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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
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3:幽玄の間
2:KGS
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だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
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KGSの口コミ
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当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
住友金属鉱山下部鉄道
住友金属鉱山下部鉄道
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JR予讃本線と交差する廃線跡
概要
現況 廃止
起終点 新居浜港駅
端出場駅
路線 上記の端出場本線のほか以下の支線
端出場駅 - 打除駅(専用鉄道区間)
星越駅 - 惣開駅(惣開支線)
星越駅 - 新居浜駅(国鉄連絡線)
運営
開業 1893年3月15日
廃止 1977年2月1日
所有者 住友金属鉱山
路線諸元
路線総延長 10.3 km (6.4 mi)(新居浜 - 端出場間)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式(星越間 - 端出場、星越 - 惣開間)
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
新居浜港
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新居浜港
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0.0 新居浜港
惣開 1.6*
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端出場本線
原地 ???*
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昭和橋
原地臨時 ???*
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0.4 昭和橋
惣開支線
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星越トンネル
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星越 0.0*
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2.0/0.0# 星越
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3.0/1.0# 多喜ノ宮信号所
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??? 多喜ノ宮
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国鉄連絡線
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2.6# 新居浜
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国鉄:予讃本線
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端出場本線
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5.6 土橋
uexBHF
6.7 山根
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??? 板ノ元
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物言嶽トンネル
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車屋トンネル
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9.4 黒石
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檜尾川橋
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10.3/0.0## 端出場
