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幽玄の間の口コミ
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KGSの口コミ
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
狭山市
曖昧さ回避 この項目では、埼玉県の市について説明しています。
大阪府の市については「大阪狭山市」をご覧ください。
さやまし
狭山市
Sayama-Inariyama-Park-200807.JPG
狭山稲荷山公園
Flag of Sayama, Saitama.svg
狭山市旗
国 日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
団体コード 11215-1
法人番号 4000020112151
面積 48.99km2
総人口 151,241人
(推計人口、2017年5月1日)
人口密度 3,090人/km2
隣接自治体 入間市、川越市、所沢市、
飯能市、日高市
市の木 茶の木
市の花 ツツジ
市の鳥 オナガ
狭山市役所
市長 [編集]小谷野剛
所在地 〒350-1380
埼玉県狭山市入間川一丁目23番5号
北緯35度51分10.7秒東経139度24分43.9秒
Sayama city office.jpg
外部リンク 狭山市公式ページ (日本語)
狭山市位置図
■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村
地理院地図 Googleマップ Bing GeoHack
MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン
特記事項 「お茶香るまち 狭山市」 狭山茶生産の街
狭山市公式イメージキャラクター「七夕の妖精おりぴぃ[1]」
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狭山市(さやまし)は、埼玉県南西部に位置する市である。人口は新座市に次ぐ県内11位。
目次 [非表示]
1 概要
2 地理・気候
3 歴史
3.1 市名の由来
3.2 入間市との合併構想
4 人口
5 地域
5.1 町名
5.1.1 「入曽」の地区名称について
5.2 郵便
5.3 電話番号
5.4 住宅団地
6 行政
6.1 市長
6.1.1 歴代市長
6.1.2 市長選挙結果
6.2 再開発事業
7 立法
7.1 市議会
7.2 国政
7.3 県政
8 経済
8.1 工業
8.2 農業
8.3 商業
8.4 金融
8.5 その他の企業
9 姉妹都市・提携都市
10 教育
10.1 小学校
10.2 中学校
10.3 高等学校
10.4 短期大学
10.5 大学
10.6 各種学校
10.6.1 かつて存在した学校
10.6.1.1 小学校
10.6.1.2 中学校
10.6.1.3 高等学校
10.6.1.4 短期大学
10.6.1.5 専修学校
11 公共機関
11.1 消防
11.2 警察
11.3 国の機関
11.4 県の機関
12 交通
12.1 鉄道路線
12.1.1 かつて通っていた鉄道
12.2 路線バス
12.3 コミュニティバス
13 観光
13.1 名所
13.2 史跡
13.3 催し
14 狭山市出身・在住の有名人
15 特産
16 狭山市に本拠を置くスポーツ
17 狭山市を舞台にした作品
18 関連項目
19 脚注
20 外部リンク
概要[編集]
入間川七夕通り
市域を西武鉄道の二路線が通る。1960年代以降東京郊外のベッドタウンとなり人口が急増した。近年では高度成長期に移り住んできた市民の高齢化(少子高齢化[2])が進む一方で、新規転入者は減少している。都心回帰現象の影響が大きい。2005年国勢調査では鳥取県を上回る社会人口減少率を記録した。2012年、西武新宿線狭山市駅西口地区再開発整備事業が完了した。航空自衛隊の入間基地は市役所の南に位置し、9割が狭山市域にある(1割は入間市域)。
地理・気候[編集]
市域の南西(入間・飯能方面)から北東(川越方面)にかけて一級河川の入間川が流れる。流域は沖積層の低地帯が広がっている。市の中心となる地域にも入間川という住所(旧入間川町の名残り)がついており、この川は街のシンボルにもなっている。入間川両岸には河岸段丘が形成されており、。右岸は武蔵野台地、左岸は入間台地と呼ばれる台地からなっており、狭山市はその二つの台地上に属する。どちらの台地も洪積層からなり、比較的平坦である。
市街地は、おもに国道16号と西武新宿線を軸として形成されている。市名の由来である「狭山茶」の茶畑は、入曽・堀兼地区に多い。(なお、市名の由来ではあるものの、隣の入間市の方が生産量は多い)また、奥富地区には田圃も多く見られる。周りに遮蔽物が少ないようなところでは北方に日光・那須、西方に秩父の各連山、西南方には、はるかに富士山を遠望することができる。
隣接している自治体は、川越市、所沢市、入間市、飯能市、日高市で、特に入間市、川越市とは連続した市街地を形成している。入間郡三芳町とは地図によっては接しているように見えるが、実際はわずかに間に所沢市を挟んでいる。同様に川越市を挟んで東はふじみ野市(元大井町)、北西は鶴ヶ島市が近い。
気候は温暖湿潤であるが、同じ県内西部の秩父や鳩山ほどではないものの県南東部(さいたま市など)よりも内陸性の特徴を持ち、近年の最高気温は39.0℃、最低気温は-5.3℃と寒暖差が大きい。年間平均気温は15.2℃で、夏季は高温多湿、冬季は低温乾燥の傾向にある。また、年間総雨量は1260mmである。
河川 : 入間川、不老川
歴史[編集]
古代 - 武蔵国入間郡に属する。
716年(霊亀2年)- 新たに高麗郡が設置される。中世以降、入間川西岸の一部地区が高麗郡に属する。
中世 - 入間川宿が鎌倉街道上道の宿場町として栄える。鎌倉街道上道は入間川宿で上野国方面と下野国方面に分岐していた。
近世 - 川越藩領や天領となる。天領は旗本知行地として旗本小笠原氏の所領となっていた。
近世中期 - 武蔵野の新田開発により三富新田などとともに不老川流域が開墾され、入間・堀兼の住民が増える。
1894年(明治27年) - 川越鉄道が開通。入間川駅(現・狭山市駅)・入曽駅開業。
1933年(昭和8年) - 武蔵野鉄道稲荷山公園駅が開業。
1938年(昭和13年) - 陸軍航空士官学校(現入間基地)が開設。
1945年(昭和20年) - 戦後進駐軍に接収され「ジョンソン基地」になる。
1954年(昭和29年)7月1日 - 入間郡入間川町・入間村・堀兼村・奥富村・柏原村・水富村が合併し、狭山市となる。合併当時の人口は31,030人[3]。
