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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。
相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。
面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。
相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
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オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
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これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
佐賀電気軌道
肥前川上駅跡に建てられている川上軌道跡の石碑
佐賀電気軌道(さがでんききどう)は、かつて佐賀県佐賀市から佐賀郡川上村(現在の佐賀市)の間を結んでいた馬車鉄道・軽便鉄道の運営会社。後に、軽便鉄道線は電化されて路面電車になった。
鉄道省など他の路線には接しない孤立路線であったが、起点となる神野(こうの)と佐賀駅の間をバスで鉄道省列車に接続して連絡輸送を行っていた。しかし、バスに輸送を一本化する方針になったため廃線となった。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行概要
3 沿革
4 駅一覧
5 輸送・収支実績
6 車両
7 脚注
8 参考文献
路線データ[編集]
廃線時
路線距離:7.5km
軌間:1067mm
停留所数:6
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線直流600V
神野変電所、回転変流器(交流側380V直流側600V)直流側の出力200KW、常用日立製作所製、予備芝浦製作所製[1]
運行概要[編集]
1934年12月1日改正当時
運行本数:日中ほぼ16分間隔(なお、佐賀駅前 - 神野間は国鉄列車に接続してバス運行)
沿革[編集]
1913年(大正2年)10月10日 川上軌道により、蒸気機関車使用の軽便鉄道として神野 - 都渡城(ととぎ、後の肥前川上)間開通(軌間914mm)。
1917年(大正6年)1月27日 神野 - 中ノ小路間開通。
1919年(大正8年)12月1日 1904年(明治37年)に水ヶ江 - 諸富(筑後川畔)間の馬車鉄道を開通させていた佐賀馬車鉄道と合併、社名を佐賀軌道とする。
1927年(昭和2年)12月12日 佐賀電気軌道と社名改称。
1928年(昭和3年)6月26日 馬車鉄道と、軽便鉄道線の神野 - 中ノ小路間休止。
1930年(昭和5年)4月10日 残存路線を改軌電化し、路面電車となる。
1937年(昭和12年)2月26日 馬車鉄道・軽便鉄道の休止区間を廃止[2]。
1937年(昭和12年)8月20日 バスに転換して廃止[3]
駅一覧[編集]
廃線時
神野 - 上佐賀 - 高木瀬 - 三本松 - 肥前朝日 - 肥前川上
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 備考
1913 54,670 156 3,009 2,767 242 利子496 旧川上軌道
1914 323,174 325 19,521 10,746 8,775 利子608 旧川上軌道
1915 299,174 336 19,645 12,095 7,550 利子203 旧川上軌道
1916 292,267 120 20,295 13,195 7,100 旧川上軌道
1917 339,504 300 28,323 19,101 9,222 旧川上軌道
1918 345,985 985 32,763 23,547 9,216 旧川上軌道
1919 317,126 1,073 35,465 32,051 3,414 蒸気
408,286 971 40,348 35,121 5,227 馬車
1920 358,539 1,332 56,073 60,040 ▲ 3,967 蒸気
561,846 382 59,321 39,697 19,624 馬車
1921 326,260 842 60,921 54,022 6,899 蒸気
489,436 443 63,329 47,249 16,080 馬車
1922 352,305 6,192 64,473 51,359 13,114 蒸気
