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日本囲碁連盟 囲碁用語 より
ジゴ(持碁)
お互いの地が同数の場合、コミがなければジゴ引き分けである。和局ともいう。
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
長門鉄道
長門鉄道
往年の長門鉄道
往年の長門鉄道
概要
現況 廃止
起終点 起点:小月駅
終点:西市駅
駅数 11駅
運営
開業 1918年10月7日
廃止 1956年5月1日
運営者 長門鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 18.2 km (11.3 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
STRq
国鉄:山陽本線
exSTRrg
0.0 小月
exBHF
0.5 長門上市 -1942?
exBHF
4.2 下大野
exBHF
6.2 上大野
exBHF
7.2 田部
exWBRÜCKE
田部川
exBHF
7.9 岡枝
exBHF
9.3 込堂
exBHF
11.7 西中山
exBHF
14.7 石町
exBHF
16.3 阿座上
exKBHFe
18.2 西市
長門鉄道(ながとてつどう)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)山陽本線小月駅より分岐して西市駅までの18.2kmを結ぶ鉄道路線を有していた鉄道事業者である。
企業自体は、1942-1949年の間に戦時体制に基づく交通統制のため、下関市における路面電車を運営していた山陽電気軌道に統合されていた事があったが、1956年(昭和31年)に鉄道路線を全廃した後もバス会社となって1975年(昭和50年)まで残り、山陽電気軌道から社名を改めたサンデン交通に再合併された。なお、東下関駅 - 小串駅を建設し、幡生 - 小串は現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線西端に、残区間が山陽電気軌道の路線の一部(幡生線)になった長州鉄道とは、直接の関係はない。
目次 [非表示]
1 沿革
2 保有路線
2.1 路線データ
2.2 運行概要
2.2.1 1934年12月1日改正時
2.2.2 廃止時
2.3 駅一覧
2.4 接続路線
2.5 輸送・収支実績
2.6 車両
2.6.1 開業当時
2.6.2 大正末年
2.6.3 山陽電気軌道より分離時
2.6.4 廃止時
2.6.5 車両数の推移
3 逸話
4 脚注
5 参考文献
6 外部リンク
沿革[編集]
1913年(大正2年)8月15日 長門軽便鉄道に対し鉄道免許状下付(豊浦郡小月村-同郡西市村間)[1]
1914年(大正3年)8月3日 長門軽便鉄道として会社設立、まもなく商号を長門鉄道[2]に変更
1918年(大正7年)10月7日 小月 - 西市開業[3]
1928年(昭和3年)
2月1日 瓦斯倫動力併用認可[4]。旅客列車にガソリン動車併用開始
4月25日 阿座上駅開業[5]
1942年(昭和17年)11月1日 鉄道省通達に基づく交通統制により山陽電気軌道に統合(10月30日 譲渡許可[6])
1949年(昭和24年)
2月11日 事業譲渡認可
3月28日 長門鉄道会社設立
4月1日 山陽電気軌道より事業譲渡を受ける
1956年(昭和31年)5月1日 鉄道事業を廃止
1960年(昭和35年)長鉄バスに改称
1975年(昭和50年)6月 旧称山陽電気軌道のサンデン交通に再統合
保有路線[編集]
もともと、西市からの木材輸送を目的に建設されたのが同線である。そのため、鉄道省線(国鉄)との貨車直通を考慮し、軌間は1067mmを採用していた。
最盛期は、年間100万の旅客利用があったともいわれるが、戦後混乱期を脱した1950年代前期には、当時急激に発達したバス輸送への利用移転が顕著になって旅客減少が始まったことから、いち早く転換し、廃止された。
路線データ[編集]
路線距離:小月-西市間18.2km
駅数:11駅(起終点駅含む)
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
動力:蒸気・内燃
車庫、工場は小月、給炭水設備は西市
運行概要[編集]
1934年12月1日改正時[編集]
旅客列車本数:小月-西市7往復、小月-岡枝1往復
所要:全線50-57分
廃止時[編集]
列車本数:旅客および混合列車9往復
所要:小月 - 西市約50分
駅一覧[編集]
開業時[3]
小月駅 - 長門上市駅 - 上小月駅 - 下大野駅 - 上大野駅 - 田部駅 - 岡枝駅 - 込堂駅 - 西中山駅 - 石町駅 - 阿座上駅 - 西市駅
