TOP > ヒカルの碁 10年後 - 検索
囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。
相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。
面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。
相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
▲TOPページ
当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。
「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質
・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実
これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
京王御陵線
御陵線
住宅街の中に残る橋脚
住宅街の中に残る橋脚
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 東京都八王子市
起点 北野駅
終点 多摩御陵前駅
駅数 5駅
開業 1931年3月20日
休止 1945年1月21日
廃止 1964年11月26日
所有者 東京急行電鉄(休止時)
京王帝都電鉄(廃止時)
運営者 東京急行電鉄(休止時)
京王帝都電鉄(廃止時)
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 6.3 km
軌間 1,372 mm
線路数 単線
電化方式 直流600 V 架空電車線方式
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
京王線
ABZq+l BHFq
0.0 北野駅
KRZo
国鉄:横浜線
BHF
1.7 片倉駅
BHF
3.2 山田駅
xABZlf
高尾線 1967-
xKRZo STRq STRq STRlg
国鉄:中央本線
HUB64 STR
5.1 武蔵横山駅
exmKRZo
uexSTRlg STR
武蔵横山駅前停留場
exSTR
STR
京王電気軌道:高尾線 -1939
exKBHFe uexSTR STR
6.3 多摩御陵前駅
uexHST eHST
左:御陵前停留場/右:東浅川駅(仮)
御陵線(ごりょうせん)は、1931年(昭和6年)から1945年(昭和20年)まで営業していた京王電気軌道(→東京急行電鉄→京王帝都電鉄〈現・京王電鉄〉)の鉄道路線である。一部区間は現在の高尾線となっている。
目次 [非表示]
1 概要
2 路線データ
3 歴史
4 北回り案と南回り案
5 駅一覧
6 接続路線
7 現状
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
概要[編集]
大正天皇が埋葬された天皇家初の関東地区での多摩御陵が話題となり、多くの参拝者の移動手段として京王電気軌道の手により敷設された。普段は北野 - 多摩御陵前間の折り返し運転であったが、全盛期の頃は土日になると新宿からの直通運転が行われ、省線電車との熾烈な輸送競争を行っていた。
戦局の悪化に伴い不要不急線として1945年(昭和20年)1月21日に休止。休止期間中は、駅舎、線路、バラスト、架線柱は順次撤去され、その跡は雑草が生い茂り、実質的な廃線状態であった。ただ、築堤、一部の架線柱、高架橋の橋脚、鉄橋等は高尾線の敷設工事まで残され、今でも京王片倉駅新宿方の国道16号線を跨ぐ下り線の鉄橋は、御陵線開業時のものが使用されている。 御陵線廃線跡は、後に、北野 - 山田間が高尾線の一区間に取り込まれる形で復活。残りの山田 - 多摩御陵前間は高尾線新設区間の山田 - 高尾山口間の免許認可後の1964年(昭和39年)11月26日付で正式に廃止となった。
路線データ[編集]
路線距離:6.3km
軌間:1372mm
駅数:5駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V) - 営業当時、京王線も直流600V電化。
歴史[編集]
1927年(昭和2年)12月13日 鉄道免許状下付(八王子市明神町-南多摩郡横山村間)[1]
1931年(昭和6年)3月20日 京王電気軌道により御陵線 北野 - 御陵前間が開業[2]
1937年(昭和12年)5月1日 横山駅を武蔵横山駅に、御陵前駅を多摩御陵前駅に改称[2]
1944年(昭和19年)5月31日 京王電気軌道が東京急行電鉄に合併、同社の路線となる[2]
1945年(昭和20年)
1月21日 北野 - 多摩御陵前間休止
10月1日 北野 - 多摩御陵前間が軌道法による軌道から地方鉄道法による地方鉄道に変更[3]
1948年(昭和23年)6月1日 東京急行電鉄から京王帝都電鉄が分離、同社の路線となる[2]
1964年(昭和39年)
6月17日 高尾線山田(北野起点3k760m) - 高尾山口間免許
11月26日 山田(北野起点3k760m) - 多摩御陵前間廃止[2]
1967年(昭和42年)10月1日 高尾線として北野 - 山田間が復活。片倉駅を京王片倉駅に改称[2]
北回り案と南回り案[編集]
御陵線のルートには、二つの案があった。一つは当時の東八王子駅(現・京王八王子駅)を高架化して、八王子市街地北部と同市横川町付近を経由し、多摩御陵付近へ京王線を延伸するいわゆる北回り案。もう一つは北野駅から分岐して片倉を経由し、国鉄中央本線と甲州街道を高架でオーバークロスして、多摩御陵付近へ至るいわゆる南回り案である。北回り案については、市街地が路線で分断されるとの理由で八王子市議会が反対したために、御陵線は最終的に南回り案で建設された。
駅一覧[編集]
北野駅 - 片倉駅(現・京王片倉駅) - 山田駅 - 武蔵横山駅(休止のち廃止) - 多摩御陵前駅(休止のち廃止)
全線単線であったが、片倉駅と武蔵横山駅には交換設備があった。
接続路線[編集]
北野駅:京王線
京王電気軌道時代
武蔵横山駅:高尾線(武蔵横山駅前駅)
現状[編集]
橋脚が塀の代わりになっている
御陵線の面影を残す痕跡として、長房団地近くの住宅街に橋脚が残っている。
廃線跡はNHK総合テレビ『ブラタモリ』(2016年9月17日放送・「高尾山」回)で紹介された[4]。
脚注[編集]
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年12月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b c d e f 今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳』4 関東2、新潮社、2008年、46頁。ISBN 978-4-10-790022-7。
^ 「軌道を地方鉄道に変更許可」『官報』1945年10月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ ブラタモリ これまでの放送
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
東浅川駅 - 多摩御陵の参拝のために、国鉄線上に作られた駅(皇室専用)。
外部リンク[編集]
京王電車回顧二十年(京王線・御陵線沿線の吉田初三郎鳥瞰図) - 国立国会図書館デジタルコレクション
[表示]
表 話 編 歴
京王電鉄 京王電鉄の路線
カテゴリ: 関東地方の鉄道路線 (廃止)京王電鉄の鉄道路線東京都の交通史
奥羽新幹線
奥羽新幹線(おううしんかんせん)とは、福島市から山形市を経由し秋田市に至る約270キロメートルにわたる新幹線の基本計画路線である。福島駅で東北新幹線と接続する。
目次 [非表示]
1 計画の概要
2 ミニ新幹線開通の影響
3 プロジェクトチーム発足
4 予定区間
5 関連項目
6 脚注
7 参考文献
8 外部リンク
計画の概要[編集]
