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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。
相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。
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相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
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囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
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「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
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3:幽玄の間
2:KGS
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推薦者のブログ
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パンダネット
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
関西棋院
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表 話 編 歴
関西棋院
Kansai Ki-in
団体種類 一般財団法人
設立 1950年9月2日
所在地 日本の旗 日本 大阪府大阪市中央区北浜1-1-14号 北浜一丁目平和ビル
北緯34度41分28.7秒東経135度30分31.2秒座標: 北緯34度41分28.7秒 東経135度30分31.2秒
法人番号 1120005015278
主要人物 理事長 中川和雄
活動地域 日本の旗 日本
主眼 棋道の発展と普及をはかり日本文化の一翼を担う囲碁を伝承すること
ウェブサイト http://www.kansaikiin.jp/
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一般財団法人関西棋院(いっぱんざいだんほうじんかんさいきいん)は囲碁の棋士を統括し、近畿を中心として棋戦や囲碁普及などの活動をう組織(一般財団法人)。日本棋院から1950年に分離独立。現在117人の棋士、女流棋士が所属。機関誌『囲碁関西』(月刊)を発行している。
目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
2.1 独立までの動き
2.2 東西対立から独立
2.3 発展と現状
3 顕彰
4 近年の関西棋院棋士のタイトル戦
5 所属棋士
6 役員
7 脚注
8 出典
9 外部リンク
概要[編集]
本院は大阪府大阪市中央区北浜にあり、全棋士が本院所属である。
事業活動として、プロ棋士の対局の実施運営、 各種囲碁大会・囲碁セミナー・囲碁ツアーの実施。機関紙『囲碁関西』など出版事業、免状の発行、囲碁サロン・囲碁教室・子ども囲碁学園の経営、 囲碁ネット事業等。2010年現在、48支部ある。
所属棋士が各種タイトル戦に参加する場合、まず3段階(ABC方式)の院内予選を行ない、その勝者が日本棋院所属棋士と混合の最終予選に出場することが多い[注 1]。また関西棋院独自の棋戦として、関西棋院第一位決定戦と産経プロアマトーナメント戦がある[注 2]。その一方、本因坊戦最終予選の参加枠は4人(日本棋院の7分の1)に限られ、竜星戦・阿含桐山杯・NECカップ囲碁トーナメント戦についても出場制限が課されている。
日本棋院同様の院生からの入段(プロ入り)制度とは別に、特例で年長のアマ強豪をプロ編入してきた歴史があり、陳嘉鋭・坂井秀至・石井茜らにプロ棋士への道を開いた。2009年からは「研修棋士制度」[注 3]としてプロ編入試験(試験碁)を制度化し、日本だけでなく中国・韓国出身のアマ強豪が続々入段している[1]。
歴史[編集]
独立までの動き[編集]
日本棋院設立から昭和初期までの関西囲碁界は、主な棋士は日本棋院に参加し、関西支部(後に関西本部)が設立されていた。中心にいたのは久保松勝喜代、光原伊太郎などで、独自の大手合も行っていたが、五段以上の昇段は東京でなければ認められず、若手の高川格や田中不二男をはじめ、有力な棋士は東京の大手合にも参加していた。
終戦後は、戦時中に宝塚に疎開していた橋本宇太郎を中心にまとまり、関西在住の棋士達の待遇面(主に昇段制度、交通関係)での地位向上を目指した。1947年(昭和22年)には、空襲で焼けた日本棋院会館の復興のために全棋士による募金活動が行われ、関西支部には計50万円の目標が課せられたが、関西でも資金が必要であることから、募金の半分を東京に送ることにして募金を行った。その結果100万円が集まったが、全額を関西で使おうという意見が棋士や後援者で強まり、関西の会館の建物を買い、財団法人関西棋院として財務上は独立した組織となった。
東西対立から独立[編集]
関西棋院が法人として独立した後も、日本棋院との関係はそれまでとは変わりなかった。1950年(昭和25年)には日本棋院と関西棋院の12人ずつの選手による東西対抗戦、及び東西対抗勝ち抜き戦が行われ人気を博す。同年第5期本因坊戦で橋本宇太郎が本因坊位を獲得するが、その就位式席上で日本棋院津島寿一総裁が、これまで2年で1期だった本因坊戦を1年1期に改めると述べた。本因坊当人に相談もなく決められたことで、関西棋院の内部は独立派が生まれて、協調派と分かれ、多数となった独立派により同年9月に免状発行権を持った組織として独立が宣言される。協調派の棋士は、日本棋院関西総本部を設立した。
翌年の第6期本因坊戦では、日本棋院新鋭の期待株坂田栄男が挑戦権を得た。この七番勝負で橋本は坂田に1勝3敗に追い込まれたが、そこから3連勝して本因坊を防衛。もしこの勝負に橋本が敗れていたら関西棋院は発足直後に解散に追い込まれていただろうとも言われている。
また1958年に日本棋院東海本部が中部総本部に再編成した際に、伊神肇、植松弘聖らが離脱して、名古屋市に関西棋院中部総本部を設立した。
発展と現状[編集]
この後、橋本宇太郎と橋本昌二の「両橋本」(両者に血縁関係はない)が関西棋院の二枚看板となり、十段・王座のタイトルを奪うなど活躍した。1962年には名人戦リーグに10名中4名、本因坊リーグにも8名中3名の関西棋院所属棋士が参加(半田道玄が本因坊挑戦権獲得)、第1期・第2期の十段の座を橋本宇太郎と半田道玄の関西勢同士が争うなど、大いに気勢を上げた。橋本昌二は「組織存続のため、日本棋院との戦いは死活問題だった」と語る[2]。
しかし日本棋院との緊張関係が緩和に向かった上、独立によって日本棋院所属棋士との対局機会が減少したこともあり、所属棋士の活躍は次第に目立たなくなった。七大タイトル保持者も、1981年の橋本昌二(王座)以降、長らく出現しなかった(次項参照)。三大タイトル(棋聖・名人・本因坊)リーグ在籍者もゼロの年が目立ちはじめ、特に本因坊リーグへは2000年度(結城聡)以降、2009年度(同)まで参加がなかった。
しかし2010年になり、坂井秀至が碁聖のタイトルを奪取すると、結城聡も天元位を獲得してこれに続いた。若手の瀬戸大樹・村川大介らの活躍もあり、関西棋院は久々にかつての勢いを取り戻しつつある。2012年の第68期本因坊リーグは8名中3名(32期ぶり)、2013年の第38期名人戦リーグも9名中3名を関西棋院勢が占めた。
中部総本部には一時は20名を超える棋士が所属したが、2010年3月末をもって閉鎖された[3]。
2012年4月1日、法人制度改革に伴い、公益法人より活動の制約が少ない一般財団法人となった[4]。日本棋院との再統合も何度か話題に上っているが、両院の段位の調整、(主に日本棋院側の)財政問題などがネックとなり、未だに実現していない。全日本囲碁連合結成に参加するなど、そのあり方の模索が続いている。
顕彰[編集]
1973年に関西棋院賞を創設し、最優秀棋士賞、利仙賞(敢闘賞)、道玄賞(殊勲賞)、新人賞を設ける。1981年からは連勝賞、1992年には永井賞(30歳未満が対象)、山野賞(普及貢献賞)、2007年には吉田賞(対外戦最多勝)を設けた。
近年の関西棋院棋士のタイトル戦[編集]
詳細は囲碁のタイトル在位者一覧を参照。色付きはタイトル獲得。
年 棋戦 関西棋院棋士 結果 相手
1941年 本因坊 関山利一 3-3 加藤信
1943年 本因坊 橋本宇太郎 1-0 関山利一
1945年 本因坊 橋本宇太郎 0-2 岩本薫
1949年 本因坊 橋本宇太郎 4-0 岩本薫
1951年 本因坊 橋本宇太郎 4-3 坂田栄男
1952年 本因坊 橋本宇太郎 1-4 高川格
1953年 王座 橋本宇太郎 1-0 前田陳爾
1955年 王座 橋本宇太郎 2-1 島村利博
