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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
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対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。
「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
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・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質
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・サポートの充実
・コンテンツの充実
これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
レイティング
レイティング、レーティング (rating) は、対象となる物事に対して、ある基準に基づき、等級分けや数値化をおこなったものである。語源の rate には、見積もる・評価するという意味がある。
同じレーティングと呼ばれていても、分野が違えば、評価の対象も表し方も異なる。
目次 [非表示]
1 等級分け
1.1 性的表現などの検閲
1.1.1 各国・分野の実例
1.1.2 レイティング機関の一覧
1.2 格付け
1.2.1 企業・債権
1.2.2 レストラン
2 数値化
2.1 視聴率・聴取率
2.2 競技
2.2.1 将棋
2.2.2 チェス
2.2.3 競馬
2.2.4 アメリカンフットボール
3 脚注
4 関連項目
等級分け[編集]
性的表現などの検閲[編集]
コンテンツは、そのコンテンツが一定の公共性や不特定多数の民衆の目に触れる/手に取られる機会を持つ場合に、それを鑑賞する層に対して望ましくない表現がなされていないかどうかを鑑賞者が事前に判断できるよう、一定の基準に沿って等級分けのレイティングがなされ、表示される。
いわゆる「18禁」「○○歳以上推奨」指定のように「年齢の下限」に対して区分を行うことが多く、表現内容と対象年齢層とを対比させた表現規制基準が使われる。ただし少数例として、保護者の許可や同伴、学籍の有無などを、年齢制限に併用することもある。
多くのジャンルや業界においてレイティングの取り決めとそれを司る機関が存在するが、ほとんどは業界の利益を守ることを目的として作られた自主規制基準である。しかし、「年齢の上限による制限」はそれらでは設けられていない。
世界の国によっては、映画のように、ドラマやアニメを始めとした番組には年齢指定があり、番組放映開始前に対象年齢案内を表示したり、放映中に画面の隅にマークが表示されている。
各国・分野の実例[編集]
日本では、衛星放送で放送される番組やチャンネルの一部に、20歳・18歳・15歳・12歳等のレイティングが設定されているものがある。20歳のもの(スカパー!では「成人向け番組」と呼ぶ)を視聴するためには身分証明書による、年齢確認が必要である。「視聴年齢制限」の場合、チューナーの設定で、設定した年齢の番組では暗証番号を入力しないと視聴できないよう制限することができる。[1][2][3]
また、漫画にもレイティングが設けられている地域が日本以外にもある。日本で設定されておらず、全年齢が買える漫画でも暴力や性描写などの表現に引っかかりMature指定(日本だと成人向けに相当する)された物もある(少女漫画でも『快感♥フレーズ』などがそれに該当する)。そのため、現地出版社で自主的に修正される例もある(当然日本の原作者の許可を受けている)。
テレビ放送作品においては、日本では子供番組扱いの仮面ライダー龍騎をアメリカでリメイクしたKAMEN RIDER DRAGON KNIGHTは、アメリカの放送規定では視聴年齢に制限がでてしまうため、一部を変更する(倒されても死んではいないと明確に描写したり、実弾を発射していた銃がビームを出すアニメーション的な銃に変更)など対策を取る例もある。また遊戯王シリーズはアメリカでは全年齢向けに指定されているため、アメリカの倫理規定に合わせるため作中でキャラクターが死んでしまうシーンは「Shadow Realm(闇の世界)」に送られると言うことになっている。ほか出血シーンや子供にとって性的過ぎる場面は映像を修正・カットしたうえで放送された。似たような例は他国でもあり、年齢制限指定を避けるために、不適切なシーンを自主的にカット、修正する場合がある。例えば『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』は南米で放送された際、暗示的なベッドシーン・骨が砕ける・人が燃えるなどの過激なシーンがカットされて放送された。(その他の海外の規制についてはアニメ#日本国外の規制等の事例も参照)
コンピュータゲームにおけるコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)の例を見ると、現在のところ加入は義務としていないために一部のPCゲームメーカーは加入しておらず、ESRBのような機能を完全に果たしていない。ものづくり国家のコンセプト等から、経済産業省により、日本版ESRBを意識した映像コンテンツ倫理連絡会議設立のための準備を始めている。
レイティング機関の一覧[編集]
18禁マーク
映画のレイティングシステム
映倫規定(映画)
映画倫理委員会(映倫)
ビデオ媒体のレイティングシステム
映画作品
映画倫理委員会(映倫)
オリジナルビデオ
映像倫理協議会(映像倫)
日本ビデオ倫理協会(NEVA、ビデ倫)
アダルトビデオ(→倫理審査団体と「インディーズ」)
日本ビデオ倫理協会(NEVA、ビデ倫)
コンピュータソフトウェア倫理機構(EOCS、ソフ倫)
ビジュアルソフト・コンテンツ産業協同組合(VSIC)
日本映像ソフト制作・販売倫理機構(JVPS、制販倫)
コンテンツ・ソフト協同組合(CSA)
全日本ビデオ倫理審査会(AJVS、全審)
日本倫理審査協会(JEJA、日倫)
コンピュータゲームのレイティングシステム
コンシューマーゲーム、一部のパソコンゲーム
コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)
パソコンゲーム
コンピュータソフトウェア倫理機構(EOCS、ソフ倫)
コンテンツ・ソフト協同組合(CSA)
出版物
「有害図書」を参照
webコンテンツのレイティングシステム
インターネットコンテンツ審査監視機構(I-ROI)
モバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)
Platform for Internet Content Selection(英語版)(PICS)
格付け[編集]
優良さを評価し、いくつかの階級に分類する。
企業・債権[編集]
詳細は「信用格付け」を参照
投機対象としての企業や債権は、格付け機関により格付け(レーティング)される。
レストラン[編集]
詳細は「旅行ガイドブック」を参照
ミシュランガイドなどが有名。
数値化[編集]
視聴率・聴取率[編集]
詳細は「視聴率」および「聴取率」を参照
放送分野では、ある時刻やある番組を視聴または聴取する者の割合をある基準で表した数値をレーティングと呼ぶ。テレビでは視聴率、ラジオでは聴取率と訳す。この値は、その放送に対する視聴者、聴取者母体の注目度、関心度を表す指標のひとつとして用いられる。
ただし、このレーティングとは無関係に、この分野にも検閲のレーティングはある(ただし日本の地上波放送にはない)。
競技[編集]
競技者の戦績の評価を、さまざまな基準で指数化したもの。特に順位付けがなされたものはランキングと呼ばれる。
将棋[編集]
「レーティング」の表記のほうが多く用いられるため、以下では「レーティング」と表記する。
将棋倶楽部24をはじめとするネット将棋では、段級位制と並行してレーティングが採用されている。各参加者にレートと呼ばれる数値が与えられ、レートが高い参加者ほど実力が高いと見なされている。実力を測る物差しとしては、段級位制よりレーティングのほうが重視される傾向にある。
レートはイロレーティングの算出方法を簡素化したものを用いることが多く、対局に勝つと上がり、負けると下がる。レートの高い相手に勝つと数値が大きく上がり、レートの低い相手に勝っても数値があまり上がらないように調整されている(負けたときも同様)。
現在アマの大会で使われているものは、その殆どが日本アマチュア将棋連盟の公認を受けている。全国統一のレーティングで、公認を受けないと使えない。
チェス[編集]
詳細は「イロレーティング」を参照
国際チェス連盟 (FIDE) は、チェスプレイヤーの強さをイロレーティングで指数化している。イロレーティングは、チェス以外にも、将棋など2人で対戦するゲーム全般で使うことができる。
競馬[編集]
詳細は「ワールド・サラブレッド・ランキング」を参照
競馬のレイティングとは「位置付け」を意味し、個々の馬が競走で示したパフォーマンスを数値化したものである[4]。
競走馬の競走成績を指数化する方法として、競馬において負担重量にハンデ差をつける競走が存在していたのに擬えてフリーハンデという手法が取られていた。
それを指数化に改めたものとしてレイティング方式が取られるようになった。国際統一基準に基づく場合は、指数を1ポンドと仮定し、標準的なダービー優勝馬が140とされていた[要出典]が、会議で決定されるためか、なかなか140を超える馬が現れないという事態を引き起こした。短距離から順にS・M・I・L・E(通称スマイル)と合わせて評価される。
アメリカンフットボール[編集]
アメリカンフットボールで、選手(特にクォーターバック)の活躍の度合いを示す指数として使われる。パス成功率、被インターセプト率、獲得ヤードなどから算出される。満点は158.3で、90を超えていれば優秀であるとされている。
脚注[編集]
^ 成人向け番組を視聴できないように制限したい - スカパー!オンラインカスタマーセンター
^ アイコンの詳しい説明 - 番組表(スカパー!)
