TOP > 早碁 囲碁 - 検索
早碁 囲碁 - 検索
日本囲碁連盟 囲碁用語 より
早碁
早く打つ碁。持ち時間が少ない碁。テレビ碁や公開で打つ碁が増えてプロの早碁も多くなった。
囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。
相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。
面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。
相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
▲TOPページ
当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。
「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質
・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実
これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
静岡鉄道静岡清水線
静岡清水線
1000形電車
1000形電車(日吉町駅)
概要
起終点 起点:新静岡駅
終点:新清水駅
駅数 15駅
ウェブサイト 時刻表・沿線情報
運営
開業 1908年5月18日
最終延伸 1908年12月9日
所有者 (旧)静岡鉄道→大日本軌道静岡支社→駿遠電気→静岡電気鉄道→静岡鉄道
路線諸元
路線総延長 11.0 km (6.8 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
過去の軌間 762 mm (2 ft 6 in)
最小曲線半径 160 m[1]
電化 直流600 V,
架空電車線方式
最急勾配 33.3パーミル [1]
[折り畳む]路線図
Shizuoka Railway Linemap.svg
テンプレートを表示
[表示]停車場・施設・接続路線
静岡清水線(しずおかしみずせん)は、静岡県静岡市葵区の新静岡駅と、同市清水区の新清水駅を結ぶ静岡鉄道の鉄道路線である。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行形態
3 設備
4 車両
4.1 現用車両
4.1.1 A3000形
4.1.2 1000形
4.2 過去の車両
4.2.1 駿遠電気時代の電車
4.2.2 静岡電気鉄道時代の電車(1923-1943)
4.2.3 静岡鉄道成立以後
4.2.4 貨車
4.3 車両数の変遷
5 利用状況
5.1 輸送実績
5.2 収入実績
5.3 戦前の輸送実績
6 歴史
7 駅一覧
7.1 新駅計画
8 運賃
9 静岡清水線が登場する作品
10 脚注
11 参考文献
12 関連項目
13 外部リンク
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):11.0km
軌間:1067mm
駅数:15駅(起終点駅含む)
複線区間:全線複線
電化区間:全線(直流600V)
閉塞方式:自動閉塞式
保安装置:i-ATS・ATS-SN(速度照査機能付)
運行形態[編集]
全列車2両編成ワンマン運転となっている。平日は朝ラッシュ時間帯に最大1時間あたり15本、土曜休日の終日と平日の昼間は6-7分間隔の高頻度運転を行っており、昼間の普通列車は新静岡 - 新清水間を21分で結んでいる。その運行形態や路線の特性から、欧米ではLRTとして紹介されることもある[要出典]。ワンマン運転は終日行われている。新静岡 - 新清水間の全線通し運転が基本であるが、平日ダイヤにおいて朝に急行と接続する新静岡 - 県総合運動場間の区間列車(後述)や、長沼駅の北側に隣接して車庫(静岡鉄道では鉄道運転所と称する)があるため、朝夕ラッシュ時の前後には出入庫運用として、柚木発新静岡行き、新静岡発柚木行き、新清水発長沼行き、長沼発新清水行きの区間列車が数本設定されている。
急行
2011年10月1日のダイヤ改正で、15年ぶりに急行運転が復活し、平日朝に新清水行きが運行されている。停車駅は、新静岡・県総合運動場・草薙・御門台・狐ヶ崎・桜橋・新清水。いずれも乗降客が多い駅という[2]。その反面、利用客の少ない県立美術館前駅と入江岡駅は区間運転の普通列車が運行しない区間の駅であるにもかかわらず急行は通過となり、朝ラッシュ時は実質減便となった。なお、急行列車が先行する普通列車を追い抜くことはないが、県総合運動場駅で新静岡発県総合運動場行の区間列車から接続している。
かつて設定されていた急行は、日中も運転され、運動場前駅(現・県総合運動場駅)で先発の普通列車を追い抜く運転も行われていた[3]が、1985年からは各駅の乗車機会向上のため各駅に停車する普通が増発され、急行運転は平日の朝夕のみとなった。その後急行は1996年4月1日のダイヤ改正で廃止され[3]、2011年10月1日の改正で復活するまでの間、定期列車はすべて普通列車のみで運行されていた。
通勤急行