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四通橋/第四通洞
専用鉄道区間
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中尾トンネル (登録有形文化財)
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打除鉄橋 (登録有形文化財)
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0.4## 打除
住友金属鉱山下部鉄道(すみともきんぞくこうざんかぶてつどう)は、かつて1977年(昭和52年)まで愛媛県新居浜市において鉱石輸送や旅客輸送を行っていた住友金属鉱山運営の鉱山鉄道(一時期地方鉄道)の通称である。「別子鉱山鉄道」や「別子鉄道」とも呼ばれた。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 輸送・収支実績
6 現在の姿
7 文化財
8 脚注
9 関連項目
概要[編集]
伊予鉄道に続く愛媛県で2番目の鉄道として上部鉄道に先駆けること9か月、当時住友財閥の初代総理人であり、別子銅山の総支配人でもあった広瀬宰平の専用鉄道として1893年(明治26年)3月15日に開業した。主に別子銅山から採掘された銅鉱石を製錬所や港湾へと輸送する役割を担ったが、1973年(昭和48年)の別子銅山閉山を見届けた後、1977年(昭和52年)1月31日限りで廃止された。
路線データ[編集]
路線距離:総延長14.5km
端出場本線 :新居浜港 - 星越(ほしごえ) - 端出場(はでば)間 10.3km
専用鉄道区間 :端出場 - 打除 0.4km
惣開支線 :星越 - 惣開(そうびらき)間 1.6km
国鉄連絡線 :星越 - 新居浜間 2.6km
軌間:762mm
複線区間 :星越 - 多喜ノ宮信号所間
電化区間(直流600V) :星越間 - 端出場、星越 - 惣開間
歴史[編集]
1893年(明治26年)3月15日 - 広瀬宰平の専用鉄道として惣開 - 端出場間が開業。
年月不詳 - 住友財閥所有の専用鉄道となる。
1927年(昭和2年)7月 - 住友別子鉱山が発足、同社の鉱山鉄道となる。
1929年(昭和4年)11月5日 - 惣開支線(惣開、星越、土橋、山根、黒石、端出場)が開業。また同日に地方鉄道に転換、一般旅客営業開始[1]。
1936年(昭和11年)9月16日 - 端出場本線の新居浜港 - 星越間が開業。
1937年(昭和12年)6月21日 - 住友別子鉱山が住友炭礦と合併し住友鉱業に社名変更。
1942年(昭和17年)11月12日 - 国鉄連絡線が開業。
1946年(昭和21年)1月29日 - 住友鉱業が井華鉱業に社名変更。
1950年(昭和25年)
3月1日 - 井華鉱業の金属部門が独立し別子鉱業発足、同社の路線となる(井華鉱業は1952年に住友石炭鉱業と社名変更)。
5月1日 - 電化完成、電気機関車導入。
1952年(昭和27年)6月 - 別子鉱業が住友金属鉱山に社名変更。
1955年(昭和30年)1月1日 - 一般旅客営業廃止、鉱山鉄道に再転換。
1967年(昭和42年)1月31日 - 国鉄連絡線(星越 - 新居浜)廃止。
1967年(昭和42年)4月1日 - 惣開支線(星越 - 惣開)廃止。
1975年(昭和50年)9月3日 - 端出場本線の星越 - 新居浜港間廃止。
1977年(昭和52年)2月1日 - 残る星越 - 端出場間廃止、下部鉄道全廃止。
1991年(平成3年)6月5日 - 専用鉄道区間の端出場 - 打除間がマイントピア別子の観光鉄道として復活。
駅一覧[編集]
端出場本線
新居浜港駅 - 昭和橋駅 - 星越駅 - 多喜ノ宮信号所 - 多喜ノ宮駅 - 土橋駅 - 山根駅 - 板ノ元駅 - 黒石駅 - 端出場駅
専用鉄道区間
端出場駅 - 打除駅
惣開支線
星越駅 - 原地臨時駅 - 原地駅 - 惣開駅
国鉄連絡線
星越駅 - 多喜ノ宮信号所 - 新居浜駅
星越駅
山根駅
黒石駅
端出場駅
惣開駅
廃線後の1994年
接続路線[編集]
新居浜駅:日本国有鉄道予讃本線
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円)
1929 387,145 109,559 47,504 70,482 ▲ 22,978
1930 1,035,565 680,539 278,641 284,661 ▲ 6,020
1931 850,944 643,109 260,541 237,892 22,649
1932 737,716 576,532 235,448 214,562 20,886
1933 738,559 689,691 273,005 215,417 57,588
1934 791,564 771,067 297,708 273,868 23,840
1935 885,961 773,048 298,505 310,405 ▲ 11,900
1936 959,699 826,852 318,575 319,062 ▲ 487