1958年(昭和33年) - ジョンソン基地の米軍機が市内で墜落事故を起こし、死傷者14名を出す。
1963年(昭和38年) - ジョンソン基地が返還され、航空自衛隊入間基地となる。
1960年代から、市内の工場・宅地開発が進み、人口が急速に増加する。
1964年(昭和39年) - 新狭山駅が開業。
1966年(昭和41年) - 川越狭山工業団地が完成。
1970年(昭和45年) - 日本住宅公団(現UR)狭山台団地の造成開始。
1973年(昭和48年) - 狭山工業団地が完成。
1975年(昭和50年) - 日本住宅公団狭山台団地が完成、入居開始。
1977年(昭和52年) - 狭山市立中央児童館に埼玉県内初となるプラネタリウムを設置。
1979年(昭和54年) - 西武新宿線入間川駅が狭山市駅と改称。
1983年(昭和58年)4月1日 - 入間市との境界変更。現在の市域となる。
1984年(昭和59年) - 人口が15万人を突破。
1986年(昭和61年)4月1日 - 第2代市長町田佐一が死去、その後の市長選挙で第3代市長に大野松茂が選出される。
1999年(平成11年)11月22日 - 航空自衛隊のT-33Aが入間川河川敷に墜落し、殉職者2名を出す。
2000年(平成12年)6月9日 - 財団法人日本品質保証機構(JQA)より市役所本庁舎を対象にISO14001を認証取得。
2003年(平成15年)6月19日 - 第4代市長町田潤一が死去、その後の市長選挙で第5代市長に仲川幸成が選出される。
2005年(平成17年)1月30日 - 「入間市との合併に関して市民の意思を確認するための住民投票」が行われ、投票の結果、入間市との合併は中止になる。
2008年(平成20年) - 狭山市観光協会により狭山市中心市街地活性化推進事業イメージキャラクター(ゆるきゃら)・観光大使「七夕の妖精おりぴぃ」使用開始。
2010年(平成22年)2月1日 - 全国瞬時警報システム(J-ALERT)整備完了。
2012年(平成24年)7月18日 - 狭山市駅西口に狭山市市民交流センターが開所。これをもって狭山市駅西口地区再開発整備事業が完了した。
2013年(平成25年) - 「七夕の妖精おりぴぃ」を狭山市公式イメージキャラクターに制定。
2017年(平成29年) - 市内小中学校の全普通教室にエアコンを完備する。
市名の由来[編集]
狭山丘陵及び市内の特産物「狭山茶」に由来する。「狭山」という地名の由来自体は判然としないものの、「山」は「林」を意味し、武蔵野台地西部に散在していた雑木林のことを指していると言われ、「林に挟まれた土地」の意味という。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』では狭山丘陵そのものを「狭山」と称しており、「狭山」という表現を地域呼称ではなく山の名称の如く用いている。歴史的に「狭山」という地名が指している場所は狭山丘陵を中心とした四方のかなり広い地域であり、狭山市のほか現在の所沢市・入間市・東村山市・東大和市・武蔵村山市・瑞穂町などの範囲にまで及び、狭山市はその北部にあたる。これは概ね「狭山茶」の生産地域と同じである。現在、狭山市以外でも所沢市・入間市・東村山市・東大和市・武蔵村山市・瑞穂町等では住居表示や字名、学校名や企業名などに「狭山」という呼称を付けている例も少なくない。
入間市との合併構想[編集]
この構想は、かつての入間川町と豊岡町の合併構想にまで遡るものである。戦後の昭和の大合併が進展していた時期には現在の狭山市・入間市域に所在した町村全部を一つの市にまとめるという合併構想があり、埼玉県も推進していた。またこれとは別に、江戸時代の武蔵野の新田開発によって開墾されたという共通の歴史を持ち、いずれも不老川流域にあたる入間村、堀兼村、宮寺村(現在は入間市)、藤沢村(現在は入間市)の4村が「農業都市」として合併し、将来的には共に境を接する所沢市(隣接地域は同じく共通の歴史を持つ三富新田にあたる)への編入をも計画するという動きも見られた。しかし西武鉄道路線やバス路線・道路など交通事情との関わりもあり、結局関係が最も深かった町村がまとまって現在の形に落ち着き、狭山市市政施行後は合併構想が提起されることは少なくなっていた。しかし平成の大合併の流れを受け、2000年頃から入間市との合併が協議され、2006年1月1日に合併の予定となった(新市名は「狭山市」)。しかし2005年1月30日に行われた住民投票で合併反対が多数となり、一方の入間市でも住民へのアンケートで合併反対が多数となったため、合併協議会は解散した。
人口[編集]
Demography11215.svg
狭山市と全国の年齢別人口分布(2005年) 狭山市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 狭山市
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
狭山市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 60,886人
1975年 98,548人
1980年 124,029人
1985年 144,366人
1990年 157,309人
1995年 162,240人
2000年 161,460人
2005年 158,074人
2010年 155,738人
2015年 152,393人
総務省統計局 国勢調査より
狭山市は、1970年から1995年にかけて、人口が増えて行ったが、1995年から2010年にかけて、少しずつ人口が減って行った。
地域[編集]
町名[編集]
狭山市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。住居表示実施前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部であり、町名の末尾に数字がある場合には丁目を表す。
町名一覧(57町丁) [表示]
「入曽」の地区名称について[編集]
2009年4月1日、合併前の旧村名「入間村」に由来する名称「入間地区」より改めた。入間市との混同を避けるとともに、駅名とあわせ分かりやすくするため。以前から仲川市長が改称を提起しており、2008年には狭山市入間地区自治会連合会から要望書の提出もあった。市側の改称を受け、民間でも改称の動きが広がり、JAいるま野農業協同組合入間支店が2009年12月、村政時代以来の「入間農協」に由来する支店名を改め、「入曽支店」に名称変更している。2011年3月には狭山市立入間小学校が閉校となり、以後入曽地区内で村政以来の「入間」の呼称を残す公共施設・機関名は狭山市立入間中学校のみとなっていたが、同中学校も2015年3月に閉校した。また民間では入曽駅近くの旧入間村役場跡地に店舗を構えるAコープが現在も「入間店」(2016年4月より「JAファーマーズ入間」)を称している。同店舗駐車場脇には入間村政を記念する「入間村の碑」が狭山市史編纂委員会と住民有志によって建立されているほか、1915年11月の大正天皇即位礼を祝して村民により植えられたイチョウの木が大木となって記念碑「銀杏の碑」とともに現存しており、その歴史を伝えている。
