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那智黒
日本囲碁連盟 囲碁用語 より
那智黒(なちぐろ)
那智黒は和歌山県那智地方の産出として通っているが、
現在は、三重県熊野市の北西およそ20キロの神川町特産の粘板岩である。
“ヘギが通る”つまり一定方向に層をなすのが特色で、そのため石面がムラなくなめらかで美しい。
囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。
相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。
面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。
相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
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「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
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3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
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当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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那智黒
曖昧さ回避 この項目では、那智勝浦町周辺の名物の黒飴について説明しています。
三重県熊野市の神川町で採取される鉱石の那智黒石については「那智黒石」をご覧ください。
株式会社 那智黒総本舗
nachiguro-souhonpo co.,ltd.
種類 株式会社
略称 那智黒
本社所在地 日本の旗 日本
〒649-5172
和歌山県東牟婁郡太地町森浦438
設立 1974年(昭和49年)3月
※ 創業:1877年(明治10年)
業種 食料品
事業内容 黒飴「那智黒」など菓子の製造販売
代表者 坂野日出夫(代表取締役社長)
資本金 3千万円
外部リンク http://www.nachiguro.co.jp/
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那智黒 (なちぐろ)とは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町周辺(新宮市、三重県熊野市・南牟婁郡御浜町、紀宝町など)で販売されている名物の黒飴のことである。製造・販売元である那智黒総本舗の本社・工場は東牟婁郡太地町に所在する。
目次 [非表示]
1 概要
2 沿革
3 備考
4 脚注
5 リンク
概要[編集]
1877年(明治10年)創業。和歌山県を代表する観光土産でもあり、高野山等の門前町でも店先で良く並んでいる。和歌山県以外でも、三重県のJR熊野市駅や大阪府のJR新大阪駅、関西国際空港の売店でも販売されている。「黒あめ那智黒」の商品名で、株式会社那智黒総本舗が製造している。熊野の特産である那智黒石で作られた碁石にちなんだお菓子として生み出された。鹿児島県奄美大島産の黒砂糖をふんだんに使用している。値段も手頃で嵩張らない為、参詣土産として全国の信徒や来訪者が購入することが多い。
また、和歌山県推薦優良土産品に指定されている。
沿革[編集]
1877年(明治10年) - 創業。
1942年(昭和17年) - 保存銘菓として農林省の指定を受け、戦時下にも製造。
1955年(昭和30年)12月 - 個人経営より有限会社那智黒本舗設立。
1962年(昭和37年)11月 - 現本社工場が完成。
1972年(昭和47年) - CMの放送を開始、1983年(昭和58年)頃まで放送。話題になり人気を集めた。
1974年(昭和49年)3月 - 株式会社那智黒総本舗として組織・社名共に変更。
1989年(平成元年)5月 - 黒あめ那智黒「第21回全国菓子大博覧会」に於いて名誉総裁賞受賞。
備考[編集]
近畿地方[1]では1972年(昭和47年)から1983年(昭和58年)頃までCMが放映されており(思い出のテレビCM)、老婆と黒人がゴーゴーを踊るというインパクトの強さからCMソングを覚えている関西人は多い。
那智黒総本舗では、黒飴の他に「黒あめ那智黒」と同じ黒砂糖を原材料に用いた羊羹とかりんとうの製造・販売も行っている。また、過去に九州向けに「薩摩の火」(さつまのひ)という商品名による黒飴も製造・販売していた。
松鶴家千とせが最後に言う「わかるかなぁ、わっかんねぇだろぉなぁ」のセリフも非常に有名であり、当時マネするファンも数多くいた。
「キン肉マン」のキャラクターナチグロンはここからヒントを得て作られた。
関東地方のスーパーマーケット(ダイエー、イオンなど)や、東京・上野にある二木の菓子でも販売している。東京都の八王子市を店舗拠点とするスーパーアルプスでも扱っている。
脚注[編集]
^ 同CMは東海地方でもオンエアされており、関西に劣らず高い知名度がある。
リンク[編集]
株式会社那智黒総本舗 公式サイト
執筆の途中です この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