1937 993,546 958,919 369,004 443,695 ▲ 74,691
1939 1,477527 1,144,493
1941 2,087,755 1,002,536
1943 4,734,329 1,462,325
1945 3,747,278 314,108
鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
現在の姿[編集]
うちよけ駅
中尾隧道と打除鉄橋を通る別子1号
打除鉄橋 (登録有形文化財)
中尾隧道北側 (登録有形文化財)
第四通洞と四通橋
四通橋
はでば駅
車屋隧道(南側)
物言嶽隧道(北側)
滝の宮公園の切通南側
国鉄連絡線分岐
星越駅舎
星越の太鼓橋
星越隧道北側
昭和橋、今は送水管が通る
文化財[編集]
登録有形文化財
打除鉄橋:旧別子鉱山鉄道端出場鉄橋「足谷川鉄橋」として2009年(平成21年)8月7日登録される。1893年(明治26年)建設、橋長39mの単線仕様、斜橋形式の鋼製単トラス桁橋で、トラスは、下弦材にアイバーを用いた125ftのボーストリング・ワーレントラスで、ピン結合となっているドイツ製橋梁。
中尾隧道:旧別子鉱山鉄道端出場隧道として2009年(平成21年)8月7日登録される。1893年(明治26年)建設、緩やかに湾曲する延長93m、幅3.0m、馬蹄形断面の煉瓦造隧道。
脚注[編集]
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年11月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
住友別子鉱山鉄道
執筆の途中です この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
カテゴリ: 四国地方の鉄道路線 (廃止)専用鉄道鉱山鉄道愛媛県の交通史新居浜市の交通新居浜市の歴史別子銅山
土佐電気鉄道安芸線
安芸線
香南市夜須町に2本現存するトンネルのうちの一つ、「征天工」
香南市夜須町に2本現存するトンネルのうちの一つ、「征天工」。当時の碍子が残る。
現在はサイクリングロードに利用。
概要
現況 廃止
起終点 起点:後免駅
終点:安芸駅
駅数 24駅
運営
開業 1924年12月8日
全通 1930年4月1日
廃止 1974年4月1日
所有者 土佐電気鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 26.8 km (16.7 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 160 m
電化 直流600 V 架空電車線方式
最急勾配 20 ‰
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
uHST
鏡川橋停留場
uHST HST
はりまや橋停留場/高知駅
uLSTR LSTR
uLSTR exSTRrg eABZrf
uLSTR
0.0 後免駅
uLSTR exSTR STRlf
国鉄:土讃本線
exSTR
後免線
0.9 後免町駅
exSTRlf exABZlg
exABZlf exSTRlg
exSTR exKDSTe
exBHF
2.2 永田駅[1]
exBHF
2.8 立田駅
exBHF
3.3 日章駅
exBHF
3.6 物部川駅[1]
exWBRÜCKE
物部川橋梁 345.63m
exBHF
4.6 西野市駅
exBHF
5.7 野市駅
exBHF
6.7 遠山駅[1]
exBHF
7.8 古川駅
exBHF
9.3 赤岡駅
exBHF
10.1 岸本駅
exBHF
11.3 月見山駅
exBHF
12.3 夜須駅
exBHF
12.7 手結駅
exTUNNEL1
第1手結山隧道 156.45m
exBHF
13.7 海浜学校前駅
exTUNNEL1
第2手結山隧道 106.21m
exBHF
14.6 土佐住吉駅
exBHF
16.3 長谷寄駅
exBHF
17.5 西分駅
exBHF
18.6 和食駅
exBHF
20.0 赤野駅
exBHF
21.8 八流駅
exBHF
23.9 穴内駅
exKBHFe
26.8 安芸駅
安芸線(あきせん)は、かつて高知県南国市内の後免駅と安芸市内の安芸駅とを結んでいた、土佐電気鉄道(現・とさでん交通)の鉄道路線である。
一部の列車は軌道の後免線・伊野線や、国鉄土讃本線に乗り入れていた。廃止後は、一部に土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)の建設用地や、トンネル等も含めてサイクリングロード(高知県道501号高知安芸自転車道線)として使用されている区間もある。
代替交通として土佐くろしお鉄道阿佐線のほか、とさでん交通のバス路線の安芸線が運行されている。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
3 運転
4 駅一覧
