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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
東濃鉄道駄知線
駄知線
概要
現況 廃止
起終点 起点:土岐市駅
終点:東駄知駅
駅数 7駅
運営
開業 1922年1月11日
休止 1972年7月13日
廃止 1974年10月21日
所有者 駄知鉄道→東濃鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 10.4 km (6.5 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V 架空電車線方式
最急勾配 25 ‰
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
STR
国鉄:中央本線
0.0 土岐市駅
STR exBHF
0.7 新土岐津駅
eKRWg+l exKRWgr
STR3 exWBRÜCKE
土岐川橋梁 土岐川
exBHF
1.1 神明口駅
exBHF
2.0 土岐口駅
exBHF
4.7 下石駅
exBHF
7.5 山神駅
exTUNNEL1
駄知山(日帰)トンネル
9.1 駄知駅
exBHF
10.1 小川町駅
exKBHFe
10.4 東駄知駅
駄知線(だちせん)は、かつて岐阜県土岐市内の土岐市駅から東駄知駅までを結んでいた東濃鉄道の鉄道路線である。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 歴史
2.1 水害による路線廃止
3 運転
4 輸送・収支実績
5 車両
5.1 電化前
5.1.1 蒸気機関車
5.1.2 客車
5.2 電化後
5.2.1 電気機関車
5.2.2 電車
6 駅一覧
7 接続路線
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
概要[編集]
大正時代に駄知町の窯業経営者の籠橋休兵衛が主体に、建設沿線の主産業である陶磁器原料および製品を運搬する目的で駄知鉄道として敷設された。当初、国鉄中央本線建設時に現在のルートに対し、陶磁器産地ルート「岐阜県恵那郡大井(現恵那)- 恵那郡陶 - 岐阜県土岐郡駄知 - 土岐郡下石 - 土岐郡笠原 - 愛知県東春日井郡瀬戸」に変更する運動が駄知を中心に激しく行われたが結局現ルートとなり、中央本線につながる陶磁器運搬のための鉄道路線を望んでいた駄知町が計画した。当初駄知から一番近い瑞浪駅に接続する路線を計画したが、資金不足で免許が下りず、同じ陶磁器産地の下石町などの協力を得、現ルートで建設された。旅客営業も行っていたが、昭和47年7月豪雨による橋梁の流失で営業休止に追い込まれ、そのまま廃止となった。同鉄道は笠原線も運行していたが、後に笠原線も廃止となり、鉄道事業を完全に廃止することとなった。しかし、社名を変更せずに、継続してバス運行事業を行っている。現在駄知駅は東濃鉄道土岐営業所、東駄知駅・下石駅はバスロータリー、新土岐津駅は東鉄の月極駐車場として利用されている。 駄知線の跡地は一部整備されて、歩行者専用道路となっている。
駄知線で使用されていた電車のうち、モハ100形2両は日本で唯一の東芝製電車として知られる。同形式は駄知線廃止後高松琴平電気鉄道に譲渡され、同社70形電車として2000年(平成12年)まで使われていた。
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):10.4km
軌間:1067mm
駅数:7駅
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
下石変電所、水銀整流器(500KW)2台[1]
閉塞方式:タブレット閉塞式(土岐市 - 駄知間)、スタフ閉塞式(駄知 - 東駄知間)
歴史[編集]
1918年(大正7年)8月7日 軽便鉄道法により駄知軽便鉄道に対し土岐郡泉町より同郡駄知町に至る免許下付(発起人総代籠橋休兵衛)[2]
1919年(大正8年)
3月28日 駄知鉄道株式会社設立(社長籠橋留次郎 休兵衛の養子)[3][4][5]
4月10日 会社設立登記
1922年(大正11年)
1月11日 駄知鉄道として、蒸気動力により新土岐津 - 下石間 (4.7km) 開業[6]
10月10日 下石 - 山神間 (2.8km) 開業[7]
1923年(大正12年)1月22日 山神 - 駄知間 (1.6km) 開業[8]
1924年(大正13年)9月28日 駄知 - 東駄知間 (1.3km) 開業により全通[9]
1928年(昭和3年)3月1日 国鉄土岐津駅乗り入れに伴い0.2km延伸
1929年(昭和4年)
4月15日 土岐津 - 土岐口間に神明口駅開業
1月 ガソリン動力併用認可
1932年(昭和7年)3月18日 駄知 - 東駄知間に小川町停留場開業
1944年(昭和19年)
3月1日 笠原鉄道などと合併し、東濃鉄道設立。同社駄知線となる