^ 番組表 - WOWOWオンライン
^ “重賞競走等レーティング” (日本語). 日本中央競馬会. 2011年7月13日閲覧。
関連項目[編集]
格付け
ランキング
リッカート尺度
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表 話 編 歴
将棋
駒
王将・玉将 - 飛車→(竜王) - 角行→(竜馬) - 金将 - 銀将→(成銀) - 桂馬→(成桂) - 香車→(成香) - 歩兵→(と金)
用語
合駒 - 行き所のない駒 - 居玉 - 打ち歩詰め - 上手と下手 - 王手 - 大駒・小駒 - 飾り駒 - 感想戦 - 奇襲戦法 - 棋譜 - 棋風 - 急戦 - 棋力 - 公開対局 - 後手 - 持久戦 - 定跡 - 攻め - 千日手 - 大局観 - 太刀盛り - 中段玉 - 長考 - 付き人 - 詰み - 手順前後 - 手待ち - 成金 - 成駒 - 二歩 - 入玉 - 羽生マジック - ハメ手 - 早指し - 盤外戦 - 盤寿 - 番勝負 - 必至 - 封じ手 - 振り駒 - 待った - 妙手 - 持ち駒 - 持ち時間 - 米長玉 - 力戦 - 両取り - レーティング
用具
駒台 - 将棋盤 - 対局時計
書籍
江戸時代の棋書 - 将棋世界 - 週刊将棋 - 日本将棋大系
一覧
将棋棋士一覧 - 将棋の戦法一覧 - 将棋類の一覧 - 将棋類の駒の一覧 - 将棋棋士とコンピュータの対局一覧
関連項目
将棋の手合割 - 将棋の格言 - 詰将棋 - 将棋界 - 棋士 - 棋戦 - 将棋のアマチュア棋戦 - 将棋会館 - 日本将棋連盟 - 日本女子プロ将棋協会 - 日本アマチュア将棋連盟 - 国際将棋フォーラム - コンピュータ将棋 - 将棋電王戦 - 将棋倶楽部24 - 81Dojo - 天下一将棋会 - 将棋ウォーズ - 将棋講座 - 将棋の段級 - 天童市 - 将棋・チェス板 - チェス - シャンチー - チャンギ - 将棋パズル - 縁台将棋 - 将棋用語 - 将棋天国社 - 近代将棋 - 将棋まつり - 将棋の日 - 観戦記者 - ソフト不正使用疑惑
執筆の途中です この項目は、将棋に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ゲーム)。
カテゴリ: レイティング指標検閲将棋用語競馬用語
旭川市街軌道
旭川市街軌道(あさひかわしがいきどう)とは、かつて北海道旭川市に存在した路面電車・バスの運営会社。
同社は昭和初期から30年代まで路面電車を運行し、その後も旭川バスというバス会社として存続していたが、1968年に旭川電気軌道に吸収合併されて消滅した。
本項では、同社が運行していた路面電車について主に記す。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 黎明期
1.2 開業から終戦後
1.3 軌道事業廃止から吸収合併へ
1.4 貨物運輸事業計画(未成)
1.5 路線データ
2 停留所
3 運行概要
4 歴史
5 接続路線
6 輸送・収支実績
7 車両
8 関連項目
9 脚注
9.1 注釈
9.2 出典
概要[編集]
黎明期[編集]
北海道中央部に位置する旭川市は1901年(明治34年)に陸軍第7師団が移設されて以来、軍都として栄えた。師団施設の置かれた近文地区と旭川駅前を結ぶ交通機関として1906年(明治39年)に上川馬車鉄道が開業したが、1917年(大正6年)に師団本隊がシベリア出兵のために満州に移転して利用客が激減し、第一次世界大戦の影響による鉄材の不足で価格が高騰したレールを売却して1918年(大正7年)には姿を消した[1]。
