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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
前橋市
まえばしし
前橋市
Souja-jinja (Maebashi) keidai.JPG
上野総社神社
前橋市旗 前橋市章
前橋市旗 前橋市章
国 日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 群馬県
団体コード 10201-6
法人番号 9000020102016
面積 311.59km2
総人口 335,163人
(推計人口、2017年5月1日)
人口密度 1,080人/km2
隣接自治体 高崎市、伊勢崎市、桐生市、
渋川市、沼田市、
北群馬郡吉岡町、榛東村、
佐波郡玉村町
市の木 ケヤキ、イチョウ
市の花 バラ、ツツジ
キャッチフレーズ 水と緑と詩のまち
前橋市役所
所在地 〒371-8601
群馬県前橋市大手町2丁目12番1号
北緯36度23分22.2秒東経139度3分48.3秒座標: 北緯36度23分22.2秒 東経139度3分48.3秒
前橋市役所
外部リンク 前橋市ホームページ (日本語)
前橋市位置図
■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村
地理院地図 Googleマップ Bing GeoHack
MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン
特記事項
平成の大合併前の前橋市
表示 ウィキプロジェクト
前橋市(まえばしし)は、関東地方群馬県の中南部にある中核市。群馬県の県庁所在地である。1890年(明治23年)の市制施行当時の区域は旧勢多郡(当時は東群馬郡)。現在の市域は、旧勢多郡(旧東群馬郡・南勢多郡)・群馬郡・佐波郡(旧那波郡)の区域で構成される。2001年(平成13年)4月1日に隣接する高崎市とともに特例市に移行し、2009年(平成23年)中核市に移行した。過去には県内一位の規模を誇っていたが、2006年(平成18年)10月1日に群馬郡榛名町を編入した高崎市に抜かれ、現在は県内2番目の人口規模となっている。
目次 [非表示]
1 概要
2 地理
2.1 気候
2.2 隣接する自治体
3 歴史
3.1 町村制施行当時の町村
3.2 東群馬郡前橋町成立後の周辺町村との境界線変更・合併など
3.3 高崎市との関係
4 地域
4.1 町丁・行政区
4.1.1 本庁管内
4.1.1.1 桃井地区
4.1.1.2 中川地区
4.1.1.3 敷島地区
4.1.1.4 南部地区
4.1.1.5 城東地区
4.1.1.6 若宮地区
4.1.1.7 天川地区
4.1.1.8 岩神地区
4.1.1.9 中央地区
4.1.1.10 旧町名一覧
4.1.2 上川渕地区
4.1.3 下川渕地区
4.1.4 芳賀地区
4.1.5 桂萱地区
4.1.6 東地区
4.1.7 元総社地区
4.1.8 総社地区
4.1.9 清里地区
4.1.10 南橘地区
4.1.11 永明地区
4.1.12 城南地区
4.1.13 大胡地区
4.1.14 宮城地区
4.1.15 粕川地区
4.1.16 富士見地区
4.2 教育
4.2.1 大学・高等専門学校
4.2.2 高等学校
4.2.3 中学校
4.2.4 小学校
4.2.5 特別支援学校
4.2.6 専修学校
4.2.7 各種学校
4.2.8 学校教育以外の施設
4.3 ナンバープレート
5 人口
6 行政
6.1 市長
6.2 前橋広域圏における「平成の大合併」の経緯
6.3 住所表記
6.4 土木事業
7 立法
7.1 市議会
7.2 群馬県議会(前橋市選出)
7.3 衆議院
8 司法
8.1 裁判所
9 姉妹都市・提携都市
9.1 日本国内
9.2 日本国外
10 経済
10.1 産業
10.2 関東・甲信越エリアを統括する団体・企業
10.3 工業
10.4 農業
10.5 金融
10.6 商業
11 文化
11.1 文化施設
12 交通
12.1 道路
12.2 鉄道
12.3 バス
12.4 ヘリコプター
13 メディア
14 観光
14.1 観光地・植物園
14.2 名所・旧跡
14.3 祭
14.4 スポーツイベント
14.5 名物・特産物
15 出身著名人
15.1 政治家
15.2 官僚
15.3 実業家
15.4 文化人
15.5 アナウンサー
15.6 スポーツ選手
15.7 芸能
15.8 その他
15.9 ゆかりのある人物
15.10 大名
16 前橋を舞台とした作品
17 その他
18 脚注
18.1 注釈
18.2 出典
19 参考文献
20 関連項目
21 外部リンク
概要[編集]
古くは厩橋と書き、江戸時代に前橋に改められた。中世での読み方は「まやばし」(『前橋市史』第2巻、1973、前橋市、6-15頁)、初めの読み方は「うまやばし」であったと推定される。明治時代には製糸業で栄えた都市の一つとなった。戦後は工場誘致を積極的に行い、同時に区画整理を推進した。2001年(平成13年)4月1日に国から特例市に指定され、2009年(平成21年)4月1日に中核市へ移行した。中心地域は旧東群馬郡前橋町を中心とする地域。
ニュースなどでは「まえばし」の「え」の部分のみが高いアクセントで読まれるが、地元では平板型アクセントで発音するのが普通である。「前橋市」と読むときの「まえばし」である。NHKでは2016年にアクセント辞典を改訂した際、「まえ\ばし」を第1アクセントとしつつ、平板型の発音も「地元放送局アクセント」として許容している[1]。
市章は1909年(明治42年)の制定で、旧前橋藩主・越前松平氏の馬印「輪貫」(わぬき)から採用された[2]。外円と内円の半径比は1対0.73に規定されている[2]。
地理[編集]
JR東日本群馬総社駅近辺を蛇行する利根川と前橋市街。利根川の奥は烏川。
関東平野の北西端、赤城山南麓に位置する。市内には利根川、広瀬川などが流れる。伏流水による水質の良さで知られ、中心部で供給される水道水は、その地下水である。又、全国の都道府県庁所在地では海から最も遠い。鉄道交通では中心駅の前橋駅が幹線から外れているため、隣の高崎市にある高崎駅が前橋市への中継点の役割を果たしている。
山岳:駒ヶ岳(1,685m)、地蔵岳(1,674m)、長七郎山(1,579m)、荒山(1,572m)、鈴ヶ岳(1,565m)、鍋割山(1,332m)
河川:利根川、広瀬川、桃ノ木川、荒砥川、赤城白川、大正用水
湖沼:大沼、小沼、覚満淵、千貫沼、荒子沼
1986年(昭和61年)撮影の前橋市中心部周辺の空中写真。利根川が北から南へ流れる。1986年撮影の18枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
気候[編集]
太平洋側気候と内陸性気候を併せ持つ。冬は新潟県・長野県から北西の季節風が吹き、県境にまたがる山岳部に甚大な積雪をもたらし、前橋市に到達する風は乾燥している。この冬の北西からの乾燥した季節風は「上州のからっ風」と呼ばれ、この影響で晴天の日が多いが数年に一度30㎝を超える激しい大雪に見舞われることもあり、平成26年豪雪では観測史上最高となる最深積雪73㎝を記録している。群馬県内の平野部にある伊勢崎や館林に比べて気温も比較的高く、最低気温が-5℃以下になることはまれである。夏は内陸部に位置するため地表が温まりやすく、熊谷(埼玉県北部)などと並び暑さが烈しい。2001年7月24日に気象庁管区での最高気温の記録としては第5位となる40.0℃を記録した。更に、この高温のため雷が多い特徴がある。
[隠す]前橋市(1981-2010)の気候
月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年
最高気温記録 °C (°F) 22.0
(71.6) 24.6
(76.3) 27.1
(80.8) 32.4
(90.3) 36.5
(97.7) 38.3
(100.9) 40.0
(104) 39.1
(102.4) 38.1
(100.6) 33.0
(91.4) 26.6
(79.9) 25.2
(77.4) 40.0
(104)
平均最高気温 °C (°F) 8.8
(47.8) 9.4
(48.9) 12.9
(55.2) 19.0
(66.2) 23.5
(74.3) 26.2
(79.2) 29.7
(85.5) 31.3
(88.3) 26.7
(80.1) 21.2
(70.2) 16.0
(60.8) 11.4
(52.5) 19.7
(67.5)
平均最低気温 °C (°F) −0.8
(30.6) −0.4
(31.3) 2.6
(36.7) 8.0
(46.4) 13.1
(55.6) 17.5
(63.5) 21.4
(70.5) 22.6
(72.7) 18.9
(66) 12.5
(54.5) 6.5
(43.7) 1.7
(35.1) 10.3