5 接続路線
6 車両
6.1 蒸気機関車
6.2 気動車
6.3 電車
6.4 電気機関車
6.5 客車
6.6 軌道線車両
6.7 車両数の変遷
7 その他
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):26.8km
軌間:1067mm
駅数:24駅(起終点駅含む)
複線区間:
電化区間:全線(直流600V)
歴史[編集]
山本 (1960)、東京大学鉄道研究会 (1969) による。
1919年(大正8年)
7月12日 土佐電気鉄道後免駅および鉄道院高知線(当時工事線)に接続し安芸に至る路線を免許出願
11月3日 免許下付[2]
1920年(大正9年)
1月8日 高知鉄道設立[3]
12月19日 起工式
1924年(大正13年)12月8日 高知鉄道により、後免(現・後免町) - 手結間7マイル13チェーン (11.8km) 開業[4]
1925年(大正14年)3月31日 省後免 - 後免間48チェーン (0.96km) の敷設免許[5]
1925年(大正14年)7月14日 省後免 - 後免間工事施工認可、11月15日着工
1926年(大正15年)4月11日 省後免を後免、後免を後免町と改称[6]し後免 - 後免町間開業[7]
1929年(昭和4年)4月1日 手結 - 安芸間着工
1930年(昭和5年)
4月1日 手結 - 安芸間 (14.1km) 開業、後免 - 安芸全線開通[8]
6月21日[9] 省線経由高知駅乗り入れ開始
1941年(昭和16年)7月12日 2日前に土佐電気の軌道線部門を譲受、土佐バスなどを合併した高知鉄道が土佐交通に社名変更
1948年(昭和23年)
6月3日 南海鍛圧機(元の土佐電気)が土佐交通を合併し、土佐電気鉄道に社名変更
3月16日 電化工事施工認可申請、10月1日許可
1949年(昭和24年)
4月18日 後免 - 手結間電化開業。野市変電所を設置
7月20日 手結 - 安芸間電化開業。赤野変電所を設置
1954年(昭和29年)7月5日 軌道線車両による高知市内 - 手結間直通運転開始
1955年(昭和30年)10月31日 直通運転区間を安芸に延長
1974年(昭和49年)4月1日 安芸線廃止
運転[編集]
急行列車を含む高知市内線直通があり、軌道線車両により鉄道線内は最大3両を連結して運行された。
1960年(昭和35年)
旅客列車:安芸発1日30本およそ33分間隔、うち後免行き22本、高知市内直通8本(朝方に急行1本)。他に朝方手結から1本、野市から2本、市内直通列車
貨物列車:後免 - 安芸間に定期1日1往復、不定期で1日2往復。促成栽培の野菜出荷時に1日30両の要請
1969年(昭和44年)
旅客列車:安芸発1日27本着28本。軌道線経由高知市内から乗り入れ10本、市内行き12本(各急行1本含む)。他にラッシュ時には手結、赤岡、野市折り返し便
貨物列車:1日1往復、他に混合列車あり。野菜出荷時には1日30両以上の出荷要請
[icon] この節の加筆が望まれています。
駅一覧[編集]
旧土佐電気鉄道安芸駅(1993年2月12日)
後免駅 - 後免町駅 - 永田駅[1] - 立田駅 - 日章駅 - 物部川駅[1] - 西野市駅 - 野市駅 - 遠山駅[1] - 古川駅 - 赤岡駅 - 岸本駅 - 月見山駅 - 夜須駅 - 手結駅 - 海浜学校前駅 - 住吉駅 - 長谷寄駅 - 西分駅 - 和食駅 - 赤野駅 - 八流駅 - 穴内駅 - 安芸駅
接続路線[編集]
後免町駅:土佐電気鉄道後免線
後免駅:日本国有鉄道土讃本線
車両[編集]
蒸気機関車[編集]
7100形 (7104):1882年、米ポーター製の軸配置2-6-0形テンダー機関車。1924年1月ごろ、工事用として梅鉢鉄工場から譲受。1930年ごろ解体。
1形 (1 - 3):1 - 2は1924年開業と同時に入線。3は翌1925年に入線した。汽車製造製の軸配置Ct、弁装置はワルシャート式のタンク機関車。1930年から1936年まで省線高知線経由で省線高知駅まで乗り入れていた。1949年の電化時まで運用され1951年に廃車・解体された。
1800形 (1801, 1803):元は国鉄1800形で1881年キットソン製のタンク機関車。国鉄東海道本線などで運用されてから1930年に入線した。1803は1937年頃廃車され、1801は1940年に東洋レーヨン滋賀工場に譲渡され1964年まで運用された。廃車後、交通科学館(のち交通科学博物館、2014年閉館)で保存されたのち、2016年4月に開館した京都鉄道博物館に移設されて引き続き保存されている。
600形 (608):元は日本鉄道W2/4形40で、同鉄道の国有化後改番を経て国鉄600形となり、鉄道省→京都市場運送→篠山鉄道と払い下げられたもの。1898年ナスミス・ウィルソン製で、軸配置1-B-1t、弁装置はジョイ式のタンク機関車であった。1945年に野菜、貨物輸送用に入線し、電化後の1950年には高知で廃車・解体された。