1970年に全国新幹線鉄道整備法が制定され、全国に新幹線網が広がることになった。1971年には東北新幹線が着工され、翌年から1973年11月15日にかけて全国17路線が新幹線基本計画線として決定され、その中には奥羽新幹線、羽越新幹線も含まれていた[1]。
奥羽新幹線は、在来の奥羽本線のうちの南線(奥羽南線、福島駅 - 秋田駅)に並行して建設する計画が立てられた。最終計画では秋田駅で羽越新幹線と接続する予定である。羽越新幹線は青森市までの基本計画があり、福島駅 - 秋田駅間の開通後は秋田駅 - 新青森駅間(奥羽北線に並行する路線)を建設し、新青森駅で東北新幹線と再び接続させようとする計画もある。
奥羽本線の福島駅 - 新庄駅間と大曲駅 - 秋田駅間は標準軌に改軌して東北新幹線との直通運転を図ったミニ新幹線(山形新幹線、秋田新幹線)として整備された。しかし、これらは法的には在来線のままであり、いずれも全国新幹線鉄道整備法に基づく暫定整備計画によって整備されたものではないため、奥羽新幹線自体は全線が基本計画線のままとなっている。
2010年代に入り、フル規格の新幹線整備に対する県民運動が活発に行われ始めている。東日本大震災以降、被災の影響で山間部を多く経由する奥羽本線で1か月以上も交通網が寸断されるなどの被害を受けたため災害にも強い公共交通機関である新幹線の整備を推す声が強まっている。さらに昭和47年基本計画における新幹線7路線(東北・上越・成田・北海道・北陸・九州〈鹿児島ルート〉・九州〈長崎ルート〉。ただし成田は中止)の完成計画の目途が立ったため、その次に着工が予定されている昭和48年基本計画に盛り込まれた奥羽新幹線の着工も現実味を帯び始めたことから、沿線の福島、山形、秋田の3県で注目を浴びる材料となった[2]。
ミニ新幹線開通の影響[編集]
山形・秋田のミニ新幹線が開業し、山形市や秋田市と首都圏を結ぶ鉄道の高速化が図られた一方で、それまで特急列車で乗り換えることなく4時間半程度で移動できた奥羽本線の福島 - 秋田間が、3回の乗り換えと6時間程度もの時間を要するようになり、在来の奥羽本線の運行体系が寸断されたのも事実で、一部の秋田・山形県民[誰?]からは高規格による『奥羽新幹線』の早期建設と共に福島 - 秋田間の直通特急『つばさ』の復活を求める声がある。なお、福島 - 秋田間の移動に盛岡駅を経由して東北・秋田新幹線を用いると、1回の乗り換えと2時間50分弱で移動可能である。
プロジェクトチーム発足[編集]
2017年8月9日、奥羽、羽越両新幹線のフル規格での整備を目指し、山形県を事務局として沿線6県(青森、秋田、山形、福島、新潟、富山)の担当課長などで構成される「羽越・奥羽新幹線関係6県合同プロジェクトチーム」(PT)が発足し、山形市においてはじめての会合が開催された。PTは沿線エリアの地域ビジョンや費用対効果、整備手法の3項目について、調査・検討を進め、取りまとめた結果を、政府への要望活動などに活かす方針で、2019年度をめどに最終報告書を取りまとめるとしている[3][4]。
予定区間[編集]
起点:福島駅(福島市)
現時点で駅が確定しているのは起点の福島駅のみ。福島駅鉄道敷地内をはじめ福島市内には奥羽新幹線用の建設用地が多く確保されている(その大半は駐車場や資材置き場として活用されている)。
経由:山形市内
県庁所在地市であり利用者が多く見込まれる点から経由地の一つとして想定されている。
終点:秋田市内
奥羽新幹線と同じく1973年基本計画に盛り込まれている「羽越新幹線」との合流点(秋田市内)に終点駅が置かれる予定である。
関連項目[編集]
整備新幹線
脚注[編集]
^ 『山形県史 第7巻 (現代編 下)』p.672 - 673
^ “「幻の新幹線」建設訴え 奥羽・山陰…知事動く(真相深層)”. 日本経済新聞. (2015年8月8日) 2017年8月24日閲覧。
^ “奥羽、羽越フル規格化要望へ6県PT発足 山形で初会合、19年度めどに最終報告”. 山形新聞. (2017年8月10日) 2017年8月24日閲覧。
^ “<奥羽・羽越新幹線>沿線6県、早期実現へプロジェクトチーム結成へ”. 河北新報. (2017年8月5日) 2017年8月24日閲覧。
参考文献[編集]
山形県編 『山形県史 第7巻 (現代編 下)』山形県、2004年。
外部リンク[編集]
「奥羽新幹線・羽越新幹線」について - 山形県ホームページ
[表示]
表 話 編 歴
新幹線
カテゴリ: 新幹線の路線未開業の鉄道
上越新幹線
■
E4系「Maxとき」(高崎駅)
E4系「Maxとき」(高崎駅)
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 埼玉県、群馬県、新潟県
種類 高速鉄道(新幹線)
起点 大宮駅
終点 新潟駅
駅数 10駅
開業 1982年11月15日
所有者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本)
使用車両 E2系・E3系・E4系・E7系(大宮-高崎)・W7系(大宮-高崎)
路線諸元
路線距離 269.5 km
営業キロ 303.6 km
軌間 1,435 mm
線路数 複線
電化方式 交流25,000 V・50 Hz
架空電車線方式
閉塞方式 車内信号式
保安装置 ATC(DS-ATC)
最高速度 240 km/h
[折り畳む]路線図
鉄道路線図 JR上越新幹線.svg
テンプレートを表示
上越新幹線(じょうえつしんかんせん)は、大宮駅から新潟駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の高速鉄道路線(新幹線)およびその列車である。全列車が東京駅まで乗り入れているため、旅客案内上は東京駅から新潟駅までが「上越新幹線」と案内される。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
1.1.1 本線
1.1.2 支線(正式には上越線の一部)
2 駅一覧
2.1 上越新幹線
2.2 支線(上越線支線)
2.3 各駅の構造
3 運行形態
3.1 ダイヤパターンと停車駅
3.1.1 現行
3.1.2 号数の振り方
3.2 列車の概要
3.3 列車愛称
3.3.1 「とき」「Maxとき」
3.3.2 「たにがわ」「Maxたにがわ」
4 車両
4.1 現用車両
4.1.1 営業車両
4.1.2 事業用車両
4.1.3 試験用車両
4.2 導入予定の車両
4.3 過去の車両
4.3.1 営業車両
4.3.2 事業用車両
4.3.3 試験用車両
5 運賃と特急料金
6 営業
6.1 車内設備
7 利用状況
8 歴史
8.1 計画から建設まで
8.2 新潟県中越地震による影響
8.3 年表
8.3.1 国鉄時代 開業前
8.3.2 国鉄時代 開業後
8.3.3 JR東日本発足後
9 今後の予定
10 その他
11 路線形態詳細
12 注釈
13 出典
14 参考文献
15 関連項目
16 外部リンク
概要[編集]
冬期間の越後湯沢駅。スプリンクラーで融雪され、線路上の積雪は排除される。
全国新幹線鉄道整備法に基づく新幹線鉄道として初めて『全国新幹線鉄道整備法第四条第一項の規定による建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』(1971年運輸省告示)に盛り込まれた3線のうちの一つである(残り2線は東北新幹線と成田新幹線)。 1971年(昭和46年)に基本計画の決定、同年4月1日に整備計画の決定を経て[1]、同年10月14日に運輸大臣が日本国有鉄道(国鉄)および日本鉄道建設公団に対して上越新幹線の工事実施計画を認可し[1]、同年11月28日に着工[1]、1982年(昭和57年)11月15日に大宮 - 新潟間が開業[2]。のち、東北新幹線の上野 - 大宮、東京 - 上野間の開業に伴い順次運転区間を延長した。
東京 - 大宮間は線籍上は東北新幹線であるが、大宮駅を始終着とする列車はなく、全列車が東京駅(臨時列車の一部は上野駅始終着)まで乗り入れており、同区間を含む東京 - 新潟間が「上越新幹線」と案内される(同様に、上越新幹線の大宮 - 高崎間に乗り入れている北陸新幹線の列車については、東京 - 高崎間においても「北陸新幹線」と案内される)。
