TOP > 名人戦 結果 - 検索
囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。
相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。
面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。
相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
▲TOPページ
当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。
「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質
・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実
これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
別府鉄道野口線
野口線
野口駅に停車中のキハ101
野口駅に停車中のキハ101。
奥は国鉄高砂線のキハ35形
概要
現況 廃止
起終点 起点:野口駅
終点:別府港駅
ほか貨物線1路線
(別府港駅 - 港口駅、1926年廃止)
駅数 7駅(貨物駅含む)
運営
開業 1921年9月3日
廃止 1984年2月1日
所有者 別府軽便鉄道→別府鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 4.4 km (2.7 mi)(貨物線含む)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 280 m (920 ft)
電化 全線非電化
最急勾配 6 ‰ (0 ° 20 ′)
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
exSTR
国鉄:高砂線
0.0 野口駅
exSTR3 exSTR
exBHF
0.8 藤原製作所前駅
exBHF
1.5 円長寺駅
exBHF
2.4 坂井駅
STRlg exSTR
山陽電鉄:本線
3.0 別府口駅
STR exSTR
別府駅
STR exSTR exSTRrg
土山線
STRlf xKRZu xKRZu
exABZrg exSTRrf
exBHF
3.7
0.0
別府港駅
exDST
0.7
港口駅 -1926
exKBSTe
多木化学等専用線
野口線(のぐちせん)は、兵庫県加古川市の野口駅から別府港駅を結んでいた別府鉄道の鉄道路線。1984年(昭和59年)に廃止された。
別府港にある多木製肥所(現在の多木化学)で製造された化学肥料などを運ぶために1921年(大正10年)に開業した。1923年(大正12年)に国鉄山陽本線と接続している土山線が開業すると貨物輸送の主体はそちらに移り、旅客営業主体の路線となった。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行形態
3 車両
4 歴史
5 駅一覧
6 接続路線
7 廃止後の状況
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):野口 - 別府港間 3.7km(廃止時)、別府港 - 港口間 0.7km
軌間:1067mm
駅数:6駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
運行形態[編集]
開業当時は全列車が播州鉄道(後の播丹鉄道)に直通し加古川に乗り入れていた。1日4往復であったという。土山線の開業で貨物は減少し、旅客主体の路線となった。1943年(昭和18年)の播丹鉄道が国鉄に買収されたことにより乗り入れは中止された。
戦後の路線復活のときには野口に渡り線が設置されなかったため貨物列車は設定されず、すべて内燃動車(気動車)による旅客列車であった。
1969年(昭和44年)12月時点[1]では、1日10往復で所要11分であった。
1984年(昭和59年)1月時点で、1日9往復の旅客列車が運行されていた[2]。
車両[編集]
別府鉄道キハ2 円長寺公園
キハ3 佐久鉄道キホハニ56に復元保存
キハ2
1931年(昭和6年)に三岐鉄道のキハ5として日本車輌で製造された気動車。1965年(昭和40年)に別府鉄道に入線。1984年(昭和59年)の廃止時まで使用され、末期は残り少ないバケットカーとして注目された。現在は円長寺駅跡付近の公園に保存されているが、荒廃が著しい。
キハ3