(50.5)
最低気温記録 °C (°F) −11.8
(10.8) −9.0
(15.8) −7.8
(18) −3.1
(26.4) 0.3
(32.5) 6.0
(42.8) 11.9
(53.4) 13.6
(56.5) 8.4
(47.1) 0.6
(33.1) −3.5
(25.7) −7.4
(18.7) −11.8
(10.8)
降水量 mm (inch) 26.2
(1.031) 32.1
(1.264) 61.5
(2.421) 78.1
(3.075) 101.9
(4.012) 145.2
(5.717) 197.3
(7.768) 202.3
(7.965) 220.6
(8.685) 115.5
(4.547) 44.7
(1.76) 23.1
(0.909) 1,248.5
(49.154)
降雪量 cm (inch) 8
(3.1) 9
(3.5) 4
(1.6) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 2
(0.8) 24
(9.4)
平均月間日照時間 210.1 194.3 206.2 199.7 192.6 132.2 139.0 165.1 126.2 161.0 179.3 205.1 2,110.9
出典 1: 気象庁[3]
出典 2: 気象庁[4]
隣接する自治体[編集]
View from Gunma Prefectural Government Building east.jpg
群馬県庁舎展望ホールから見た前橋市街(上:東方面、下:北方面)
群馬県庁舎展望ホールから見た前橋市街(上:東方面、下:北方面)
高崎市、伊勢崎市、桐生市、渋川市、沼田市
北群馬郡吉岡町、榛東村
佐波郡玉村町
歴史[編集]
町村制施行当時の町村[編集]
旧・前橋市(平成の大合併前の高崎市)
勢多郡
旧・東群馬郡 - 前橋町 - 上川淵村 - 下川淵村
旧・南勢多郡 - 芳賀村 - 桂萱村 - 南橘村 - 木瀬村 - 荒砥村
群馬郡
旧・西群馬郡 - 総社町 - 元総社村 - 東村 - 清里村 - 新高尾村
佐波郡
旧・那波郡 - 上陽村
旧・大胡町
勢多郡
旧・南勢多郡 - 大胡村
旧・粕川村
勢多郡
旧・南勢多郡 - 粕川村
旧・宮城村
勢多郡
旧・南勢多郡 - 宮城村
旧・富士見村
勢多郡
旧・南勢多郡 - 富士見村
東群馬郡前橋町成立後の周辺町村との境界線変更・合併など[編集]
ウィキソースに大胡町・宮城村・粕川村を廃し、前橋市に編入する件の原文があります。
1889年(明治25年)4月1日 - 町村制施行により、東群馬郡 前橋曲輪町、前橋北曲輪町、前橋南曲輪町、前橋神明町、前橋柳町、前橋石川町、前橋堀川町、前橋田中町、前橋横山町、前橋本町、前橋竪町、前橋桑町、前橋萱町、前橋榎町、前橋田町、前橋立川町、前橋紺屋町、前橋連雀町、前橋相生町、前橋中川町、前橋片貝町、前橋新町、前橋芳町、前橋百軒町、前橋大塚町、天川村および紅雲分村、前代田村、宗甫分村、天川原村の各一部、南勢多郡前橋小柳町、前橋細ヶ沢町、前橋諏訪町、前橋向町、前橋神明町、才川村、清王寺村、岩神村、一毛村、国領村、萩村の区域をもって東群馬郡前橋町が成立。町役場は大字横山町24番地に置かれる。
1892年(明治25年)4月1日 - 東群馬郡前橋町が市制施行して前橋市となる。町村制施行と同時に市制施行した場合を除くと、初の市制施行である。関東地方では水戸市・横浜市、東京市(現・東京都区部)に次いで4番目の市制施行。
1901年(明治34年)4月1日 - 勢多郡上川淵村大字六供、天川原、市ノ坪、前代田、宗甫、紅雲を編入(境界変更)。
1951年(昭和26年)4月1日 - 勢多郡桂萱村大字三俣の一部を編入(境界変更)。
1954年(昭和29年)4月1日 - 勢多郡上川淵村・下川淵村・芳賀村・桂萱村、群馬郡東村 (群馬県群馬郡)・元総社村・総社町を編入合併。
1954年(昭和29年)6月4日 - 勢多郡南橘村から大字上小出・川原の一部を編入(境界変更)。
1954年(昭和29年)9月1日 - 勢多郡南橘村を編入合併。
1955年(昭和30年)1月20日 - 群馬郡清里村・新高尾村大字鳥羽を編入合併。
1955年(昭和30年)4月1日 - 勢多郡木瀬村大字天川大島、上大島、女屋、上長磯、東上野、野中を編入(境界変更)。
1957年(昭和32年)10月10日 - 勢多郡城南村大字小島田・下長磯を編入(境界変更)。
1960年(昭和35年)4月1日 - 勢多郡城南村大字駒形町・東駒形町を編入(境界変更)。
1960年(昭和35年)4月1日 - 佐波郡玉村町大字西善、山王、中内、東善を編入(境界変更)。
1966年(昭和41年) - 中心市街地における住居表示の施行により、中心市街地の町名の大半が消滅する。
1967年(昭和42年)5月1日 - 勢多郡城南村を編入合併。
1968年(昭和43年)7月1日 - 高崎市と境界変更。
1989年(平成元年)4月1日 - 佐波郡赤堀町と境界変更。
1990年(平成2年)9月1日 - 勢多郡大胡町と境界変更。
1993年(平成5年)1月26日 - 北群馬郡吉岡町と境界変更。
1993年(平成5年)9月1日 - 伊勢崎市と境界変更。
1996年(平成8年)11月1日 - 勢多郡富士見村と境界変更。
1998年(平成10年)11月1日 - 群馬郡群馬町と境界変更。
1998年(平成10年)11月1日 - 勢多郡富士見村と境界変更。
2000年(平成12年)11月1日 - 勢多郡大胡町と境界変更。
2004年(平成16年)12月5日 - 勢多郡大胡町・宮城村・粕川村を編入合併。
2009年(平成21年)5月5日 - 勢多郡富士見村を編入合併。
高崎市との関係[編集]
Edit-find-replace.svg この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2010年1月)
前橋市への県庁誘致に尽力した初代前橋市長・下村善太郎
明治時代の群馬県庁
前橋市と南西に隣接する高崎市は、競合・対立関係にあるとされ、 よく「行政や文化の中心は前橋、交通や商業の中心は高崎」といわれることがある。これは前橋に県庁が置かれており、日本銀行の支店、国の出先機関や大手金融機関、県民会館に代表される県の施設や医療施設などが集中するなど、古くから行政の中心地として機能してきたのに対し、高崎は古代から東山道・鎌倉街道が開け、江戸時代には中山道・三国街道・日光例幣使街道などの主要幹線が交差する一大交通拠点であり、現代においても新幹線や高速道路などの県内交通の拠点としての地位を占めていることによる。同じような例にかつての埼玉県さいたま市併合前における行政都市旧浦和市と、交通・商業都市旧大宮市がある。
両市の関係はよくいえば「両翼興県」であり両市においての前橋高崎連携事業でもキーワードとなっている。県庁が置かれ萩原朔太郎ら多くの文人を輩出している「文化都市」前橋と、駅の周辺や古くからの街道沿いに商業施設が密集する「商業都市」高崎は、しばしば好対照として比較される。ただし実際は、後述のとおり年間商品販売額の県内第1位は前橋市であり、一方の高崎市は前橋市にない公営美術館(ただし市立美術館としてアーツ前橋として開設された。)、地方オーケストラとして著名な群馬交響楽団といった文化施設・団体を擁するなど、一面的な比較が難しいのも事実である。
前橋市と高崎市の人口は、大正9年の第一回国勢調査より、一貫して面積の広い前橋市が優勢であり、桐生市に首位を譲った時期を除き、群馬県下一の座を維持していた。しかし高崎市による2006年10月1日の榛名町合併により、高崎の人口は前橋市を上回ることになった。もっとも、高崎市は純山村である旧倉渕村などを市域に含めているため、人口密度やDID(人口集中地区)人口では依然として前橋市が上回っている。
両市の競合・対立関係は、以下に挙げる明治初期の県庁誘致合戦がその原因の一つである。現在の群馬県が成立した当時、県庁は前橋に置かれていたが、一時県庁は高崎に移転して置かれた。しかし、高崎城が当時の兵部省の管轄に入ったため、市内に散在する手狭な仮庁舎に各部署が分散配置された。当時、生糸の輸出で財を成していた前橋では、生糸商人と後の初代市長・下村善太郎により、県庁を厩橋城跡に誘致する事を明治政府に提案し、10万円の移転資金を用意することで移転を了承する旨を要求される。
当時、安田銀行の支店長の給与が17円であった時代において、明治政府もこの巨額な資金を用意するのは不可能と思われていた。ここで下村善太郎は自ら1万円を寄付することで先鞭をつけ、取り纏めを5,000円の寄付をした荒井其次郎など数名に依頼した。明治維新の年に川越藩から松平氏と共に移住して財をなした荒井氏などは、その伝を頼りとすると共に有志に勝手に巨額な金額を算定して請求書を送りつけるなどの強引な資金集めをした。
