那原線の開業時から存在していたが、1917年(大正6年)に正式な貨物線として開業した。貨物列車のほか、団体列車など臨時に旅客列車を運行したこともあったようである。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月に運行を停止、沖縄戦で線路施設が破壊され、そのまま消滅した。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 関連項目
路線データ[ソースを編集]
運行停止時点
路線距離:那覇 - 桟橋荷扱所 1.0km
軌間:762mm
駅数:2(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
歴史[ソースを編集]
1917年(大正6年)7月1日 那覇 - 桟橋荷扱所間が開業。(貨)桟橋荷扱所駅が開駅。
1945年(昭和20年)3月 運行を停止。
駅一覧[ソースを編集]
運行停止時点。全駅が沖縄県に所在
駅名 読み方 接続路線(当時) 周辺施設(現在) 開業年月日 市町村(現在)
那覇駅 なは 沖縄県営鉄道:与那原線 那覇バスターミナル(旧駅敷地の一部)
沖縄都市モノレール線旭橋駅 1914年12月1日 那覇市
桟橋荷扱所駅 さんばしにあつかいしょ 那覇港 1917年7月1日
関連項目[ソースを編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
沖縄県の鉄道
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)沖縄県営鉄道那覇市の交通那覇市の歴史
沖縄県営鉄道嘉手納線
嘉手納線
嘉手納駅(沖縄県営鉄道嘉手納線)
嘉手納駅(沖縄県営鉄道嘉手納線)
概要
現況 廃止
起終点 起点:古波蔵駅
終点:嘉手納駅
駅数 14駅
運営
開業 1922年3月28日
運行停止 1945年3月
所有者 沖縄県
使用車両 沖縄県営鉄道#車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 22.4 km (13.9 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(停止当時)
凡例
exSTRrg exABZrf
海陸連絡線
exDST exBHF
1.2 那覇駅
exENDEe exSTR
与那原線
exBHF
0.0 古波蔵駅
exABZlf exSTRlg
exSTRq exSTRrf exSTR
与那原線
exBHF
1.3 与儀駅
2.4 安里駅
uexSTRq
exmKRZo uexSTRq
女学校前駅 沖縄電気軌道
WASSERq WASSERq exWBRÜCKE WASSERq
内間橋梁 安謝川
exBHF
4.5 内間駅
exABZlf exSTRq
ブタノール線
exBHF
7.2 城間駅
exBHF
9.4 牧港駅
exBHF
10.2 大謝名駅
exBHF
11.6 真志喜駅
uexSTRq uexKDSTr exBHF
13.1 大山駅 /←トロッコ軌道
WASSERq WASSERq exWBRÜCKE WASSERq
佐阿天原橋梁
exBHF
15.6 北谷駅
WASSERq WASSERq exWBRÜCKE WASSERq
白比川
exBHF
16.5 桑江駅
exBHF
18.9 平安山駅
exBHF
21.1 野国駅
exABZrg exSTRq
嘉手納製糖工場サトウキビ運搬軌道
exBHF
22.4 嘉手納駅
exENDEe
嘉手納線(かでなせん)は、かつて沖縄県那覇市の古波蔵駅と同県中頭郡北谷村(現・同郡嘉手納町)の嘉手納駅を結んでいた、沖縄県営鉄道の鉄道路線である。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月に運行を停止し、沖縄戦で線路施設が破壊され、そのまま消滅した。
以下に記載する情報は、注釈が無い限り全て運行停止時点でのものである。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 備考
5 関連項目
概要[編集]
1922年(大正11年)に沖縄県営鉄道2番目の路線として開業した。当初は糸満線が先に建設予定であったが、資金不足などの理由により中止。その後、再び糸満線の建設が計画されるが、北部方面へも関係するとして嘉手納線の建設が先に行われることとなった。