1956年 王座 橋本宇太郎 2-0 坂田栄男
1957年 王座 半田道玄 0-2 島村利博
1958年 王座 半田道玄 0-2 藤沢朋斎
1959年 王座 橋本昌二 2-0 山部俊郎
1960年 王座 半田道玄 2-0 大窪一玄
1962年 十段 橋本宇太郎 3-1 半田道玄
1962年 本因坊 半田道玄 1-4 坂田栄男
1963年 十段 半田道玄 3-1 橋本宇太郎
1965年 王座 半田道玄 2-0 大窪一玄
1967年 王座 橋本昌二 0-2 藤沢秀行
1971年 王座 橋本昌二 0-2 坂田栄男
1972年 王座 橋本宇太郎 1-2 坂田栄男
1974年 十段 橋本昌二 3-1 坂田栄男
1975年 十段 橋本昌二 0-3 林海峰
1977年 棋聖 橋本宇太郎 1-4 藤沢秀行
1977年 天元 苑田勇一 1-3 島村俊宏
1979年 十段 橋本昌二 1-3 加藤正夫
1981年 十段 橋本昌二 2-3 大竹英雄
1981年 王座 橋本昌二 2-1 加藤正夫
1982年 王座 橋本昌二 2-0 加藤正夫
1986年 天元 苑田勇一 1-3 小林光一
1988年 天元 苑田勇一 1-3 趙治勲
1989年 碁聖 今村俊也 1-3 小林光一
1997年 碁聖 結城聡 1-3 依田紀基
1998年 碁聖 苑田勇一 0-3 依田紀基
2002年 碁聖 結城聡 1-3 小林光一
2005年 棋聖 結城聡 3-4 羽根直樹
2005年 碁聖 結城聡 0-3 依田紀基
2007年 王座 今村俊也 1-3 山下敬吾
2007年 碁聖 横田茂昭 0-3 張栩
2009年 碁聖 結城聡 0-3 張栩
2010年 碁聖 坂井秀至 3-2 張栩
2010年 天元 結城聡 3-0 山下敬吾
2011年 碁聖 坂井秀至 2-3 羽根直樹
2011年 天元 結城聡 0-3 井山裕太
2013年 十段 結城聡 3-2 井山裕太
2013年 十段 結城聡 2-3 高尾紳路
2014年 王座 村川大介 3-2 井山裕太
2015年 王座 村川大介 0-3 井山裕太
2016年 王座 余正麒 0-3 井山裕太
所属棋士[編集]
結城聡
苑田勇一
今村俊也
坂井秀至
白石裕
横田茂昭
橋本昌二
本田邦久
村川大介
中野泰宏
瀬戸大樹
清成哲也
余正麒
藤井秀哉
芦田磯子
小西和子
榊原史子
倉橋正行
吉田美香
石井茜
佐田篤史
他、総勢117人
役員[編集]
理事長:中川和雄
副理事長:永井一夫
常務理事:滝口政季(九段)、太田清道(棋士会会長)、勝間史朗(七段)、今村俊也(九段)、藤原克也(六段)、
理事:東郷武、田口榮一
監事:五味正義、久保田大
(2010年10月1日現在)
脚注[編集]
^ ただし棋聖戦は第1期から第24期まで、各段優勝戦が両棋院混合で行なわれていた。第25期からリーグ制移行に伴い、他棋戦同様に院内予選がおこなわれるようになったが、第29期以降は予選C段階から日本棋院中部総本部・関西総本部との混合で行なわれている。
^ かつては関西棋院選手権戦(神戸新聞社主催)や関西棋院早碁名人戦(産経新聞社主催)もあった。関西棋院選手権戦は天元戦に、関西棋院早碁名人戦は十段戦にそれぞれ統合された。
^ http://www.kansaikiin.jp/kenshukishi/index.html
出典[編集]
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^ 試験碁で2人採用 関西棋院(朝日新聞2009年7月15日付)
^ 関西の若手 台頭の兆し 「西高東低」の囲碁会に旋風(神戸新聞2005年4月5日付、題字ママ)
^ 『碁ワールド』2010年5月号
^ 一般財団法人に関西棋院が移行(朝日新聞 2012年4月10日)
坂田栄男『囲碁百年 3 実力主義の時代』平凡社 1969年
外部リンク[編集]
関西棋院(公式サイト)
関西棋院の棋士ら大活躍――切磋琢磨し組織に活力
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表 話 編 歴
囲碁の棋戦
国際棋戦
個人戦
応昌期杯 春蘭杯 三星火災杯 LG杯 百霊愛透杯 Mlily夢百合杯 正官庄杯 穹窿山兵聖杯
⇒囲碁世界タイトルの獲得者一覧
団体戦
農心杯 黄龍士双登杯 金竜城杯 華頂茶業杯 招商地産杯 国手山脈杯
⇒ 国際団体棋戦の優勝国一覧
その他
テレビアジア選手権 利民杯世界囲碁星鋭最強戦
日本の棋戦
七大タイトル
棋聖戦 名人戦 本因坊戦 王座戦 天元戦 碁聖戦 十段戦
⇒囲碁のタイトル在位者一覧
その他
新人王戦 阿含桐山杯 囲碁マスターズカップ 若鯉戦 ペア碁選手権
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女流本因坊戦 女流立葵杯 女流名人戦 女流棋聖戦 扇興杯女流囲碁最強戦
⇒囲碁の女流タイトル在位者一覧
地域棋戦
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テレビ棋戦
NHK杯 竜星戦
韓国の棋戦
国手戦 名人戦 KBS杯 GSカルテックス杯 入神連勝最強戦 Let's Run PARK杯オープントーナメント
韓国囲碁リーグ
⇒韓国の囲碁タイトル在位者一覧
中国の棋戦
タイトル
名人戦 天元戦 棋聖戦
倡棋杯 衢州・爛柯杯 中信銀行杯 阿含桐山杯 リコー杯 威孚房開杯 竜星戦 全国個人 全国段位
甲級リーグ 乙級リーグ戦 丙級リーグ戦
⇒中国の囲碁タイトル在位者一覧
条件戦
西南王
新人王 新秀戦 建橋杯 女子名人 女子新人王 百霊杯
台湾の棋戦
国手戦 天元戦 王座戦 棋王戦 碁聖戦 十段戦
東鋼杯 海峰杯 思源杯 中正杯
⇒台湾の囲碁タイトル在位者一覧
カテゴリ: 囲碁一般財団法人大阪府の組織日本の芸術文化団体囲碁の組織
留萌本線
JR logo (hokkaido).svg 留萌本線
留萌本線を走るキハ54形気動車(北一已駅 - 秩父別駅間)
留萌本線を走るキハ54形気動車
(北一已駅 - 秩父別駅間)
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 北海道の旗 北海道
種類 普通鉄道(在来線・地方交通線)
起点 深川駅
終点 留萌駅
駅数 旅客駅:12駅
路線記号 ○A24(深川駅のみ)
路線記号については当該記事も参照
開業 1910年11月23日(深川 - 留萌間)
全通 1921年11月5日(留萌 - 増毛間)
廃止 2016年12月5日(留萌 - 増毛間)
所有者 JR logo (hokkaido).svg 北海道旅客鉄道(JR北海道)
運営者 JR logo (hokkaido).svg 北海道旅客鉄道(JR北海道)
(全線 第一種鉄道事業者)
車両基地 旭川運転所
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 50.1 km
軌間 1,067 mm(狭軌)
線路数 全線単線
電化方式 全線非電化
閉塞方式 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)(深川 - 留萌間)
保安装置 ATS-SN
最高速度 95 km/h
[折り畳む]路線図
JR Rumoi Main Line linemap.svg
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[表示]停車場・施設・接続路線
留萌本線(るもいほんせん)は、北海道(空知管内)深川市の深川駅から(留萌管内)留萌市の留萌駅を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線(地方交通線)である。"本線"を名乗るJR線の中では、最も短い路線である。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 存廃問題
1.1.1 留萌駅 - 増毛駅間
1.1.2 深川駅 - 留萌駅間
1.2 路線データ
2 利用状況
2.1 輸送密度
2.1.1 収支・営業係数
3 歴史
3.1 国鉄時代
3.2 民営化後
4 運行形態
4.1 SLすずらん号
4.1.1 停車駅
4.1.2 沿革
4.2 増毛ノロッコ号
4.2.1 停車駅
4.2.2 沿革
4.3 留萌本線優等列車
4.3.1 るもい
4.3.2 ましけ
4.3.3 はぼろ
5 使用車両
5.1 現在の使用車両
5.2 過去の使用車両
6 駅一覧
6.1 廃駅・廃信号場
6.2 廃止区間
6.3 過去の接続路線
7 ロケにおける駅の使用
8 代替輸送
9 脚注
9.1 注釈
9.2 出典
9.3 報道発表資料
9.4 新聞記事
10 参考文献
10.1 書籍
10.2 雑誌
11 関連項目
12 外部リンク
概要[編集]
天塩地方随一の良港として栄えた留萌港への石炭や木材、海産物等の輸送のため、北海道鉄道敷設法に規定する、予定線として建設された路線である。1910年(明治43年)11月23日に深川駅 - 留萠駅間が[1][報道 1][報道 2]、1921年(大正10年)11月5日に留萠駅 - 増毛駅間が開業した[1][報道 3]。また、改正鉄道敷設法の別表では、日本海岸沿いに札幌駅から終点の増毛駅までの路線の計画があった。