2011年10月1日のダイヤ改正で新設され、平日朝に新静岡行きが運行されている。停車駅は新清水・桜橋・狐ケ崎・御門台・草薙・古庄・日吉町・新静岡。早朝の2本のみ、県総合運動場駅で普通列車を追い抜く。
臨時急行
臨時急行は、2011年12月10日 - 2012年1月9日の土日祝日(12月31日を除く)に「セノバ号」として運行されたのが初めてであり、この時は新静岡と古庄 - 新清水の各駅に(新静岡行きは日吉町駅にも)停車した。次いで2012年の4月7日・8日の両日に、「静岡まつり」の観客輸送対応列車(列車愛称なし)として運転され、この時は下り列車(新清水行き)は通常運転されている急行の停車駅に、上り列車(新静岡行き)は、同じく通勤急行の停車駅に停車した。
普通
新静岡 - 新清水間の全線で運行される列車のほか、入出庫運用として新静岡 - 柚木間、 長沼 - 新清水間の区間列車がそれぞれ運行されている。また、平日朝には新静岡 - 県総合運動場間の区間運転が行われ、葵区・駿河区側に所在する急行・通勤急行通過駅利用者への配慮がなされている。
設備[編集]
現在は全駅に自動券売機、ICカードチャージ機、自動改札機(全レーンICカード対応)が設置されている。乗車カードは、自社の「LuLuCa」、PiTaPa、及びPiTaPaと相互利用可能なICカード(Suica・PASMO・Kitaca・TOICA・manaca・ICOCA・はやかけん・nimoca・SUGOCA)、磁気プリペイドカード「パサールカード」が利用できる。なお、各駅のICカードチャージ機ではLuLuCa以外のICカードのチャージはできず、新静岡・草薙・新清水各駅の有人窓口にてチャージを受け付けている。
同路線の踏切は、遮断機の遮断かんを視認性向上のために従来の黄色・黒の縞模様からより目に付きやすい赤・白のものに逐次交換している。新静岡駅付近等での試験的な使用を経て、2009年現在は主要箇所で遮断かんの交換が完了した(警報機の塗装変更は行われていない)[4][5]。
JR東海道本線とは狐ヶ崎 - 入江岡間で併走する(JR車内から)
車両[編集]
Nuvola apps important orange.svg
この節には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2014年11月)
出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2014年12月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2014年11月)
1960年代までは長沼駅に隣接する自社の長沼工場で製造した電車が在籍していたほか、他社からの譲渡車もあったが、1973年(昭和48年)から1985年(昭和60年)にかけて新製された1000形にすべて置き換えられた。
ほかに車庫の奥に1926年(大正15年)に製造された電動貨車デワ1形[6][7]、構内の一角に無蓋車ト1、ト2が保存されている。ト1、ト2の一端およびデワ1には、現在各地の鉄道関連の博物館の保存車両や伊予鉄道松山市内線の坊っちゃん列車などでしか見ることのできないバッファー・リンク式連結器が装備されている[7]。
2016年春から新型車両(A3000形)[8]を投入し、現行の1000形を8年計画で順次代替する[9]。
現用車両[編集]
A3000形[編集]
「静岡鉄道A3000形電車」を参照
1000形の置き換え用に製造された車両で、2016年3月24日から営業運転を開始した[10][11]。2017年4月現在2編成が運用中。
2024年頃にかけて総合車両製作所横浜事業所[8]にて2両編成12本(合計24両)を製造する。編成はクモハA3000形(Mc・静岡側)-クハA3500形(Tc・清水側)となっている。
1000形[編集]
「静岡鉄道1000形電車」を参照
静岡清水線の在来車両置き換え用に製造された車両である。東急車輛製造にて2両編成12本(合計24両)が製造された。編成はクモハ1000形(Mc・静岡側)-クハ1500形(Tc・清水側)となっている。2017年4月現在で10編成が在籍しており、300形の車体をモチーフにした編成や、ちびまる子ちゃんラッピングを施した編成もあるなど、バラエティに富んでいる。
A3000形への置き換えに伴い、2024年までに全編成が引退する予定。2016年3月24日のA3000形第1編成の営業運転開始に先立ち、クモハ1004 - クハ1504編成が同年3月11日に営業運転を終了した[12]。2017年5月現在1004編成と1002編成が引退している。
過去の車両[編集]
駿遠電気時代の電車[編集]
電化開業時に用意した木製単車14両の記録は不完全である。1-3(定員40人)、附随客車附1-3(定員40人)は玉川電気鉄道より、番号不明5両(定員40人)が美濃電気軌道より、そして前歴不明の11-13(定員40人)。これらは早期に処分されている。美濃電の5両は1921年及び1923年に廃車。玉電6両は1925年に1-3、1926年に附1-3が秋葉線へ転属、1929年に11・12が散水車となり13が廃車となる。なお1926年に入線した池上電気鉄道丙号電車(11・12)は静岡電気鉄道より譲渡されているが旧番号不明である[13]。1921年に入線した木製ボギー車22、24(日本車輌製、定員65人)は1923年に池上電気鉄道へ売却され乙号電車となった。