1919年11月1日に阿座上、上小月停留所廃止[7]。1928年4月に阿座上が復活[5]。
なお、駅以外の場所でも乗降を行ったことがあるとされる。
接続路線[編集]
小月駅:国鉄山陽本線
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1918 188,342 14,445 45,849 35,124 10,725 406 29,873
1919 286,565 23,753 86,327 64,197 22,130 4,076 24,379 8,360
1920 281,170 28,504 109,445 73,388 36,057 雑損197 24,920 3,634
1921 291,528 34,830 125,222 71,929 53,293 8,545
1922 289,707 32,306 120,501 70,425 50,076 13,257
1923 277,021 35,359 119,892 77,905 41,987 雑損4,756 22,211 18,994
1924 278,209 36,075 116,372 84,229 32,143 雑損8,691 22,913 24,989
1925 278,209 36,075 116,372 84,229 32,143 雑損8,691 22,913 24,989
1926 297,888 33,088 113,430 89,913 23,517 雑損114 23,456 31,425
1927 326,652 35,740 116,706 92,059 24,647 23,081 31,540
1928 336,459 40,006 122,815 93,050 29,765 22,191 28,501
1929 346,889 41,881 126,067 79,985 46,082 21,023 6,576
1930 348,855 36,852 119,164 75,104 44,060 20,118
1931 312,255 25,509 97,123 65,681 31,442 19,227
1932 257,289 23,652 81,419 54,594 26,825 雑損300自動車101 18,492
1933 256,386 22,977 78,030 43,868 34,162 雑損14,711自動車1,007 17,841
1934 262,675 25,443 80,598 43,250 37,348 自動車3,060 16,583
1935 231,374 24,804 78,341 55,103 23,238 自動車6,751 14,301
1936 314,419 41,798 124,136 77,262 46,874 雑損16,818自動車8,022 21,253
1937 249,081 29,227 91,393 62,099 29,294 自動車5,260雑損3,089償却金22,000 11,311 12,346
1939 324,346 35,867
1941 525,010 55,677
1943 805,458 55,615
1945 986,939 36,475
1952 720,542 28,017
1955 559千 17,015
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、私鉄統計年報各年度版
車両[編集]
開業当時[編集]
蒸気機関車2両(101, 102。鉄道省1045形と同形)、客車4両、貨車7両
技師長が長州鉄道と兼務だったため、同形の車両を採用した。
大正末年[編集]
蒸気機関車3両、客車5両、貨車27両
山陽電気軌道より分離時[編集]
蒸気機関車8両、ガソリン動車3両、客車5両、貨車50両
廃止時[編集]
蒸気機関車2両、ディーゼル機関車(高田機工製1954年竣工届[8])1両、ディーゼル動車3両、客車1両、貨車14両
車両数の推移[編集]
年度 機関車 ガソリンカー 客車 貨車
有蓋 無蓋
1918 2 4 7 8
1919-1920 2 4 7 13
1921 2 4 12 13
1922 3 4 12 18
1923 3 4 12 23
1924 3 4 12 18
1925 3 4 12 18
1926-1927 3 5 12 18
1928 3 1 5 12 18
1929-1936 3 2 5 12 18
1937 2 3 5 12 18
逸話[編集]
鉄道趣味者の湯口徹は、長門鉄道廃止後の後年に訪問した、近隣の防石鉄道の関係者から次のような逸話を聞いているという。
