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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
石勝線
石勝線を走行する特急「スーパーおおぞら」(西新得信号場)
石勝線を走行する特急「スーパーおおぞら」
(西新得信号場)
基本情報
通称 夕張線(新夕張 - 夕張間)
国 日本の旗 日本
所在地 北海道の旗 北海道
種類 普通鉄道(在来線・幹線)
起点 南千歳駅(本線)
新夕張駅(支線)
終点 新得駅(本線)
夕張駅(支線)
駅数 一般駅:0駅
旅客駅:13駅
貨物駅:0駅
信号場:17か所
路線記号 ○H(南千歳駅)
○K(追分 - 新得間)
○Y(沼ノ沢 - 夕張間)
路線記号については当該記事も参照
開業 1892年11月1日(北海道炭礦鉄道夕張線)
国有化 1906年10月1日
全通 1981年10月1日
民営化 1987年4月1日
廃止 1981年7月1日(紅葉山 - 登川間)
所有者 JR logo (hokkaido).svg 北海道旅客鉄道(JR北海道)
運営者 JR logo (hokkaido).svg 北海道旅客鉄道(JR北海道)
(全線 第一種鉄道事業者)
JR logo (freight).svg 日本貨物鉄道(JR貨物)
(南千歳駅 - 上落合信号場間 第二種鉄道事業者)
車両基地 札幌運転所・釧路運輸車両所
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 132.4 km(南千歳 - 新得間)[1]
16.1 km(新夕張 - 夕張間)[1][報道 1]
軌間 1,067 mm(狭軌)
線路数 全線単線
電化方式 全線非電化
最大勾配 12 ‰
閉塞方式 単線自動閉塞式
(南千歳駅 - 新得駅間)
特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
(新夕張駅 - 夕張駅間)
保安装置 ATS-SN
最高速度 120 km/h(南千歳 - 新得間)[報道 2][報道 3][報道 4]
85 km/h(新夕張 - 夕張間)
[折り畳む]路線図
JR Sekisho Line linemap.svg
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[表示]停車場・施設・接続路線
石勝線(せきしょうせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線(幹線)。北海道千歳市の南千歳駅から夕張市を経て上川郡新得町の新得駅を結ぶ本線と、夕張市内にある新夕張駅 - 夕張駅間の支線からなる。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 区間別の利用状況
2.1 輸送密度
2.2 収支・営業係数
3 歴史
3.1 廃止問題
3.2 年表
3.2.1 夕張線
3.2.1.1 北海道炭礦鉄道時代
3.2.1.2 国有鉄道時代
3.2.2 石勝線
3.2.2.1 国鉄時代
3.2.2.2 民営化以後
4 運行形態
4.1 広域輸送
4.2 貨物輸送
4.3 国鉄準急「夕張」と夕張鉄道急行列車
4.3.1 沿革
4.4 地域輸送
4.4.1 南千歳駅 - 新夕張駅 - 夕張駅間
4.4.2 新夕張駅 - 新得駅間
5 駅一覧
5.1 本線
5.2 夕張支線
5.3 廃止区間
5.4 かつて旅客駅だった信号場
5.5 廃駅・廃止信号場
5.6 過去の接続路線
6 脚注
6.1 注釈
6.2 出典
6.3 報道発表資料
6.4 新聞記事
7 参考文献
7.1 資料
7.2 書籍
7.3 雑誌
8 関連項目
概要[編集]
夕張炭田の運炭路線として1892年(明治25年)11月1日に敷設された夕張線(ゆうばりせん)を元とし、1981年(昭和56年)10月1日にその東西で新線を開業して成立した路線である。そのため、北海道の道央と道東を結ぶ広域幹線の機能と、支線を含む旧夕張線区間を主とした夕張市などの地域輸送の機能を併せ持っている。なお、石勝線に編入される以前の追分駅 - 夕張駅間の名称だった「夕張線」は、その後も新夕張駅 - 夕張駅間の通称として用いられている。
新夕張駅以東では「北海道の背骨」と呼ばれる日高山脈を貫くため、北海道内の山岳トンネルで在来線最長の5,825 m の新登川トンネル をはじめ、5,790 mの新狩勝トンネル、5,700 mの登川トンネル、4,225 mの第二串内トンネル、3,765 mの鬼峠トンネルなどの長大トンネルが連続する。この区間では占冠駅・トマム駅周辺をのぞいて人が住んでいる地域がほとんどなく、本線では駅の数より信号場の数の方が多い特徴を持つ。信号場の多くは、計画当初は駅にする予定だったが、沿線の入植者の離農が進んだため、その必要が無くなった経緯がある。
新夕張駅 - 新得駅間では、根室本線との重複区間内である新得駅付近に踏切が1つあるほかは、道路との交差がすべて立体交差となっている。なお、過去にはトマム駅構内に踏切があった。
路線名は令制国名の石狩国と十勝国から採られている。実際には石狩国を経由しつつ胆振国と十勝国を結んでいる。また、石狩国を一字で表す際には「狩」の字を用いるのが一般的だが、本路線は「石」の字を用いている。
路線データ[編集]
管轄・区間(営業キロ):
北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