800形 (800):参宮鉄道形式1の7号で、同鉄道国有化後は国鉄800形となった。その後芸備鉄道に譲渡されたが、同鉄道の国有化で再び鉄道省籍に戻り、1940年に1800形1801と入れ替わる形で入線した。1903年汽車製造製で軸配置は1-B-1t、弁装置はジョイ式のタンク機関車で、野菜輸送を主目的としたが燃料統制であまり運用されなかった模様。1950年に高知で廃車・解体。
280形 (281):1913年、日本車輌製造製の車軸配置2-4-2(1B1)形36t級タンク機関車。1946年、南部鉄道B281を譲受。1951年2月、丸の内商事神戸支店に売却。
200形 (201, 202):片上鉄道1・3号を1947年に譲り受けたもの。1922年日本車輌製の軸配置1-C-1t、タンク機関車で電化後の1951年まで在籍した。丸の内商事神戸支店に売却。
500形 (500):車軸配置0-6-0(C)形27t級のタンク機関車。1950年9月に売却された記録があるのみで、詳細不明。
C12形 (C12001):国鉄C12形と同型機で、1942年から新造許可を申請していたが、1947年になってようやく許可されたという背景を持つ。1948年日本車輌製(製造番号1496)で、電化後も貨物列車を引いていたが、1952年に雄別炭礦尺別鉄道に譲渡された。1970年に同鉄道で廃車された。
気動車[編集]
キハ6形6 - 8:1928年梅鉢鉄工所製の4輪ガソリンカー。定員32名。キハ7は1943年に中島飛行機へ譲渡された。
キハ100形101:1934年日本車輌製造東京支店製4輪ガソリンカー。定員40名。電化前の1948年に廃車解体された。越生鉄道キハ1形気動車は同形。
キハニ2000形2000 - 2002:2000は1936年、2001・2002は1937年日本車輌製造製、定員100名の14m級ガソリンカー。当時の地方鉄道向け気動車に共通し俗に「びわこ形」と呼ばれる流線型の車体を持ち、機関は国鉄キハ41000形と同型で制式ガソリン機関であるGMF13(90kW)を搭載する。吊り手にリコ式吊り手を採用するなど意欲的な車両でもあった。蒸気機関車1形に代わって省線高知駅へ乗り入れ、1940年から木炭ガス発生装置を取り付けられた後も1942年頃まで続いた。1949年の電化時に富士車輌で全車が付随車に改造されサハ2000形サハ2001 - 2003となった。
キハニ2100形2101:佐久鉄道キホハニ51→鉄道省キハニ40701となったボギー式ガソリンカー。1942年に入線し、戦時中に木炭ガス代燃化されることもなく客車代用として蒸気機関車に引かれることもあった。1949年の電化時にキハニ2000形と共に富士車輌へ送られ、制御車クハニ2101となった。
電車[編集]
モハ1000形1001 - 1008:1949年の電化時にナニワ工機で京阪100型の鋼体化時に余剰になった車体と、南海電鉄から譲り受けたブリル77E台車、制御装置は三菱電機から購入した新品を組み合わせたもの。定員84名。電化後の主力車両で、入線当初はほぼ原型のままであったが、後にダブルルーフ屋根からの雨漏りが酷くなりシングルルーフ化され、正面窓を3枚から2枚下段上昇式に改造したり、前後端の乗降扉を内側へ寄せ、運転席に側窓を設けるなどの大改造を数度に渡り受けた。この内モハ1001は1956年より休車されている。外板に鋼板を貼るいわゆる"偽スチール"化も行われたが、木造車体の老朽化が著しくなり1964年に自社東雲町工場で阪神1101形の車体と載せ替えモハ1001をのぞきモハ5000形5001 - 5007となった。休車中であったモハ1001も電装解除の上、同じ車体に載せ替えクハ3000形3003となった。
サハ2000形2001 - 2003:電化時にキハニ2000形を付随車へ改造したもの。後に制御車化されクハニ2000形2001 - 2003となり、後年さらに荷物室を撤去してクハ2000形2001 - 2003となった。1964年にモハ1000形同様車体を載せ替えることとなり、クハ2002(→クハ3001)・クハ2003(→クハ3002)が阪神1101形の車体と載せ替えられクハ3000形3001・3002となった。残ったクハ2001は1965年に片側を貫通化改造、乗降扉の自動扉化、荷物室を再度設置しクハニ3501(定員70名)となり1974年の安芸線廃止時まで運用された。
クハニ2100形2101:電化時にキハニ2101を制御車化改造したもの。他の車両に比べ車体が小振りのため荷物車代用として使われることも多く、1965年に全室を荷物室とする改造を受けクニ2101となった。貨物輸送廃止後は手結駅側線で留置されていた。
モハ5000形5001 - 5008:1964年にモハ1000形からの車体載せ替えで1001 - 1007が改造された。定員82名。1965年にはクハ3003が電装化改造を受けモハ5008として編入された。安芸線では初の自動扉装備車となり、貫通路付きの車体を生かしクハ3000形などと共に適宜2両程度の編成を組んだ。1974年の廃止時まで運用された。