旭川市に電気軌道を走らせようという計画は大正期に立てられ、旭川市会においても市営電気軌道建設を議決したが、市営と民営の両論が対立し、具体化しなかった。昭和に入る頃までに民営事業者の旭川電気軌道[注釈 1]、旭川電力軌道、旭川電車、旭川市街軌道の4社がそれぞれ別途に軌道敷設特許を申請して紛争状態となったため、市会は4社との協約書を作成して収拾に努めた。その結果、旭川電気軌道、旭川電力軌道、旭川電車の3社が協調[2]して新たに旭川市街電鉄(程なく旭川市街軌道と改称)を設立し、一条線、四条線、師団線の軌道敷設特許を申請して特許を得るに至った。このうち、師団線の近文1線1号 - 近文1線6号間は陸軍省の意向により許可されなかったため、師団を逆コの字型に大きく迂回する経路を改めて申請し、特許を得ている。
開業から終戦後[編集]
旭川市街軌道は1929年(昭和4年)11月3日に初の路線を開業させた。その後、昭和10年代にかけては路線の整備が行われ、それとともに乗客数も漸増して行き、昭和5年度の延べ約302万人が昭和19年度には約1083万人にまで膨らんだ。昭和20年度上半期までは年6分の株主配当を行うなど、経営は順調であった。
終戦によって第7師団が廃止されると昭和22年度には約617万人、昭和26年度には約458万人と輸送人員は激減した。加えて、インフレによる経営費の膨張により収支は悪化し、昭和22年度上半期には資本金(135万円)にほぼ匹敵する120万円もの損失金を計上した。一方、戦時中に疲弊した軌道施設の補修に500万円余りを要する見込みであったことから、戦時中から休止していた路線バス事業[注釈 2]を復活の上で乗客減少の著しい一条線と四条線を廃止し、撤去した資材の売却代金を事業費と借入金返済に充てることになった。
軌道事業廃止から吸収合併へ[編集]
残された師団線(戦後は近文線とも呼称)は、師団の兵舎や官舎が学校や工場、引揚者住宅などに転用されたこと、師団東側に野球場や総合競技場などの公共施設が完備したことなどから輸送需要が見込まれ、かつて陸軍省の反対により陽の目を見なかった北海道神社前 - 市営球場前 - 競馬場北口前間を新たに建設した。昭和27年度に約463万人であった旅客数が昭和29年度には500万人を超え運輸状況は好転しつつあったが、設備の老朽化で営業費が増大して経営を圧迫したために、1956年(昭和31年)6月8日限りで軌道線全線の運輸営業を廃止して路線バスに転換された。
軌道事業廃止後はバス事業専業となり、旭川バスと社名変更の上営業を継続したが経営は不振で、同社の株主の過半数が会社設立時から縁の深い旭川電気軌道に事業の補助を願い出る事態に至る。旭川電気軌道では同社の役員が旭川バスの株式の過半数を保有して経営権を取得し、1967年(昭和42年)4月に両社の役員を交換の上で1968年(昭和43年)4月、同社を吸収合併した。旭川電気軌道を存続会社として旭川バスは解散し、旭川市街軌道以来の独立した交通事業者としては消滅した[3]。旭川電気軌道が旭川バスから引き継いだバス路線はその後整理・統合をされたが、2012年(平成24年)現在でも運行を継続している。
なお旭川市民は旭川電気軌道の電車(東川線・東旭川線)を「郊外電車」、旭川市街軌道の電車を「市内電車」、と呼んで区別していた。
貨物運輸事業計画(未成)[編集]
旭川市街軌道は市内輸送を担う路面電車として知られているが、農産地である東鷹栖村(のちに旭川市に吸収)や鷹栖村の農産物や肥料などの輸送を行う貨物運輸営業を目論んだ時代もある。この地域の軌道敷設計画は、大正末期から昭和初期にかけて鷹栖軌道、鷹栖電鉄などが軌道敷設特許願を申請しており、旭川市街軌道も1930年(昭和5年)に師団線の終点、一線六号より一線十三号と三線十三号を経て比布村北二線六号に至る12.7km、三線十三号より鷹栖村十線十三号を経て十線四号に至る8.85km、十線十三号より十線十六号に至る1.76kmの3線計23.3kmで旅客・貨物運輸を行う軌道敷設特許願を申請した。貨物輸送については、師団線と交差する鷹栖専用線(国鉄近文駅 - 第7師団)の利用を目論み、師団線大町七丁目付近より分岐して鷹栖専用線2.7km付近に接続する0.5kmの貨物専用電気軌道の敷設特許願を申請し、札幌鉄道局に対して鷹栖専用線を国鉄営業線に変更して貨物駅を設け、一般貨物の取扱いを行うよう請願した。ところが、経済不況と既設線の営業不振、相次ぐ凶作による農村の疲弊などにより計画は頓挫、1933年(昭和8年)には計画を一線六号 - 鷹栖村十線十三号間8.89kmのみに短縮して再申請したが、結局は取下げとなった。
