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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
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対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。
「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
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・ユーザーの質
・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実
これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
宮之城線
Japanese National Railway logo.svg宮之城線
Satsuma Nagano scissorscross.jpg
薩摩永野駅跡に現存するシーサスクロスポイント
概要
種別 普通鉄道
現況 廃止
起終点 起点:川内駅
終点:薩摩大口駅
駅数 20駅
運営
開業 1924年10月20日
最終延伸 1937年12月12日
廃止 1987年1月10日
所有者 National Railway Symbol of Japan.png鉄道省→運輸通信省→運輸省→
Japanese National Railway logo.svg日本国有鉄道
運営者 Japanese National Railway logo.svg日本国有鉄道
使用車両 キハ40系、キハ52系
路線諸元
路線総延長 66.1 km (41.1 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
[展開する]路線図
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
鹿児島本線
BHFq eABZq+r STRq
0.0 川内
exBHF
5.1 薩摩白浜
exBHF
6.5 楠元
exBHF
10.3 吉野山
exBHF
13.4 樋脇
exBHF
15.6 上樋脇
exBHF
18.7 入来
exBHF
23.4 薩摩山崎
exBHF
26.4 船木
exBHF
29.3 宮之城
exBHF
32.4 佐志
exBHF
34.3 薩摩湯田
exBHF
36.9 薩摩鶴田
exBHF
40.5 薩摩求名
exBHF
43.2 広橋
exKBHFl exABZr+r
47.5 薩摩永野
exTUNNEL2
exTUNNEL1
椿越トンネル
exBHF
54.9 針持
exBHF
59.5 西太良
exBHF
62.3 羽月
exSTRq exABZql exBHFq
66.1 薩摩大口
山野線 -1988
宮之城線(みやのじょうせん)は、かつて鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)の川内駅から同県大口市(現・伊佐市)の薩摩大口駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化を約3ヵ月後に控えた1987年(昭和62年)1月10日に全線廃止となった。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行形態
2.1 廃止時の使用車両
3 歴史
3.1 川宮鉄道設立から工事中止そして解散
3.2 国有化以後
4 駅一覧
5 脚注
6 関連項目
路線データ[編集]
管轄(事業種別):日本国有鉄道
区間(営業キロ):川内 - 薩摩大口 66.1km
軌間:1067mm
駅数:20(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:通票閉塞式
運行形態[編集]
開業時より普通列車のみが運転されており、1983年8月時点では下り7本・上り5本の川内 - 薩摩大口間の全区間を運転する列車のほか、川内発の薩摩永野、宮之城、薩摩鶴田間、宮之城発の薩摩大口、薩摩鶴田間、針持 - 薩摩大口間の区間運転列車が設定されていた。
1983年8月当時の運転状況
川内 - 薩摩大口間 下り7本、上り5本
川内 → 薩摩鶴田 朝1本
川内 - 薩摩永野間 下り夜1本、上り朝1本
針持 - 薩摩大口間(休日運休) 下り3本(朝2本、夕1本)、上り2本(朝夕各1本)
宮之城 → 川内 3本
薩摩鶴田 → 宮之城 朝1本
薩摩大口 → 宮之城 夜1本
廃止時の使用車両[編集]
いずれも気動車
キハ40系
キハ52系
歴史[編集]
川宮鉄道設立から工事中止そして解散[編集]
1913年(大正2年):川宮鉄道株式会社が設立される[1]。