特記事項を除き『日本の市内電車 -1895-1945-』、185-189頁を参照
静岡電気鉄道時代の電車(1923-1943)[編集]
この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2014年11月)
ボギー車
モハ20形(20 - 23・25)1924年認可、木製、定員65人、1937年に30 - 33・35の鋼体化により発生した車体を載せ変えて新30 - 33・35となる[14]。
モハ30形(30 - 33・35)1924年認可、木製、定員65人、1937年日本車両で鋼製車体を新製して300 - 303・305となる[15]。
モハ100形(100・101) 1927年日本車輌製、木製、定員78人、100は1947年台車のみ江の電へ売却[16]、1954年7月1日の改番により101→モハ3、のちクハ6(2代目)へ改造[17][18]
モハ120形(120・121) 1930年日本車輌製、半鋼製、定員108人、片側3扉(中央扉は両開)、大型すぎて1937-1938年西武鉄道と渥美電鉄(豊橋鉄道渥美線)に売却[19]
モハ80形(80 - 82) 1936年に西武鉄道新宿軌道線(都電杉並線)38-40(1927年汽車会社製、木製)を購入[20]。1954年7月1日の改番によりモハ65(65-67)[17]となり1956年に鋼体化される[21]。
モハ300形(300 - 303・305)1937年日本車輌製、半鋼製,、30-33・35の鋼体化[22]、1954年7月1日の改番によりモハ10-13・15、その後モハ10→クハ11、モハ12→クハ5(2代目)、モハ13→クハ15[17]
モハ200形(200・201)1939年木南車輌製、半鋼製[15]、1954年7月1日の改番によりモハ5・6[17]
モハ220形(220 - 222)1939年木南車輌製、半鋼製[23]、1954年7月1日の改番により220→モハ7(2代目)、221→モハ8、222→モハ9、その後モハ8→クハ1(2代目)→モハ1(2代目)[17]
静岡鉄道成立以後[編集]
終戦間近の1945年6月20日と7月6日の空襲により主力の200・220・300形の10両のうち7両が被災した[24]。これらは1946年から1948年までに復旧されたが[25]、輸送整備のため1946年東急よりモハ1・2・7 - 9を購入。さらにデハ3251・3252が入線し、続いて近江鉄道、国鉄より車両を調達した。
モハ1・2・7 - 9 1946年東急より厚木線(旧神中鉄道)で使用されていたモハ1・2・7 - 9(目黒蒲田電鉄デハ1形電車)を購入[26]
モハ500・501 東急よりデハ3251・3252(元池上電気鉄道電気鉄道)を購入[27]。東急の国鉄63系電車の見返り供出車[28]。1954年にクモハ16・17に改番。その後2両固定化され、1969年には大幅な車体更新工事が行われたが1975年に廃車。
クハ1(初代) 近江鉄道より購入したクハユ24を改造した(1953年設計変更認可)。木製車、1960年廃車[29][30]。
クハ3 近江鉄道より購入した客車(ホハフ1 元八日市鉄道[31])を長沼工場で制御車に改造した。木製車、1959年廃車[32]。
クハ5(初代) 近江鉄道より購入した半鋼製2軸気動車キハ50を車体延長ボギー化改造した[33]。1961年廃車[29]。
クハ7 国鉄より払下げられた元富岩鉄道セミボ20。1955年10月使用認可[34]。
モハ(クモハ)18-20 国鉄より払下げられた元鶴見臨港鉄道モハ110形[35]
戦時中に鷹匠町車庫が手狭になり、湿地帯で稲作にむかず蓮田となっていた静岡市東部の長沼地区を苦労しながら埋め立てて車両基地を建設した。陸軍射撃場の資材を手に入れて大砲格納庫を車庫に転用するなど整備を進めた[36][37]。そして、戦災車両の復旧や転入車両の改造を手掛け、1957年の静岡国体開催にあたり、3両の車両の新製を始めるまでになった。やがて急増する旅客輸送のため、従来型の2両編成の定員220人を300人程度までにすることを目的に大型の100形が投入され、続いて300形・350形と「静鉄形電車」が生産されることになる。しかし、大型車の導入によりラッシュ時には変電所がパンクすることも多かったため、のちに変電所の設備が増強された[38]。
21形(21-25)1957年より1961年まで自社長沼工場で製作された2両固定編成。国鉄80系電車の2枚窓の前面形状と金太郎塗りを採用し当時の流行をとりいれていたがブリルの台車や機器は流用品を使っていた。
100形
300形
350形
自社製の車両は、1986年(昭和61年)に福井鉄道へ譲渡された300形を最後に、同線から姿を消した。
貨車[編集]
電化時に用意された車両は電動無蓋貨車(デ1・2)、無蓋貨車(ト1 - 3・5 - 11)1924年に電動有蓋貨車(デ3・5・6)、有蓋貨車ワ1 - 3、5・6が増備され、1926年に電動有蓋貨車(デ10-12)が増備される。1927年にデ3・5が秋葉線に転出、かわりにト12・13、ワフ7 - 9転入。1930年に無蓋貨車(トコ20-23)が製作される。しかし不況と自動車の進出により貨物量が激減し、1937年にデ6、ワ5、ト1・2・5・7・9 - 11が廃車(同時に秋葉線より貨車2両が転入)となり1941年には貨物は廃止された。以後の車両の動きは不明。
