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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
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将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
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囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
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「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
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推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
山陰本線
JR logo (west).svg 山陰本線
余部橋梁を渡る特急「はまかぜ」
余部橋梁を渡る特急「はまかぜ」
基本情報
通称 嵯峨野線(京都 - 園部間)
国 日本の旗 日本
所在地 京都府、兵庫県、鳥取県、島根県、山口県
起点 京都駅
終点 幡生駅
駅数 160駅(支線含む)
路線記号 E(京都 - 城崎温泉間)
A(城崎温泉 - 米子間)
D(米子 - 益田間)
開業 1897年2月15日
全通 1933年2月24日
所有者 JR logo (west).svg 西日本旅客鉄道
運営者 JR logo (west).svg 西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
嵯峨野観光鉄道(第二種鉄道事業者)
使用車両 使用車両を参照
路線諸元
路線距離 673.8 km(京都 - 幡生間)
2.2 km(長門市 - 仙崎間)
軌間 1,067 mm
線路数 複線(一部区間)、単線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
(京都 - 城崎温泉間、伯耆大山 - 西出雲間)
閉塞方式 自動閉塞式
(京都 - 西出雲間)
自動閉塞式(特殊)
(出雲市 - 幡生間、仙崎支線)
最高速度 130 km/h
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山陰本線(さんいんほんせん)は、京都府京都市下京区の京都駅から、中国地方の日本海沿岸(山陰地方)を経由し山口県下関市の幡生駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、仙崎支線あるいは仙崎線と呼ばれる長門市駅 - 仙崎駅間の支線をもつ。
京都駅 - 園部駅間については、「嵯峨野線」も参照。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 沿線概況
3 運行形態
3.1 優等列車
3.1.1 過去の列車
3.2 地域輸送
3.2.1 京都駅 - 園部駅間
3.2.2 園部駅 - 福知山駅間
3.2.3 福知山駅 - 豊岡駅・城崎温泉駅間
3.2.4 豊岡駅・城崎温泉駅 - 浜坂駅間
3.2.5 浜坂駅 - 鳥取駅間
3.2.6 鳥取駅 - 米子駅間
3.2.7 米子駅 - 出雲市駅間
3.2.8 出雲市駅 - 益田駅間
3.2.9 益田駅 - 長門市駅間
3.2.10 長門市駅 - 下関駅間
3.2.11 長門市駅 - 仙崎駅間(仙崎支線)
3.3 貨物列車
3.4 門司発福知山行き昼行普通列車「824列車」
4 利用状況
5 使用車両
5.1 現在の使用車両
5.1.1 特急列車
5.1.2 普通列車・快速列車
5.1.3 貨物列車
5.2 過去の車両
5.2.1 優等列車
5.2.2 普通列車・快速列車
5.2.3 貨物列車
6 歴史
6.1 前史
6.2 さまざまなルート案
6.3 ひとまずのルート決定と中断
6.4 建設開始
6.5 建設ルート変更
6.6 京都・出雲市間の開通
6.7 出雲今市以西
6.8 年表
6.8.1 京都鉄道→京都線
6.8.2 阪鶴線(綾部駅 - 福知山駅間)
6.8.3 播但線(福知山駅 - 香住駅間)
6.8.4 山陰本線(全通以前)
6.8.5 美禰線
6.8.6 長州鉄道→小串線
6.8.7 全通以後
6.8.8 民営化以後
7 駅一覧
7.1 営業中の区間
7.1.1 京都駅 - 園部駅間
7.1.2 園部駅 - 城崎温泉駅間
7.1.3 豊岡駅・城崎温泉駅 - 米子駅間
7.1.4 米子駅 - 益田駅間
7.1.5 益田駅 - 幡生駅間
7.1.6 仙崎支線
7.2 廃止区間
7.3 廃駅
7.4 廃止信号場
7.5 過去の接続路線
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
10 関連項目
概要[ソースを編集]
京都市から西方向へ延び、福知山市・豊岡市・鳥取市・倉吉市・米子市・松江市・出雲市・益田市・長門市などの丹波・但馬・山陰地方の各都市を経て下関市に至る。路線の終点は幡生駅だが、幡生側の列車は下関駅まで運転されている。竹野駅から幡生駅までは線路が日本海沿いを通っている区間が多い。
支線をのぞく営業キロは673.8 kmで、新幹線をのぞくJR線(在来線)としては日本最長である[注 1]。2002年までは東北本線 (739.2 km) の方が長かったが、東北新幹線の延伸に伴い東北本線の一部が第三セクターのIGRいわて銀河鉄道および青い森鉄道へ転換されたことにより山陰本線の営業キロを下回った。
京都駅 - 園部駅間は旅客営業規則が定める大都市近郊区間のうち、大阪近郊区間に含まれており、この区間には嵯峨野線という愛称がある。京都駅 - 園部駅間はIC乗車カード「ICOCA」の利用可能エリアの近畿圏エリアに[1]、伯耆大山駅 - 出雲市駅間は岡山・広島エリアの松江・米子・伯備地区に[2]含まれている。嵯峨野線区間を含めた京都駅 - 城崎温泉駅間は、E の路線記号と[3]、紫(■)のラインカラーが設定されている。これに加え、鳥取県を中心とした城崎温泉駅 - 米子駅間には、A の路線記号と、鳥取二十世紀梨をイメージした黄緑(■)のラインカラーが、島根県を中心とした米子駅 - 益田駅間には、D の路線記号と、日本海と宍道湖の夕日をイメージした朱色(■)のラインカラーが、それぞれ2016年2月より導入されている(両区間の境界は米子駅となる)[4]。
近畿エリアの路線記号の適用対象でありながら、2015年3月14日ダイヤ改正時点での構内の旅客案内への反映は嵯峨野線内の各駅にとどまっていたが、2016年3月26日ダイヤ改正より前述の米子支社ともども、福知山支社管内の各駅における旅客案内や一部の所属車両の方向幕でも、米子支社制定分を含めたラインカラーや路線記号の本格使用を開始した。これに際し、上川口駅 - 城崎温泉駅についても紫色にEの路線記号に包含され、該当各駅でもこの路線記号を使用するようになり、同年4月頃には公式サイトの路線図[5]にも反映された。
一方、広島支社管内の戸田小浜駅 - 幡生駅間には路線記号はないが、広島エリアの路線図[6]や当該各駅の駅掲示時刻表のシンボルとして、オリーブ色(■)が使用されている。
なお、支社および鉄道部の管轄は以下のように分かれている[7]。
京都駅 - 園部駅間…近畿統括本部
園部駅 - 居組駅間(園部駅構内のぞく)…福知山支社
居組駅 - 赤碕駅間(居組駅構内のぞく)…米子支社鳥取鉄道部
赤碕駅 - 田儀駅間(赤碕駅構内のぞく)…米子支社
田儀駅 - 益田駅間(田儀駅構内のぞく)…米子支社浜田鉄道部
益田駅 - 小串駅間(両端の駅構内のぞく)、長門市駅 - 仙崎駅間…広島支社長門鉄道部
小串駅 - 幡生駅間…広島支社下関地域鉄道部
路線データ[ソースを編集]
管轄・路線距離(営業キロ):全長676.0 km(支線含む)
西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
京都駅 - 幡生駅間 673.8 km
長門市駅 - 仙崎駅間 2.2 km
嵯峨野観光鉄道(第二種鉄道事業者):
トロッコ嵯峨駅 - トロッコ亀岡駅間 (7.3 km)
軌間:1067mm
駅数:160(起終点駅含む。嵯峨野観光鉄道の駅はのぞく)
山陰本線所属駅に限定した場合、東海道本線所属の京都駅と山陽本線所属の幡生駅[8] が除外され、158駅となる。
複線区間:
京都駅 - 園部駅間(うち嵯峨嵐山駅 - 馬堀駅間は旧線を含めると一部区間をのぞき三線で、旧線は嵯峨野観光鉄道が第二種鉄道事業者としてトロッコ列車を運行している)
綾部駅 - 福知山駅間
伯耆大山駅 - 安来駅間
東松江駅 - 松江駅間
玉造温泉駅 - 来待駅間
電化区間:
京都駅 - 城崎温泉駅間、伯耆大山駅 - 西出雲駅間(直流1500V)
閉塞方式:
京都駅 - 西出雲駅間:自動閉塞式
西出雲駅 - 幡生駅間、仙崎支線:自動閉塞式(特殊)
最高速度:
嵯峨嵐山駅 - 馬堀駅間、綾部駅 - 福知山駅間:130 km/h
京都駅 - 嵯峨嵐山駅間、馬堀駅 - 綾部駅間、鳥取駅 - 出雲市駅間:120 km/h
鳥取駅 - 出雲市駅間:120 km/h(キハ187系及びHOT7000系等の振り子機能搭載列車)、100 km/h(その他の列車)
出雲市駅 - 益田駅間:110 km/h(キハ187系運用列車)、90 km/h(その他の列車)
福知山駅 - 鳥取駅間、益田駅 - 幡生駅間:95 km/h
長門市駅 - 仙崎駅間:85 km/h
運転指令所:
京都駅 - 園部駅間:大阪総合指令所
園部駅 - 居組駅間:福知山運輸指令室
居組駅 - 長門市駅間:米子運輸指令室
長門市駅 - 幡生駅間:広島総合指令所
沿線概況[ソースを編集]
京都駅 - 園部駅間については「嵯峨野線#沿線概況」を参照
[表示]停車場・施設・接続路線
在来線としての営業キロは日本最長の路線であるが、起点から終点までを通して走る優等列車の設定が史上一度もない本線の一つとなっている。区間によって乗客の流動に大きな偏りがあり、東西方向の交流が必ずしも盛んでないことや、かつての日本国有鉄道(国鉄)や現在のJR西日本が、山陽新幹線開業以降、山陰本線沿いの各都市から直接山陽新幹線に至る路線(陰陽連絡路線)を強化してきた結果である。
山陰と瀬戸内側を結ぶ線には福知山線・伯備線などの電化された路線や智頭急行線のような高速新線があるが、山陰の横同士の連絡は最近まであまり考慮されず、電化もそれらの延長的存在でつぎはぎ状態で行われた。後年の高速化工事も同様で、高速化された区間とそうでない区間がつぎはぎ状態になっている。それでも民営化後は鳥取駅 - 倉吉駅 - 米子駅 - 松江駅 - 出雲市駅の都市間輸送に力を入れるなど、以前に比べれば改善がみられる。
幹線扱いの長大路線でありながら近代化が遅れたことや、ローカル色あふれる風光明媚な車窓風景とあいまって、鉄道ファンであった作家の宮脇俊三は「偉大なるローカル線」と山陰本線を評した。この表現は山陰本線の実情をよく表したものとして、大方の鉄道ファンから賛同を得ている。特に出雲市駅以西の区間の輸送実態は地方交通線とほとんど変わらないといっても良いほどである。このほか、2010年に鉄橋からコンクリート橋に架け替えられた余部橋梁や、日本で3か所に現存するラチス式桁を持つ竹野川橋梁、浜坂駅手前にはラチス桁が残る田君川橋梁があるほか、須佐駅 - 宇田郷駅間にかかる惣郷川橋梁は日本海に注ぐ白須川河口にあるため、鉄道の撮影ポイントとしても有名である。
また、沿線には温泉地が多く、城崎温泉や温泉津温泉など古くから知られた温泉が数多く湧出している。
山陰本線の東端・京都駅31 - 33番のりば
余部橋梁
コンクリート橋への架け替え前の余部橋梁を行く特急「はまかぜ」
城崎温泉駅 - 竹野駅間にあるラチス式桁(格子状桁)の竹野川橋梁
須佐駅 - 宇田郷駅間の惣郷川橋梁
運行形態[ソースを編集]
優等列車[ソースを編集]
以前は、京都・大阪あるいは東京方面と鳥取地区とを結ぶ列車は山陰本線の和田山駅 - 鳥取駅間を経由するか、東京方面の場合新幹線連絡で津山線・因美線を経由した岡山駅経由がメインルートであったが、智頭急行が開業してからは智頭急行線を使うルートに取って代わられた。また、対米子地区についても山陽新幹線開業以降は山陰本線経由から伯備線経由にメインルートが移っている。現在、京都・大阪からの特急はほとんどが電車であり城崎温泉駅までの運転である。京都駅 - 鳥取駅間には下記の列車が走っている。そのうち福知山駅は北近畿ビッグXネットワークの中心部分にあたる(定期列車・山陰本線経由分のみ記載。夜行列車は後述)。
京都駅 - 綾部駅間
特急「まいづる」(京都駅 - 東舞鶴駅間)
※特急「まいづる」は下記の「はしだて」「きのさき」と併結運転されている。
京都駅 - 福知山駅間
特急「はしだて」(京都駅 - 天橋立駅間)
京都駅 - 城崎温泉駅間
特急「きのさき」(京都駅 - 城崎温泉駅間)
福知山駅 - 城崎温泉駅間
特急「こうのとり」(新大阪駅 - 福知山駅・豊岡駅・城崎温泉駅間)
和田山駅 - 鳥取駅間
特急「はまかぜ」(大阪駅 - 香住駅・浜坂駅・鳥取駅間)
鳥取駅 - 益田駅間は近年の高速化工事などにより、新型車両の特急を登場させるまでに至ったが、その一方で益田駅 - 幡生駅間は「いそかぜ」廃止以降、優等列車はなくなった。鳥取駅以西については、鳥取駅・米子駅・益田駅などを結ぶ都市間連絡特急として下記の列車が運転されている。鳥取駅 - 出雲市駅間で120km/h、出雲市駅 - 益田駅間で110km/h運転を行っている。
鳥取駅 - 益田駅間
特急「スーパーまつかぜ」(鳥取駅 - 米子駅・益田駅間)
特急「スーパーおき」(鳥取駅・米子駅 - 新山口駅間)
また、陰陽連絡特急として、下記の列車が運転されている。これらの列車は、京都駅・新大阪駅で東海道新幹線、姫路駅・岡山駅で山陽新幹線と接続している。
鳥取駅 - 倉吉駅間
特急「スーパーはくと」(京都駅 - 鳥取駅・倉吉駅間) …智頭急行線・因美線経由
伯耆大山駅 - 米子駅 - 出雲市駅間
特急「やくも」(岡山駅 - 出雲市駅間) …伯備線経由
このほか、夜行列車として下記の列車が運転されている。大阪駅からの急行「だいせん」(大阪駅 - 米子駅間)が2004年10月16日に、また東京駅からの寝台特急「出雲」(東京駅 - 出雲市駅間)が2006年3月18日のダイヤ改正で廃止されてからは、伯備線経由の列車のみの運転となっている。
伯耆大山駅 - 米子駅 - 出雲市駅間
寝台特急「サンライズ出雲」(東京駅 - 出雲市駅間) …伯備線経由
過去の列車[ソースを編集]
運転区間は過去最長のもの。詳細は各列車の記事参照。
特急
「あさしお」(京都駅 - 米子駅間) …一部宮津線経由 1972年 - 1996年
「まつかぜ」(京都駅 - 博多駅間) …福知山線経由 1961年 - 1986年
「やくも」(新大阪駅 - 浜田駅間) …福知山線経由 1965年 - 1972年(「まつかぜ」に編入)
「エーデル北近畿」(大阪駅 - 浜坂駅間) …福知山線経由 1990年 - 1999年
「エーデル鳥取」(大阪駅 - 倉吉駅間、のちに新大阪駅 - 鳥取駅間) …福知山線経由 1989年 - 1999年
「はくと」(京都駅 - 倉吉駅間) …智頭急行線・因美線経由 1994年 - 1997年(「スーパーはくと」に編入)
「いなば」(鳥取駅 - 米子駅間) …1996年 - 1997年(「くにびき」に編入)
「くにびき」(鳥取駅 - 益田駅間) …1988年 - 2001年(「スーパーくにびき」に改称)
「スーパーくにびき」(鳥取駅 - 益田駅間) …2001年 - 2003年(「スーパーまつかぜ」に改称)
「いそかぜ」(米子駅 - 博多駅間) …1985年 - 2005年
「スーパーやくも」(岡山駅 - 出雲市駅間) …伯備線経由 1994年 - 2006年(「やくも」に統一)
「おき」(新大阪駅 - 出雲市駅間) …伯備線経由 1971年 - 1972年