カテゴリ: 和歌山県の菓子三重県の菓子那智勝浦町太地町土産菓子和飴日本の製菓業者和歌山県の企業老舗企業 (明治創業)
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江当軌道
[隠す]江当軌道
路線総延長 11.3 km
軌間 762 mm
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
国鉄:札沼線
HSTq STRq
石狩当別
WASSERq WASSERq
当別川
exKBHFl exSTRlg
0.0 当別
exBHF
蕨岱
exBHF
六号
exBHF
三原
exBUS exKBHFe
11.3 江別
WASSERq
石狩大橋 石狩川
STRrg
国鉄:函館本線
exBUS HST
江別
江当軌道(えとうきどう)は、かつて北海道石狩郡当別村(現当別町)と札幌郡江別町(現江別市)を結んでいた軌道路線、あるいはそれを運営していた軌道経営者である。国鉄札沼南線(後の札沼線)開通により補償をうけ廃止された。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 沿革
3 運転状況
4 駅一覧
5 輸送・収支実績
6 車両
7 バス事業
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
路線データ[ソースを編集]
路線距離:当別 - 江別間11.3km
軌間:762mm
駅数:5(起終点を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
動力:蒸気・内燃併用
沿革[ソースを編集]
当別村 - 江別町間で軌道による旅客及び一般貨物の運輸、それと倉庫業の経営、ならびに乗合自動車での旅客運輸を目的に設立された。 1926年(大正15年)1月に開かれた設立会議にて、発起人である池田一修のほかに4名が取締役にして選出され、さらにその5名による互選から池田が社長に選ばれた。資本金は15万円[1]、3000株だった。もとは馬車鉄道として1925年(大正14年)9月12日に特許状が下付されていたが、1926年(大正15年)9月20日に動力を蒸気へ変更することの申請をし、開業直前の1927年(昭和2年)5月11日になって許可を受けた。 8月に開業したが江別では石狩川、当別では当別川に遮られ両市街地に乗り入れることができなかった。道庁では国鉄と接続しないことを危惧し会社に石狩川を渡るように指導したが架橋する余力などなく、また石狩大橋を鉄道道路併用橋にするのには幅員が不足していた[2]。
さて収支状況であるが開業して以来一度も黒字を出すことはなかった。貨物[3][4]が期待していたほどでなかったのが原因であるが、道庁補助金[5]によりなんとか会社を維持していた。
ところが、1934年(昭和9年)11月に札沼南線が開通すると、貨客とも大幅に減少し営業が成り立たない状況におちいってしまった[6]。そこで国に対し軌道法26条による補償の申請をした結果、補償[7][8]を受けることになり廃止された[9]。
1925年(大正14年)9月12日:江当軌道に対して軌道特許状下付(動力馬力)[10]
1926年(大正15年)1月17日:当別村市街地にて江当軌道株式会社の設立会議、池田一修が社長に選任[11][12]
1927年(昭和2年)
4月:軌道の敷設が起工
8月18日:当別 - 江別間の営業開始[12]
1929年(昭和4年)10月30日:蒸気瓦斯倫併用実施。ガソリン機関車を使用(10月12日認可)[12]
1930年(昭和5年)12月14日:積雪のため1931年3月24日まで運休[13]。
1932年(昭和7年)
1月16日:積雪のため3月3日まで運休[14]
12月24日:積雪のため1933年3月27日まで運休[15]
1934年(昭和9年)
1月1日:積雪のため3月10日まで運休[16]
11月20日:札沼南線が開業し石狩当別駅を設置
12月15日:積雪のため1935年4月10日まで運休[17]
1935年(昭和10年)12月20日:積雪のため1936年4月30日まで運休[18]
1936年(昭和11年)5月1日:軌道路線廃止[19]
運転状況[ソースを編集]
開業時は4往復、所要時間50分であった。
当別発午前6:40、午前10:50、午後2:00、午後5:00 江別発午前9:00、午後12:00、午後3:40、午後6:43
冬期は積雪のため運休しており、馬橇が使用された。
駅一覧[ソースを編集]
当別駅(とうべつ)0.0km - 蕨岱駅(わらびたい) - 六号駅(ろくごう) - 三原駅(さんげん) - 江別駅(えべつ)11.3km
江別駅は国鉄函館本線江別駅とは位置が違い、石狩川を挟んだ江別市街の反対側の石狩大橋のたもとにあった。そのため、江当軌道の江別駅からは自動車輸送で国鉄江別駅まで輸送を行っていた。
輸送・収支実績[ソースを編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 道庁補助金(円)
1928 18,394 5,227 14,979 18,060 ▲ 3,081 自動車941 5,272 0
1929 26,338 4,705 17,829 23,584 ▲ 5,755 自動車2,354 3,703 23,984
1930 42,025 10,209 29,891 31,617 ▲ 1,726 自動車556 9,002 14,778