573,239 305 65,840 51,406 14,434 馬車
1923 367,276 2,449 55,572 46,700 8,872 蒸気
446,723 675 54,929 39,963 14,966 馬車
1924 315,345 1,264 54,352 45,016 9,336 蒸気
460,712 508 48,960 40,377 8,583 馬車
1925 314,462 709 48,997 41,046 7,951 蒸気
388,457 335 46,738 35,489 11,249 2,096 馬車
1926 713,346 2,442 89,910 80,477 9,433 58 雑損378 1,268
1927 689,619 2,654 85,562 78,915 6,647 153 雑損415 4,058
1928 433,901 3,871 55,277 49,793 5,484 自動車692 雑損及差損金6,123 2,645
1929 120,113 117 16,640 21,943 ▲ 5,303 自動車7,494 雑損592 4,738
1930 246,664 29,407 44,905 ▲ 15,498 自動車11,086 雑損329 10,087
1931 371,586 377 38,963 64,161 ▲ 25,198 自動車17,294 雑損及訴訟費293 14,018
1932 529,695 446 40,530 55,339 ▲ 14,809 自動車及雑損181,458 19,615
1933 554,255 509 57,304 46,309 10,995 自動車4,911 雑損31,654 3,670
1934 564,811 454 45,234 37,533 7,701 雑損償却金15,819自動車11,561 497
1935 495,114 491 56,206 39,104 17,102 雑損779自動車8,866 29,457
1936 387,356 449 36,020 74,792 ▲ 38,772 雑益58,858 雑損19,425自動車15,115 174
1937 156,158 177 22,786 47,121 ▲ 24,335 雑損22自動車4,997
鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両[編集]
電化にあたり汽車製造より木造単車(定員50人)6両を購入している。また、1935年に鹿本鉄道よりガソリンカージハ2を譲り受ける認可を得ている。この電車の購入に関与したのは、汽車製造の代理店奥村商会の奥村競であった。奥村は先に札幌郊外電気軌道に汽車製造の電車を売り込み次いで社長となり、さらにガソリンカーを貸付け法外な使用料をとっていた[4]。その奥村が佐賀電気軌道においてもガソリンカー導入時の社長[5]となる。
脚注[編集]
^ 『電気事業要覧. 第25回 昭和9年3月』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道営業廃止」『官報』1937年3月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 1935年時点で営業キロ28キロ、保有車両17台。『全国乗合自動車業者名簿 : 昭和10年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 札幌郊外電気軌道キハ1形気動車を参照
^ 『日本全国諸会社役員録. 第43回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
和久田康雄『日本の市内電車-1895-1945-』、 成山堂書店 、2009年
湯口徹『内燃動車発達史 上巻』ネコパブリッシング、2004年、312頁
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表 話 編 歴
日本の路面電車
公営
札幌市 - 函館市 - 東京都 - 熊本市 - 鹿児島市
第3セクター等
宇都宮ライトレール(計画中) - 富山ライトレール(富山港線) - 万葉線(高岡軌道線) - とさでん交通
民営
東京急行電鉄(世田谷線) - 富山地方鉄道(市内線) - 豊橋鉄道(東田本線) - 福井鉄道(福武線) - 京阪電気鉄道(京津線 - 石山坂本線) - 京福電気鉄道(嵐山本線) - 阪堺電気軌道 - 岡山電気軌道 - 広島電鉄 - 伊予鉄道(松山市内線) - 筑豊電気鉄道(筑豊電気鉄道線) - 長崎電気軌道
過去の公営
秋田市 - 仙台市 - 川崎市 - 横浜市 - 富山市 - 名古屋市 - 京都市 - 大阪市 - 神戸市 - 呉市
過去の民営