「おき」(鳥取駅 - 小郡駅間、米子駅 - 下関駅間) …山口線経由 1975年 - 2001年(「スーパーおき」に改称)
寝台特急
「いなば」(東京駅 - 米子駅間)…1975年 - 1978年(「出雲」に編入)
「出雲」(東京駅 - 浜田駅間)…1972年 - 2006年
急行(主要列車・運転区間に普通列車区間を含む・運転期間は急行時代)
「丹後」(京都駅 - 城崎駅・東舞鶴駅・敦賀駅・豊岡駅間) …1966年 - 1996年
「白兎」(京都駅 - 出雲市駅・大社駅間) …1961年 - 1986年(1961年 - 1968年に大阪駅 - 松江駅間編成併結)
「丹波」(大阪駅 - 城崎駅・天橋立駅間) …一部宮津線経由 1966年 - 1986年
「だいせん」(大阪駅 - 益田駅・大社駅間) …福知山線経由 1968年 - 2004年
「しまね」(大阪駅 - 出雲市駅・大社駅間) …福知山線経由 1964年 - 1965年
「おき」(大阪駅 - 出雲市駅・大社駅間) …福知山線経由 1965年 - 1968年
「但馬」(大阪駅 - 鳥取駅間) …播但線経由 1966年 - 1996年
「あさしお」(金沢駅 - 出雲市駅間) …小浜線・宮津線経由 1964年 - 1968年(併結相手の「大社」に統合)
「大社」(金沢駅 - 米子駅・名古屋駅 - 大社駅間) …小浜線・宮津線経由 1966年 - 1982年(山陰本線直通期間。金沢編成は元「あさしお」)
「みささ」(大阪駅 - 倉吉駅間) …姫新線・因美線経由 1966年 - 1985年(山陰本線定期直通期間。廃止は1989年)
「砂丘」(宇野駅 - 上井駅間、のちに岡山駅 - 米子駅間) …1968年 - 1991年(山陰本線定期直通期間。廃止は1997年)
「美保」(鳥取駅 - 境港駅間) … 1966年 - 1982年
「石見」(鳥取駅 - 益田駅間) … 1966年 - 1985年
「さんべ」(鳥取駅 - 熊本駅間) …1968年 - 1997年
「しまね」(米子駅 - 博多駅間) …1965年 - 1968年
「はぎ」(米子駅 - 長門市駅間) …1972年 - 1975年(「ながと」に改称)
「ながと」(米子駅 - 長門市駅間) …1975年 - 1985年
「しんじ」(宇野駅 - 小郡駅間) …伯備線・山口線経由 1966年 - 1975年
「伯耆」(岡山駅 - 米子駅間) …1975年 - 1982年
「しらぎり」(米子駅 - 広島駅間) …伯備線経由 1966年 - 1968年(「ちどり」に統合。その後も伯備線経由は1972年まで存続)
「いなば」(鳥取駅 - 広島駅間) …木次線経由 1966年 - 1968年(「ちどり」に統合)
「ちどり」(鳥取駅 - 広島駅間) …木次線経由 1966年 - 1990年(山陰本線直通期間。廃止は2002年)
「あきよし」(江津駅 - 日田駅間) …1966年 - 1985年
「ながと」(浜田駅 - 小倉駅間) …1985年 - 1992年
地域輸送[ソースを編集]
国鉄時代は、ほぼ全線を通して運転されるような長距離列車が多く見られ、京都発の普通客車列車の行先だけでも園部駅や福知山駅のみならず、豊岡駅・浜坂駅・鳥取駅・米子駅・出雲市駅・浜田駅などもあったが、現在はおおむね下記の区間に細かく運転系統が分かれている。
京都駅 - 園部駅間と鳥取駅 - 益田駅間では中距離・都市間の速達輸送を担う快速列車が運転されている。一方、園部駅 - 浜坂駅間でも2013年から一部の定期普通列車が快速列車に変更されているが、こちらは利用者の少ない駅を通過運転するものである。快速列車へ変更となった列車も引き続き他の普通列車と一体的な運行がなされている。
なお、京都駅 - 園部駅間をのぞき、ほとんどの区間の普通や快速列車でワンマン運転を行っている。
京都駅 - 園部駅間[ソースを編集]
詳細は「嵯峨野線#運行形態」を参照
嵯峨野線の愛称がある。アーバンネットワーク圏内のため旅客数・列車本数とも多く、朝ラッシュ時の輸送力は飽和状態に近い。2010年3月7日に京都駅 - 園部駅間の複線化(京都駅構内は単線)が完成した。
園部駅 - 福知山駅間[ソースを編集]
電化および高速化工事が行われ、特急の所要時間は短縮された。しかし、普通列車は行き違いや追い抜きのための停車時間が長くなり、また、区間内ではカーブが多く、速度制限があるため、所要時間はあまり短縮されていない。普通列車は1時間あたり1 - 2本程度が運転されており、一部をのぞきワンマン運転が実施されている。京都駅と直通している朝夕の一部列車をのぞいて園部駅 - 福知山駅間のみの運行を行っており、園部駅で嵯峨野線列車との接続は良好である。嵯峨野線およびこの区間においては特急優先度が高く、途中駅で追い抜かれることが多い(一例として胡麻駅では、日中の下り列車を中心に特急待避が行われている)。ただ上り列車の場合、日中を中心に福知山駅を特急の約10分後に出発し、かつ園部駅で嵯峨野線快速との接続がある列車に関しては、京都駅まで先行する(反対方向に対しても、京都駅を朝夕に出発する列車を中心に、福知山駅まで先行する)。
単線部の複線化については、京都府は2022年度を目標とする奈良線複線化事業後の着手を考えたいとしている[9]。
綾部駅 - 福知山駅間は舞鶴線と直通する列車も乗り入れて列車本数が多くなり、この区間は複線となっている。また、当路線の特急「きのさき」・福知山線の特急「こうのとり」と接続する舞鶴線直通の普通は「リレー号」として運転されている。
福知山駅 - 豊岡駅・城崎温泉駅間[ソースを編集]
福知山線の延長的存在として京都駅 - 園部駅間よりも早く電化されて、大阪・京都方面からの特急が多く運行されているが、高速化工事はされておらず、おもに福知山駅 - 上夜久野駅間では急曲線も連続することから特急も速度を落として運転している。この区間には対向列車待ち合わせのための宿南信号場がある。1996年3月15日までは大阪駅から福知山線経由で直通していた長距離普通列車も運転されていた。和田山駅 - 城崎温泉駅間では播但線の特急も乗り入れている関係や、観光シーズンになると臨時列車の運行や乗降に時間を要し、遅延が発生することが多い。
1時間あたり1 - 2本程度が運行されている。普通列車は一部をのぞきワンマン運転を実施している。朝5時台に豊岡駅 - 城崎温泉駅間の区間列車がある。
豊岡駅・城崎温泉駅 - 浜坂駅間[ソースを編集]
香住駅 - 鎧駅間を走るキハ47 139, 2010年5月
城崎温泉駅から先は非電化となり、本数も1 - 2時間に1本程度とローカル色がより濃くなる。この区間には対向列車待ち合わせのための相谷信号場があった。普通列車は一部をのぞきワンマン運転を実施している。この区間の普通列車は基本的に豊岡駅発着となる。この区間では2002年度の上半期に月一回の保守運休(代替バスなし)を行っていた。
かつてはこの区間にも特急「北近畿」との接続を目的として快速列車が運行されていた時期もあった。2011年4月からは、臨時快速として、豊岡駅 - 鳥取駅間に「山陰海岸ジオライナー」が土休日などに運行されている[10][11][12][13]。2012年春のダイヤ改正で、一部の駅を通過する普通列車が設定された。また、2013年春のダイヤ改正で、それらの列車を快速列車としている。
浜坂駅 - 鳥取駅間[ソースを編集]
県境を挟むこともあり、特急「はまかぜ」(1往復)をのぞけば、1・2両編成の普通列車が走るのみである。キハ47形気動車・キハ121系気動車が走る。普通列車は一部をのぞきワンマン運転を実施している。この区間にはスイッチバック式停車場となっている滝山信号場があるが、現在では対向列車待ち合わせの用途には使用されていない。
鳥取駅 - 米子駅間[ソースを編集]
この区間は再び幹線鉄道の様相を呈する。高速化工事により所要時間が短縮された海沿いのなだらかな区間(末恒駅 - 倉吉駅間以外にはトンネルが存在しない)を、鳥取県内・山陰両県の都市間輸送を担う特急やこれを補完する快速「とっとりライナー」が運行されている。また京阪神発着の特急も智頭急行経由で乗り入れることから、特に鳥取駅 - 倉吉駅間で列車本数が多く、普通列車は行き違いや追い抜きのための停車時間が長い。普通列車は倉吉駅で乗り換えとなるものもある。途中の伯耆大山駅から電化区間となり、伯備線の電車列車も乗り入れている。
米子駅 - 出雲市駅間[ソースを編集]
伯備線と同時に山陰本線で最も早く電化された区間であるが、普通列車の半数近くは気動車で運転されており、1時間あたり1本程度運行されている。一部の電車列車は伯備線に直通し、特急「やくも」も乗り入れる。平日は上りのみ快速「通勤ライナー」も運転されている。それ以外にも快速列車(「アクアライナー」と「とっとりライナー」)が運転されているが、この区間は例外なく各駅に停車する。宍道駅 - 松江駅間には木次線からの直通列車がある。
出雲市駅 - 益田駅間[ソースを編集]
この区間は再びローカル色が強くなるが、2001年7月7日に高速化工事が完成し、島根県内の都市間輸送を特急とともに行う目的で快速「アクアライナー」が運行されている。普通列車は浜田駅・江津駅で乗り換えとなるものが多く、浜田駅 - 益田駅間は運行本数が少なくなる。2006年7月18日から2007年6月15日まで三江線が不通になっていた関係で、1往復の列車が運休していたが運行再開に伴い該当列車も運行を再開した。再開と同時に三江線直通の普通列車も浜田行きが2本、浜原行きが1本を新設した(国鉄時代にこのような運転を行う列車が存在したため、正確には「復活」したことになる)。
益田駅 - 長門市駅間[ソースを編集]
島根県と山口県の県境を挟むこの区間は、山陰本線の中でもとりわけ乗客・本数ともに少なく、1日10往復足らずで、日中は4 - 5時間以上運転がない時間帯がある。多くの列車が益田駅 - 長門市駅間の運転となるが、益田駅 - 下関駅間を直通する列車や益田駅 - 東萩駅間および木与駅・東萩駅 - 長門市駅間、登校日の長門三隅発長門市行きの区間列車も設定されている。2005年2月末に特急「いそかぜ」が廃止されて以降、益田駅 - 下関駅間は特急列車はなく[注 2]、1 - 2両のワンマン運転となっている。JR西日本管内の地方交通線で見られるような20 - 30 km/h程度に速度を落として通過する曲線箇所が存在する(飯浦駅 - 江崎駅など)。
長門市駅 - 下関駅間[ソースを編集]
山陰本線は幡生駅までだが、列車は下関駅まで運転される。この区間は輸送力が低いとされ、かつては急行「あきよし」「さんべ」などのように長門市駅で分割し、美祢線経由で運転されるものもあった。
日中を中心にワンマン運転を実施しているが、奈古駅・長門市駅・滝部駅 - 下関駅間を直通する列車の場合、奈古駅・長門市駅・滝部駅 - 小串駅間までがワンマン運転で、小串駅 - 下関駅間は車掌が乗務する列車もある。ただ、下関市域、特に小串駅 - 下関駅間は、関門都市圏の都市圏輸送を担っていることもあって、1時間あたり1 - 2本程度は運行されている。輸送力調整のため、小串駅で乗り換えとなる列車も多く、小串駅 - 下関駅間では3・4両編成になることもある。
2005年9月30日までは、関門トンネルを抜けて、JR西日本管内小串・長門市方面と、門司駅・小倉駅などJR九州北九州市内の駅を結ぶ直通列車が運転されていたが、2005年10月1日のダイヤ改正以後は、全列車が下関駅折り返しとなっている。
この区間では、2017年8月5日からは観光列車「○○のはなし」が土日祝日に運行されている。2007年7月1日から2017年1月29日まで、観光列車「みすゞ潮彩」が運転されていた(土日祝日のみ快速運転。ただし運行上、2回通る幡生駅を1回通過するのみで、あとは各駅停車であった)。
「みすゞ潮彩」
2017年3月4日のダイヤ改正では、下関駅発上りの最終列車が23時台に引き下げられた。
長門市駅 - 仙崎駅間(仙崎支線)[ソースを編集]
1日6往復のみの運行となっている。観光列車「○○のはなし」(下関方面直通)をのぞく全列車がワンマン運転で、一部の線内折り返し列車をのぞき美祢線と直通運転する系統が基本である。これは仙崎支線がもともと美祢線の貨物支線として開業した経緯によるものである。
貨物列車[ソースを編集]
詳細は「伯備線#運行形態」を参照
日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車は2014年3月改正時点で、伯備線の延長のような形で伯耆大山駅 - 米子駅間で高速貨物列車が3往復運行されていた[14] が、2015年3月14日のダイヤ改正にて、伯耆大山駅のコンテナホームが供用を開始し、同駅に米子駅の機能を統合したため、これらの列車はすべて伯備線内折返しとなった。このため、山陰本線を走行する定期の貨物列車は全廃された[15]。なお、日本貨物鉄道における山陰本線の第二種鉄道事業免許についても、2015年4月1日付で廃止された[16][17]。
門司発福知山行き昼行普通列車「824列車」[ソースを編集]
下関駅に停車中の824列車(1978年撮影)
かつて、山陰本線・山陽本線の門司駅 - 福知山駅間には日本一の走行距離を有する普通列車が運行されていた。鉄道ファンはその列車番号で824列車と呼んでいた。
そもそも昭和30年代まで、日本国有鉄道(国鉄)においては特急・急行列車の本数が少なかった半面で、長距離の普通列車が設定されていた。1956年11月のダイヤ改正当時では、東海道本線・山陽本線では東京駅 - 門司駅間運転の111・112列車(東海道本線区間で夜行運転、運転区間の営業キロは1102.8 km。「ムーンライトながら」の項目も参照)、日本海縦貫線では大阪駅 - 青森駅間には羽越線を夜行で走る511・512列車、北陸線と奥羽線で2夜行になる513・514列車(運転区間の当時の営業キロは1055.6 km)が存在するといった具合である。
しかし、1961年10月に実施された「サンロクトオ」と呼ばれるダイヤ改正以降、国鉄では普通列車の乗客を新設ないしは増発した特急・急行列車に振り向けるため、これら長距離運転をする普通列車を削減するようになっていった。そして、その普通列車削減の流れが進んだ昭和50年代に、日本一の運行距離を有する普通列車となったのが、この824列車である。
1972年(昭和47年)3月15日ダイヤ改正以前には全線を直通する夜行列車826列車、829列車もあったが、夜行区間が急行に格上げ(「しまね」を経て夜行「さんべ」)されたり、夜行区間と昼行区間とが別列車に分断(夜行区間はのちの「山陰」)されて、この列車が残った。このため、本列車のスジ自体は山陰本線全通時にまでさかのぼる(戦時中は分断)が、日本最長となったのは、それまで最長だった大阪発新潟行きの普通列車が廃止された1972年10月のダイヤ改正[注 3] であった。
この列車は門司駅を朝5時30分ごろに発車し、福知山駅にはその日が終わるころに到着するもので、途中駅で特急・急行の待避や荷物輸送のための長時間停車をしていたこともあって、所要時間は約18時間半にもなり、表定速度は30km/hを若干上回る程度であった。また、客車はオハ35系・スハ43系・61系など手動扉の旧型のものが最後まで使用された。
その旧形客車の旅愁と運転区間が相まって、「乗り鉄」とも通称された鉄道旅行派のファンなどから注目される存在となり、宮脇俊三・種村直樹といった紀行作家による乗車記も書かれた。なお、上越新幹線開業に伴うダイヤ改正直前の1982年10月における、国鉄の長距離運行普通列車上位5位は以下のとおりである。
824列車:門司駅 - 福知山駅間 595.1 km
831列車:豊岡駅 - 門司駅間 535.2 km
726列車:浜田駅 - 大阪駅間 500.8 km
530列車:西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅) - 門司港駅(日豊本線経由)間 476.9 km
921・924列車「はやたま」:亀山駅 - 天王寺駅(紀勢本線経由)間運行 442.2 km
しかし客車の老朽化が進んだことと、国鉄合理化政策の一環として客車列車を気動車・電車化した上で運行距離を短縮する施策が取られるようになったことから、824列車は1984年2月のダイヤ改正で下関駅 - 出雲市駅間運行の824列車と、出雲市駅 - 福知山駅間運行の548列車に系統が分割された。その後、さらに列車の運行区間が細分化され、2006年現在では824列車が運行していた時間帯に該当する列車が存在しない区間もある[注 4]。