一方、鷹栖専用線の国鉄営業線化は旭川市長も競願の形で別途札幌鉄道局に請願し、貨物駅設置工事を市費等にて行う旨を示した。こちらも第7師団との交渉が難航して戦前には実現しなかったが、1950年(昭和25年)に国鉄函館本線の貨物支線に変更して旭川大町駅が設置されることで陽の目を見た。
路線データ[編集]
上川馬車鉄道・旭川市街軌道・旭川電気軌道 路線進展図
1947年当時
路線距離:12.2km
四条線:2.4km
一条線:3.1km
近文線:6.7km
停留所数:25(路線同士の交点の停留所に関しては、合わせて1として数える)
車庫:1.四条一丁目[注釈 3] 2.大町七丁目[注釈 4]
変電所:八条八丁目
軌間:1067mm
電化方式:直流600V
師団線延長線敷設に際し、国鉄近文駅より分岐して第7師団に至る鷹栖専用線(のちの函館本線貨物支線旭川大町駅付近)との平面交差が設置され、1930年の旭橋西詰 - 一線六号間開業と同時に使用されたが、1932年の専用線短縮に伴って撤去された。
停留所[編集]
1947年当時
(四条線)四条一丁目 - 四条九丁目 - 四条十一丁目 - 四条十七丁目
(一条線)曙通 - 一条九丁目 - 一条十一丁目 - 一条十五丁目 - 八条十五丁目
(近文線)旭川駅前 - 一条九丁目 - 四条九丁目 - 六条九丁目 - 八条八丁目 - 旭橋 - 旭町三丁目 - 大町三丁目 - 北海道神社前 - 大町五丁目 - 大町七丁目 - 大町九丁目 - 一区前 - 二区前 - 三区前 - 春光台前 - 競馬場北口前 - 国立病院前 - 一線六号
運行概要[編集]
1934年11月1日改正当時
運行本数:全線6時30分から23時30分までおおむね5分間隔
所要時間:全線を四条線12分、一条線14分、師団線30分
歴史[編集]
1928年(昭和3年)4月14日 旭川市街電鉄(後、旭川市街軌道)が一条線(一条通西二丁目 - 八条通十六丁目間1マイル74チェーン)、四条線(四条通十七丁目 - 宮下通一丁目間1マイル50チェーン)、師団線(旭川停車場前 - 近文一線六号間、3マイル12チェーン)における旅客および貨物営業の軌道敷設特許申請
1928年(昭和3年)9月22日 旭川市街電鉄に対し、一条線、四条線、および師団線のうち旭川停車場前 - 近文一線一号間の軌道敷設特許
1928年(昭和3年)12月29日 社名を旭川市街軌道に変更
1929年(昭和4年)7月2日 師団線近文一線一号 - 師団司令部前(後、春光台前) - 一線六号間2M46Cの軌道敷設特許
1929年(昭和4年)11月3日 初の路線として、四条線神楽通(後、四条一丁目) - 四条十七丁目間及び、一条線八条北都前(後、八条十五丁目) - 曙間計5.5km開業
1930年(昭和5年)3月7日 師団線一線六号より東鷹栖村内および比布町に至る3線23.3kmの軌道敷設特許申請(1933年(昭和8年)に路線短縮して再申請)
1930年(昭和5年)5月15日 師団線旭川駅前 - 旭橋間開業
1930年(昭和5年)10月3日 師団線大町七丁目付近より鷹栖専用線に接続する0.5kmの貨物専用軌道敷設特許申請(のちに取下げ)
1930年(昭和5年)11月27日 師団線旭橋西詰 - 一線六号間開業
1932年(昭和7年)11月3日 旭橋 - 旭橋西詰(後、本町二丁目)間0.45km開業により師団線全線完成
1933年(昭和8年)10月13日 師団線一線六号より鷹栖村十線十三号に至る8.89kmの軌道敷設特許申請(1930年(昭和5年)申請分の変更、のちに取下げ)
1944年(昭和19年)
運輸通信省「昭和十九年度地方鉄道軌道等ノ回収転用実施ノ件」(鉄業監第1276号)により師団線師団司令部前 - 一線六号間1.8kmを単線化し、撤去軌条を芦別炭鉱に転用
9月 企業統合で発足した道北乗合自動車(後の道北バス)に営業休止中の乗合自動車車両8両を譲渡
