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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
東濃鉄道笠原線
笠原線
概要
現況 廃止
起終点 起点:多治見駅
終点:笠原駅
駅数 7駅
運営
開業 1928年7月1日
旅客営業休止 1971年6月13日
廃止 1978年11月1日
所有者 笠原鉄道→東濃鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 4.6 km (2.9 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
最急勾配 23.4 ‰
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
国鉄:中央本線
eABZq+r
0.0 多治見駅
HUBrf
0.3 新多治見駅
exWBRÜCKE
土岐川
exBHF
0.9 本多治見駅
exBHF
2.2 市之倉口駅
exBHF
下滝呂駅
exBHF
3.6 滝呂駅
exKBHFe
4.9 笠原駅
笠原線(かさはらせん)とは、かつて岐阜県多治見市の多治見駅から土岐郡笠原町(現・多治見市)の笠原駅までを結んでいた東濃鉄道の鉄道路線である。沿線の主産業である陶磁器原料および製品を運搬する目的で敷設され、旅客営業も行っていたが、末期はモータリゼーションの煽りを受けて1971年に旅客営業が休止され、1978年に貨物営業も廃止された。なお、同鉄道は鉄道事業廃止後も社名を変更せずに、継続してバス運行事業を行っている。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
3 運転
4 車両
4.1 蒸気機関車
4.2 ディーゼル機関車
4.3 気動車
4.4 客車
5 駅一覧
6 接続路線
7 輸送・収支実績
8 廃線後
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):4.6km
軌間:1067mm
駅数:7駅
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
歴史[編集]
1924年(大正13年)3月20日 地方鉄道法による電気鉄道敷設免許[1]
1924年(大正13年)4月22日 笠原鉄道株式会社設立[2][3]
1928年(昭和3年)7月1日 笠原鉄道として新多治見駅 - 笠原駅が蒸気動力により開業[4]
1929年(昭和4年)6月19日 鉄道免許状下付(土岐郡下石町-東春日井郡水野村間)[5]
1936年(昭和11年) ガソリン動車運転開始
1937年(昭和12年)6月1日 国鉄多治見駅まで貨物用連絡線を0.3km延伸[6]
1939年(昭和14年)3月2日 鉄道起業廃止許可(土岐郡下石町-東春日井郡水野村間)[7]
1944年(昭和19年)3月1日 笠原鉄道が駄知鉄道等と合併し、東濃鉄道の笠原線となる
1953年(昭和28年)3月 ディーゼル機関車入線により客貨分離
1971年(昭和46年)6月13日 乗客数の減少により、笠原線の旅客鉄道営業休止。貨物営業のみとなる
1978年(昭和53年)11月1日 全線廃止。東濃鉄道は鉄道事業廃止
運転[編集]
1962年(昭和37年)現在[8]
旅客列車
14往復(途中折返なし)、所要14分
貨物列車
7往復、うち2往復は新多治見 - 市ノ倉口
車両[編集]
蒸気機関車[編集]
笠1形 - 笠1, 笠2
元は1896年(明治29年)英国ダブス社製の西成鉄道甲1形である。国有化により1150形、さらに佐久鉄道 (1, 3) を経て笠原鉄道1形 (Nos.1, 2) となった。1944年(昭和19年)の東濃鉄道成立後は、旧駄知鉄道1形 (1, 2) と区別するため、笠1形と改称している。1953年(昭和28年)廃車。
ディーゼル機関車[編集]
DB181形 - DB181
1940年(昭和15年)に新潟鐵工所で海軍策二燃料廠(四日市)向けに製造したものを財務局から1952年(昭和27年)に譲受したセミセンターキャブの機械式凸形機関車で、車体延長・エンジン換装の上1953年(昭和28年)に新造名目で使用を開始した。伝達機構はロッド式である。1967年(昭和42年)廃車。
DC182形 - DC182
1955年(昭和30年)に新造名目で投入したL形の機械式機関車だが、元は1933年(昭和8年)に日本車輌が内務省向けに製造したものとされる。元は船舶用の機関を積んでいたため高いエンジンルームのエンドキャブ形だったが、入線時にエンジン換装に伴ってこの部分の背を低くしている。伝達機構はロッド式である。1971年(昭和46年)廃車。
DD100形 - DD105, DD106
1964年(昭和39年)に大井川鉄道から譲受したセンターキャブの凸形液体式機関車で、井川線の車両限界に由来する低く平たいキャブが特徴。1978年(昭和53年)の廃線まで使用され、廃線後はDD105が同年に廃止された北恵那鉄道線に移り、DD106は他ならぬ笠原線の撤去工事で使用された。
気動車[編集]
変速方式は全て機械式である。
キハ1形 - キハ1, キハ2
キハ1は笠原鉄道が1936年(昭和11年)に新製した日本車輌製のガソリンカー、キハ2は駄知鉄道が1929年(昭和4年)に新製した松井自動車工作所製のガソリンカーのジハ1(1932年にキハ1に改称)を1949年(昭和24年)の笠原線転属時に改番したもの。いずれも二軸車で、2両とも片側の車端部に荷台が設置されていた。2両とも1956年(昭和31年)に廃車されたが、キハ1の車体は廃車後の一時期、笠原駅構内で物置として利用されていた。
キハ10形 - キハ12
駄知鉄道が1931年(昭和6年)に新製した日本車輌製のガソリンカー。片ボギー車で、ボギー台車側の車端部に荷台が設置されていた。1950年(昭和25年)の駄知線電化時に笠原線に転属したが、1963年(昭和38年)に廃車された。
キハ20形 - キハ23
駄知鉄道が1933年(昭和8年)9月に新製した日本車輌製のガソリンカー。キハ12に比べて大型化されており、両側に荷台が付いたボギー車となった。エンジンはウォーケシャ6SRL (79ps) を搭載。1941年(昭和16年)8月には木炭瓦斯発生装置を搭載。駄知線電化時に休車となったが1952年(昭和27年)にディーゼルエンジン(三菱DB5L機関 (105ps) )に換装して笠原線に転属し、1971年(昭和46年)の旅客営業廃止まで使用された。
キハ500形 - キハ501, キハ502