特記事項を除き澤内一晃「静岡鉄道デワ1+ト1を見る」『J TRAIN』No.31を参照
1997年(平成9年)までは車籍の無い入換用機械として、旧鶴見臨港鉄道の生き残りであるクモハ18形20が使用されていたが、同年導入したモーターカーに役目を譲った形で長期に渡って留置され、その後老朽化が著しく進行していたため2007年(平成19年)3月に解体された。解体前にはさよなら撮影会が開催されている[39]。
車両数の変遷[編集]
年 A3000形 1000形 300形 クモハ350形 計(冷房車)
1982-1984 20 6 2 28(4)
1985 22 6 28(6)
1986 24 2 26(8)
1987 24 24(10)
1988-1989 24 24(16)
1990-2006 24 24(24)
2016 2 22 24(24)
事業用車除く
1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
1982年 - 2006年は『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール より
利用状況[編集]
輸送実績[編集]
静岡清水線の近年の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別輸送実績
年 度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/1日 特 記 事 項
通勤定期 通学定期 定 期 外 合 計
1975年(昭和50年) 634.2 351.4 950.9 1936.5 24,452
1976年(昭和51年) 587.9 335.3 951.4 1874.6 23,754
1977年(昭和52年) 569.8 316.8 901.1 1787.7 22,795
1978年(昭和53年) 542.0 307.9 879.5 1729.5 22,181
1979年(昭和54年) 518.3 292.8 840.5 1651.6 21,222
1980年(昭和55年) 525.9 285.1 822.5 1633.6 21,166
1981年(昭和56年) 514.1 273.1 784.5 1571.8
1982年(昭和57年) 495.5 257.3 771.2 1524.0
1983年(昭和58年) 476.9 254.2 736.7 1467.8
1984年(昭和59年) 456.5 239.4 704.1 1400.0
1985年(昭和60年) 442.7 243.5 699.2 1385.4
1986年(昭和61年) 436.5 251.7 699.0 1387.2
1987年(昭和62年) 435.8 265.7 695.6 1397.1
1988年(昭和63年) 447.9 272.8 692.6 1413.3
1989年(平成元年) 443.6 276.8 694.4 1414.8
1990年(平成2年) 444.5 305.7 700.7 1450.9
1991年(平成3年) 446.9 307.1 725.0 1479.0
1992年(平成4年) 444.1 294.0 715.9 1454.0
1993年(平成5年) 430.2 276.6 737.4 1444.2
1994年(平成6年) 417.7 276.1 746.4 1440.2
1995年(平成7年) 395.0 268.1 728.2 1391.3 17,026
1996年(平成8年) 384.9 264.5 747.8 1397.2 17,091
1997年(平成9年) 370.8 245.3 726.1 1342.2 16,435
1998年(平成10年) 336.2 228.2 734.0 1298.4 15,959
1999年(平成11年) 321.9 178.4 749.5 1249.8 15,505
2000年(平成12年) 310.4 154.1 722.2 1186.7 14,864
2001年(平成13年) 295.6 144.1 721.2 1160.9 14,653
2002年(平成14年) 287.8 140.9 714.1 1142.8 14,398
2003年(平成15年) 285.9 132.5 737.7 1156.1 14,675
2004年(平成16年) 299.0 133.1 730.0 1162.3 14,946
2005年(平成17年) 1169.9
2006年(平成18年) 1165.9
2007年(平成19年)
収入実績[編集]
静岡清水線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[隠す]年度別収入実績
年 度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度 総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合 計