1931 31,567 7,841 20,200 22,772 ▲ 2,572 自動車4,351 6,043 15,050
1932 25,837 6,155 15,306 20,031 ▲ 4,725 雑損自動車3,811 6,525 15,123
1933 22,510 4,108 11,991 16,113 ▲ 4,122 雑損45自動車4,517 6,401 15,123
1934 27,648 8,893 17,170 19,470 ▲ 2,300 雑損18自動車7,003 5,813 15,366
1935 18,340 6,503 11,567 13,787 ▲ 2,220 雑損106自動車4,790 5,332 15,366
1936 3,260 83 1,454 9,630 ▲ 8,176 雑損1,287自動車2,957 5,290 15,366
鉄道統計資料各年度版
車両[ソースを編集]
蒸気機関車 - 2両(ローカ製B型7トン機[20]、雨宮製作所製C型5トン機)
内燃機関車 - 2両(碌々商店製3.5トン石油発動機関車、札幌車輌工務所製2.5トンガソリン機関車)
客車 - 3両
貨車 - 31両
バス事業[ソースを編集]
軌道の開業に先立ち1927年(昭和2年)5月に弁華別小学校前、当別停車場、中小屋を結ぶ路線の運行を開始した。当初はフォード社製の6人乗りで1日1往復であったが、1931年(昭和6年)に月形まで延長し1日2往復となり1933年(昭和8年)にシボレー社製の10人乗りが加わった。1935年(昭和10年)頃の営業キロは47キロ、保有車両は6台であった。
脚注[ソースを編集]
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^ 当初は75,000円。
^ 『北海道の私鉄車両』254頁
^ 江別には富士製紙株式会社北海道工場があり当別川からの舟運による木材の輸送に期待していた。
^ 無蓋貨車を31両所有していた。
^ 北海道拓殖鉄道補助- 法律を参照。
^ 「十一月二十日札沼線開通以来収入殆ンド皆無ニ等シク前年同期ニ比シ実ニ九割ノ激減ヲ見タリ」(No.4「最近営業報告ノ件」42頁『第一門・監督・二、地方鉄道・十、買収及補償・江当軌道・昭和十一年』)
^ 「江当軌道株式会社所属軌道ノ経営廃止ニ対スル補償ノ為公債発行ニ関スル件」『官報』1936年5月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 補償金額44,425円『日本国有鉄道百年史 』第7巻、172頁
^ 札沼南線は1923年(大正12年)3月に建設が決定されており、廃止(補償)は織り込み済みだったといえる。「黎明期の国産瓦斯倫機関車」240頁。
^ 「軌道特許状下付」『官報』1925年9月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b c 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ No.4「最近営業報告ノ件」6頁『第一門・監督・二、地方鉄道・十、買収及補償・江当軌道・昭和十一年』
^ No.4「最近営業報告ノ件」16頁『第一門・監督・二、地方鉄道・十、買収及補償・江当軌道・昭和十一年』
^ No.4「最近営業報告ノ件」25頁『第一門・監督・二、地方鉄道・十、買収及補償・江当軌道・昭和十一年』
^ No.4「最近営業報告ノ件」34頁『第一門・監督・二、地方鉄道・十、買収及補償・江当軌道・昭和十一年』
^ No.4「最近営業報告ノ件」43頁『第一門・監督・二、地方鉄道・十、買収及補償・江当軌道・昭和十一年』
^ No.4「最近営業報告ノ件」52頁『第一門・監督・二、地方鉄道・十、買収及補償・江当軌道・昭和十一年』
^ 「軌道営業廃止」『官報』1936年5月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 浜松鉄道から購入した元南予鉄道機
参考文献[ソースを編集]
『えべつ昭和史』1995年、92 - 94頁
『当別町史』1972年、869-871頁
今井理「黎明期の国産瓦斯倫機関車」『トワイライトゾーンMANYUAL14』ネコパブリッシング、2005年
澤内一晃・星良助『北海道の私鉄車両』北海道新聞社 2016年、254-257頁
濱田啓一・廣政幸生・渡辺真吾「江當軌道」『鉄道ピクトリアル』NO.411 1982年12月号
『全国乗合自動車業者名簿』昭和10年(国立国会図書館デジタルコレクション)
『第一門・監督・二、地方鉄道・十、買収及補償・江当軌道・昭和十一年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
関連項目[ソースを編集]
廃線
執筆の途中です この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
北海道の旗 この項目は、北海道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/北海道)。
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那智黒
曖昧さ回避 この項目では、那智勝浦町周辺の名物の黒飴について説明しています。
三重県熊野市の神川町で採取される鉱石の那智黒石については「那智黒石」をご覧ください。
株式会社 那智黒総本舗
nachiguro-souhonpo co.,ltd.