キハ501は1953年(昭和28年)に国鉄から譲受した買収気動車で、元は1931年(昭和6年)に播丹鉄道が梅鉢鉄工所で新製したガソリンカーのレカ15が1941年(昭和16年)にキハ500、1943年(昭和18年)の買収時にキハ40350となったもの。ボギー車で、元は両側に荷台が付いていたが、東濃入線時に荷台部分の車体延長とディーゼルエンジン(日野DA57 (100ps) )への換装が行われている。車体延長により定員は92人となった。1962年(昭和37年)には、変速機の交換を行った。
キハ502は1965年(昭和40年)にその前年廃線となった防石鉄道から譲受したものだが、元は中国鉄道が1934年(昭和9年)に日本車輌で新造したガソリンカーのキハニ172である。搭載エンジンは、ウォーケシャ6RB (78ps) 。1944年(昭和19年)の買収時もそのままの番号であったが1949年(昭和24年)に廃車となり、1952年(昭和27年)に防石鉄道が譲受してキハニ101となった。この時にディーゼルエンジン(日野DA54 (80ps) )に換装されている。ボギー車で、旧荷物室側に荷台がある。定員は100人。
いずれも1971年(昭和46年)の旅客廃営業廃止まで使用されていた。
客車[編集]
ハ1-4
開業時に筑波鉄道 (初代)より購入した木製2軸客車。元は国鉄ロ777・779・787・781(形式775)[9]竣工図によると明治5年新橋工場製
駅一覧[編集]
多治見駅 - 新多治見駅 - 本多治見駅 - 市之倉口駅 - 下滝呂駅 - 滝呂駅 - 笠原駅
接続路線[編集]
多治見駅・新多治見駅:日本国有鉄道中央本線
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1928 206,386 29,887 35,720 30,101 5,619 雑損624 4,047
1929 196,747 45,396 67,529 43,443 24,086 雑損償却金11,265
自動車74 13,364
1930 117,833 35,900 34,138 25,625 8,513 雑損17自動車785 13,628
1931 110,094 34,159 31,648 20,245 11,403 自動車70 14,600
1932 99,140 40,427 33,834 22,482 11,352 自動車997 雑損1,138 14,553
1933 112,185 52,240 40,381 35,363 5,018 自動車3,142 償却10,687 14,640 18,759
1934 102,603 53,746 37,515 34,491 3,024 自動車3,605 12,805 20,093
1935 78,342 44,270 31,283 27,180 4,103 自動車1,818
債務免除1,379 雑損償却金15,802 10,351 19,691
1936 75,847 38,050 29,847 26,756 3,091 自動車1,815 雑損償却金7,777 8,590 19,555
1937 104,330 39,284 32,657 30,171 2,486 自動車5,276 雑損1,066
償却金10,854 7,680 15,898
1939 155,219 51,942
1941 397,667 78,642
1943 809,255 101,999
1945 1,485,206 72,954
鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
廃線後[編集]
廃線となった翌年の1979年(昭和54年)、多治見市は線路跡を自転車専用道路・歩行者専用道路として整備することを決定し、平和町 - 滝呂町の整備を行い1998年(平成10年)完成した。2006年(平成18年)多治見市は笠原町と合併したことから、合併記念事業として滝呂町 - 笠原町の延長整備が行われている。この専用道路は「陶彩の径」と名付けられ、沿道には桜が植栽されたことから桜の名所となっている。
脚注[編集]
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^ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年3月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年7月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1929年6月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1937年6月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道起業廃止」『官報』1939年3月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 青木 (1962) による
^ 『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
青木栄一「東濃鉄道」、『鉄道ピクトリアル』1962年3月号臨時増刊:私鉄車両めぐり2、1962年、 pp. 63-70, 108。(再録:『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
青木栄一「東濃鉄道(私鉄車両めぐり第2分冊補遺)」、『鉄道ピクトリアル』No. 1451963年5月号臨時増刊:私鉄車両めぐり4、1963年、 p. 88。(再録:『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
青木栄一 「昭和52年5月1日現在における補遺」『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺5頁。
清水武 『東濃鉄道』 ネコ・パブリッシング〈RM library 72〉、東京、2005年。ISBN 4777051080。
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(1986年覆刻)、p. 344。ISBN 4-88540-048-1。
寺田裕一 『私鉄気動車30年』 JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2006年。ISBN 4-533-06532-5。
関連項目[編集]
廃線
伊原五郎兵衛 - 笠原鉄道取締役『日本全国諸会社役員録. 第37回』(昭和4年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
カテゴリ: 中部地方の鉄道路線 (廃止)東濃鉄道岐阜県の交通史