郵便[編集]
郵便番号
350-13xx - 狭山郵便局管轄(入間市の集配業務もおこなっている)
郵便局
狭山郵便局
狭山入間川三郵便局
狭山柏原郵便局
新狭山駅前郵便局
狭山水野郵便局
狭山鵜ノ木郵便局
狭山北入曽郵便局
狭山台団地内郵便局
新狭山二郵便局
狭山入曾郵便局
狭山旭郵便局
狭山上広瀬郵便局
水富郵便局
電話番号[編集]
市外局番等
04-200x・290x・292x〜296x・299x - 所沢MA(入間市、狭山市、所沢市)
従来は「0429」であったが、電話番号逼迫対策のため、以下のように2度変更された。天気予報に関しては、従前と同じく「0429-177」となっている。
1998年4月29日 - 「0429-xx」から「042-9xx」へ。
2004年1月11日 - 「042-9xx」から「04-29xx」へ。
柏MA(千葉県柏市など)、鴨川MA(鴨川市)も市外局番は「04」であるが、MAが異なるため、発信時に市外局番「04」を付ける必要がある。
住宅団地[編集]
市営住宅18ヶ所
県営住宅3ヶ所
狭山鵜ノ木住宅 (鵜ノ木)
UR狭山台団地 (狭山台1・2・3丁目)
URつつじ野団地 (つつじ野)
西武狭山台ハイツ(中央3丁目)
新狭山ハイツ(青柳)
狭山グリーンハイツ(笹井1丁目)
パイロットハウス狭山台(中央4丁目)
行政[編集]
長らく地方交付税交付金不交付団体であり[4]、市財政には余裕がある[5]。高齢化と人口減少の影響による市税収入の減少から2010年代以降は近隣の川越市・入間市・所沢市等の自治体とともに地方交付税交付金交付団体に移行しているものの、なおも健全財政を維持している。市内に進出した本田技研工業を始めとする企業の工場・事業所から納入される固定資産税収入と、敷地の9割が狭山市域にある航空自衛隊入間基地が置かれていることによる国有提供施設等所在市町村助成交付金(基地交付金)及び施設等所在市町村調整交付金(調整交付金)、更に特定防衛施設周辺整備調整交付金(防衛省補助金)が主要な財源である。
本田技研工業の企業城下町として知られ、1987年4月以来、市議会には同社労働組合の組織内議員1名がいる。ただ業種の異なるロッテ、コーセーなど別の大企業の工場も進出しており、航空自衛隊入間基地勤務の自衛官も多数在住していることから、本田技研工業一社が市の命運を握るほどの影響力を有しているわけではなく、茨城県日立市や愛知県豊田市のように市民の相当数が一企業グループに関わっているといった状況にはない。また市議会においても、本田技研工業労働組合に先立つ1975年4月からコーセー労働組合推薦の市議会議員1名が議席を維持していた[6]。また他の首都圏ベッドタウン同様、農業は衰退傾向にあるものの、農産物に特産物があるため農業関係者の存在も大きく、前市長は「狭山茶」の製造販売業を営む人物であった。
市役所、市民会館や総合体育館などは立派な造りとなっており、また市内には所沢市や川越市等にあるドッグラン等のペット共生施設公園等は無いが、動物園や体育館併設の多目的公園の智光山公園や狭山稲荷山公園をはじめとするたくさんの公園が整備されている。入間川河川敷には川越市とともに川越狭山自転車道路(サイクリングロード)と広大な公園が整備されており、多くの市民にとって憩いの場となっている。
市役所の公式サイトとしては異例の公式モバイル版サイトを全国市町村に先駆け開設し、その取り組みが新聞などにも取り上げられた。2006年、狭山市は「携帯電話を活用した情報配信の取り組み」により、「平成18年度地域づくり総務大臣表彰」(情報化部門)を受賞した。狭山市では既に2001年から市消防本部が地元消防団員を対象に市内の災害情報を携帯電話のメールで伝達していたが、2007年2月からはこのシステムを全市民に拡大し、希望者に対し携帯メールで市内の災害情報を配信する新規事業を開始した。市の公式Twitterも早期に開設しており、2014年8月から公式ツイッターに大雨・洪水・地震などの気象情報を自動更新して配信する機能を追加、24時間運用を開始した[7]。熊谷地方気象台から出された警報等の最新情報を自動的にツイッター用の短文に変換し、配信する。公式ツイッターにこうした機能を付加した地方公共団体は西日本では数例見られるが、東日本の自治体では初めてとなる。
2008年2月、新たな人口増及び少子化対策・子育て支援の一環として、市はこれまで未就学児童を対象に行っていた所得制限・費用上限無しの医療費助成の対象年齢を中学校3年生まで引き上げる方針を明らかにした[8]。まず2008年10月に小学校3年生までに適用範囲を広げた後、2011年度までに中学校3年生へと段階的に拡大する。これにより今後狭山市では中学卒業時まで入院・通院とも保険診療の医療費は無料となった。また2008年10月から医療機関での窓口払いも廃止された。この施策は比較的余裕がある市の財源を市民に還元する目的もある。またこの施策は埼玉県内の他の市町村にも影響を及ぼし、現在県内32自治体が同様ないしは類似の政策を実施・計画するに至っている。
市長[編集]
小谷野剛(こやの つよし・無所属・1期目・2015年(平成27年)7月27日 - 現職(任期は2019年7月26日まで))
副市長:松本晴夫(元市教育委員会教育長)
歴代市長[編集]
初代 石川求助 (1954年(昭和29年)8月15日 - 1966年(昭和41年)8月14日) 3期12年
2代 町田佐一 (1966年(昭和41年)8月15日 - 1986年(昭和61年)4月1日) 5期20年 在任中死去
3代 大野松茂 (1986年(昭和61年)5月15日 - 1994年(平成6年)5月17日) 2期8年
4代 町田潤一 (1994年(平成6年)5月18日 - 2003年(平成15年)6月19日) 3期9年 在任中死去
5代 仲川幸成 (2003年(平成15年)7月27日 - 2015年(平成27年)7月26日) 3期12年
市長選挙結果[編集]
2015年7月12日狭山市長選挙
投票率 42.53%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 14,950 小谷野剛 無所属 新 前市議会議員・元市議会議長
13,398 東山徹 無所属 新 前市議会議員・元市議会議長
11,565 栗原武 無所属 新 前市議会議員・元市議会議長