その後、1927年(昭和2年)10月25日には留萠駅 - 大椴駅間[2]、1928年(昭和3年)10月10日には大椴駅 - 鬼鹿駅間[2]、1931年(昭和6年)8月15日には鬼鹿駅 - 古丹別駅間[2][新聞 1]が留萠線として延伸開業したが、これらの区間は同年10月10日に留萠線から分離し、羽幌線に編入された[新聞 2]。なお、1927年(昭和2年)10月25日の羽幌線開業当初[2]、羽幌線の列車は留萠駅を発車した後、深川方面の東留萠信号場まで1.3 km 走行し、同信号場でスイッチバックして羽幌方面に北上していた。これを解消するため、1941年(昭和16年)12月9日に羽幌線の留萠駅 - 三泊駅間が新線に付け替えられ[2]、留萠駅に羽幌線用の4・5番ホームを新設した。なお、東留萠信号場 - 留萠駅間は留萠本線・羽幌線の二重戸籍区間だったが、新線敷設と共に解消され、東留萠信号場も廃止された。
開業以来、線名・駅名の表記は「留萠」、地名などは「留萌」だったが、1997年(平成9年)4月1日に留萠から留萌に変更している[1][3][新聞 3]。かつては多くの駅に交換設備が設置されていたが、閉塞合理化に伴い、1984年(昭和59年)2月1日に北一己駅・藤山駅[4]、1986年(昭和61年)11月1日に秩父別駅[4]・恵比島駅[4]・幌糠駅[4]・大和田駅[4]、1994年(平成6年)12月に石狩沼田駅の交換設備がそれぞれ撤去された。2015年(平成27年)3月14日時点で、交換設備が存在する駅は峠下駅・留萌駅のみであり、増発は困難になっている。
2016年(平成28年)12月5日、留萌駅 - 増毛駅間が廃止された(経緯は後述)[報道 4][報道 5]。これにより、長らくJRで"本線"を名乗る最短路線であった九州旅客鉄道(JR九州)筑豊本線 (66.1km) を下回り"本線"を名乗る最短路線となった。
存廃問題[編集]
国鉄分割民営化から28年が経過した2013年、脱線事故、発煙事故、元社長2人の自殺、JR会社法に基づく初の監督命令などJR北海道の崩壊が始まり、これをきっかけにローカル線廃止問題が浮上することになった[5]。
2013年(平成25年)10月4日、北海道議会が「積雪寒冷地、長距離運行という本道の特性に配慮し、老朽化した車両・設備の更新に必要な技術的、財政的な支援強化を早期に図る」ことなどを求める「JR北海道の安全対策強化と安全運行を求める意見書」を可決[6]。2014年(平成26年)7月4日には、北海道議会が「調査結果報告等に基づき、JR北海道及びJR貨物において実施される安全対策に求められる必要な技術的、財政的な支援の強化を図ること」などを求める「JR北海道及びJR貨物の安全対策強化と安全運行を求める意見書」を可決した[7]。
2015年(平成27年)6月26日、JR北海道が発生させた事故・不祥事を受け設置されたJR北海道再生推進会議が「経営安定基金運用益が会社発足時の半分以下になり、収支を合わせるため無理な経費節減を行ったことが安全を低下させる一因となった」「全方位に対してよい顏をする経営と決別しなくてはならない」「鉄道だけで交通手段の確保を論じるのではなくバスなどの交通機関と連携して総合交通体系の一翼を担う必要がある」との認識を示す『JR北海道再生のための提言書』を島田修社長に提出した[8][5]。なお北海道知事の高橋はるみはJR北海道再生推進会議のメンバーの一人である[9]。
留萌駅 - 増毛駅間[編集]
JR北海道再生推進会議の提言発表とタイミングを合わせるように[5]、翌6月27日JR北海道幹部が留萌本線沿線自治体と非公式に接触し、留萌増毛間の廃止を打診していたことが北海道新聞などにより報道された[新聞 4]。JR北海道は特に利用客の少ない留萌駅 - 増毛駅間を、2018年度までに廃止したい意向を示しており、秩父別町の神薮武町長や増毛町の堀雅志町長は廃止を容認、沼田町の金平嘉則町長は存続を求めていた[新聞 5][新聞 6]。
2015年8月10日、JR北海道は留萌市および増毛町に、特に利用者が少ない留萌駅 - 増毛駅間16.7kmを2016年(平成28年)度中に廃止することを留萌市長と増毛町長に伝達した。また、JR北海道はホームページで同区間の鉄道事業廃止についてのプレスリリース内で留萌駅 - 増毛駅間の輸送密度と収支を公表。1987年(昭和62年)の480人/日から、2014年には39人/日に大幅に利用客が減少していることや、収入が700万円に対し、年間1億6,000万円の赤字が出ていることなどを挙げている[報道 3][新聞 7]。
2015年8月11日、留萌市議会が留萌線検討対策会議を設置した[10]。
2015年9月7日、留萌市議の鵜城雪子が留萌市議会本会議で留萌増毛間路線廃止を市が受け入れた経緯について高橋定敏市長に質疑[11]。高橋は「ある意味ではやむを得ないと判断した」と答弁した[11]。
2015年11月7日、JR北海道再生推進会議による「JR北海道再生のための提言書」発表を受け、北海道知事が学者3名(公共政策、公共交通学、会計学)、交通事業者4名(鉄道1、非鉄道3)、首長4名(中核都市1、路線廃止町2、廃止想定路線町1)を構成員とする地域公共交通検討会議を設置した[12]。
2015年12月9日、留萌市議会留萌線検討対策会議が市長に「留萌本線の存続に向けてスピード感を持って力強く取り組む」ことを内容とする要望書を提出[13]。同日、同会議が「安心して住み続けられる地域の公共交通としての鉄道交通網の確立を求める」ことを内容とする要望者を、JR北海道常務山口力に提出した[13]。
2016年(平成28年)2月17日、会計検査院は「経営安定基金運用収益への依存度が高いJR北海道及びJR四国では、景気の後退等の外部的な要因の影響を受けている状況が見受けられた」と指摘した上で、「輸送密度が低迷している線区等の経営状況を提示できるように整理しておくこと」「多額な経営安定基金資産の時価評価差額については、修繕や設備投資を計画的に行うための財源とする」など、廃止路線議論環境の整備と基金取り崩しを財源とする設備投資を求める「北海道、四国、九州各旅客鉄道株式会社の経営状況等についての報告書(会計検査院法第30条の2に基づく国会及び内閣への随時報告)を公表した[14][15]。
2016年4月8日、JR北海道は留萌駅 - 増毛駅間の最終運行日を「2016年12月4日」とする意向を増毛町に提案し、増毛町は「生徒はすべてバス通学となり、まちの過疎化で利用者は激減し、鉄道は地域の足としての機能を失った」、「観光には大きな痛手だが受けざるを得ない」としてそれを受け入れた[新聞 8]。同月18日には留萌市も「極度に利用の少ない路線で安全性を保つのは厳しい」として廃止に同意した[新聞 9]。同月28日、JR北海道は留萌駅 - 増毛駅間の鉄道事業廃止届を国土交通省に提出した[報道 6][報道 7][新聞 10]。この届け出では、廃止予定日は届出書提出日の1年後に当たる「2017年4月29日」とされたが[報道 6][報道 7]、同年6月9日に行った北海道運輸局による聴取の結果、廃止予定日の繰り上げが認められたため[報道 8][新聞 11]、同年6月28日に改めて廃止予定日繰上げの届け出が行われ[報道 4][報道 5]、予定通り2016年12月4日が最終運行日となり、翌5日が廃止日となることが決定した[報道 4][報道 5][新聞 12]。
留萌駅 - 増毛駅間の廃止に向けて、2016年(平成28年)6月10日からは留萌駅 - 増毛駅間の記念入場券(硬券)・記念乗車券(常備券)が深川駅・留萌駅で発売されたほか[報道 9]、同年11月3日 - 11月20日の土曜・日曜・祝日(2両編成)と11月23日 - 12月4日の毎日(3両編成)、旭川駅 - 増毛駅間と留萌駅 - 増毛駅間にそれぞれ1往復ずつ臨時列車が設定された。停車駅は旭川駅・深川駅・留萌駅・増毛駅である[報道 10][新聞 13][新聞 14]。
留萌駅 - 増毛駅間の廃止方針が打ち出される直前の2015年(平成27年)10月から、同区間の無人駅で「駅名標広告」や「きっぷ運賃表」複数が盗まれるなどの被害が発生[新聞 15]。さらに2016年(平成28年)5月17日には留萌駅構内に停車中の回送列車から運賃表示を行う系統設定器、車内放送を記録している音声合成装置、それを流すための自動放送装置操作盤が盗まれた[新聞 16]。これを受けて、留萌警察署は同年11月11日から同署の管轄区域である峠下駅 - 留萌駅 - 増毛駅間の各駅に啓発ポスターを設置した[新聞 17]。
深川駅 - 留萌駅間[編集]
深川駅 - 留萌駅間について、留萌市は2016年(平成28年)4月18日時点で「(存続する)留萌 - 深川間の沿線自治体と意見交換し、JRの利用頻度を高めたい」とし、存続に向け努力する考えを強調していた[新聞 9]が、2016年(平成28年)10月25日にJR北海道が廃止およびバス転換を検討していることが北海道新聞にて報道された[新聞 18]。これについてはJR北海道が同年11月16日の記者会見で正式に認めた[報道 11]。