南千歳駅 - 新得駅間 132.4 km(上落合信号場 - 新得間23.9 kmは根室本線と重複)[1]
新夕張駅 - 夕張駅間 16.1 km[1][報道 1]
南千歳駅 - 上落合信号場(構内除く)間および新夕張駅 - 夕張駅間が本社鉄道事業本部、上落合信号場 - 新得駅間が北海道旅客鉄道釧路支社の管轄である[注釈 1]。
日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
南千歳駅 - 上落合信号場間 (108.3 km)
軌間:1,067 mm(狭軌)
駅数:30(起終点駅および根室本線との重複区間にある信号場を含む)
一般駅:0駅
旅客駅:13駅
貨物駅:0駅
信号場:17か所
石勝線所属駅に限定した場合、南千歳駅(千歳線所属[2])・追分駅(室蘭本線所属[2])・新得駅および上落合信号場を含めた根室本線との重複区間の信号場(以上は根室本線所属[2])が除外され、旅客駅が10駅・信号場が13か所となる。
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:
南千歳駅 - 新得駅間 単線自動閉塞式
新夕張駅 - 夕張駅間 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
交換可能駅:本線は途中の全駅で交換可能。支線は終点の夕張駅も含め区間内に交換可能駅なし
最高速度(2014年8月30日現在)
120 km/h(南千歳駅 - 新得駅間)[報道 2][報道 3][報道 4]
85 km/h(新夕張駅 - 夕張間)
最急勾配:12 ‰
区間別の利用状況[編集]
輸送密度[編集]
区間ごとの輸送密度は以下の通り。
南千歳駅 - 新得駅間については、実質的に一体化した運用を行っている根室本線の新得駅 - 帯広駅間と総合して計算したデータが公表されている。
年度 輸送密度(人/キロ/日)
南千歳駅 - 帯広駅間 新夕張駅 - 夕張駅間
1975年(昭和50年)度[報道 5][報道 1] 2,318
1980年(昭和55年)度[報道 1] 1,740
1985年(昭和60年)度[報道 1] 1,187
1987年(昭和62年)度[報道 1] 1,129
2012年(平成24年)度[報道 6] 110
2013年(平成25年)度[報道 6][新聞 1] 110
2014年(平成26年)度[報道 7][報道 8] 4,270 117
2015年(平成27年)度[報道 9][報道 10] 4,213 118
2016年(平成28年)度[報道 11] 4,085 80
収支・営業係数[編集]
区間ごとの収支(営業収益、営業費用、営業損益)と営業係数は以下の通り。いずれも管理費を含めた金額である。▲はマイナスを意味する。
南千歳駅 - 新得駅間については、実質的に一体化した運用を行っている根室本線(新得駅 - 帯広駅間)と総合して計算したデータが公表されている。
南千歳駅 - 帯広駅間
年度 収支(百万円) 営業係数
(円)
営業収益 営業費用 営業損益
2014年(平成26年)度[報道 8] 6,337 8,266 ▲1,929 130
2015年(平成27年)度[報道 10] 6,274 7,961 ▲1686 127
新夕張駅 - 夕張駅間
年度 収支(百万円) 営業係数
(円)
営業収益 営業費用 営業損益
2014年(平成26年)度[報道 8] 14 196 ▲182 1,421
2015年(平成27年)度[報道 10] 14 164 ▲150 1,188
歴史[編集]
北海道炭礦鉄道により夕張炭田の各炭鉱開発や石炭輸送のため建設され、鉄道国有法により買収・国有化された旧・夕張線区間(追分駅 - 新夕張駅 - 夕張駅間)と、同線を延伸し、札幌と十勝地方を短絡する幹線として日本鉄道建設公団(鉄建公団)により主要幹線(C線)[注釈 2]として建設された新線区間(南千歳駅 - 追分駅間、新夕張駅 - 上落合信号場間)に分かれる。追分駅から新夕張駅手前までは旧・夕張線を線形改良および路盤強化して石勝線の本線に転用した。
新線区間のうち、南千歳駅 - 追分駅間は、改正鉄道敷設法第137号に規定する「石狩國白石ヨリ膽振國廣島ヲ經テ追分ニ至ル鐵道(以下略)」の一部(追分線)、新夕張駅 - 占冠駅間は、同第134号「膽振國鵡川ヨリ石狩國金山ニ至ル鐵道及「ペンケオロロツプナイ」[注釈 3]附近ヨリ分岐シテ石狩國登川ニ至ル鐵道」の一部(紅葉山線)、占冠駅 - 上落合信号場間は同第142号の2「十勝國御影付近ヨリ日高國右左府ヲ經テ膽振國邊富内ニ至ル鐵道」の一部(狩勝線)である[注釈 4]。なお、上落合信号場 - 新得駅間は、根室本線落合駅 - 新得駅間(狩勝峠)の勾配緩和新線(同第142号の4、落合線)の一部として1966年(昭和41年)9月30日に開業しており、根室本線と線路を共用している。
新線区間の開通以前は、札幌駅から道東(十勝・釧路・根室方面)へ向かうには旭川駅や滝川駅を経由していたが、石勝線の開通によってこれら方面への所要時間が短縮された。同時に、根室本線の滝川駅 - 新得駅間は定期優等列車がほとんど運行されないローカル線となった。
また、旧・夕張線区間は、後年の復活運転をのぞくと、日本で最後まで蒸気機関車が牽引する貨物列車が運転されていたことや、蒸気機関車が追分で入換作業に最後まで従事していたことでも知られる。蒸気機関車は1975年(昭和50年)12月24日に本線最終運転された[注釈 5]。ただし、1976年(昭和51年)4月13日に起きた追分機関区の火災で本線最終運転の5両中4両、入換機の3両中2両および、新製間もないディーゼル機関車DD51形、DE10形が全焼している。