1956年の長門鉄道線廃止に際し、同線の新旧車両が余剰となることから、山口県内の近隣小私鉄同士での付き合いがあった防石鉄道、船木鉄道の職員らが長門鉄道を訪れ、善後策を協議していた。そこへ当時の西日本でも気動車保有最多の有力私鉄であった滋賀県の江若鉄道の担当者が、やはり余剰車買い付けの目的で来訪した。ところがその際、江若の担当者は、大手風を吹かせ、山口県の小私鉄各社の社員たちを大いに立腹させるほど傲慢な振る舞いを見せた模様である。
江若は当時の長門鉄道車でも最大でピカ一と言える存在だった元国鉄キハ42000形42017号の払い下げ再生ガソリンカー・キハ11を、長門鉄道自社発注の小型ガソリンカー・キコハ1共々購入することになった。長門、防石、船木の3社社員は江若への腹いせのため、キハ11を江若側に引き渡しする直前に集まって、エンジンを在庫したスペアでも最悪の廃物にすりかえる交換作業をやってのけ、素知らぬ顔で江若に引き渡して3社で祝杯を挙げたという[9]。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年10月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 湯口徹『内燃動車発達史 上巻』ネコパブリッシング、2004年267頁
^ a b 『鉄道停車場一覧. 昭和9年12月15日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道譲渡」『官報』1942年11月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道停留場廃止」『官報』1919年11月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 湯口徹『瀬戸の駅から(下)』プレスアイゼンバーン、1992年、111頁
^ 湯口『瀬戸の駅から(下)』120-121頁。湯口によれば、江若は同車をディーゼルエンジンに換装することが予定されていたため、3社社員らは廃物ガソリンエンジンを押し付けても取引上問題にならないことを計算に入れていた模様である。
参考文献[編集]
今尾恵介(監修) 『中国・四国』 新潮社〈日本鉄道旅行地図帳〉、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6。
谷口良忠「山陽電気軌道」、『鉄道ピクトリアル』No. 2121968年7月号臨時増刊:私鉄車両めぐり9、1968年、 pp. 96-106。(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
外部リンク[編集]
長門鉄道株式会社運輸課編『長門鉄道案内』大正11年、国会図書館デジタルコレクション 時刻表、路線図、旅客運賃表、名勝案内など
カテゴリ: 中国地方の鉄道路線 (廃止)山口県の交通史サンデン交通長門鉄道かつて存在した日本の鉄道事業者かつて存在した日本のバス事業者
船木鉄道
船木鉄道株式会社
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 船鉄(せんてつ)
本社所在地 日本の旗 日本
〒757-0216
山口県宇部市船木980番地
設立 1913年6月5日
業種 陸運業
法人番号 6250001003987
事業内容 乗合バス事業、貸切バス事業他
代表者 田中敬一
資本金 6500万円(発行済130万株)
従業員数 70名
決算期 3月
主要株主 サンデン交通 249,451株 (19.1%)
林孝介 216,237株 (16.6%)
宇部興産 149,142株 (11.4%)
他
主要子会社 船鉄観光
外部リンク www.sentetsu.biz-web.jp/
テンプレートを表示
船木鉄道株式会社(ふなきてつどう)は、山口県宇部市・山陽小野田市・美祢市周辺をエリアとするバス事業者である。通称は船鉄(せんてつ)。
事業者名が示すように、かつては宇部 - 船木町 - 吉部(きべ)間に鉄道路線を持っていたが、1961年に路線を廃止し鉄道事業から撤退した。撤退後も社名はそのままとしている。
同じく山口県西部に基盤を置くバス事業者のサンデン交通が筆頭株主であり、第2位の林孝介(サンデン交通代表取締役会長)の持ち分をあわせて約35%の株を保有するが、サンデン交通のグループ扱いにはなっていない。ただし山口県共通バスカードを双方で先行導入するなど、関連は比較的深い。
関連企業として、スーパーマーケット・ガソリンスタンドを運営する船鉄商事がある。
目次 [非表示]
1 沿革
2 バス事業
