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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
北恵那鉄道線
木曽川橋梁を渡る北恵那鉄道線の電車
木曽川橋梁を渡る北恵那鉄道線の電車
概要
現況 廃止
起終点 起点:中津町駅
終点:下付知駅
駅数 13駅
運営
開業 1924年8月5日
廃止 1978年9月18日
所有者 北恵那鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 22.6 km (14.0 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 160 m (520 ft)
電化 直流600 V 架空電車線方式
最急勾配 33.3 ‰
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
leer
距離の上段は鉄道省 (1937)、
下段は白井 (1967) の値
STR
↑国鉄:中央本線
HST
0.5
中津川駅
eABZlf exSTRlg
STR exBHF
0.0
0.331
中津町駅
STRrf exSTR
exWBRÜCKE
木曽川橋梁 長134.1m
exBHF
1.2
1.781
恵那峡口駅
exBHF
3.7
4.002
山之田川駅
exBHF
5.6
5.932
苗木駅
exBHF
6.5
6.872
上苗木駅
exBHF
8.5
8.807
並松駅
exBHF
-
10.149
関戸駅
exBHF
11.4
11.779
美濃福岡駅
exBHF
-
13.970
栗本駅
exBHF
15.6
15.901
美濃下野駅
exBHF
19.1
19.436
田瀬駅
exBHF
21.3
21.661
稲荷橋駅
exKBHFe
22.1
22.480
下付知駅
exKHSTa
↓付知森林鉄道
廃線後の木曽川橋梁(1995年)
北恵那鉄道線(きたえなてつどうせん)は、かつて、岐阜県中津川市の中津町駅と、恵那郡付知町(現中津川市付知町)の下付知駅を結んでいた北恵那鉄道(現北恵那交通)の鉄道路線である。愛称は「恵那電(えなでん)」。
大同電力が木曽川に大井ダムを建設する際、付知川から筏を使っての神宮備林の木材輸送ができなくなってしまうことから、ダム建設の見返りとして建設された。そのため貨物輸送も多く行なっており、下付知駅には恵那郡加子母村渡合(現中津川市)との間を結ぶ付知森林鉄道が接続し、起点中津町駅と中央本線中津川駅間には貨物連絡線があった。また終点を付知町の中心地付知とする計画であったが、用地買収がうまくいかず、1931年(昭和6年)に免許が失効した。
目次 [非表示]
1 路線データ(廃止時)
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 輸送・収支実績
6 車両
6.1 電車
6.2 附随客車
6.3 電気機関車
6.4 貨車
7 廃線後の状況
8 幻の中津電気鉄道
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
12 外部リンク
路線データ(廃止時)[編集]
路線距離(営業キロ):中津町駅 - 下付知駅間 22.1km
軌間:1067mm
駅数:13駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
閉塞方式:票券閉塞式
歴史[編集]
1919年(大正8年)濃尾鉄道として、中津町 - 付知町の免許申請。軌間762mmの蒸気動力の軽便鉄道。
1920年(大正9年)申請内容を変更。社名を濃尾電気鉄道とし、軌間1067mm、直流600Vの電気動力とする。
1921年(大正10年)5月26日 濃尾電気鉄道に対し鉄道免許状下付(恵那郡中津町-同郡付知町間)[1]。
1922年(大正11年)2月15日 濃尾電気鉄道を改め[2]北恵那鉄道株式会社設立(社長福澤桃介 本社名古屋市東区)[3][4]。
1924年(大正13年)8月5日 中津町駅 - 下付知駅が開通[5]。
1925年(大正14年)5月1日 恵那峡口駅開業[6]。
1926年(大正15年)8月15日 山之田川駅開業[7][8]。皇室林野局材の輸送開始。
1928年(昭和3年)5月1日 稲荷橋駅開業[9]。
1929年(昭和4年)9月19日 上苗木駅開業[10]。
1932年(昭和7年)
付知森林鉄道開業。下付知駅で接続。
2月1日 起業廃止許可(下付知 - 付知間)[11]
1936年(昭和11年)12月12日 美濃福岡駅構内の変電所の火災により、一時蒸気機関車で運行。蒸気機関車は駄知鉄道[12]、笠原鉄道[13]より借用。
1949年(昭和24年)5月26日 栗本駅開業。
1957年(昭和32年)国鉄下呂線が調査線となる。下呂線は北恵那鉄道線と並行した線である。
1959年(昭和34年)付知森林鉄道廃止。
1961年(昭和36年)9月13日 関戸駅開業。
1962年(昭和37年)2月 木曽川橋梁の橋脚かさ上げ工事を開始。
1963年(昭和38年)
2月 名古屋鉄道が資本参加。
1月16日 - 4月1日 木曽川橋梁橋脚かさ上げ工事のため、中津町 - 恵那峡口間の運行を休止してバス代行を行なう[14]。工事は4月に完成。
1971年(昭和46年)9月 列車の運行を朝夕のみとし、昼間はバス代行とする。
1978年(昭和53年)9月18日 廃止。
駅一覧[編集]
中津町駅 - 恵那峡口駅 - 山之田川駅 - 苗木駅 - 上苗木駅 - 並松駅 - 関戸駅 - 美濃福岡駅 - 栗本駅 - 美濃下野駅 - 田瀬駅 - 稲荷橋駅 - 下付知駅
接続路線[編集]
中津町駅:中央本線(中津川駅)
下付知駅:付知森林鉄道(下付知停車場)
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1924 96,770 2,325 43,950 26,683 17,267 34,160
1925 273,280 24,497 174,568 93,273 81,295 117,301 86,349
1926 273,496 33,593 186,681 99,371 87,310 雑損3,768 105,171 111,291
1927 273,994 31,203 175,126 109,068 66,058 104,415 122,569
1928 259,646 38,749 181,112 111,572 69,540 89,019 124,211
1929 290,085 40,157 181,091 125,788 55,303 79,165 123,639
1930 245,668 35,603 154,327 114,157 40,170 77,999 123,702