群馬県と新潟県の県境を挟む区間(高崎 - 長岡間)は日本列島の中央分水嶺である三国山脈を横断するため、多くの区間がトンネルである。また、豪雪地帯である新潟県内を中心にスプリンクラーによる融雪設備を備えるほか、新潟県内の駅では線路・プラットホーム全体が屋根で覆われるなど、雪害対策が施されている。これにより、雪による運行上の障害は少ない。平野部(関東平野・越後平野)では、大部分が高架上を走る。
従来の東海道・山陽・東北新幹線と異なるのは、"本州を横断する新幹線"であるという点である。本州の太平洋側と日本海側を結ぶ初の新幹線であり、首都圏方面から日本海側の各都市(具体的には越後湯沢や長岡での乗り継ぎで上越・富山・金沢方面が、新潟での乗り継ぎで村上・山形県庄内地方・秋田方面)がそれぞれ従来より短時間で結ばれた(その後、富山・金沢方面への輸送は2015年開業の北陸新幹線に大部分を譲った)。
「上越」の名称は並行在来線の上越線(高崎駅 - 宮内駅間)から由来するもので、群馬・新潟両県の旧令制国名(上州と越後)に由来する。
越後湯沢 - ガーラ湯沢間は、冬期間のみ営業する区間である。新幹線車両しか乗り入れないが、線籍上は上越線の支線で在来線扱いとなっている。
最高速度は全線で240km/hであり、大半の区間が直線主体の線形であるため、最高速度での走行が可能である。ただし、高崎 - 上毛高原間の「中山トンネル」については建設時にトンネルが水没する大出水事故が2回起き、結果的に当初計画から迂回するルートに変更され、半径1,500mの曲線が介在する線形となっており、同トンネルでは160km/hの速度制限を受けることとなった[3]。
なお、長岡 - 新潟間は基本計画路線に入っている羽越新幹線との共用区間であるが、基本計画決定以降こちらの建設については動きはない。
ラインカラーは緑(■)[注 1]。
路線データ[編集]
本線[編集]
営業主体:東日本旅客鉄道(JR東日本)
建設主体:日本鉄道建設公団
区間:大宮駅 - 新潟駅間
路線距離(実キロ):269.5km(営業キロは303.6km)
軌間:1,435mm(標準軌)
駅数:10(起終点駅含む、このうち上越新幹線単独駅は2駅)
複線区間:全線
電化区間:全線(交流25,000V・50Hz)
保安装置:ATC(DS-ATC)
運転指令所:JR東日本新幹線運行本部 総合指令室
列車運行管理システム:新幹線総合システム(COSMOS)
構造種別延長割合 路盤 1%、橋梁 11%、高架橋 49%、トンネル 39%[4]
最高速度:240km/h
支線(正式には上越線の一部)[編集]
区間:越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅間
路線距離(実キロ・営業キロ):1.8km(両キロとも同じ)
軌間:1435mm
駅数:2(起終点駅含む)
複線区間:全線(単線並列)
電化区間:全線(交流25,000V・50Hz)
保安方式:ATC(DS-ATC)
運転指令所:JR東日本新幹線運行本部 総合指令室
列車運行管理システム:新幹線総合システム(COSMOS)
JR東日本の新幹線では、全体の運行管理業務を本社内の新幹線運行本部が統括する一方、保線管理や駅営業業務等の現業機関については地方支社が新幹線と並行在来線の双方を一体管理する組織体系を取っている[注 2]。上越新幹線における支社毎の管轄割り当ては以下の通り。
大宮駅付近[注 3]:大宮支社
熊谷 - 上毛高原:高崎支社
越後湯沢 - 新潟、越後湯沢 - ガーラ湯沢:新潟支社
駅一覧[編集]
乗車人員は東日本旅客鉄道の駅の内、新幹線のみの数値[5]。なお、越後湯沢 - ガーラ湯沢は在来線の上越線に属するため、在来線の人員で計上される。増加減少は前年度に比較した増(増加)減(減少)を表す。
上越新幹線[編集]
起終点の大宮駅と新潟駅をのぞいて、通過線を有する。東北新幹線に属する上野駅と東京駅にも通過線はない。ホームドアが設置された駅はない。
接続路線は上越新幹線の自動放送の案内に従って表記する(ただし、並行在来線はそのまま追加)[注 4]。
正式路線名 駅名 大宮からの 東京からの 停車駅 2015年度
乗車人員
(1日平均)[6] 接続路線 所在地
営業
キロ 実
キロ
[7] 営業
キロ 実
キロ
東北新幹線 東京駅 山区 30.3 31.3 0.0 0.0 全 77,677増加 東海旅客鉄道:■ 東海道新幹線
東日本旅客鉄道:JY 山手線・JK 京浜東北線・JC 中央線
JT 東海道線・JU 宇都宮線(東北本線)・高崎線・JJ 常磐線
JO 横須賀線・総武快速線・JE 京葉線
東京地下鉄:M 丸ノ内線 東京都 千代田区
上野駅 山区 26.7 27.7 3.6 3.6 11,633増加 東日本旅客鉄道:JY 山手線・JK 京浜東北線
JU 宇都宮線(東北本線)・高崎線・JJ 常磐線
東京地下鉄:G 銀座線・H 日比谷線
京成電鉄:KS 本線(京成上野駅) 台東区
大宮駅 0.0 0.0 30.3 31.3 全 29,162増加 東日本旅客鉄道:■ 東北新幹線・JK 京浜東北線
JU 宇都宮線(東北本線)・高崎線・JA 埼京線・川越線
東武鉄道:TD 野田線
埼玉新都市交通:■伊奈線(ニューシャトル) 埼玉県 さいたま市
大宮区
上越新幹線
熊谷駅 34.4 36.6 64.7 67.9 4,358減少 東日本旅客鉄道:■高崎線
秩父鉄道:■秩父本線 熊谷市
本庄早稲田駅 55.7 57.7 86.0 89.0 2,144増加 本庄市
高崎駅 74.7 77.3 105.0 108.6 14,013増加 東日本旅客鉄道:■ 北陸新幹線・■高崎線・■上越線・■信越本線
■両毛線・■八高線・■吾妻線
上信電鉄:■上信線 群馬県 高崎市
上毛高原駅 121.3 119.1 151.6 150.4 740減少 利根郡
みなかみ町
越後湯沢駅 168.9 151.4 199.2 182.7 3,133減少 東日本旅客鉄道:■上越線(本線・ガーラ湯沢支線)
■ほくほく線(北越急行直通) 新潟県 南魚沼郡
湯沢町
浦佐駅 198.6 181.0 228.9 212.3 688増加 東日本旅客鉄道:■上越線 南魚沼市
長岡駅 240.3 213.8 270.6 245.1 4,537減少 東日本旅客鉄道:■信越本線 長岡市
燕三条駅 263.5 237.4 293.8 268.7 1,742減少 東日本旅客鉄道:■弥彦線 三条市
新潟駅 303.6 269.5 333.9 300.8 全 9,077増加 東日本旅客鉄道:■信越本線・■羽越本線・■白新線・■越後線 新潟市
中央区
停車駅…全:すべての列車が停車する駅(2016年3月改正時)
長距離乗車券の特定都区市内
山:東京山手線内、区:東京都区内
支線(上越線支線)[編集]
全駅新潟県南魚沼郡湯沢町に所在
正式路線名 駅名 越後
湯沢
からの
営業
キロ 東京
からの
営業
キロ 2015年度
乗車人員
(1日平均)[6] 接続路線・備考
上越線 越後湯沢駅 0.0 199.2 3,133減少 東日本旅客鉄道:上越新幹線・上越線(本線)
ガーラ湯沢駅
(臨時駅) 1.8 201.0 1,127減少 ※ガーラ湯沢スキー場のゴンドラリフト「カワバンガ駅」併設
※支線のガーラ湯沢駅は冬期間のみ営業。越後湯沢 - ガーラ湯沢は書類上は在来線の上越線に属する。
各駅の構造[編集]
各駅の構内配線とホームの形式
配線分類 2面4線 2面2線+通過線 2面3線+通過線 2面4線+通過線
構内図 Station Track layout-1.png Station Track layout-2.png Station Track layout-3.png Station Track layout-6.png
該当駅 上野駅・新潟駅 本庄早稲田駅・上毛高原駅
浦佐駅・長岡駅 熊谷駅・燕三条駅 高崎駅・越後湯沢駅
※なお、高崎駅は下り方に北陸新幹線上り線が別線で入線している(3線入線)
その他の特殊な構内配線とホームの形式
配線分類 3面6線 2面4線(終着駅)
構内図 Station Track layout-12.png Station Track layout-7.png
該当駅 大宮駅 東京駅
運行形態[編集]
北陸新幹線の列車については「北陸新幹線#運行形態」を参照