クハ3000形3001 - 3003:1964年にクハ2000形2002・2003、モハ1000形1001から車体を載せ替え改造された制御車。制御車であることをのぞけば車体はモハ5000形と同型で、同じく安芸線初の自動扉装備車であった。この内モハ1001形からの改造車であるクハ3003は1965年にモハ5008へ再改造された。1974年の廃止時まで運用された。
電気機関車[編集]
ED1000形1001:元富岩鉄道ロコ1形で、1937年木南車輌製の南海型凸型電機。同系車に北陸鉄道ED20形・豊橋鉄道デキ200形がある。富岩鉄道は買収で国鉄富山港線となり、電化時の1949年に国鉄城川原機関庫引き渡しで譲り受けた。入線当初はED1と呼ばれ直接制御、自重25tであったが、1960年に死重を積んで自重35tとなり、間接制御に改造された。ED2001の入線後は予備車、あるいは短編成の貨物列車用として使用され、1972年に国鉄との連絡運輸が廃止されるまで運用され、廃線まで手結駅側線で留置、その後解体された。
ED2000型2001:1951年に中日本重工三原製作所で製造された自重30tの凸型電機。形状の似た機関車として栗原電鉄ED20形201 - 203がある。貨物輸送が廃止された1972年まで運用され、その後は手結駅側線でクニ2101、ED1001と共に留置されていた。車齢が若いため譲渡も考慮されたが、直流600V仕様であることが災いし引き取り手が現れず、後に後免町駅構内で解体された。
客車[編集]
1924年開業時に国鉄より木製2軸客車8両の払下げをうけた。
ハ1-3 国鉄ハ2290-2292(旧関西鉄道)[10]1929年にハ1・2→ハニ3・4にハ3→ハ1(2代目)へ改造改番し、さらに1947年にハニ3をユニ3へ改造し1952年ワフ4へ再改造した。
ハ4 竣工届けでは明治29年天野工場製ハ2300となっているが各種データが一致せず、形態等からハ2389-2398(旧参宮鉄道)[11]が考えられる。1929年ハ1-3の改番時にハ2(2代目)となる。
ハ5・6 国鉄ハ2334-2335(旧関西鉄道)[12]1929年の改番時にハ3・4(2代目)となる。
ハニ1 国鉄ハニ3665(旧関西鉄道)[13]1930年ユニ1に改造。
ハニ2 国鉄ハニ3661(旧関西鉄道)[14]。
1927年国鉄より木製2軸客車3両の払下げをうけた。
ハ7-9 国鉄ハ2213・2216・2212(旧西成鉄道)[15]1929年の改番時にハ5-7(2代目)となる。
1930年国鉄より木製2軸客車5両の払下げをうけた。
ハ8(2代目)・ハ9(2代目)・10・11 国鉄ハ2343・2349・2350・2352(旧関西鉄道)[16]ハ11は1931年にフハ1に改造。
ハ12 国鉄ハ2201(旧関西鉄道)[17]1930年にユニ2へ改造。
1940年以降燃料統制によりガソリンカーの代替列車が必要となり中古車両を購入している。
ハフ2・3 国鉄ハ3039・3040(旧関西鉄道)[18]。
ハ11(2代目) 1944年入線した木製2軸客車。前歴不詳。
ハ12(2代目) 1944年入線した木製2軸客車。前歴不詳。
ホハフ1001 1940年に入線した国鉄ホハ12181(日本車輌1912年製 木製ボギー客車 鉄道院基本形客車)。
ホハニ1101 1940年に入線した国鉄ホハニ4083(新橋工場製1901年製 木製ボギー客車)。
ホハフ1200 1942年に入線した飯山鉄道のフホハ1(日本車輌1921年製 木製ボギー客車)開業時に新製された車両で国鉄買収される前に譲渡された。
客車の項目は『私鉄車両めぐり特輯』2」86-88頁を参照
軌道線車両[編集]
1954年(昭和29年)から間接制御式軌道線車両の乗り入れが開始され、以下の車両が後免町駅経由で乗り入れた。
200形
500形
600形
車両数の変遷[編集]
年度 蒸気機関車 ガソリンカー 客車 貨車
有蓋 無蓋
1924 3 8 2 3
1925 3 8 2 3
1926 3 8 5 3
1927 3 11 5 3
1928 4 3 11 5 3
1929 3 3 11 5 3
1930-1933 5 8 16 7 6
1934-1935 5 9 16 7 6
1936 5 10 16 7 6
1937 4 12 15 7 6
鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
その他[編集]
電化工事は、終戦後の困難な条件のもと行われた。後免町駅には吉田茂の起草になる電化記念碑(日本語と英語を併記)が建立され、GHQに対する謝辞が記されている。この碑は安芸線廃止後の現在も残されている。
終点の安芸駅は、現在の土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)球場前駅付近にあった。安芸市の中心部には線路を延ばせなかった。
阪神の中古車両が走っていたこと、終点の安芸駅近くに阪神タイガースがキャンプを張る安芸市営球場があったことから、阪神とは縁の深い路線であった。
土佐電鉄後免町駅構内には、安芸線に接続していた線路が残っていた。しかし、同地でコンビニエンスストアが建設され、建っていた待合所は取り壊された。また、一部残っていた安芸線の線路も完全に撤去され、後免町駅に残る遺構は安芸線電化開業記念碑ぐらいになった。