1975年(昭和50年) 421,670 ←←←← 733,046 0 1,154,716 1,591 1,156,307
1976年(昭和51年) 409,239 ←←←← 766,098 0 1,175,337 2,732 1,178,069
1977年(昭和52年) 462,787 ←←←← 885,961 0 1,348,748 4,387 1,353,135
1978年(昭和53年) 453,710 ←←←← 888,728 0 1,342,439 3,593 1,346,032
1979年(昭和54年) 502,580 ←←←← 955,257 0 1,457,837 3,858 1,461,696
1980年(昭和55年) 509,606 ←←←← 950,884 0 1,460,490 5,079 1,465,569
1981年(昭和56年) 563,158 ←←←← 1,010,710 0 1,573,868 8,209 1,582,077
1982年(昭和57年) 545,437 ←←←← 1,013,271 0 1,558,708 16,565 1,575,273
1983年(昭和58年) 579,237 ←←←← 1,037,385 0 1,616,622 17,069 1,633,691
1984年(昭和59年) 554,336 ←←←← 985,782 0 1,540,118 27,442 1,567,559
1985年(昭和60年) 558,390 ←←←← 1,015,410 0 1,573,800 19,777 1,593,577
1986年(昭和61年) 599,615 ←←←← 1,077,728 0 1,677,343 18,318 1,695,661
1987年(昭和62年) 432,810 171,178 1,071,207 0 1,675,195 19,369 1,694,564
1988年(昭和63年) 438,975 173,914 1,068,018 0 1,680,907 19,379 1,700,286
1989年(平成元年) 432,030 174,653 1,067,728 0 1,674,411 23,343 1,697,754
1990年(平成2年) 427,753 189,862 1,075,154 0 1,692,769 25,725 1,718,494
1991年(平成3年) 427,398 189,065 1,106,645 0 1,723,108 30,570 1,753,678
1992年(平成4年) 421,551 179,688 1,093,684 0 1,694,923 30,300 1,725,223
1993年(平成5年) 405,558 168,955 1,121,256 0 1,695,769 10,482 1,706,251
1994年(平成6年) 393,791 170,149 1,138,311 0 1,702,251 30,432 1,732,683
1995年(平成7年) 374,495 165,759 1,112,110 0 1,652,364 33,933 1,686,297
1996年(平成8年) 364,238 161,738 1,139,402 0 1,665,378 34,506 1,699,884
1997年(平成9年) 342,965 146,585 1,111,654 0 1,601,204 29,477 1,630,681
1998年(平成10年) 306,777 136,543 1,114,001 0 1,557,321 27,912 1,585,233
1999年(平成11年) 291,790 113,215 1,136,482 0 1,541,487 25,592 1,567,079
2000年(平成12年) 280,422 101,407 1,098,065 0 1,479,894 29,300 1,509,194
2001年(平成13年) 268,145 96,602 1,097,685 0 1,462,432 28,787 1,491,219
2002年(平成14年) 259,489 95,545 1,086,192 0 1,441,226 29,380 1,470,606
2003年(平成15年) 266,356 91,515 1,111,913 0 1,469,784 33,725 1,503,509
2004年(平成16年) 283,249 88,513 1,103,838 0 1,475,600 35,020 1,510,620
2005年(平成17年) 0 1,487,105 33,239 1,520,344
2006年(平成18年) 0 1,486,310 36,002 1,522,312
2007年(平成19年) 0 1,495,285 39,639 1,534,924
2008年(平成20年) 0 1,477,716 36,575 1,514,291
2009年(平成21年) 285,928 79,818 962,449 0 1,328,195 32,996 1,361,191
2010年(平成22年) 0 1,303,174 31,234 1,334,408