しかし、応じない高額納税者もあり期限が迫っても巨額な資金要求のため5万円まで集まったところで頓挫する。困った下村善太郎はこの5万円を持って上京し直談判をした。明治政府は集まった巨額な金額に驚くと共に移転を了承した。これによって、県庁は前橋に戻り、県庁所在地として確定した。この当時の前橋市の経済力には驚くほどの目を見張るものがあり、多額の資金を用意出来なかった高崎と対比できる。
高崎市民は、明治政府に県庁の奪還を幾度も訴えるが、いずれも却下されている。これにより、発展の基盤を奪われた高崎市民は、前橋に対する感情を悪化させた。この経緯が前橋に対するわだかまりとして残り、高崎市民・前橋市民が互いに対抗意識を抱くこととなる。
現在では、前橋・高崎およびその周辺自治体の商工会議所などが主体となり、県央政令指定都市の実現を目指した活動や、両市役所による前橋高崎連携事業など官民一体となった活動が行われているなど新たな局面も生まれている。
なお地政的には、江戸時代の前橋藩領・高崎藩領は入り組んでいた。一例を挙げれば、現在は高崎名物とされる「縁起だるま」で知られている少林山達磨寺は、前橋藩を守護する寺院である。一方、上野国府や総社神社・国分寺を含む古代上野の中心地域は高崎藩領であり、前橋城(現在の群馬県庁舎)の対岸にまで及んでいた。
高崎の藩域は、初代高崎藩主井伊直政の時代を除いて前橋藩を上回ることはなかった。しかし前橋藩主松平氏が利根川の氾濫で前橋城を廃し、江戸中期から幕末までの約100年間(江戸を中心に隆盛した化政文化時代を含む)は居城を川越に移したこと(川越藩の分領となる)などから、陣屋が置かれた前橋は城下町としての発展が少なかった。
1869年(明治2年)、明治政府により東京 - 京都の両市を結ぶ鉄道建設計画(中山道幹線)が発表され、1883年(明治16年)日本鉄道よって上野 - 熊谷間などが開業。翌1884年には上野 - 高崎間が開通した。古代から交通の要衝であった高崎は、交通の拠点として、また商都として発展することとなった。
後年、上越線開設の際にターミナル駅を巡って前橋・高崎間で誘致合戦が行われた。前橋駅をターミナルとする案は実現しなかったが、当時の幹線ルートであった三国街道よりもかなり東側(利根川右岸)を通過するルートで敷設され、新前橋駅経由で高崎駅がターミナルとなることで決着した。
地域[編集]
町丁・行政区[編集]
本庁管内[編集]
桃井地区[編集]
大手町(曲輪町、石川町、南曲輪町、北曲輪町、神明町、岩神町の各一部が合併し成立)
大手町一丁目区
大手町二丁目区
大手町三丁目区
紅雲町(一部はのち上川渕村から編入。1910年までは大字紅雲分)
紅雲町一丁目区
紅雲町二丁目区
本町の一部
本町一丁目区
千代田町(横山町、立川町、紺屋町、栄町、桑町、北曲輪町、神明町、竪町、榎町、萱町、芳町の各一部が合併し成立)の一部
千代田町一丁目区
中川地区[編集]
三河町(大塚町、中川町、芳町、萱町、榎町の各一部が合併し成立)
三河町一丁目区
三河町二丁目区
朝日町(百軒町、新町、高田町、天川町の各一部が合併し成立)
朝日町一丁目区
朝日町二丁目区
朝日町三丁目区
朝日町四丁目区
本町の一部
本町三丁目区
敷島地区[編集]
昭和町(萩町、岩神町、上小出町、下小出町の各一部が合併し成立)
昭和町一丁目区
昭和町二丁目区
昭和町三丁目区
平和町(神明町、向町、岩神町の各一部が合併し成立)
平和町一丁目区
平和町二丁目区
住吉町(向町、小柳町、細ヶ沢町、岩神町、琴平町、栄町の各一部が合併し成立)
住吉町一丁目区
住吉町二丁目区
南部地区[編集]
六供町(のち上川淵村から編入した地域)
六供町区
六供町生川区
南町(宗甫分町、前代田町、市之坪町、紅雲町、六供町、天川原町の各一部が合併し成立)
南町一丁目区
南町二丁目区
南町三丁目区
南町四丁目区
城東地区[編集]
日吉町の一部(東町、才川町、清王寺町の各一部が合併し成立)
日吉町一丁目区
日吉町二丁目区
日吉町三丁目区
城東町(諏訪町、一毛町、栄町、清王寺町の各一部が合併し成立)
城東町一丁目区
城東町二丁目区
城東町三丁目区
城東町四丁目区
城東町五丁目区
若宮地区[編集]
国領町
国領町一丁目区
国領町二丁目区
若宮町(清王寺町、才川町、琴平町、国領町の各一部が合併し成立)
若宮町一丁目区
若宮町二丁目区
若宮町三丁目区
若宮町四丁目区
日吉町の一部
日吉町四丁目区
天川地区[編集]
天川原町(一部はのち上川渕村から編入)
天川原町一丁目区
天川原町二丁目区
天川町(のち上川淵村から編入した地域)
天川町区
第一天川町区
文京町(高田町、天川町、天川原町の各一部が合併し成立)
文京町一丁目区
文京町二丁目区
文京町三丁目区
文京町四丁目区
岩神地区[編集]
岩神町
岩神町一丁目区
岩神町二丁目区
岩神町三丁目区
岩神町四丁目区
敷島町(のち南橘村から編入した地域)
緑が丘町(川原町から分立)
中央地区[編集]
千代田町の一部
千代田町二丁目区
千代田町三丁目区
千代田町四丁目区
千代田町五丁目区
表町(田中町、紅雲町、石川町、南曲輪町、前代田町、堀川町、田町、相生町、天川原町の各一部が合併し宝町が成立。同日表町へ改称。)の一部
表町一丁目区
表町二丁目区
本町の一部
本町二丁目区
旧町名一覧[編集]
前橋市旧町名.png
曲輪町(現在の大手町、本町の各一部)
北曲輪町(現在の大手町、千代田町の各一部)
南曲輪町(現在の大手町、本町の各一部
神明町(現在の大手町、千代田町の各一部)
柳町(現在の大手町の各一部)
石川町(現在の紅雲町、大手町の各一部)
堀川町(現在の表町、本町の各一部)
田中町(現在の表町の各一部)
横山町(現在の千代田町の各一部)
本町(現在の本町の各一部)
竪町(現在の千代田町の各一部)
桑町(現在の大手町、千代田町の各一部)
萱町(現在の千代田町、三河町の各一部)
榎町(現在の千代田町の各一部)
田町(現在の本町、表町の各一部)
立川町(現在の千代田町の各一部)
紺屋町(現在の千代田町の各一部)
連雀町(現在の本町の各一部)
相生町(現在の本町の各一部)
中川町(現在の三河町の各一部)
片貝町(現在の三河町の各一部)
新町(現在の朝日町の各一部)
芳町(現在の三河町の各一部)
百軒町(現在の朝日町の各一部)
大塚町(現在の三河町の各一部)
小柳町(現在の住吉町、千代田町の各一部)
細ヶ沢町現在の住吉町の各一部)
諏訪町(現在の城東町、千代田町の各一部)
向町(現在の平和町、住吉町の各一部)
神明町(現在の大手町、千代田町、岩神町の各一部)
才川町(1910年までは大字才川、現在の若宮町、日吉町の各一部)
清王寺町(1910年までは大字清王寺、現在の日吉町、城東町、西片貝町の各一部)
岩神町(1910年までは大字岩神、現在の岩神町、昭和町、平和町の各一部)
一毛町(1910年までは大字一毛、現在の城東町、西片貝町の一部)
国領町(1910年までは大字国領、現在の国領町、若宮町の各一部)
萩町(1910年までは大字萩、現在の昭和町、国領町の各一部)
天川町(1910年までは大字天川、現在の天川町および文京町、朝日町の各一部)
紅雲町(1910年までは大字紅雲分、現在の紅雲町、南町、表町の各一部)
前代田町(1951年までは大字前代田、現在の南町、表町、紅雲町の各一部)
宗甫分町(1951年までは大字宗甫分、現在の南町)
天川原町(1910年までは大字天川原、現在の天川原町、文京町、南町、本町、六供町の各一部)
六供町(1951年までは大字六供、現在の六供町、南町、橳島町、上佐鳥町、朝倉町の各一部)
市ノ坪町(1951年までは大字市ノ坪、現在の南町)
高田町(1934年天川町高台、矢田から分離、現在の文京町、朝日町の各一部)
敷島町(1954年10月南橘村大字上小出、川原の一部から成立、現在の敷島町)
上川渕地区[編集]
上佐鳥町
橳島町
朝倉町
上朝倉町区
下朝倉町区
朝倉町一丁目区
朝倉町二丁目区
朝倉町三丁目区
朝倉町四丁目区
後閑町
下佐鳥町
宮地町
西善町(のち玉村町から編入した地域)
西善町西善区
西善町上両家区
西善町下両家区
西善町矢田区
山王町(のち玉村町から編入した地域)
山王町一丁目区
山王町二丁目区
中内町(のち玉村町から編入した地域)
東善町(のち玉村町から編入した地域)
広瀬町(朝倉町、後閑町、山王町、西善町の各一部が合併し成立)
広瀬町一丁目区
広瀬第一団地区
広瀬町一丁目天神山区
広瀬町二丁目区
広瀬町一、二丁目南部区
広瀬町三丁目区
下川渕地区[編集]
公田町
横手町
亀里町
亀里町竜門区
亀里町阿内宿区
亀里町寺家区
亀里町矢島区
鶴光路町
新堀町
下阿内町
力丸町
徳丸町
房丸町
下川町(亀里町、新堀町、横手町の各一部が合併し成立)
芳賀地区[編集]
勝沢町
小神明町
端気町
五代町
鳥取町
小坂子町
嶺町
金丸町
高花台(勝沢町、嶺町、小坂子町、鳥取町の各一部を合併し成立)
高花台一丁目区
高花台二丁目区
桂萱地区[編集]
三俣町
三俣町一丁目区
三俣町二丁目区
三俣町三丁目区
幸塚町
上沖町
下沖町
西片貝町
東片貝町
上泉町
石関町
亀泉町
荻窪町
堀之下町
堤町
堤町区
堤町北区
堤町ローズタウン区
江木町
江木町区
江木町第二区
江木団地区
萱野団地区
東ローズタウン区
東地区[編集]
箱田町