旭川市街軌道 - 旭川電気軌道(東川線・東旭川線) - 札幌温泉電気軌道 - 登別温泉軌道 - 大沼電鉄 - 花巻電鉄 - 松島電車 - 福島交通(飯坂東線) - 塩原電車 - 茨城交通(水浜線) - 吾妻軌道 - 東武鉄道(高崎線・前橋線・伊香保線・日光軌道線) - 本庄電気軌道 - 常南電気鉄道 - 西武鉄道(大宮線) - 成宗電気軌道 - 箱根登山鉄道(小田原市内線) - 新潟交通(電車線) - 山梨交通(電車線) - 松本電気鉄道(浅間線) - 上田温泉電軌(青木線・西丸子線) - 伊豆箱根鉄道(軌道線) - 静岡鉄道(清水市内線・静岡市内線・秋葉線) - 名古屋鉄道(岡崎市内線・起線・美濃町線・岐阜市内線・田神線) - 岩村電気軌道 - 北陸鉄道(金沢市内線・金石線・松金線) - 桑名電軌 - 三重交通(神都線) - 南海電気鉄道(平野線・和歌山軌道線) - 阪神電気鉄道(北大阪線・国道線・甲子園線) - 播電鉄道 - 米子電車軌道 - 岩国電気軌道 - 山陽電気軌道 - 高松琴平電気鉄道(市内線) - 琴平参宮電鉄 - 西日本鉄道(北九州線・福岡市内線・大牟田市内線・福島線) - 門司築港 - 筑後軌道 - 佐賀電気軌道 - 肥前電気鉄道 - 大分交通(別大線) - 沖縄電気
関連項目
軌道法 - 鉄道事業法 - ライトレールトランジット - 無軌条電車 - 併用軌道 - 専用軌道 - 軽便鉄道 - 人車軌道 - 馬車軌道
カテゴリ: かつて存在した日本の軌道事業者かつて存在した路面電車路線日本の軽便鉄道馬車鉄道九州地方の鉄道路線 (廃止)佐賀県の交通史かつて存在した日本のバス事業者
肥前電気鉄道
[隠す]肥前電気鉄道
路線総延長 9.8 km
軌間 1067 mm
電圧 600 V 架空電車線方式(直流)
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
uexKBHFa
0.0 嬉野
uexBHF
0.9 下宿
uexBHF
2.1 今寺
uexBHF
3.0 式浪
uexBHF
4.6 大草野
uexBHF
6.2 橋山
uexBHF
7.0 美野
uexBHF
8.3 宮ノ元
uexSTRlg uexSTR
9.8 塩田
uexSTR
祐徳軌道
uexSTR
↓武雄方面
肥前電気鉄道(ひぜんでんきてつどう)は、かつて佐賀県藤津郡塩田町および嬉野町(現在はいずれも嬉野市)内において運行されていた軌道 - 鉄道路線(路面電車)およびその運営事業者である。
目次 [非表示]
1 概要
2 路線データ
3 運行概要
4 沿革
5 停留所一覧
6 接続路線
7 車両
7.1 電車
7.2 貨車
8 輸送・収支実績
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
概要[編集]
九州鉄道(初代)が、現在の九州旅客鉄道(JR九州)佐世保線・大村線・長崎本線にあたる山口駅(現・肥前山口駅) - 諫早駅間ルートを建設する際、温泉宿に泊まるものがいなくなって街が寂れることを懸念した嬉野町は、当初同町中心部に路線が通される予定であったものを一蹴してしまい、後になって鉄道の至便性を見て大きく悔いたといわれる。鉄道忌避伝説の一種である。
真偽はともかく嬉野では、高橋駅 - 武雄駅前駅 - 塩田駅 - 祐徳門前駅間の鉄道路線を開業させていた祐徳軌道(1904年(明治37年)開業、1931年(昭和6年)廃止)に接続させる形で、塩田 - 嬉野間に電気鉄道線を建設することにした。こうして開業したのが肥前電気鉄道である。鉄道事業のほか、自社で発電所を保有し、沿線の藤津郡全域と近隣の杵島郡および長崎県東彼杵郡の一部地域において電気事業も行っていた。
しかし経営は思わしくなく、1920年代には兼業の電気事業の収益により業績を維持していたが、昭和恐慌により電力需要が下がり業績が落ち込んでいった。加えてバスの発達により輸送人員が減少し、さらに祐徳軌道の廃止が決定打となり1931年(昭和6年)に全廃された。末期には会社は東邦電力の傘下に入っていた。
計画では嬉野から先、長崎本線(当時)彼杵駅までの建設も予定されており、工事も実施されたが、資金難により未完成のまま中止された。また嬉野と長崎本線武雄駅(現・武雄温泉駅)を結ぶ路線の免許も取得していたが、着工に至らず免許取消しとなった。
路線データ[編集]
1925年(大正14年)当時
路線距離:嬉野 - 塩田間 9.7km
軌間:1067mm
停留所数:9
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線直流600V
嬉野変電所、常用、電動発電機(交流側3300V直流側550V)直流側の出力65KW、製造所奥村電気、予備、電動発電機(交流側3300V直流側550V)直流側の出力65KW、製造所日立製作所[1]