利用状況[ソースを編集]
各年度の平均通過人員、旅客運輸収入は以下の通り。
年度 平均通過人員(人/日) 出典
京都駅
- 園部駅間 園部駅
- 福知山駅間 福知山駅
- 城崎温泉駅間 城崎温泉駅
- 浜坂駅間 浜坂駅
- 鳥取駅間 鳥取駅
- 米子駅間 米子駅
- 出雲市駅間
2015 43,680 6,292 3,712 826 941 4,312 6,171 [21]
2016
年度 平均通過人員(人/日) 旅客運輸収入(万円) 出典
出雲市駅
- 益田駅間 益田駅
- 長門市駅間 長門市駅 - 小串駅
・長門市駅 - 仙崎駅間 小串駅
- 幡生駅間
2015 1,346 300 412 3,126 1,656,200 [21]
2016
使用車両[ソースを編集]
現在の使用車両[ソースを編集]
特急列車[ソースを編集]
289系電車
福知山駅 - 城崎温泉駅間(「こうのとり」)
287系電車
京都駅 - 城崎温泉駅間(「まいづる」「はしだて」「きのさき」「こうのとり」)
285系電車
伯耆大山駅 - 出雲市駅間(「サンライズ出雲」)
381系電車
伯耆大山駅 - 出雲市駅間(「やくも」)
キハ187系気動車
鳥取駅 - 益田駅間(「スーパーまつかぜ」「スーパーおき」)
キハ189系気動車
和田山駅 - 鳥取駅間(「はまかぜ」)
HOT7000系気動車
鳥取駅 - 倉吉駅間(「スーパーはくと」)
KTR8000形気動車
京都駅 - 福知山駅間(「まいづる」「はしだて」)
289系電車
287系電車
キハ187系気動車
キハ189系気動車
HOT7000系気動車
普通列車・快速列車[ソースを編集]
113系電車
綾部駅 - 城崎温泉駅間
115系電車
綾部駅 - 城崎温泉駅間
伯耆大山駅 - 米子駅 - 西出雲駅間
221系電車
京都駅 - 福知山駅間
223系5500番台電車
京都駅 - 城崎温泉駅間(京都駅 - 園部駅間は221系と併結運転)
キハ40系気動車 …電化前は京都駅 - 豊岡駅間でも使用
豊岡駅 - 浜坂駅 - 鳥取駅間の普通列車のほか、臨時快速「山陰海岸ジオライナー」でも使用
鳥取駅 - 米子駅 - 出雲市駅間
出雲市駅 - 浜田駅間
益田駅 - 幡生駅 - 下関駅間
キハ121系気動車
浜坂駅 - 鳥取駅間
キハ121系・キハ126系気動車
豊岡駅 - 鳥取駅間(臨時快速「山陰海岸ジオライナー」)
鳥取駅 - 米子駅・出雲市駅・西出雲駅間(快速「とっとりライナー」)
出雲市駅→米子駅間(快速「通勤ライナー」)
米子駅 - 浜田駅・益田駅間(快速「アクアライナー」)
キハ120形気動車
伯耆大山駅 - 米子駅間
松江駅 - 宍道駅間
出雲市駅 - 浜田駅 - 益田駅間
益田駅 - 長門市駅間
長門市駅 - 仙崎駅間
113系電車
115系電車
221系電車
223系5500番台電車
キハ40形気動車
キハ126系気動車
キハ121系気動車
貨物列車[ソースを編集]
EF64形・各種コンテナ貨車
伯耆大山駅 - 米子駅間
過去の車両[ソースを編集]
優等列車[ソースを編集]
183系電車
特急「まいづる」「はしだて」「きのさき」「こうのとり」「たんば」
キハ80系気動車
特急「あさしお」「まつかぜ」「はまかぜ」「やくも」「おき」
キハ181系気動車
特急「あさしお」「まつかぜ」「はまかぜ」「はくと」「いなば」「やくも」「くにびき」「おき」「いそかぜ」
キハ58系・キハ65形気動車
各急行列車
24系客車
寝台特急「出雲」(1・4号)
14系客車
寝台特急「いなば」→「出雲」(2・3号)、急行「だいせん」
12系客車
急行「だいせん」「さんべ」
20系客車
寝台特急「出雲」、急行「だいせん」「さんべ」
普通列車・快速列車[ソースを編集]
117系電車
キハ33形気動車
浜坂駅 - 鳥取駅間(2010年3月運用終了)
キハ58系気動車
50系客車
12系客車
貨物列車[ソースを編集]
DD51形・タキ1100形
益田駅 - 岡見駅間
183系電車
キハ82形気動車
キハ181系気動車
キハ65形気動車
キハ33形気動車
キハ58形気動車
歴史[ソースを編集]
京都鉄道の本社を兼ねていた二条駅の初代駅舎(1988年)
地元からの当初案
1893年の決定ルート
1903年のルート変更
1907年までの開業区間
1911年までの開業区間
1912年の京都・今市間全通
前史[ソースを編集]
明治の鳥取では、明治中期に県内の道路整備が行われたものの、県外との交通は海運が主流だった。1890年(明治23年)頃は、鳥取から大阪へは徒歩で約1週間、航路では瀬戸内海を経由して2週間ほどを要した。その航路も春は荒天で欠航が多かった[22]。
その頃までに、東京・神戸間や東京・仙台間に鉄道が開通していた。また1887年(明治20年)の私設鐵道條例によって全国で私鉄ブームとなった。山陰では、鳥取県と島根県の議員が合同で山陰地方への鉄道建設を目指すようになり、鳥取新報などの地元紙も山陰の鉄道に関する連載を行って地元世論を喚起した。1887年(明治20年)には早くも山陰と岡山を結ぶ路線が提唱された[22][23]。
さまざまなルート案[ソースを編集]
1890年(明治23年)から1891年(明治24年)にかけて鳥取・岡山の県議ら約250名が請願した「境港-米子-倉吉-津山-岡山」ルートの請願を出した。この頃の倉吉は木綿や農機具(千歯扱き)生産で栄えていて、これらを境港へ輸送する手段を求めていたのである[22][23]。
これに対し、日野郡出身で鉄を扱う商工業者らは中国鉄道株式会社を興し、鉄の輸送に便利な「境港-米子-根雨-津山-岡山」ルートを主張した[22]。
さらに倉敷方面と米子方面の有力者たちが「境港-米子-新見-倉敷-玉島」ルートを目指す期成会を結成した[22]。
鳥取市では「姫路-津山-鳥取」ルートを目指して市会の議決を行ったが、税負担を不服とする住民がこれに反対し、県へ問題を持ち込んだ。県、鳥取市長、鳥取市会の意見の隔たりが大きくなり、提訴や行政裁判が繰り返され、遂に市長と市議全員が総辞職する騒動になった[22]。
ひとまずのルート決定と中断[ソースを編集]
これらの様々なルートで競争が行われたが、1892年(明治25年)の鉄道敷設法では、舞鶴から鳥取、松江、浜田を経て山口を繋ぐ日本海側の縦断線や、いくつかの陰陽横断線が盛り込まれた。ただし、具体的なルートや着工の見通しはそれ以後の決定とされた。9種類ものルートが検討の対象となった[23]。
結局、1893年(明治26年)に官設の「境港-米子-鳥取-智頭-佐用-姫路」ルート、私鉄・中国鉄道の「米子-根雨-津山-岡山」ルートの建設が決まった。翌1894年(明治27年)には山陽鉄道が神戸・広島間を全通させ、山陰方面でも大いに期待が高まった。ところがその翌月、日清戦争が勃発し、山陰方面の鉄道建設は凍結になった[22]。
建設開始[ソースを編集]
戦争終結後、山陰方面の鉄道建設が再開されることになったが、より重要な路線を最優先で建設することとなった。再び建設ルートや官民どちらを優先するかで紛糾したが、最終的には「境港-米子-鳥取-智頭-佐用-姫路」ルートが優先されることになった。これには軍部の意向が働いていて、姫路の第10師団と鳥取の歩兵第40連隊、さらに重要港湾の境港の連絡路を優先したのだとみなされている[22][注 5]。
1900年(明治33年)の着工時点では、795万円の国費が予算として充てられた。工事は境港から始まったが、これは建設資材などを境港へ船で運び、そこから順次、先へ伸ばすのが輸送の面から合理的だったからである。建設工事は県内外から大量の人夫を集めたほか、米子方面の建築業者の成長を促した。境港から東へ向かうルートはしばらく平坦路で地盤もよく、工事は順調に進んで1902年(明治35年)に境港-御来屋間が開通した[26]。
建設ルート変更[ソースを編集]
このあと御来屋-八橋間の建設工事中に、帝国議会はルート変更を決めた。変更後のルートは「境港-米子-鳥取-和田山-福知山」となった。日露戦争を見据えた帝国議会が軍事上の最優先路線として、大阪と舞鶴軍港を結ぶルートの建設を急ぐことになり、これと連結することで姫路・大阪・舞鶴・鳥取・境港といった軍事拠点が一挙に連絡できるからである。また、まもなく米子から今市(出雲市駅)までの延長も決まった。さらに鉄道国有法によって、全路線が国有化されることになった。このときから、今市・香住間を「山陰西線」、香住・福知山間を「山陰東線」と称するようになり、「西線」の工事指揮のため米子に出張所がおかれた。この出張所が米子鉄道局に発展した[26]。
御来屋から東を目指す建設工事は、日露戦争中に一時的に中断があったものの急ピッチで進められた。このうち倉吉付近のルート選定については諸説ある。建設ルートは、倉吉市中心部を通るわけでもなく、江戸時代からこの地方の水運の拠点だった橋津を通るわけでもなく、両者の中間である上井を通ることになった。これは最短路というわけでもなく、迂回ルートとなっている。『鳥取県史』では、このルートは鉄橋やトンネルの建設が最小限で済む低コストのルートだったと説明している[26]。
「東線」に相当する区間では、京都鉄道が1899年(明治32年)までに京都・園部間を、園部・綾部間を国が建設した。福知山・綾部間は阪鶴鉄道の路線を延伸する形で舞鶴までを結ぶ阪鶴線の一部として1904年に開業した。京都鉄道・阪鶴鉄道の両社は国有化され、京都駅 - 綾部駅間が京都線として1910年に開通した。
京都・出雲市間の開通[ソースを編集]
建設ルートではにわか景気による様々な悲喜騒動があったものの、米子から鳥取までの工事は比較的順調にすすみ、1907年(明治40年)の皇太子(のちの大正天皇)行啓にあわせて「鳥取仮駅」(千代川左岸)まで開業した。さらに翌年に千代川の鉄橋完成により1908年(明治41年)に米子・鳥取間の開通となった[26]。
しかし鳥取と香住間は険しい山地を通るため難工事で、なかでも桃観トンネル・余部橋梁が最後になった。これらの完成を以って「西線」が開通したが、これは「東線」に比べて5ヶ月遅れてのことだった。こうして1912年(明治45年)3月1日に京都駅から出雲今市(出雲市駅)までが全通することになった。鳥取市で行われた開通式典には大隈重信、原敬など2600人が参加した。一番列車が来ると各駅で花火を打ち上げ、小学生の旗行列や大人の提灯行列で出迎えたという[26]。
山陰本線の開通は山陰地方を大きく変えた。それまで交通・運輸の中心だった海運は壊滅的に衰退し、多くの港町が荒廃した。村ごとにあった商工業者は京阪神の大手企業に太刀打ちできず、次々と消えていき、地方の小町村は「都会へ安価な労働力を提供する地」へと変わっていった。一方、京阪神地方からの旅行客が激増し、観光地や温泉地が飛躍的に発展した。また、農業・漁業・林業などの一次産業では、地元消費から京阪神へ出荷する商品の生産が大幅に伸びた。肉牛、二十世紀梨、繭などが増産されたほか、第一次世界大戦の好況も相まって、材木、パルプ、綿布、和紙の出荷が大きく増えた。これらにより、産業構造は一次産業偏重に大きく傾いていった[26]。
出雲今市以西[ソースを編集]
1915年までの開業区間
1921年までの開業区間
1925年までの開業区間
1930年までの開業区間
1933年の全通
出雲今市駅からは順次西へ延び、1928年に須佐駅まで延伸される。
宇田郷駅 - 正明市駅(現在の長門市) - 阿川駅間および正明市駅 - 仙崎駅は美禰線(美祢線)を延伸する形で1930年までに開業した。小串駅 - 幡生駅間は長州鉄道(小串駅 - 幡生駅 - 東下関駅)の一部を1925年に国有化したもので、国有化時に小串線となった。1928年には小串駅 - 阿川駅間が延伸された。1933年には須佐駅 - 宇田郷駅間が開業し、美禰線の宇田郷駅 - 正明市駅 - 阿川駅間・正明市駅 - 仙崎駅間と小串線を編入して京都駅 - 幡生駅間・正明市駅 - 仙崎駅間となった山陰本線が全通した。
なお、長州鉄道のうち、国有化されなかった幡生駅 - 東下関駅(現在の東駅)間については1926年に電化、翌々年の1928年には山陽電気軌道(サンデン交通の前身)へと譲渡され、同社の路面電車線と一体化して運営されるようになった。
年表[ソースを編集]
京都鉄道→京都線[ソースを編集]
1897年(明治30年)
2月15日:京都鉄道 二条駅 - 嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)間(3M65C≒6.14 km)が開業。二条駅・嵯峨駅が開業。
4月27日:大宮駅 - 二条駅間(2M4C≒3.30 km)が延伸開業。大宮駅・丹波口駅が開業。
11月16日:京都駅 - 大宮駅間(38C≒0.76 km)が延伸開業。官設鉄道(国鉄)京都駅に乗り入れ。
1898年(明治31年)1月1日:花園駅が開業。
1899年(明治32年)
8月1日:大宮駅が廃止。
8月15日:嵯峨駅 - 園部駅間(15M69C≒25.53 km)が延伸開業。亀岡駅・八木駅・園部駅が開業。
1902年(明治35年)11月12日:営業距離の単位をマイル・チェーンからマイルのみに簡略化(22M16C → 22.2M)。
1905年(明治38年)1月15日:大宮駅が再開業。
1907年(明治40年)8月1日:京都鉄道が国有化。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定、京都駅 - 園部駅間が京都線となる。
1910年(明治43年)8月25日:園部駅 - 綾部駅間(26.1M≒42.00 km)が延伸開業。日吉駅・胡麻駅・和知駅・山家駅が開業。
1911年(明治44年)9月16日:大宮駅が廃止。
阪鶴線(綾部駅 - 福知山駅間)[ソースを編集]
1904年(明治37年)11月3日:福知山駅 - 綾部駅 - 新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)間が開業(福知山駅 - 綾部駅間は7.7M≒12.39 km)。阪鶴鉄道に貸与。現在の山陰本線にあたる区間に綾部駅・石原駅・福知山駅が開業。
1907年(明治40年)8月1日:阪鶴鉄道が国有化。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定、神崎駅(現在の尼崎駅) - 福知山駅 - 綾部駅 - 新舞鶴駅間などを阪鶴線とする。
播但線(福知山駅 - 香住駅間)[ソースを編集]
1908年(明治41年)7月1日:和田山駅 - 八鹿駅間(7.5M≒12.07 km)が開業。養父駅・八鹿駅が開業。
1909年(明治42年)
7月10日:八鹿駅 - 豊岡駅間(10.7M≒17.22 km)が延伸開業。江原駅・豊岡駅が開業。
9月5日:豊岡駅 - 城崎駅間(6.0M≒9.66 km)が延伸開業。城崎駅(現在の城崎温泉駅)が開業。
10月12日:線路名称制定、飾磨駅 - 姫路駅 - 和田山駅 - 城崎駅間を播但線とする。
1911年(明治44年)10月25日:城崎駅 - 香住駅間(13.7M≒22.05 km)が延伸開業。支線 和田山駅 - 福知山駅間(19.0M≒30.58 km)も開業。上川口駅・下夜久野駅・上夜久野駅・梁瀬駅・竹野駅・佐津駅・香住駅が開業。
山陰本線(全通以前)[ソースを編集]
1902年(明治35年)
11月1日:境駅(現在の境港駅) - 米子駅 - 御来屋駅間が開業(米子駅 - 御来屋駅間は12M5C≒19.41 km)。現在の山陰本線にあたる区間に米子駅・淀江駅・御来屋駅が開業。
12月1日:熊党駅(現在の伯耆大山駅)が開業。
1903年(明治36年)
8月28日:御来屋駅 - 八橋駅間(11.0M≒17.70 km)が延伸開業。下市駅・赤碕駅・八橋駅(現在の浦安駅)が開業。
12月20日:八橋駅 - 倉吉駅間(9.7M≒15.61 km)が延伸開業。由良駅・倉吉駅が開業。
1904年(明治37年)3月15日:倉吉駅 - 松崎駅間(3.4M≒5.47 km)が延伸開業。松崎駅が開業。
1905年(明治38年)5月15日:松崎駅 - 青谷駅間(7.4M≒11.91 km)が延伸開業。泊駅・青谷駅が開業。
1907年(明治40年)4月28日:青谷駅 - 鳥取仮停車場間(12.9M≒20.76 km)が延伸開業。浜村駅・宝木駅・湖山駅・鳥取仮停車場が開業。