1930年(昭和5年)に佐久鉄道のキハホニ56として日本車輌で製造された気動車。その後国鉄買収を経て三岐鉄道キハ6となり、1959年(昭和34年)12月に別府鉄道に入線した。この車両もバケットカーとして注目され、廃止時まで使用された。現在は長野県佐久市の成知公園に保存されている。
キハ101
1934年(昭和9年)に国鉄キハ41057として川崎車両で製造された気動車。その後同和鉱業片上鉄道キハ301となり、1974年(昭和49年)に別府鉄道に入線した。廃止時まで使用され、加古川市内の中島公園に保存されていたが、2008年(平成20年)に解体された。
歴史[編集]
1921年(大正10年)9月3日 - 別府軽便鉄道として野口 - 別府港 - 港口間 (2.7M) が開業(別府港 - 港口間は貨物線)
1926年(大正15年) - 別府港 - 港口間廃止
1932年(昭和7年)- 別府口駅、円長寺駅開設
1937年(昭和12年)10月23日 - 坂井駅開設
1945年(昭和20年)1月11日 - 不要不急線に指定され、資材供出のため全線休止
1946年(昭和21年)4月1日 - 別府鉄道に社名変更
1947年(昭和22年)5月22日 - 全線再開
1966年(昭和41年)9月1日 - 藤原製作所前駅開設
1984年(昭和59年)2月1日 - 全線廃止。バス転換せず
駅一覧[編集]
野口駅 - 藤原製作所前駅 - 円長寺駅 - 坂井駅 - 別府口駅 - 別府港駅 - 港口駅
接続路線[編集]
野口駅:日本国有鉄道高砂線
別府口駅:山陽電気鉄道本線(別府駅)
別府港駅:別府鉄道土山線
廃止後の状況[編集]
ほぼ全線にわたり道路化され、山陽電鉄との交差部付近から旧国鉄高砂線との合流部までは加古川市の遊歩道『松風こみち』として整備されている。途中の駅跡は休憩所になっている。
一方、関西圏都市交通研究会は加古川・高砂LRTとして当路線の復活による野口 - 別府 - 土山のLRT敷設を提言している[3]。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 藤井 (1969) p. 73
^ 宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩くIV』JTB、1997年、p.127
^ 川島令三著 『日本三大都市 未完の鉄道路線』 p305
参考文献[編集]
藤井信夫 (1969). “別府鉄道”. 鉄道ピクトリアル No. 232 (1969年12月号臨時増刊:私鉄車両めぐり10): pp. 72-79, 106-107.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道史資料保存会(1986年覆刻)、東京(覆刻は大阪)、1937年、p. 397。ISBN 4-88540-048-1。
和久田康雄 「昭和52年5月1日現在における補遺」『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺5頁。
今尾恵介 『日本鉄道旅行地図帳』9号 関西2、新潮社、2008年。978-4-10-790027-2。
関連項目[編集]
廃線
カテゴリ: 近畿地方の鉄道路線 (廃止)別府鉄道兵庫県の交通史
三木鉄道三木線
三木線
西這田駅付近
西這田駅付近を走るミキ300形
概要
現況 廃止
起終点 起点:厄神駅
終点:三木駅
駅数 9駅
運営
開業 1916年11月22日
全通 1917年1月23日
三セク転換 1985年4月1日
廃止 2008年4月1日
所有者 播州鉄道→播丹鉄道→
National Railway Symbol of Japan.png鉄道省→運輸通信省→運輸省→Japanese National Railway logo.svg日本国有鉄道→
三木鉄道
使用車両 三木鉄道#車両を参照
路線諸元
路線総延長 6.6 km (4.1 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
exSTRrg eABZrf
JR西日本:加古川線
0.0 厄神駅
exSTR STRlf
加古川線
exBHF
1.0 国包駅
exBHF
1.5 宗佐駅
exBHF WASSER+l
2.0 下石野駅
exBHF WASSER
2.6 石野駅
exBHF WASSER
4.3 西這田駅
exBHF WASSER
5.3 別所駅
exBHF WASSER
6.0 高木駅
exKBHFe WASSER
6.6 三木駅
WASSERq WASSERr
美嚢川
HSTq STRlg
三木駅
神戸電鉄粟生線