1917年(大正6年):川内 - 樋脇間の線路敷設工事に着手[1]。
1921年(大正10年):第一次世界大戦の資材値上がり等により工事中止。同年2月に川宮鉄道株式会社が解散[1]。
国有化以後[編集]
廃止後も現存する鉄橋(吉野山-楠元間)
1923年(大正12年):川内 - 大口間の建設線の一部として既に建設されていた部分を国有化し[1]、大川線(後に宮之城線に改称)として7月より工事に着工[2]。
1924年(大正13年)10月20日:【開業】宮之城線 川内町 - 樋脇間 (13.4km) 【駅新設】楠元駅、吉野山駅、樋脇駅
1926年(大正15年)5月8日:【延伸開業】樋脇 - 宮之城間 (15.9km) [3] 【駅新設】入来駅、薩摩山崎駅、宮之城駅
1934年(昭和9年)
7月8日:【延伸開業】宮之城 - 薩摩鶴田間 (7.6km) 【駅新設】佐志駅、薩摩湯田駅、薩摩鶴田駅
7月8日:ガソリンカー運転開始。
1935年(昭和10年)
6月9日:【延伸開業】薩摩鶴田 - 薩摩永野間 (10.6km) 【駅新設】薩摩求名駅、薩摩永野駅
8月28日:【駅新設】広橋駅
1936年(昭和11年)
3月20日:【駅新設】薩摩白浜駅
6月5日:【駅新設】船木駅[3]。
1937年(昭和12年)12月12日:【延伸開業】薩摩永野 - 薩摩大口間 (18.6km、宮之城線全通) 【駅新設】針持駅・西太良駅・羽月駅[4]。
1940年(昭和15年)10月1日:【駅名改称】川内町駅→川内駅
1945年(昭和20年)6月20日:【駅休止】薩摩白浜駅[5]
1947年(昭和22年)2月11日:【駅再開】薩摩白浜駅[6]。
1958年(昭和33年)2月1日:ディーゼルカー運転開始。
1959年(昭和34年)11月23日:【駅新設】上樋脇駅[7]。
1974年(昭和49年)12月16日:蒸気機関車運転廃止。
1984年(昭和59年)6月22日:第2次特定地方交通線として廃止承認。
1986年(昭和61年)11月1日:全線 (66.1km) の貨物営業を廃止。
1987年(昭和62年)1月10日:全線 (66.1km) を廃止[8]し、バス路線に転換(入来を経由しない川内 - 宮之城および川内 - 入来が林田産業交通[8](林田バス・現いわさきバスネットワーク)、入来 - 宮之城がJR九州バス、宮之城 - 薩摩大口が南国交通[8])。
駅一覧[編集]
接続路線の事業者名・駅の所在地は宮之城線廃止時点のもの。全駅が鹿児島県内に所在。
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
川内駅 - 0.0 日本国有鉄道:鹿児島本線 川内市(現・薩摩川内市)
薩摩白浜駅 5.1 5.1
楠元駅 1.4 6.5
吉野山駅 3.8 10.3
樋脇駅 3.1 13.4 薩摩郡樋脇町(現薩摩川内市)
上樋脇駅 2.2 15.6
入来駅 3.1 18.7 薩摩郡入来町(現薩摩川内市)
薩摩山崎駅 4.7 23.4 薩摩郡宮之城町(現さつま町)
船木駅 3.0 26.4
宮之城駅 2.9 29.3
佐志駅 3.1 32.4
薩摩湯田駅 1.9 34.3
薩摩鶴田駅 2.6 36.9 薩摩郡鶴田町(現さつま町)
薩摩求名駅 3.6 40.5 薩摩郡薩摩町(現さつま町)
広橋駅 2.7 43.2
薩摩永野駅 4.3 47.5
針持駅 7.4 54.9 大口市(現伊佐市)
西太良駅 4.6 59.5
羽月駅 2.8 62.3
薩摩大口駅 3.8 66.1 日本国有鉄道:山野線(1988年2月1日廃止)
薩摩永野駅はスイッチバックになっていた。同駅がスイッチバックの線形になったのは二つの説がある。一つは地元住民の要望により市街地に鉄道路線を敷くため、もう一つは薩摩永野駅から肥薩線に接続する計画があったため、という説である。そもそも薩摩永野駅周辺は、スイッチバックが必要なほど急峻な地形ではなかった。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ a b c d 『川内市史 下巻』 p.553 川内市
^ 『樋脇町史』p.610 樋脇町
^ a b 『宮之城町史』p.789 宮之城町
^ 『大口市郷土史 下巻』p.366 大口市
^ 『日本鉄道旅行地図帳 12号 九州・沖縄』 p.50 新潮社
^ 『昭和二十二年 運輸省告示第二十四号』(1947年2月10日官報のp.3を参照)
^ 『樋脇町史』p.612
^ a b c 『鉄道ジャーナル』第21巻第7号、鉄道ジャーナル社、1987年6月、 98頁。
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、宮之城線に関連するカテゴリがあります。
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
[表示]
表 話 編 歴