1917年(大正6年)12月に県会において嘉手納線の着工が可決され、翌1918年(大正7年)4月に那覇 - 嘉手納間で出願し、同年6月に免許を取得した。着工は1919年(大正8年)より行われる予定であったが、用地取得などの問題も重なり予定より1年遅れの1920年(大正9年)1月より開始された。その後、約2年をかけて建設が行われ1922年3月に全線が竣工し、同年3月28日に開業した。当初は1日8往復の運行であったが、最盛期には16往復の運行となった。
太平洋戦争の勃発により県営鉄道も戦時体制となり、1944年(昭和19年)7月をもって通常ダイヤが廃止され、実質軍用鉄道化された。但し、その後も一部時間帯に限りは県民の利用も可能であったため、旅客列車の運行は継続された。
しかし、米軍の沖縄本島侵攻が迫った1945年3月23日ごろに運行を停止。その約1週間後の同年4月1日に米軍が本島読谷に上陸し沖縄戦が開始され、地上戦により鉄道施設の大半が破壊され嘉手納線は消滅した。戦後の米軍による基地建設や道路建設により鉄道路線は完全に寸断され、その後も復旧することなく1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効により、日本の地方鉄道法の適用対象から外れ、事実上廃線となった。
なお、1920年ごろから戦時中には、嘉手納駅から名護方面への延伸が検討されるが、資金不足や戦況悪化などにより実現はせず、沖縄戦により嘉手納線自体が消滅してしまった。
路線データ[編集]
路線距離:古波蔵 - 嘉手納 22.4km
軌間:762mm
駅数:14(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
歴史[編集]
1922年(大正11年)3月28日 古波蔵 - 嘉手納間が開業。
1923年(大正12年)2月26日 与儀駅、真志喜駅が開駅。
1937年(昭和12年)3月 牧港駅が開駅。
1945年(昭和20年)
3月23日ごろ 運行を停止。
4月 - 6月 沖縄戦により破壊。事実上廃線。
1952年(昭和27年)4月28日 サンフランシスコ講和条約の発効により、地方鉄道法の適用対象から除外。
駅一覧[編集]
全駅沖縄県に所在。
便宜上、那覇側の全列車が乗り入れていた与那原線那覇駅 - 古波蔵駅間もあわせて記載。
列車交換 … ◇:交換可能駅、|:交換不可能駅
路線名 駅名 駅間営業キロ 古波蔵からの営業キロ 接続路線 列車交換 所在地
※1 那覇駅 - 1.2 沖縄県営鉄道:海陸連絡線 ◇ 那覇市
古波蔵駅 1.2 0.0 沖縄県営鉄道:与那原線・糸満線 ◇
嘉手納線
与儀駅 1.3 1.3 |
安里駅 1.1 2.4 沖縄電気軌道(女学校前駅)※2 ◇
内間駅 2.1 4.5 | 浦添村
城間駅 2.7 7.2 ◇
牧港駅 2.2 9.4 |
大謝名駅 0.8 10.2 | 宜野湾村
真志喜駅 1.4 11.6 |
大山駅 1.5 13.1 ◇
北谷駅 2.5 15.6 | 北谷村
桑江駅 0.9 16.5 |
平安山駅 2.4 18.9 |
野国駅 2.2 21.1 |
嘉手納駅 1.3 22.4 ◇
※1:那覇駅 - 古波蔵駅間は与那原線
※2:1933年(昭和8年)3月20日に運行休止、同年8月12日に廃止。
備考[編集]
桑江駅 - 北谷駅間辺りが沖縄戦での米軍上陸地点であり、平安山駅 - 嘉手納駅間は現在米空軍の嘉手納基地となっている。
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
沖縄県の鉄道
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)沖縄県営鉄道
沖縄県営鉄道与那原線
与那原線
概要
現況 廃止
起終点 起点:那覇駅
終点:与那原駅
駅数 9駅
運営
開業 1914年12月1日
運行停止 1945年3月
所有者 沖縄県
使用車両 沖縄県営鉄道#車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 9.4 km (5.8 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(停止当時)
凡例
exKBSTa
桟橋荷扱所
exSTR
海陸連絡線