東箱田後家町区
西箱田町区
後家町
東箱田後家町区
前箱田町
川曲町
稲荷新田町
下新田町
下新田町区
下新田町南区
下新田町東陽区
上新田町
小相木町
古市町
江田町
朝日が丘町(上新田町から分立)
光が丘町(小相木町、後家町、上新田町の各一部が合併し成立)
大利根町(上新田町、箱田町、後家町、稲荷新田町、下新田町の各一部が合併し成立)
新前橋町(石倉町・古市町の各一部が合併し成立)
青葉町(前箱田町から分立)
元総社地区[編集]
元総社町
元総社町第一区
元総社町第二区
元総社町第三区
元総社町第四区
元総社町78区
大友町
大渡町
石倉町
石倉町上石倉区
石倉町中部区
鳥羽町(旧新高尾村から編入)
鳥羽町東部区
鳥羽町西部区
下石倉町(小相木町、古市町、石倉町、大渡町の各一部が合併し成立)
問屋町(総社町総社と大友町の各一部が合併し成立)
総社地区[編集]
総社町植野
総社町総社
総社町粟島区
総社大渡町区
総社町山王区
総社町城川区
総社町立石区
総社町新田区
総社町高井
総社町高井区
総社町桜が丘(総社町植野の一部が独立し成立)
総社町(総社町総社、大渡町の各一部が合併し成立)
総社町大屋敷区
総社町巣烏区
総社町野馬区
総社町鍛冶町区
高井町(総社町総社、総社町高井、総社町植野の各一部が合併し成立)
総社町高井区
清里地区[編集]
池端町
上青梨子町
青梨子町
青梨子町区
青梨子町前原区
清野町(旧清里村大字野良犬)
南橘地区[編集]
上細井町
下細井町
北代田町
上小出町
下小出町
龍蔵寺町
青柳町
荒牧町
日輪寺町
川端町
田口町
関根町
川原町
南橘町(青柳町、日輪寺町、荒牧町の各一部が合併し成立)
永明地区[編集]
天川大島町(旧木瀬村大字天川大島)
天川大島町本町区
天川大島町原町区
天川大島町住宅区
上大島町(旧木瀬村大字上大島)
女屋町(旧木瀬村大字女屋)
上長磯町(旧木瀬村大字上長磯)
東上野町(旧木瀬村大字東上野)
野中町(旧木瀬村大字野中)
下長磯町(旧木瀬村→城南村大字下上磯)
小島田町(旧木瀬村→城南村大字小島田)
駒形町(旧木瀬村→城南村大字駒形・大字東駒形)
下大島町(旧木瀬村→城南村大字下大島)
下大島町区
下大島町西団地区
城南地区[編集]
荒砥地域
下大屋町
泉沢町
富田町
荒口町
荒子町
西大室町
東大室町
飯土井町
新井町
二之宮町
今井町
鶴が谷町(荒口町、荒子町の各一部が独立し成立)
神沢の森(泉沢町から分立)
泉沢町西団地区
木瀬地域
笂井町
小屋原町
上増田町
下増田町
大胡地区[編集]
大胡町
茂木町
茂木町区
足軽町区
堀越町
堀越町区
堀越町堀下区
横沢町
滝窪町
東金丸町(旧大胡町大字金丸。2004年に既存の金丸町と区別するため東金丸町へ改称)
河原浜町
樋越町
上大屋町
宮城地区[編集]
鼻毛石町
柏倉町
市之関町
三夜沢町
苗ヶ島町
馬場町
大前田町
粕川地区[編集]
(地域内の大字名はすべて「粕川町」を冠する)
粕川町新屋
粕川町稲里
粕川町女渕
粕川町上東田面
粕川町込皆戸
粕川町下東田面
粕川町膳
粕川町月田
粕川町中
粕川町中之沢
粕川町西田面
粕川町一日市
粕川町深津
粕川町前皆戸
粕川町室沢
富士見地区[編集]
(地域内の大字名はすべて「富士見町」を冠する)
富士見町石井
石井一区
石井二区
石井三区
富士見町市之木場
富士見町漆窪
富士見町小沢
富士見町小暮
白川台区
新地区
天神平区
西大河原区
箕輪区
大洞区
富士見町田島
富士見町時沢
時中区
時東区
中島区
辻区
梶谷区
受地区
所替戸区
高松区
富士見町原之郷
原上区
原中区
原西区
原東区
富士見町引田
富士見町皆沢
富士見町山口
富士見町横室
富士見町米野
徳沢区
米野区
富士見町赤城山
教育[編集]
大学・高等専門学校[編集]
群馬大学
荒牧キャンパス - 教育学部、社会情報学部
昭和キャンパス - 医学部、付属病院
前橋工科大学
群馬工業高等専門学校
共愛学園前橋国際大学
群馬医療福祉大学
群馬県立県民健康科学大学
放送大学 群馬学習センター
高等学校[編集]
群馬県立
群馬県立前橋高等学校
群馬県立前橋南高等学校
群馬県立前橋東高等学校
群馬県立前橋西高等学校
群馬県立前橋女子高等学校
群馬県立勢多農林高等学校
群馬県立前橋工業高等学校
群馬県立前橋商業高等学校
群馬県立前橋清陵高等学校
前橋市立
前橋市立前橋高等学校
私立
共愛学園高等学校※中高併設
前橋育英高等学校
鹿島学園高等学校高崎連携キャンパス
クラーク記念国際高等学校前橋キャンパス
第一学院高等学校高崎キャンパス
屋久島おおぞら高等学校高崎キャンパス
中学校[編集]
前橋市立第一中学校
前橋市立第三中学校
前橋市立みずき中学校
前橋市立第五中学校
前橋市立第六中学校
前橋市立第七中学校
前橋市立春日中学校
前橋市立広瀬中学校
前橋市立桂萱中学校
前橋市立芳賀中学校
前橋市立元総社中学校
前橋市立東中学校
前橋市立箱田中学校
前橋市立南橘中学校
前橋市立鎌倉中学校
前橋市立木瀬中学校
前橋市立荒砥中学校
前橋市立大胡中学校
前橋市立宮城中学校
前橋市立粕川中学校
前橋市立富士見中学校
群馬大学教育学部附属中学校
共愛学園中学校※中高併設
小学校[編集]
群馬大学教育学部附属小学校
前橋市立桃井小学校
前橋市立桃木小学校
前橋市立桃瀬小学校
前橋市立桃川小学校
前橋市立中川小学校
前橋市立敷島小学校
前橋市立城南小学校
前橋市立城東小学校
前橋市立若宮小学校
前橋市立天川小学校
前橋市立岩神小学校
前橋市立上川淵小学校
前橋市立下川淵小学校
前橋市立桂萱小学校
前橋市立桂萱東小学校
前橋市立芳賀小学校
前橋市立総社小学校
前橋市立元総社小学校
前橋市立東小学校
前橋市立細井小学校
前橋市立清里小学校
前橋市立永明小学校
前橋市立駒形小学校
前橋市立荒子小学校
前橋市立大室小学校
前橋市立二之宮小学校
前橋市立笂井小学校
前橋市立広瀬小学校
前橋市立大利根小学校
前橋市立荒牧小学校
前橋市立荒牧小学校みやま分校
前橋市立勝山小学校
前橋市立元総社南小学校
前橋市立山王小学校
前橋市立新田小学校
前橋市立元総社北小学校
前橋市立大胡小学校
前橋市立大胡東小学校
前橋市立滝窪小学校
前橋市立滝窪小学校金丸分校
前橋市立宮城小学校
前橋市立粕川小学校
前橋市立月田小学校
前橋市立白川小学校
前橋市立石井小学校
前橋市立原小学校
前橋市立時沢小学校
共愛学園小学校※2016年4月1日開校
前橋市立わかば小学校※2017年4月1日朝倉、天神二校の統合校として旧朝倉小学校校舎に開校
特別支援学校[編集]
群馬大学教育学部附属特別支援学校
群馬県立前橋高等養護学校
群馬県立赤城養護学校
群馬県立赤城養護学校日赤分校
群馬県立渡良瀬養護学校しろがね分校
前橋市立養護学校
群馬県立盲学校
群馬県立聾学校
若葉養護学校
専修学校[編集]
山崎学園
東日本デザイン&コンピュータ専門学校
東日本ホテルトラベル専門学校
東日本栄養医薬専門学校
群馬調理師専門学校
東日本製菓技術専門学校
有坂中央学園
中央情報経理専門学校
群馬法科ビジネス専門学校
中央医療歯科専門学校
中央高等専門学校
中央農業グリーン専門学校
前橋東看護学校
前橋医療福祉専門学校
群馬社会福祉専門学校
群馬医療福祉大学付属リハビリ専門学校
群馬県高等歯科衛生士学院
群馬ブライダルビジネス専門学校
フェリカ建築&デザイン専門学校
各種学校[編集]
群馬県立保育大学校
前橋市医師会立前橋高等看護学院
前橋市医師会立前橋准看護学校
群馬朝鮮初中級学校
学校教育以外の施設[編集]
前橋地区高等職業訓練校(認定職業訓練のための施設)
ナンバープレート[編集]
前橋市と北群馬郡吉岡町は、ご当地ナンバーである前橋ナンバー(群馬運輸支局)が交付される。
人口[編集]
人口:343,391人
男性:167,883人
女性:175,508人
世帯数:140,515世帯
人口密度:1,101.88人/km2
(2011年12月31日現在)
Demography10201.svg
前橋市と全国の年齢別人口分布(2005年) 前橋市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 前橋市
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
前橋市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 273,864人
1975年 293,135人
1980年 311,121人
1985年 325,304人
1990年 335,704人
1995年 338,845人
2000年 341,738人
2005年 340,904人
2010年 340,291人
2015年 336,154人
総務省統計局 国勢調査より
行政[編集]
前橋市の歴代市長
代 氏名 在職期間
初代 下村善太郎 1892年5月19日 - 1893年6月2日
2 弥城友次郎 1893年7月23日 - 1898年9月22日
3 笹治元 1898年11月11日 - 1902年5月9日