日本国有鉄道 特定地方交通線
[表示]
表 話 編 歴
日本国有鉄道 赤字83線
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カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)日本国有鉄道の廃線特定地方交通線赤字83線
鹿児島交通知覧線
知覧線
知覧駅旧駅舎(1988年3月)
知覧駅旧駅舎(1988年3月)
概要
現況 廃止
起終点 起点:阿多駅
終点:知覧駅
駅数 11駅
運営
開業 1927年6月1日
廃止 1965年11月15日
所有者 薩南中央鉄道→南薩鉄道→
鹿児島交通
路線諸元
路線総延長 16.3 km (10.1 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
最急勾配 25 ‰
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
STR
枕崎線
BHF
0.000 阿多駅
eKRWgl exKRW+r
HST exSTR
加世田駅
exBHF
0.996 東阿多駅
exBHF
2.210 花瀬駅
exTUNNEL1
花瀬トンネル 41m
exBHF
4.782 薩摩白川駅
exTUNNEL1
赤土坂トンネル 58m
exTUNNEL1
佐々良トンネル 91m
exBHF
8.215 田部田駅
exBHF
9.362 薩摩川辺駅
exBHF
野間駅
exBHF
11.329 東川辺駅
exBHF
小野駅
exBHF
15.000 城ヶ崎駅
exKBHFe
16.283 知覧駅
知覧線(ちらんせん)は、かつて鹿児島県日置郡金峰町(現・南さつま市)の阿多駅から同県川辺郡知覧町(現・南九州市)の知覧駅までを結んでいた鹿児島交通の鉄道路線である。1965年(昭和40年)に廃止された。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 建設の経緯
5 駅一覧
6 接続路線
7 輸送・収支実績
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):阿多 - 知覧間 16.3km
軌間:1067mm
駅数:11駅(起終点駅含む。廃止時点)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
運行形態[編集]
最盛期(1950年代)は加世田駅 - 知覧駅間に枕崎線直通列車が5往復、阿多駅 - 知覧駅に4往復の旅客列車と貨物列車が設定され、途中の薩摩川辺駅で列車交換を行うダイヤが組まれていた。
しかし乗客の減少と合理化により、1961年(昭和36年)10月1日のダイヤ改正から1965年(昭和40年)7月の廃線までは加世田駅 - 知覧駅間に2往復の旅客列車と1往復の貨物列車が運行されるに止まっていた。
なお、枕崎線直通列車は阿多駅で進行方向を変えて運転していた。
歴史[編集]
1922年(大正11年)5月30日 鉄道免許状下付(日置郡阿多村大字宮崎-川辺郡知覧村大字九日田)[1]。
1923年(大正12年)7月22日 薩南中央鉄道株式会社設立[2][3]。
1924年(大正13年)6月9日 鉄道免許状下付(川辺郡知覧村-指宿郡頴娃村間)[4]。
1927年(昭和2年)6月1日 阿多 - 薩摩川辺間開業[3]。
1928年(昭和3年)
7月31日 鉄道免許失効(川辺郡知覧村-指宿郡頴娃村間 指定ノ期限内ニ工事施工ノ認可申請ヲ為サザルタメ)[5]
9月1日 新田駅(後の東阿多駅)開業。
1930年(昭和5年)11月15日 薩摩川辺 - 知覧間開業[3]。
1933年(昭和8年)10月15日 ガソリン動力併用実施[3]。
1943年(昭和18年)4月2日 南薩鉄道が薩南中央鉄道を吸収合併。同社の知覧線とする。
1964年(昭和39年)9月1日 南薩鉄道が三州自動車と合併し、鹿児島交通に社名変更。
1965年(昭和40年)
7月3日 水害のため全線不通となる。
11月15日 阿多 - 知覧間廃止。
建設の経緯[編集]
薩南中央鉄道がこの線を建設した時、当初は加世田駅を起点とする計画があった。しかしながら当時の加世田駅は南薩鉄道の終点駅で、知覧、川辺、枕崎方面からの旅客・貨物が離合集散する拠点となり、周辺の旅館・商店・馬車業者などが大変潤っていた。一方、加世田の1つ北の阿多駅は加世田との距離が2.3kmしかなく、蒸気鉄道の駅間距離としてはかなり短いものであった。国鉄による南薩鉄道の買収が噂されていたこともあり、国有鉄道の標準駅間距離が5-7km程度であることから、阿多周辺の住民は買収後に駅が廃止されてしまうのではないかと恐れていた。このため、終着駅としてのメリットを失いたくない加世田の住民による反対と、分岐駅にすることで将来の駅廃止を確実に阻止したい阿多の住民の誘致があいまって、知覧線の分岐駅が阿多になったとされる[6]。