1908年(明治41年)
4月5日:鳥取駅 - 鳥取仮停車場間(1.1M≒1.77 km)、米子駅 - 安来駅間(5.5M≒8.85 km)が延伸開業。起点を境駅から鳥取駅に変更し、鳥取駅 - 安来駅間が本線、米子駅 - 境駅間が支線となる。鳥取駅・安来駅が開業。鳥取仮停車場が廃止。
11月8日:安来駅 - 松江駅間(12.5M≒20.12 km)が延伸開業。荒島駅・揖屋駅・馬潟駅(現在の東松江駅)・松江駅が開業。
1909年(明治42年)
3月11日:名和仮乗降場が開業。
10月12日:国有鉄道線路名称制定。鳥取駅 - 米子駅 - 松江駅間を山陰本線とする。
11月7日:松江駅 - 宍道駅間(10.6M≒17.06 km)が延伸開業。湯町駅(現在の玉造温泉駅)・宍道駅が開業。
1910年(明治43年)
6月10日:岩美駅 - 鳥取駅間(11.4M≒18.35 km)、宍道駅 - 荘原駅間(2.5M≒4.02 km)が延伸開業。岩美駅・荘原駅が開業。
10月10日:荘原 - 出雲今市間(7.2M≒11.59 km)が延伸開業。塩見駅(現在の福部駅)・直江駅・出雲今市駅(現在の出雲市駅)が開業。
1911年(明治44年)
10月1日:熊党駅を大山駅に改称。
11月10日:浜坂駅 - 岩美駅間(8.7M≒14.00 km)が延伸開業。浜坂駅・居組駅が開業。
1912年(明治45年)
1月31日:名和仮乗降場を仮停車場に変更し名和仮停車場が開業。
3月1日:香住駅 - 浜坂駅間(11.1M≒17.86 km)が延伸開業し京都駅 - 出雲今市駅間が全通。京都線全線、阪鶴線綾部駅 - 福知山駅間、播但線福知山駅 - 香住駅間を山陰本線に編入。鎧駅・久谷駅が開業。
3月2日:玄武洞仮停車場が開業。
5月1日:倉吉駅を上井駅に改称。
1913年(大正2年)11月21日:出雲今市駅 - 小田駅間(9.6M≒15.45 km)が延伸開業。知井宮駅(現在の西出雲駅)・江南駅・小田駅が開業。
1915年(大正4年)
3月10日:下北条駅が開業。
3月31日:米子駅 - 安来駅間に清水寺仮停車場が開業。
7月11日:小田駅 - 石見大田駅間(10.6M≒17.06 km)が延伸開業。田儀駅・波根駅・久手駅・石見大田駅(現在の大田市駅)が開業。
1917年(大正6年)
5月1日:大山駅を伯耆大山駅に改称。
5月15日:石見大田駅 - 仁万駅間(7.3M≒11.75 km)が延伸開業。五十猛駅・仁万駅が開業。
1918年(大正7年)
4月21日:玄武洞仮停車場が駅に変更され、玄武洞駅が開業。
11月25日:仁万駅 - 浅利駅間(11.9M≒19.15 km)が延伸開業。馬路駅・温泉津駅・黒松駅・浅利駅が開業。
1920年(大正9年)12月25日:浅利駅 - 都野津駅間(6.6M≒10.62 km)が延伸開業。石見江津駅(現在の江津駅)・都野津駅が開業。
1921年(大正10年)9月1日:都野津駅 - 浜田駅間(9.1M≒14.65 km)が延伸開業。波子駅・下府駅・浜田駅が開業。
1922年(大正11年)
3月10日:浜田駅 - 周布駅間(5.9M≒9.50 km)が延伸開業。石見長浜駅(現在の西浜田駅)・周布駅が開業。
9月1日:周布駅 - 三保三隅駅間(6.1M≒9.82 km)が延伸開業。三保三隅駅が開業。
1923年(大正12年)12月26日:三保三隅駅 - 石見益田駅(現在の益田駅)間(13.6M≒21.89 km)が延伸開業。山口線と接続。鎌手駅・石見津田駅が開業。
1924年(大正13年)4月1日:折居駅が開業。
1925年(大正14年)
3月8日:石見益田駅 - 石見小浜駅間 (6.1M) が延伸開業。石見小浜駅(現在の戸田小浜駅)が開業。
7月6日:湖山駅 - 宝木駅間に白兎仮停車場が開業。
10月10日:下山駅が開業。
11月1日:石見小浜駅が戸田小浜駅に改称。
1926年(大正15年)
4月1日:岡見駅が開業。
9月16日:静間駅が開業。
9月17日:大山口駅が開業。
1927年(昭和2年)6月19日:戸田小浜駅 - 飯浦駅間(2.3M≒3.70 km)が延伸開業。飯浦駅が開業。
1928年(昭和3年)
3月25日:飯浦駅 - 須佐駅間(7.7M≒12.39 km)が延伸開業。江崎駅・須佐駅が開業。
7月4日:八橋浜仮停車場(現在の八橋駅)が開業。
9月11日:末恒駅が開業。
10月25日:石見福光駅が開業。
1929年(昭和4年)
8月17日:嵯峨駅 - 馬堀駅間に松尾山信号場が開設。
12月25日:来待駅が開業。
1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(京都駅 - 須佐駅間 336.8M→542.0 km)。貨物支線 馬潟駅 - 馬潟港駅間 (1.0 km) が開業。貨物駅として馬潟港駅が開業。京都駅 - 丹波口駅間の貨物営業が廃止。
1931年(昭和6年)7月18日:諸寄仮停車場が開業。
美禰線[ソースを編集]
1924年(大正13年)11月3日:美禰線 正明市駅(現在の長門市駅) - 長門三隅駅間(3.2M≒5.15 km)が延伸開業。長門三隅駅が開業。
1925年(大正14年)
4月3日:長門三隅駅 - 萩駅間(11.6M≒18.67 km)が延伸開業。三見駅・玉江駅・萩駅が開業。
11月1日:萩駅 - 東萩駅間(2.3M≒3.70 km)が延伸開業。東萩駅が開業。
1928年(昭和3年)12月9日:支線 正明市駅 - 黄波戸駅間(3.3M≒5.31 km)が開業。黄波戸駅が開業。
1929年(昭和4年)
4月24日:東萩駅 - 奈古駅間(7.4M≒11.91 km)が延伸開業。長門大井駅・奈古駅が開業。
10月13日:支線 黄波戸駅 - 長門古市駅間(2.5M≒4.02 km)が延伸開業。長門古市駅が開業。
1930年(昭和5年)
4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(正明市駅 - 奈古駅間 24.5M→39.4 km、正明市駅 - 長門古市駅間 5.8M→9.4 km)。
5月15日:貨物支線 正明市駅 - 仙崎駅間 (2.2 km) が開業。貨物駅として仙崎駅が開業。
12月7日:長門古市駅 - 阿川駅間 (18.4 km) が延伸開業し小串線に接続。人丸駅・伊上駅・長門粟野駅が開業。
1931年(昭和6年)11月15日:奈古駅 - 宇田郷駅間 (11.0 km) が延伸開業。木与駅・宇田郷駅が開業。
長州鉄道→小串線[ソースを編集]
1914年(大正3年)4月22日:長州鉄道 東下関駅 - 幡生駅 - 小串駅が開業(幡生駅 - 小串駅間は14.8M≒23.82 km。現在の山陰本線にあたる区間に垢田口停留場・綾羅木駅・安岡駅・福江駅・吉見駅・梅ケ峠駅・黒井村駅・川棚温泉駅・小串駅が開業[27]。
1917年(大正6年)3月1日:垢田口停留場が廃止[28]。
1925年(大正14年)
6月1日:幡生駅 - 小串駅間が国有化され、小串線となる[29]。全線で0.1M(≒0.16 km)短縮。機関車4両、客車10両、貨車23両を引継ぐ[30]。
8月16日:小串駅 - 滝部駅間(9.4M≒15.13 km)が延伸開業。湯玉駅・長門二見駅・滝部駅が開業。
1928年(昭和3年)9月9日:滝部駅 - 阿川駅間(4.8M≒7.72 km)が延伸開業。特牛駅・阿川駅が開業。
1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(28.9M→46.4 km)。
全通以後[ソースを編集]
1933年(昭和8年)
2月24日:須佐駅 - 宇田郷駅間 (8.8 km) が延伸開業し京都駅 - 幡生駅間が全通。美禰線 宇田郷駅 - 正明市駅 - 阿川駅間、正明市駅 - 仙崎駅間と小串線全線を編入し京都駅 - 幡生駅間、正明市駅 - 仙崎駅間が山陰本線となる[31]。
7月26日:支線 正明市駅 - 仙崎駅間の旅客営業開始。
1935年(昭和10年)
5月1日:湯里駅が開業。
7月20日:馬堀駅・並河駅・千代川駅・吉富駅が開業。
10月1日:安岡駅 - 綾羅木駅間に梶栗駅が開業。
1936年(昭和11年)4月15日:松尾山信号場が駅に変更され、保津峡駅が開業。
1937年(昭和12年)4月10日:乃木駅が開業。
1938年(昭和13年)
6月1日:諸寄仮停車場が駅に変更され、諸寄駅が開業。
8月20日:八橋駅を東八橋駅に改称。八橋浜仮停車場が駅に変更され、八橋駅が開業。
1941年(昭和16年)8月10日:吉富駅・梶栗駅が休止。
1943年(昭和18年)10月1日:塩見駅 - 鳥取駅間に滝山信号場が開設。
1945年(昭和20年)
5月30日:綾羅木駅 - 幡生駅間に稗田信号場が開設。
11月14日:稗田信号場が廃止。
1946年(昭和21年)4月25日:和知駅 - 山家駅間に立木信号場が開設。
1947年(昭和22年):同年以降に石見益田駅 - 戸田小浜駅間に競馬場仮停車場が開業。廃止日不明。
6月26日:柴山駅が開業。
11月1日:立木信号場が駅に変更され、立木駅が開業。
1948年(昭和23年)10月13日:国府駅が開業。
1949年(昭和24年)
3月1日:塩見駅が福部駅に改称。
5月11日:湯町駅が玉造温泉駅に改称。
12月15日:東八橋駅が浦安駅に、石見長浜駅が西浜田駅に改称。
1950年(昭和25年)1月1日:東浜駅・大岩駅が開業。
1951年(昭和26年)
10月1日:吉富駅が再開。
11月1日:中山口駅が開業。
1953年(昭和28年)10月10日:船岡駅が開業。
1955年(昭和30年)
2月10日:名和仮停車場が駅に変更され、名和駅が開業。
8月1日:貨物支線 西浜田駅 - 浜田港駅間 (2.3 km) が開業。貨物駅として浜田港駅が開業。
1957年(昭和32年)
2月11日:安栖里駅が開業。
4月1日:出雲今市駅が出雲市駅に改称。
1958年(昭和33年)
2月12日:高津駅が開業。
7月19日:宇賀本郷駅が開業。
1959年(昭和34年)
3月1日:久代駅が開業。
4月1日:敬川駅が開業。
4月16日:餘部駅が開業。
1960年(昭和35年)4月1日:越ケ浜駅が開業。
1961年(昭和36年)
2月1日:千代川駅に行き違い施設が新設される[32]。
9月30日:国府駅に行き違い施設が新設される[32]
1962年(昭和37年)
11月1日:正明市駅が長門市駅に改称。
11月22日:伯耆大山駅 - 米子駅間に日野川信号場が開設。
12月1日:日野川信号場 - 米子駅間が複線化。
1963年(昭和38年)
1月28日:和田山駅 - 豊岡駅間で連査閉塞式が導入[33]。
6月1日:長門市駅 - 仙崎駅間の貨物営業が廃止。
7月20日:馬堀駅に行き違い施設が新設される[33]。
1964年(昭和39年)
1月21日:飯井駅が開業。
10月1日:清水寺仮停車場が廃止。清水寺信号場が開設。
1966年(昭和41年)
3月25日:京都駅 - 園部駅間で自動閉塞化[34]。
10月1日:石見益田駅が益田駅に改称。伯耆大山駅 - 日野川信号場間が複線化。日野川信号場が廃止。安栖里駅に行き違い施設が新設[35]。園部駅 - 綾部駅間が自動閉塞化[35]。
12月20日:船岡駅に行き違い施設が新設される[35]。
1967年(昭和42年)3月31日:綾部駅 - 和田山駅間が自動閉塞化[35]。
1968年(昭和43年)
3月23日:和田山駅 - 城崎駅間が自動閉塞化[34]。
9月18日:綾部駅 - 石原駅間が複線化。
9月23日:八鹿駅 - 江原駅間に宿南信号場が開設。
9月29日:城崎駅 - 香住駅間で自動閉塞化[34]。
1969年(昭和44年)
3月1日:白兎仮停車場が廃止。
9月26日:石原駅 - 福知山駅間が複線化。
1970年(昭和45年)
2月21日:玉造温泉駅 - 来待駅間が複線化。
6月1日:石見江津駅が江津駅に改称。
9月30日:香住駅 - 居組駅間が自動閉塞化[34]。
12月15日:福知山駅 - 居組駅間に列車集中制御装置 (CTC) が導入[36]。
1971年(昭和46年)2月1日:石見大田駅が大田市駅に改称。二条駅 - 福知山駅間に CTC が導入[37]。
1972年(昭和47年)2月14日:上井駅が倉吉駅に改称。
1973年(昭和48年)4月1日:馬潟駅が東松江駅に改称。
1974年(昭和49年)11月30日:蒸気機関車運転終了[38]
1975年(昭和50年)4月1日:貨物支線 東松江駅 - 馬潟港駅間 (1.0 km) が廃止。馬潟港駅が廃止。
1976年(昭和51年)
3月16日:京都駅 - 二条駅間が高架化。丹波口駅が移転。
12月1日:竹野駅 - 佐津駅間に相谷信号場が開設。
1977年(昭和52年)3月10日:松江駅付近が高架化。
1978年(昭和53年)11月8日:鳥取駅付近が高架化。
1979年(昭和54年)10月31日:東松江駅 - 松江駅間が複線化。
1980年(昭和55年)8月31日:奈古駅 - 長門大井駅間が災害で不通になる。10月に復旧するが再び不通になる。
1981年(昭和56年)3月5日:再度の土砂崩れで不通だった奈古駅 - 長門大井駅間が復旧。
1982年(昭和57年)
6月18日:清水寺信号場 - 安来駅間が複線化。
6月24日:米子駅 - 清水寺信号場間が複線化。清水寺信号場が廃止。
7月1日:伯耆大山駅 - 知井宮駅間が電化。特急「やくも」が電車化。神西駅(現在の出雲神西駅)が開業。
11月7日:貨物支線 西浜田駅 - 浜田港駅間 (2.3 km) が廃止。浜田港駅が廃止。
1985年(昭和60年)7月27日:竹野駅 - 佐津駅間に臨時駅として切浜海水浴場駅が開業。
1986年(昭和61年)
8月1日:切浜海水浴場駅が廃止。
10月29日:福知山駅 - 城崎駅間が電化。
11月1日:長門市駅 - 幡生駅間の貨物営業が廃止。
12月28日:鎧駅 - 餘部駅間の余部橋梁から、回送中の客車が転落する事故(山陰線余部鉄橋列車転落事故)が発生。
民営化以後[ソースを編集]
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が丹波口駅 - 二条駅間、湖山駅 - 出雲市駅間、江津駅 - 益田駅間の第二種鉄道事業者となる。二条駅 - 湖山駅間、出雲市駅 - 江津駅間、益田駅 - 長門市駅間の貨物営業が廃止。
1988年(昭和63年)3月13日:長門市駅 - 仙崎駅間でワンマン運転開始[39]。京都駅 - 園部駅間に「嵯峨野線」の愛称が付けられる。
1989年(平成元年)
3月5日:嵯峨駅 - 馬堀駅間が複線の新線に切り替え、1.6km短縮。旧線は廃線とせず存置。
3月11日:太秦駅が開業。
1990年(平成2年)
3月10日:京都駅 - 園部駅間が電化[40]。
6月1日:鉄道部制度が発足。和田山駅(構内のぞく)- 居組駅間が福知山支社直轄から豊岡鉄道部管理に、知井宮駅(構内のぞく)- 益田駅間が米子支社直轄から浜田鉄道部管理に移行[41]。豊岡駅 - 鳥取駅間、出雲市駅 - 益田駅間でワンマン運転開始[39]。
1991年(平成3年)
4月1日:第2次鉄道部の発足に伴い、園部駅(構内のぞく)- 福知山駅(構内のぞく)間が福知山支社直轄から舞鶴鉄道部管理に、居組駅(構内のぞく)- 伯耆大山駅(構内のぞく)間が米子支社直轄から鳥取鉄道部管理に、益田駅(構内のぞく)- 幡生駅(構内のぞく)間と長門市駅 - 仙崎駅間が広島支社直轄から長門鉄道部管理に移行[41]。園部駅 - 福知山駅間、益田駅 - 長門市駅間でワンマン運転開始[39]。
4月27日:嵯峨駅 - 馬堀駅間の旧線が嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線として開業(西日本旅客鉄道が第一種、嵯峨野観光鉄道が第二種鉄道事業者)。
11月1日:長門市駅 - 下関駅間でワンマン運転開始[39]。
12月1日:鳥取駅 - 米子駅間でワンマン運転開始[39]。
1992年(平成4年)4月1日:米子駅(構内のぞく)- 知井宮駅間が米子支社直轄から出雲鉄道部管理に移行[41]。
1993年(平成5年)3月18日:東山公園駅が開業。知井宮駅が西出雲駅に、神西駅が出雲大社口駅に改称。
1994年(平成6年)
7月23日 - 8月16日:竹野駅 - 佐津駅間に臨時駅として、きりはまビーチ駅が設置される[42]。以後も1996年まで夏季に営業。