2016年7月29日、JR北海道が駅廃止や列車見直しによる経費節減、運賃値上げによる応分負担、上下分離方針の導入などを検討内容とする『「持続可能な交通体系のあり方」について』を公表し[16]、地方路線の整理廃止を加速させる意向を表明。安全問題研究会の黒鉄好は、雑誌『北海道経済』で「JR北海道沈みゆくタイタニック号で沈没を止めることはもはや不可能」「大切なのは路線廃止の言質を与えず、公共交通の維持という使命を放棄したJR北海道の沈没を辛抱強く待つこと」「北海道民は何も悪くない。すべての責任は民営化を強行、東京駅より少ない収入しか上げられないような会社を作り放置し続けた政府にある」と批判した[17]。また黒鉄は雑誌『地域と労働運動』で「JR北海道の経営はすでに破綻状態であり、単に廃止反対を訴えるだけではもはやいかなる説得力も持ち得ない」と述べたうえで、北海道特有の鉄道事情を示し、拙速な鉄道廃止論を批判した[18]。
同日、高橋はるみ知事はJR北海道の記者会見を受け「見込まれる巨額の経常赤字を線区の見直しだけで解消しようとすれば、本道の公共交通ネットワークにあまりにも大きな影響を及ぼす」「自助努力のみで経営の再生を図っていくことは困難で、国に対し早急に必要な要請を行うとともに、地域公共交通検討会議において本道の交通ネットワークのあり方について検討を加速する」などとコメントしたが、路線名を示す形で「路線廃止に反対」の言葉を発することは無かった[19]。
2016年8月2日、民進党北海道総支部連合会は「民進党北海道JR北海道路線維持対策本部」(本部長荒井聰)を8月3日に設置することを決定[20]。同日、道議会民進党は「道議会民進党JR北海道路線維持対策プロジェクトチーム(三津丈夫座長)」を設置した[21]。
2016年9月21日、留萌市議会が「税制特例措置の適用延長は必須」との意見を付した「JR北海道・JR四国・JR貨物に係る税制特例の恒久化等を求める意見書」を可決。[22][23]
2016年10月24日、民進党北海道JR北海道路線維持対策本部が、JR北海道・北海道運輸局・北海道に対し要請行動を実施し、要請書を手渡した[24][25][26]。
2016年10月28日、北海道知事が定例記者会見で地域公共交通検討会議の下に鉄道ネットワークワーキングチームを設置すると発表[27][28]。知事がJR北海道に対して「一連の報道で地域に不安が広がっていることは大変遺憾、地域の不信を招かないよう慎重に対応していただきたい」との申し入れを行ったと説明した[27]。しかし「JR北海道の事業範囲の見直しということについては、そういうこともあり得るかなという思いもある」とも発言し、路線廃止に一定の理解を示した[27]。また知事は、「ワーキングチームは個別の路線の話などにまで踏み込んだものを想定しているのか」との日本経済新聞記者の質問に、知事は「性格上難しいと思う」と述べ、鉄道ネットワークワーキングチームが路線名を示して路線廃止反対を求めることは困難との認識を示した[27]。
2016年11月18日、JR北海道は「当社では維持することが困難な線区について」など路線廃止関連文書を発表。小樽駅-札幌駅-旭川駅間、室蘭駅-東室蘭駅間、長万部駅-苫小牧駅-札幌駅間、南千歳駅-新千歳空港駅間、南千歳駅-帯広駅間、桑園駅-北海道医療大学駅間、北海道高速鉄道関連線区、北海道新幹線を除く全路線 (1237.2km) が「単独では維持不可能な線区」であり、深川 - 留萌間は「極端にご利用が少ない線区」との認識を示した。これにより留萌本線各駅を含む道南・道東・道北の大半の駅が、将来的に廃止となる可能性がある駅となった[29][30][31]。
同日、高橋はるみ知事はJR北海道の記者会見を受け、「道内鉄道網全体の5割を超える線区が対象となっており、その進め方如何では、本道の公共交通ネットワークに重大な影響を及ぼす可能性があり、大きな危機感を持って受け止めています」と述べた。しかし「バス等への転換を前提として相談を行う考えが示された3線区については、これまで沿線自治体の方々から寄せられているご意見などを十分踏まえながら、慎重かつ真摯な対話を行うことが不可欠です」とコメントし、留萌本線廃止容認に含みをもたせる認識を示した[32]。
2016年11月19日、北海道新聞社が社説「もはやJRに任せられぬ/13区間千キロ超 15年後は半減か」を掲載。「廃線で地方の衰退が加速するのは確か。こうした状況を打開するにはまちづくりの視点で鉄道をとらえ直すしかない。87年の国鉄分割民営化時から北海道で1社が単独で営むことに無理があるとの指摘はあった」と道政と政府の課題を指摘した[新聞 19]。
路線データ[編集]
管轄(事業種別)・区間(営業キロ)
北海道旅客鉄道(JR北海道・第一種鉄道事業者)
深川駅 - 留萌駅間 50.1 km
軌間:1,067 mm(狭軌)
駅数:12駅(起終点駅含む)
留萌本線所属駅に限定した場合、起点の深川駅(函館本線所属[33])が除外され、11駅となる。
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:
深川駅 - 留萌駅間 : 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
交換可能駅:2(峠下駅、留萌駅)
全線が旭川支社の管轄である。
利用状況[編集]
輸送密度[編集]
留萌本線の年度別の輸送密度は以下の通り。
国鉄分割民営化直後の1987年(昭和62年)度は435人であったが[報道 3][新聞 20]、2014年(平成26年)度には142人と当時の3分の1弱まで激減している[報道 3][新聞 4]。
近年、沿線の過疎化が進行しているほか、並行して高規格幹線道路である深川留萌自動車道の整備が進んでおり、今後も当路線の利用の減少が続くと見込まれている[新聞 20]。
年度 輸送密度(人/キロ/日)
全線 深川駅 - 留萌駅間 留萌駅 - 増毛駅間
1975年(昭和50年)度[報道 3][報道 12] 2,245 1,199
1980年(昭和55年)度[報道 3] 855
1985年(昭和60年)度[報道 3] 592
1987年(昭和62年)度[報道 3][新聞 20] 435 480
2003年(平成15年)度 212
2004年(平成16年)度 212
2005年(平成17年)度 202
2006年(平成18年)度 187
2007年(平成19年)度 183
2012年(平成24年)度[報道 13][新聞 20] 162
2013年(平成25年)度[報道 13] 149
2014年(平成26年)度[報道 14][報道 15] 142 177 39
2015年(平成27年)度[報道 16][報道 17] 183 67
2016年(平成28年)度[報道 18] 188 134[注釈 1]
収支・営業係数[編集]
区間ごとの収支(営業収益、営業費用、営業損益)と営業係数は以下の通り。いずれも管理費を含めた金額である。▲はマイナスを意味する。
2014年(平成26年)度の留萌駅 - 増毛駅間の営業係数は4,554(管理費を除くと4,161)であり[報道 15][新聞 21]、これはかつて「日本一の赤字線」と呼ばれた美幸線の1974年(昭和49年)度の営業係数(3,859)をも凌ぐ数字である[新聞 22]。
深川駅 - 留萌駅間
年度 収支(百万円) 営業係数
(円)
営業収益 営業費用 営業損益
2014年(平成26年)度[報道 15] 46 693 ▲647 1,508
2015年(平成27年)度[報道 17] 55 738 ▲683 1,342
留萌駅 - 増毛駅間
年度 収支(百万円) 営業係数
(円)
営業収益 営業費用 営業損益
2014年(平成26年)度[報道 15] 5 232 ▲227 4,554
2015年(平成27年)度[報道 17] 7 184 ▲177 2,538
歴史[編集]
国鉄時代[編集]
1910年(明治43年)11月23日:官設鉄道留萠線として、深川駅 - 留萠駅間(31.1 M≒50.1 km)が開業[1][報道 1][報道 2]。同区間に筑紫駅(一般駅・直営駅)[34][35][3]、沼田駅(一般駅・直営駅)[35]、恵比島駅(一般駅・直営駅)[34][35][3]、峠下駅(一般駅・直営駅)[34][35][3]、幌糠駅(一般駅・直営駅)[34][35][3]、藤山駅(一般駅・直営駅)[34][35][3]、大和田駅(一般駅・直営駅)[34][35][3]、留萠駅(一般駅・直営駅)[35]を新設。
1921年(大正10年)11月5日:留萠駅 - 増毛駅間(10.4 M≒16.7 km)が延伸開業[1][報道 3]。同区間に礼受駅(一般駅・直営駅)[36][35][3]、舎熊駅(一般駅・直営駅)[35][3]、増毛駅(一般駅・直営駅)[35]を新設。
1924年(大正13年)4月25日:沼田駅が石狩沼田駅に改称[37]。
1926年(大正15年)7月1日:瀬越仮乗降場(局設定)を新設[35][3]。旅客のみ取り扱い。
1927年(昭和2年)10月25日:留萠駅 - 東留萠信号場 - 大椴駅間 (19.6km) が延伸開業(のちに羽幌線に編入)[2]。同区間に東留萠信号場、三泊駅(一般駅・直営駅)[38]、小平駅(一般駅・直営駅)[38]、大椴駅(一般駅・直営駅)[38]を新設。東留萠信号場 - 留萠駅間 (1.3 km) が留萠本線・羽幌線の二重戸籍区間となる。