ただし、加世田駅から知覧方面へ直接向かおうとすると万之瀬川を渡る必要があるが、阿多駅で分岐するのであればその必要がない(枕崎線は阿多 - 加世田間で万之瀬川を渡っている)ので、架橋を避けるためであった可能性もある。
駅一覧[編集]
阿多駅 - 東阿多駅 - 花瀬駅 - 薩摩白川駅 - 田部田駅 - 薩摩川辺駅 - 野間駅 - 東川辺駅 - 小野駅 - 城ヶ崎駅 - 知覧駅
接続路線[編集]
阿多駅:鹿児島交通枕崎線
※事業者名は廃止時点のもの。
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1927 43,376 3,839 12,886 22,275 ▲ 9,389 30,146
1928 81,713 11,532 24,289 28,985 ▲ 4,696 自動車533 26,822 33,569
1929 88,456 12,636 25,160 24,332 828 雑損3 15,300 33,931
1930 103,223 12,465 25,717 31,344 ▲ 5,627 雑損3,336 21,064 34,059
1931 154,365 11,104 29,499 36,468 ▲ 6,969 雑損1,219 34,410 34,375
1932 136,097 10,028 23,471 28,746 ▲ 5,275 雑損9,667 40,106 33,329
1933 127,621 11,174 50,290[7] 31,454 18,836 自動車12,181 雑損32,011 55,511 57,091
1934 118,132 11,269 22,869 27,652 ▲ 4,783 雑損12,886自動車13,225 22,048 57,370
1935 116,681 14,237 25,102 30,737 ▲ 5,635 債務免除73 雑損188自動車212 20,970 58,501
1936 136,152 18,664 27,225 30,613 ▲ 3,388 雑損31自動車9,837 18,553 58,691
1937 163,075 19,043 30,481 35,536 ▲ 5,055 自動車6,963 雑損6,500 15,120 35,524
鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b c d 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年6月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許失効」『官報』1928年7月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 南薩鉄道記念館に展示の資料による
^ うち雑収入25,650
参考文献[編集]
谷口良忠「鹿児島交通・南薩鉄道」、『鉄道ピクトリアル』No. 1731965年7月臨時増刊号:私鉄車両めぐり6、1965年、 83-98, 104-106。(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
外部リンク[編集]
鹿児島交通知覧線廃線跡写真館
轍 ・ 03/05/02 (2)
廃線跡紀行7
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カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)鹿児島交通薩南中央鉄道鹿児島県の交通史
鹿児島交通枕崎線
枕崎線
南薩鉄道2号機関車(加世田バスセンター)
南薩鉄道2号機関車
(加世田バスセンター)
概要
現況 廃止
起終点 起点:伊集院駅
終点:枕崎駅
駅数 23駅
運営
開業 1914年4月1日
廃止 1984年3月18日
所有者 南薩鉄道→鹿児島交通
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 49.6 km (30.8 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
最急勾配 25 ‰
[折り畳む]路線図
Kagoshima Kotsu Makurazaki Line map.png
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
HST
鹿児島駅
eABZlf exSTRlg
国鉄:鹿児島本線
0.214 伊集院駅
STRrf exSTR
国鉄:鹿児島本線
exTUNNEL1
大田トンネル 352m
exBHF
4.424 上日置駅
exBHF
7.878 日置駅
exBHF
10.646 吉利駅
exBHF
12.765 永吉駅
exBHF