8月1日:浜田駅 - 益田駅間でキハ120形気動車が使用開始[42]。
9月4日:嵯峨駅が嵯峨嵐山駅に改称。
9月23日 - 11月20日:京都駅 - 丹波口駅間に梅小路公園で開催された全国都市緑化フェア会場最寄りの臨時駅として緑化フェア梅小路駅が設置される[42]。
1995年(平成7年)
4月20日:綾部駅 - 福知山駅間が電化[40]。
7月27日:鳥取大学前駅が開業。
1996年(平成8年)
3月16日:園部駅 - 綾部駅間が電化。二条駅 - 花園駅間が高架化。殿田駅が日吉駅に改称。鍼灸大学前駅が開業。丹波口駅 - 二条駅間、米子駅 - 東松江駅間の貨物列車が廃止[注 6][43]。
8月21日:きりはまビーチ駅が廃止[44]。
1997年(平成9年)
3月22日:江津駅 - 岡見駅間の貨物列車が廃止。
10月1日:湖山駅 - 伯耆大山駅間の貨物列車が廃止。
1998年(平成10年)3月14日:出雲市駅付近が高架化。
1999年(平成11年)
3月13日:出雲大社口駅が出雲神西駅に改称[45]。
10月2日:福知山駅での特急・グリーン料金乗り継ぎ通算制度が導入[46]。
2000年(平成12年)9月23日:二条駅 - 花園駅間が複線化。円町駅が開業[47]。
2001年(平成13年)
3月3日:福知山駅 - 城崎駅間でワンマン運転開始[39]。
7月7日:安来駅 - 益田駅間の高速化工事が完成[注 7]。米子駅 - 出雲市駅間でワンマン運転開始[48]。
年月日不明:小串駅 - 幡生駅(構内のぞく)間が長門鉄道部から下関地域鉄道部管理に移管。
2002年(平成14年)8月30日:福知山駅 - 居組駅間で小規模線区自動進路制御装置 (SRC) が導入[49]。
2003年(平成15年)
10月1日:鳥取駅 - 米子駅間の高速化工事完成。
11月1日:京都駅 - 園部駅間においてICカード「ICOCA」利用開始。
2004年(平成16年)
4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(湖山駅 - 伯耆大山駅間)が廃止。
2005年(平成17年)
3月1日:城崎駅が城崎温泉駅に改称[50]。
11月26日:福知山駅付近が高架化[51]。
年月日不明:舞鶴鉄道部廃止に伴い、園部駅(構内のぞく)- 福知山駅(構内のぞく)間が福知山支社直轄に戻る[注 8]。
2006年(平成18年)4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(丹波口駅 - 二条駅間、東松江駅 - 出雲市駅間、江津駅 - 岡見駅間)が廃止。
2008年(平成20年)
3月15日:梶栗郷台地駅が開業。
3月23日:花園駅 - 太秦駅間が高架化。
5月25日:太秦駅 - 嵯峨嵐山駅間が高架化。
12月14日:馬堀駅 - 亀岡駅間が複線化[52]。
2009年(平成21年)
3月14日:八木駅 - 園部駅間が複線化[53]。
7月20日:京都駅 - 丹波口駅間が複線化[53]。
9月6日:並河駅 - 八木駅間が複線化[53]。
11月1日:亀岡駅 - 並河駅間が複線化[53]。
2010年(平成22年)
1月31日:丹波口駅 - 二条駅間が複線化[53]。
3月7日:花園駅 - 嵯峨嵐山駅間が複線化[53]。
6月1日:豊岡鉄道部が廃止され[39]、和田山駅(構内のぞく)- 居組駅間が福知山支社直轄に戻る[注 9]。
7月17日 - 8月11日:余部橋梁の架け替えのため香住駅 - 浜坂駅間で運休し、バス代行を実施[54]。
8月12日:コンクリートに架け替えた余部橋梁を供用開始[55]。
2013年(平成25年)
7月28日:島根県と山口県の大雨で須佐橋脚が沈下、須佐トンネルと大刈トンネルで土石流が発生し益田駅 - 長門市駅間で不通となる[56]。8月4日に奈古駅 - 長門市駅間が運転再開、宇田郷駅 - 奈古駅間で代行輸送開始、8月5日に益田駅 - 須佐駅間で代行輸送開始[57]。
8月24日:大雨により江津駅 - 浜田駅間で運転見合わせ(代行輸送を実施)、大田市駅 - 江津駅間では一部列車の運転取り止め[58][59]。
9月25日:江津駅 - 浜田駅間が運転再開[60]。
11月9日:益田駅 - 須佐駅間が運転再開[61]。不通区間は奈古駅 - 須佐駅間に短縮される。
2014年(平成26年)
4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(岡見駅 - 益田駅間 16.9 km)が廃止[62]。
8月10日:奈古駅 - 須佐駅間が運転再開[63]。
8月17日:16日からの京都府北部での集中豪雨の影響で、園部駅 - 和田山駅間が0時13分から不通となる[64][65]。
8月18日:園部駅 - 綾部駅間が運転再開[66]。
8月19日:綾部駅 - 和田山駅間が運転再開[67][68][69]。
2015年(平成27年)
3月14日:伯耆大山駅 - 米子駅間の貨物列車が廃止。山陰本線を経由する定期貨物列車が全廃される[15]。京都駅 - 福知山駅間で路線記号が本格導入開始[70]。
4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(伯耆大山駅 - 東松江駅間 27.1 km)が廃止[16][17]。
2016年(平成28年)
1月30日:田儀駅において山側の土砂が崩れ、海側の線路のみでの運用となり、行き違いができなくなったことでダイヤに大幅な影響が出る[71]。
2月4日:城崎温泉駅 - 益田駅間への路線記号・ラインカラーの導入が発表される[4]。
12月17日:伯耆大山駅 - 出雲市駅間においてICカード「ICOCA」利用開始。
2017年(平成29年)5月22日:益田駅 - 幡生駅と長門市駅 - 仙崎駅間に小規模自動進路制御装置(SRC) を導入[72]
駅一覧[ソースを編集]
営業中の区間[ソースを編集]
特急列車の停車駅は、#優等列車に挙げられている各列車記事参照。
線路 … ∥:複線区間、◇・|:単線区間(◇は列車交換可能)、∨:ここより下は単線、∧:ここより下は複線
営業キロは、仙崎支線をのぞいて京都駅からのキロ程。
京都駅 - 園部駅間[ソースを編集]
接続路線・快速停車駅などについては「嵯峨野線#駅一覧」を参照
全区間複線[注 10]・電化。( )内の数字は営業キロ。
京都駅 (0.0 km) - 丹波口駅 - 二条駅 - 円町駅 - 花園駅 - 太秦駅 - 嵯峨嵐山駅 - 保津峡駅 - 馬堀駅 - 亀岡駅 (20.2 km) - 並河駅 - 千代川駅 - 八木駅 - 吉富駅 - 園部駅 (34.2 km)
園部駅 - 城崎温泉駅間[ソースを編集]
停車駅
普通…すべての旅客駅に停車
快速列車…●印の駅は全列車停車、▲印の駅は一部の列車が停車、|印の駅は全列車通過。
嵯峨野線区間から乗り入れる快速(臨時列車除く)は、この区間内では普通列車扱いとして各駅に停車。逆にこの区間内で快速となる列車は、嵯峨野線区間では普通列車扱いとして各駅に停車する。
豊岡駅 - 城崎温泉駅間については、福知山方面からの電車快速についてのみ記載。
全区間電化
駅名・
信号場名 駅間営業キロ 営業キロ 快速 接続路線 線路 所在地
園部駅 - 34.2 ● 西日本旅客鉄道:E 山陰本線(嵯峨野線) ∨ 京都府 南丹市
船岡駅 4.0 38.2 ● ◇
日吉駅 3.7 41.9 ● ◇
鍼灸大学前駅 2.4 44.3 ● |
胡麻駅 2.8 47.1 ● ◇
下山駅 4.8 51.9 ● ◇ 船井郡
京丹波町
和知駅 6.7 58.6 ● ◇
安栖里駅 2.1 60.7 | ◇
立木駅 4.8 65.5 ▲ ◇
山家駅 3.5 69.0 | ◇ 綾部市
綾部駅 7.2 76.2 ● 西日本旅客鉄道:L 舞鶴線[* 1] ∧
高津駅 4.1 80.3 ● ∥
石原駅 2.5 82.8 ● ∥ 福知山市
福知山駅 5.7 88.5 ● ● 西日本旅客鉄道:G 福知山線
WILLER TRAINS(京都丹後鉄道):宮福線 ∨
上川口駅 6.7 95.2 ● ◇
下夜久野駅 7.2 102.4 ● ◇
上夜久野駅 7.4 109.8 ● ◇
梁瀬駅 5.8 115.6 ● ◇ 兵庫県 朝来市
和田山駅 3.4 119.0 ● 西日本旅客鉄道:J 播但線 ◇
養父駅 5.2 124.2 ● ◇ 養父市
八鹿駅 7.0 131.2 ● ◇
宿南信号場 - 134.5 | ◇
江原駅 7.5 138.7 ● ◇ 豊岡市
国府駅 3.7 142.4 ● ◇
豊岡駅 6.0 148.4 ● WILLER TRAINS(京都丹後鉄道):宮津線(宮豊線) ◇
玄武洞駅 5.3 153.7 | ◇
城崎温泉駅 4.3 158.0 ● 西日本旅客鉄道:A 山陰本線(鳥取方面) ◇
^ 舞鶴線の列車は一部が福知山駅へ乗り入れる
JR西日本直営駅(6駅)
園部駅・綾部駅・福知山駅・和田山駅・豊岡駅・城崎温泉駅の6駅
ジェイアール西日本福知山メンテックによる業務委託駅(3駅)
八鹿駅・江原駅・香住駅
簡易委託駅(4駅)
日吉駅・和知駅・梁瀬駅・養父駅
豊岡駅・城崎温泉駅 - 米子駅間[ソースを編集]
便宜上、気動車列車の系統上の起点となる豊岡駅から記載する。
停車駅
普通…すべての旅客駅に停車
快速列車…●印の駅は全列車停車、▲印の駅は一部の列車が停車、|・↑印の駅は全列車通過(↑は矢印の方向のみ運転)。
豊岡駅 - 浜坂駅間で快速(臨時列車除く)となる列車は、浜坂駅以西では普通列車扱いとして各駅に停車する。
浜坂駅 - 鳥取駅間で快速(臨時列車除く)となる列車は、当該区間以外は普通列車扱いとして各駅に停車する。
豊岡駅 - 城崎温泉駅間については、浜坂方面からの気動車快速についてのみ記載。
電化状況 駅名・
信号場名 駅間営業キロ 営業キロ 快
速 快
速
と
っ
と
り
ラ
イ
ナ
丨 接続路線 線路 所在地
電化 豊岡駅 - 148.4 ● 西日本旅客鉄道:E 山陰本線(福知山方面)
WILLER TRAINS(京都丹後鉄道):宮津線(宮豊線) ◇ 兵庫県 豊岡市
玄武洞駅 5.3 153.7 ▲ ◇
城崎温泉駅 4.3 158.0 ● ◇
非電化 竹野駅 8.0 166.0 ● ◇
佐津駅 7.4 173.4 ● ◇ 美方郡
香美町
柴山駅 2.3 175.7 ● |
香住駅 4.3 180.0 ● ◇
鎧駅 5.4 185.4 | |
餘部駅 1.8 187.2 ● |
久谷駅 4.6 191.8 | | 美方郡
新温泉町
浜坂駅 6.1 197.9 ● ● ◇
諸寄駅 1.9 199.8 ● |
居組駅 4.4 204.2 | |
東浜駅 3.3 207.5 ● ◇ 鳥取県 岩美郡
岩美町
岩美駅 4.4 211.9 ● ◇
大岩駅 2.9 214.8 ● |
福部駅 4.3 219.1 ● ◇ 鳥取市
滝山信号場 - 225.0 | ◇
鳥取駅 11.2 230.3 ● ● 西日本旅客鉄道:B 因美線 ◇
湖山駅 4.2 234.5 ▲ ◇
鳥取大学前駅 1.3 235.8 ● |
末恒駅 3.8 239.6 ▲ ◇
宝木駅 5.1 244.7 ▲ ◇
浜村駅 2.9 247.6 ● ◇
青谷駅 5.2 252.8 ● ◇
泊駅 6.1 258.9 ▲ ◇ 東伯郡
湯梨浜町
松崎駅 5.7 264.6 ▲ ◇
倉吉駅 5.5 270.1 ● ◇ 倉吉市
下北条駅 5.1 275.2 ▲ ◇ 東伯郡
北栄町
由良駅 4.9 280.1 ▲ ◇
浦安駅 5.7 285.8 ● ◇ 東伯郡
琴浦町
八橋駅 1.8 287.6 | |
赤碕駅 3.7 291.3 ● ◇
中山口駅 4.2 295.5 | | 西伯郡
大山町
下市駅 2.2 297.7 ▲ ◇
御来屋駅 5.9 303.6 ▲ ◇
名和駅 1.1 304.7 | |
大山口駅 4.1 308.8 ▲ ◇
淀江駅 3.9 312.7 ▲ ◇ 米子市
電化 伯耆大山駅 5.5 318.2 ● 西日本旅客鉄道:V 伯備線[** 1] ∧
東山公園駅 3.0 321.2 | ∥
米子駅 1.8 323.0 ● 西日本旅客鉄道:D 山陰本線(出雲市方面)・C 境線 ∥
米子駅 - 益田駅間[ソースを編集]
停車駅
普通…すべての旅客駅に停車
快速「とっとりライナー」(米子駅 - 出雲市駅間のみ)…すべての旅客駅に停車
快速列車…●印の駅は全列車停車、▲印の駅は一部の列車が停車、|・↑印の駅は全列車通過(↑は矢印の方向のみ運転)。
■印の駅は米子駅 - 大田市駅間の各駅に停車する下り列車、石見福光駅を除く益田駅 - 大田市駅間の各駅に停車する上り列車のみが停車
電化状況 駅名・
信号場名 駅間営業キロ 営業キロ 快
速
ア
ク
ア
ラ
イ
ナ
丨
下
り
快
速
ア
ク
ア
ラ
イ
ナ
丨
上
り
快
速
通
勤
ラ
イ
ナ
丨 接続路線 線路 所在地
電化 米子駅 - 323.0 ● ● ● 西日本旅客鉄道:A 山陰本線(鳥取方面)・V 伯備線[** 1]・C 境線 ∥ 鳥取県 米子市
安来駅 8.8 331.8 ● ● ● ∨ 島根県 安来市
荒島駅 4.8 336.6 ● ● ● ◇
揖屋駅 5.6 342.2 ● ● ● ◇ 松江市
東松江駅 3.1 345.3 ● ● ● ∧
松江駅 6.6 351.9 ● ● ● ∨
乃木駅 2.7 354.6 ● ● ↑ ◇
玉造温泉駅 3.9 358.5 ● ● ↑ ∧
来待駅 6.0 364.5 ● ● ↑ ∨
宍道駅 4.4 368.9 ● ● ● 西日本旅客鉄道:E 木次線 ◇
荘原駅 4.1 373.0 ● ● ● ◇ 出雲市
直江駅 6.1 379.1 ● ● ● ◇
出雲市駅 5.5 384.6 ● ● ● 一畑電車:北松江線 …電鉄出雲市駅 ◇
西出雲駅 4.8 389.4 ▲ ▲ ◇
非電化 出雲神西駅 2.0 391.4 ■ ↑ |
江南駅 2.1 393.5 ▲ ▲ ◇
小田駅 6.6 400.1 ■ ↑ |
田儀駅 3.9 404.0 ▲ ↑ ◇
波根駅 7.5 411.5 ▲ ▲ ◇ 大田市
久手駅 2.2 413.7 ■ ↑ |
大田市駅 3.5 417.2 ● ● ◇
静間駅 3.0 420.2 ↓ ■ |
五十猛駅 2.6 422.8 ↓ ■ ◇
仁万駅 6.1 428.9 ● ● ◇
馬路駅 3.0 431.9 ▲ ▲ ◇
湯里駅 2.9 434.8 ↓ ■ |
温泉津駅 3.1 437.9 ● ● ◇
石見福光駅 2.9 440.8 ↓ ↑ |
黒松駅 2.8 443.6 ▲ ▲ ◇ 江津市
浅利駅 4.4 448.0 ↓ ■ |
江津駅 6.3 454.3 ● ● 西日本旅客鉄道:F 三江線 ◇
都野津駅 4.4 458.7 ● ● ◇
敬川駅 1.8 460.5 ↓ ■ |
波子駅 2.8 463.3 ● ● ◇
久代駅 2.3 465.6 ↓ ■ | 浜田市
下府駅 4.1 469.7 ▲ ▲ ◇
浜田駅 3.6 473.3 ● ● ◇
西浜田駅 5.4 478.7 ● ● ◇
周布駅 4.1 482.8 ● ▲ |
折居駅 4.8 487.6 ● ● ◇
三保三隅駅 5.0 492.6 ● ● ◇
岡見駅 5.0 497.6 ● ▲ ◇
鎌手駅 5.1 502.7 ● ▲ ◇ 益田市
石見津田駅 4.5 507.2 ● ▲ ◇
益田駅 7.3 514.5 ● ● 西日本旅客鉄道:山陰本線(長門市方面)・山口線 ◇
^ a b 伯備線の列車は運転系統上は米子駅へ乗り入れる
JR西日本直営駅(14駅)
城崎温泉駅・鳥取駅・鳥取大学前駅・倉吉駅・伯耆大山駅・米子駅・安来駅・松江駅・宍道駅・出雲市駅・大田市駅・江津駅・浜田駅・益田駅
ジェイアール西日本福知山メンテックによる業務委託駅(2駅)
香住駅・浜坂駅
ジェイアール西日本米子メンテックによる業務委託駅(12駅)
岩美駅・湖山駅・浜村駅・青谷駅・由良駅・浦安駅・赤碕駅・揖屋駅・乃木駅・玉造温泉駅・仁万駅・三保三隅駅
簡易委託駅(6駅)
竹野駅・宝木駅・松崎駅・江南駅・温泉津駅・波子駅
益田駅 - 幡生駅間[ソースを編集]
便宜上、幡生側の全列車が乗り入れる山陽本線下関駅も合わせて記載する。
定期列車はすべて普通列車(すべての旅客駅に停車)
電化状況 駅名 駅間営業キロ 営業キロ 接続路線・備考 線路 所在地
非電化 益田駅 - 514.5 西日本旅客鉄道:D 山陰本線(浜田方面)・山口線 ◇ 島根県