脚注[編集]
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^ a b c d e f 1944年ごろに廃止。立田駅・西野市駅・古川駅・月見山駅・夜須駅・長谷寄駅・和食駅・八流駅も同年ごろ廃止されたが1949年から1952年にかけて再開業した。今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳』11号 中国四国、新潮社、2009年、p.59
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1919年11月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第29回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年12月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1925年4月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1926年4月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始並営業哩程変更」『官報』1926年4月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年4月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 日付は東京大学鉄道研究会 (1969) による。山本 (1960) は安芸開業と同時とする
^ 形式2243『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 形式2353『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 形式2314『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 形式3662『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 形式3658『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 形式2195『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 形式2343『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 形式2195『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 形式図3662『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
山本淳一「土佐電気鉄道」、『鉄道ピクトリアル』1960年12月号臨時増刊:私鉄車両めぐり1、1960年、 pp. 72-77, 89。(再録:『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
山本淳一「土佐電気鉄道(私鉄車両めぐり第1分冊補遺)」、『鉄道ピクトリアル』No. 1281962年3月号臨時増刊:私鉄車両めぐり2、1962年、 p. 104。(再録:『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
東京大学鉄道研究会「土佐電気鉄道鉄道線」、『鉄道ピクトリアル』No. 2321969年12月号臨時増刊:私鉄車両めぐり1、1969年、 pp. 80-92, 108-109。(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道史資料保存会(1986年覆刻)、東京(覆刻は大阪)、1937年、pp. 427-428。ISBN 4-88540-048-1。
和久田康雄 「昭和52年5月1日現在における補遺」『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺3頁。
土佐電氣鐵道 『土佐電鉄の100年』 土佐電氣鐵道、高知、2004年、pp. 84-87。
土佐電鉄の電車とまちを愛する会 『土佐電鉄が走る街今昔』 JTBパブリッシング、東京、2006年、pp. 147-149。
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
野村茂久馬 - 安芸延長時の高知鉄道社長。高知商工会議所会頭も歴任
外部リンク[編集]
とさでん交通株式会社
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