運行概要[編集]
1930年(昭和5年)4月1日当時
21往復(6-22時台に、朝時間帯は毎時2往復、その他は毎時1往復)
沿革[編集]
1908年(明治41年)11月30日 長崎県東彼杵郡彼杵村(現・東彼杵町)蔵本郷から嬉野・塩田・北方駅を経由し、佐賀県小城郡北多久村(現・多久市)莇原(多久駅付近)に至る26マイル75チェーン (43.3km) の軌道路線(軌道法準拠)の特許を嬉野電車軌道の名で出願
1909年(明治42年)7月1日 嬉野電車軌道が上記特許を取得[2]
1911年(明治44年)2月28日 肥前電気軌道株式会社として会社設立。社長は天狗煙草の岩谷松平[3]
1912年(明治45年)6月12日 塩田から杵島郡武雄町(現・武雄市)に至る路線の特許を取得
1913年(大正2年)
4月5日 塩田 - 武雄間を軌道から軽便鉄道(軽便鉄道法準拠)に変更、特許を返納し免許を取得[4]
6月14日 塩田 - 北多久間の起業廃止、特許返納
1915年(大正4年)
11月25日 社名を肥前電気鉄道株式会社に変更
12月21日 塩田 - 嬉野間開業
1917年(大正6年)4月18日 新彼杵(彼杵駅に隣接) - 塩田間の免許を取得(軽便鉄道法準拠)[5]
1918年(大正7年)
1月28日 塩田 - 武雄間の免許失効[6]
2月1日 塩田 - 嬉野間を鉄道路線に転換(手続き上は塩田 - 嬉野間の軌道路線の廃止および鉄道路線の開業)[7]
1919年(大正8年)
1月22日 南大草野駅を大草野駅に改称[8]
3月1日 橋山駅を設置[9]
1927年(昭和2年)6月14日 新彼杵 - 嬉野間の起業廃止、免許返納[10]
1931年(昭和6年)12月25日 塩田 - 嬉野間全線廃止[11]
停留所一覧[編集]
嬉野 - 下宿 - 今寺 - 式浪 - 大草野(←南大草野) - 橋山 - 美野 - 宮ノ元 - 塩田
接続路線[編集]
塩田:祐徳軌道線
車両[編集]
電車[編集]
開業時に梅鉢鉄工所でオープンデッキの木造2軸単車1・2号[12]を、1917年(大正6年)にほぼ同形の車両3・4号を丹羽電機製作所(京都市)で製造した。1931年(昭和6年)、廃止直前に小倉電気軌道(後の西日本鉄道北方線)に3・4を譲渡し、廃止後に1・2も同社に譲渡している。
小倉電気軌道では7-10となり、九州電気軌道・西日本鉄道に引き継がれ、戦後まで使用された(小倉電気軌道の電車も参照)。
貨車[編集]
開業時に深川造船所(大川町)製の有蓋車ユ21・22を製造し、1924年(大正13年)に無蓋車ム31を追加製造した。機関車は保有せず、電車が貨車をけん引していた。
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1916 87,795 112 9,775 42,731 ▲ 32,956 副業7291
貯蔵品売却益金29,011 3,249
1917 131,711 312 14,676 31,579 ▲ 16,903 電気供給33,503 16,352
1918 137,521 373 19,158 30,792 ▲ 11,634 電燈益金25,575 13,584
1919 194,699 1,196 25,631 32,236 ▲ 6,605 電燈営業益金19,787 減価償却金10,000
1920 202,136 1,003 32,186 38,166 ▲ 5,980 12,699
1921 203,362 845 32,057 31,686 371
1922 192,217 1,177 30,266 31,159 ▲ 893
1923 204,926 977 31,318 37,341 ▲ 6,023 電燈補助18,378
電燈業201,176 電燈業その他115,764 5,073 29,092
1924 225,736 1,406 32,371 36,829 ▲ 4,458 電燈業86,631 29,283
1925 215,344 756 30,308 40,302 ▲ 9,994 電燈業76,011 29,281
1926 224,002 638 29,605 45,025 ▲ 15,420 電燈業136,899 18,832
1927 232,740 692 30,058 42,405 ▲ 12,347 電燈業130,764 償却金14,577
雑損1,293 1,166
1928 223,435 687 27,998 42,684 ▲ 14,686 電燈業160,192 償却金その他40,630
1929 218,301 451 25,330 40,619 ▲ 15,289 電燈業129,811 償却金15,585 877
1930 195,000 400 22,204 39,362 ▲ 17,158 電燈業123,343 雑損償却金29,755