益田市
戸田小浜駅 9.8 524.3 ◇
飯浦駅 3.7 528.0 |
江崎駅 5.8 533.8 ◇ 山口県 萩市
須佐駅 6.6 540.4 ◇
宇田郷駅 8.8 549.2 ◇ 阿武郡
阿武町
木与駅 6.4 555.6 ◇
奈古駅 4.6 560.2 ◇
長門大井駅 4.3 564.5 ◇ 萩市
越ケ浜駅 4.6 569.1 |
東萩駅 2.9 572.0 ◇
萩駅 3.8 575.8 ◇
玉江駅 2.4 578.2 |
三見駅 5.7 583.9 ◇
飯井駅 4.2 588.1 |
長門三隅駅 6.4 594.5 ◇ 長門市
長門市駅 5.1 599.6 西日本旅客鉄道:山陰本線支線(仙崎支線)・美祢線 ◇
黄波戸駅 5.3 604.9 |
長門古市駅 4.1 609.0 ◇
人丸駅 4.5 613.5 ◇
伊上駅 4.4 617.9 |
長門粟野駅 4.2 622.1 ◇ 下関市
阿川駅 5.3 627.4 ◇
特牛駅 3.7 631.1 |
滝部駅 4.0 635.1 ◇
長門二見駅 4.8 639.9 ◇
宇賀本郷駅 3.6 643.5 |
湯玉駅 2.2 645.7 ◇
小串駅 4.5 650.2 ◇
川棚温泉駅 2.7 652.9 |
黒井村駅 2.5 655.4 ◇
梅ケ峠駅 3.4 658.8 |
吉見駅 3.9 662.7 ◇
福江駅 2.9 665.6 |
安岡駅 2.6 668.2 ◇
梶栗郷台地駅 1.4 669.6 |
綾羅木駅 1.1 670.7 |
電化 幡生駅 3.1 673.8 西日本旅客鉄道:山陽本線(新山口方面) ∧
下関駅 3.5 677.3 (幡生駅 - 下関駅間は山陽本線)
九州旅客鉄道:山陽本線(門司方面) ∥
JR西日本直営駅
益田駅・長門市駅・下関駅
ジェイアール西日本広島メンテックによる業務委託駅
東萩駅・小串駅・綾羅木駅・幡生駅
残りの各駅は簡易委託駅または無人駅である(簡易委託駅のうち、江崎駅・須佐駅・奈古駅・滝部駅の4駅にはPOS端末を設置)。
仙崎支線[ソースを編集]
単線非電化(仙崎駅では列車交換不可)、両駅とも山口県長門市に所在
駅名 営業キロ 接続路線
長門市駅 0.0 西日本旅客鉄道:山陰本線(本線)・美祢線
仙崎駅 2.2
なお、仙崎駅は無人駅である。
廃止区間[ソースを編集]
( )内の数字は起点からの営業キロ。
貨物支線
東松江駅 (0.0 km) - 馬潟港駅 (1.0 km)
貨物支線(浜田港線)
西浜田駅 (0.0 km) - 浜田港駅 (2.3 km)
廃駅[ソースを編集]
( )内の数字は京都駅起点の営業キロ。
大宮駅:1899年廃止、京都駅 - 丹波口駅間(約0.8 km)
(臨)緑化フェア梅小路駅:1994年廃止、京都駅 - 丹波口駅間 (1.1 km)
(臨)切浜海水浴場駅:1986年廃止、竹野駅 - 佐津駅間
(臨)きりはまビーチ駅:1996年廃止、竹野駅 - 佐津駅間 (167.6 km)
鳥取仮停車場:1908年廃止、鳥取駅 - 湖山駅間(約232.0 km)
白兎仮停車場:1969年廃止、末恒駅 - 宝木駅間 (241.6 km)
(貨)米子駅:2015年廃止、米子駅 - 安来駅間(324.2 km)
清水寺仮停車場:1964年廃止、米子駅 - 安来駅間 (326.9 km)
競馬場仮停車場:廃止日不明、益田駅 - 戸田小浜駅間 (517.3 km)
梶栗駅:1941年廃止、安岡駅 - 綾羅木駅間 (669.4 km)
垢田口停留場:1917年廃止、綾羅木駅 - 幡生駅間(約673.2 km)
廃止信号場[ソースを編集]
( )内の数字は京都駅起点の営業キロ。
相谷信号場:2012年廃止、竹野駅 - 佐津駅間 (170.0 km)
日野川信号場:1966年廃止、伯耆大山駅 - 東山公園駅間 (320.2 km)
清水寺信号場:1964年廃止、米子駅 - 安来駅間 (328.0 km)
稗田信号場:1945年廃止、綾羅木駅 - 幡生駅間 (671.5 km)
過去の接続路線[ソースを編集]
福知山駅:北丹鉄道 - 1971年3月2日休止、1974年2月28日廃止
江原駅:出石鉄道 - 1944年5月1日休止、1970年7月20日廃止
岩美駅:岩井町営軌道(営業時) - 1944年1月11日休止、1964年3月27日廃止
倉吉駅:倉吉線 - 1985年4月1日廃止
米子駅:日ノ丸自動車法勝寺電鉄線(米子市駅) - 1967年5月15日廃止
荒島駅:一畑電気鉄道広瀬線 - 1960年6月19日廃止
出雲市駅:
一畑電気鉄道立久恵線 - 1964年7月19日休止、1965年2月18日廃止
大社線 - 1990年4月1日廃止
幡生駅:山陽電気軌道 - 1971年2月6日廃止
脚注[ソースを編集]
注釈[ソースを編集]
^ 支線を含む営業キロは東海道本線 713.6 km に次ぐ676.0 km。
^ 現在この区間の速達移動は山口線経由の特急「スーパーおき」(益田 - 新山口間)と山陽新幹線または山陽本線で補完する形となっている。
^ 歴代の最長距離普通列車は「過去の鉄道に関する日本一の一覧」を参照。
^ 2015年3月14日改正現在の日本最長距離を走る定期普通列車(快速列車含む)は、根室本線の滝川駅 - 釧路駅間(下りのみ)308.4 kmを8時間27分かけて走る普通列車2429D。[18][19][20]
^ 民間の中国鉄道は、既に自力で岡山・津山間の鉄道開通にこぎつけていたが、優先度を下げられたことで資金難に陥り、津山から先の延伸は長く凍結されることになった[24][25]。
^ 米子 - 東松江間の貨物列車1往復は、短距離であること、輸送量が減少していたことからトラック輸送に転換された。
^ 同日のダイヤ改正で米子駅 - 安来駅間も高速化されている。
^ 『データで見るJR西日本 2005』には記載されているが、『データで見るJR西日本 2006』には記載されていない
^ 『データで見るJR西日本 2009』には記載されているが、『データで見るJR西日本 2010』には記載されていない
^ ただし京都駅 - 京都貨物駅の分岐点間は単線。
出典[ソースを編集]
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^ ご利用可能エリア 近畿圏エリア|ICOCA:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
^ ご利用可能エリア 岡山・広島エリア│ICOCA:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
^ 近畿エリア・広島エリアに「路線記号」を導入します - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年8月6日
^ a b お客様によりわかりやすく鉄道をご利用いただくために米子支社エリアに「ラインカラー・路線記号」を導入します! - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2016年2月4日
^ JR西日本全域路線図 (PDF) - JRおでかけネット、2016年4月16日閲覧
^ 広島エリア路線図 (PDF) - JRおでかけネット、2016年3月28日閲覧
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^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
^ “府知事、JRに費用負担求めず 山陰線園部-綾部複線化”. 京都新聞. (2014年2月18日) “京都府議会本会議”. 平成25年2月定例会. (2014-02-18). "今度、山陰線の園部以北になって参りますと、そうしたことはほとんど期待せずに、公共団体、国と公共団体でこの事業をやっていくんだという気構えでやっていかなければならないと思っております。"
^ 臨時快速“山陰海岸ジオライナー”運転 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年4月7日
^ 平成23年 夏の臨時列車運転等のご案内 (PDF) - 西日本旅客鉄道米子支社プレスリリース 2011年5月20日
^ 平成23年 秋の臨時列車運転等のご案内 (PDF) - 西日本旅客鉄道米子支社プレスリリース 2011年8月24日
^ 平成24年 春の臨時列車運転等のご案内 (PDF) - 西日本旅客鉄道米子支社プレスリリース 2012年1月20日
^ 『貨物時刻表 平成26年3月ダイヤ改正』、鉄道貨物協会、2014年。
^ a b 平成27年3月時刻改正 新しい輸送サービスのご案内 (PDF) - 日本貨物鉄道(2014年12月19日付)、2014年12月21日閲覧。
^ a b 『貨物時刻表 平成27年3月ダイヤ改正』、鉄道貨物協会、2015年、 211-212頁。
^ a b 電気車研究会『平成二十七年度 鉄道要覧』p.14
^ 3月改正から距離も日本一…根室本線の「長〜〜い」鈍行に乗ってみた - レスポンス、2015年3月11日
^ JRダイヤ改正で「日本最長距離普通列車」山陽本線371Mが岡山〜徳山間に短縮 - マイナビニュース、2015年3月9日
^ 鉄道ニュース月報 (3) 山手線E235系、ついに姿を現す! ダイヤ改正で意外な発見 - 2015年3月 - マイナビニュース、2015年4月12日
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^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正14年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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参考文献[ソースを編集]
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川島令三編著『山陽・山陰ライン - 全線・全駅・全配線』7 広島エリア、講談社、2012年。ISBN 978-4-06-295157-9。
川島令三編著『山陽・山陰ライン - 全線・全駅・全配線』8 山口エリア、講談社、2012年。ISBN 978-4-06-295158-6。
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『みまさか鉄道ものがたり』,小西伸彦・著,みまさかローカル鉄道観光実行委員会・刊,2013,ISBN 978-4-86069-375-6
関連項目[ソースを編集]
ウィキメディア・コモンズには、山陰本線に関連するメディアがあります。
日本の鉄道路線一覧
山陰新幹線
山陰線支線の着工
国道9号:京都駅 - 益田駅間で並行する国道
国道191号:益田駅 - 下関駅間で並行する国道
砂になりたい:石川さゆりのシングル曲で、歌詞に「山陰本線」が登場
島根恋旅:水森かおりのシングル曲で、歌詞に「山陰本線」が登場
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表 話 編 歴
JR logo (west).svg 西日本旅客鉄道近畿統括本部
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表 話 編 歴
JR logo (west).svg 西日本旅客鉄道福知山支社
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表 話 編 歴
JR logo (west).svg 西日本旅客鉄道米子支社
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表 話 編 歴
JR logo (west).svg 西日本旅客鉄道広島支社
カテゴリ: 山陰本線近畿地方の鉄道路線中国地方の鉄道路線西日本旅客鉄道の鉄道路線日本国有鉄道の鉄道路線長州鉄道京都鉄道京都府の交通兵庫県の交通鳥取県の交通島根県の交通山口県の交通
志木市
しきし
志木市
Shiki Choshoin-Hatazakura 1.JPG
チョウショウインハタザクラ
Flag of Shiki, Saitama.svg
志木市旗
Emblem of Shiki, Saitama.svg
志木市章
市旗・市章、共に1970年(昭和45年)10月26日制定
国 日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
団体コード 11228-3
法人番号 4000020112283
面積 9.05km2
総人口 74,535人
(推計人口、2017年5月1日)
人口密度 8,240人/km2
隣接自治体 さいたま市、朝霞市、新座市、富士見市、
入間郡三芳町
市の木 モクセイ
市の花 ツツジ
他のシンボル なし
志木市役所
市長 [編集]香川武文
所在地 〒353-0002
埼玉県志木市中宗岡一丁目1番1号
北緯35度50分12秒東経139度34分49.1秒
志木市役所
外部リンク 志木市
志木市位置図
■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村
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志木市(しきし)は、埼玉県南部[1]にある人口約7万4千人の市である。
目次 [非表示]
1 概要
2 地理
2.1 隣接する自治体(行政区)
3 地名の由来
4 歴史
4.1 江戸時代
4.2 明治・大正時代
4.3 昭和 - 平成
5 人口
6 行政
6.1 歴代市長
6.2 行政機関等
6.2.1 市の機関
6.2.2 消防
6.2.3 警察
6.2.4 国の機関
6.2.5 その他
6.2.6 広域行政
7 経済
7.1 産業
8 姉妹都市・提携都市
9 地域
9.1 町名・大字
9.2 住宅団地
9.3 福祉・保育・健康
9.3.1 医療機関
9.3.2 保育施設
9.4 教育
9.5 郵政
10 交通
10.1 鉄道
10.2 バス
10.3 タクシー
10.4 道路
11 観光・史跡
11.1 文化財
11.2 桜
11.3 寺社
12 出身有名人
13 ゆかりのある人物
14 当市が登場する作品
15 その他
16 脚注
17 関連項目
18 外部リンク
概要[編集]
埼玉県南東部の荒川西岸に立地する市である。
江戸時代、市内を流れる新河岸川の舟運により引又河岸(現在の市役所付近の新河岸川周辺)が商業地として発展した。この周辺の経済基盤を背景として、大正期には東武東上線が誘致され、その開業と同時に志木駅が設置された。昭和後期には、館の柳瀬川河畔に志木ニュータウンが造成され柳瀬川駅が開業し、現在は東京圏のベッドタウンとなっている。
面積は日本の市の中で6番目に小さい。
全国に先駆け、2002年(平成14年)より市独自に小学校低学年の少人数学級を導入した[2]。ほかにも、新成人自らが毎年企画・運営して成人式を開催するなど、進んだ教育施策をとっている[3]。 こうした取り組みは、周辺自治体から一定の評価を受けたようで、2004年(平成16年)に内閣府経済社会総合研究所が全国自治体を対象に実施した「生活者の視点による地域活力・活性化に関するアンケート調査」において、当市は「目標とする自治体」の全国第4位となっている[4]。
地理[編集]
志木市柏町付近の柳瀬川(2009年4月)
市内を新河岸川および柳瀬川が流れ、両川は市内で合流する。市東端のさいたま市境には、一部を除き荒川が流れる。秋ヶ瀬橋の上流側で当市域の一部が東岸(左岸)に突き出ており、その突出部に秋ヶ瀬取水堰がある。
当市は荒川と新河岸川に挟まれた荒川低地、駅周辺を含む武蔵野台地、武蔵野台地が柳瀬川によって浸食されてできた柳瀬川低地の3つに分けることができる。荒川低地は標高5メートル程度、武蔵野台地は標高10-20メートルである[5]。
隣接する自治体(行政区)[編集]
朝霞市 - 当市南東側で隣接する。当市と一体化した市街地を形成。
さいたま市(桜区) - 市北側で、荒川を挟んで隣接する。羽根倉橋・秋ヶ瀬橋で接続され、バスも走る。但し、前者を渡る場合、渡る前に一旦富士見市南畑新田を通ることになる。
