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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
将棋、チェスと並ぶ、究極の思考ゲームとも言われます。
ブラウザーのみで動作するケースを特に囲碁ブラウザゲームと称することもあります。
専用ソフト使用の囲碁ゲームも多々あります。
碁を知りたい。
なのに、打つ機会がない。
相手がいない。碁会所に入ってみたい。でも躊躇する。これが現実のようです。
面白くて、夢中になる碁です。この機会に碁を始めてはいかがでしょうか。ネット碁会所なら、敷居が低いです。
相手が見つからないときは、思考エンジンが、お相手します。待ち惚けになりません。
『考慮時間制』の対局場です。勝敗でスコアが増減します。
対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
▲TOPページ
当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
入門者もベテランもロボットと対局できるサイトは多々あります。
実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。
「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
・いつでもどこでも打てる!それがネット碁の魅力
・囲碁はワールドワイドなゲーム
・ユーザーの多さ
・ユーザーの質
・コミュニティ機能の充実
・サポートの充実
・コンテンツの充実
これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
広島市
ひろしまし
広島市
Hiroshima montage2.jpg
広島城 マツダスタジアム
原爆ドーム
八丁堀の夜景 縮景園
広島市旗 広島市章
広島市旗 広島市章
国 日本の旗 日本
地方 中国地方、山陽地方
中国・四国地方
都道府県 広島県
団体コード 34100-2
法人番号 9000020341002
面積 906.53km2
総人口 1,197,655人
(推計人口、2017年5月1日)
人口密度 1,320人/km2
隣接自治体 坂町、呉市、東広島市、
安芸高田市、廿日市市、
安芸郡熊野町、海田町、府中町、
山県郡北広島町、安芸太田町
(海を隔てて)江田島市
市の木 クスノキ
市の花 キョウチクトウ
市の歌 広島市歌
1965年(昭和40年)制定
広島市役所
市長 [編集]松井一實
所在地 〒730-8586
広島県広島市中区国泰寺町一丁目6番34号
北緯34度23分6.9秒東経132度27分19.1秒座標: 北緯34度23分6.9秒 東経132度27分19.1秒
広島市役所
外部リンク 広島市
広島市位置図
■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町
広島市行政区画図
地理院地図 Googleマップ Bing GeoHack
MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン
特記事項 市章は1896年(明治29年)5月19日制定
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おりづるタワーと原爆ドーム
広島城から見た広島駅周辺の高層ビル
広島市都心部・袋町停留場と鯉城通り
広島市都心部遠景
広島市(ひろしまし)は、日本の広島県の都市。政令指定都市であり、同県の県庁所在地。中国地方の中南部、広島県西部(安芸国)に位置し、中国・四国地方で第1位の人口を有する市でもある。
目次 [非表示]
1 概要
2 地理
3 気候
3.1 自然災害
3.2 水害
3.3 土砂災害危険箇所
3.4 地震
4 地名
4.1 市名の由来
4.2 「広島へ行く」
4.3 広島市の地名
5 人口
5.1 近年の状況
5.2 区ごとの人口の推移
5.3 人口と社会環境
5.4 人口集積率
6 歴史
6.1 古代から中世
6.2 安土桃山時代から江戸時代まで
6.3 明治時代から第二次世界大戦勃発まで
6.4 第二次世界大戦中
6.5 第二次世界大戦終結から現在まで
7 行政
7.1 市長
7.1.1 歴代市長
7.2 議会
7.3 平和記念都市
7.4 行政区画の変遷
7.5 広島市と周辺町村
7.6 行政区
7.6.1 旧市内
7.6.2 新市内
7.7 インフラ整備の状況
8 姉妹都市・提携都市
8.1 日本国外
8.2 国内
9 国際機関
10 国家機関
11 地域間関係
11.1 拠点性
12 経済
12.1 主な商業施設・商店街
12.1.1 中区
12.1.2 南区
12.1.3 西区
12.1.4 東区
12.1.5 佐伯区
12.1.6 安佐南区
12.1.7 安佐北区
12.2 企業
12.2.1 広島市に本社を置く企業
12.2.1.1 製造業、卸売・建設業
12.2.1.2 小売
12.2.1.3 食品
12.2.1.4 金融機関
12.2.1.5 ライフライン
12.2.1.6 運輸
12.2.1.7 消滅した企業
12.2.2 広島市に拠点を置く企業
12.2.3 広島市発祥の企業
12.3 漁港
13 マスメディア