1931 149,938 326 15,308 28,955 ▲ 13,647 電燈電力業97,124 償却金22,000
雑損10,887
1932 418 9,373 ▲ 8,955 電燈電力業82,802 雑損52,134
鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版
脚注[編集]
^ 『電気事業要覧. 第19回 昭和3年3月』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「特許状」『肥前電気鉄道(元嬉野馬車)(二)・自大正元年至大正七年』384-386頁
^ 『日本全国諸会社役員録. 第20回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年4月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1917年4月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許失効」『官報』1918年1月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年2月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1919年2月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道停留所設置」『官報』1920年2月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道起業廃止」『官報』1927年6月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道営業廃止」『官報』1932年2月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 1号電車形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
谷口良忠「肥前電気鉄道沿革史」、『鉄道ピクトリアル』1986年11月号、電気車研究会、1986年。
『鉄道停車場一覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
『肥前電気鉄道(元嬉野馬車)(二)・自大正元年至大正七年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
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表 話 編 歴
日本の路面電車
カテゴリ: かつて存在した日本の軌道事業者かつて存在した路面電車路線九州地方の鉄道路線 (廃止)佐賀県の交通史
肥筑軌道
肥筑軌道
概要
現況 廃止
起終点 起点:高尾
終点:崎村
駅数 8停留所
運営
開業 1923年5月24日
廃止 1935年6月6日
所有者 肥筑軌道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 6.6 km (4.1 mi)
軌間 914 mm (3 ft)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停留所・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
exKBHFa
0.0 高尾駅
exBHF
犬尾駅
exBHF
蓮池駅
exBHF
蓮池公園駅
exBHF
小松駅
exBHF
蒲田津駅
exBHF
小鹿駅
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6.6 崎村駅
肥筑軌道(ひちくきどう)は、かつて佐賀県佐賀郡巨瀬村高尾(現・佐賀市巨瀬町大字高尾)と神埼郡千歳村崎村(現・神埼市千代田町崎村)の間を結んでいた軽便鉄道の路線、およびその運営会社である。
目次 [非表示]
1 概要
2 路線データ
3 沿革
4 停留所一覧
5 輸送・収支実績
6 車両
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
概要[ソースを編集]