exSTRrg exABZrf
exDST exBHF
0.0 那覇
exENDEe exSTR
exBHF
1.2 古波蔵
exABZlf
嘉手納線
exBHF
2.3 真玉橋 (2) 1934-
exBHF
2.7 真玉橋 (1) -1934
exBHF
3.3 国場
exABZrf
糸満線
exBHF
4.6 一日橋
exBHF
6.0 南風原
exBHF
7.1 宮平
exBHF
8.3 大里
exHST
8.8 与那原(仮) -1915
9.4 与那原 1915-
沖縄軌道
与那原線(よなばるせん)は、現在の沖縄県那覇市にあった那覇駅と、島尻郡与那原町にあった与那原駅を結んでいた、沖縄県営鉄道の鉄道路線。1914年(大正3年)に県営鉄道の最初の路線として開業したが、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月に運行を停止。沖縄戦で線路施設が破壊され、そのまま消滅した。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 与那原駅駅舎復元
5 脚注
6 関連項目
路線データ[編集]
運行停止時点
路線距離:那覇 - 与那原 9.4km
軌間:762mm
駅数:9(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
歴史[編集]
1914年(大正3年)12月1日 那覇 - 与那原間が開業、那覇駅・国場駅・南風原駅・与那原駅を開設(与那原駅は仮設駅)
1915年(大正4年)
1月20日 与那原仮駅を本設駅に移転
7月27日 真玉橋駅・一日橋駅を開設
1917年(大正6年)1月23日 大里駅を開設
1922年(大正11年)3月28日 古波蔵駅を開設(同日開業した嘉手納線の分岐駅)
1934年(昭和9年)6月8日 真玉橋駅を移転
1936年(昭和11年)11月 宮平駅を開設
1945年(昭和20年)3月 運行を停止
駅一覧[編集]
運行停止時点。全駅が沖縄県に所在
駅名 読み 接続路線(当時) 周辺施設(現在) 開業年月日 市町村(現在)
那覇駅 なは 沖縄県営鉄道:海陸連絡線 那覇バスターミナル(駅敷地の一部)
沖縄都市モノレール線旭橋駅 1914年12月1日 那覇市
古波蔵駅 こはぐら 沖縄県営鉄道:嘉手納線 1922年3月28日
真玉橋駅 まだんばし 1915年7月27日
国場駅 こくば 沖縄県営鉄道:糸満線 1914年12月1日
一日橋駅 いちにちばし 1915年7月27日
南風原駅 はえばる 1914年12月1日 南風原町
宮平駅 みやひら 1936年11月
大里駅 おおざと 1917年1月23日 南城市
与那原駅 よなばる 沖縄軌道 JAおきなわ与那原支店跡地
(2012年まで旧駅舎が同支店として利用されていたが2013年解体[1]、2014年駅舎復元) 1914年12月1日 与那原町
与那原駅駅舎復元[編集]
沿線の与那原町では、軽便鉄道開業100周年を記念して与那原駅舎を復元、2014年4月に完成した[2]。同駅跡地は戦後、与那原町役場やJAおきなわ与那原支店として使用されていたが、2012年にJAは移転、翌年に町が「与那原駅跡地整備検討委員会」を発足、駅舎の復元に取り組んだ。今後は2015年をめどに一帯を公園として整備する計画である。
2015年1月31日、交通資料館「軽便与那原駅舎展示資料館」として開館した[3]。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ “旧与那原駅に当時の柱現る「貴重な資料」”. 沖縄タイムス. (2013年11月7日) 2013年11月8日閲覧。
^ 軽便鉄道開通100年 与那原駅を復元 琉球新報 2014年4月18日付
^ “コラム/ひとえきがたり/与那原(よなばる)駅(旧沖縄県鉄道)”. 朝日新聞東京夕刊「マリオン」 (朝日新聞東京本社、朝日マリオン・コム). (2015年2月24日) 2015年3月1日閲覧。
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
沖縄県の鉄道
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)沖縄県営鉄道
沖縄電気
沖縄電気(おきなわでんき)は、戦前の沖縄県那覇市を中心とした地域に電気を供給していた電力会社である。同社が運営していた路面電車についてもここで述べる。