夕張線時代に国鉄再建法による幹線、地方交通線の選定が行われた際、石炭輸送が好調だった[注釈 6]ことにより、幹線となっている。また大正から昭和初期にかけ、一時期複線化されていた区間もあり、現在でも一部にその痕跡が残っている。
[icon] この節の加筆が望まれています。
廃止問題[編集]
JR北海道の島田修社長は2016年(平成28年)7月29日に開かれた記者会見にて、厳しい経営状況と北海道で急速に進行する人口の減少を理由に、鉄道事業を抜本的に見直すため、同年秋までに「JR単独では維持困難な線区」を公表し、地元自治体との協議に入りたい旨を正式に表明した[報道 12][報道 13]。この会見の中で具体的な路線名こそ公表されなかったものの、輸送密度が低い石勝線の夕張支線(新夕張駅 - 夕張駅間)も対象になると考えられていた[新聞 2][新聞 3]。
同年8月8日、夕張市の鈴木直道市長がJR北海道本社で島田社長と会談し、「交通網見直しへの協力」、「地元の求めに応じた無償譲渡などJR所有施設の有効活用」、「JR社員の市への派遣」の3点を条件に[新聞 4]、夕張支線の廃止を自ら提案するとともに、代替となる交通政策への協力を要請した[報道 1][報道 14][新聞 5]。この提案を踏まえてJR北海道社内で検討が行われた結果、同年8月17日に島田社長が鈴木市長との会談で前述の3条件について全面協力することを約束し[新聞 4]、新夕張駅 - 夕張駅間の鉄道事業廃止を正式に申し入れた[報道 1][報道 15][新聞 4][新聞 6]。同年9月12日付で、JR北海道に夕張市内の交通体系の見直しなどに協力するためのプロジェクトチームが設置され、課長級の社員1名を夕張市に派遣することが決定した[新聞 7]。
なお、廃止時期について島田社長は「今後の協議を踏まえて別途提案する」としたが[報道 1]、鈴木市長は会談後、「最短では2019年3月のダイヤ改正時にも廃止になる」との見通しを示した[報道 14][新聞 5]。夕張市は、清水沢地区に都市機能を集約し、2019年秋までに児童館などを併設する「拠点複合施設」を設置する方針を示している。この施設にはバスなど交通拠点の役割を持たせる構想があり、完成次第、夕張支線は廃止されると報道されている[新聞 8]。
年表[編集]
夕張線[編集]
北海道炭礦鉄道時代[編集]
1892年(明治25年)11月1日:北海道炭礦鉄道室蘭線の支線として、追分駅 - 夕張駅(初代)間が開業[3][4][報道 1]。同区間に紅葉山駅(一般駅・直営駅)[5]、夕張駅(初代、一般駅・直営駅)[5][6]を開設。
1894年(明治27年)8月1日:追分駅 - 紅葉山駅間に川端駅(一般駅・直営駅)を開設[注釈 7][5]。
1897年(明治30年)2月16日:川端駅 - 紅葉山駅間に滝ノ上駅(一般駅・直営駅)[5][6]、紅葉山駅 - 夕張駅(初代)間に清水沢駅(一般駅・直営駅)[5][6]を開設[注釈 8]。
1900年(明治33年)1月16日:川端駅を追分寄りに約400m移設・改キロ[注釈 9]。
1901年(明治34年)12月1日:清水沢駅 - 夕張駅(初代)間に鹿ノ谷駅(一般駅・直営駅)を開設[5][6]。
1905年(明治38年)11月15日:紅葉山駅 - 清水沢駅間に沼ノ沢駅(貨物駅・直営駅)を開設[5][6]。
国有鉄道時代[編集]
1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の国有化に伴い、追分駅 - 夕張駅間が逓信省鉄道作業局(国有鉄道)に移管[4][6]。
1907年(明治40年)
5月16日:紅葉山駅 - 楓貨物取扱所間の貨物支線が開業(貨物営業のみ)[4][6]。同区間に楓貨物取扱所を開設[9][6]。
9月8日:官設鉄道落合駅 - 帯広駅間(現在の根室本線)開業[10]に伴い、同区間に新得駅(一般駅・直営駅)を開設[5][11]。
1909年(明治42年)
7月1日:紅葉山駅 - 楓貨物取扱所間の旅客営業が開始。楓貨物取扱所が一般駅に昇格し、楓駅(初代、直営駅)となる[6]。同駅における旅客の取り扱いを開始。
10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、追分駅 - 夕張駅(初代)間および紅葉山駅 - 楓駅(初代)間が夕張線となる[6][新聞 9]。
1910年(明治43年)8月16日:沼ノ沢駅における旅客の取り扱いが開始され、一般駅となる[6]。
1911年(明治44年)12月:三井登川炭鉱の開発に伴い、楓駅(初代) - 登川間の三井鉱山専用線(貨物専用線)が開業[注釈 10]。
1912年(大正元年)11月19日:清水沢駅 - 夕張駅(初代)間が複線化[注釈 11]。
1915年(大正4年)8月1日:滝ノ上駅 - 清水沢駅間が複線化[注釈 11]。
1916年(大正5年)7月11日:三井鉱山専用線が国有化され、夕張線の支線(登川支線)に編入される形で楓駅(初代) - 登川駅間が延伸開業[4][6]。同区間に登川駅(一般駅・直営駅)を開設[9]。なお、同区間は楓駅(初代)手前で分岐する形となり、楓駅(初代)は引き上げ線方式のスイッチバック駅となった[6]。
1917年(大正6年)6月1日:追分駅 - 川端駅間が複線化[注釈 11]。
1919年(大正8年)9月30日:川端駅 - 滝ノ上駅間が複線化[注釈 11]。