1916年(大正5年)10月24日、真崎照郷らにより佐賀市の国鉄佐賀駅を起点に高尾 - 蓮池 - 江見 - 豆津と結んで久留米に至る計画で、神戸の鈴木商店の後援[1]により肥筑軌道株式会社が佐賀市内に創立された。 これに先立ち1914年(大正3年)6月、三養基郡北茂安村大字江口(筑後川を挟んだ久留米市の対岸) - 佐賀郡神野村大字神野(佐賀駅付近)間12.2哩の軌道敷設の特許が下付された。さらに1917年(大正6年)10月、筑後川を渡り久留米市街地に乗り入れ筑後軌道と連絡するため、起点の江口から福岡県三潴郡までの延長線の特許も下付された。ただ佐賀駅側には急速な市街地化により用地取得が困難になっていたことや、延長区間の建設費59,000円うち橋梁費が44,000円をしめていた筑後川架橋の問題をかかえていた[2]。 1923年(大正12年)5月24日には高尾 - 崎村間が部分開業したが、久留米市街地への延長線は1922年(大正11年)11月失効しており、株主間の意見の相違や第一次世界大戦後の不況により計画は頓挫した。そのため、一部工事が行われた崎村の先は未成線となっている。国鉄路線に接続しない孤立路線の上、沿線のほとんどが田園地帯であり収益は上がらず、1934年(昭和9年)には運行を休止し、1935年(昭和10年)に廃止された。なお乗合自動車も営業し1934年時点で3路線保有していた[3]。
路線データ[ソースを編集]
廃線時
路線距離:6.6km
軌間:914mm
停留所数:8
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
沿革[ソースを編集]
1923年(大正12年)5月24日 開業
1924年(大正13年)7月30日 小松駅新設申請
1935年(昭和10年)6月6日 廃止
停留所一覧[ソースを編集]
高尾 - 犬尾 - 蓮池 - 蓮池公園 - 小松 - 蒲田津 - 小鹿 - 崎村
輸送・収支実績[ソースを編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1923 76,827 140 10,733 8,488 2,245
1924 156,117 240 18,847 18,053 794
1925 128,381 32 18,163 17,599 564
1926 121,266 14 19,324 18,847 477
1927 106,170 28 15,357 15,088 269
1928 111,377 21 16,676 18,251 ▲ 1,575
1929 89,371 12 11,274 19,370 ▲ 8,096 3,251
1930 138,335 0 11,010 15,392 ▲ 4,382 2,692
1931 119,918 0 9,538 9,579 ▲ 41 車輌売却差損金10,044 99
1932 101,693 0 8,388 9,288 ▲ 900 償却金2,368 28
1933 93,517 0 8,961 10,217 ▲ 1,256 144
1934 58,148 0 5,401 7,253 ▲ 1,852 自動車536 23
鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版より
車両[ソースを編集]
開業時は蒸気機関車3両、客車4両(総定員200人)、無蓋貨車1両。廃止時は蒸気機関車2両、客車2両(総定員100人)であった。
脚注[ソースを編集]
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^ 「大正初期九州における私有鉄道」25頁
^ 1917年(大正6年)当時の分析では佐賀と久留米を結べば国鉄線に比べ時間運賃の面で経済効果が見られ相応の営業を上げるであろうと予測している。「大正初期九州における私有鉄道」25頁
^ 『全国乗合自動車総覧』1934
参考文献[ソースを編集]
三木理史『近代日本の地域交通体系』大明堂、1999年、101-104頁
宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩くⅨ』JTBキャンブックス、2002年
三浦忍・加藤要一「大正初期九州における私有鉄道」『産業経営研究所報告』No34,九州産業大学産業経営研究所、2002年 - 投資家向けに作成された『九州諸会社実勢』(大正6年)を資料に九州各私鉄の経営状態を分析している。
今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 12号 九州』新潮社、2009年
高尾駅跡案内板 - さがの歴史・文化お宝帳
関連項目[ソースを編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
外部リンク[ソースを編集]
肥前軌道跡 - さがの歴史・文化お宝帳
情報板|市報かんざき 2012.3月号 (PDF) - 神埼市
5頁(p.30)に『第7回「田んぼに残されたミステリー”軌道道”を追って。」』としてコラムが載っている。
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