東京駅 - 新潟駅間を通して運転する「とき・Maxとき」はおおむね1時間に2 - 3本の運行。停車駅は列車ごとに異なるが、途中上野駅・大宮駅・高崎駅と、越後湯沢駅 - 新潟駅間の各駅に停車するものが標準的である。2013年3月16日のダイヤ改正以前は、朝に1日1往復のみ東京 - 新潟間ノンストップ列車が存在していた[8]。越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間を区間運転する「とき・Maxとき」は、全列車が各駅停車である。
東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の区間運転列車である「たにがわ・Maxたにがわ」は、臨時列車や「Maxとき」と併結する列車をのぞいて全列車が各駅停車である。
2015年3月14日のダイヤ改正で「Maxとき310号」が大宮駅に停車することになったため、大宮駅を通過する上越新幹線の定期列車はなくなった。
ダイヤパターンと停車駅[編集]
現行[編集]
下り
種別 東京 上野 大宮 熊谷 本庄早稲田 高崎 上毛高原 越後湯沢 浦佐 長岡 燕三条 新潟 終着
(Max)とき ※ ● ▲ ● → → ▲ → ● ▲ ● ▲ ● 新潟
(Max)とき ● ● ● △ △ ● △ ▲ △ ● ▲ ● 新潟
Maxたにがわ ● ● ● ● ● ● ● ● 越後湯沢
上り
種別 始発 新潟 燕三条 長岡 浦佐 越後湯沢 上毛高原 高崎 本庄早稲田 熊谷 大宮 上野 東京
(Max)とき ※ 新潟 ● ● ● ▲ ▲ ▲ ▲ △ △ ● ▲ ●
(Max)とき 新潟 ● ● ● ▲ ● → ▲ → △ ● ● ●
Maxたにがわ 越後湯沢 ● ● ● ● ● ● ● ●
●:停車 ▲:一部列車通過 △:一部列車停車 →:通過
※:時間帯によって定期列車か臨時列車として運行
ダイヤパターン化されていない定期列車、臨時列車は掲載していない。
号数の振り方[編集]
とき・Maxとき
東京駅 - 新潟駅間:定期列車は300 - 351号、臨時列車は350号台 - 390号台
越後湯沢駅 - 新潟駅間:480・481号(共に毎日運転)
長岡駅 - 新潟駅間:490・491号(土休日運休)
1987年に上野駅 - 新潟駅間を途中長岡駅のみに停車する最速達列車に1桁台(例:あさひ1号)の号数が割り当てられた。以降も東京駅 - 新潟駅間の最速達列車に1桁が割り当てられたが、現在はすべて上記のように統一されている。なお、繁忙期の一部の臨時列車には1桁や2桁の号数が使われている。
たにがわ・Maxたにがわ
東京駅 - 越後湯沢駅間:定期列車は400 - 417号(ただし、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間で「とき」と併結する定期列車は「とき」の号数を使用)、臨時列車は70号 - 90号代
東京駅 - 高崎駅間:470 - 475号(一部は土休日運休)
列車番号は、定期列車は基本的に号数+C、臨時列車は4000、8000、9000+号数+Cである。
また、「たにがわ・Maxたにがわ」をガーラ湯沢駅まで延長運転する場合は、4000+号数+Cとなる。
ガーラ湯沢駅開業からしばらくの間は、越後湯沢 - ガーラ湯沢間のみを走る「シャトル・ガーラ」が運転されていた。列車番号は92xxCが割り当てられていた。1995年頃からは運転されていなかったが、2015年3月14日のダイヤ改正で「たにがわ」が運転されない時間帯が発生したため、同区間のみを走る「たにがわ」が運転されることとなった。博多南線同様に全車自由席で、グリーン車は閉鎖されている。
列車の概要[編集]
新潟駅に発着する列車(東京駅・越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間運転の列車)が「とき・Maxとき」、それ以外の東京駅 - 高崎駅・越後湯沢間の区間運転列車が「たにがわ・Maxたにがわ」と分けられている(一部臨時列車をのぞく)。
1982年の開業当初は東海道・山陽新幹線にならって、「ひかり」に相当する速達タイプを「あさひ」、「こだま」に相当する各駅停車タイプを「とき」としていた。
1997年10月1日、JR東日本は、長野新幹線(北陸新幹線東京駅 - 長野駅間)の開業に合わせて東北・上越両新幹線の列車名を運行区間別とする愛称の再編を行った。それによって東京駅 - 新潟駅間の列車はすべて「あさひ」、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の列車はすべて「たにがわ」とし、「とき」の愛称は東北新幹線の「あおば」とともにいったん消滅した。
しかしながら、後述の理由により「あさひ」の愛称は2002年12月1日のダイヤ改正で廃止され、「とき」の名称が5年ぶりに復活した。
すべての定期列車と一部の臨時列車は、東京寄りに普通車自由席3両(または4両・5両)を連結した一部指定席扱いで運行されるが、とき359号など全車指定席で運行される臨時列車も存在する。
列車愛称[編集]
「とき」「Maxとき」[編集]
E4系「Maxとき」
E2系「とき」方向幕(J70 - 75編成)
「とき」・「Maxとき」は、東京駅・越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間で運行される上越新幹線の主力列車。使用車両は、「とき」がE2系、「Maxとき」が2階建車両E4系である。
最速達列車である途中大宮駅のみ停車する列車もあれば、全区間各駅に停車するタイプ・途中本庄早稲田駅のみ通過するタイプも存在する(号数はすべて300号台)。またMaxとき310号に限っては、2015年3月13日まで越後湯沢駅 - 東京駅間ノンストップであり、大宮駅も通過した。
2階建車両E4系「Max」で運転する列車のうち、「Maxたにがわ」を併結する列車は高崎駅または越後湯沢駅で分割・併合を行っている(東京駅 - 越後湯沢駅・高崎駅間は8両編成を2本併結した16両編成、以降新潟駅までは8両編成)。越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間のみを走行する区間運転列車はすべて各駅停車である。
上越新幹線開業前日の1982年11月14日までは、上野駅 - 新潟駅間の在来線特急列車の愛称だった歴史があり、新幹線開業後も上記の通り各駅停車タイプの列車愛称として承継された。1997年10月1日に東北・上越新幹線の列車愛称再編のため一度消滅したが、残った「あさひ」と長野新幹線(現:北陸新幹線)「あさま」とは1文字違いのため紛らわしく誤乗が頻発したことや、「佐渡島のトキ」という新潟県を象徴する観光資源とも関係の深い名であったことなどから、新潟県内を中心に「とき」の復活を求める声が廃止直後から強く、新潟県などの関係機関からもJR東日本に対し列車名を「とき」に変更するよう要請が行われた。このような経緯から、2002年12月1日に「あさひ」を「とき」へ改称する形で、5年ぶりの復活を果たした。一度消滅した新幹線の愛称が復活したのは「とき」が唯一の例である。
「たにがわ」「Maxたにがわ」[編集]
「たにがわ」・「Maxたにがわ」は、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間で運行される近距離列車で各駅に停車する。使用車両は、「たにがわ」がE2系、「Maxたにがわ」が2階建車両E4系である。
越後湯沢方面の定期列車(400 - 417号)は、すべて各駅停車である。また、一部の「Maxとき」と併結する列車は、高崎駅または越後湯沢駅で分割・併合する列車もあるが、これは主に朝・夕のラッシュ時にみられる。冬季期間においては、ガーラ湯沢駅まで延長運転されるものもあるほか、東京駅を発着する臨時列車も多数運転される。臨時列車の中には、途中駅を通過するタイプもある。この列車は、基本的に越後湯沢 - 新潟間に入線することはないが、2004年夏には臨時列車で新潟発上野行き、新潟発東京行きの「Maxたにがわ」が設定されたことがある[9]。現在はおおむね朝と夕・夜間の運転となっている。
車両[編集]