1948年(昭和23年)4月7日 一条線3.098kmと四条線2.465kmを廃止しバス化、ただし四条線四条九丁目 - 四条一丁目間は四条一丁目の車庫・修繕工場への出入庫線として非営業の単線で存置[注釈 5]
1950年(昭和25年)7月5日 師団線(近文線)春光台前 - 競馬場北口前間1.12kmを廃止、北海道神社前 - 市営球場前 - 競馬場北口前間1.55kmの短絡線を開業するとともに、旭川駅前 - 北海道神社前 - 春光台前間5.28kmを六号線、北海道神社前 - 一線六号間2.24kmを東六号線と改称
1954年(昭和29年)旭川国民体育大会(旭川国体)開催に伴い、排2を種車にした花電車を運転。[4]
1956年(昭和31年)6月9日 全線廃止しバス化
接続路線[編集]
旭川駅前:国鉄函館本線・宗谷本線・富良野線(旭川駅)
四条十七丁目:旭川電気軌道東旭川線・東川線(旭川四条駅)
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1929 434,804 26,257 28,979 ▲ 2,722 雑損720 2,002
1930 3,016,070 178,237 135,073 43,164 49,644
1931 3,605,277 206,405 157,329 49,076 54,083
1932 3,305,598 184,758 152,887 31,871 55,611
1933 3,492,370 191,393 144,469 46,924 雑損4,913 52,863
1934 3,773,643 214,183 149,170 65,013 雑損138 44,266
1935 3,868,585 214,299 152,126 62,173 雑損65 39,363
1936 3,881,064 209,889 150,385 59,504 雑損54 36,102
1937 4,460,442 232,471 162,968 69,503 31,929
1939 6,961,730 398,064 240,762 157,302 自動車その他493 28,742
1941 8,873,715 516,907 353,341 163,566 自動車146 雑損償却金55,796 10,673
1948 4,802,316
鉄道統計資料、鉄道統計、鉄道統計年報各年度版
車両[編集]
開業から全廃まで各車両とも集電はシングルポールを使用し、警音器はフートゴング、常用ブレーキはハンドブレーキを使用した。ビューゲル・エアブレーキ・エアホイッスル等は使用していない。
1 - 20 - 川崎車輌、1929年製。開業に際して用意された20両の半鋼製四輪電動客車。設計認可は1929(昭和4)年10月4日。定員44名(座席20立席24)。当初の電動機は22.4馬力×2であったが、戦後は順次50馬力×2に載せ替えられた。他社に譲渡された4両をのぞき、全線廃止まで使用された。事故が多発した6は車番を31に変更している[5]。
22 - 27 - 汽車会社東京支店、1930年製。師団線延長に際して増備された6両の半鋼製四輪電動客車。設計認可は1930(昭和5)年10月25日。定員44名(座席20立席24)。電動機は30馬力×2。戦後、全車が他社に譲渡された。
28 - 30 - 京浜電気工業合資会社、1925年製。廃止された登別温泉軌道より譲受した3両の木造四輪電動客車。譲受認可は1934(昭和9)年3月23日。入線に際し、ダブルポールをシングルポールに改造している。定員50名(座席22立席28)。電動機は39馬力×2。戦後、2両は他社に譲渡、1両は排雪車に改造された。
排1 - 排2 - 汽車会社東京支店、1931年製。ロータリーブルーム式の半鋼製四輪排雪車。電動機は50馬力×2とブルーム用30馬力×1。設計認可は排1が1932(昭和7)年1月22日、排2が同年2月27日。排1はブルームシャフトを含む最大幅が車輌定規を超過したため、当初は使用区間を道路交通量の少ない招魂神社前 - 一線六号間に限る条件で認可された。