1932年(昭和7年)
11月1日:追分駅 - 川端駅間が単線化[注釈 12]。
11月4日:川端駅 - 滝ノ上駅間が単線化[注釈 12]。
11月7日:滝ノ上駅 - 紅葉山駅間が単線化[注釈 12]。
11月11日:紅葉山駅 - 沼ノ沢駅間が単線化[注釈 12]。
11月13日:沼ノ沢駅間 - 清水沢駅間が単線化[注釈 12]。
11月17日:清水沢駅 - 鹿ノ谷駅間が単線化[注釈 12]。
11月20日:鹿ノ谷駅 - 夕張駅(初代)間が単線化[注釈 12]。
1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。
1961年(昭和36年)1月15日:夕張線初の優等列車として、札幌駅 - 岩見沢駅 - 夕張駅(初代)間(函館本線・室蘭本線・夕張線経由)の準急「夕張」2往復が運行開始[4]。
1962年(昭和37年)
1月15日:夕張線が全列車気動車化[4]。
12月25日:滝ノ上駅 - 紅葉山駅間に十三里駅(旅客駅・無人駅)[4][5][6]・南清水沢駅(旅客駅・直営駅)[4][5][6]を開設。
1965年(昭和40年)3月1日:追分駅 - 川端駅間に東追分駅(旅客駅・無人駅)を開設[4][5][6]。
1966年(昭和41年)9月30日:根室本線の落合駅 - 新得駅間新線付け替えに伴い[6][新聞 10][新聞 11][新聞 12]、同区間に上落合信号場、新狩勝信号場、広内信号場(有人)、西新得信号場を開設。
1967年(昭和42年)
1月:楓駅(初代)が紅葉山寄りの本線上に移転し、楓駅(2代目、一般駅・直営駅)となる[6]。同時に、楓駅(初代)でのスイッチバックが解消される。
11月1日:南清水沢駅が業務委託駅となる。
1971年(昭和46年)
3月31日:根室本線の落合駅 - 上落合信号場 - 新得駅 - 昭栄信号場間に自動列車制御装置 (CTC) を導入。
5月1日:根室本線の広内信号場が無人化。
1972年(昭和47年)3月15日:急行「夕張」が廃止[6]。これに伴い、後の石勝線開業まで優等列車の設定がなくなる。
1975年(昭和50年)12月24日:追分駅 - 夕張駅(初代)間で最後の蒸気機関車牽引による貨物列車が運行される[4]。
1978年(昭和53年)5月1日:鹿ノ谷駅 - 夕張駅(初代)間の貨物営業が廃止 (-3.4 km)。夕張駅(初代)における貨物の取り扱いが終了(旅客駅となる)。
1981年(昭和56年)
5月25日:清水沢駅 - 鹿ノ谷駅間 (-6.6 km) および紅葉山駅 - 登川駅間 (-7.6 km) の貨物営業が終了[6]。川端駅、滝ノ上駅、紅葉山駅、楓駅(2代目)、鹿ノ谷駅における貨物の取り扱いが終了(旅客駅となる)。川端駅、滝ノ上駅における荷物の取り扱いが終了。楓駅(2代目)、登川駅が簡易委託駅、川端駅、滝ノ上駅が無人駅となる。
6月1日:東追分駅を追分寄りに300m移設し、改キロ (-0.3km) 。
7月1日:紅葉山駅 - 登川駅間の路線が廃止 (-7.6 km) [15][4][6]。同区間の楓駅(2代目)[9][6]、登川駅[15][9]が廃止。
石勝線[編集]
国鉄時代[編集]
1981年(昭和56年)
10月1日:
千歳空港駅 - 追分駅間 (17.6 km) および新夕張駅 - 上落合信号場 - 新得駅間 (89.4 km) が開業[2][4][6][新聞 13][新聞 14]。上落合信号場 - 新得駅間 (23.9 km) が根室本線と石勝線の二重戸籍区間となる[注釈 13]。
夕張線と新規開業区間が統合され、千歳空港駅 - 上落合信号場 - 新得駅間が本線、新夕張駅 - 夕張駅(初代)間が夕張支線となり、石勝線に改称[6]。室蘭線の部から函館線の部に移す。根室本線経由の特急「おおぞら」と急行「まりも」が石勝線経由での運行となる。
新設区間の千歳空港駅 - 追分駅間に駒里信号場(無人[16])[6]、西早来信号場(無人[16])[6]、既設区間の川端駅 - 滝ノ上駅間に滝ノ下信号場(無人[16])[6]、新設区間の新夕張駅 - 新得駅間に楓駅(3代目、旅客駅・無人駅)[5][6]、オサワ信号場[6]、東オサワ信号場[6]、清風山信号場[6]、鬼峠信号場[6]、占冠駅(旅客駅・直営駅)[5][6]、東占冠信号場[6]、滝ノ沢信号場[6]、トマム信号場[6]、石勝高原駅(旅客駅・無人駅)[5][6]、串内信号場[6]を開設。紅葉山駅が10mほど移設され(改キロなし)、新夕張駅に改称[17][6]。千歳空港駅 - 上落合信号場間に自動列車制御装置 (CTC) を導入。
1982年(昭和57年)11月15日:新得駅における貨物の取り扱いが終了(旅客駅となる)。
1984年(昭和59年)
2月1日:追分駅[18]における貨物の取り扱いが終了(旅客駅となる)。追分駅[18]、鹿ノ谷駅、夕張駅(初代)における荷物の取り扱いが終了。
4月1日:南清水沢駅、夕張駅(初代)が簡易委託駅、鹿ノ谷駅が無人駅となる。
1985年(昭和60年)
3月14日:新得駅における荷物の取り扱いが終了。
10月13日:夕張駅を移設(2代目、旅客駅・簡易委託駅)[6]。これに伴い、鹿ノ谷駅 - 夕張駅間を改キロ (-1.3 km) [6]。
1986年(昭和61年)
3月3日:鬼峠信号場が廃止[6]。
11月1日:占冠駅が簡易委託駅、沼ノ沢駅が無人駅となる。
1987年(昭和62年)
2月1日:トマム信号場がホロカ信号場[6]、石勝高原駅がトマム駅[19][4][17][6]に改称。
民営化以後[編集]
1987年(昭和62年)