新潟新幹線車両センター
(2007年11月)
左から200系(オリジナル塗装のK47編成)、E2系、E4系、E1系
現美新幹線に使用されるE3系700番台R19編成
北陸新幹線に乗り入れる車両については「北陸新幹線#車両」を参照
現用車両[編集]
営業車両[編集]
E2系 - J編成、10両編成[注 5]。1998年に登場し、2004年3月13日のダイヤ改正で一旦運用が消滅していたが、2013年1月26日より東北新幹線へのE5系導入に伴い、東北新幹線で使用しているE2系を上越新幹線へ転属させることとなり、高崎以北での運用が再開された[10]。なお、2017年3月31日までは高崎以南に、北陸新幹線「あさま」用のN編成も乗り入れていた。
E4系 - P編成、単独で2階建車両8両編成、もしくは2編成併結して2階建て16両編成で運用される。E4系を使用する列車は列車名の頭に"Max"と冠される。
E3系700番台[11] - 観光列車「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」用にE3系R19編成を改造した車両。現美=現代美術の略。2016年4月29日営業運転開始[12][13]。
事業用車両[編集]
E926形 (EAST i) - 電気・軌道総合試験車。
試験用車両[編集]
新潟新幹線車両センター
(2012年10月)
左からE5系、200系、E4系、E2系、E3系、E926形(East i)、E1系
E5系 - U編成。新潟新幹線車両センターでの一般公開時および試運転で乗り入れ。2012年11月17日の「上越新幹線開業30周年号」で初めて営業運転に充当され、2017年7月9日・10日にも「東北新幹線開業35周年記念号」として新潟駅 - 八戸駅間で運転された。
E6系 - Z編成。新潟新幹線車両センターでの一般公開時および試運転で乗り入れ。
導入予定の車両[編集]
E7系 - 2018年度以降、新潟までの営業車両として導入予定[14][15]。なお高崎以南では2015年から長野新幹線車両センター所属のF編成が北陸新幹線列車としてJR西日本所有のW7系(W編成)[注 6]とともに走行しているほか、新潟新幹線車両センターでの一般公開時および試運転で乗り入れ実績がある。
過去の車両[編集]
営業車両[編集]
200系 - E編成・F編成・G編成・H編成・K編成。ただし、2004年に乗り入れを開始したH編成は、東北新幹線のスーパーやまびこ号などで活躍していた本来の姿である16両編成では乗り入れなかった。当時はE1系と200系F編成の12両が上越新幹線の最長編成だったためである(注:上越新幹線で16両編成の運用が開始されたのは2012年3月16日のダイヤ改正以降)。このため、H編成は2004年の東北新幹線においての定期運用撤退後に、2階建て車両を含むすべてのグリーン車(4両)を編成から抜いた後に、波動用として2005年8月の廃車時まで乗り入れた(注:グリーン車は12両化時に廃車された)。最後まで残存したK編成(体質改善工事施行車)については、東北新幹線E5系の増備で余剰となったE2系J編成(2013年1月26日から運用開始)・E4系への置き換えにより、2013年3月15日をもって定期運用を終了した。
E1系 - M編成、2階建て12両編成。使用列車は列車名の頭にMaxと冠していた。東北新幹線E5系の増備で余剰となったE4系への置き換えにより、2012年9月28日をもって定期運用を終了した。
事業用車両[編集]
925形(ドクターイエロー) - S1・S2編成
試験用車両[編集]
400系 - L編成。速度試験および新潟新幹線車両センターの一般公開時に乗り入れ。
E3系 - R編成。新潟新幹線車両センターでの一般公開時および試運転、廃車回送で乗り入れ。
962形 - 試験電車。
952形・953形 (STAR21) - 高速試験電車。
E954形 (FASTECH 360S) - 高速試験電車。
運賃と特急料金[編集]
運賃は営業キロに基づいて算出する。東京 - 新潟間の営業キロは、並行する東北本線(東京 - 大宮間)・高崎線(大宮 - 高崎間)・上越線(高崎 - 宮内間)・信越本線(宮内 - 新潟間)のそれと同一になっている。東京 - 新潟間の営業キロは333.9キロで、東京 - 新潟間の新幹線の実際の距離(300.8キロ)より1割ほど長い。ただし、大宮 - 熊谷間の営業キロは実際の距離より短い。これは、大宮を発車すると約8キロ東北新幹線の線路と並んでほぼ北進し、その後高崎線と平行するために西へカーブするという線形をたどっており、ほぼ北西に直線で走る高崎線の距離のほうが短いためである。
特急料金は、「三角表」と称するものにより各駅間個別に定められている。一方、この各駅間の特急料金は当該区間の営業キロに基づいて算出されたものである。営業キロに対応する特急料金、およびその他の特定の区間の特急料金は以下のとおり。
(参考)上越新幹線特急料金表
(2014年4月1日現在。普通車通常期・大人料金)
営業キロ・区間 特急料金(円)
自由席 指定席
100キロ以下 隣接駅間[* 1]、
熊谷 - 高崎 860 2,360
上記以外 1,840
101 - 200キロ 上野 - 高崎 2,260 2,780
上記以外 2,590 3,110
201 - 300キロ 3,470 3,990
301キロ以上 4,220 4,740
^ 特定特急券区間
東京駅と大宮駅以北の各駅との間の特急料金は、東京駅発着の営業キロは使用せず、上野駅発着の営業キロで算出した特急料金に210円を加算した額となっている。
指定席特急料金は、閑散期は一律200円引き、繁忙期は一律200円増し。自由席は通年で同額。
グリーン車を利用する場合には、自由席特急料金と同額(ただし特定特急券区間も1,840円)の特急料金に利用区間に応じたグリーン料金を加算した金額となる。「グリーン料金」を参照。
グランクラスを利用する場合には、自由席特急料金と同額(ただし特定特急券区間も1,840円)の特急料金に利用区間に応じたグランクラス料金を加算した金額となる。「グランクラス料金」を参照。
「かがやき」の立席特急券料金は自由席特急料金と同額(ただし特定特急券区間は1,840円)。
東京 - 高崎間は北陸新幹線と共用するため、その区間内[注 7]であれば、JR西日本の5489サービスで予約した乗車券と特急券の受け取りが可能である。
営業[編集]
車内設備[編集]
全列車に普通車とグリーン車を連結する。東京 - 高崎間に乗り入れる北陸新幹線用のE7系・W7系にはグランクラスが連結されているが、東京 - 新潟間の上越新幹線でも、2018年度に予定されるE7系の導入時にグランクラスのサービスを開始する予定[15]。
E4系のグリーン車
E4系の普通車自由席(2階席)
E4系の普通車(1階席)
E2系のグリーン車
E2系0番台(7・8号車除く)の普通車
E2系1000番台および0番台(7・8号車)の普通車
なお、JR東日本は2007年3月のダイヤ改正以降、東北・上越・山形・秋田の各新幹線[注 8]および在来線特急列車のすべてを禁煙車とし、喫煙ルームなども設けていないため、車内での喫煙はできない。
利用状況[編集]
交通需要について国土交通省が2005年に調査した都道府県間鉄道旅客流動データによると、東京都から鉄道で他道府県に移動した年間旅客のうち、上越新幹線沿線各県(群馬県・新潟県)への年間旅客数は440.3万人であった。さらに東京圏(東京都+神奈川県+埼玉県+千葉県)から群馬県・新潟県への年間旅客数は749.0万人であった。
また、沿線各都県間を流動する出発鉄道旅客数は、東京都出発客が440.3万人(行き先は新潟県・群馬県のみ)と最も多く、次いで新潟県の435.1万人であり、同じく目的地旅客数は、東京都を目的地とする客が440.3万人、新潟県が432.2万人であった。
沿線各都県間の旅客流動状況(2005年)は以下のとおり。
上越新幹線沿線各都県間旅客流動状況(2005年)
出発地\目的地 東京圏* 群馬県 新潟県 合計
東京圏* - 3,377 4,096 7,473
群馬県 3,366 - 226 3,592
新潟県 4,124 227 - 4,351
合計 7,490 3,604 4,322 -