1931 160,063 33,530 130,739 87,194 43,545 自動車業1,745
償却金及雑損1,739 85,051 115,154
1932 122,062 32,695 108,134 90,426 17,708 自動車5,886
雑損償却金9,705 80,298 30,355
1933 142,061 41,869 119,012 113,131 5,881 自動車6,729
雑損償却金3,955 72,712 124,269
1934 128,799 44,076 115,781 102,102 13,679 自動車6,629
雑損償却金6,750 60,717 84,214
1935 127,921 41,763 91,858 60,802 31,056 債務免除金
1,514 自動車業4,446 48,156
1936 127,934 37,264 83,174 65,365 17,809 自動車業3,365 49,150
1937 125,086 33,659 82,553 67,421 15,132 自動車業7,573 50,396 18,826
1939 197,520 36,544
1941 336,420 53,789
1943 592,835 81,970
1945 1,120,329 64,510
1952 901,872 43,129
1958 1,029千 61,427
1963 1,397千 135,693
1966 1,489千 111,178
1970 604千 83,695
鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版
車両[編集]
電車[編集]
デ1形
デ8形
300形
560形
ク550形
ク80形
附随客車[編集]
ハフ30形(30・31)1932年に国鉄よりハ1053・1055(形式1005[15])の払下げをうけたもの。1895年新橋工場製の5扉車であった。1944年認可により車体を新造している。
電気機関車[編集]
デキ250形
デキ500形
貨車[編集]
ワ201形
ワ221形
ワ251形
ワム301形
ト101形
ト131形
ト151形
ト1001形
ト1111形
ト1121形
ト1131形
トム51形
廃線後の状況[編集]
北恵那鉄道は北恵那交通に改称。中津川市を中心に路線バス、観光バス、タクシー、トラックを運行していたが、2013年までに路線バス以外の事業を他社に譲渡し撤退。現在は路線バス専業となっている。
中津町駅と恵那峡口駅の間にあった木曽川橋梁は、現在もその姿を残している。
2002年1月に終着の下付知駅駅舎が解体された。
廃線跡散策のイベントが時々開催されている。
中津川市福岡に鉄道歴史保存会館が建てられた。
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幻の中津電気鉄道[編集]
1926年(大正15年)頃、中津川駅と川上(かおれ)地区を結ぶ「中津電気鉄道」(中津川電気鉄道ともいう)の計画が存在した。北恵那鉄道が経営に参加し、軌間は762mm、600Vの電化での計画であった[16]。これは、中央製紙中津工場専用線(工場は現・王子エフテックス中津工場。専用線の一部は後の恵那山森林軌道)を旅客化し、それを延長するというものであり、将来は改軌し北恵那鉄道線との相互乗り入れも考えられていた。
実際には計画のみに終わる。予定地や測量の結果は、恵那山森林軌道の建設の参考にされたという。事実、この中津電気鉄道の計画路線と恵那山森林軌道はほぼ一致する。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年5月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 類似の会社名があるため、尾張地内に関係ないため『中津川市史』下巻近代編2、1089頁
^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第32回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年8月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 鉄道省 (1937) による。白井 (1967) では4月5日
^ 鉄道省 (1937) による。白井 (1967) では6月28日
^ 「地方鉄道駅設置」『官報』1926年8月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 鉄道省 (1937) による。白井 (1967) では3月27日
^ 鉄道省 (1937) による。白井 (1967) では8月7日
^ 「鉄道起業廃止」『官報』1932年2月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 駄知鉄道1形 (No.2)
^ 笠原鉄道1形 (No.1)
^ 白土貞夫「北恵那鉄道見聞記」『RAILFAN』No.115、11頁
^ 『客車略図 上』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 目論見書(中津町役場文書)では中津電鉄株式会社。軌間1067mm。『中津川市史』下巻近代編2、1109-1110頁
参考文献[編集]
清水武 『北恵那鉄道』 ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 32〉、2002年。ISBN 4-87366-267-2。
白井良和 (1967). “北恵那鉄道”. 鉄道ピクトリアル No. 199 (1967年7月臨時増刊号:私鉄車両めぐり8): pp. 53-61, 96-97.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道史資料保存会(1986年覆刻)、東京、1937年、p. 343。ISBN 4-88540-048-1。
寺田裕一 『東北・関東』 ネコ・パブリッシング〈消えた轍2〉、2005年。ISBN 4-7770-0377-9。
吉村毅 『懐かしの北恵那鉄道』 岐阜新聞社、2002年。ISBN 978-4877970420。
関連項目[編集]
下呂線 - 国鉄の未成線
北恵那鉄道大井線
中濃電気鉄道
外部リンク[編集]
北総レール倶楽部
北恵那鉄道1
北恵那鉄道2
全国廃線跡/北恵那鉄道
執筆の途中です この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
カテゴリ: 北恵那交通中部地方の鉄道路線 (廃止)岐阜県の交通史