戦前の輸送実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン)
1921 821,267 10,246
1923 1,370,653 29,548
1924 1,598,324 37,032
1925 1,958,106 34,255
1927 3,736,554 28,819
1929 4,669,471 24,994
1931 4,584,747 6,746
1933 5,115,941 15,693
1935 6,636,173 10,848
1937 7,508,276 10,127
1939 9,585,493 5,745
1941 14,766,758 861
鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版
歴史[編集]
現在の入江岡駅付近に存在した入江町駅(1918年4月撮影)
1906年(明治39年)8月21日 安倍郡豊田村南安東(現・音羽町)- 入江町の軌道敷設特許。
1907年(明治40年)10月11日 南安東 - 鷹匠町(現・新静岡)および入江町 - 清水受新田(うけしんでん、波止場)の軌道敷設特許。
1908年(明治41年)
5月18日 静岡鉄道(旧)(社長雨宮敬次郎)[40]によって辻村(現・新清水) - 清水町(後の波止場)が開業(762mm軌間、蒸気動力、貨物営業のみ)。
7月1日 辻村 - 清水町間の旅客営業開始。
8月 大日本軌道が静岡鉄道を合併[41]。同社の静岡支社に。
12月9日 鷹匠町 - 辻村間が開業し、鷹匠町 - 波止場間 (7M50C) 全通。
1918年(大正7年) 江尻新道(辻村から改称) - 波止場間廃止(後に再開業)。
1919年(大正8年)5月1日 駿遠電気に譲渡[42]。
1920年(大正9年)8月2日 1067mmに改軌、600V電化。
1923年(大正12年)2月28日 静岡電気鉄道に改称。
1925年(大正14年)4月1日 鷹匠町 - 公園前(現音羽町)間複線化。
1930年(昭和5年)
3月31日 音羽町 - 古庄間複線化。
7月16日 古庄 - 桜井戸(後に廃止)間複線化。
1934年(昭和9年)
2月11日 運動場前から東を短絡線に移設、仮運転開始。
8月21日 短絡線での本運転開始。
1943年(昭和18年)5月15日 藤相鉄道・中遠鉄道などと合併して静岡鉄道発足。
1945年(昭和20年)
6月20日 未明の静岡大空襲で静岡市内の施設被災。
7月6日 夜の空襲で清水市内の施設被災。
12月1日 鷹匠町 - 清水相生町間を軌道から地方鉄道に変更、清水相生町 - 清水波止場間を休止。
12月26日 鷹匠町の駅舎完成。
1946年(昭和21年)12月27日 安西 - 鷹匠町間を静岡市内線、鷹匠町 - 清水相生町間を静岡線として分離。
1949年(昭和24年)3月25日 清水相生町 - 波止場間廃止許可。
1953年(昭和28年)
8月 電車修理工場を鷹匠町から、長沼駅構内に移転。
11月24日 快速を運転開始。
1954年(昭和29年)
夏 清水市内線港橋まで快速の乗り入れ運転を実施。
10月1日 鷹匠町駅を新静岡駅に、清水相生町駅を新清水駅に改称。
1955年(昭和30年) 集電装置をトロリーポールからパンタグラフに変更。
1958年(昭和33年)3月10日 快速を廃止。急行を運転開始。
1961年(昭和36年)3月1日 有度学校前駅を御門台駅に改称。
1969年(昭和44年)2月 長沼駅に列車総合制御盤導入。
1970年(昭和45年)12月 ATS設置。
1971年(昭和46年)2月 列車無線装置設置。
1973年(昭和48年)4月25日 オールステンレス製の1000形電車運転開始。
1974年(昭和49年)7月7日 七夕豪雨による土砂災害で夜から全線不通に。15日に全線復旧。
1975年(昭和50年)9月1日 ワンマン運転開始。
1979年(昭和54年)12月 CTC化。
1986年(昭和61年)3月25日 県立美術館前駅開業。
1991年(平成3年)11月1日 運動場前駅を県総合運動場駅に改称。
1992年(平成4年)9月1日 自動改札機を新静岡駅・新清水駅など5駅に設置。翌年12月までに全駅に設置。同時に早朝・深夜の車掌乗務[43]を廃止、完全都市型ワンマン運転化。
1994年(平成6年)6月2日 パサールカード(ストアードフェアシステム)導入。
1996年(平成8年)4月1日 同日のダイヤ改正にて急行の設定を取りやめ、全列車を普通とする。
2006年(平成18年)10月28日 LuLuCa対応の自動改札機を全駅に設置。
2007年(平成19年)9月1日 PiTaPaを全駅で導入、同時にICOCAも使用可能に。
2008年(平成20年)
2月1日 御門台 - 新清水間で新型ATS (i-ATS) を使用開始(順次全線に拡大)。
10月1日 列車運転に携わる社員の制服を一新。
2009年(平成21年)4月1日 新静岡センター跡地および周辺地域再開発事業のため、新静岡駅の仮設改札口の供用を開始。
2011年(平成23年)10月1日 新静岡セノバ開業(5日)に伴うダイヤ改正が行われ、平日ダイヤ朝に下り急行が再設定され、上り通勤急行を新設。全駅の駅名標およびドア上車内停車駅案内をCIデザインのものに一斉更改、同時に駅ナンバリングを本格導入。駅構内・列車車内案内上の英文表記を「県」で始まる途中2駅(県総合運動場駅、県立美術館前駅)はローマ字転写から直接英訳のものへ、「ょう」で終わる各駅の長音符号表記を廃止。