新座市 - 市南側で隣接し、その全域で一体化した市街地を形成。東武東上線志木駅や志木陸橋は新座市に位置する。その他「志木」を含んだ施設の名称は、新座市側でも多く見られる。
富士見市 - 市西側で隣接する。富士見市水谷東などでは当市市街に近く、繋がりが強い。
入間郡三芳町 - 市最南西端で柳瀬川を挟んで隣接し、隣接面は400mほど。唯一、志木大橋で結ばれている。
平成の大合併の折には新座市、朝霞市、和光市との合併計画があったが、住民投票の結果、和光市の賛同が得られず実現しなかった。
地名の由来[編集]
古代の律令制施行による国郡里制以来の旧郡「新座郡(にいくらぐん)」の「志木郷」に由来する。
1874年、いわゆる明治の大合併のとき、引又宿(ひきまた)と舘本村(たて)が合併することになったが、新村名を経済力に秀でた引又とするか歴史ある舘とするかで大もめとなり、県に仲裁を仰ぐこととなった。県は『和名抄』にあった「新座郡志木郷」の名を取って志木とすることを提案し、志木宿と名付けられた。後に、志木郷は現在の和光市白子だったことが判明し、誤って名付けてしまったことが分かった。その後、合併や分裂による町域の変更に伴い何度も町の名前が変わり、志紀町や足立町を名乗ったこともあったが、市制施行の際に志木市となった。
歴史[編集]
1351年(観応2年)12月19日 - 宗岡の羽根倉橋周辺にて羽根倉の戦いが起こり、足利尊氏方の高麗彦四郎経澄が足利直義方の難波田九郎三郎らを破る。
室町時代中期 - 山内上杉氏家臣の豪族大石顕重が居館として柏城を築く。
1524年(大永4年) - 大石信吉により柏城が改築され西の郭、大外堀が形成される。
1538年(天文7年) - 北条氏綱が国府台合戦で勝利したのを期に、大石定久は北条氏綱に降伏し、柏城が事実上北条氏の持ち城となる。
1561年(永禄4年) - 上杉謙信が大軍を率いて柏城に来攻。城主大石政吉が上杉軍に討たれる。
1590年(天正18年) - 小田原の役により、柏城が豊臣勢に攻められ落城する。
江戸時代[編集]
1643年(寛永20年) - 引又河岸が開設される。
1643年(寛永20年) - 三上又兵衛が引又初代名主となる。
1644年(寛永21年) - 三上廻漕問屋が開業。
1656年(明暦2年) - 川越藩の命により井下田廻漕問屋が開業。
1662年(寛文2年) - 旗本岡部忠直の家臣である白井武左衛門により、新河岸川にいろは樋が架設される。
1784年(天明4年) - 三上七郎右衛門、井下田藤左衛門、西川武左衛門、伊兵衛(姓不詳)の四軒の廻漕問屋が活躍する。
1864年(元治元年) - 三上七郎右衛門、井下田藤左衛門、西川重五郎ら三軒の廻漕問屋が活躍する。
明治・大正時代[編集]
1867年(明治元年) - 西川屋が廻漕業から遠ざかる。
1869年(明治2年) - 引又および舘は高崎藩、宗岡は前橋藩および品川県の管轄下に置かれる。
1871年(明治4年) - 廃藩置県により引又・舘・宗岡ともに入間県の所属となる。
1872年(明治5年)6月 - 高須庄吉が発起人となり、本町の敷島神社に田子山富士が築造される。
1873年(明治6年) - 熊谷県の所属となる。
1873年(明治6年) - 引又郵便取扱所が開設される。
1874年(明治7年)7月 - 志木地区および宗岡地区に小学校が開校し、それぞれ志木小学校および宗岡小学校と称する。
1874年(明治7年)9月 - 引又村および館村が合併し志木宿となる。
1875年(明治8年)1月1日 - 引又郵便局となる。同年、志木郵便局と改称する。
1876年(明治9年)8月21日 - 志木・宗岡ともに埼玉県の所属となる。
1876年(明治9年)12月19日 - 大和田警察署志木分署が開設される。
1876年(明治9年) - 上宗岡の浅間神社に富士塚が築造される。
1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法制定に伴い、新座郡志木宿となる。
1880年(明治13年) - 三上屋が廃業。その数年後に高須廻漕店が開業する。
1884年(明治17年)4月1日 - 志木消防組が設置される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され、志木宿が改められ新座郡志木町となる。
1893年(明治26年)1月1日 - 宗岡尋常小学校と改称する。
1894年(明治27年) - 宗岡尋常小学校の校舎が新築される。
1896年(明治29年)3月29日 - 新座郡が北足立郡と合併し、志木町の所属が北足立郡となる。
1896年(明治29年)7月9日 - 志木町郵便受取所(郵便局)が開設する。
1897年(明治30年)12月1日 - 第八十五国立銀行が志木町に支店を開設する。
1902年(明治35年)4月1日 - 志木尋常高等小学校と改称する。
1905年(明治38年)4月1日 - 宗岡尋常高等小学校と改称する。
1913年(大正2年) - 宝幢寺の境内に浦和治安裁判所志木出張所(登記所)が置かれる。
1914年(大正3年)5月1日 - 東上線が池袋駅 - 田面沢駅間で開業し、志木町に志木駅が設置される。
1914年(大正3年) - 志木に初めて電灯がつく。
1916年(大正5年)6月28日 - 浦和 - 志木間に乗合バスが開業する。
1921年(大正10年)2月 - 細田裁縫女学校(細田学園女子高等学校)が創設される。
1924年(大正13年)5月15日 - 志木 - 所沢間に乗合バスが開業する。
1924年(大正13年) - 志木町役場の庁舎が新築される。
昭和 - 平成[編集]
秋ヶ瀬取水堰
宗岡取水口
1929年(昭和4年)10月31日 - 宗岡閘門及び洗堰ができる。
1930年(昭和5年) - いろは橋が架設される。
1930年(昭和5年) - 新河岸川改修工事の竣工式が挙行される。
1931年(昭和6年) - 県の通船停止令により、新河岸川の舟運が終了する。
1936年(昭和11年) - 埼玉第一飛行場(のち浦和飛行場)が着工。
1937年(昭和12年)10月 - 松永安左エ門によって、東邦電力の研究施設として町内に「東邦産業研究所」が設立される。
1939年(昭和14年)4月7日 - 町立志木商業学校が創立される。
1944年(昭和19年)2月11日 - 北足立郡志木町および内間木村、入間郡宗岡村および水谷村が合併し、北足立郡志紀町が発足する。
1945年(昭和20年)4月3日 - 幸町一丁目に米軍B-29が時限爆弾を8発投下。後に爆発し民家の母屋と物置が吹き飛び、防空壕に避難していた5人が巻き込まれ死亡。
1947年(昭和22年)4月1日 - 志紀町に志紀中学校が開設される。
1947年(昭和22年)12月15日 - 慶應義塾獣医畜産専門学校が神奈川県川崎市から志紀町に移設される。
1948年(昭和23年)4月1日 - 志紀町が分離し、合併前の志木町、宗岡村、水谷村、内間木村となる(いずれも北足立郡)。町立志木商業学校の名称を町立志木高等学校と改める。慶應義塾獣医畜産専門学校を慶應義塾農業高等学校に改称する。
1949年(昭和24年)3月29日 - 町立志木高等学校を廃止し、その跡に志木中学校を移設する。
1949年(昭和24年)4月 - 志木公民館が落成される。
1951年(昭和26年)7月16日 - 宗岡公民館が落成される。
1954年(昭和29年)8月11日 - 県道新座川越線(通称防衛道路)が完成する。
1955年(昭和30年)5月3日 - 志木町と宗岡村が合併し、足立町が発足する。
1957年(昭和32年)4月1日 - 慶應義塾農業高等学校を普通科高校とし、名称を慶應義塾志木高等学校と改める。
1960年(昭和35年) - 立教高等学校が池袋から新座町に移転となり、これに合わせて志木駅に南口が開設される。
1960年(昭和35年)11月 - 埼玉県下で最も早く救急車が備えられる。
1964年(昭和39年)11月 - 水資源開発公団による秋ヶ瀬取水堰が完成する。
1965年(昭和40年) - 市場坂上付近の野火止用水が暗渠となり、道路が拡張される。
1965年(昭和40年)10月31日 - 志木電報電話局が開設される。
1965年(昭和40年)12月16日 - 幸町に国際興業バス川越営業所志木分車庫が開設される。
1967年(昭和42年)6月 - 足立町消防新庁舎を竣工する。
1967年(昭和42年)9月27日 - 足立町消防本部が設置される。
1968年(昭和43年)4月1日 - 志木第二小学校が開設される。
1969年(昭和44年)4月15日 - 柏町に第一保育所が開設される。
1970年(昭和45年)10月26日 - 市制施行に伴い名称変更、志木市となる。同時に、市章を制定する[6]。
1970年(昭和45年)3月31日 - 宗岡浄水場が完成する。
1972年(昭和47年)4月1日 - 中宗岡に第二保育所が開設される。
1972年(昭和47年)5月31日 - 現在の市庁舎が落成する。
1973年(昭和48年)4月1日 - 宗岡第二小学校および志木第二中学校が開設される。
1973年(昭和48年)11月1日 - 宗岡地区の町名が上宗岡・中宗岡・下宗岡・宗岡となる。
1973年(昭和48年)11月25日 - 第1回産業祭が開催される。
1974年(昭和49年)4月1日 - 埼玉県立志木高等学校が開校する。幸町に第三保育所が開設される。
1975年(昭和50年)4月1日 - 志木第三小学校および宗岡中学校が開設される。
1975年(昭和50年)4月11日 - 本町二丁目で大火があり、42世帯141人が被災する(志木大火)。
1976年(昭和51年)4月1日 - 下宗岡に第四保育所が開設される。
1977年(昭和52年)4月1日 - 宗岡第三小学校が開設される。
1977年(昭和52年)9月15日 - 長野県南佐久郡南牧村に志木市少年自然の家が完成する。
1978年(昭和53年)4月1日 - 志木市歌が制定される。第一保育所が中野保育園に、第二保育所が北美保育園に、第三保育所が西原保育園に、第四保育所がばんば保育園にそれぞれ改名される。
1978年(昭和53年)5月1日 - 市民会館が開館する。
1979年(昭和54年)2月9日 - 保健センターが開所する。
1979年(昭和54年)3月1日 - 志木地区の残りの町名が館になる。
1979年(昭和54年)4月15日 - 図書館と郷土資料館が開設される。
1979年(昭和54年)5月7日 - 市民救急病院が開設される。
1979年(昭和54年)8月 - 志木ニュータウンへの入居が始まる。
1979年(昭和54年)11月8日 - 東上線柳瀬川駅が開業し、西口が設けられる。
1979年(昭和54年)11月10日 - 消防自動車(はしご車)が備えられる。
1980年(昭和55年)1月29日 - いろは水門(旧宗岡閘門)が撤去される。
1980年(昭和55年)4月1日 - 志木第四小学校および三ツ木保育園が開設される。
1980年(昭和55年)4月23日 - 市民体育館が開設される。
1980年(昭和55年)7月23日 - 柳瀬川駅に東口が設置される。
1981年(昭和56年)4月1日 - 宗岡第四小学校が開設される。
1982年(昭和57年)4月1日 - 宗岡第二中学校が開設される。
1987年(昭和62年)8月25日 - 東武東上線と旧営団地下鉄有楽町線(現東京地下鉄有楽町線)の相互直通運転が開始される。
1988年(昭和63年)10月24日 - 志木郵便局が柏町四丁目から本町五丁目に移転する。
新河岸川と鯉のぼり
1990年(平成2年)4月24日 - 新河岸川における鯉のぼり掲揚が行われる。
1990年(平成2年)11月25日 - 志木市交響楽団の第1回演奏会が行われる。
1992年(平成4年)3月13日 - 柳瀬川図書館が開設される。
1992年(平成4年)3月25日 - せせらぎの小径が一部完成する。
1993年(平成5年)3月16日 - 国際興業バス川越営業所志木分車庫が西浦和営業所の開設に伴い移転のため閉鎖。
1993年(平成5年)8月19日 - 大相撲志木場所が行われる。
1997年(平成9年)8月4日 - 群馬県館林市と「大規模災害時における相互応援に関する協定」を締結する。
2000年(平成12年)2月24日 - 志木駅東口再開発ビルが竣工する。
2003年(平成15年)4月1日 - いろは遊学館が開設される。
2003年(平成15年)7月1日 - 本町にある朝日屋原薬局が国の登録有形文化財に登録される。
2005年(平成17年)3月31日 - ららぽーと志木が閉館する。
2005年(平成17年)8月25日 - 長沼明市長が財政非常事態宣言を発令する。
2006年(平成18年)1月17日 - 「災害時の食糧供給等の協力に関する協定」が山崎製パン埼玉第一工場と締結される。
2006年(平成18年)4月1日 - 「志木市立中学校通学選択の自由化」が開始される。
2006年(平成18年)7月1日 - 路上喫煙防止条例が施行される。
2007年(平成19年)4月1日 - 志木市立救急市民病院が志木市立市民病院と改称し、リハビリテーション科が設置される。
2007年(平成19年)8月25日 - 長沼明市長が財政非常事態の脱却を宣言する。
2008年(平成20年)4月17日 - 市町村で全国初となるねんきん特別便支援相談室を設置する。
2008年(平成20年)4月21日 - 長野県上水内郡飯綱町と「大規模災害時における相互応援に関する協定」を締結する。
2008年(平成20年)6月14日 - 東京メトロ副都心線が開業。同時に、東武東上線と東京メトロ副都心線の相互直通運転が開始される。
2008年(平成20年)10月3日 - 人口が7万人を突破。
2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で発生した津波が秋ヶ瀬取水堰に到達。
2013年(平成25年)7月30日 - 千葉県香取郡東庄町と「大規模災害時における相互応援に関する協定」を結ぶ。
2017年(平成29年)1月27日 - 山梨県富士吉田市と文化・観光交流協定を締結。
人口[編集]
Demography11228.svg
志木市と全国の年齢別人口分布(2005年) 志木市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 志木市
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
志木市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 32,047人
1975年 43,548人
1980年 50,925人
1985年 58,935人
1990年 63,491人
1995年 64,430人
2000年 65,076人
2005年 67,448人
2010年 69,607人
2015年 72,656人
総務省統計局 国勢調査より
行政[編集]
歴代市長[編集]
1948年(昭和23年)4月1日 : 志紀町が分離し、志木町を再置。
三上吉之助(1948年(昭和23年)4月1日 - 1948年(昭和23年)10月16日)
本吉信太郎(1948年(昭和23年)12月8日 - 1952年(昭和27年)12月7日)
井下田四郎(1952年(昭和27年)12月8日 - 1955年(昭和30年)5月2日)
1955年(昭和30年)5月3日 : 志木町と宗岡村が合併し、足立町が成立。
井下田四郎(1955年(昭和30年)6月6日 - 1957年(昭和32年)5月29日)
吉田成寿(1957年(昭和32年)7月1日 - 1961年(昭和36年)6月30日) 1期4年
小山正敏(1961年(昭和36年)7月1日 - 1970年(昭和45年)10月25日) 2期9年
1970年(昭和45年)10月26日 : 市制施行により、志木市となる。
小山正敏(1970年(昭和45年)10月26日 - 1985年(昭和60年)6月30日) 4期15年
細田喜八郎(1985年(昭和60年)7月1日 - 2001年(平成13年)6月30日) 4期16年
穂坂邦夫(2001年(平成13年)7月1日 - 2005年(平成17年)6月30日) 1期4年
長沼明(2005年(平成17年)7月1日 - 2013年(平成25年)6月30日) 2期8年