4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が第一種鉄道事業者として全線を承継[18][6]。南千歳駅 - 上落合信号場(構内除く)間および新夕張駅 - 夕張駅(2代目)間が本社鉄道事業本部管轄[注釈 1]、上落合信号場 - 新得駅間が釧路支社管轄となる。日本貨物鉄道(JR貨物)が千歳空港駅 - 上落合信号場 - 新得駅間および新夕張駅 - 清水沢駅間の第二種鉄道事業者となる[6]。清水沢駅が三菱石炭鉱業とJR貨物の車扱貨物の連絡駅となる。
7月24日:22日の三菱石炭鉱業大夕張鉄道線廃止に伴い[20]、清水沢駅における同線とJR貨物との連絡運輸が廃止。同駅に発着する貨物列車の運行が終了。
10月3日:沼ノ沢駅に発着する貨物列車の運行が終了。
1990年(平成2年)
4月1日:JR貨物の新夕張駅 - 清水沢駅間の第二種鉄道事業が廃止 (-8.2 km) [6]。JR貨物の沼ノ沢駅、清水沢駅が廃止(旅客駅となる)[6]。
12月26日:夕張駅を移設(3代目、旅客駅・簡易委託駅)[6]。これに伴い、鹿ノ谷駅 - 夕張駅間を改キロ (-0.8 km) [6]。
1992年(平成4年)7月1日:千歳空港駅が南千歳駅に改称[17]。
1994年(平成6年)2月22日:西新得信号場 - 広内信号場間(根室本線との重複区間)で、釧路発札幌行きの上り特急「おおぞら」10号が強風にあおられて脱線転覆し、28名が負傷する事故が発生[新聞 15][新聞 16][新聞 17]。
1997年(平成9年)3月22日:札幌駅 - 釧路駅間で特急「スーパーおおぞら」運行開始[4]。石勝線の営業最高速度が130 km/hに引き上げられる。
1998年(平成10年)3月20日:夕張駅の簡易委託が終了し、無人駅となる。
2004年(平成16年)
3月7日:新夕張駅 - 夕張駅間(夕張支線)に列車集中制御装置 (CTC) を導入し、閉塞方式をタブレット閉塞式(新夕張駅 - 清水沢駅間)およびスタフ閉塞式(清水沢駅 - 夕張駅間)から、特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)に変更。これに伴い、北海道から腕木式信号機とタブレット閉塞が消滅[報道 16]。清水沢駅の交換設備が廃止され、新夕張駅 - 夕張駅間が1閉塞となる。これに伴い、清水沢駅における運転要員の配置がなくなり、終日社員配置から平日・土曜の日中のみ配置となる。
3月13日:楓駅(3代目)が信号場に変更され、楓信号場となる[報道 17][新聞 18]。
2007年(平成19年)
月日不詳:夕張駅の簡易委託が再開(その後再び終了)。
10月1日:全区間で駅ナンバリングを実施[報道 18]。
2011年(平成23年)5月27日:特急「スーパーおおぞら」14号が清風山信号場内で脱線、同信号場構内の第1ニニウトンネル内で停止後に炎上する事故が発生(石勝線特急列車脱線火災事故)。乗客と乗務員計約240人のうち39人が煙を吸うなどして病院に搬送された[報道 19][報道 20][新聞 19]。同月30日に事故区間の復旧工事が終了し運転再開。
2012年(平成24年)2月16日:東追分駅構内で、JR貨物の上り貨物列車が赤信号で止まらず引き込み線に進入し、そのままスノーシェルターに衝突する事故が発生(石勝線貨物列車脱線事故)[報道 21][新聞 20]。
2014年(平成26年)8月30日:特急「スーパーとかち」の減速に伴い、当路線の営業最高速度を120 km/hに引き下げ[報道 4]。
2015年(平成27年)10月1日:清水沢駅における駅員配置(業務委託)が終了(無人駅となる)[報道 22]。また、トマム駅の事実上の窓口であった「トマムトラベルセンター」の営業が終了し、同駅における駅業務が終了(無人駅となる)[報道 22]。
2016年(平成28年)
3月26日:東追分駅[報道 23]・十三里駅[報道 23]が信号場に変更され、東追分信号場[新聞 21]・十三里信号場[新聞 21]となる。全区間で普通列車の本数を削減[報道 24][報道 25]。
8月8日:夕張市が新夕張駅 - 夕張駅間(夕張支線)の廃止を条件付きで容認[報道 1][報道 14][新聞 5]。
8月17日:JR北海道が新夕張駅 - 夕張駅間(夕張支線)の鉄道事業廃止を発表[報道 1][報道 15][新聞 4][新聞 6]。
8月25日:台風9号による降雨災害の影響で、ホロカ信号場構内で線路脇の盛土が崩落。特急「スーパーおおぞら」・「スーパーとかち」と貨物列車が一部運休[新聞 22][新聞 23][新聞 24]。
8月29日:始発から通常運行に戻る[新聞 25]。
8月31日:台風10号による降雨災害の影響で、トマム駅構内の路盤が流出、トマム駅 - 新得駅間のトマム川橋梁が流木で支障、同区間の一の沢橋梁(南千歳起点105.090km付近)が流出、広内信号場構内の第2谷間川橋梁で線路流出、新得駅構内で路盤流出および下新得川橋梁が橋脚ごと流出[報道 26]。このため、新夕張駅 - 新得駅間が不通となり、特急「スーパーおおぞら」・「スーパーとかち」が全区間運休[新聞 26]。
9月8日:新夕張駅 - トマム駅間で運転再開、不通区間はトマム - 新得間となる。トマム駅より先、根室本線帯広駅まで代行バスの運転を開始[報道 27]。
10月1日:トマム駅 - (根室本線)十勝清水駅 - 新得駅間の代行バスの運転を開始[新聞 27]。
12月22日:トマム駅 - 新得駅間運転再開。特急「スーパーおおぞら」、「スーパーとかち」運転再開[報道 28]。