美嚢川沿いの田園地帯を走っていた。(宗佐駅 - 国包駅間)
廃線跡(宗佐駅)
三木線(みきせん)は、兵庫県加古川市の厄神駅から兵庫県三木市の三木駅までを結んでいた三木鉄道の鉄道路線である。2008年4月1日に廃止された。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 利用状況
4.1 輸送実績
4.2 収入実績
5 歴史
5.1 廃止前後の動き
5.2 廃線跡の整備
5.3 年表
6 駅一覧
7 廃止代替バス
8 関連項目
9 脚注
10 外部リンク
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):6.6km
軌間:1067mm
駅数:9駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:スタフ閉塞式
概要[編集]
美嚢川沿いの田園地帯を走り、西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線と金物の町三木を結んでいた。
元々の開業意図が貨物輸送であり、当時の物流ルートであった美嚢川の舟運を代替する目的で加古川・高砂へ向かって線路が敷かれたため、歴史的な人的交流ルートとズレがあり、1916年の開業当初から旅客輸送は僅少であった。
1937年に現在の神戸電鉄粟生線が開業すると京阪神方面への旅客流動はさらに減り、戦後の貨物輸送廃止後はジリ貧となっていた。このため1968年には赤字83線に選定され、また1981年に第一次特定地方交通線に指定され、1985年に三木鉄道へと転換された。しかし、転換前は加古川への直通列車が主体であったが、転換後は加古川への直通列車もなくなったために一層乗客が減少するという厳しい状況が続いていた。
三木鉄道は長らく保有車両が2両と旅客鉄道会社では日本最少であったが1998年末に1両増備されたため最少ではなくなった。営業距離も第三セクター鉄道では最短であったが2002年開業の芝山鉄道にその座を譲った。
経営改善を狙い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が開発中の線路と道路の両方を走れるデュアル・モード・ビークル (DMV) を導入して、三木線の終点三木駅から約800m離れている神戸電鉄三木駅の間を直通することも検討していたが、2006年に三木市の財政再建のため「三木鉄道の廃止」を公約に掲げ市長に当選した薮本吉秀が2007年3月1日の市議会で全線の廃止を正式決定し、早ければ2007年度中に廃線とする方針を表明した。4月26日には三木鉄道の取締役会でも廃線が決定された。
7月23日、市長が廃止届けを提出し、2008年4月1日に廃止する予定を表明した[1]。
この決定によって予定通り全線が廃止され、特定地方交通線から鉄道として存続した路線では7例目、うち第三セクター鉄道として存続した路線では5例目、さらにそのうち会社の名前も消滅する全線廃止のケースでは4例目となった。
運行形態[編集]
線内折り返し列車のみ1時間あたり1 - 2本程度の運行で、ワンマン運転を実施していた。交換可能な途中駅はなく全線1閉塞であり、1本の列車が線内を行き来していた。国鉄時代は加古川線直通の加古川駅発着が多く、5時 - 22時の運行であった。
利用状況[編集]
輸送実績[編集]
三木線の近年の輸送実績を下表に記す。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別輸送実績
年度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/1日 特記事項
通勤
定期 通学
定期 定期外 合計
1985年(昭和60年) 16.1 5.5 17.1 38.7 822 国鉄から移管・開業。4駅新設。
1986年(昭和61年) 12.3 4.8 15.6 32.7 631 宗佐駅、下石野駅、西這田駅、高木駅開業
1987年(昭和62年) 8.3 3.4 13.7 25.4 514
1988年(昭和63年) 8.0 4.1 13.6 25.7 548
1989年(平成元年) 8.1 4.2 13.0 25.3 545
1990年(平成2年) 7.4 3.9 12.7 24.0 519
1991年(平成3年) 7.1 3.4 12.8 23.3 488
1992年(平成4年) 6.7 3.8 12.4 22.9 479
1993年(平成5年) 6.7 4.4 13.1 24.2 506
1994年(平成6年) 6.2 3.6 13.1 22.9 472