4 稲葉秀作 1902年6月13日 - 1910年1月14日
5 江原桂三郎 (初代) 1910年2月28日 - 1911年9月20日
6 今鉄平 1911年10月23日 - 1913年6月14日
7 木村二郎 1913年8月30日 - 1925年8月30日
8 竹内勝蔵 1925年9月16日 - 1931年10月6日
9 田中稲一 1931年11月7日 - 1933年12月9日
10 江原桂三郎 (2代) 1933年12月24日 - 1941年12月23日
11 堀康雄 1942年2月23日 - 1946年11月13日
12 関口志行 1947年4月5日 - 1958年5月31日
13 石井繁丸 1958年7月12日 - 1978年7月11日
14 藤井精一 1978年7月12日 - 1988年1月11日
15 藤嶋清多 1988年2月28日 - 1996年2月27日
16 萩原弥惣治 1996年2月28日 - 2004年2月27日
17 高木政夫 2004年2月28日 - 2012年2月27日
18 山本龍 2012年2月28日 - 現在
市長[編集]
現市長は山本龍(やまもと りゅう)。前群馬県議会議員で、2012年2月19日に行われた市長選挙により選出され、2012年2月28日就任。前任は、高木政夫(たかぎ まさお)で、2期・8年間、前橋市長を務めた。3期目を目指し2012年2月の市長選挙に出馬したが、山本龍に敗れた。
2004年2月15日の市長選挙(有権者数225,986人、投票率48.83%)の結果は次の通りである。
高木政夫 - 56,232票
萩原弥惣治 - 44,406票
生方秀男 - 8,334票
2008年2月17日の市長選挙(投票率52.40%)の結果は次の通りである。
高木政夫 - 66,006票
金子泰造 - 60,102票
生方秀男 - 7,678票
2012年2月19日の市長選挙(投票率49.06%)の結果は次の通りである。
山本龍 - 65,173票
高木政夫 - 51,552票
亀田好子 - 9,650票
樋口和彦 - 7,037票
前橋広域圏における「平成の大合併」の経緯[編集]
この地域の合併協議は最終的な決着まで紆余曲折があった。
政府の合併推進施策を受け、以前から結びつきの強かった前橋広域圏(前橋市・大胡町・宮城村・粕川村・富士見村)の首長は、2001年夏に新潟県を視察中、同県弥彦村で会合(いわゆる「弥彦会談」)を行った。この席で、「合併特例法期限内に熟度の高まった所から順次合併」という方針が決められ、関係市町村は合併検討に動き出した。
弥彦会談では、実質的には4町村が「前橋市に編入」で大筋合意となっていた。しかし、富士見村と粕川村は議会から待ったがかかる形となり、2002年に任意合併協議会が開催された時、参加したのは前橋市・大胡町・宮城村であった。4か月後、議会の了承を取り付けた粕川村も任意合併協に加わる。
富士見村は当時の関口村長が議会の圧力もあり自立を表明。しかし住民は反発し村長はリコールで失職する。リコールによって「前橋市との合併」という意思が示されたものの、その後就任した星野村長は当初「中立」というスタンスをとった。そして住民投票を行ったところ結果は合併賛成が63%となり、前橋市との1市1村で法定合併協議会を設置する。
この間にも、前橋・大胡・宮城・粕川の合併協議会は順調に進み、2003年秋に合併調印。そして2004年12月5日に合併。前橋・富士見の合併協議も2004年夏に「2005年5月1日合併」で一度は決着し、調印となった。
しかし、その後富士見村議会が合併に反対。2度出された合併議案を共に否決し、星野村長は「自立」表明することになる。合併協議会は解散、合併調印も取り消された。
この地域の合併に伴って富士見村1村のみが孤立して残存し、前橋広域圏行政が消滅することとなった。取り残された富士見村は消防など一部行政を前橋市へ事務委託しなくてはならず、合併解消に際しては県の仲裁で何とかこれを取りつけた。調印を反故にされた形の前橋市側は実質的な報復措置として、富士見村民の前橋市営斎場利用料や市立工科大学入学料をはじめとする優遇措置を廃止、村民は以前よりも不便を強いられることになった。
富士見村内の有力者間抗争で長引いた泥仕合が村内社会の分裂をも招いて一般村民の不興を買ったこともあり、2007年の富士見村長選では合併推進派が村長に当選。さらに村議会議員選でも、合併推進派の勢力が拡大した事に伴い、2008年1月15日に3度目の正直となる合併協議会が設置され、2009年5月5日に富士見村は前橋市に合併された。
この一連の合併によって以下の支所が設置された。
大胡支所(旧大胡町役場) - 前橋市堀越町1115番地
宮城支所(旧宮城村役場) - 前橋市鼻毛石町1426番地3
粕川支所(旧粕川村役場) - 前橋市粕川町西田面216番地1
富士見支所(旧富士見村役場) - 前橋市富士見町田島240番地
大胡支所
宮城支所
粕川支所
富士見支所
住所表記[編集]
前橋地域は変更なし。
大胡地域と宮城地域は前橋市の後に大字名(町)が付く。
例1:勢多郡大胡町大字茂木→前橋市茂木町
例2:勢多郡宮城村大字柏倉→前橋市柏倉町
旧大胡町の金丸だけは前橋市の金丸町と名称が重複してしまうため、「東金丸町」となった。
粕川地域と富士見地域は前橋市の後に旧村名に町を付け、その後に大字名が付く。
例1:勢多郡粕川村大字女渕→前橋市粕川町女渕
例2:勢多郡富士見村大字田島→前橋市富士見町田島
土木事業[編集]
国土交通省関東地方整備局高崎河川国道事務所 前橋出張所 - 前橋市元総社町335-8
群馬県前橋土木事務所
立法[編集]
市議会[編集]
詳細は「前橋市議会」を参照
定数:38人
任期:4年
会派名 議員数
清新クラブ 12
真政会 9
市民フォーラム 6
日本共産党前橋市議会議員団 5
公明党 4
心世紀 3
未来の会 2
真澄会 1
市民の会 1
計 43
※2009年5月31日増員、2012年3月16日現在
群馬県議会(前橋市選出)[編集]
詳細は「群馬県議会」を参照
定数:8名
任期:2015年(平成27年)5月11日〜2019年(平成31年)5月10日
議員名 会派名 備考
岩上憲司 新星会
中沢丈一 自由民主党
水野俊雄 公明党
小川晶 リベラル群馬 党籍は民進党
狩野浩志 自由民主党
酒井宏明 日本共産党
本郷高明 リベラル群馬 党籍は無所属
安孫子哲 自由民主党
衆議院[編集]
任期 : 2014年(平成26年)12月14日 - 2018年(平成30年)12月13日(「第47回衆議院議員総選挙」参照)
選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
群馬県第1区(前橋市、沼田市など) 佐田玄一郎 自由民主党 9 選挙区
宮崎岳志 民進党 2 比例復活
司法[編集]
前橋地方裁判所
裁判所[編集]
前橋地方裁判所
前橋家庭裁判所
前橋簡易裁判所
姉妹都市・提携都市[編集]
日本国外の3都市、日本国内の1都市と交流関係を結んでいる。前橋市ではいずれも「友好都市」名義である[5]。
日本国内[編集]
萩市(山口県)
2002年12月18日 - 友好都市提携[6][7]
萩出身の初代群馬県令楫取素彦の縁による[6]。前橋市は県庁設置等によって楫取の功績を多としており[6][7]、前橋公園(建碑当初は高浜公園)に功徳碑が立てられている[6]。
日本国外[編集]
固有名詞の表記は前橋市のウェブサイトに従った。
イタリアの旗 オルビエート市(イタリア共和国ウンブリア州)
1997年12月12日 - 友好都市提携[8][9]
オルヴィエートと前橋の間には民間団体の交流があったが[8]、1994年より広がりを見せ[8]、両市長の相互訪問を経て[8]、民間主体の交流を支援する「友好都市」としての提携に至った[8]。
アメリカ合衆国の旗 バーミングハム市(アメリカ合衆国アラバマ州)[8]
1998年10月21日 - 友好都市提携[8][10]
1993年、前橋市の大工棟梁田子和則が、アラバマ州知事、バーミングハム市長、アラバマ日米協会会長の依頼を受けて、植物園 (Birmingham Botanical Gardens (United States)) の日本庭園に茶室を建設したのが契機[8]。以後、民間交流が盛んとなる[8]。1997年にはアラバマ日米協会から田子に「サムエル・ウルマン賞」が贈られた[8]。この縁でサムエル・ウルマン記念館と前橋文学館の交流も開始[8]。前橋市には「前橋青春の会」が設立され、市民の寄付金により「青春の詩碑」が建設された[8]。
アメリカ合衆国の旗 メナーシャ市(アメリカ合衆国)
2002年8月16日 - 大胡町と姉妹都市提携[11]
2005年8月22日 - 友好都市提携[8]
大胡町で育った伊藤幸男(全米州教育庁長官連合協議会)がメナーシャで日本語教育に携わっていたことが契機となり[11][12]、1998年度から大胡小学校がメナーシャ市立グロビス小学校と交流を開始[8]。その後、滝窪小学校と同市ジェファーソン小学校との交流も始まり[8]、両市の中学生の相互訪問も行われるようになった[8]。2002年に大胡町とメナーシャ市が姉妹都市提携[8]。2004年、大胡町は前橋市と合併するが、前橋市は大胡町の姉妹都市提携を継承、2005年にあらためて友好都市協定書を取り交わした[8]。