2013年(平成25年)3月23日 全国交通系ICカード相互利用開始
2014年(平成26年)11月27日 平成28年度より40年ぶりとなる新型車両(A3000形)導入を発表。
2015年(平成27年) 1000形電車の車体側面および車内のワンマン表示を消去。
2016年(平成28年)
3月11日 1004号、1000形初の運用離脱。
3月24日 A3000形電車A3001号営業運転開始。
駅一覧[編集]
[表示]"Category:静岡鉄道の鉄道駅"の全ての座標を示した地図 - OSM
"Category:静岡鉄道の鉄道駅"の全ての座標を示した地図 - Google
全駅静岡県静岡市に所在(Googleマップ)。
普通列車はすべての駅に停車。
通勤急行・急行は、平日ダイヤの朝のみ運行。
臨時急行「セノバ号」は2011年12月10日 - 2012年1月9日の土日祝日(12月31日を除く)運行。
JR線との連絡運輸は行っていない。
「接続路線」は便宜上の物で、実際には全駅ともJR線と直接つながってはおらず[44]、駅を出て徒歩やバスなどで移動する必要性がある。
凡例
●:停車、▲:停車(新静岡方面のみ)、|:通過(両方向)、↑↓:通過(矢印の方向に運転)
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 通勤急行 急行 セノバ号 接続路線 所在地
S01 新静岡駅 - 0.0 ● ● ● 東海旅客鉄道:■ 東海道新幹線・東海道本線(静岡駅) 葵区
S02 日吉町駅 0.5 0.5 ● ↓ ▲
S03 音羽町駅 0.5 1.0 ↑ ↓ |
S04 春日町駅 0.5 1.5 ↑ ↓ |
S05 柚木駅 0.5 2.0 ↑ ↓ |
S06 長沼駅 1.1 3.1 ↑ ↓ | 東海旅客鉄道:東海道本線(東静岡駅)
S07 古庄駅 0.7 3.8 ● ↓ ●
S08 県総合運動場駅 1.0 4.8 ↑ ● ● 駿河区
S09 県立美術館前駅 0.9 5.7 ↑ ↓ ● 清水区
S10 草薙駅 0.7 6.4 ● ● ● 東海旅客鉄道:東海道本線(草薙駅)
S11 御門台駅 1.0 7.4 ● ● ●
S12 狐ヶ崎駅 0.9 8.3 ● ● ●
S13 桜橋駅 1.7 10.0 ● ● ●
S14 入江岡駅 0.3 10.3 ↑ ↓ ●
S15 新清水駅 0.7 11.0 ● ● ● 東海旅客鉄道:東海道本線(清水駅)
新駅計画[編集]
当路線で駅間距離が最も長い狐ヶ崎駅 - 桜橋駅間の大坪・追分地区への新駅設置が静岡市により検討されている。事業費は約5億1400万円と見込まれている[45]。
運賃[編集]
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定。
キロ程 運賃(円)
初乗り1 - 2km 120
3 - 4 130
5 160
6 180
7 200
8 230
9 260
10 280
11 300
静岡清水線が登場する作品[編集]
ちびまる子ちゃん - アニメでもごく稀に静岡清水線が登場するものの、作者のさくらももこが小学三年生時代(1974年-1975年頃)の時代設定であり、登場する車両は旧型車両が多く、すでに1000形が営業運転を開始している時期ではあるが、作中には一度も登場していない。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ a b 最急曲線は奥田 (1963) の値。現状は異なる可能性あり。
^ “静鉄、「急行」を復活 10月に大規模ダイヤ改正”. 静岡新聞 (2011年9月21日). 2011年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月21日閲覧。
^ a b 寺田裕一『データブック 日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年、p.83
^ 「赤色・白色」踏切遮断かんの実証実験について - 静岡鉄道、2007年2月9日。
^ 09年 静岡鉄道株式会社 安全報告書 〈鉄道〉 (PDF)
^ 車両工場・デワ1号見学会 開催のお知らせ - 静岡鉄道、2009年4月24日。
^ a b 静岡鉄道 デワ1 号 電動貨車 デワ1 - 国立科学博物館-産業技術の歴史
^ a b 静鉄電車 新型車両の制作開始について〜制作会社、形式名、外観カラーリング決定〜 - 静岡鉄道、2015年6月19日
^ 静鉄電車 新型車両導入計画について - 静岡鉄道、2014年11月28日
^ 静鉄、新車両が出発 富士山をイメージ 静岡で式典 - 静岡新聞、2016年3月24日
^ 静岡鉄道A3000形が営業運転を開始 - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2016年3月25日
^ 静岡鉄道で『ありがとう1004号』イベント - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2016年3月12日