目次 [非表示]
1 電力事業
2 軌道事業
2.1 路線データ
2.2 運行形態
2.3 年表
2.4 駅一覧
2.5 接続路線
2.6 輸送・収支実績
2.7 車両
2.8 遺構
3 脚注
3.1 注釈
3.2 出典
4 参考文献
5 関連項目
電力事業[編集]
大阪の才賀電機商会(才賀藤吉社長)が全国展開の一環として沖縄県への進出を目論み、1908年(明治41年)に沖縄出張所を開設した。その2年後の1910年(明治43年)1月には電力供給事業が許可され、同年4月に沖縄電気を設立、同年12月には那覇市内に発電所が完成し、那覇や首里および島尻郡に電気を供給した。
大正時代に入ると、過大な事業拡大で資金難に陥った才賀電機商会の経営が破綻。全国の系列会社は整理統合され、沖縄電気も才賀藤吉が社長職を辞し、日本興業[注釈 1]の管理下に入った。その後、1916年(大正5年)に鹿児島県出身者による運営体制へと移行するが、1927年(昭和2年)には東京資本による運営体制に移行(実態は「乗っ取り」)した。しかし、施設の老朽化で維持費がかさむようになると東京資本が撤退して1939年(昭和14年)に球磨川水電の系列に入り、さらに1943年(昭和18年)には戦時の配電統制で九州配電沖縄支店となったが[1]、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)にはアメリカ軍の攻撃で発電機能を停止した。
軌道事業[編集]
1930年(昭和5年)頃の那覇市地図。市内の路面電車と、市街地や丘陵を大きく迂回する沖縄県営鉄道が図示されている。
才賀電機商会は沖縄本島での電力供給事業とともに、那覇と首里を結ぶ電気軌道の起業も計画し、1910年3月に通堂 - 大門前 - 首里 - 真和志1間の軌道敷設の許可が下りた。電力会社が電鉄を兼業するのは当時の一般的なビジネスモデルで、大口の供給先を確保するとともに一般世帯への宣伝効果も狙っていた。
沖縄電気の場合は子会社方式で路面電車を運営することとし、1911年(明治44年)5月に沖縄電気軌道を設立、翌1912年(明治45年)9月に工事施行の認可を受けて着工する。着工直後に才賀電機商会の経営が破綻したものの、沖縄電気とともに日本興業の管理下に入って工事は続行され、1914年(大正3年)5月にまず大門前 - 首里間(5.7km)が開業した。なお、開業前の試運転期間中には脱線事故やポール脱落事故などを引き起こしており、前評判はかなり悪かったようである。また、首里 - 真和志1間は建設されずじまいだった。
開業直後こそ物珍しさから混雑したものの、当時の沖縄本島民にとって那覇 - 首里間は徒歩移動の範囲内という認識があったためか輸送人員はすぐに落ち込み、開業1年目は1日あたりの輸送人員が当初見込みの4分の1(約1,000人)にとどまった。さらに建設費などの債務も加わり、沖縄電気軌道はすぐに経営難に陥ってしまった。
このため、沖縄電気は軌道事業を直営化するとともに、通堂方面へ早期に延伸して経営再建を図ることを計画。1915年(大正4年)12月に沖縄電気軌道を買収し、沖縄電気軌道部による運営に移行した。その後、1917年(大正6年)9月に大門前 - 通堂間(1.2km)が開業した。
大門前 - 首里間の開業2年目からは当初見込み並みの輸送人員を確保し、沖縄電気の直営化後は比較的安定した経営を続けていたが、1929年(昭和4年)1月に並行するバス路線が開設されると輸送人員は急速に減少。1931年(昭和6年)には車両を増備して増発を行うなど積極的な対抗策がとられたものの減少に歯止めがかからず、1932年(昭和7年)に軌道事業からの撤退を決定。翌1933年(昭和8年)3月に全線の休止が許可され、同年3月16日に西武門 - 通堂間が休止、続いて同年3月20日には残る西武門 - 首里間も休止となり、同年8月12日に全線が正式に廃止された。
見世の前付近
市場付近
泊高矼付近
路線データ[編集]
路線距離:通堂 - 首里 6.9km
軌間:1067mm
駅数:20(起終点駅含む)
電化区間:全線(直流500V)
運行形態[編集]
全線の所要時間は約32分、運転間隔は日中9 - 18分だった。大門前 - 首里間の開業当初は36分間隔だったが、利用者が比較的多かった大門前 - 崇元寺間では区間運転便も設定して運転間隔を詰めていた。