経済[編集]
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産業[編集]
前橋商工会議所
前橋商工会議所青年部・緑水会
年間商品販売額(万円)
(2004年度商業統計調査、いずれも調査当時の市部、%は県内に占める割合)
前橋市 204,945,840 33.9%
高崎市 128,166,720 21.2%
太田市 53,805,840 8.9%
年間商品販売額(万円、2004年)
204,945,840 (群馬県全体の33.9%を占め、県内第1位)
売場面積(m2、2004年)
424,789(群馬県全体の15.4%を占め、県内第1位)
製造品出荷額(百万円、2004年)
653,635(群馬県全体の8.6%、太田市のほぼ2分の1であり、大泉町に次いで県内第3位)
関東・甲信越エリアを統括する団体・企業[編集]
カネコ種苗本社
ヤマト本社
佐田建設本社
ジンズ前橋本社
ナカヨ本社
ニッパンレンタル本社
コシダカホールディングス
サンヨー食品本社工場(登記上の本店は東京)
ベイシア本部
アサヒ飲料関東支社
メモリード関東
工業[編集]
市内各所に合計十七ヶ所の工業団地を造成。(カッコ内は主な進出企業)
前橋一号工業団地(日新電機、ヤクルト、新進)
前橋二号工業団地(JVCケンウッド、NSKステアリングシステムズ、ナカヨ通信機)
前橋三号工業団地(LIXIL、NSKプレシジョン)
東前橋工業団地(通称「木工団地」)
芳賀東部工業団地(すかいらーく、厚木プラスチック株式会社関東工場)
芳賀西部工業団地
朝倉工業団地(サンヨー食品本社工場、伊藤忠丸紅特殊鋼、吉田鉄工所)
力丸工業団地
城南工業団地(北関東自動車道伊勢崎ICへ上武道路経由で約3.5km)
下川淵工業団地
上増田工業団地(北関東自動車道駒形IC至近)
五代南部工業団地
荒砥工業団地(プラス)
この他、粕川町中之沢に近自然工法を取り入れたサンデンの赤城事業所(サンデンフォレスト)、元総社町に理研鍛造、岩神町に富士機械がある。市内を代表する大工場として、JR前橋駅南東にダイハツ車体本社・工場があったが、2004年11月をもって大分県中津市に移転した。「サッポロ一番」のサンヨー食品は前橋で創業し、現在は朝倉町に本社工場を構える。登記上の本社は東京都港区に置かれている。
2012年12月現在分譲を行っている工業団地は以下の通り。(市工業課)
五代南部工業団地(敷地北端に上武道路開通)
農業[編集]
前橋市の2007年農業産出額は310億円で、市町村別で全国16位、群馬県内の農業産出額に占める割合も13.8%に達する。ちなみに「平成の大合併」前の2003年農業産出額でも県内一位で、168億6千万円であった。
特徴的なのは、畜産業の産出額210億円(全国6位)、乳用牛の産出額55億円(全国17位)、豚の産出額69億円(全国9位)と畜産関連の生産額が突出していることであり(いずれも農林水産省平成19年農業産出額データより)、これは前橋の農業産出額を全国トップレベルに押し上げている要因でもある。いずれの数値も群馬県内全体の産出額の20%前後のシェアを占めている。近年では「TONTONのまちまえばし」として、官民挙げてPR活動を行っている。
畜産以外でも大正時代から市内の耕地整理を進めており、1980年代までに市内の大部分で耕地整理が行われ、整然と区画された耕地が郊外に広がっている。
金融[編集]
群馬銀行本店
東和銀行本店
群馬銀行本店
東和銀行本店
あかぎ信用組合本店
しののめ信用金庫前橋営業部(前橋地区本部)
日本銀行前橋支店
三菱東京UFJ銀行前橋ローン推進室
三井住友銀行前橋支店
みずほ銀行前橋支店
りそな銀行前橋支店
三井住友信託銀行前橋支店
みずほ信託銀行前橋支店
中央労働金庫前橋支店
農林中央金庫前橋事務所
商工組合中央金庫前橋支店
日本政策金融公庫前橋支店
ゆうちょ銀行前橋店
住宅金融支援機構北関東支店
この他に横浜銀行、足利銀行、大光銀行、栃木銀行などの地方銀行、第二地方銀行が支店を置いている。
商業[編集]
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中心市街地は商業の衰退が著しく、再活性化が目下の最重要課題とされている。反面商業施設は、後述の要因により市街地外周や郊外に多く立地している。
以前の前橋では、千代田町2丁目-5丁目に位置する中心商店街が商業の中心であった。1990年代頃になると、前橋駅前に出店したイトーヨーカドーやサティなどの大型店舗や、郊外の駐車場完備・ロードサイド展開の専門店等に利用客が流れるようになった。加えてライフスタイルの変化や自動車保有率全国1位という車社会、市の中心駅である前橋駅と離れた商店街の立地、駐車場の不足、市内中心部の人口減少などの要因のほか、旧日本銀行前橋支店跡地の八番街開発の停滞や商店の後継問題なども絡んで商店街の衰退が進み、全国有数の「シャッター商店街」としてマスコミに取り上げられることも多くなった。1972年に6万人近くあった商店街の歩行者通行量は、1992年には4万人弱、2004年には1万人程度と激減している[13]。
2000年代以降も中心商店街の外周や郊外にはショッピングセンターが相次いで出店した。2007年3月には前橋駅南東の文京町に大型ショッピングモール「けやきウォーク前橋」が、2009年4月には小屋原町の駒形バイパス沿いに「ガーデン前橋」がオープンした。また中心商店街から東に2.5kmの上泉町にはスーパーマーケットのベイシアが大型店(前橋モール店)を出店したほか、地場スーパーのフレッセイは、駒形町と若宮町、荒牧町に中規模のショッピングセンターのほか、中心街の前橋プラザ元気21内に、前橋プラザ店をオープンさせている。
商店街の最盛期には以下に代表される大型店舗があったが、スズラン以外全て中心商店街から移転および撤退した[注釈 1]。
長崎屋(1964年開店、1985年閉店。前橋東宝の場所に進出)
丸井(1968年開店、1986年閉店。丸井跡地は、現在スズラン前橋店新館)
前三百貨店(1964年開店、1985年閉店。※三越提携)
ニチイ(1972年開店、1993年閉店)
LIVIN(1975年西友として開店。後に前橋西武 → LIVIN、2004年閉店。※西友母体)
LIVIN別館のWALK(1987年開店、2006年閉店)
ニチイは千代田町の店舗を一旦閉店させた後、中心商店街から1.2km北に位置する国領町のグンゼ工場跡地にサティ(前橋サティ)として移転オープンさせた。また、ダイエーも六供町と国領町のシルクプラザ内に2店舗あったが、ダイエーは完全撤退した(※ダイエーの撤退は、イトーヨーカドーやサティとの競合やダイエー自体の業績悪化によるものである[要出典])。
2006年1月29日にLIVIN別館で単体として残っていたWALKが閉店したことにより、WALKの中にあったテアトル前橋西友も閉店。後にユナイテッド・シネマが開業するまで前橋市から映画館も全て無くなった。その後テアトル前橋西友跡は、前橋芸術週間という団体の運営により2009年12月4日に名画座「シネマまえばし」として再オープンしている。
けやきウォークや郊外のショッピングセンターの相次ぐ開業に加えてGMS業態自体の不振により、イトーヨーカドー前橋店は2010年(平成22年)8月16日[14]に、前橋サティは同年10月17日[14]に閉店した。その後イトーヨーカドー前橋店はエキータ前橋として、前橋サティは前橋リリカとして再オープンした。
最近まで、イオングループが北関東自動車道前橋南IC南側の農地に超大型ショッピングセンターを建設する計画があった。この土地はかつてカルフールが出店を計画していた場所であり、それよりも広い敷地(約25ha)で、全国最大規模のショッピングセンターとなる予定だった。しかし、関係各署との調整難航や大型店の郊外出店を規制する「まちづくり三法」改正で出店が難しくなったために出店を断念した。
前橋市および地元まちづくり対策協議会は、上記イオン進出予定地含む周辺地域の開発事業「前橋南部拠点地区開発」の主たる事業者をベイシアに決定。ベイシアやカインズホームを核店舗とする、同社最大になる敷地面積23haの「パワーモール前橋みなみ」が2010年12月に第1期オープンした。
家電量販店最大手にまで成長したヤマダ電機は前橋で創業、日吉町に本社を構えていたが2008年7月1日をもって本社を高崎駅前に移転した。会社の急拡大に伴い横浜市のみなとみらい地区に本社機能の一部を移し大型店鋪を併設する計画だったが、周辺道路の渋滞を懸念した横浜市側が土地の譲渡売却を断念。その後、JR高崎駅東口へ新本社を移転新築した。
ベイシアビジネスセンター