16.114 吹上浜駅
exBHF
17.005 薩摩湖駅
exBHF
18.155 伊作駅
exBHF
19.986 南吹上浜駅
exBHF
22.675 北多夫施駅
exBHF
24.603 南多夫施駅
exBHF
26.676 阿多駅
exABZlf
知覧線-1965
exWBRÜCKE
万之瀬川
exABZlg
万世線-1962
BUILDING exBHF
28.961 加世田駅
exTUNNEL1
加世田トンネル 322m
exBHF
31.035 上加世田駅
exBHF
32.393 内山田駅
exBHF
33.818 上内山田駅
exBHF
36.385 干河駅
exBHF
38.925 津貫駅
exBHF
40.335 上津貫駅
exBHF
41.515 薩摩久木野駅
exBHF
44.288 金山駅
exBHF
47.638 鹿籠駅
49.568 枕崎駅
STR
国鉄:指宿枕崎線
枕崎線(まくらざきせん)は、かつて鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)の伊集院駅から同県枕崎市の枕崎駅までを結んでいた鹿児島交通の鉄道路線である。1984年(昭和59年)に廃止された。南薩線(なんさつせん)と呼ばれ親しまれていた。枕崎線からは、支線として万世線および知覧線が分岐していた。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 車両
5 歴史
6 新線・高速化構想
7 駅一覧
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):伊集院 - 枕崎間 49.6km
軌間:1067mm
駅数:23駅(起終点駅含む。廃止時点)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式(末期の加世田 - 枕崎間はスタフ閉塞式)
概要[編集]
1914年(大正3年)に南薩鉄道によって開業して以来、薩摩半島の重要な交通機関として役割を果たしてきたが、1960年代に入ると南薩鉄道は経営難に陥り、1964年(昭和39年)9月に大隅半島でバスを営業していた三州自動車に合併され鹿児島交通が成立した。以降も鉄道部門は貨物輸送の廃止などの合理化を進めたが、沿線人口の減少や自動車の普及に加えて、沿線から鹿児島に向かう客も同社のバスに流れるようになった。
1970年代に入ると車両や設備の老朽化も著しくなり、1982年(昭和57年)12月には会社も鉄道廃止の方針を打ち出した。労働組合や地元は廃止に反対したものの、1983年(昭和58年)6月の豪雨で大きな被害を受けたことが最後のとどめを刺す形になった。同年7月に日置 - 加世田間は運行を再開したものの、伊集院 - 日置間と加世田 - 枕崎間は復旧しないまま1984年(昭和59年)3月18日の廃止を迎えた。
加世田駅の跡にできた鹿児島交通加世田バスセンター内に、石造りの元倉庫を利用した南薩鉄道記念館の建物がある。2005年(平成17年)から2006年(平成18年)頃にかけて隣接する商業施設の拡張工事のために休館していたが2007年(平成19年)現在は再開されている。ただし、この休館に際して往時の車両を展示していた建物が解体され、車両は隣接するバスの整備工場内に移動して保存されており、近くから見ることはできない。また、DD12と2号機関車(現在は4号機関車に置き換え)は屋外に展示されている。このほかにも、伊集院 - 枕崎のバスに乗ると、至るところで当時の遺構を車窓から見ることができる。
南薩鉄道DD-12(加世田バスセンター)
運行形態[編集]
末期は、1日10往復程度、日中は2時間に1本が運転されていた。すべて普通列車で、一部は加世田駅折り返し。1日3往復が、伊集院駅から国鉄西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)へ直通運転していた。その他、朝ラッシュ時に加世田 - 薩摩湖間、夜間に伊集院 - 日置間の区間運転列車が各1往復ずつ運転されていた。
1983年(昭和58年)の豪雨災害後は、日置 - 加世田間折り返し運転となり、廃止までその状態だった。この際、西鹿児島直通列車のうち、国鉄線内の区間については、しばらくの間鹿児島交通の車両により運転が継続された。伊集院 - 日置の大田トンネルは漏水のためバス代行となっていたが、国鉄線内に使用する車両の保守の際は、この区間を回送扱いで運転していた[1]。
車両[編集]
末期の使用車両は以下のとおり。