年表[編集]
1911年(明治44年)5月27日 沖縄電気軌道が設立される。
1914年(大正3年)5月3日 大門前 - 首里間が開業する。
1915年(大正4年)12月1日 沖縄電気軌道の軌道事業が沖縄電気に譲渡される。
1917年(大正6年)9月11日 通堂 - 大門前間が開業し、全線が開業する。
1933年(昭和8年)
3月16日 通堂 - 西武門間が営業を休止する。
3月20日 西武門 - 首里間が営業を休止する。
8月12日 全線が廃止される。
駅一覧[編集]
通堂(とんどう) - 渡地前(わたんじまえ) - 見世の前(みせのまえ) - 郵便局前(ゆうびんきょくまえ) - 市場(いちば) - 松田矼(まつだばし) - 大門前(うふじょうのまえ) - 久米(くめ) - 西武門(にしんじょう) - 裁判所前(さいばんしょまえ) - 若狭町(わかさまち) - 潟原(かたばる) - 兼久(かねく) - 泊高橋(とまりたかはし) - 泊前道(とまりまえみち) - 崇元寺(そうげんじ) - 女学校前(じょがっこうまえ) - 坂下(さかした) - 観音堂(かんのんどう) - 首里(しゅり)
接続路線[編集]
女学校前駅:沖縄県営鉄道嘉手納線(安里駅)
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 客車
1914 834,928 35,590 40,480 ▲ 4,890 利子2,963 7,427 10
1915 327,116 12,884 7,605 5,279 10
1916 1,306,140 48,320 35,954 12,366 139,496 82,735 10
1917 1,310,248 48,440 36,404 12,036 電気供給166,716 124,623 10
1918 1,489,679 55,556 52,390 3,166 240,833 196,410 4,500 10
1919 1,686,438 76,682 61,467 15,215 315,036 264,126 4,500 10
1920 1,643,505 96,905 77,951 18,954 307,349 300,291 4,500 10
1921 1,163,017 87,966 67,505 20,461 10
1922 958,460 68,230 62,981 5,249 10
1923 947,915 62,056 67,703 ▲ 5,647 302,622 221,416 9,000 10
1924 936,295 60,149 58,831 1,318 305,246 234,075償却金5,586 2,975 10
1925 884,878 58,159 56,568 1,591 310,548 222,195償却金10,000 3,292 10
1926 1,048,835 64,380 56,401 7,979 106,120 償却金10,000 3,552 10
1927 1,153,058 67,671 62,953 4,718 94,396 29,636雑損3,597 3,445 10
1928 1,220,471 68,638 64,787 3,851 電燈電力68,176 償却金40,031 3,396 10
1929 1,379,688 73,158 64,950 8,208 電燈電力110,615 償却金40,000 3,398 10
1930 1,064,393 61,363 58,880 2,483 電燈電力105,976 償却金6,864 3,398 10
1931 877,123 52,747 57,818 ▲ 5,071 電燈電力107,887 償却金38,470 3,144 12
1932 835,822 47,121 54,901 ▲ 7,780 電燈電力107,353 償却金104,000 3,144 12
鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両[編集]
すべて木造車体の2軸車で、当時としてはごく標準的な形態の電車であった。
1 - 10号
1912年梅鉢鉄工所製。沖縄電気軌道が発注した電車で、大門前 - 首里間の開業時に導入された[2]。
11・12号