他社への譲渡は、12、13、24、27が豊橋電気軌道、22、23、25、26が秋田市電、28、29が北海道炭礦汽船夕張鉱業所、3、20が北海道炭礦汽船平和鉱業所で、いずれも1948(昭和23)年6月18日に譲渡届を提出。このうち、28と29を譲受けた北炭夕張鉱業所は夕張専用鉄道(新夕張 - 高松五区)を電化して使用する予定だったが、資金難より中止となり、車両は破棄された。3と20は北炭角田専用鉄道(夕張鉄道新二岐駅 - 角田砿)で使用された。また、全廃後に排1を旭川電気軌道が購入した。
戦後、車体更新や電動機の増強が行われた際、車番に更新年度の下一ケタを頭につけて3ケタの番号となった[4]。新旧番号の対照は以下の通り。
1→101、2→102、4→204、5→105、6→31→231、7→107、8→208、9→109、10→210、11→311、14→314、15→315、16→416、17→217、18→118、19→319
関連項目[編集]
平和通買物公園#トランジットモール化の検討
脚注[編集]
注釈[編集]
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^ 旭川電気軌道は、1927年(昭和2年)2月に東川線・追分 - 十号間を開業させ、引き続いて3月に十号 - 東旭川間、4月、四条 - 追分間、10月、四条 - 旭川一条 - 旭川間(旭川一条 - 旭川間は貨物のみ)を開業し、すでに電鉄会社としての実績があった。さらに追分から分岐する東旭川線の工事にも取りかかっており、積極的な路線拡充を図っていた。
^ 社団法人北海道バス協会 トップページから「バス協会について 北海道のバス事業の歴史」 2014年1月29日閲覧。当時の国策であった企業統合により旭川地区の乗合自動車事業は1944年(昭和19年)に新設された道北乗合自動車(現・道北バス)に統合されたが、統合の時点で旭川市街軌道の乗合自動車事業はすでに営業休止中であったため、車両の譲渡のみで路線は譲渡していない。
^ 営業廃止後に跡地は旭川バスの車庫に転用され、旭友ストアー西店を経て2014年現在、生活協同組合コープさっぽろ4条通り店が営業中である。
^ 営業廃止後に跡地は旭川バスの工場に転用され、ボウリング場や大型店舗を経て2014年現在、ゲオ旭川大町店が営業中である。
^ 1953年(昭和28年)発行の地図にも非営業線と四条一丁目の車庫の記載があるが、営業最終期に大町車庫に集約された。
出典[編集]
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^ 宮田憲誠『遠い日の鉄道風景-明治のある日人車や馬車が走り始めた-』径草社、2001年、17頁。
^ 原口隆行『日本の路面電車II-廃止路線東日本編-』〈JTBキャンブックス〉JTB、2000年、28頁。
^ 「鉄道ピクトリアル臨時増刊全日本路面電車現勢」、第223号、鉄道図書刊行会、1969年4月10日発行、1976年6月10日復刻、21頁。
^ a b 青木栄一『昭和29年夏 北海道私鉄めぐり(上)』〈RM LIBRARY58〉ネコ・パブリッシング、2004年、33頁、37頁。
^ 1号電車形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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表 話 編 歴
日本の路面電車
公営
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第3セクター等
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民営
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関連項目
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