7,966 松田元 無所属 新 会社社長・武蔵野学院大学SMB研究所長
5,166 加藤武美 無所属 新 狭山地区労議長・埼玉土建副支部長
2011年7月10日狭山市長選挙
投票率 30.54%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 21,608 仲川幸成 無所属 現 市長
16,567 中村正義 無所属 新(再) 元埼玉県議会議員・前市議会議員・前市議会議長
2007年7月22日狭山市長選挙
投票率 48.27%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 28,356 仲川幸成 無所属 現 市長
20,888 北田清 無所属 新 元市助役
11,716 高部忠雄 無所属 新 元市PTA連合会会長
2003年7月27日狭山市長選挙
投票率 36.81%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 26,940 仲川幸成 無所属 新 前市議会議員・前市議会議長
19,512 飯島邦男 無所属 新 元埼玉県議会議員・元市議会議員
2002年4月21日狭山市長選挙
投票率 44.04%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 21,299 町田潤一 無所属 現 市長
11,515 竹内良二 無所属 新 前市課長
10,570 岩隈利輝 無所属 新 日本工業大学助教授
5,985 大島政教 無所属 新 前市議会議員・元市議会議長
5,890 中村正義 無所属 新 元埼玉県議会議員・元市議会議員・元市議会副議長
1998年狭山市長選挙
無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 無投票 町田潤一 無所属 現 市長
1994年4月24日狭山市長選挙
投票率 54.39%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 31,317 町田潤一 無所属 新 前埼玉県議会議員
30,065 大野松茂 無所属 現 市長
2,912 小屋松敬介 共産党 新 党支部役員
1990年4月22日狭山市長選挙
投票率 33.29%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 30,160 大野松茂 無所属 現 市長
5,018 金子健一 共産党 新 党支部役員
1986年5月18日狭山市長選挙
投票率 60.13%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 31,238 大野松茂 無所属 新 前埼玉県議会議員
22,198 北田保男 無所属 新 前市助役
2,931 竹村孝一 共産党 新 党支部役員
1982年狭山市長選挙
無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 無投票 町田佐一 無所属 現 市長
1978年狭山市長選挙
無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 無投票 町田佐一 無所属 現 市長
1974年7月28日狭山市長選挙
投票率 47.46%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 18,659 町田佐一 無所属 現 市長
6,663 内笹井務 共産党 新 党支部役員
1970年狭山市長選挙
無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 無投票 町田佐一 無所属 現 市長
1966年狭山市長選挙
無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 無投票 町田佐一 無所属 新 前市助役・元市長職務執行者代理・元入間村長
1962年狭山市長選挙
無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 無投票 石川求助 自民党 現 市長
1958年狭山市長選挙
無投票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 無投票 石川求助 自民党 現 市長
1954年8月15日狭山市長選挙
投票率 80.11%
当落 得票数 候補者 党派 市長歴 立候補時の役職等
当 6,752 石川求助 自由党 新 前埼玉県議会議員・元入間川町長
6,548 中島中次郎 自由党 新 元埼玉県議会議員・元入間川町長
250 長野林太郎 社会党再建派 新 団体役員
再開発事業[編集]
明治時代に開業した狭山市駅・入曽駅周辺の再開発について、1980年代より構想は存在していたが、1990年代に至っても事業は具体化せず、入間市・所沢市・飯能市など周辺各都市に遅れをとっていた。狭山市駅西口地区については2000年代に事業者・専門家・市民らの議論を経て事業化され、一時政治的困難が発生したものの、変更は一切なく当初の事業計画が貫徹され、総合的な調整により計画から設計施工まで一貫したデザインコンセプトを保ったまま2012年に完成に至った。狭山市駅東口地区については老朽化した駅ビルが改築されたほか、道路整備が継続して行われている。一方入曽駅周辺については開業後101年を経た1996年に西口を開設したものの、2013年、東口地区の大規模再開発を断念した。
狭山市駅西口地区再開発整備事業
狭山市駅西口周辺は、ロータリーが未整備で歩道も確保されていないため危険であったことから、再開発整備事業が計画された。1998年、狭山市駅西口地区再開発整備事業協議会において「他の沿線駅前とは明確に差別化し、自然と景観を取り込んだ狭山市らしい駅前整備を行う」方針が決定した。 しかし行政や施行予定者となった都市再生機構に対し、地権者や市議会議員を含んだ市民から見直しを求める運動が起き、このまま計画を進めることができるか、予断を許さない状況となった。計画見直し派の市民団体は狭山まちづくりネットワーク(推進派の市民団体には狭山市駅西口再開発事業を推進する会がある)が中心となり、そこに複数の団体が所属した。見直しの主な要求は、予算規模の縮小。その中で2006年1月23日、地権者71名によるとする見直しを求める意見書が提出されたが、後に明らかになった名簿では実際には地権者は21名であり、物議を醸すこととなった。2007年4月17日、西武鉄道は「2007年度鉄道事業設備投資計画」を発表。この中で狭山市駅西口再開発事業に伴う狭山市駅駅舎改良工事は2007年度に調査・設計、2008年度着工、2009年度完成予定との計画が公表された。