キハ100形 - 国鉄キハ42600形と準同型の自社発注車。1952年に兵庫県の川崎車輌にてキハ101 - キハ106の6両が一挙に新造された。なお、国鉄キハ42000形系統の準同型車は、戦前に台湾総督府鉄道、戦後はここ南薩鉄道と北海道の夕張鉄道の2社が発注したのみで、少数派であった。エンジンは当初DMH17を搭載し、変速機は機械式とキハ42600形と同等だが、最終減速機の歯数比が低く勾配線での使用に備えている。台車はオリジナル同様TR29菱枠台車を装着する。1970年にエンジンをDMH17Cに換装し、さらに変速機をTC2液体式変速機に交換して液体式に改造された。ただし、電磁リンクによる総括制御機能は搭載されず従前通りのペダル操作による変速操作であったため、2両編成以上の連結運転時には運転手が各車両に乗り込んでブザーを合図に操作していた。車体は概ねキハ42600形の設計を踏襲した20m級3扉構成であるが、妻部が雨樋を屋根上部に張り上げ屋根構造となり、側扉は手動でホーム高さが低かったにもかかわらず車体にはステップを設けず裾下がりもなく停車時には床下に設置した空気圧作動の踏み板を側面にせり出す構造として乗降の便を図るなど、原設計とは異なる部分が散見される。座席は長距離運転に備え全てクロスシートであり、キハ42600形よりも座席定員が8人多く80人となっている。書類上1972年にキハ101・キハ105の2両を郵便荷物車のキユニ100形キユニ101・キユニ105に改造し、車内に郵便物仕分け作業のための設備を設けた。もっとも1975年3月10日に枕崎線での郵便物輸送は廃止されたため、これら2両は改番されなかったものの以後は実質的に荷物車として使用された。
キハ300形 - 国鉄線乗り入れによる西鹿児島駅直通列車の運転に備え、国鉄キハ16形の両運転台化バージョンとして1954年に川崎車輌でキハ301 - キハ303の3両が新造された。同じく両運転台の国鉄キハ10形やキハ11形よりも約1年先行して設計製作され、そのためこれらよりも車体寸法が30mm短く、車内各部の設備や窓などの配置・寸法も微妙に異なる。台車は同時代の私鉄向け国鉄気動車準同型車の多くがDT18以降の国鉄気動車用台車の乗り心地の悪さなどを忌避してキハ42000系と共通のTR29相当品を採用する中で、DT19・TR49と国鉄車と同一品を採用している。もっとも、エンジンは自社バスとの保守部品備蓄や調達の共通化を目論んでか三菱重工業製のDH2L-Pと呼ばれるアンダーフロアバス用180PS級エンジンを搭載し、変速機も新潟DB115で国鉄車とは異なっていた。また本形式はラジオ受信機能を備えており、そのための受信アンテナを屋根上に設置していたことも国鉄車にない特徴である。西鹿児島駅直通列車には本形式が限定的に使用された。国鉄に直通するため、国鉄線のATS整備にあわせて1965年にATS-S型の車上子など各種対応機器が搭載され(鹿児島交通線内では不使用)、さらに1968年にはエンジンを国鉄車と同じDMH17Cに換装、恐らくはこれと同時期に変速機もTC2に換装し国鉄車相当となっている。
いずれの形式も新造時は上半分クリームで下半分がブルーのツートンカラーで、1964年から1965年にかけてオレンジの地色に紺色の帯を巻いた新塗色に変更された。
現在はキハ100形1両(キハ103)が南薩鉄道記念館近くのバスの整備工場内に保存されている。
その他廃線時に在籍した車両は客車ホユニ66(1923年岡部鉄工所製)ホユニ67(1929年日本車両製)エ4救援車(1933年元薩南中央鉄道キハ4)貨車ト1、5、11-15[2] 廃止前の車両(1981年8月頃)
100形(伊作駅構内)
300形・100形(加世田駅構内)
保存車両(2013年8月撮影)
キハ100(加世田整備工場内に保存中、許可を得て撮影)
2号機関車(加世田整備工場内に保存中、許可を得て撮影)
歴史[編集]
ウィキソースに輕便鐵道免許狀下付南薩鐵道株式會社發起人の原文があります。
1912年(明治45年)4月12日 南薩鉄道に対し鉄道免許状下付(日置郡中伊集院村徳重-川邊郡東南方村枕崎間)[3]。
1914年(大正3年)
4月1日 伊集院 - 伊作間が開業[4]。
5月10日 伊作 - 加世田間が開業[5]。
1915年(大正4年)5月1日 吹上浜駅開業[6]。
1916年(大正5年)7月25日 毘沙門駅、入来駅開業[7]。
1925年(大正14年)
2月26日 鉄道免許失効(川邊郡加世田村-同郡東南方村間)[8]
7月1日 入来駅を入来ノ浜駅に改称[9]。
1928年(昭和3年)
6月1日 入来ノ浜駅を南吹上浜駅に改称。
8月30日 鉄道免許状下付(川邊郡加世田村-枕崎町間)[10]
1931年(昭和6年)3月10日 加世田 - 枕崎間が開業[11]。伊集院 - 枕崎間全通。
1934年(昭和9年)6月1日 毘沙門駅を上日置駅に改称。
1949年(昭和24年)2月19日 伊集院駅から国鉄鹿児島駅まで直通運転開始。
1954年(昭和29年)11月11日 鹿児島直通列車を3往復に増発。
1955年(昭和30年)1月1日 薩摩湖駅開業。
1964年(昭和39年)9月1日 南薩鉄道が三州自動車と合併し、鹿児島交通に社名変更。同社の枕崎線となる。
1971年(昭和46年)4月1日 貨物営業廃止。