^ 「東京急行電鉄車歴表」『鉄道ピクトリアル』No.749、245頁
^ 『日本の市内電車 -1895-1945-』、185-189頁
^ a b 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、125頁
^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、128-129頁
^ a b c d e 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、123頁
^ 形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「静岡電気鉄道120型電車の軌跡」
^ 『日本の市内電車 -1895-1945-』43-44頁
^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、130頁
^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、125-126頁
^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、124-125、132頁
^ 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.207
^ 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.185、46頁
^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、124頁
^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、126頁
^ 「静岡電気鉄道時代の電車について」
^ a b 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、131頁
^ 「近江鉄道(下)」『私鉄車両めぐり特輯』3、278頁
^ 「近江鉄道(下)」『私鉄車両めぐり特輯』3、276頁
^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、131-132頁
^ 『内燃動車発達史 上巻』192頁
^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、129頁
^ 「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』3、127頁
^ 大井航空隊の鉄骨格納庫の移設を計画したが大きすぎて断念
^ 「私と静岡鉄道」『RAIL FAN』No.596
^ 「私と静岡鉄道」『RAIL FAN』No.597
^ クモハ20号解体のお知らせ - 静岡鉄道、2007年3月9日。
^ 『日本全国諸会社役員録. 明治41年』(国国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『官報』1908年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 5月23日許可「軌道敷設特許権譲渡」『官報』1919年5月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 途中駅乗客に対しての運賃収受添乗は、運転士の副行路となっていた。
^ 草薙駅はJRの駅と同名だが別の駅。しかし互いに最も近い駅ではある。
^ 静岡市 追分・大坪地区新駅設置 新駅設置は必要と認識 事業費は約5億1400万円を見込む - 建通新聞 2014年2月20日付け
参考文献[編集]
今尾恵介(監修) 『7 東海』 新潮社〈日本鉄道旅行地図帳:全線・全駅・全廃線〉、東京、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。
奥田愛三「静岡鉄道電車線」、『鉄道ピクトリアル』通巻140・141号、1963年。(再録:鉄道ピクトリアル編集部編 『私鉄車両めぐり特輯』3、鉄道図書刊行会、東京、1982年、117-134頁。鉄道ジャーナルNo・506 2008年12月号
中川浩一「静岡電気鉄道時代の電車について」『鉄道ピクトリアル』No.141
宮田雄作「静岡電気鉄道120型電車の軌跡」『RAILFAN』No.478
和久田康雄『日本の市内電車 -1895-1945-』成山堂書店、2009年、185-189頁
湯口徹『内燃動車発達史 上巻』ネコ・パブリッシング、2004年
白土貞夫「近江鉄道(下)」『私鉄車両めぐり特輯』3、鉄道図書刊行会、1982年
横山波路「私と静岡鉄道」『RAIL FAN』No.595-597(執筆者は終戦後まもなく静岡鉄道に入社 本社及び駅の設計や大型車両100形の導入に携わる)
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
外部リンク[編集]
静鉄グループ 静鉄レールウェイ
カテゴリ: 中部地方の鉄道路線静岡鉄道静岡県の交通