2.1 バス営業所(車庫)所在地
2.2 主なバスターミナル
2.3 車両
2.4 バス路線
2.4.1 一般路線バス
2.4.2 コミュニティバス(運行受託)
2.4.3 定期観光バス
3 鉄道事業
3.1 歴史
3.2 駅一覧
3.3 接続路線
3.4 輸送・収支実績
3.5 車両
3.5.1 762mm
3.5.2 1067mm
4 脚注および参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
沿革[編集]
貸切車(西工92MC)2005年5月
貸切車 (日野セレガ)。上の西工92MCとはロゴの書体が異なる
一般路線車(ノンステップバス 日野HR) 2006年10月
山陽小野田市コミュニティバス「いとね号」 2010年2月
船木鉄道本社・船木営業所・船木バス停(船木町駅跡)
社名の由来となっている船木(ふなき)は、旧楠町(2004年11月に宇部市に編入)の中心市街である。江戸時代は旧山陽道の宿場町として栄えていたが、1900年に敷設された山陽鉄道は船木を避けて南方を迂回したため[1]、船木は交通拠点としての重要性を失っていった。
1911年、船木の有力者により鉄道設立発起人会が結成され、1913年には船木軽便鉄道が設立された。当時の船木周辺には小規模な炭坑が点在し、石炭運搬鉄道としての役割も期待されていた。
1916年、約2か月の工事の後、軌間762mmの軽便鉄道として、宇部駅 - 船木町駅間4.9kmが開業した。1919年、社名を船木鉄道へ改称した。この頃、路線延長と輸送力増強(軌間拡大)が計画され、1923年に船木町 - 万倉(まぐら)間4.7kmの延長と1067mmへの全線改軌がなされた。1926年には、万倉 - 吉部(きべ)間8.1kmが延長し(全線17.7km)、これが同鉄道路線の最長延長となった。(ただし、さらに大田(現美祢市美東町)まで路線延長する免許も取得していた)
太平洋戦争期の1944年、鉄材供出に伴って万倉 - 吉部間が休止した。昭和30年代に入ると石炭産業の斜陽化、バス交通への転換が一気に進み、1961年10月ついに宇部 - 万倉間も休止となり、全線廃止となった。末期はディーゼル車が宇部 - 万倉間を約25分で結んでいた。最後に運転された車両の一つであるキハニ51(芸備鉄道キハユニ17改造)は、廃線後加悦鉄道に譲渡され、京都府与謝野町(旧加悦町)の加悦SL広場にキハユニ51として保存されている。鉄道廃線跡は各所に見られ、例えば旧船木町駅は船鉄バスのターミナルとして使用され、万倉付近には軌道敷の築堤盛土が残存しており、その他、県道へ転用された部分も多数ある。
その後、船木鉄道はバス事業へ転換し、山口県中西部に路線を延ばすとともに、観光バス事業も展開し、現在に至っている。
1913年(大正2年)6月5日:船木軽便鉄道株式会社設立。
1919年(大正8年)2月4日:船木鉄道株式会社に社名変更[2]。
1961年(昭和36年)10月19日:鉄道事業から撤退[2]。
バス事業[編集]
山口県中西部の山陽側一帯に路線を持つ。かつて鉄道路線があった宇部市では、旧楠町地域を含む西部一帯を営業エリアとしている。ほか山陽小野田市・美祢市の全域に路線網を持つ。
バス営業所(車庫)所在地[編集]
船木営業所
山口県宇部市船木980番地
美祢営業所
山口県美祢市大嶺町東分3349番地9
主なバスターミナル[編集]
船木
宇部中央
宇部新川駅
宇部駅
小野田駅
サンパークおのだ
厚狭駅
美祢駅
車両[編集]
一般路線車はベージュ色に赤・青・灰色の帯、ノンステップバスは赤色地、貸切車は白地に茶色系濃淡4色の帯の塗装である。日本国内4メーカーを導入しているが8割は日野自動車製である。ノンステップバスが多いがワンステップバスは2台しか導入していない。中型バスを主に導入している。
バス路線[編集]
一般路線バス[編集]
※(停留所名)は一部の便のみ停車。<停留所名/停留所名>はどちらかを経由。
宇部線
船木 - 有帆 - 宇部駅 - 東割 - 平原 - 宇部新川駅 - 宇部中央 - 宇部市役所
際波台 - 宇部駅 - 東割 - 平原 - 宇部新川駅 - 宇部中央
宇部小野田線
船木 - 有帆 - 小野田駅 - サンパークおのだ - 本町 - 公園通 - 流川 - 東割 - 平原 - 宇部新川駅 - 宇部中央
小野田線
船木 - 有帆 - 小野田駅 - ポリテクセンター - 西高泊
船木 - 有帆 - 小野田駅 - <中川通/サンパークおのだ> - 本町 - 公園通 - 小野田港 - 西ノ浜 - 刈屋
船木 - 有帆 - 小野田駅 - <中川通/サンパークおのだ> - 本町 - 公園通 - 小野田港 - 西ノ浜 - 赤崎神社 - 南浜河内 - 本山岬