1982年(昭和57年)12月13日 鉄道廃止発表。
1983年(昭和58年)
6月21日 豪雨災害のため全線不通となる。
7月1日 一部区間(日置 - 加世田間)で運行再開。
1984年(昭和59年)3月18日 伊集院 - 枕崎間全線廃止。
新線・高速化構想[編集]
南薩鉄道の会社発足50周年を記念して、1961年(昭和36年)2月、会社の重役会にて途中から分岐して西鹿児島駅に直接乗り入れる新線建設を含めた枕崎線の高速化構想が打ち出された。当時の新聞報道によると、西鹿児島駅と日置駅または永吉駅を結ぶほぼ直線ルートの新線の建設と、枕崎線のレール交換やカーブの補正、橋梁の掛け替えなどにより、西鹿児島駅と枕崎駅の間を最速で50分内外で結ぶ構想だった。線路改修には2億9千万円、新線建設には10億円が必要と試算され、開発銀行融資を受けることが計画された[12]。
鹿児島市街地は地下化することも考えられていた。しかし、融資面での条件が折り合わず、構想は実現しなかった。
駅一覧[編集]
接続路線の事業者名・駅の所在地は枕崎線廃止時点のもの[13]。全駅が鹿児島県内に所在。
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
伊集院駅 - 0.0 日本国有鉄道:鹿児島本線 日置郡伊集院町(現・日置市)
上日置駅 4.4 4.4 日置郡日吉町(現・日置市)
日置駅 3.5 7.9
吉利駅 2.7 10.6
永吉駅 2.2 12.8 日置郡吹上町(現・日置市)
吹上浜駅 3.3 16.1
薩摩湖駅 0.9 17.0
伊作駅 1.2 18.2
南吹上浜駅 1.8 20.0
北多夫施駅 2.8 22.8 日置郡金峰町(現・南さつま市)
南多夫施駅 1.8 24.6
阿多駅 2.1 26.7 (1965年までは鹿児島交通知覧線が接続)
加世田駅 2.3 29.0 (1962年までは南薩鉄道万世線が接続) 加世田市(現・南さつま市)
上加世田駅 2.0 31.0
内山田駅 1.4 32.4
上内山田駅 1.4 33.8
干河駅 2.6 36.4
津貫駅 1.6 38.0
上津貫駅 2.3 40.3
薩摩久木野駅 1.2 41.5
金山駅 2.8 44.3 枕崎市
鹿籠駅 3.3 47.6
枕崎駅 2.0 49.6 日本国有鉄道:指宿枕崎線
脚注[編集]
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^ http://www.geocities.jp/red50kei/kagosima/kagosima-siryo-2.html
^ 井上広和・高橋摂『日本の私鉄中国・四国・九州』保育社、1983年、141頁
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年4月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年4月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1915年5月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1916年8月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許失効」『官報』1925年2月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道駅名改称並貨物運輸開始」『官報』1925年7月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年9月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年3月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 鹿児島毎日新聞(後の鹿児島新報)1961年2月10日付[1]
^ 『日本鉄道旅行地図帳 12 九州沖縄』 p.50 - 新潮社
参考文献[編集]
谷口良忠 (1965). “鹿児島交通・南薩鉄道”. 鉄道ピクトリアル 1965年7月臨時増刊号(No. 173):私鉄車両めぐり6: 83-98, 104-106.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
種村直樹 (1983). “存亡の淵に立つ南九州の鉄道をめぐる”. 鉄道ジャーナル 1983年4月号.
関連項目[編集]
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日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
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