一方で、ベイシアは前橋に本部を移転した。前橋南ICに近い亀里町に、ベイシア本体とセーブオン・ベイシア電器などグループ企業十社の本社が、創業地の伊勢崎から2006年1月に移転し、業務を開始している。近年ではさらに前橋南IC付近の開発が進み、先述の「パワーモール前橋みなみ」に北関東初進出となるコストコがオープンした。
文化[編集]
文化施設[編集]
ぐんまアリーナ
図書館
群馬県立図書館
群馬県立点字図書館
前橋市立図書館
前橋こども図書館
美術館・博物館
群馬県立文書館
広瀬川美術館
アーツ前橋
水と緑と詩のまち前橋文学館
中之沢美術館
赤城高原・青春の美術館
北関東造形美術館
イサハイ・ベル・イマージュ美術館
浅見明子淡彩ギャラリー木洩れ日館
劇場・ホール
ベイシア文化ホール
前橋市民文化会館
前橋テルサ
群馬会館
スポーツ施設
グリーンドーム前橋(前橋競輪場)
前橋市民体育館
群馬県 馬事公苑
群馬県総合スポーツセンター
ぐんまアリーナ
ぐんま武道館
ぐんま武道館弓道場
アイスアリーナ
敷島公園
陸上競技場(正田醤油スタジアム群馬)
野球場(上毛新聞敷島球場)
サッカー・ラグビー場
群馬県立敷島公園水泳場
前橋市宮城体育館
水泳場
前橋市大渡温水プール
前橋総合運動公園
前橋市民球場
陸上競技・サッカー場
宮城総合運動場
大胡総合運動公園
赤城山スキー場
映画館
ユナイテッド・シネマ前橋
シネマまえばし
遊園地
るなぱあく
交通[編集]
前述の通り、市の商業施設の郊外移転や自動車保有率全国1位という車社会から、公共交通機関の利用者は減少傾向にあり、特にバスにおいては1990年代より不採算路線の相次ぐ廃止や上毛電鉄の路線バス事業撤退、自治体による欠損補助を受けて運行を維持する路線の拡大など深刻な状況下にある[15]。
道路[編集]
県道17号のケヤキ並木(前橋駅前)
高速道路
関越自動車道:前橋IC(高崎市中尾町と前橋市鳥羽町に跨っている)
北関東自動車道:前橋南IC(鶴光路町、新堀町、下阿内町)、駒形IC(駒形町、小屋原町)
以上の他関越自動車道高崎IC(高崎市京目町)は昭和大橋を介して前橋市公田町に至近、駒寄スマートIC(北群馬郡吉岡町)は前橋市池端町に隣接。
国道
国道17号
(市街地の一部のみ「竪町通り」と呼ばれる。「竪町(たつまち)」は1960年代以前の市街の旧町名)
高崎前橋バイパスが本道化。旧道は群馬県道12号前橋高崎線。
バイパス部は、現道とは別経路で市街東部-北部の郊外を横断。「上武道路」と称する。
田口町交差点以西の前橋渋川バイパスは2010年3月に開通した。
国道50号
今井町交差点以東の前橋笠懸道路が2007年に都市計画決定された。
国道353号
沿道には道の駅ぐりーんふらわー牧場・大胡、道の駅ふじみがある。
赤城山南麓の概ね標高300メートル〜500メートル辺りを東西に通過している。
国道291号(始点が本町(国道17号・国道50号交点)で、前橋市内は国道17号との重複区間)
県道(主要地方道)
2号前橋館林線
(旧称・前橋古河線。下大島町以東は「駒形バイパス」が本道化)
3号前橋大間々桐生線(大胡県道)
4号前橋赤城線(赤城県道)
6号前橋箕郷線
10号前橋安中富岡線
11号前橋玉村線
12号前橋高崎線
13号前橋長瀞線
(利根川左岸を通る「前橋長瀞バイパス」も本道)
15号前橋伊香保線(「吉岡バイパス」が本道化)
16号大胡赤城線
17号前橋停車場線
25号高崎渋川線
27号高崎駒形線(通称・高駒線)
34号渋川大胡線
40号藤岡大胡線
74号伊勢崎大胡線
76号前橋西久保線
主な市道
国体道路 (利根川東岸の道路。沿線にグリーンドーム前橋、敷島公園、県総合スポーツセンター)
東部環状線
通称「東部バイパス」。全線片側2車線。県道2号線(天川大島町交差点)、国道50号線、県道3号線、県道4号線と国道17号(群大病院東交差点)を連絡する。
西部環状線
国道17号線(元総社町南交差点)と県道12号線を連絡する。さらに南部大橋線を介して県道11号線、県道2号線(天川大島町交差点)を連絡する。
江田天川大島線
西部環状線の南側で江田町・天川大島町間を連絡する片側二車線の環状線。県道11号線との重複部、朝倉町内の一部区間が開通。
鉄道[編集]
前橋駅南口
■ 東日本旅客鉄道(JR東日本)
■上越線
新前橋駅 - 群馬総社駅
■両毛線
新前橋駅 - 前橋駅 - 前橋大島駅 - 駒形駅
※ かつては前橋大島駅付近に東前橋駅が、下増田町に下増田駅が設置されていたが、1968年(昭和43年)の両毛線全線電化に際して休止(実質廃止)、1987年(昭和62年)に正式廃止されている。
上毛電気鉄道
■上毛線
中央前橋駅 - 城東駅 - 三俣駅 - 片貝駅 - 上泉駅 - 赤坂駅 - 心臓血管センター駅 - 江木駅 - 大胡駅 - 樋越駅 - 北原駅 - 新屋駅 - 粕川駅 - 膳駅
バス[編集]
関越交通 - 前橋コミュニティバス「マイバス」(北循環・南循環)
日本中央バス
永井バス - 前橋コミュニティバス「マイバス」(西循環)
群馬中央バス
群馬バス
上信電鉄
赤城タクシー
ヘリコプター[編集]
雄飛航空 - 成田ヘリ・エクスプレス(群馬ヘリポート)
メディア[編集]
NHK前橋放送局
群馬テレビ
FM群馬
まえばしCITYエフエム
上毛新聞社
群馬経済新聞社
観光[編集]
2011年(平成23年)度の観光客数は5,917,400人で、群馬県内市町村別第一位であった[16]。
観光地・植物園[編集]
敷島公園(バラ園・萩原朔太郎記念館)
前橋公園
赤城南面千本桜
赤城ローズ&ベリーガーデン
ぐんまフラワーパーク
赤城高原牧場クローネンベルク
赤城温泉郷
赤城山・あかぎ大沼・覚満淵
名所・旧跡[編集]
群馬県庁舎
水道資料館
前橋城
群馬県庁舎 - 32階を展望ホールとして開放。昭和庁舎も現存。
群馬会館
前橋市水道資料館
萩原朔太郎記念館
前橋市蚕糸記念館
藩営前橋製糸所跡
臨江閣
上毛電気鉄道上毛線 大胡駅舎・大胡車両区車両検査庫・大胡電気区建屋
赤城神社
上野国分寺跡
山王廃寺跡
大室公園 (前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳・小二子古墳)
滝沢の不動滝
膳城(県指定史跡)
祭[編集]
前橋初市まつり(1月9日、だるま市)
赤城山雪まつり (2月)
赤城南面千本桜まつり (4月中下旬)
赤城神社例大祭 (5月5日、太々神楽)
前橋七夕まつり (7月)
大胡祇園まつり (7月)
前橋花火大会 (8月第二土曜日)
赤城山夏祭り (8月)
前橋まつり (10月)
酉の市祭 (11月)
スポーツイベント[編集]
前橋シティマラソン (4月下旬)
あかぎ大沼・白樺マラソン (8月下旬)
まえばし赤城山ヒルクライム大会 (9月下旬、自転車競技)
名物・特産物[編集]
創作こけし
焼きまんじゅう
ソースカツ丼
出身著名人[編集]
追加する場合出典付きでお願いします
政治家[編集]
鈴木貫太郎 - 海軍大将、太平洋戦争終戦時の首相
田邊誠 - 元・日本社会党委員長(第11代)
佐田玄一郎 - 衆議院議員、比例代表北関東
宮崎岳志 - 衆議院議員-民主党、財務金融委員会委員、厚生労働委員会委員、政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会委員、元・上毛新聞記者、群馬県1区選出
桑原功 - 衆議院議員-民主党、法務委員会委員、政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会委員、元・前橋市議会議員、元・群馬県議会議員、比例代表北関東
官僚[編集]
重原久美春 - 国際公務員 -元・経済協力開発機構 (OECD) 副事務総長
堤富男 - 通産官僚 - 元・通商産業事務次官
実業家[編集]
速水堅曹 - 前橋藩士(生まれは川越藩士)、日本初の器械式製糸所である藩営前橋製糸所開設、富岡製糸場所長
三村明夫 - 新日本製鐵元社長・元会長、日本経済団体連合会元副会長、日本商工会議所会頭
文化人[編集]
萩原朔太郎 - 詩人
萩原恭次郎 - 詩人
井上武士 - 作曲家
南城一夫 - 画家
木暮正夫 - 作家
神海英雄 - 漫画家
清水和夫 - 教育学者
富山和子 - 環境問題評論家
松下宏 - 自動車評論家
糸井重里 - コピーライター
小栗康平 - 映画監督
清水崇 - 映画監督
三遊亭小圓遊 - 落語家
三遊亭竜楽 - 落語家
豊田有恒 - 作家
樋口有介 - 小説家
横澤彪 - 元・テレビプロデューサー、現・吉本興業相談役
立川談之助 - 落語家
福島弘和 - 作曲家
アナウンサー[編集]
生方恵一 - 元・NHKアナウンサー、現・フリーアナウンサー
下境秀幸 - NHK神戸放送局アナウンサー[1]
渡邉卓哉 - 元・フジテレビアナウンサー[2]
増田和也 - テレビ東京アナウンサー[3]
戸丸彰子 - フリーアナウンサー
松尾英里子 - 元・日本テレビアナウンサー,現フリーアナウンサー
スポーツ選手[編集]
猪谷千春 - 日本人初の冬季五輪金メダリスト(スキー男子回転)
横澤由貴 - アテネオリンピック銀メダリスト(柔道女子52kg級)