種類 株式会社
略称 那智黒
本社所在地 日本の旗 日本
〒649-5172
和歌山県東牟婁郡太地町森浦438
設立 1974年(昭和49年)3月
※ 創業:1877年(明治10年)
業種 食料品
事業内容 黒飴「那智黒」など菓子の製造販売
代表者 坂野日出夫(代表取締役社長)
資本金 3千万円
外部リンク http://www.nachiguro.co.jp/
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那智黒 (なちぐろ)とは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町周辺(新宮市、三重県熊野市・南牟婁郡御浜町、紀宝町など)で販売されている名物の黒飴のことである。製造・販売元である那智黒総本舗の本社・工場は東牟婁郡太地町に所在する。
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1 概要
2 沿革
3 備考
4 脚注
5 リンク
概要[編集]
1877年(明治10年)創業。和歌山県を代表する観光土産でもあり、高野山等の門前町でも店先で良く並んでいる。和歌山県以外でも、三重県のJR熊野市駅や大阪府のJR新大阪駅、関西国際空港の売店でも販売されている。「黒あめ那智黒」の商品名で、株式会社那智黒総本舗が製造している。熊野の特産である那智黒石で作られた碁石にちなんだお菓子として生み出された。鹿児島県奄美大島産の黒砂糖をふんだんに使用している。値段も手頃で嵩張らない為、参詣土産として全国の信徒や来訪者が購入することが多い。
また、和歌山県推薦優良土産品に指定されている。
沿革[編集]
1877年(明治10年) - 創業。
1942年(昭和17年) - 保存銘菓として農林省の指定を受け、戦時下にも製造。
1955年(昭和30年)12月 - 個人経営より有限会社那智黒本舗設立。
1962年(昭和37年)11月 - 現本社工場が完成。
1972年(昭和47年) - CMの放送を開始、1983年(昭和58年)頃まで放送。話題になり人気を集めた。
1974年(昭和49年)3月 - 株式会社那智黒総本舗として組織・社名共に変更。
1989年(平成元年)5月 - 黒あめ那智黒「第21回全国菓子大博覧会」に於いて名誉総裁賞受賞。
備考[編集]
近畿地方[1]では1972年(昭和47年)から1983年(昭和58年)頃までCMが放映されており(思い出のテレビCM)、老婆と黒人がゴーゴーを踊るというインパクトの強さからCMソングを覚えている関西人は多い。
那智黒総本舗では、黒飴の他に「黒あめ那智黒」と同じ黒砂糖を原材料に用いた羊羹とかりんとうの製造・販売も行っている。また、過去に九州向けに「薩摩の火」(さつまのひ)という商品名による黒飴も製造・販売していた。
松鶴家千とせが最後に言う「わかるかなぁ、わっかんねぇだろぉなぁ」のセリフも非常に有名であり、当時マネするファンも数多くいた。
「キン肉マン」のキャラクターナチグロンはここからヒントを得て作られた。
関東地方のスーパーマーケット(ダイエー、イオンなど)や、東京・上野にある二木の菓子でも販売している。東京都の八王子市を店舗拠点とするスーパーアルプスでも扱っている。
脚注[編集]
^ 同CMは東海地方でもオンエアされており、関西に劣らず高い知名度がある。
リンク[編集]
株式会社那智黒総本舗 公式サイト
執筆の途中です この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
カテゴリ: 和歌山県の菓子三重県の菓子那智勝浦町太地町土産菓子和飴日本の製菓業者和歌山県の企業老舗企業 (明治創業)