運行形態[編集]
広域輸送[編集]
札幌駅 - 帯広駅・釧路駅間を結ぶ幹線ルートの一部で、2014年(平成26年)3月15日現在、特急「スーパーおおぞら」(1日6往復)と特急「スーパーとかち」(1日5往復)が、南千歳駅 - 新得駅間で運転されている。また1997年(平成9年)3月22日に高速化改良が完成し、ともに車体傾斜式気動車である283系・261系により、最高速度130 km/hで運行されていたが、火災事故などのトラブルが相次いだ影響で、現在は「スーパーおおぞら」が110 km/h、「スーパーとかち」が120 km/hにそれぞれ引き下げられている。札幌駅 - 帯広駅間の年間旅客輸送量は約200万人と、札幌駅 - 旭川駅間・札幌駅 - 東室蘭駅 - 函館駅間に次いで道内3番目に多い路線である[21]。
豪雪地帯を走るため、冬期間は高速運転すると車両に付着した雪や氷が落ちて線路に敷かれたバラストを巻き上げることがある[報道 29][報道 30][報道 31][報道 32][報道 33][報道 34][報道 35][報道 36][報道 37][報道 38][報道 39][報道 40][報道 41][新聞 28]。過去には列車の窓ガラスを割る事故も発生しており、特急は冬期間に限って千歳線内で減速運転を行うことがある。そのため、冬期間は10 - 20分程度の遅れが生じることもある。
貨物輸送[編集]
詳細は「根室本線#貨物輸送」を参照
当線内に貨物駅はないが、帯広貨物駅・釧路貨物駅 - 札幌貨物ターミナル駅間および、帯広貨物駅から本州方面への直通列車が当線経由で運行されている(本州方面への直通列車は追分駅より室蘭本線へ入る)。なお、かつては室蘭本線から追分駅経由で本輪西駅 - 帯広貨物駅間の石油輸送列車があった。牽引機関車はかつてDD51形だったが、2008年(平成20年)3月改正時よりDF200形に置き換えられた。
国鉄準急「夕張」と夕張鉄道急行列車[編集]
夕張線時代には、1961年(昭和36年)1月15日から1972年(昭和47年)3月14日まで、札幌駅と夕張駅を結ぶ速達列車として、準急「夕張」(のちに急行に格上げ)が岩見沢駅と追分駅で2回進行方向を変えるZ形の経路(札幌駅 - 函館本線 - 岩見沢駅 - 室蘭本線 - 追分駅 - 夕張線 - 夕張駅)で運行されていた。
停車駅
札幌駅 - 岩見沢駅 - 栗山駅 - 由仁駅 - 追分駅 - 滝ノ上駅 - 紅葉山駅(現・新夕張駅) - 沼ノ沢駅 - 清水沢駅 - 鹿ノ谷駅 - 夕張駅
1966年3月、追分駅 - 夕張駅間は普通列車に格下げされ各駅に停車となる。
一方、函館本線野幌駅 - 夕張本町駅間に路線を有していた夕張鉄道では国鉄のZ形の運行経路に対抗して、1961年(昭和36年)9月1日に野幌駅 - 夕張本町駅間の急行列車の運行を開始した。野幌バス停留所駅(後の北海鋼機前駅) - 札幌大通間を自社バスで連絡し札幌への利用も可能だった。直通バス路線(札幌急行線)の拡充などにより1967年(昭和42年)9月30日に廃止した。
沿革[編集]
1961年(昭和36年)1月15日:札幌駅 - 岩見沢駅 - 夕張駅間(函館本線・室蘭本線・夕張線経由)の準急「夕張」2往復が運行開始[4]。
1966年(昭和41年)3月5日:準急「夕張」の夕張線内が普通列車化[6]。
1968年(昭和43年)10月1日:準急「夕張」が急行列車に昇格[6]。
1970年(昭和45年)10月1日:急行「夕張」の1往復が廃止。
1972年(昭和47年)3月15日:急行「夕張」が廃止[6]。
地域輸送[編集]
南千歳駅 - 新夕張駅 - 夕張駅間[編集]
キハ40系により普通列車がワンマン運転されている。なお、運行系統上は千歳線千歳駅を起点としている。
(千歳駅 - )南千歳駅 - 新夕張駅間は、2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正で運行本数が削減された[報道 24][報道 25]。千歳 - 追分間の区間列車も運転されている。追分 - 新夕張間は下り新夕張方面が1日4本だけで、上り追分方面は1日6本運転されている。夕張 - 新夕張間は上下ともに1日5本である[報道 1]。
石勝線内で最も利用客が少ない区間であり、2013年度の輸送密度は110人となっている[報道 6][新聞 1]。
新夕張駅 - 新得駅間[編集]
この区間は開業以来、新夕張駅 - 楓駅間に運行されていた普通列車をのぞき、特急列車のみが運行されている。また、楓駅は石勝線開業に伴い廃止された夕張線登川支線の代替として設置されたため、2004年(平成16年)3月13日のダイヤ改正で旅客営業が廃止され、楓信号場に格下げされるまで特急列車はすべて通過していた。
このような運行体系のため開業当初から、新夕張駅 - 新得駅の各駅相互間で特急列車の自由席を利用する場合は、特急料金が不要となる特例が設けられている。また楓駅と占冠駅方面の行き来の際にはいったん新夕張駅まで折り返す必要があったため、楓駅 - 占冠駅以遠間の乗車券を持つ乗客は、新夕張駅で途中下車をしなければ新夕張駅 - 楓駅間は追加運賃なしで乗り越すことができた。
駅一覧[編集]
全駅が北海道内に所在
本線[編集]
停車駅
普通…南千歳駅 - 新夕張駅間の全旅客駅に停車。新夕張駅 - 新得駅間では普通列車の運転は無い。
特急…「とかち (列車)」「おおぞら (列車)」参照
すべての駅・信号場で列車交換が可能