1995年(平成7年) 6.1 4.5 14.3 24.9 509
1996年(平成8年) 5.5 4.1 13.6 23.2 487
1997年(平成9年) 6.8 3.4 11.8 22.0 450
1998年(平成10年) 6.4 2.7 11.8 20.9 434
1999年(平成11年) 5.4 2.9 12.4 20.7 422
2000年(平成12年) 4.6 2.8 11.9 19.3 396
2001年(平成13年) 4.2 3.5 10.8 18.5 361
2002年(平成14年) 3.9 3.2 10.4 17.5 341
2003年(平成15年) 3.6 3.7 10.1 17.4 340
2004年(平成16年) 3.6 3.9 9.4 16.9 331
2005年(平成17年) 17.7
2006年(平成18年) 15.3
2007年(平成19年)
2008年(平成20年) 廃止
収入実績[編集]
三木線の近年の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別収入実績
年度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度 総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定期外 手小荷物 合計
1985年(昭和60年) 23,733 ←←←← 31,169 0 54,902 85 54,987
1986年(昭和61年) 19,825 ←←←← 26,069 0 45,894 853 46,747
1987年(昭和62年) 10,603 2,750 22,941 0 36,294 1,132 37,426
1988年(昭和63年) 10,137 3,221 22,956 0 36,214 2,116 38,330
1989年(平成元年) 10,896 3,744 23,769 0 38,409 1,581 39,990
1990年(平成2年) 10,209 3,545 23,092 0 36,846 1,730 38,576
1991年(平成3年) 9,858 2,981 23,237 0 36,076 2,609 38,685
1992年(平成4年) 9,158 3,235 22,599 0 34,992 2,415 37,407
1993年(平成5年) 9,088 3,830 23,620 0 36,538 3,086 39,624
1994年(平成6年) 9,098 3,135 23,551 0 35,784 3,106 38,890
1995年(平成7年) 8,589 3,924 25,892 0 38,405 3,592 41,997
1996年(平成8年) 7,525 3,573 24,473 0 35,571 3,530 39,101
1997年(平成9年) 9,699 2,974 24,028 0 36,701 3,066 39,767
1998年(平成10年) 9,184 2,590 23,451 0 35,225 3,394 38,619
1999年(平成11年) 7,826 2,784 24,202 0 34,812 4,125 38,937
2000年(平成12年) 6,696 2,621 23,484 0 32,801 4,175 36,976
2001年(平成13年) 6,048 3,040 21,517 0 30,605 4,118 34,723
2002年(平成14年) 5,690 2,610 20,717 0 29,017 3,199 32,216
2003年(平成15年) 5,314 2,925 20,183 0 28,422 3,167 31,589
2004年(平成16年) 5,177 3,174 19,053 0 27,404 3,237 30,641
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
歴史[編集]
戦時中では招集された出征兵士が乗っていた(1940年撮影)
播州鉄道によって1916年に開業し、播丹鉄道を経て、1943年に戦時買収され国鉄三木線となった。
三木線の経営を播州鉄道から引き継いだ播丹鉄道は三木駅から先、明石市大明石町までの免許を1926年に取得していたが1937年に失効している[2]。
国鉄再建法の規定により1981年に特定地方交通線に選定され、1985年に第三セクターの三木鉄道に転換された。転換にあたり、より利用しやすいよう簡素な構造の駅をいくつか新設している。このため、駅間距離は比較的短い。