1928年(昭和3年)10月10日:大椴駅 - 鬼鹿駅間 (8.9km) が延伸開業(のちに羽幌線に編入)[2]。同区間に鬼鹿駅(一般駅・直営駅)を新設[38]。
1931年(昭和6年)
8月15日:鬼鹿駅 - 古丹別駅間 (15.6km) が延伸開業(のちに羽幌線に編入)[2][新聞 1]。同区間に力昼駅(一般駅・直営駅)[38][新聞 1]、古丹別駅(一般駅・直営駅)[38][新聞 1]を新設。
10月10日:留萠駅 - 東留萠信号場 - 古丹別駅間 (44.1 km) が留萠線から分離され、羽幌線に改称[新聞 2]。深川駅 - 留萠駅 - 増毛駅間 (66.8 km) を留萠本線に改称[34][1][3]。
1941年(昭和16年)12月9日:羽幌線の新線付け替え[2]に伴い、留萠駅の構内配線を変更。東留萠信号場を廃止し、東留萠信号場 - 留萠駅間 (1.3 km) の二重戸籍区間が解消される。
1946年(昭和21年)3月14日:礼受駅 - 舎熊駅間の信砂川橋梁で、下り列車最後尾の客車が雪害により脱線し河川中に転落。死者17名、負傷者67名[39][報道 3]。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。
1954年(昭和29年)11月10日:筑紫駅が秩父別駅に改称[1][37][3]。
1955年(昭和30年)7月20日:北一己駅(旅客駅・直営駅)を新設[1][35][3]。旅客・荷物を取り扱い。
1956年(昭和31年)
7月1日:北秩父別仮乗降場(局設定)[3]、真布仮乗降場(局設定)[3]を新設。いずれも旅客のみ取扱い。
11月19日:気動車による運行を開始[1]。
1960年(昭和35年)9月15日:大和田駅・礼受駅・舎熊駅における貨物の取り扱いが終了(旅客駅となる)。
1961年(昭和36年)
1月15日:小樽駅・札幌駅 - 留萠駅 - 築別駅間(函館本線・留萠本線・羽幌線経由)の準急「るもい」が1往復運行開始(下りは小樽発、上りは札幌行き)[1][2][40][41]。
10月1日:準急「るもい」が、往復とも小樽発着になる。
1962年(昭和37年)
4月1日:礼受駅が業務委託駅となる。
5月1日:札幌駅 - 留萠駅 - 幌延駅間(函館本線・留萠本線・羽幌線経由)の急行「はぼろ」が1往復運行開始[2][40][41]。また、準急「るもい」の運行区間を小樽駅 - 留萠駅 - 増毛駅間(函館本線・留萠本線経由)に変更し、羽幌線への乗り入れがなくなる[40]。
11月1日:藤山駅における貨物の取り扱いが終了(旅客駅となる)。
1963年(昭和38年)
5月1日:舎熊駅が業務委託駅となる。
12月1日:東幌糠仮乗降場(局設定)[3]、桜庭仮乗降場(局設定)[42][3]、阿分仮乗降場(局設定)[3]、信砂仮乗降場(局設定)[3]、朱文別仮乗降場(局設定)[3]、箸別仮乗降場(局設定)[3]を新設。いずれも旅客のみ取り扱い。客貨混合列車を廃止し、客貨分離を達成[1]。全ての列車が気動車による運行となる[1]。
1963年(昭和38年)12月1日:準急「るもい」の運行区間を旭川駅 - 留萠駅 - 幌延駅間(函館本線・留萠本線・羽幌線経由)に変更し、2往復(下り2号と上り列車は幌延発着、下り1号は築別発着)とする。いずれも函館本線・留萠本線内(旭川駅 - 留萠駅間)のみ準急、羽幌線内(留萠駅 - 築別駅・幌延駅間)は普通列車として運行する[40][41]。札幌駅直通準急の名称を「かむい」に変更[40]。
1965年(昭和40年)10月1日:準急「かむい」の当線直通列車の名称が「ましけ」に変更[40][41]。
1966年(昭和41年)3月5日:準急行列車制度変更に伴い、「るもい」・「ましけ」が急行列車に変更[40][41]。「るもい」は築別発着と幌延発着が1往復ずつの2往復体制となる。
1967年(昭和42年)10月1日:急行「るもい」のうち、下り1号を留萠止まりとし、羽幌線直通は下り2号と上り1・2号とする。
1968年(昭和43年)10月1日:急行「ましけ」の留萠駅 - 増毛駅間を普通列車化。また、下り列車始発駅を手稲駅に変更[40]。急行「るもい」の羽幌線直通が2往復に戻る。
1969年(昭和44年)10月1日:瀬越仮乗降場が瀬越臨時乗降場となる[3]。
1970年(昭和45年)10月1日:急行「ましけ」の上り終着駅を手稲駅に変更。
1971年(昭和46年)7月1日:急行「ましけ」の札幌駅→小樽駅間が快速列車化され、下り列車の始発駅が手稲駅から札幌駅に変更。
1972年(昭和47年)3月15日:急行「るもい」のうち、下り1号を再び留萠止まりに戻し、羽幌線直通は下り2号と上り1・2号となる。
1977年(昭和52年)5月25日:恵比島駅・峠下駅・幌糠駅における貨物の取り扱いが終了(旅客駅となる)。
1978年(昭和53年)10月2日:増毛駅における貨物の取り扱いが終了(旅客駅となる)。留萠駅 - 増毛駅間の貨物営業が廃止[1][報道 3]。
1980年(昭和55年)10月1日:急行「ましけ」が廃止[40][41][報道 3]。
1982年(昭和57年)11月15日:秩父別駅・石狩沼田駅における貨物の取り扱いが終了(旅客駅となる)。
1984年(昭和59年)2月1日:
北一己駅・秩父別駅・石狩沼田駅・恵比島駅・峠下駅・幌糠駅・藤山駅・大和田駅・礼受駅・舎熊駅・増毛駅における荷物の取り扱いが終了。
閉塞合理化に伴い、北一己駅・藤山駅[4]の交換設備を撤去。秩父別駅・石狩沼田駅・恵比島駅・峠下駅・幌糠駅・増毛駅が簡易委託駅に[注釈 2]、北一己駅・藤山駅・大和田駅・礼受駅・舎熊駅が無人駅となる。
上り急行「るもい」が廃止。「るもい」は下り(旭川発留萠行き)のみの運転となり、羽幌線への乗り入れがなくなる[40]。
1986年(昭和61年)11月1日:閉塞合理化に伴い、秩父別駅[4]・恵比島駅[4]・幌糠駅[4]・大和田駅[4]の交換設備を撤去し、運転無人化。急行「るもい」・「はぼろ」の廃止[43][40][41]に伴い、優等列車の設定がなくなる。
民営化後[編集]
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が第一種鉄道事業者として全線を承継。日本貨物鉄道(JR貨物)が深川駅 - 留萠駅間の第二種鉄道事業者となり、JR貨物の留萠駅(貨物駅)を新設。北秩父別仮乗降場が北秩父別駅(旅客駅・無人駅)[1][35][3]、真布仮乗降場が真布駅(旅客駅・無人駅)[1][35][3]、東幌糠仮乗降場が東幌糠駅(旅客駅・無人駅)[1][35][3]、桜庭仮乗降場が桜庭駅(旅客駅・無人駅)[3]、瀬越臨時乗降場が瀬越駅(旅客駅・無人駅)、阿分仮乗降場が阿分駅(旅客駅・無人駅)[1][35][3]、信砂仮乗降場が信砂駅(旅客駅・無人駅)[1][35][3]、朱文別仮乗降場が朱文別駅(旅客駅・無人駅)[1][35][3]、箸別仮乗降場が箸別駅(旅客駅・無人駅)[1][35][3]となる。
1988年(昭和63年)6月:石狩沼田駅を再度直営駅(窓口業務のみ)に変更。
1989年(平成元年)7月23日:浜中海水浴場駅(臨時駅)を開設[3]。おおむね7月下旬から8月上旬までの期間限定で営業。
1990年(平成2年)
3月10日:北秩父別駅・真布駅・東幌糠駅・桜庭駅・瀬越駅・阿分駅・信砂駅・朱文別駅・箸別駅に営業キロを設定。快速「るもい」が下り旭川駅 - 増毛駅間、上り留萠駅 - 深川駅間に1往復で運転開始[40]。
10月1日:桜庭駅を廃止[42][3]。
時期不詳[注釈 3]:秩父別駅の簡易委託を廃止し、無人駅に変更。
199x年:増毛駅の簡易委託を廃止し、無人駅に変更。[要出典]
1993年(平成5年)2月:信砂駅を増毛方に42 m 移設[46]。
1994年(平成6年)12月:石狩沼田駅の交換設備を撤去。
1995年(平成7年)
4月1日:快速「るもい」が廃止[40]。
8月8日:浜中海水浴場駅を廃止[3]。
1997年(平成9年)
3月:深川駅 - 峠下駅間がタブレット閉塞式から特殊自動閉塞式に変更。
4月1日:路線名を留萌本線に改称[1][3]。留萠駅の漢字表記を留萌駅に変更[新聞 3]。北一己(きたいちゃん)駅が北一已(きたいちやん)駅に変更[注釈 4][1][37][新聞 3]。
1998年(平成10年)
3月:峠下駅 - 留萌駅間がタブレット閉塞式から特殊自動閉塞式に変更。これに伴い、峠下駅の運転要員を廃止し、完全無人化。
5月:石狩沼田駅を再度簡易委託駅(窓口業務のみ)に変更。
1999年(平成11年)4月1日:JR貨物が深川駅 - 留萌駅間の第二種鉄道事業を廃止。JR貨物の留萌駅を廃止。
2005年(平成17年)3月22日:箸別駅 - 増毛駅間で、線路脇の斜面で発生した雪崩に列車が乗り上げ脱線する事故が発生、死傷者なし[報道 19]。
2006年(平成18年)3月18日:東幌糠駅を廃止[3][報道 20]。
2007年(平成19年)
5月9日:秩父別駅で通学の高校生ら26名が満員状態の列車に乗車できず、タクシーで代行輸送された(詳細は「秩父別駅#その他」参照)[新聞 23]。
10月1日:深川駅に駅番号を設定[報道 21]。
2010年(平成22年)