2007年4月の統一地方選挙狭山市議会議員選挙では再開発整備事業を掲げる市議会議員が多数を占める市議会の構成に変化はなく、計画推進の民意が示された。同年6月22日、狭山市駅西口再開発事業の権利変換計画が国土交通大臣から認可され、2007年9月着工・2009年まち開き・2011年完成予定で本格的に工事が開始されることになった(『広報さやま』平成19年7月号)。同年7月22日投開票の狭山市長選挙において、西口再開発事業の推進を掲げた現職の仲川幸成市長が再選され、西口再開発事業は引き続き推進されることになった。同年9月から駅舎の取り壊し工事が始まり、駅舎工事用地確保のため駅周辺の店舗閉鎖と住民の転居、整地も行われた。2008年11月から駅舎改築工事を開始。同月、道路の整備に伴い臨時バス乗降場を設置。同年11月から12月、「まちの愛称」が公募され、2009年3月、「スカイテラス」に決定。2010年3月25日、狭山市駅西口地区まち開きを行い、新駅舎と一部施設が供用開始。バス停留所整備等も2012年7月までに完了し、西口地区再開発事業が完成。同月14日から16日まで完成記念イベントを行った[9]。同18日、複合型公益施設「狭山市市民交流センター」が開所、西口地区再開発事業によって整備された全施設が供用開始となり、事業は終了した。2014年5月12日、狭山市駅西口地区スカイテラスは平成26年度都市景観大賞都市空間部門において優秀賞を受賞した[10][11]。従来ほとんど同賞への応募の無かった私鉄沿線の駅前広場に関する事例であり、都市近郊において相次いでいる今後の市街地再開発はどうあるべきかという課題について新たなモデルを示すものとして注目された。「大型再開発ビルを建設しテナントを募集、人の流れの創出は入居した商業施設任せ」というような全国的にみられる既存の再開発事業が生んだ弊害を念頭におき、そうした没個性的な再開発の有り方とは一線を画し、狭山市の表玄関にふさわしい街づくりを模索。商業的価値の高い駅前広場にあえて大規模商業施設を誘致せず、既存市街地との接続を意識した「市民広場」を置き、新たな市民交流・回遊の場を確保、地形の高低差によって得られる秩父連山を望む遠景を生かし、環境・景観に配慮した街並みを創出したことが評価された。今後バス停等の更なる改善により歩行者視点での質的向上への期待が示された。更に同年10月1日には公益財団法人日本デザイン振興会主催「2014年度グッドデザイン賞(都市づくり、地域づくり、コミュニティ部門)を受賞した。複雑な敷地や地形的な特徴を計画に折り込み、多岐にわたる関係者を計画に参加させる仕組みを作った点などがくらしや産業や社会の質を向上させる優れたデザインとして評価を受けたものである[12]。一方再開発事業に合わせて狭山市駅駅舎が改築され、2011年6月8日には駅構内商業施設「Emio狭山市」が開業。同施設内にスーパーマーケット「ブルーミングブルーミー」(株式会社いなげやが運営)がテナントとして入居したことにより業績不振となった西友狭山市駅前店が2015年3月31日をもって閉店した[13]。1972年の開店以来40年以上にわたって営業していた西口の中核的商業施設が失われ、スカイテラスに大規模商業施設を誘致しなかったことから、駅前の買い物利便性の低下が懸念されている。
狭山市駅東口周辺の区画整理事業
狭山市駅前東口周辺は区画が非常に入り組んでおり駅までのアクセスが悪いとされ、市の顔にふさわしい駅前を創出するべきとして、区画整理事業が長年に渡って議論されている。立ち退きに難色を示す住民と行政の対立があったが、現在事業は進められており、道路の建設が行われている。2010年に道路の一部が開通し、2013年には工事箇所が東口駅前広場まで到達。2014年5月、東口駅前広場に通じる都市計画道路「狭山市駅加佐志線」が開通した。また西口地区再開発事業及び駅舎改築等に合わせ、東口駅前広場の再整備も行われ、2012年10月に完成した。
入曽駅周辺地区整備事業
入曽駅周辺は商店や住宅が密集し、人や車の通行も多い一方で、駅前に通じる道路はいずれも狭隘であり、歩道も整備されていない。駅前は開業時以来の極めて狭い空間を有するのみであり、ロータリーや駅前広場がないことから、路線バスの進入も危険な状態となっている。また、駅西口には武蔵野の面影を残す農地や雑木林が広がっていたが、駐車場や資材置き場に転用されるようになり、駅前にふさわしくない無秩序な土地利用が懸念されている。このため入曽駅東口地区整備事業および入曽駅周辺地区区画整理事業が計画された。狭山市は1995年に狭山市立入間小学校(当時)の校地の一部を割いて「入曽駅周辺開発事務所」を設置し、地権者・住民との合意形成に努めたものの、一部地権者の反対が強く、具体的な進展は見られなかった。2008年10月には入曽駅東口地区約6万9千平方メートルを土地区画整理事業の手法で開発する基本構想を決定したが、その後も地権者との合意形成が進まなかったため、土地買収方式で事業を進める方針に転換。2011年3月には事業地内の狭山市立入間小学校を廃校とし、学校敷地(1万3千平方メートル)を再開発に伴う移転・代替用地に当て、再開発事業開始への準備を進めた。同年8月から11月にかけて全地権者に意向確認調査を実施。東口地区北側が南側に比して事業開始に賛同する意見が多かったことから、北側約4ヘクタールについて先行整備する方針を立てた。しかし事業地内の駅前大手地権者(1法人2個人)と土地買収金額などの面でなおも折り合わず、駅前大手地権者が事業反対の意向を示したため、ついに2013年5月、狭山市は地権者の協力が得られず今後の見通しが立たないことなどを理由に両計画の実施を断念する方針を明らかにした[14]。同年10月、「入曽駅周辺開発事務所」も閉鎖され、狭山市役所内に移された。翌2014年3月31日をもって入曽駅周辺開発事務所は廃止となった。今後、入間小学校跡地には入曽公民館の移転と公園の整備が進められる計画となっている。
立法[編集]
市議会[編集]
2017年4月24日現在
議員定数:22
議長:齋藤誠(公明党狭山市議会議員団)
副議長:太田博希(創造)
任期:2015年5月1日 - 2019年4月30日
会派:◎は会派代表者。( )内数字は当選回数。
創政会(5議席):◎田村秀二(6)・新良守克(3)・三浦和也(2)・笹本英輔(2)・千葉良秋(1)
創造(5議席):◎金子広和(2)・町田昌弘(3)・太田博希(2)・矢馳一郎(2)・西塚和音(1)
公明党狭山市議会議員団(4議席):◎加賀谷勉(3)・磯野和夫(4)・齋藤誠(3)・綿貫伸子(2)
日本共産党狭山市議会議員団(3議席): ◎猪股嘉直(5)・日野恵美子(大沢えみ子)(5)・望月高志(1)