4月19日 小川町停留場の運輸営業休止を申請(5月10日承認)
1945年(昭和20年)5月23日 新土岐津駅および小川町停留場の運輸営業休止許可を申請[10]
1950年(昭和25年)7月1日 全線電化
1965年(昭和40年)7月1日 国鉄とともに、土岐津駅を土岐市駅に改称
1972年(昭和47年)7月13日 昭和47年7月豪雨による橋梁流失に伴い全線で営業休止
1974年(昭和49年)10月21日 営業休止状態のまま、全線廃止
水害による路線廃止[編集]
「昭和47年7月豪雨」も参照
1972年(昭和47年)7月9日から同月13日にかけて発生した集中豪雨は、岐阜県下において駄知線沿線である東濃地方を中心として甚大な被害をもたらしたが[11]、13日未明には土岐市 - 神明口間の土岐川にかかる土岐川橋梁が豪雨によって発生した異常出水のため流失した。そのため、同日より駄知線は全線運休となりバスによる代行輸送が実施された。
当初は復旧が検討されたことから、駄知線に所属する全車両のほか各種施設について温存措置が取られた。しかし、復旧に要する費用が莫大なものであったことと、当時は既にモータリゼーションの影響を受けて鉄道部門の採算が厳しい状況であったことから、費用対効果を鑑みて復旧は断念され、営業休止から2年強を経過した1974年(昭和49年)10月21日付で全線廃止となった。
運転[編集]
1962年(昭和37年)現在[12]
旅客列車
上下各20本(うち土岐津 - 駄知間上り1本、土岐津 - 下石上下各1本)、他に駄知 - 東駄知に出入庫上下各2本
全線所要約25分
貨物列車
上下各4本
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1922 192,578 25,263 39,994 34,226 5,768
1923 255,423 68,493 89,046 74,792 14,254 6,611 25,529
1924 264,344 78,659 104,320 63,713 40,607 雑損3,562 43,749 47,513
1925 269,817 88,677 106,510 79,558 26,952 42,280 49,423
1926 258,118 81,568 102,944 75,085 27,859 243 43,241 51,005
1927 236,564 89,847 101,519 73,414 28,105 雑損3,285 34,417 51,538
1928 264,699 101,065 119,409 75,913 43,496 雑損9,326 30,736 41,970
1929 261,456 102,692 111,564 90,830 20,734 雑損1,920 26,880 58,070
1930 225,139 80,489 83,671 73,324 10,347 雑損176 24,016 60,399
1931 202,006 83,317 77,335 61,615 15,720 雑損1,369自動車1,399 21,768 52,707
1932 178,141 97,804 77,321 57,844 19,477 雑損償却金16,482自動車1,496 18,010 22,057
1933 203,888 118,940 90,039 53,506 36,533 雑損償却金18,897自動車1,747 15,775
1934 216,536 127,715 95,403 64,554 30,849 雑損償却金14,828自動車833 14,721
1935 232,521 124,157 93,431 65,727 27,704 1,598雑損償却金13,402 13,939
1936 251,537 129,555 99,335 64,996 34,339 雑損償却金16,194自動車2,142 15,879
1937 284,632 132,942 101,616 71,517 30,099 自動車327 雑損22,037自動車5,331 14,787 2,844
1939 375,160 160,158
1941 644,920 183,556
1943 929,300 183,228
1945 1,788,871 78,601
鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
車両[編集]
電化前[編集]
蒸気機関車[編集]
1形 (No.1, 2)
駄知鉄道自社発注の雨宮製作所製の20tのC形蒸気機関車。電化後も予備機関車として使用された。
11形 (No.11)
元国鉄2850形蒸気機関車 (2850) 。1923年(大正12年)譲受。1938年(昭和13年)11月、日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道に譲渡。
3形 (No.3)
元国鉄1225形蒸気機関車 (1225) 。1920年(大正9年)に白棚鉄道自社発注の日本車輌製造製の蒸気機関車。1950年(昭和25年)、建設省に譲渡。