国道線
船木 - 中央病院前 - 厚狭本町 - 厚狭駅
美祢宇部線
美祢駅 - 山中 - 松ヶ瀬 - 柳瀬 - 厚狭駅 - 下津 - 小野田駅 - 中川通 - サンパークおのだ - 本町 - 公園通 - 流川 - 東割 - 平原 - 宇部新川駅 - 宇部中央
厚狭宇部線
厚狭駅 - 小野田駅 - サンパークおのだ - 本町 - 公園通 - 流川 - 平原 - 宇部新川駅 - 宇部中央
際波台 - 刈屋・理大線
際波台 - 小野田駅 - <中川通/サンパークおのだ> - 本町 - 公園通 - 小野田港 - 西ノ浜 - (刈屋 - きらら交流館 - 南浜河内)- 赤崎神社 - 日赤前 - 理大前
ひばりが丘 - 叶松線
ひばりが丘 - 小野田駅 - <中川通/サンパークおのだ> - 本町 - 公園通 - 小野田港 - 叶松団地
ひばりが丘 - 刈屋・本山線
ひばりが丘 - 小野田駅 - サンパークおのだ - 本町 - 公園通 - 小野田港 - 西ノ浜 - 刈屋 - きらら交流館 - 本山岬
ひばりが丘 - 小野田駅 - サンパークおのだ - 本町 - 公園通 - 小野田港 - 西ノ浜 - 赤崎神社 - 南浜河内 - 本山岬
刈屋・本山線
小野田駅 - <中川通/サンパークおのだ> - 本町 - 公園通 - 小野田港 - 西ノ浜 - 刈屋 - きらら交流館 - 本山岬
高泊線
小野田駅 - ポリテクセンター - 西高泊 - 黒葉山
山中線(厚狭北部便)
厚狭駅 - 湯ノ峠駅 - 松ヶ瀬 - (山中) - 松ヶ瀬 - 平沼田 - 中央病院 - 厚狭駅
コミュニティバス(運行受託)[編集]
あんもないと号(美祢市)
くすのき号(宇部市楠地域)
船木 - 万倉 - (藤ヶ瀬) - 吉部小前 - 吉部 - 瀬戸
船木 - 万倉 - 二ツ道祖 - 堀越
ねたろう号(山陽小野田市厚狭地域)
中央病院 - 厚狭駅 - 厚狭駅新幹線口 - 下津 - 渡場 - 梶汐湯
いとね号(山陽小野田市埴生地域)
中央病院 - 厚狭駅 - 山野井 - 埴生 - (上福田) - 埴生 - 青年の家前 - 老人センター
土曜日・日曜日・祝日は上福田を経由しない。
定期観光バス[編集]
おいでませ山口号(防長交通と共同運行)
2009年10月1日よりサンデン交通運行分が船木鉄道に移管された。
鉄道事業[編集]
船木鉄道
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 山口県
起点 西宇部駅
終点 吉部駅
開業 1916年9月16日
廃止 1961年10月19日
運営者 船木軽便鉄道→船木鉄道
路線諸元
路線距離 17.7 km
軌間 1,067 mm
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線
凡例
STR
宇部線
STR
山陽本線
ABZql BHFq eABZq+r
0.0 西宇部
exBHF
2.7 有帆
exBHF
3.8 字中村
exBHF
5.9 船木町
exBHF
6.3 裁判所前
exBHF
7.4 宗方
exBHF
8.5 伏附
exBHF
9.6 万倉
POINTERd exSTR
1944年休止
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10.9 矢矯
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12.1 今富
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14.6 峠
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16.5 大棚
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17.7 吉部
歴史[編集]
1912年(大正元年)11月30日:船木軽便鉄道に対し軽便鉄道免許状下付(厚狭郡船木村-同郡厚南村間、軌間1067mm[3])[4]
1914年(大正3年)5月2日:宇部駅(後の西宇部駅、現・宇部駅) - 船木町駅間の4.9kmで敷設工事着着手。
1916年(大正5年)9月16日:宇部駅 - 船木町駅間が開業[5](完成は同年5月2日)。軌間762mm。
1918年(大正7年)11月29日:船木軽便鉄道に対し軽便鉄道免許状下付(厚狭郡船木町-美祢郡大山村間)[6]
1922年(大正11年)6月11日:船木町駅 - 万倉駅間の敷設工事および宇部駅 - 船木町駅間の軌間1067mmへの改軌工事に着手。