香川武文(2013年(平成25年)7月1日 - 現職)
行政機関等[編集]
市の機関[編集]
志木市役所
志木駅前出張所(フォーシーズンズ志木1階)
柳瀬川駅前出張所
志木市民体育館
志木市武道館
秋ヶ瀬スポーツセンター
いろは遊学館
志木市立図書館
宗岡公民館
宗岡第二公民館
市民会館
フォーシーズンズ志木ふれあいプラザ
子育て支援センター
児童センター
志木子育てサロン
福祉センター
第二福祉センター
志木市総合福祉センター
市民病院・総合健診センター
健康増進センター(旧保健センター)
西原ふれあいセンター
市立郷土資料館
市立埋蔵文化財保管センター
消防[編集]
埼玉県南西部消防本部(朝霞地区一部事務組合が運営している消防本部)
志木消防署
警察[編集]
志木市全域を朝霞警察署が管轄している。
志木駅東口交番
いろは橋交番
柳瀬川駅前交番
国の機関[編集]
さいたま地方法務局 志木出張所
その他[編集]
独立行政法人水資源機構 利根導水総合管理所 秋ヶ瀬管理所 秋ヶ瀬取水堰
広域行政[編集]
朝霞地区一部事務組合(朝霞市、志木市、和光市及び新座市の4市が設立している一部事務組合)
志木地区衛生組合(ごみ処理を目的として、志木市、新座市及び富士見市の3市で構成されている)
経済[編集]
面積が小さいため、人口だけ見ると近隣自治体に比べ少なめだが人口密度が非常に高く、志木駅周辺は近隣自治体も含め、この地域の中心的な商業地として発展を遂げている。志木駅周辺にはマルイファミリー志木(フォーシーズンズ志木)があり、志木駅改札口から東口に続く駅ビル「エキア志木」は複数の飲食店や専門店が並ぶ。志木駅東口周辺にはファストフードや居酒屋などの飲食店を中心に遊戯施設や小規模商店が並び、これらの商業施設は志木駅南口の新座市域の商業施設と併せて繁華街を形成している。
金融機関は志木駅東口の埼玉りそな銀行、本町ユリノ木通り沿いの武蔵野銀行、柳瀬川駅前の三井住友銀行のほか、川口信用金庫、東京信用金庫の各支店がある。戦前には浦和商業銀行、第八十五銀行の支店もあった。
江戸時代、運河や河岸の整備により舟運が隆盛し、府中街道と新河岸川の交点となった志木市市場坂上付近(引又河岸)は商品流通の拠点として栄え、交通の要衝となった。近代になって、志木の商人らが当初川越街道に並行して敷設予定であった東武東上線を誘致し、その開業と同時に志木駅を開設し、それ以来東上線の主要駅となり、東上線の特急・急行停車駅として認知されて来た。現在、商業の中心地は市場坂上から志木駅周辺に移行している。
当市は、こうした交通網を背景とする商業地の土地柄を基盤として発展し、戦後は東京のベッドタウンとして人口が急増した。近年、駅周辺を中心に分譲マンションが数多く建設され、人口が急増している。
産業[編集]
主要産業は商業である。市域の大部分は住宅地ならびに農地であり、工業地は少ない。かつては小松フォークリフトや日本レダリー、東洋キヤリア工業などの工業事業所があったが、いずれも既に撤退している。
市内に本社を置く主な企業
ジェイコム東上
東上ガス
朝霞製作所
姉妹都市・提携都市[編集]
アメリカ合衆国の旗 ワシントン・コート・ハウス市(アメリカ合衆国オハイオ州)
地域[編集]
町名・大字[編集]
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表 話 編 歴
Flag of Shiki Saitama.JPG 志木市の町・字
本町(ほんちょう):志木駅東口から志木市役所にかけてのエリア。住宅が密集し、商業施設のほか市民会館パルシティや志木消防署・志木郵便局などの公共施設も所在。
柏町(かしわちょう):柳瀬川駅東口から柳瀬川沿いにかけてのエリア。ほぼ全域が住宅地となっている。戦国時代に柏城が存在していた。
幸町(さいわいちょう):志木駅から西のエリア。近年区画整理され、マンションや新興住宅地が建設された。
館(たて):柳瀬川駅から南のエリア。全域が志木ニュータウンに属する。緑が多く、川沿いには桜並木がある。
上宗岡(かみむねおか):市北部、荒川と新河岸川の間が宗岡地区と呼ばれ、上宗岡はその北端に位置する。北部には浦和所沢バイパスが通る。
中宗岡(なかむねおか):宗岡地区の中央に位置し、志木街道が中心部を東西に抜ける。また、南北に和光富士見バイパスが建設されている。
下宗岡(しもむねおか):宗岡地区の南東に位置する。近隣では住宅地の中に、工場や農地も点在している。朝霞浄水場朝霞水路沈砂池がある。
宗岡(むねおか):荒川堤外の地域を指す。その大部分が農地で他に秋ヶ瀬運動公園、秋ヶ瀬取水堰がある。
住宅団地[編集]
志木柳瀬川住宅(館)
志木中宗岡住宅(中宗岡)
福祉・保育・健康[編集]
市は2つの福祉センター、健康センター、教育・福祉交流センター、総合福祉センターを有し、これら施設利用者を対象とした無料福祉バス「ふれあい号」を運行している。また高齢者や障害者に対する公共交通機関利用援助制度や自立支援制度、要介助者に対する日常生活支援制度、諸手当制度、ならびにこうした案件に関する相談窓口を設けている。
このほか、子育て支援政策の一環として、市内に3つの市立子育て支援センターおよび5つの市立保育園を有するほか、子供・乳幼児に対する医療補助支援制度および諸手当制度、母子・父子家庭に対する諸支援制度、保育制度、ならびにこれらの案件に対する相談窓口を設けている。
住民の平均年齢:41.3歳(男40.5歳、女42.1歳。平成18年1月1日現在)
医療機関[編集]
主な総合病院は以下のとおり。
TMG宗岡中央病院(旧・志木市立市民病院)
内科、小児科、外科、整形外科、リハビリテーション科
浅野病院
内科、循環器科、外科、整形外科、脳神経外科、皮膚科、泌尿器科
このほか、志木駅や柳瀬川駅周辺を中心にクリニックがある。また、市域が隣接する新座市東北一丁目には新座志木中央総合病院がある。
保育施設[編集]
志木市立いろは保育園
志木市立北美保育園
志木市立西原保育園
志木市立ばんば保育園
志木市立三ツ木保育園
志木市立館保育園
アスク志木駅前保育園
こどもの家・志木上宗岡
愛児舎アンファンシェリ
よつば保育園
教育[編集]
慶應義塾志木高等学校
全国に先駆けて、市独自に小学校低学年の少人数学級を敷いた。ほか、市教育体制の先進性は志木市の大きな特徴となっている。志木の発展の経緯から文教都市としても知られる。
高等学校
埼玉県立志木高等学校
慶應義塾志木高等学校
細田学園高等学校
中学校
志木市立志木中学校
志木市立志木第二中学校
志木市立宗岡中学校
志木市立宗岡第二中学校
小学校
志木市立志木小学校
志木市立志木第二小学校
志木市立志木第三小学校
志木市立志木第四小学校
志木市立宗岡小学校
志木市立宗岡第二小学校
志木市立宗岡第三小学校
志木市立宗岡第四小学校
幼稚園
足立みどり幼稚園
おおのみち幼稚園
泉幼稚園
細田学園幼稚園
みわ幼稚園
幸福の森幼稚園
志木なかもり幼稚園
郵政[編集]
郵便番号は市内全域が「353-00xx」である。
志木郵便局(風景印あり) - 志木市全域の集配を担当
志木館郵便局(風景印あり)
柳瀬川駅前郵便局(風景印あり)
志木宗岡郵便局(風景印あり)
志木上町郵便局(風景印あり)
交通[編集]
鉄道[編集]
東武鉄道 - 東上線
志木駅
志木市本町地区、幸町南部地区、宗岡地区の最寄駅。
志木駅舎および南口ロータリーは新座市域にある(志木駅創設時は駅舎は志木市域(現・マルイ志木付近)に立地し、南口は無く志木側の北口にのみ改札口があった)。
1970年の駅舎改築にともない所在地は志木市本町から新座市東北に変わった。
柳瀬川駅
志木市館地区、柏町地区、幸町北部地区の最寄駅。
中心となる駅:志木駅
バス[編集]
東武バスウエスト
国際興業バス
(市内路線バスの一覧は志木駅東口発バスのとおり)
ふれあい号(市福祉センター・保健センター等の福祉施設利用者のみ利用可)
タクシー[編集]
タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、川越市・所沢市・東松山市・飯能市・和光市などと同じエリアとなっている。
道路[編集]
一般国道
国道254号 和光富士見バイパス(未開通)
計画中の道路で、富士見川越バイパスから国道298号までの建設予定。建設予定地周辺には住宅地もあり、国道の地下化などが要望されている。
国道463号浦和所沢バイパス
市内北端をかすめている。現在は国道463号の本線であるが、かつて存在した埼玉県道2号浦和所沢線のバイパスとして建設されたため、「バイパス」という名称が付いている。
県道
主要地方道
埼玉県道36号保谷志木線
市内における通称は、「慶應通り」(慶應志木高校前)、「本町通り」(本町三丁目交差点から市場坂上交差点)、「宿通り」(中宗岡一丁目交差点から上宗岡二丁目交差点)。
市内を南から北へと抜け、当市の南側では朝霞・新座市域を抜けひばりが丘を経由し西東京市保谷町に至る。
埼玉県道40号さいたま東村山線
単独区間の通称は「いろは通り」(市場坂上交差点から秋ヶ瀬橋交差点)。
市内を南から東へと抜けるが、「本町通り」、「昭和新道」、「慶應通り」は埼玉県道36号保谷志木線との重複区間である。府中街道から中山道(国道17号)や浦和方面へのルートの一部であるが、一部では歩道が未整備となっている。志木市以外では支線を除いて「志木街道」と呼ばれている(一部通称のない区間もある)。江戸時代の府中通り大山道と似たルートをとっている。
埼玉県道79号朝霞蕨線
一般県道
埼玉県道112号和光志木線
市内における通称は「昭和新道」。
昭和新道交差点から東に向かい、朝霞を経て和光に至る。
埼玉県道113号川越新座線
市内における通称は「志木大通り(元々の通称:防衛道路)」(市場坂上交差点より西側)。
市場坂上交差点から上宗岡二丁目交差点間は東京都道・埼玉県道36号保谷志木線と兼ねる。当市の北側では富士見市を経て川越市小仙波交差点に至り、ここで国道16号に合流する。
埼玉県道244号志木停車場線
市道
ユリノ木通り(通称)[7]
市東部「昭和新道」の本町四丁目交差点から志木市本町を横断し、市西部の柏町六丁目富士見橋交差点間を結ぶ道路。
富士見橋交差点を直進すると柳瀬川を渡って富士見市に抜ける。
観光・史跡[編集]
長勝院旗桜(2012年4月)
河童の伝承[8][9]が残る街として知られ、市内のいたる所に河童像が点在している。観光資源は少ないが、柳瀬川沿いの桜並木は東武東上線沿線における著名な桜の名所である。そのほか、世界に1本しかないと注目されたチョウショウインハタザクラ(長勝院旗桜)や県の指定文化財である田子山富士塚(有形民俗文化財)[10]、国の登録有形文化財である朝日屋原薬局の建築物などがある。また、まちおこしの一環として、この旗桜にちなんだ商品が開発され市内の小売店で販売されている。
チョウショウインハタザクラにちなんだ商品
はたさくらまんじゅう(饅頭)
はたざくら最中(もなか)
旗桜(日本酒)
長年にわたり、市役所付近の新河岸川の春の風物詩となっていたこいのぼり掲揚を復活させて観光資源化する取り組みが行われている[11]。
文化財[編集]
登録有形文化財
朝日屋原薬局 - 明治20年代創業の薬局。現在も薬局の店舗として使用されている[12][13]。
県指定文化財
田子山富士塚 - 明治初期に本町の敷島神社に築造された富士塚[10]。
市指定文化財
チョウショウインハタザクラ(長勝院旗桜)
村山快哉堂
いろは樋の大枡
桜[編集]
市内には柳瀬川堤のソメイヨシノの桜並木やチョウショウインハタザクラに代表される桜の名所が多い。新河岸川堤(いろは親水公園)の桜並木や寶幢寺のシダレザクラなどは比較的広く知られているが、このほかにも各地域にそれぞれ桜の名所がある。このうち、柳瀬川および新河岸川の桜並木および敷島神社境内では桜の時期に桜まつりが催され、夜間はぼんぼりが灯され夜桜を鑑賞できる。
本町・宗岡地区
志木小・志木市民会館の桜
敷島神社の桜
いろは親水公園・新河岸川堤の桜
宗岡四小の桜
せせらぎの小径の桜並木(桜並木道)
道興准后の歌碑の桜
舘・柏町・幸町地区
長勝院の旗桜
寶幢寺の桜(シダレザクラ)
柳瀬川堤の桜(桜並木道)
志木二小・志木二中の桜(桜並木道)
寺社[編集]
本町
東明寺
立善講寺
御嶽神社
敷島神社 - 境内に県指定文化財の田子山富士塚がある。
柏町
寶幢寺 - 河童の伝承が残る寺院。三代将軍家光が鷹狩りの際休息した。
神明神社
舘氷川神社
長勝院跡 - 現在は御堂が取り壊され、敷地内に長勝院旗桜のみ残されている。
幸町
愛宕神社
大六天社
上宗岡
千光寺
大仙寺
羽根倉ノ浅間神社
上ノ氷川神社
中宗岡
実蔵院
宿ノ天神社
中ノ氷川神社
下宗岡
大日堂
下ノ氷川神社
出身有名人[編集]
アントニオ小猪木(お笑い芸人)
板倉俊之(インパルス)
桂文ぶん(落語家)
小坂忠(シンガーソングライター)
仙石廉(サッカー選手)
田中明彦(国際協力機構元理事長)
堤礼実(フジテレビアナウンサー)
トミー蘭(レフェリー、元全日本女子プロレスレスラー)
小野まりえ(女優)
永倉万治(作家)
中嶋ミチヨ(タレント)
原 昭二(薬学者、薬化学・有機化学専攻、平成5年紫綬褒章受章)原 昭二教授 研究業績抄
藤森奈津子(女流棋士)
舩山陽司(ラジオNIKKEIアナウンサー)
ホッピー神山(ミュージシャン)
三上雄石(連珠永世名人)
村山耕一(宮崎放送アナウンサー)
本岡なり美(フリーアナウンサー)
山口辰也(オートバイレーサー)
山崎賢一(プロ野球選手・元大洋)
釉木淑乃(小説家、永倉万治は兄)
田中正人(プロアドベンチャーレーサー)
ゆかりのある人物[編集]
相本久美子 - 少女時代、当市に在住
北川博敏(プロ野球選手・元オリックス) - 兵庫県伊丹市出身。中学1年時に当市へ転居してきた
サヘル・ローズ - 8歳で来日し、当市の小学校に転入した
式貴士(SF作家) - ペンネームが当市に住んでいた事に由来する
松永安左エ門(実業家) - 市内に「東邦産業研究所(現・慶応義塾志木高等学校寄贈)」を設立した
太田浩児(映画プロデューサー・映画監督)
当市が登場する作品[編集]
くノ一探偵局
レッドビッキーズ
志木おどり(島倉千代子)
その他[編集]
いろは樋 - 江戸時代から昭和にかけて使用された水路橋。
サテライト・オフィス - 当市にある会社が発祥とされている。
J:COM 東上 - 当市に本社を置くケーブルテレビ局である。
ららぽーと志木 - 旧称・志木ファイブ。2005年3月31日閉館。
猫の怪 - 志木市の伝承の一つ。
志木あらちゃん - 荒川にある秋ヶ瀬取水堰付近にアザラシが出没した。
脚注[編集]
^ 現行の5か年計画「ゆとりとチャンスの埼玉プラン」(計画期間:2007年度-2011年度)では、南西部に区分けされている。 地域別計画埼玉県ホームページ、2010年11月閲覧。埼玉県#10地域区分参照。
^ 志木市ホームページ(志木市教育委員会) 2010年10月閲覧。
^ 志木市ホームページ (志木市教育委員会) 2010年10月閲覧。
^ 生活者の視点による地域活力・活性化に関するアンケート調査結果(速報)について pdf(平成16年11月24日 内閣府経済社会総合研究所)p.72010年10月閲覧。
^ 『志木市地域防災計画』志木市防災会議、平成19年
^ 図典 日本の市町村章 p73
^ 志木市の「道」志木市
^ 『寓意草』、文化6年(1809年)発行
^ 『山島民譚集』柳田國男、大正3年(1914年)発行
^ a b 田子山富士保存会
^ 2009年(平成21年)1月29日 『毎日新聞』 毎日jp 地域ニュース 埼玉版
^ 朝日屋調査報告書(平成14年11月) (PDF)
^ かわら版「朝日屋原薬局」(2007年10月27日発行) (PDF)
関連項目[編集]
全国市町村一覧
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、志木市に関連するメディアがあります。
志木市
志木市観光協会(クリックすると音が出ます)
志木市・朝霞ポータル
Compass Rose English North.svg 富士見市 さいたま市 Compass Rose English North.svg
三芳町 北
西 志木市 東
南
新座市 朝霞市
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表 話 編 歴
埼玉県の旗 埼玉県の自治体と行政区