廃止前後の動き[編集]
Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年10月)
三木駅に到着する営業最終列車(三木駅22:52着、9分延着[3])
撤去済みの軌道敷跡(加古川市上荘町、2010年12月撮影)
三木鉄道が2007年7月に始めた休日限定の列車の貸切プランが好調で、車内でブッシュドノエルを作る列車[4]や、廃止を惜しむ鉄道ファンによるイベント列車[5]が報道された。また、三木駅ではDVDや写真集、せんべい、チョロQなども販売された。
2008年3月1日より、「Thanks ありがとう三木鉄道 1916-2008」と書かれた惜別ヘッドマークが、所属するミキ300形全車両に掲出されていた。また、同年3月29日から31日は、名残を惜しむ鉄道ファンや沿線住民が大量に乗車することによる混雑が予想されたため、警備員70人体制で備えた。
同月31日の営業最終日は平日にもかかわらず、初発列車から満員状態になった[6]ほか、15時には三木駅前にて三木高校吹奏楽部が「いい日旅立ち」などを演奏する[7]といった惜別イベントも実施された。同日の22時52分、ミキ300-104を充当した[8]営業最終列車が三木駅に9分遅れで到着[3]したことをもって列車の運行を終了したのち、23時5分、乗客からの花束贈呈や鉄道部長の挨拶[9]があり、24時をもって三木駅の扉が閉じられた。
廃線後、踏切は撤去され、線路内や三木駅内等に立ち入ることはできず、線路だけが残されていたが、2009年3月から線路の撤去作業が開始され、同年6月20日時点では約8割の作業が終了している[10]ほか、宗佐駅、国包駅の撤去作業も完了した。
廃線跡の整備[編集]
三木市内区間の跡地利用については、市が検討のための諮問機関「三木鉄道跡地等利用検討委員会」を設置[11]し、2008年のほぼ年間にわたって検討が行われた結果、街づくりの観点から重要な用地と位置づけられ、鉄道の歴史継承や観光振興のほか、災害対策強化なども盛り込んだ計画が策定された。計画では「三木駅周辺エリア」と「軌道敷エリア」に大別され、前者では路線バスの結節点など地域交通の拠点として、後者では踏切跡の交通障害除去(道路拡幅)のほか一部の鉄道施設について保存・活用をはかる内容となっている[12]。なお、後者のうち鉄道営業当時の景観を保存した遊歩道を整備するとしていた加古川市境付近の区間において、約80メートルにわたるレールや枕木の盗難が2011年6月に明らかとなった[13][14]。
2017年4月現在、三木市域の廃線跡は「別所ゆめ街道」として整備が進んでおり、石野-西這田間の花尻川橋梁および国道175号の立体交差付近-三木鉄道記念公園間以外は遊歩道として歩行者の通行が可能になっている。石野・別所の両駅はホームと線路を生かした休憩施設となっており、老朽化した駅舎は解体されて跡地に駅舎風の休憩所が建てられている一方、三木鉄道時代に開業した駅は完全に撤去され跡形もない。これに対し、加古川市域の廃線跡は線路・駅施設・橋梁などの設備を撤去したのみで放置状態である。
年表[編集]
1916年(大正5年)11月22日 - 播州鉄道 厄神 - 別所間(3.3M≒5.31km)が開業。国包駅、石野停留場、別所駅開業。
1917年(大正6年)1月23日 - 別所 - 三木間(0.8M≒1.29km)が延伸開業し全通。三木駅開業。
1921年(大正10年)5月9日 - 石野停留場休止[15]。
1923年(大正12年)7月1日 - 石野停留場営業再開。
12月21日 - 播丹鉄道に譲渡。
1930年(昭和5年)4月1日 - 営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(4.1M→6.7km)。
12月20日 - 別所 - 三木間に高木神前停留場開業。
1943年(昭和18年)6月1日 - 播丹鉄道が国有化、三木線となる[16]。別所 - 三木間改キロ (+0.1km)。石野停留場を駅に格上げ。高木神前停留場廃止。
1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物営業廃止。
1981年(昭和56年)9月18日 - 特定地方交通線第1次廃止対象として廃止承認。
1984年(昭和59年)2月23日 - 第三セクター鉄道への転換を決定。
1985年(昭和60年)4月1日 - 三木鉄道に転換。別所 - 三木間改キロ (-0.2km)。
1986年(昭和61年)4月1日 - 宗佐駅、下石野駅、西這田駅、高木駅開業。高木駅は旧・高木神前停留場と同一地点。