(単位:千人/年)
*東京圏:東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県とする。
東京圏 - 群馬県の鉄道旅客流動は北陸新幹線安中榛名駅利用客等を含む。
歴史[編集]
計画から建設まで[編集]
全国新幹線鉄道整備法の成立後初の計画として1971年、東北新幹線(東京 - 盛岡間)、成田新幹線(東京 - 成田空港間)とともに着工。当初は、5 - 6年ほどで全線開業の予定だったが、折からのオイルショックの影響で建設費が高騰するなど、計画は大きく乱れた。
1971年1月18日に告示された基本計画では東京都が起点とされている。1971年10月12日に認可申請された工事実施計画その1において、「東北新幹線のターミナルを東京駅、上越新幹線のターミナルを新宿駅に設け、この両ターミナルより大宮駅に至る路線を建設」とされ、また「線路容量、ターミナル容量は十分であるので」「東京(新宿)・大宮間の線路の建設については、別途工事実施計画を提出する」こととされ[16]、現在に至っている[17]。1973年4月26日から、東京都北区・戸田市・与野市・浦和市(与野市と浦和市は現・さいたま市)などで非常に大規模な反対運動が発生している。工事地内への見張りヤグラの建設・居座り行動・デモ行進・国鉄説明会打ち切りなどが実施され、東北・上越新幹線の騒音対策や埼京線の快速停車駅数など地元の要望が実現化するきっかけとなった。この一連の反対運動を「東北・上越新幹線反対運動」という。詳しくは該当ページ、及び埼京線と地元住民の関係を参照。
1979年3月20日には建設工事中だった大清水トンネルの保登野沢工区(県境付近から群馬県寄り約5キロ付近)で火災が起き、16名の死者を出した(この入口は「保登野沢斜抗」として点検等に使用されており、隣接して殉職の碑が建立されている)。そして、中山トンネル工事中に2回の異常出水事故が発生した[3]。迂回のトンネルを掘るなど工事は難航し、このために東北新幹線(大宮 - 盛岡間・暫定)との同時開業は果たせず、5か月遅れの1982年11月15日の開業となった。
新潟県中越地震による影響[編集]
2004年10月23日17時56分頃(JST)に発生した新潟県中越地震により、新潟・群馬県内で7本の列車が被災し[18]、うち2本は運転を再開したが4本は停電などで動けなくなった。そして、東京発新潟行のとき325号(200系K25編成・10両編成。2005年3月25日廃車)は時速約200kmで走行中、長岡駅の手前約5km、滝谷トンネル先の地点で10両中8両が脱線した。1964年10月1日の東海道新幹線開業以来、日本国内の新幹線史上初の営業運転中の脱線事故となった(詳細は上越新幹線脱線事故の項を参照のこと)。
この地震の影響で浦佐 - 長岡間の高架橋・トンネルなどの設備が損壊し、越後湯沢 - 新潟間が不通となった。このため、10月31日から不通区間に代行バスを運行する一方、応急補強工事(トンネル5本の復旧作業、高架橋の耐震補強工事)が実施された。長岡以北の区間については、EAST i を送り込めないため、京浜急行電鉄から借用した軌道検測車を陸送して軌道状態を点検した後に運行を再開した。地盤が隆起した魚沼トンネルと妙見トンネルについては、いったん軌道を撤去したうえで岩盤を削るなど新線敷設と同様の工事が行われたが、年末年始の帰省ラッシュに間に合わせる形で2004年12月28日に全線で運行を再開した。
復旧後も当面は越後湯沢 - 燕三条間で70-110km/hの徐行運転を実施する区間があるため、通常ダイヤを基準に越後湯沢以北で15分前後の遅着(下り)・早発(上り)させる特別ダイヤが編成された。なお、2005年1月22日には通常ダイヤとのずれが5分前後に緩和され、3月1日からは通常のダイヤに戻っている。また、その他の道路交通も寸断されたため、羽田空港と新潟空港を結ぶ航空便も臨時開設された。この地震の際、新潟新幹線運輸区の乗務員は東京 - 越後湯沢間の乗務のために、郡山まで出た上で東京入りし乗務列車に乗り込む方法と丸の内車掌区等への一時転属などの臨時措置を行った。
年表[編集]
国鉄時代 開業前[編集]
1964年(昭和39年)
3月23日:日本鉄道建設公団発足。
10月1日:東海道新幹線 東京 - 新大阪間開業。
1967年(昭和42年)7月:日本国有鉄道(国鉄)が全国新幹線網構想を発表。
1969年(昭和44年)5月30日:新全国総合開発計画決定[2]。
1970年(昭和45年)5月18日:全国新幹線鉄道整備法公布[2]。
1971年(昭和46年)
1月18日:昭和46年告示第17号により、上越新幹線 東京都 - 新潟市間の基本計画公示。
4月1日:整備計画の決定[1]。
10月14日:運輸大臣が日本国有鉄道および日本鉄道建設公団に対し、上越新幹線の工事実施計画を認可[1]。
11月28日:上越新幹線 起工[1](大宮 - 新潟間)。キャッチコピーは「ひかりは北へ」。
途中、中山トンネルの建設時に異常出水事故が起こるなど、難工事に悩まされる。当初は1976年(昭和51年)度の開業予定だったが延期され、1982年(昭和57年)になった。
1980年(昭和55年)11月5日:新潟車両基地 - 長岡間で走行試験を開始。
1981年(昭和56年)10月29日:列車愛称を「あさひ」「とき」と発表。
1982年(昭和57年)
月日不詳:新潟新幹線第一運転所発足。
4月20日:埼玉県北足立郡伊奈町でレール締結式を挙行。
国鉄時代 開業後[編集]
1982年(昭和57年)
11月15日:上越新幹線 大宮 - 新潟間 (303.6km) 暫定開業[2]。速達タイプが「あさひ」各駅タイプが「とき」となった[注 9]。「あさひ」が11往復、「とき」が10往復設定された[注 10]。200系営業運転開始。これに合わせ、10月1日から12月31日の期間で「新潟県デスティネーションキャンペーン」が実施された。
1985年(昭和60年)
3月14日:東北新幹線 上野 - 大宮間延伸開業。上越新幹線も上野駅への乗り入れを開始。これに合わせ、4月1日から6月30日の期間で「群馬県・新潟県デスティネーションキャンペーン」が開催された。
JR東日本発足後[編集]
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR各社および新幹線鉄道保有機構発足。上越新幹線は全線が東日本旅客鉄道(JR東日本)に移管。
1988年(昭和63年)3月13日:一部の「あさひ」で240km/h運転開始。
1990年(平成2年)
3月10日:一部の下り「あさひ」が大清水トンネル内の下り勾配(上毛高原 - 越後湯沢間)で日本の営業列車としては最高速の275km/hでの運転を開始[19]。
ATCの車内信号現示が「あさひ」(200系F90番台編成)の場合は「275km/h」、1992年(平成4年)に営業を開始した東海道新幹線「のぞみ」(300系)の場合は「270km/h」であることから[20]、日本一速い新幹線と言われていた。実際には、ATCの頭打ち速度は「のぞみ」も275km/h[注 11]だったため、ATCの抑止速度で考えた場合の最高速は同速ということになるが、営業速度で考えた場合はこの「あさひ」が最速であった。現在の営業最高速度は全新幹線中最低の全列車240km/h運転となっている。
12月20日:上越線支線 越後湯沢 - ガーラ湯沢間 (1.8km) 開業。
1991年(平成3年)
6月20日:東北新幹線 東京 - 上野間延伸開業[19]。上越新幹線と東北新幹線が念願の東京駅乗り入れを果たす[19]。
10月1日:JR東日本が新幹線鉄道保有機構から新幹線施設を買い取り。
1994年(平成6年)7月15日:E1系Max営業運転開始[19]。「Maxあさひ」と「Maxとき」が登場した。
1997年(平成9年)10月1日:列車愛称を行先別に整理し「たにがわ」・「Maxたにがわ」新設、「とき」・「Maxとき」廃止(詳細は後述)。北陸新幹線 高崎 - 長野間(通称・長野新幹線)が開業し、同新幹線が東北新幹線 東京 - 大宮間および上越新幹線 大宮 - 高崎間に乗り入れ開始。同新幹線の「あさま」でE2系営業運転開始[19]。これによる東京駅20・21番ホームの新設に伴い、上野駅発着の定期列車が消滅した(東北新幹線についても同じ)。