8月22日:深川駅 - 留萌駅間の開業100周年を記念して、深川駅 - 増毛駅間に団体臨時列車「留萌本線開業100周年記念号」を運行。使用車両は14系客車による3両編成[報道 22]。
11月3日:深川駅 - 留萌駅間の開業100周年を記念して、深川駅 - 増毛駅間に団体臨時列車「お座敷特急・留萌本線100年号」を運行。使用車両はキハ183系6000番台による3両編成[報道 2]。
2012年(平成24年)3月7日:箸別駅 - 増毛駅間で、線路脇の斜面から崩れ落ちた雪と土砂に列車が乗り上げ脱線する事故が発生、死傷者なし[報道 23][報道 24][報道 25]。
2013年(平成25年)1月3日:記録的な大雪により全面運休。深川駅 - 留萌駅間は8日に復旧。留萌駅 - 増毛駅間は17日に復旧。雪による運休としては異例の15日間に及ぶ運休となった[新聞 24]。
2014年(平成26年)3月12日:留萌駅 - 増毛駅間の9駅に海抜表示板を設置[報道 26]。
2015年(平成27年)
2月23日:この日以降、留萌駅 - 増毛駅間で、雪崩及び斜面崩壊の危険があることから終日運転見合わせ[新聞 25]。この時点では代行輸送は行われなかった[新聞 26]。
3月25日:2月23日からの留萌駅 - 増毛駅間の運転見合わせが長期化したため、並行道路の路線バスが運行されていない時間帯に下り1本・上り2本のタクシー代行を開始[報道 27][新聞 25]。
4月29日:留萌駅 - 増毛駅間が運転再開[報道 28][新聞 27]。
8月10日:留萌駅 - 増毛駅間を2016年(平成28年)度までに廃止することを留萌市長と増毛町長に正式に伝達[報道 3][新聞 7]。
2016年(平成28年)
2月12日:留萌駅 - 増毛駅間が気温上昇により雪崩の恐れがあるため、同日の始発列車から当面の間終日運休[報道 29]。並行道路の路線バスが運行されていない時間帯に下り1本・上り2本のバス・タクシー代行を実施[報道 30]。
2月28日:留萌駅 - 増毛駅間の代行バス・タクシーの時刻・乗降場所を一部変更[報道 31]。
4月28日:留萌駅 - 増毛駅間が運転再開[報道 32]。JR北海道が留萌駅 - 増毛駅間の鉄道事業廃止届を国土交通省に提出[報道 6][報道 7][新聞 10]。
6月28日:6月9日に行った北海道運輸局による聴取の結果、留萌駅 - 増毛駅間の廃止予定日繰り上げが認められた[報道 8]ことから、JR北海道が留萌駅 - 増毛駅間の廃止予定日繰上げの届け出を国土交通省に提出[報道 4][報道 5]。
11月3日 - 12月4日:旭川駅 - 増毛駅間と留萌駅 - 増毛駅間にそれぞれ1往復ずつ臨時列車を運転。11月3日 - 11月20日は2両編成で土曜・日曜・祝日運転、11月23日 - 12月4日は3両編成で毎日運転。停車駅は旭川駅・深川駅・留萌駅・増毛駅のみ[報道 10][新聞 13][新聞 14]。
12月5日:留萌駅 - 増毛駅間 (16.7km) が廃止[報道 4][報道 5]。同区間の瀬越駅・礼受駅・阿分駅・信砂駅・舎熊駅・朱文別駅・箸別駅・増毛駅が廃止。
運行形態[編集]
定期列車は普通列車のみの運転で、全列車ワンマン運転になっている。全列車が全線通しで運転される。2時間以上運行間隔の開く時間帯がある。下りは1本のみ旭川から函館本線経由で留萌駅に直通する列車も設定されている。
一部の普通列車は途中駅を通過する。朝5時台の深川発留萌行き始発列車は石狩沼田駅・峠下駅・大和田駅にのみ停車する。
早朝と夜には旭川運転所 - 旭川駅 - 留萌駅間に回送列車が設定されており、深川駅発着の始発や最終列車も旭川駅を経由し、旭川運転所発着で回送される。
1990年(平成2年)3月10日からは下り旭川駅 - 増毛駅間、上り留萠駅(現在の留萌駅)- 深川駅間に快速「るもい」が1往復運転されていたが[40]、1995年(平成7年)4月1日に廃止された[40]。深川駅 - 留萠駅間の途中停車駅は秩父別駅・石狩沼田駅・峠下駅であった。
SLすずらん号[編集]
1998年(平成10年)12月、NHKの連続テレビ小説『すずらん』の撮影が、真岡鐵道から蒸気機関車C12 66を借り入れて行われた。これを機に、JR北海道においてもC11 171が動態復元され、これを使用した「SLすずらん号」が1999年(平成11年)5月から本路線で不定期運行されていた[報道 33]。2000年(平成12年)からはC11 207が動態復元されて運用に加わり[報道 1]、C11 171とC11 207による重連運転も実施された[報道 34]。
運行にあたっては空知・留萌の2支庁にまたがる沿線自治体を中心に「空知・留萌SL運行推進協議会」(2002年(平成14年)度からは「北空知・南留萌広域観光連絡協議会」)を設立し、JR北海道と地元との協力体制を確立した[報道 35]。2002年(平成14年)度からは運行区間が深川駅 - 留萌駅間から深川駅 - 増毛駅間に延長されたが[報道 36][報道 37]、2003年(平成15年)度からは沿線自治体のお祭り等にあわせたイベント的な運行となり、運行日が大幅に絞り込まれた[報道 35]。しかし、乗車人員が年々減少していたことから、2006年(平成18年)9月10日を最後に運行終了となった[報道 35][報道 38]。
「SLすずらん号」は1日1往復、全車指定席の快速列車として運転していた。留萌駅 - 増毛駅間は全車自由席だった。指定席券は800円と、ほかのJRの蒸気機関車牽引列車(SL列車)と同様、通常の快速列車・急行列車の指定席券よりも高く設定されていた。
停車駅[編集]
深川駅 - 秩父別駅 - 石狩沼田駅 - 恵比島駅 - 留萌駅 - 増毛駅
秩父別駅は2000年(平成12年)は下り列車(深川発留萌行き)のみ停車だった。また、石狩沼田駅は2002年(平成14年)から停車駅に追加された。
上り増毛発深川行き列車は、留萌駅まで運転して一旦打ち切り、その後2時間ほどしてから留萌駅から深川駅まで運転されていた。これは留萌駅を出ると増毛駅までの全駅が棒線駅で交換設備がないため、増毛駅に到着後すぐに列車を折り返さないと次の列車を増毛方面に運転できないからである。
沿革[編集]
1999年(平成11年)5月1日 - 11月11日:深川駅 - 留萌駅間で「SLすずらん号」1往復運行(計98日間)[報道 33][報道 35]。
2000年(平成12年)4月29日 - 9月10日:深川駅 - 留萌駅間で「SLすずらん号」1往復運行(計72日間)。同年からC11 207が運用に加わる[報道 33][報道 35]。
2001年(平成13年)6月16日 - 9月2日:深川駅 - 留萌駅間で「SLすずらん号」1往復運行(計45日間)[報道 35]。運行初日は沼田町で「全国SLサミット」が開催されるのに合わせ、C11 171とC11 207の重連運転を実施した[報道 34]。また、7月から8月にかけては車両運用の都合でC11 171の運用をC11 207が代走した[報道 39]。
2002年(平成14年)7月20日 - 8月25日:深川駅 - 増毛駅間で「SLすずらん号」1往復運行(計27日間)。同年から新たに石狩沼田駅にも停車するようになった[報道 36][報道 35]。
2003年(平成15年)5月24日・25日、6月14日・15日、9月13日 - 15日:深川駅 - 増毛駅間で「SLすずらん号」1往復運行(計7日間)[報道 40][報道 37][報道 35]。
2004年(平成16年)5月29日・30日、6月19日・20日、9月4日・5日・11日・12日:深川駅 - 増毛駅間で「SLすずらん号」1往復運行(計8日間)[報道 41][報道 42][報道 35]。
2005年(平成17年)5月28日・29日、6月25日・26日、8月27日・28日、9月10日・11日:深川駅 - 増毛駅間で「SLすずらん号」1往復運行(計8日間)[報道 43][報道 44][報道 45][報道 35]。
2006年(平成18年)5月27日・28日、6月24日・25日、9月9日・10日:深川駅 - 増毛駅間で「SLすずらん号」1往復運行(計6日間)。この年を最後に「SLすずらん号」運行終了[報道 46][報道 47][報道 48][報道 35]。
C11 171牽引による「SLすずらん号」(深川駅、2002年)
増毛ノロッコ号[編集]
毎年4月末から5月にかけて、土曜・日曜・祝日(ゴールデンウィーク含む)を中心に運行されているトロッコ列車である。2001年(平成13年)から「増毛GWノロッコ号」(ましけゴールデンウィークノロッコごう)として運行を開始し[報道 49]、2007年(平成19年)の運行から「増毛ノロッコ号」に改称された[報道 50][報道 51]。
ゴールデンウィーク中の運行は2014年(平成26年)をもって終了し[報道 52][報道 53][報道 54]、2015年(平成27年)は5月16日・17日に運行され[報道 55][報道 56]、2016年(平成28年)は5月7日・8日に臨時運行されることとなった(自由席3両と団体専用1両)[報道 57][新聞 28]。同年12月5日に留萌駅 - 増毛駅間が廃止となるため、交通新聞ではこれが最後の運行となりそうと報じている[新聞 28]。