2006年(平成18年)3月18日 - ダイヤ改正を実施、早朝の始発列車を30分繰り下げ。
2008年(平成20年)4月1日 - 全線廃止 (-6.6km)。神姫バスが三木鉄道代替バスを運行開始。
駅一覧[編集]
全駅兵庫県に所在。
*印は三木鉄道転換後に設置された新駅。
代替バスの停留所については三木鉄道代替バスを参照。
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
厄神駅 - 0.0 西日本旅客鉄道:加古川線 加古川市
国包駅 1.0 1.0
*宗佐駅 0.5 1.5
*下石野駅 0.5 2.0 三木市
石野駅 0.6 2.6
*西這田駅 1.7 4.3
別所駅 1.0 5.3
*高木駅 0.7 6.0
三木駅 0.6 6.6
廃止代替バス[編集]
詳細は「神姫バス三木営業所」を参照
2008年4月1日より神戸電鉄恵比須駅(一部の便は三木鉄道三木駅)から厄神駅間で神姫バスにより代替バスが運行され[17]、基本的に三木鉄道廃止当時の運行本数(毎時1 - 2本)を維持しているが、時刻が多少変更となっている。なお、日中はすべての便が恵比須駅 - 厄神駅間の運行となっている。
代替バスではICカードのNicoPaならびにICOCA・PiTaPaが使用可能となっている(厄神駅で接続する加古川線はサービスエリア外だったが、2016年3月26日よりPiTaPa・ICOCAは利用可能になった)ほか、神姫バス全線定期が使用できる[18]。
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
三木鉄道記念公園
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 鉄道事業法では廃止予定日1年前までに届け出ることになっているため、2007年7月23日に提出された廃止届けも廃止予定日は2008年8月1日となっていたが、関係自治体などへの意見聴取で反対がなければ廃止予定日を繰り上げてもよいことになっており、三木鉄道でも廃止日が2008年4月1日に繰り上げられた。
「三木鉄道株式会社の鉄道事業(三木線)の廃止について」国土交通省近畿運輸局 2007年7月23日
「三木鉄道株式会社の鉄道事業の廃止予定日の繰上げについて」国土交通省近畿運輸局 2007年10月31日
^ 森口誠之著『鉄道未成線を歩く 〈私鉄編〉』JTB、2001年、p.178
^ a b 神戸新聞(2008年4月1日付)・毎日新聞(2008年4月1日付)・朝日新聞(2008年4月1日付)
^ 『長〜いロールケーキ作ろう! 三木鉄道、22日に催し』 神戸新聞(2007年12月8日付)
^ 『列車「貸し切りプラン」人気 廃止前の三木鉄道』 神戸新聞(2007年12月17日付)
^ 神戸新聞(2008年4月1日付)
^ 神戸新聞(2008年4月1日付)
^ 神戸新聞(2008年4月1日付)の写真記事
^ 神戸新聞(2008年4月1日付)
^ 『レールの撤去作業ほぼ完了 三木鉄道』 神戸新聞(2009年6月20日付)
^ 三木鉄道跡地等利用検討協議会設置要綱 (PDF) - 三木市(2007年11月1日施行)
^ 三木鉄道跡地等利用基本計画 (PDF) - 三木鉄道跡地等利用検討委員会(2008年10月付、2011年7月閲覧) ※後述する軌道敷盗難事案の当該区間の詳細は p.26 など。
^ 80メートルの線路と枕木なくなった 旧三木鉄道 - 神戸新聞(2011年6月23日付、同年7月24日閲覧)
^ 廃線レール80メートル盗まれる 旧三木鉄道、枕木110本も - msn産経ニュース(産経新聞、2011年6月23日付、同年7月24日閲覧)
^ 「地方鉄道運輸営業一部休止其他」『官報』1921年5月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道省告示第120号」『官報』1943年5月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ JR時刻表 2008年4月号 交通新聞社
^ 三木鉄道廃止代替バスの運行を開始します (PDF, 234 KiB) - 神姫バスグループ(2008年4月1日付)
外部リンク[編集]
交通政策グループのページ - 三木市美しいまちづくり課
三木鉄道
[表示]
表 話 編 歴
日本国有鉄道 特定地方交通線
[表示]
表 話 編 歴
日本国有鉄道 赤字83線
三木線に関するカテゴリ: 播丹鉄道 | 日本国有鉄道の廃線 | 赤字83線 | 特定地方交通線
カテゴリ: 近畿地方の鉄道路線 (廃止)第三セクター路線三木鉄道兵庫県の交通史