新政みらい(2議席):◎内藤光雄(2、連合埼玉)・八木隆幸(土方隆司)(2)
はつらつ(2議席):◎大島政教(7)・中村正義(8)
無所属(1議席):高橋久美子(高橋ブラクソン久美子)(5)
国政[編集]
衆議院
「埼玉県第9区」を参照
参議院
「埼玉県選挙区」を参照
県政[編集]
西4区。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。
統一地方選挙埼玉県議会議員選挙(2015年4月)
本木茂(4・自民党公認)
中川浩(2・無所属・プロジェクトせんたく推薦)
統一地方選挙埼玉県議会議員選挙(2011年4月)
本木茂(3・自民党公認)
中川浩(1・民主党公認)
統一地方選挙埼玉県議会議員選挙(2007年4月)
本木茂(2・自民党公認)
北村浩(1・無所属・民主党推薦・政治団体新風21推薦)
統一地方選挙埼玉県議会議員選挙(2003年4月)
本木茂(1・無所属・自民党推薦)
諸口高男(1・無所属・自民党推薦)
経済[編集]
工業[編集]
川越狭山と狭山の2つの工業団地があり、ホンダの埼玉製作所を筆頭に、製造品出荷額県下1位と埼玉県一の工業都市となっている。
市制施行時は特産物「狭山茶」により農業都市というイメージが強かったが、市政施行後の1955年(昭和30年)12月「狭山市工場誘致条例」を制定し、積極的に企業誘致を行った。翌年9月には工場誘致第1号として日本クロス工業(現在のダイニック)が進出[15]。以後工場誘致は順調に進み、市内各地に大企業の大型工場が進出した。1966年(昭和41年)に川越狭山工業団地、1973年(昭和48年)には狭山工業団地が相次いで完成。2つの大型工業団地を有する工業都市へと変貌した。1982年(昭和57年)以降現在まで製造品出荷額埼玉県内第1位となっており、県内最大の工業都市となっている。企業誘致は現在も行っている。首都圏中央連絡自動車道狭山日高インターチェンジの開設と埼玉県道126号所沢堀兼狭山線の全線開通を受け、2015年、狭山工業団地の2地区(東地区(柏原北)と西地区(上広瀬))の拡張と土地区画整理事業実施が決まった。
川越狭山工業団地 - 本田技研工業埼玉製作所、ロッテ狭山工場、住友電装狭山工場、全酪(ジャパンミルクネット)狭山工場、紀文フードケミファ埼玉工場・新埼玉工場など
狭山工業団地 - 小岩井乳業東京工場、大日本印刷狭山工場、鷺宮製作所狭山事業所、八千代工業本社・柏原工場など。倉庫や配送・物流センターなども立地。
コーセー狭山工場・入曽工場、入間川ゴム本社工場、シチズンマイクロ本社工場、山本製作所入間川事業所
農業[編集]
農業は衰退している。しかし、地物の野菜が市内のスーパーの店頭に並んでいることも多い。
JAいるま野農業協同組合管内である。
入曽駅近くに埼玉県内の狭山茶生産地域全域を管内とする狭山茶業農業協同組合があり、生産者約280名が加盟している。
狭山茶
茶は隣接する入間市などと共通の名産である。主産地は入間市。狭山市内では入曽・堀兼地区が主要産地であるが、茶畑は減少傾向にある。長らく入間市に次ぐ生産高を維持していたものの、1990年代以降は所沢市とほぼ同程度の数値となり、2000年代以降は所沢市の生産高をも下回るようになっている。
さといも
隣接する入間市や所沢市などと共通の名産。さといもをつくっている農家はかなり減少しているが、高級品として扱われており、東京や京都の高級料亭で使われる。ただ地元ではあまり知られていない。
入間ごぼう
主産地は狭山市。かつては東京から京都・大阪まで広く出荷された特産物であったが現在作付面積は大幅に減少している。
入間にんじん
かつては非常に多く出荷されたが現在作付面積は大幅に減少している。
観光ぶどう園
入曽地区を中心に市内に点在。手軽なレジャーやイベント・学校の遠足などで利用されている。
商業[編集]
商業圏では、周辺中核都市の所沢市と川越市と挟まれ、近年は個人商店の減少が目立つ。イオン狭山店(旧カルフール狭山)やヤマダ電機、イオン武蔵狭山店(旧サティ)、PC DEPOT等の100台以上の大型パーキングを有した大型店の展開が盛んであるが、これは単に近隣消費者相手だけではなく、主に国道16号線の首都圏環状の特殊商圏性を生かした他近隣エリア消費者を睨んだ出店でもある。
狭山市は西武百貨店が出店している所沢商圏と丸広百貨店本店が所在する川越商圏の双方に属しているため、大型百貨店の出店はない。
1973年9月、西友の小型店実験店舗が市内入間地区水野に開店。この店舗は後のコンビニエンスストアチェーン「ファミリーマート」の第一号店である。1981年9月、株式会社ファミリーマート発足と共に「ファミリーマート狭山店」としてオープンした。現在の店舗名称は「入曽店」となっている。
イオン武蔵狭山店(旧狭山サティ)
イオン狭山店(旧カルフール狭山)
Emio狭山市(blooming bloomy狭山市駅店など)
狭山ショッピングセンターヤオコー(ヤオコー狭山店、埼玉りそな銀行ヤオコー狭山店出張所(ATM)、パシオス狭山店など)
マーケットシティ入曽(ヤオコー北入曽店、マクドナルド、埼玉りそな銀行ヤオコー北入曽店出張所(ATM)、スギ薬局、ザ・ダイソー、しまむら、バースデイ、セキチュー狭山店)
ヤオコー入曽店
JAファーマーズ入間(Aコープ入間店)
ベスタ狭山( ベルクベスタ狭山店、ケーヨーD2、マツモトキヨシ、ザ・ダイソー、UNIQLO、ABCマート、モスバーガー)
ヤマダ電機テックランド狭山店
ヤマダ電機テックランド狭山富士見店(ゲオ狭山店と併設)
金融[編集]
みずほ銀行新所沢支店狭山出張所
三菱東京UFJ銀行狭山支店
埼玉りそな銀行
狭山支店
新狭山支店
武蔵野銀行
狭山支店
入曽支店
狭山西支店
埼玉縣信用金庫狭山支店
飯能信用金庫
入曽支店
狭山西支店
新狭山支店
狭山支店
青梅信用金庫狭山支店
中央労働金庫狭山支店
JAいるま野農業協同組合
狭山支店
柏原支店
水富支店
入曽支店
堀兼支店
奥富支店
その他の企業[編集]
狭山ケーブルテレビ (S-CAT) - ケーブルテレビ局(1992年設立・1995年開局・放送開始)
八千代工業
ランシステム(本店、本社は池袋に所在)
向現テクノ
姉妹都市・提携都市[編集]
日本の旗津南町(新潟県中魚沼郡)
1997年1月30日友好都市提携
大韓民国の旗 統営市(大韓民国)
1973年7月4日姉妹都市提携(当時は忠武市)。2005年、島根県で「竹島の日」条例が成立した事を受け、統営市側から交流を中断[16]。しかし、2006年10月24日には統営市国際交流協会訪問団が来訪した[17]。
アメリカ合衆国の旗 ワージントン市(アメリカ合衆国オハイオ州)
1999年11月1日姉妹都市提携
中華人民共和国の旗 杭州市(中華人民共和国)
1996年7月8日友好都市提携
教育[編集]