運行区間は1往復(1・4号)が旭川駅 - 増毛駅間、1往復(2・3号)が留萌駅 - 増毛駅間である。運行開始当初は車内にバーベキュー調理設備を設けた「バーベキューカー」を2号車に1両連結した3両編成だったが、2014年(平成26年)度は「バーベキューカー」を2両連結した4両編成で運行された。
車両は「富良野・美瑛ノロッコ号」用の510系客車と「バーベキューカー」のナハ29000形客車が使用される。「バーベキューカー」は一般団体客専用、それ以外は全席自由席となる。
停車駅[編集]
旭川駅 - 深川駅 - 秩父別駅 - 石狩沼田駅 - 恵比島駅 - 留萌駅 - 増毛駅
沿革[編集]
2001年(平成13年):深川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛GWノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 49]。
2002年(平成14年)4月27日 - 5月6日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛GWノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行。同年から深川駅 - 増毛駅間の1・4号を旭川駅 - 増毛駅間に延長[報道 34]。
2003年(平成15年)4月26日 - 5月5日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛GWノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 40]。
2004年(平成16年)5月1日 - 5月5日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛GWノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 41]。
2005年(平成17年)4月29日 - 5月5日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛GWノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 43]。
2006年(平成18年)5月3日 - 7日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛GWノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 46][報道 47]。
2007年(平成19年)4月28日 - 5月13日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 50][報道 51]。
2008年(平成20年)5月3日 - 11日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 58]。
2009年(平成21年)5月2日 - 10日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 59]。
2010年(平成22年)5月1日 - 9日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 60]。
2011年(平成23年)4月29日 - 5月8日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 61]。
2012年(平成23年)4月28日 - 5月6日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 62]。
2013年(平成25年)4月27日 - 5月6日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 63]。
2014年(平成26年)4月26日 - 5月6日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行。この年は2・3号車に「バーベキューカー」を連結した4両編成で運行された[報道 52]。
2015年(平成27年)5月16日 - 17日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 55][報道 56]。
2016年(平成28年)5月7日 - 8日:旭川駅・留萌駅 - 増毛駅間に「増毛ノロッコ号」2往復(1 - 4号)を運行[報道 57][新聞 28]。
増毛ノロッコ号
留萌本線優等列車[編集]
留萠駅・増毛駅発着や羽幌線直通の優等列車が運行されていたが、JR北海道発足以前にすべて廃止された。
るもい[編集]
「スーパーカムイ」も参照
「るもい」は小樽駅・札幌駅 - 留萌駅 - 築別駅間(函館本線・留萠本線・羽幌線経由)の準急列車として、1961年(昭和36年)1月15日に1往復で運行を開始した(下りは小樽発、上りは札幌行き)[1][2][40][41]。同年10月1日には往復とも小樽発着になるが、1962年(昭和37年)5月1日には運行区間が小樽駅 - 留萠駅 - 増毛駅間(函館本線・留萠本線経由)に変更され、いったん羽幌線への乗り入れがなくなった[40]。
1963年(昭和38年)12月1日には運行区間が旭川駅 - 留萠駅 - 築別駅・幌延駅間(函館本線・留萠本線・羽幌線経由)に変更され[41]、2往復体制(下り2号と上り列車は幌延発着、下り1号は築別発着)での運行となった。羽幌線内への乗り入れが復活したが、いずれも準急列車としての運行は函館本線・留萠本線内(旭川駅 - 留萠駅間)のみで、羽幌線内(留萠駅 - 築別駅・幌延駅間)は普通列車として運行された[40]。なお、札幌駅直通準急の名称は「かむい」に変更された[40]。
1966年(昭和41年)3月5日には急行列車となり[40][41]、築別発着と幌延発着が1往復ずつの2往復体制となる。1967年(昭和42年)10月1日には下り1号が留萠止まりとなり、羽幌線直通は下り2号と上り1・2号となった。1968年(昭和43年)10月1日には羽幌線直通が2往復となるが、1972年(昭和47年)3月15日に下り1号が再度留萠止まりに戻っている。
1984年(昭和59年)2月1日に上り列車が廃止されて下り列車(旭川発留萠行き)のみの運転となり、羽幌線への乗り入れがなくなった[40]。その下り列車も1986年(昭和61年)11月1日に「はぼろ」と共に廃止され、これによって留萠本線・羽幌線から優等列車が消滅した[43][40][41]。
車両はキハ22形気動車が使用された[40]。運行開始当初は単行(1両編成)だったが[40]、1963年(昭和38年)12月1日からは2両編成で運行された[40]。
廃止時の停車駅
旭川駅 - 深川駅 - 石狩沼田駅 - 留萠駅
昭和40年代には恵比島駅にも停車していた。
ましけ[編集]
「スーパーカムイ」も参照
「ましけ」は準急「かむい」の増毛発着列車を改称する形で、1965年(昭和40年)10月1日に運行を開始した[40][41]。1966年(昭和41年)3月5日に急行列車となるが[40][41]、1968年(昭和43年)10月1日には留萠駅 - 増毛駅間が普通列車となり、下り列車の始発駅が手稲駅に変更された[40]。1970年(昭和45年)10月1日には上り列車の終着駅が手稲駅に変更された。
1971年(昭和46年)7月1日には下り列車の始発駅を札幌駅に変更し、札幌駅→小樽駅間が快速列車となった。1980年(昭和55年)10月1日に廃止された[40][41][報道 3]。
廃止時の停車駅
小樽駅 - (この間普通列車) - 札幌駅 - 江別駅 - 岩見沢駅 - 美唄駅 - 砂川駅 - 滝川駅 - 深川駅 - 石狩沼田駅 - 留萠駅 - (この間普通列車) - 増毛駅
昭和40年代は恵比島駅にも停車していた。
はぼろ[編集]
「羽幌線#はぼろ」を参照
使用車両[編集]
現在の使用車両[編集]
気動車
キハ54形
当路線の限定運用で、ほぼ1両編成(単行)で運転される。
過去の使用車両[編集]
蒸気機関車
D61形
貨物用機関車だが、旅客列車も牽引していた[47]。
C11形
「SLすずらん号」の牽引機関車として、C11 171とC11 207が使用された。
客車
14系
「SLすずらん号」として使用。
気動車
キハ22形
普通列車のほか、準急「るもい」や急行「はぼろ」に充当[40]。
キハ40形
キハ150形
キハ54形の改造による一時的な代走として運用。
駅一覧[編集]
通停(全列車普通列車) … ●:全列車が停車、□:上下列車とも一部列車が通過、▽:下りの一部列車のみ通過、△:上りの一部列車のみ通過
線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
全駅北海道内に所在
駅番号 駅名 駅間
営業キロ 累計
営業キロ 通停 接続路線 線路 所在地
A24 深川駅 - 0.0 ● 北海道旅客鉄道:函館本線 ∨ 空知管内 深川市
北一已駅 3.8 3.8 ▽ |
秩父別駅 5.0 8.8 ▽ | 雨竜郡 秩父別町