1998年(平成10年)12月8日:速達「あさひ」2往復にE2系投入[注 12]。
2001年(平成13年)5月7日:E4系Max営業運転開始。
2002年(平成14年)
6月15日:新潟スタジアムにて開催されたFIFA(国際サッカー連盟)主催2002 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦 デンマークvsイングランド(試合開始、20:30)の観客輸送のため、深夜に新潟発東京行きの臨時「あさひ」が運転される[21][22]。深夜帯の為、速度を落としての運転となった。
12月1日:「あさひ」・「Maxあさひ」を「とき」・「Maxとき」に改称。5年ぶりに「とき」の愛称が復活した。
2003年(平成15年)12月16日:JR東日本が同年11月27日に申請した上越新幹線本庄早稲田駅開業に伴う特別急行料金の上限設定が、運輸審議会にて承認[23]。
2004年(平成16年)
新潟新幹線第一運転所が新潟新幹線車両センターに改称。
3月13日:本庄早稲田駅開業。すべての「とき」で240km/h運転開始。同時にE2系が定期運用を撤退。
10月23日:17時56分頃、最大震度7の新潟県中越地震が発生。浦佐 - 長岡間を走行中の「とき325号」(200系K25編成)が脱線。負傷者なし(上越新幹線脱線事故を参照)。高崎 - 新潟間が不通に。高崎 - 上毛高原間は約4時間後に運転再開。
10月24日:上毛高原 - 越後湯沢間で運転再開。
10月30日:新潟 - 燕三条間で160km/hで運転再開。
11月4日:燕三条 - 長岡間で運転再開。
12月28日:全線で運転再開。
2007年(平成19年)3月18日:全車両を禁煙化。
2009年(平成21年)
3月14日:大宮 - 越後湯沢間の保安装置をアナログATC(ATC-2型)からデジタルATC(DS-ATC)へ切り替え。
10月18日:越後湯沢 - 新潟新幹線車両センター間の保安装置をアナログATC(ATC-2型)からデジタルATC(DS-ATC)へ切り替え。これに伴い、全線のATCがDS-ATCに統一される。
2012年(平成24年)
3月17日:越後湯沢駅以北にてE4系16両編成による運転が開始[24]。
9月28日:この日限りでE1系Max定期運転終了。E4系Maxの売店の営業終了[25]。
10月28日:この日運転の臨時列車「さよならE1Maxとき号」を最後にE1系Maxが営業運転終了。
11月17日:下りの臨時列車「とき395号」に「上越新幹線開業30周年記念号」として開業時の塗装の200系K47編成を、上りの臨時列車「上越新幹線開業30周年号」にE5系を充当して運転。
2013年(平成25年)
1月26日:上越新幹線にE2系4編成投入[10]。
3月16日:前日限りで200系の定期運用終了。東京 - 新潟間ノンストップ列車1往復が大宮駅に停車し、ノンストップ列車が消滅[8][26]。
4月14日:この日運転の臨時列車「さよなら200系」号を最後に200系が営業運転終了[27]。
2015年(平成27年)3月14日:北陸新幹線の長野 - 金沢間開業に伴い、上越新幹線の輸送体系を大幅に見直し。「とき」の東京 - 新潟間を1往復、「たにがわ」の東京 - 越後湯沢間を7往復、東京 - 高崎間を0.5往復それぞれ削減。また、すべての定期列車が大宮駅に停車するようになった[28][29][30][31]。
2016年(平成28年)4月29日:観光列車「現美新幹線」が運転開始[13]。
2017年(平成29年)
7月6-7日:上越・北陸・東北・山形新幹線で運んだ5県の朝採れ野菜を東京駅で販売する「朝採れ新幹線マルシェ」を実施[32]。
7月9-10日:E5系による団体臨時列車「東北新幹線開業35周年記念号」を新潟駅 - 東北新幹線八戸駅間直通で1往復運転(復路八戸発は10日運転)[33]。
10月8日:「現美新幹線」車両による臨時列車を大宮駅 → 新潟駅で運転予定[34]。
10月14日:E2系による団体臨時列車「上越新幹線開業35周年記念号」を東京駅 → 新潟新幹線車両センター間(新潟駅 → 新潟新幹線車両センターは体験乗車扱い)で運転予定[35]。
今後の予定[編集]
2018年度から2020年度までに北陸新幹線と同一仕様のE7系(12両編成・グランクラス連結)を新たに11編成132両製造してE4系を置き換え、その後はE7系とE2系の2形式による運用になると発表されている[15]。
その他[編集]
大清水トンネルは工事中に湧水に悩まされたが、それを逆手にとり1984年に「大清水」という名称で商品化され、ミネラルウォーターや清涼飲料水などにシリーズ化された。なお、トンネルの名前は「だいしみず」だが、こちらは全く同じ漢字でも「おいしい水」をもじり「おおしみず」と読む。2007年からはJR東日本ウォータービジネスがこの水を“FromAQUA”として販売している。
長岡まつりの花火大会が行われる8月2日、3日には新潟 - 長岡間に臨時列車が増発されたり、下り列車が長岡駅発車後に花火が見られるように、減速・停車していたこともある。
上越新幹線では開業当時よりJR化直後まで、駅名標は国鉄の在来線で使用していたものとほぼ同様の仕様であった(同時に開業した東北新幹線や国鉄後期に開業した山陽新幹線も在来線や上越新幹線とほぼ同じ様式の駅名標を採用し、開業時は独自仕様の駅名標であった東海道新幹線でも1970年代中頃より急速にこの仕様の駅名標に交換された)が、1990年代前半以降に全駅がJR東日本の標準仕様のものに取り替えられている。
路線形態詳細[編集]
[表示]停車場・主要構造物・接続路線
注釈[編集]
[ヘルプ]
^ ただし、東京、上野、大宮の3駅では誤乗防止のため、発車標で6方面(東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸)を識別する色を独自に用いており、上越新幹線では朱鷺色(■)を採用する。なお、フルカラーLED式の行先表示器を採用する車両(E3系2000番台、E2系1000番台J70番台編成、E5系、E6系、E7系、ならびに北海道旅客鉄道〈JR北海道〉所有のH5系、西日本旅客鉄道〈JR西日本〉所有のW7系)では、行先表示器の列車名もこれらの路線色で表示される。
^ 現在この組織体系を取っているのはJR東日本とJR西日本の北陸新幹線(上越妙高 - 金沢間)、北陸地域の在来線を一体管理している同社金沢支社である。東海旅客鉄道(JR東海)の東海道新幹線は同社新幹線鉄道事業本部が並行在来線とは分離して独立管理している。同様にJR西日本の山陽新幹線は同社新幹線管理本部が、九州旅客鉄道(JR九州)の九州新幹線は同社新幹線部が独立管理する。
^ 具体的には、大宮駅から埼玉新都市交通伊奈中央駅付近までの区間。
^ 上越新幹線列車内の自動放送では、「湘南新宿ライン」「上野東京ライン」の名称は案内しない。
^ 1998年12月8日 - 2002年11月30日はJ編成8両編成、またはN編成8両編成による運用だった。
^ W7系の営業運転は2016年から。
^ 高崎 - 新潟間は区間外である。
^ 長野新幹線(現在の北陸新幹線)は2005年から全面禁煙化済。
^ 東北新幹線と異なり、当時から速達列車の停車駅パターンは統一されていなかった。(『国鉄監修 交通公社時刻表1983年12月号』より)
^ 「あさひ」「とき」合わせて毎時1往復以上の運転で、「あさひ」の運転間隔が3時間空く時間帯もあった。通過列車のある駅では2時間につき1往復の発着となる場合が多々あり、その時間帯も長かった。(『国鉄監修 交通公社時刻表1983年12月号』より)
^ 東海道・山陽新幹線のATCは220信号以上での抑止速度は現示速度+5km/hであるのに対し、東北・上越・長野新幹線では現示速度=頭打ち速度であるため。
^ 当初はJ編成8両編成、またはN編成8両編成による運用だった。
出典[編集]
^ a b c d e f 『毎日年鑑 昭和47年版』 毎日新聞社、1972年2月。
^ a b c d 『昭和59年版 交通年鑑』 交通協力会、1984年3月15日。