駅番号 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線・備考 所在地
H14 南千歳駅 - 0.0 北海道旅客鉄道:千歳線(本線・新千歳空港支線) 石狩管内 千歳市
駒里信号場 - 5.4
西早来信号場 - 11.7 胆振管内 勇払郡 安平町
K15 追分駅 17.6 17.6 北海道旅客鉄道:室蘭本線
(K16) 東追分信号場 - 21.6
K17 川端駅 9.4 27.0 空知管内 夕張郡 由仁町
滝ノ下信号場 - 30.3 栗山町
K18 滝ノ上駅 8.8 35.8 夕張市
(K19) 十三里信号場 - 40.2
K20 新夕張駅 7.2 43.0 北海道旅客鉄道:石勝線(夕張支線)
楓信号場 - 48.7
オサワ信号場 - 55.7 胆振管内 勇払郡 むかわ町
東オサワ信号場 - 59.6
清風山信号場 - 67.3 上川管内 勇払郡 占冠村
K21 占冠駅 34.3 77.3
東占冠信号場 - 81.3
滝ノ沢信号場 - 85.7
ホロカ信号場 - 92.6
K22 トマム駅 21.3 98.6
串内信号場 - 104.2 空知郡 南富良野町
上落合信号場 - 108.3 (根室本線と石勝線との実際の接続点)
新狩勝信号場 - 113.9 十勝管内 上川郡 新得町
広内信号場 - 120.1
西新得信号場 - 125.6
K23 新得駅 33.8 132.4 北海道旅客鉄道:根室本線(営業上の接続点)
上落合信号場 - 新得駅間は根室本線と重複
夕張支線[編集]
全列車普通列車(全駅に停車)
新夕張駅以外では列車交換不可
全駅が北海道(空知管内)夕張市内に所在
駅番号 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線
K20 新夕張駅 - 0.0 北海道旅客鉄道:石勝線(本線)
Y21 沼ノ沢駅 2.7 2.7
Y22 南清水沢駅 4.0 6.7
Y23 清水沢駅 1.5 8.2
Y24 鹿ノ谷駅 6.6 14.8
Y25 夕張駅 1.3 16.1
廃止区間[編集]
接続路線の事業者名・路線名は当区間廃止時。全駅北海道(空知管内)夕張市に所在。
夕張線登川支線
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線
紅葉山駅 - 0.0 日本国有鉄道:夕張線(本線)
楓駅 4.5 4.5
登川駅 3.1 7.6
廃止後は紅葉山から楓 - 登川地区境界までのほとんどが国道274号(三川国道)に利用されている。代替交通機関として夕鉄バスがある。
かつて旅客駅だった信号場[編集]
東追分信号場:旧・東追分駅 (K16) 。2016年(平成28年)3月26日旅客扱い廃止[報道 23][新聞 21]。
十三里信号場:旧・十三里駅 (K19) 。2016年(平成28年)3月26日旅客扱い廃止[報道 23][新聞 21]。
楓信号場:旧・楓駅(3代)。2004年(平成16年)3月13日旅客扱い廃止[報道 17][新聞 18]。
廃駅・廃止信号場[編集]
廃止区間内のものをのぞく。( ) 内は南千歳駅を起点とした営業キロ。
鬼峠信号場:1986年(昭和61年)3月3日廃止[6]。清風山信号場 - 占冠駅間 (72.5km)
過去の接続路線[編集]
夕張地域の炭鉱から産出される石炭の輸送を目的とした私鉄・専用鉄道が分岐していたが、現在ではそのすべてが廃止されている。
沼ノ沢駅:北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道 - 1987年(昭和62年)10月13日廃止。
清水沢駅:三菱石炭鉱業大夕張鉄道線 - 1987年(昭和62年)7月22日廃止。
鹿ノ谷駅:北海道炭礦汽船夕張鉄道線 - 1975年(昭和50年)4月1日廃止。
脚注[編集]
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注釈[編集]
^ a b 本社鉄道事業本部と釧路支社との境界は、串内信号場 - 上落合信号場間にある第一串内トンネルの新夕張方出入口付近(南千歳駅起点105.05km地点)である。
^ 根岸線、長崎本線長崎トンネル経由の新線(浦上線)、岡多線、瀬戸線、伊勢線などと同ランク。
^ 「オロロップ沢上流」を意味する地名で、現在のむかわ町穂別福山にあたり、現在石勝線の通過地区に一致する。
^ 鵡川 - 邊富内 - 右左府の区間は、一部が北海道鉄道金山線として開業し、のちに国鉄富内線となって開通したが、1986年(昭和61年)11月1日に廃止された。
^ 入換は1976年(昭和51年)3月2日で、追分駅構内まで運行された。
^ 1977年(昭和52年)度から1979年(昭和54年)度までの3カ年の貨物輸送密度が幹線とされる4,000t以上あった。
^ 「当季間(明治27年4月-9月)ニ於イテ停車場ヲ開始セシハ早来、川端、厚別ノ三停車場ニシテ孰(イズ)レモ本年八月一日ヨリ乗客貨物ノ取扱ヲ開始セリ」[7]。
^ ただし、滝ノ上駅・清水沢駅は開設当初は貨物駅で、1901年(明治34年)末から旅客の取り扱いを開始したとする説も存在する。
^ 川端駅移転の竣工日は不明。『北海道炭礦鉄道会社 第二十一回営業報告』では、「明治32年11月16日付逓信大臣より変更許可」とのみ記載[8]。
^ 三井鉱山専用線では楓駅(初代)に接続する自社の貨物駅名をこの地の字名と同じ久留木(くるき)、後の登川駅の方を新久留木(しんくるき)と称していた。また、この時点では旅客の取り扱いは行っていなかった[12]。