北秩父別駅 2.4 11.2 □ |
石狩沼田駅 3.2 14.4 ● | 沼田町
真布駅 3.4 17.8 □ |
恵比島駅 2.9 20.7 ▽ |
峠下駅 7.6 28.3 ● ◇ 留萌管内 留萌市
幌糠駅 6.2 34.5 □ |
藤山駅 5.5 40.0 □ |
大和田駅 4.2 44.2 △ |
留萌駅 5.9 50.1 ● ∧
廃駅・廃信号場[編集]
廃止区間の駅は後節参照。( )内は深川駅からの営業キロ。
東幌糠駅:2006年(平成18年)3月18日廃止[3][報道 20]。峠下駅 - 幌糠駅間 (31.6 km)
桜庭駅:1990年(平成2年)10月1日廃止[42][3]。幌糠駅 - 藤山駅間 (37.2 km)
東留萠信号場:1941年(昭和16年)12月9日廃止。大和田駅 - 留萌駅間 (48.8 km)
廃止区間[編集]
累計営業キロは、2016年12月5日廃止時点における深川駅からのもの。
通停 … ●:全列車が停車、□:夏期間の一部列車のみ停車、△:上り留萌行き最終列車(休日運休)のみ通過
留萌駅を除き全駅列車交換不可
駅名 駅間
営業キロ 累計
営業キロ 通停 備考 所在地
留萌駅 - 50.1 ● 留萌管内 留萌市
瀬越駅 2.1 52.2 △
(臨)浜中海水浴場駅 1.8 54.0 □ 1995年(平成7年)8月8日廃止[3]
礼受駅 2.2 56.2 ●
阿分駅 1.3 57.5 △ 増毛郡 増毛町
信砂駅 2.7 60.2 △
舎熊駅 0.8 61.0 ●
朱文別駅 1.7 62.7 △
箸別駅 1.3 64.0 △
増毛駅 2.8 66.8 ●
以下の区間は、留萠鉄道が留萌港まで開設した石炭や木材の貨物線だったが、1941年(昭和16年)10月1日、買収と同時に留萠駅の構内線に編入された。
留萠駅 - 西留萠駅 (1.2km)
留萠駅 - 北留萠駅 (1.0km)
分岐点 - 仮古丹浜駅 (1.1km)
過去の接続路線[編集]
深川駅:深名線 - 1995年(平成7年)9月4日廃止。
石狩沼田駅:札沼線 - 1972年(昭和47年)6月19日石狩沼田駅 - 新十津川駅間廃止。
恵比島駅:留萠鉄道 - 1969年(昭和44年)5月1日休止。1971年(昭和46年)4月15日廃止。
留萠駅(留萌駅):
羽幌線 - 1987年(昭和62年)3月30日廃止。
天塩炭礦鉄道 - 1967年(昭和42年)7月31日廃止。
ロケにおける駅の使用[編集]
留萌線の各駅は、さまざまな作品のロケ地として使われている。以下はその事例である。
増毛駅 …『駅 STATION』[新聞 29][新聞 30]『魚影の群れ』『じゃこ萬と鉄』『網走番外地(さいはての流れ者)』『BOOTLEG FILM』『殺し(KOROSHI)』
留萌駅 …『留萌交番日記』『学校II』『歩く、人』
恵比島駅 …『すずらん』『てなもんや駅長奮闘記』『氷点』
幌糠駅 …『青空に一番近い場所』
なお、ロケでは使用されなかったが、1972年にTBS系列で放送された『ケーキ屋ケンちゃん』では、ケンちゃん一家が北海道旅行した際に、当線の列車と北一己駅(現:北一已駅)が登場していた。
代替輸送[編集]
廃止された留萌駅 - 増毛駅間には、廃止前から並行して沿岸バスのバス路線・留萌別苅線が1日9往復運行されており、これが廃止区間の代替バスとして機能している。
ただ、廃止後もバス便の増発は行われていないため[48]、鉄道では存在したがバス便では設定のない早朝・夜間の時間帯については、JR北海道から受け取った支援金10年分5千万円を活用した乗合タクシー(完全予約制)を1往復新設した。運行は留萌市に営業所を構えるタクシー会社・小鳩交通に委託しており、乗車を希望する場合は早めに予約を入れることになっている。深川駅 - 留萌駅間の列車との接続を考慮して、早朝便は旧増毛駅舎前午前6時10分発、夜間便は留萌駅正面玄関前午後9時15分発としている[49][新聞 31][新聞 32]。
脚注[編集]
[ヘルプ]
注釈[編集]
^ 平成28年12月4日までの実績を用いて算出
^ ただし、北一己駅を除く各駅は出札・改札業務の廃止のみで、閉塞扱いの運転要員は継続して配置された。
^ 秩父別駅は1990年(平成2年)7月1日時点では簡易委託駅[44]、1993年(平成5年)6月時点では完全な無人駅となっている[45]。
^ もともとは「北一已」が正当な表記だが、基本計画では「北一己」と表記されていた。
出典[編集]
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 138-139頁
^ a b c d e f g h i j k l 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 270-271頁
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 『日本鉄道旅行地図帳―全線・全駅・全廃線―』 1号・北海道 44頁
^ a b c d e f g h i j 『無人駅探訪』 148頁
^ a b c [|黒鉄好] (2015-07-25). “ついにJR北海道崩壊が始まった~「選択と集中」提言で噴出する赤字ローカル線問題”. 地域と労働運動 (ぶなの木) (178) 2016年12月3日閲覧。.
^ 北海道議会 (2013-10-04). “平成25年第3回定例会意見案” 2016年12月3日閲覧. "「意見案第8号 JR北海道の安全対策強化と安全運行を求める意見書 25.10.3中司哲雄議員 高橋亨議員 包國嘉介議員 大河昭彦議員 鳥越良孝議員 真下紀子議員提出 / 25.10.4原案可決」"
^ 北海道議会 (2014-07-04). “平成26年第2回定例会意見案” 2016年12月3日閲覧. "「意見案第11号JR北海道及びJR貨物の安全対策強化と安全運行を求める意見書 26.7.3 中司哲雄議員 高橋亨議員 包國嘉介議員 大河昭彦議員 鳥越良孝議員 真下紀子議員提出 / 26.7.4原案可決」"
^ JR北海道再生推進会議 (2015年6月26日). “JR北海道再生のための提言書” (PDF) 2016年12月3日閲覧。
^ 総合政策部知事室広報広聴課 (2015年11月13日). “知事定例記者会見記録(11/12)”. 2016年12月3日閲覧。
^ 留萌市議会 (2015-08-11). “議会かわら版10月号” (PDF). オリジナルの2015-08-16時点によるアーカイブ。 2016年12月3日閲覧. "「留萌線(留萌・増毛間)- 調査研究のため議員7名の構成による、「留萌線検討対策会議」が平成27年8月11日に設置されました。JR北海道からの地元への提案の鉄道事業廃止についての内容などについて、議会としての方向性を示すこととします。」"
^ a b 留萌市議会 平成27年9月定例会(第3回)-09月07日-02号 「◎ 市長(高橋定敏君) 将来にわたる安全確保のための防災工事費に数十億円が必要となる見込みであることをお聞きし、留萌・増毛間の鉄道事業廃止の申し入れに至ったことについて、私としては、ある意味ではやむを得ないと判断したものでございます。」
^ 北海道総合政策部交通政策局交通企画課 (2015年11月7日). “地域公共交通検討会議について (PDF)”. 2016年12月3日閲覧。 “「委員 北大公共政策大学院長 北大大学院工学研究院准教授 北大大学院経済学研究科長吉見宏 JR北海道常務取締役 北海道バス協会理事 北海道ハイヤー協会会長 札幌エアラインズアソシエーション会長 帯広市長 浜頓別町長 今金町長 大空町長」”
^ a b 村上均 (2015年12月14日). “留萌線検討対策会議が要望書提出”. 2016年12月3日閲覧。
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参考文献[編集]
書籍[編集]
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雑誌[編集]
『鉄道ジャーナル』第21巻第1号(通巻241号)、鉄道ジャーナル社、1987年1月、 48-49頁。
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
外部リンク[編集]
“北海道マップ(道北エリア拡大マップ)” (日本語). 鉄道- 情報(バリアフリー情報). 北海道旅客鉄道. 2016年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月13日閲覧。
“留萌本線” (日本語). 旭川支社管内駅紹介. 北海道旅客鉄道旭川支社. 2014年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月28日閲覧。
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表 話 編 歴
JR logo (hokkaido).svg 北海道旅客鉄道旭川支社
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