1923年(大正12年)10月12日:宇部駅 - 船木町駅間の改軌工事が完成し、船木町駅 - 万倉駅間4.7kmが軌間1067mmで開業[7]。営業距離が宇部駅 - 万倉駅間9.6kmとなる。
1926年(大正15年)
7月1日:万倉駅 - 今富駅間2.5kmが開業。営業距離が宇部駅 - 今富駅間12.1kmとなる。
11月1日:今富駅 - 吉部駅間5.6kmが開業[8]。営業距離が宇部駅 - 吉部駅間17.7kmとなる。
1928年(昭和3年)4月6日:免許取消(1918年11月29日の免許のうち真長田村十文字-大山町間指定の期限まで工事竣工せさるため)[9]
1933年(昭和8年)2月1日:裁判所前駅開業。
1943年(昭和18年)5月1日:宇部駅を西宇部駅に改称(船木鉄道線廃止後の1964年に宇部駅に再改称)。
1944年(昭和19年)
3月1日:万倉駅 - 吉部駅間8.0kmが不要不急線に指定され休止。営業距離が宇部駅 - 万倉駅間9.6kmとなる。
3月31日:万倉駅 - 吉部駅間のレールが金属類回収令に基づく鉄材供出のため撤去。
1952年(昭和27年)以前:裁判所前駅廃止。
1961年(昭和36年)10月19日:西宇部駅 - 万倉駅間9.7kmおよび、休止中の万倉駅 - 吉部駅間8.0kmの廃止により全線廃止[2](石炭貨物輸送は路線廃止より以前の同年に廃止)。
駅一覧[編集]
西宇部駅 - 有帆駅 - 字中村駅 - 船木町駅 - 裁判所前駅 - 宗方駅 - 伏附駅 - 万倉駅 - 矢矯駅 - 今富駅 - 峠駅 - 大棚駅 - 吉部駅
裁判所前駅は路線廃止前に廃止
接続路線[編集]
西宇部駅:山陽本線
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1916 41,622 2,916 5,035 4,280 755 未開業中雑収入4,053 1,203
1917 115,967 16,286 13,711 10,332 3,379 未開業中雑収入3,616 償却金203 1,634 4,663
1918 147,423 20,190 20,045 13,489 6,556 10 2,038
1919 173,099 19,484 35,882 17,989 17,893 政府補助金返納雑損金1,018
1920 196,716 10,705 47,710 29,734 17,976 雑損金661 5,200
1921 210,413 23,772 43,245 26,484 16,761
1922 227,525 55,844 45,055 29,377 15,678
1923 232,280 42,482 45,449 47,429 ▲ 1,980 雑損金その他1,186 1,351 9,842
1924 257,546 54,840 55,872 47,919 7,953 1,500 2,480 28,742
1925 225,194 50,817 47,095 41,124 5,971 雑損4,348 893 29,023
1926 228,232 49,766 62,371 52,627 9,744 雑損15,109 6,275 27,207
1927 249,659 61,697 71,465 61,300 10,165 償却金2,500雑損2,766 12,932 46,857
1928 247,807 63,162 72,858 63,994 8,864 償却金5,879自動車業1,125 10,854 46,764
1929 248,303 61,756 71,160 57,924 13,236 償却金その他17,070 8,759 46,864
1930 233,271 66,810 67,887 56,490 11,397 償却金12,630自動車業6,920 8,924 46,921
1931 210,069 54,556 60,538 48,945 11,593 償却金6,973自動車業6,529 8,133 39,206
1932 176,821 34,908 50,942 47,768 3,174 雑損7,507自動車業9,188 7,264 45,317
1933 182,062 39,179 53,119 51,800 1,319 雑損10,789自動車業6,146 6,451 40,753
1934 191,960 41,559 55,024 53,912 1,112 雑損7自動車業6,209 3,774 33,361
1935 181,147 45,122 55,210 54,377 833 雑損償却金7,586自動車業3,425 2,094 33,407
1936 202,854 63,061 62,015 53,148 8,867 雑損償却金2,950自動車業12,068 664 16,586