客車[編集]
ハフ1・2
駄知鉄道開業時に鉄道省から購入した明治16年と21年の神戸工場製ロ509.514[13]。緩急車化改造後に入線。1943年後半に車体が新製される。電化後の1952年(昭和27年)に廃車。ハフ2は大阪窯業セメントに譲渡。
ハ3・4
1923年(大正12年)に購入した愛知電気鉄道の客車(68・69)。元は鉄道省イロ310・311[14]。1939年(昭和14年)に廃車し、鹿本鉄道に売却。
ハ5
1927年(昭和2年)に購入した揖斐川電気の客車(ハ28)。元は養老鉄道(初代)が開業時に南海鉄道から購入した、は53(1899年日本車輌製)。1952年(昭和27年)廃車後大阪窯業セメントに譲渡。
電化後[編集]
電気機関車[編集]
ED1000形 (ED1001)
電化時に新造された東芝製の凸形電気機関車。ただし、多くの私鉄に導入された東芝戦時型と異なりボンネットは箱形R付き。路線と運命を共にしている
電車[編集]
モハ100形・クハ200形
モハ101・102は1950年(昭和25年)東芝製の自社発注車。クハ201 - 203は国鉄より払い下げを受けた買収国電(元南武鉄道100形)。路線廃止後は全車高松琴平電気鉄道へ譲渡された。
モハ110形・クハ210形
元西武鉄道モハ151形・クハ1151形。1964年(昭和39年)と1966年(昭和41年)の二度にわたって譲り受けたもので、モハ111-クハ211・モハ112-クハ212の2編成が在籍した。路線廃止後はモハ111-クハ211が総武流山電鉄(現・流鉄)へ、モハ112-クハ212が名古屋鉄道(名鉄)へそれぞれ譲渡された。
琴電譲渡後のモハ100形(瓦町駅)
琴電譲渡後のクハ200形(平木駅)
駅一覧[編集]
新土岐津駅、小川町駅は路線廃止前の1945年に廃止
土岐市駅 - 新土岐津駅 - 神明口駅 - 土岐口駅 - 下石駅(おろし) - 山神駅 - 駄知駅 - 小川町駅 - 東駄知駅
接続路線[編集]
土岐市駅:日本国有鉄道中央本線
脚注[編集]
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^ 清水武『東濃鉄道』ネコパブリッシング、2005年、15頁
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1918年8月9日(国立国会図書館のデジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第28回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『人事興信録. 第8版(昭和3年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年1月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年10月20日(国立国会図書館デジタコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年1月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年10月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 清水 (2005) による。1944年と小川町の休止申請が重複している理由は不明。青木 (1962) には駅の改廃の記載なし。
^ 昭和47年7月豪雨 (1972年 昭和47年) 岐阜県ホームページ
^ 青木 (1962) による
^ 客車略図形式503
^ 客車略図形式309
参考文献[編集]
青木栄一 (1962). “東濃鉄道”. 鉄道ピクトリアル (1962年3月号臨時増刊:私鉄車両めぐり2): pp. 63-70, 108.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
青木栄一 (1963). “東濃鉄道(私鉄車両めぐり第2分冊補遺)”. 鉄道ピクトリアル No. 145 (1963年5月号臨時増刊:私鉄車両めぐり4): p. 88.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
青木栄一 「昭和52年5月1日現在における補遺」『私鉄車両めぐり特輯』1、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺5頁。
清水武 『東濃鉄道』 ネコ・パブリッシング〈RM library 72〉、東京、2005年。ISBN 4777051080。
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(1986年覆刻)、p. 340。ISBN 4-88540-048-1。
関連項目[編集]
廃線
カテゴリ: 中部地方の鉄道路線 (廃止)東濃鉄道岐阜県の交通史