^ a b c d 輸送量増加への対応が目的で、橋梁部分以外の腹付け施行であった[13]。
^ a b c d e f g 1930年(昭和5年)11月3日の夕張鉄道(後の北海道炭礦汽船夕張鉄道線)全通に伴う輸送量減少のため[13][14]。
^ 同区間の上落合信号場・新狩勝信号場・広内信号場・西新得信号場・新得駅は根室本線所属。旅客取り扱い上の分岐駅は新得駅。
出典[編集]
^ a b c d 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』24号 5頁
^ a b c d 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 I
^ 『北海道鉄道百年史』 下巻 第5編資料/1年表
^ a b c d e f g h i j k l m n o 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 82-83頁
^ a b c d e f g h i j k l m n 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 312頁
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』24号 14-15頁
^ 北海道炭礦鉄道会社 第十回営業報告(明治27年上期)八頁。
^ 北海道炭礦鉄道会社 第二十一回営業報告。
^ a b c d 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 315頁
^ 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 72-73頁
^ 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 313頁
^ 『登川村勢一斑』
^ a b 『北海道鉄道百年史』 下巻 67頁
^ 『北海道鉄道百年史』 下巻 68頁
^ a b 『鉄道ファン』 通巻412号 56頁
^ a b c 資料「札幌鉄道管理局管内停車場一覧表」(発行:札幌鉄道管理局、1982年4月1日現在)より。
^ a b c 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 319頁
^ a b c 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II
^ 『鉄道ジャーナル』 通巻245号 103頁
^ 『鉄道ファン』 通巻412号 67頁
^ “各種データ”. 北海道旅客鉄道. 2014年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月25日閲覧。
報道発表資料[編集]
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新聞記事[編集]
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参考文献[編集]
資料[編集]
『北海道鉄道百年史』下巻、日本国有鉄道北海道総局(編集・発行)、1981年3月、67-68頁。
書籍[編集]
石野哲(編集長) 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 JTBパブリッシング、1998年9月19日。ISBN 4-533-02980-9。ISBN 978-4-533-02980-6。
田中和夫(監修) 『写真で見る北海道の鉄道』上巻 国鉄・JR線、北海道新聞社(編集)、2002年7月15日、46-83頁・311-319頁。ISBN 4-89453-220-4。ISBN 978-4-89453-220-5。
今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳―全線・全駅・全廃線―』1号・北海道、新潮社、2008年5月17日。ISBN 978-4-10-790019-7。
今尾恵介・原武史(監修) 『日本鉄道旅行歴史地図帳 全線全駅全優等列車』1号・北海道、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集)、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2010年5月18日。ISBN 4-10-790035-5。ISBN 978-4-10-790035-7。
雑誌[編集]
北海道夕張郡登川村(編)「[1]」『登川村勢一斑』、夕張郡登川村、1915年。
鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』第21巻第5号(通巻245号、1987年4月号)、成美堂出版、1987年4月1日、 103頁。
『鉄道ファン』第35巻第8号(通巻412号、1995年8月号)、交友社、1995年8月1日、 56頁、67頁。
曽根悟(監修) 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』24号 石勝線・千歳線・札沼線、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月27日。
関連項目[編集]
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