小学校[編集]
狭山市立入間川小学校
狭山市立入間川東小学校(狭山市立入間川小学校分教場を独立した小学校に改組)
狭山市立富士見小学校
狭山市立南小学校
狭山市立山王小学校
狭山市立入間野小学校
狭山市立御狩場小学校
狭山市立狭山台小学校
狭山市立堀兼小学校
狭山市立新狭山小学校
狭山市立奥富小学校
狭山市立柏原小学校
狭山市立水富小学校(廃校予定)
狭山市立広瀬小学校
狭山市立笹井小学校
西武学園文理小学校
中学校[編集]
狭山市立西中学校
狭山市立入間川中学校
狭山市立中央中学校
狭山市立山王中学校
狭山市立入間野中学校
狭山市立狭山台中学校
狭山市立堀兼中学校
狭山市立柏原中学校
西武学園文理中学校
高等学校[編集]
埼玉県立狭山清陵高等学校 - 全日制。
埼玉県立狭山工業高等学校 - 全日制。
埼玉県立狭山経済高等学校 - 全日制。
埼玉県立狭山緑陽高等学校 - 定時制。2008年4月、埼玉県立狭山高等学校の旧校地に新設。
秋草学園高等学校 - 全日制(女子のみ)。
西武学園文理高等学校 - 全日制。
短期大学[編集]
武蔵野短期大学
大学[編集]
東京家政大学狭山校舎
1986年開設。文学部英語英文学科・心理教育学科、大学院文学研究科修士課程英語英文学専攻・心理教育学専攻が置かれていた。2009年、文学部・大学院文学研究科は板橋キャンパスに移転。2014年4月から新たに看護学部・こども学部を設置。このほか地域連携協力推進センターが置かれている。
西武文理大学
武蔵野学院大学
各種学校[編集]
社団法人狭山市医師会立狭山准看護学校(旧・狭山市立衛生学院を改組・改称)
かつて存在した学校[編集]
小学校[編集]
狭山市立入間小学校
2011年3月閉校。学区は狭山市立入間野小学校・狭山市立南小学校の両校学区に分割編入。今後、入間小学校跡地には公共施設の移転と公園の整備が進められる計画となっている。
狭山市立狭山台北小学校
狭山市立狭山台南小学校
2010年3月、狭山市立狭山台北小学校と狭山市立狭山台南小学校を閉校。同年4月、両校を統合し、旧狭山台南小学校校舎に「狭山市立狭山台小学校」を新規開校。2012年、旧狭山台北小学校校舎に生涯教育・社会教育等施設「狭山元気プラザ」設置。また同施設内に社団法人狭山市医師会立狭山准看護学校を移設した。
中学校[編集]
狭山市立入間中学校
2015年3月閉校。学区は狭山市立入間野中学校・狭山市立山王中学校の両校学区に分割編入。
狭山市立入間川中学校(旧)
狭山市立東中学校
2016年3月閉校。学区は狭山市立中央中学校・狭山市立狭山台中学校・狭山市立山王中学校の各校学区に分割編入。
狭山市立奥富中学校
狭山市立東中学校奥富分教場
狭山市立水富中学校
狭山市立柏原中学校(旧)
高等学校[編集]
埼玉県立狭山高等学校 - 全日制・定時制併設。2008年3月閉校。
埼玉県立川越高等学校入間川分校 - 定時制。
短期大学[編集]
埼玉女子短期大学 - 1999年、全学日高市に移転。
文理情報短期大学 - 1999年、4年制化し西武文理大学開校。
専修学校[編集]
駒野家政専修学校 - 2006年3月廃校。
公共機関[編集]
狭山保健所
消防[編集]
埼玉西部消防組合:狭山、所沢、入間、飯能、日高の5市で構成される。消防広域化前は狭山市消防本部であった。
狭山消防署(上奥富)
富士見分署(中央4丁目)
広瀬分署(広瀬2丁目)
水野分署(水野)
警察[編集]
狭山警察署
埼玉県警察地域部航空隊(狭山市稲荷山・航空自衛隊入間基地内)
国の機関[編集]
防衛省航空自衛隊入間基地
防衛省航空自衛隊航空総隊中部航空方面隊司令部
防衛省航空自衛隊航空総隊航空救難団司令部
県の機関[編集]
狭山保健所
交通[編集]
鉄道路線[編集]
西武鉄道
新宿線
入曽駅-狭山市駅-新狭山駅
池袋線
稲荷山公園駅
中心となる駅:狭山市駅
かつて通っていた鉄道[編集]
入間馬車鉄道
中武馬車鉄道
路線バス[編集]
西武バス:狭山営業所のほか、川越営業所・飯能営業所管轄路線が運行されている。
コミュニティバス[編集]
狭山市内循環バス「茶の花号」
観光[編集]
名所[編集]
狭山市立智光山公園 : こども動物園・菖蒲園・総合体育館・狭山市立「智光山荘」(宿泊施設)など
埼玉県立狭山稲荷山公園 : 桜の名所・さやま大茶会会場(11月)
狭山市立博物館 : 埼玉県立狭山稲荷山公園内
ふれあい健康センターサピオ稲荷山 : 埼玉県立狭山稲荷山公園に隣接
武蔵野狭山林間コース入曽フィールドアスレチック : 1976年9月開園。2001年廃園。廃園後跡地の一部は野外イベントスペース「ロッジ水野の森」となっている。
史跡[編集]
今宿遺跡:縄文時代住居跡
広瀬神社:延喜式内社
清水八幡宮:木曽義高墓所
福聚山徳林寺:新田義貞着陣、第十三代横綱鬼面山谷五郎(武隈家)墓所
狭山八幡神社:新田義貞「駒繋ぎの松」、足利基氏入間川御陣跡[18]
堀兼之井:埼玉県指定遺跡、武蔵野台地に多く造られた「まいまいず井戸」の一つ
七曲井:埼玉県指定史跡、武蔵野台地に多く造られた「まいまいず井戸」の一つ
城山砦跡:中世城郭遺跡(上杉憲政着陣)
清水浜臣墓:旧・安穏寺境内跡
催し[編集]
狭山入間川七夕まつり(8月第1土曜日・日曜日) 関東三大七夕祭りとして知られる。
入間基地航空祭(11月3日)
梅宮神社の甘酒祭り(2月10日・11日)
狭山市出身・在住の有名人[編集]
政治(上記以外)
清水宗徳(明治時代の政治家・実業家 埼玉県議会議員を経て自由党衆議院議員、川越鉄道創立委員、入間馬車鉄道社長)
清水逸平(元・衆議院議員、旧埼玉2区選出 民主自由党。入間川ゴム会長)
遠藤三郎(旧大日本帝国陸軍軍人、元陸軍中将、平和運動家。市内に在住)
矢島恒夫(元衆議院議員 旧埼玉2区・比例代表北関東ブロック選出 日本共産党所属)
長谷川清(元参議院議員 比例代表選出 民社党・新進党・民主党所属 市内に在住)
平山誠(前参議院議員 比例代表選出 みどりの風)
増島徳(元飯能市長)
文学
津村節子(作家・戦時中旧入間川町に疎開し、戦後もそのまま在住した)
土家由岐雄(児童文学作家・市内に在住した)
吉野弘(詩人・市内に在住した)
さねとうあきら(児童文学作家・市内に在住)
大道珠貴(作家・市内に在住)
青木淳悟(作家)
芸術
池原昭治(画家・市内に在住)
津森千里(ファッションデザイナー・市内に在住した)
栗原大輔(画家・指揮者・声楽家・市内に在住)
鈴木エドワード(建築家)
荒木哲郎(アニメーション演出家・アニメーション監督)
金山明博(アニメーター・市内に在住)
風間健介(写真家・市内に在住)
芸能
風間志織(映画監督)
貴水博之(歌手)
酒井法子(タレント・小学生時代を過ごす)
首藤義勝(ミュージシャン・KEYTALKのベースボーカル)
関口大輔(映画プロデューサー、ドラマプロデューサー)