1 - 10号と同じ1912年梅鉢鉄工所製。もともとは京都電気鉄道(後の京都市電)の電車で、1920年(大正9年)に和歌山水力電気が運営する和歌山市内の軌道線(後の南海和歌山軌道線)に移籍。この軌道線の経営が京阪電気鉄道から合同電気に移る直前の1930年(昭和5年)に沖縄電気への譲渡が決まり、翌1931年から運行を開始した。
遺構[編集]
路線の多くが道路上に敷設された路面電車であり、廃止後に軌道が撤去されたうえに、後年の沖縄戦で残った遺構も破壊され、残る遺構は沖縄都ホテルの裏にある橋台のみとされてきた。しかし、2010年(平成22年)になり那覇市松山の民家の庭先で発見されたレールが沖縄電気軌道のものと確認された。廃止後に家の梁として使うために譲り受けたものと推測されている[3]。
脚注[編集]
注釈[編集]
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^ 才賀電機商会の債務引受を目的として北浜銀行の岩下清周が設立したがすぐに解散した。
出典[編集]
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^ 1943年2月1日解散「債権申出公告」『官報』1943年3月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 10号電車形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 幻の路面電車レール発見 民家の梁に利用後、庭に - 琉球新報(2010年9月7日付、同月12日閲覧)
参考文献[編集]
加田芳英『図説 沖縄の鉄道』沖縄出版、1986年、74-96頁(ボーダーインクより2003年に改訂版が出版)
原口隆行『日本の路面電車3』JTB、2000年、148-149頁
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
沖縄県の鉄道
沖縄電力
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表 話 編 歴
日本の路面電車
公営
札幌市 - 函館市 - 東京都 - 熊本市 - 鹿児島市
第3セクター等
宇都宮ライトレール(計画中) - 富山ライトレール(富山港線) - 万葉線(高岡軌道線) - とさでん交通
民営
東京急行電鉄(世田谷線) - 富山地方鉄道(市内線) - 豊橋鉄道(東田本線) - 福井鉄道(福武線) - 京阪電気鉄道(京津線 - 石山坂本線) - 京福電気鉄道(嵐山本線) - 阪堺電気軌道 - 岡山電気軌道 - 広島電鉄 - 伊予鉄道(松山市内線) - 筑豊電気鉄道(筑豊電気鉄道線) - 長崎電気軌道
過去の公営
秋田市 - 仙台市 - 川崎市 - 横浜市 - 富山市 - 名古屋市 - 京都市 - 大阪市 - 神戸市 - 呉市
過去の民営
旭川市街軌道 - 旭川電気軌道(東川線・東旭川線) - 札幌温泉電気軌道 - 登別温泉軌道 - 大沼電鉄 - 花巻電鉄 - 松島電車 - 福島交通(飯坂東線) - 塩原電車 - 茨城交通(水浜線) - 吾妻軌道 - 東武鉄道(高崎線・前橋線・伊香保線・日光軌道線) - 本庄電気軌道 - 常南電気鉄道 - 西武鉄道(大宮線) - 成宗電気軌道 - 箱根登山鉄道(小田原市内線) - 新潟交通(電車線) - 山梨交通(電車線) - 松本電気鉄道(浅間線) - 上田温泉電軌(青木線・西丸子線) - 伊豆箱根鉄道(軌道線) - 静岡鉄道(清水市内線・静岡市内線・秋葉線) - 名古屋鉄道(岡崎市内線・起線・美濃町線・岐阜市内線・田神線) - 岩村電気軌道 - 北陸鉄道(金沢市内線・金石線・松金線) - 桑名電軌 - 三重交通(神都線) - 南海電気鉄道(平野線・和歌山軌道線) - 阪神電気鉄道(北大阪線・国道線・甲子園線) - 播電鉄道 - 米子電車軌道 - 岩国電気軌道 - 山陽電気軌道 - 高松琴平電気鉄道(市内線) - 琴平参宮電鉄 - 西日本鉄道(北九州線・福岡市内線・大牟田市内線・福島線) - 門司築港 - 筑後軌道 - 佐賀電気軌道 - 肥前電気鉄道 - 大分交通(別大線) - 沖縄電気
関連項目
軌道法 - 鉄道事業法 - ライトレールトランジット - 無軌条電車 - 併用軌道 - 専用軌道 - 軽便鉄道 - 人車軌道 - 馬車軌道
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