奈良恵里加 - パラリンピック4大会出場、金メダリスト(女子競泳)
石橋史匡 - 元プロ野球選手、現:MLBのロサンゼルス・ドジャースの傘下アドバンスルーキーリーグのオグデン・ラプターズのコーチ
持田盛二 - 剣道十段。昭和天覧試合優勝。
太田哲也 - レーシングドライバー・モータージャーナリスト
藤口光紀 - 元・サッカー選手(元・日本代表)、Jリーグ元理事、浦和レッズ元社長
小島伸幸 - 元・プロサッカー選手(元・日本代表)、サッカー解説者、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)
服部浩紀 - 元・プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)
細貝萌 - プロサッカー選手(元・日本代表)
吉江豊 - プロレスラー
グラン浜田 - プロレスラー
井野卓 - プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ)
大嶋匠 - プロ野球選手(北海道日本ハムファイターズ)
中登志雄 - 元・プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
滋野文夫 - 水泳選手
福島正幸 - 元・競輪選手
後閑信一 - 競輪選手
稲村成浩 - 競輪選手
芸能[編集]
櫻井翔 - 嵐のメンバー。群馬県生まれ。両親が前橋市出身。
葉山三千子:女優、谷崎潤一郎の義妹、『痴人の愛』のナオミのモデルとされる。
田中敦子 - 声優
マサ小浜 - ギタリスト
水野愛日 - 声優
古澤徹 - 声優
茂木淳一 - タレント
片桐舞子 - R&BグループMAY'Sボーカル
彩乃かなみ - 元・宝塚歌劇団月組トップ娘役
伊藤毅 - 俳優
あやまん監督 - あやまんJAPANリーダー
その他[編集]
船津伝次平 - 農業研究家、「明治の三老農」の一人
羽鳥重郎 - 医学博士、台湾ツツガムシ病の発見など難病の研究に業績を残した。
羽鳥又男 - 台南市長、羽鳥重郎(又男の生家の分家筋)を頼り台湾へ渡った。
上泉伊勢守信綱 - 戦国時代の兵法家、剣聖
NIGO - ファッションデザイナー
高荷義之 - イラストレーター
鈴木直義 - 獣医師
青木朋 - 漫画家
臼井二美男 - 義肢装具士
ゆかりのある人物[編集]
楫取素彦 - 初代群馬県令、貴族院議員、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロイン「文」(後の楫取美和子)の夫
楫取寿 - 吉田松陰の妹(次女)、楫取素彦の最初の妻
楫取美和子(文) - 吉田松陰の妹(三女)、久坂玄瑞に嫁いだが禁門の変で未亡人となった後、姉(寿)の元夫楫取素彦と再婚。
新井領一郎 - 実業家。楫取寿(楫取素彦の妻)から吉田松陰の短刀を託され渡米。生糸の直輸出に成功。
星野長太郎 - 実業家、衆議院議員。実弟(新井領一郎)をアメリカへ派遣。
深沢雄象 - 前橋藩士(川越藩士)、実業家
前橋二十五人衆 - 群馬県庁誘致に尽力した下村善太郎を中心とした前橋の有力者25名
6代目三遊亭円楽 - まえばし観光大使を務める。市内の寺に寿陵を建立[17][18]。
大名[編集]
酒井氏 - 譜代大名、前橋城主
酒井重忠 - 前橋藩初代藩主
酒井忠清 - 前橋藩4代藩主、下馬将軍と俗称された大老
酒井忠恭 - 前橋藩9代藩主、老中、姫路城へ移転
松平氏 - 前橋城主、御家門の越前松平家
松平朝矩 - 姫路城より前橋城さらに川越城へ移転
松平直克 - 川越城より再築された前橋城へ移転。幕府の政治総裁職を務めた後、最後の前橋藩主として明治維新を迎える。
秋元氏 - 譜代大名、総社城主
秋元長朝 - 総社藩初代藩主
秋元泰朝 - 総社藩2代藩主、後に谷村藩へ
牧野氏 - 譜代大名、大胡城主
牧野康成 - 大胡藩初代藩主
牧野忠成 - 大胡藩2代藩主、後に長岡藩へ
前橋を舞台とした作品[編集]
魔法少女まどか☆マギカ - 群馬県庁舎、前橋駅ホーム、群馬大橋が劇中の建造物のモデルとして登場した[要出典]。
リンダリンダリンダ - 架空の地方都市が舞台だが、前橋工業高校跡地や貸しスタジオなど前橋がロケ地になった[19]。
クライマーズ・ハイ - 主人公の勤める新聞社が前橋にあり、TVドラマ版では前橋市立図書館がロケ地となった[要出典]。
ばかもの - 主人公は高崎在住だが前橋市内の大学に通い、女友達のネユキが前橋在住[要出典]。
ラジ&ピース - ヒロインが訪れ、自分と重ねあわせる町[要出典]。
はいすくーる落書 - ドラマ版ではなく原作のほう[要出典]。
SOUL CATCHER(S) - 群馬県を舞台とした吹奏楽漫画。「前橋ホタル祭り」「式々公園(敷島公園がモデル)」が登場する[20][21]。
そして父になる - 前橋市住吉町の電器店「TSUTAYA」、利根川などがロケ地として使用された[22]。
その他[編集]
ザスパクサツ群馬(J2リーグのサッカークラブ。ホームスタジアムを当市(正田醤油スタジアム群馬)に置く)
前橋刑務所(明治時代に築かれたレンガ塀が残っている希少な刑務所)
市外局番は市内全域において「027」
郵便番号は「371-XXXX」、「379-XXXX」、「370-XXXX」
2008年には全国都市緑化フェアが前橋市と高崎市を中心会場、伊勢崎市と太田市をサテライト会場として開催された。
脚注[編集]
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注釈[編集]
^ また食品スーパーとしては、ヤナイストアーが2011年7月28日[要出典]をもって事業停止している。
出典[編集]
^ 井上裕之 (2016年11月1日). “日本地名と「地元放送局アクセント」〜積年の課題に解を求めて〜”. NHK放送文化研究所. 2017年4月27日閲覧。
^ a b “市政概要 平成27年度版 (PDF)”. 前橋市議会事務局 (2015年9月1日). 2015年9月1日閲覧。
^ “前橋 1981-2010年”. 気象庁. 2012年11月17日閲覧。
^ “前橋 観測史上1~10位の値”. 気象庁. 2012年11月17日閲覧。
^ “(Q&A)前橋市の姉妹都市や友好都市について知りたいのですが。”. 前橋市 (2011年9月30日). 2016年8月31日閲覧。
^ a b c d “萩市(山口県)”. 前橋市. 2016年8月31日閲覧。
^ a b (PDF) ふるさと萩のすがた. 萩市. p. 6 2016年9月14日閲覧。.
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. 2016年8月31日閲覧。
^ “オルビエート市”. 前橋市. 2016年8月31日閲覧。
^ “バーミングハム市”. 前橋市. 2016年8月31日閲覧。
^ a b “メナーシャ市”. 前橋市. 2016年8月31日閲覧。
^ “一本の電話から始まった交流のお手伝い”. 国際フォーラム通信63. 財団法人国際文化フォーラム (2004年7月). 2016年8月31日閲覧。
^ 「みんな「まち」へ行こう」 (pdf) 、『広報まえばし』第1,305号、前橋市役所、2005年12月1日、 3頁、2015年9月1日閲覧。
^ a b “上毛新聞・重大ニュース2010 「前橋の大型2店撤退 郊外型出店で打撃」”. 上毛新聞社 2015年9月1日閲覧。
^ 全市域デマンド化研究会第1回研究会議:資料2(前橋市審議会資料)
^ 群馬県統計情報提供システム
^ “前橋の観光大使に円楽さんら 30年前に「墓」取得、死んだら住民票移す”. 高崎前橋経済新聞. みんなの経済新聞. (2016年3月25日) 2016年12月13日閲覧。
^ “「まえばし観光大使」の委嘱について” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 群馬県前橋市, (2016年3月24日) 2016年12月13日閲覧。
^ “旧前工岩神校舎が、いよいよ取り壊しになります”. 群馬県立前橋工業高等学校. 2016年2月25日閲覧。
^ 神海英雄 『SOUL CATCHER(S)5巻』
^ 神海英雄『SOUL CATCHER(S)9巻』
^ “映画「そして父になる」、ロケ地「前橋」出身の助監督が撮影秘話”. 前橋高崎経済新聞. 2016年2月27日閲覧。
参考文献[編集]
神海英雄 『SOUL CATCHER(S)5巻』 集英社、2014年。ISBN 978-4-08-880073-8。
神海英雄 『SOUL CATCHER(S)9巻』 集英社、2015年。ISBN 978-4-08-880529-0。
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外部リンク[編集]
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