小田崎諒平(俳優)
塚本信夫(俳優・市内に在住した)
中島義実(俳優(子役))
平山亨(テレビプロデューサー・市内に在住)
細野晴臣(ミュージシャン・市内にあった米軍ハウス(通称:アメリカ村)に在住した[19]。)
宮田愛理(女優)
吉沢秋絵(女優)
りりィ(歌手・市内に在住し、長男JUON(ミュージシャン)を育てた)
ローラ(ファッションモデル・狭山市生まれ)
加藤シルビア・狭山市生まれ)
麻田浩(シンガーソングライター、プロデューサー・市内にあった米軍ハウス(通称:アメリカ村)に在住した)
小坂忠(歌手・市内にあった米軍ハウス(通称:アメリカ村)に在住した)
KINYA(タレント、市内に在住した)
だいたひかる(お笑い芸人、小学生時代を過ごす)
アナウンサー
塚田文(現在ニチエンプロダクション所属、元・山口放送)(元・西武ライオンズマスコットガール)(埼玉県立狭山清陵高等学校 卒業 堀兼地区東三ツ木在住)
鏡和臣(NHKアナウンサー)
スポーツ
河野友軌(元・プロ野球選手 横浜ベイスターズ)
原田慎太郎(サッカー選手)
平原康多(競輪選手)
その他
高篠静雄(ウォークマン開発者)
内野二朗(キョードー・グループ創立者)
池田邦吉(ノストラダムス研究家・市内に在住)
漫画 前原タケル市内に在住
特産[編集]
いわしふりかけ「さやま」
通称「さやまふりかけ」。1979年、子供のカルシウム不足問題を解消するため、当時の市長町田佐一が自ら考案(町田は旧制東京農業大学出身で、農芸化学を専門としていた)し、丸美屋食品工業と共同開発・商品化したふりかけ。いわしを利用したもの。市内小中学校の給食時の献立に使用。当時余剰政府米が盛んに学校給食に利用され、パンに代わって米飯が給食の主流となる中、一時は周辺市町村の学校給食の献立にも採用されていた。狭山市役所のほか市内のスーパーマーケット・茶店・農協等で販売し、一般にも流通した。現在も給食で出されており、また販売もされている。ただしローカル商品のため、市外での流通・販売はほとんどない。
狭山抹茶「明松」(みょうしょう)
1990年、「さやま大茶会」開催に合わせ、狭山市において新たに商品化された抹茶。
狭山市に本拠を置くスポーツ[編集]
セコムラガッツ(ジャパンラグビートップリーグ)
ASエルフェン埼玉(なでしこリーグ)
Honda硬式野球部
ホンダルミノッソ狭山FC(2011年解散)
狭山市を舞台にした作品[編集]
ドラマ
「さわやか3組」 - NHK教育テレビで放映されている、小学3・4年生向けの学校教育(教科は道徳)ドラマ。狭山市立南小学校が1999年度放送分の舞台となった。(2006年再放送)
漫画
「椿ナイトクラブ」 - 入曽駅付近がモデルとなっている。
関連項目[編集]
大阪狭山市
大阪府南河内地域の市である。1987年10月1日の市制施行日には狭山市と名乗っていたものの、当市と同一市名となるため、原則として同一市名を認めない自治省の方針に基づき即日現在の市名へ改名した。(参考 市#市の名称について)
狭山事件
1963年に発生した殺人事件。同和問題との関わりや警察の捜査のあり方などをめぐって注目された。
脚注[編集]
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^ 狭山市公式イメージキャラクター「七夕の妖精おりぴぃ」 狭山市ホームページ
^ 2006年度の狭山市の合計特殊出生率は1.10で、国(1.32)や埼玉県(1.24)全体に比べ低い。
^ 新市の名称の候補として「狭山市」のほか「入間川市」「入間市」「武蔵市」「武蔵野市」が挙げられ対立したが、1町5村の町村長による投票で最多得票であった「狭山市」に決定された。→参考文献:「狭山市史 現代資料編」
^ 2009年現在の埼玉県内の地方交付税交付金不交付団体は狭山市(1.14)の他戸田市(1.49)・和光市(1.31)・入間郡三芳町(1.24)・朝霞市(1.14)・所沢市(1.09)・八潮市(1.09)・川越市(1.07)・川口市(1.06)・さいたま市(1.03、旧岩槻市相当分を除く)・入間市(1.02)の計11市町である(括弧内数値は2008年の財政力指数)。地方交付税交付金不交付の基準については財政力指数を参照。
^ 『週刊ダイヤモンド』2007年3月10日号特集「全国市町村「倒産危険度」ランキング」において、狭山市は全国1821市町村のなかで1720位であった。また入間市1654位・川越市1660位・所沢市1719位であり、周辺の都市とともに「倒産危険度」は極めて低く、財政力のある市であると紹介された。なお1位は北海道歌志内市、2位は夕張市・3位は空知郡上砂川町であった。
^ コーセー労働組合は1995年以降組織的な選挙運動・政治活動を止めている。
^ 【埼玉】大雨情報など配信 狭山市 自動でツイート - 東京新聞 2014年8月5日
^ 2008年3月、福岡県京都郡苅田町が同様の方針を決めた。苅田町も財政力のある自治体として知られる。「医療費無料、中3まで・・・苅田町で、県内初」『読売新聞』西部本社版九州発福岡県2008年3月4日付
^ “狭山市駅西口地区再開発事業 完成記念イベント”. 狭山市役所 (2012年7月17日). 2012年7月17日閲覧。
^ “平成26年度都市景観大賞「都市空間部門」受賞地区の概要及び「景観教育・普及啓発部門」受賞団体の活動の概要 (PDF)”. 「都市景観の日」実行委員会 (2014年5月12日). 2014年5月25日閲覧。
^ “狭山市駅西口地区スカイテラスが都市景観大賞「優秀賞」を受賞”. 狭山市役所 (2014年5月15日). 2014年5月25日閲覧。
^ “「狭山市駅西口地区スカイテラス」が、グッドデザイン賞を受賞”. 狭山市役所 (2014年11月14日). 2014年12月24日閲覧。
^ 西友狭山市駅前店
^ 狭山市、入曽駅東口の再開発断念 地権者の合意得られず2013年5月31日 埼玉新聞
^ 1996年、深谷市の同社埼玉工場に統合移転。跡地にはカルフール狭山が出店。
^ 毎日新聞2005年3月18日
^ 狭山市国際交流協会ニュースレターNo.162
^ 入間川御陣の正確な位置は不明だが、徳林寺旧境内(入間川2丁目19番地北方)付近から八幡神社一帯にあったと見られている。
^ アルバム「HOSONO HOUSE」のクレジットにローマ字で当時の自宅が狭山市鵜ノ木にあった事が書かれていた。「Record at Hosono House 所在番地Unoki Sayama Saitama」と記載されていた。
外部リンク[編集]
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Flag of Sayama, Saitama.svg 狭山市の町・字