^ a b 『上越新幹線物語1979』pp.122 - 127
^ 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」2008年2月号 (Vol.800) p.145「日本の高速鉄道 - その軌跡と今後の展望 -」高津 俊司、土井 充
^ 新幹線駅別乗車人員(2015年度) - 東日本旅客鉄道
^ a b 東日本旅客鉄道株式会社ホームページ
^ 国土交通省監修『数字で見る鉄道2008』(財)運輸政策研究機構、p.22。
^ a b “2013年3月ダイヤ改正について” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道, (2012年12月21日) 2014年11月2日閲覧。
^ “夏の増発列車のお知らせ” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道新潟支社, (2004年6月14日), オリジナルの2004年6月29日時点によるアーカイブ。 2015年8月4日閲覧。
^ a b “E5系車両を東北新幹線に追加投入! E2系車両を上越新幹線に投入!” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道, (2007年11月16日) 2014年8月29日閲覧。
^ “E3系700番台「GENBI SHINKANSEN」が新潟新幹線車両センターへ”. 鉄道ファン railf.jp. 交友社 (2016年1月13日). 2016年2月18日閲覧。
^ 「GENBI SHINKANSEN 現美新幹線」〜旅するアートカフェ新幹線、新潟エリアを楽しむ新しい観光列車がデビューします〜 (PDF) - 東日本旅客鉄道、2015年3月3日
^ a b “「現美新幹線」が営業運転を開始”. 鉄道ファン railf.jp. 交友社 (2016年4月30日). 2016年5月1日閲覧。
^ 「2階建て新幹線全廃へ 上越に最新型E7系投入 平成30年度以降、JR東」産経新聞、2017年3月25日
^ a b c “上越新幹線への新車投入について” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道, (2017年4月4日) 2017年4月4日閲覧。
^ 日本鉄道建設公団東京新幹線建設局・編『上越新幹線工事誌(大宮・新潟間)』
^ 『日本鉄道建設公団三十年史』
^ 『巨大地震と高速鉄道 新潟県中越地震をふりかえって』 監修:仁杉巌、編著:久保村圭助、町田冨士夫、山海堂、2006年、p.16, p.92。ISBN 4381018249。
^ a b c d e “JR7社14年のあゆみ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 9. (2001年4月2日)
^ 『新幹線EXPLORER Vol.11 新幹線車両DATABOOK200系』 三好裕一、イカロス出版、2009年、p.21。
^ “「2002FIFAワールドカップ」大会期間中の対応について” (プレスリリース), 東日本旅客鉄道, (2002年4月8日) 2016年2月23日閲覧。
^ 「鉄道記録帳」、『RAIL FAN』第49巻第9号、鉄道友の会、2002年9月号、 22頁。
^ “鉄道の特別急行料金の上限設定について” (プレスリリース), 国土交通省, (2003年12月15日) 2015年2月3日閲覧。
^ “2012年3月ダイヤ改正について” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道, (2011年12月16日) 2014年9月10日閲覧。
^ “2012年9月ダイヤ改正について” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道, (2012年7月6日) 2014年12月1日閲覧。
^ “2013年3月ダイヤ改正について” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道新潟支社, (2012年12月21日) 2014年12月1日閲覧。
^ “200系新幹線いよいよラストラン!!” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道新潟支社, (2013年2月26日) 2015年2月3日閲覧。
^ “2015年3月ダイヤ改正について” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道, (2014年12月19日) 2014年12月19日閲覧。
^ “2015年3月ダイヤ改正について” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道高崎支社, (2014年12月19日) 2014年12月19日閲覧。
^ “2015年3月ダイヤ改正について” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道長野支社, (2014年12月19日) 2014年12月19日閲覧。
^ “2015年3月ダイヤ改正について” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道新潟支社, (2014年12月19日) 2014年12月19日閲覧。
^ “地域再発見プロジェクトの歩みと今後の展開について 〜「JR東日本『のもの』アワード」や「朝採れ新幹線マルシェ」等を通じて「のもの事業」をさらに推進します〜”. JR東日本プレスリリース. 2017年6月10日閲覧。
^ “直通列車 乗り換えなしでラクラク E5系で行く「岩手・青森」の旅 ~東北新幹線の開業35周年記念!~” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道 高崎支社, (2017年5月24日) 2017年6月13日閲覧。
^ “「走る美術館 現美新幹線」が大宮駅から新潟駅まで走ります!” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道 高崎支社, (2017年7月27日) 2017年8月11日閲覧。
^ “新潟新幹線車両センター公開記念 首都圏発上越新幹線開業35周年記念号を運転します!~” (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道 新潟支社, (2017年8月3日) 2017年8月11日閲覧。
参考文献[編集]
北川修三 『上越新幹線物語1979』 交通新聞社、2010年6月15日、第1刷。ISBN 978-4-330-14510-5。
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
全国新幹線鉄道整備法
建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画
田中角栄
「日本列島改造論」
金子清
東北・上越新幹線反対運動
鉄道と政治
埼玉新都市交通伊奈線
聚楽ティ・エス・エス - かつて車内販売を担当していた企業。
2014年問題 - 北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間の延伸開業後に予想される、上越新幹線の枝線化の問題について。
高崎線
上越線
信越本線
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、上越新幹線に関連するカテゴリがあります。
列車案内>上越新幹線:JR東日本 - JR東日本
上越新幹線活性化同盟会
[表示]
表 話 編 歴
東日本旅客鉄道 JR東日本の鉄道路線
[表示]
表 話 編 歴
新幹線
典拠管理
WorldCat VIAF: 266086505 NDL: 01118067
カテゴリ: 上越新幹線新幹線の路線関東地方の鉄道路線中部地方の鉄道路線東日本旅客鉄道の鉄道路線日本国有鉄道の鉄道路線高崎線上越線信越本線埼玉県の交通群馬県の交通新潟県の交通