1937 228,786 66,807 64,914 62,011 2,903 雑損3,318償却金3,230自動車業2,269 168 13,704
1939 333,933 118,903
1941 510,665 137,259
1943 604,014 192,811
1945 751,061 128,446
1952 479,842 55,951
1955 412千 40,511
1958 410千 27,737
1960 217千 9,888
鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道統計年報、私鉄統計年報各年度版
車両[編集]
762mm[編集]
機関車は雨宮製作所製2両、客車2両、貨車6両(有蓋2無蓋4)
1067mm[編集]
機関車はすべてタンク式。
1・2 使用期間は1923年-1950年(1923年雨宮製作所製)。
3→103 使用期間は1925年-1955年(1925年ドイツコッペル製)。
480→104 使用期間は1942年-1949年。前歴は国鉄480(1904年クラウス製 )
101 使用期間は1945年-1957年。前歴は成田鉄道1-4のうち1両(1925年日立製作所製)
B5 使用期間は1946年-1955年。前歴は光海軍工廠B5(1944年日立製作所製)
102 使用期間は1947年-1955年。自社発注1947年立山重工業製
105 使用期間は1947年-1955年。前歴は国鉄3455(元宇部鉄道1926年汽車製造製)
101(2) 使用期間は1956年-1961年。前歴は長門鉄道C242(1942年松井製)
102(2) 使用期間は1957年-1961年。前歴は長門鉄道C241(1942年松井製)
気動車は日本車輌製造より単端式気動車(カ1・2)を購入し、1929年より宇部-船木町間で運転を開始した。
脚注および参考文献[編集]
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^ 山陽鉄道建設に当たり地元に多額の寄付や敷地の提供を求められた事や鉄道開通により宿場が寂れるなどとして船木の住民が鉄道を忌避したとする説(「鉄道忌避伝説」の項も参照)と、山陽道に沿って船木に鉄道を通すためには船木峠と西見峠の急勾配を越えねばならず、当時の土木技術や蒸気機関車の牽引性能では困難であったためやむなく迂回せざるを得なかったとの説がある。
^ a b c 和久田 (1993) p. 159では船木鉄道への改称を1918年、廃止日(鉄道事業撤退日)を1961年11月19日としていたが、和久田 (2009) でそれぞれ1919年2月4日、1961年10月19日に訂正
^ 『鉄道院年報. 大正3年度』から762mm
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年12月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年9月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1918年12月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年10月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年11月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許取消」『官報』1928年4月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
鉄道関係
和久田康雄 『私鉄史ハンドブック』 電気車研究会、1993年。
和久田康雄 『私鉄史ハンドブック正誤表』、2009年3月、再改訂版。
今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳』11 中国四国、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6。
山口県立山口博物館 『鉄道いま むかし−山口県を中心として』 山口県立山口博物館、1982年7月。
谷口良忠「消え行く船木鉄道」『鉄道ファン』No.6
和久田康雄「消え行く船木鉄道を読んで」『鉄道ファン』No.8
湯口徹『瀬戸の駅から (下)』プレスアイゼンバーン、1992年
関連項目[編集]
サンデン交通
外部リンク[編集]
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