13.1 新聞社
13.2 テレビ局・ラジオ局兼営
13.3 テレビ局
13.4 ラジオ局
13.5 ケーブルテレビ局
14 教育
14.1 小学校・中学校
14.2 高等学校
14.2.1 国立
14.2.2 県立
14.2.3 市立
14.2.4 私立
14.3 大学・短期大学
14.3.1 大学
14.3.1.1 国立
14.3.1.2 県立
14.3.1.3 市立
14.3.1.4 私立
14.3.2 短期大学
14.3.2.1 私立
14.4 特別支援学校
14.4.1 県立
14.4.2 市立
14.5 学校教育以外の施設
14.5.1 研修機関
14.5.2 職業能力開発短期大学校
14.5.3 職業能力開発促進センター
14.5.4 指定自動車教習所
14.5.5 広島労働局長登録教習機関
14.5.6 登録小型船舶教習所
15 施設
15.1 博物館
15.2 美術館
15.3 研究機関
15.4 図書館
15.5 公園・庭園
15.6 展示施設
15.7 多目的ホール(1000人以上)
15.8 スポーツ施設
16 医療機関
17 交通
17.1 鉄道・軌道
17.1.1 主なターミナル駅
17.2 バス
17.2.1 運行会社
17.2.2 中心となるバスのりば
17.2.3 高速バス
17.3 道路
17.3.1 高速道路
17.3.2 一般有料道路
17.3.3 国道
17.3.4 県道
17.3.5 主な市道
17.4 港
17.4.1 航路
17.5 空港
18 スポーツ・芸術・娯楽
18.1 プロスポーツチーム
18.2 スポーツイベント
18.2.1 過去のイベント
18.2.2 実現しなかったイベント
18.3 競輪・競馬
18.4 音楽楽団
19 観光
19.1 史跡・歴史的建造物
19.2 祭事
19.3 名産品
19.4 温泉
20 広島市を舞台とした作品
20.1 テレビドラマ
20.2 漫画
20.3 映画
20.4 アニメ
20.5 音楽
21 広島市出身・ゆかりの有名人
22 発行物
23 市外局番
24 脚注
25 関連項目
26 外部リンク
26.1 行政
26.2 観光
概要[編集]
中心部から南
中心部から北
世界史上初めて核兵器(原子爆弾)で爆撃された都市として、世界的に知名度が高い。それ故に、「国際平和文化都市」としても一定の影響力を持っており、広島市長の発案で創設された「平和市長会議」には150を超える国から4600以上の自治体が加盟している[1]。第二次世界大戦以前には「軍事都市」であった歴史とは対照的である。
「広島市への原子爆弾投下」も参照
古代・中世には現在の広島市街地がある太田川デルタは形成されておらず、安芸国の中心としては国府が開田荘(現安芸郡海田町)におかれ、太田川中下流域の祇園(右岸、現安佐南区)・戸坂(左岸、現東区)から可部(現安佐北区)にかけて荘園、郷が広がっていた。16世紀末、戦国武将の毛利輝元が太田川デルタを干拓して築城を開始したのをきっかけに地域の中枢機能が太田川デルタへ移り、都市としての広島の発展が始まった。江戸時代には、広島藩42万石の城下町として藩主浅野氏のもとで発展した。明治時代に入ると、陸海軍の拠点が集中する軍事都市となり、特に日清戦争時には広島大本営が置かれて明治天皇が行在し、第7回帝国議会は広島市で開かれるなど、臨時の首都機能を担った[2]。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月6日、アメリカ軍の戦略爆撃機B-29「エノラ・ゲイ」によって広島市中心部の相生橋上空に原子爆弾「リトルボーイ」が投下され、きのこ雲が立ち上り、市街地は一瞬にして破壊された。投下当日中に数万人、1945年(昭和20年)末までに推計13万人の人命が奪われ、生存者も火傷痕(ケロイド)、放射線後遺症、精神的後遺症(PTSD等)、遺伝への不安に生涯苦しむなど、市民が経験した苦痛は人類史上類を見ないものであった。
原爆投下後は一時的に人口が20パーセント減少したが、戦後は重工業や自動車産業を中心に復興し、現在では日本の主要な工業都市となっている。1980年(昭和55年)4月1日には札幌市・川崎市・福岡市(3市とも1972年(昭和47年)4月に指定)に続いて全国で10番目となる政令指定都市に指定された。1985年(昭和60年)3月に人口が100万人を突破し、現在では全国の市で10番目の人口を抱える(→日本の市の人口順位)。
地理的には山陽地方のほぼ中南部に位置しており、太平洋ベルトを構成する広島都市圏の核となっている。京阪神と福岡都市圏のほぼ中間に位置しているため、中国地方あるいは中国・四国地方を統括する政府機関や、全国規模で展開している企業の地方拠点も多く置かれている(支店経済都市)。また、瀬戸内工業地域を構成する西日本有数の工業都市でもあり、沿岸部は工業地帯となっている。また、沿岸漁業も盛んである。
近年では西風新都などの郊外のニュータウンでの人口増加も引き続き見られる一方で、平和大通りに新たに高層ビル群が生まれるなど都心回帰の傾向も見られる。
中区以外においても、広島駅周辺を始め、宇品や緑井、段原などの開発・再開発が進み、既存の商工センターや西風新都と併せて、都市拠点機能が活性化している。交通インフラ面では都市高速道路である広島高速道路の整備のほか、広島電鉄による市内線路面電車のLRT整備や、1994年(平成6年)の広島アジア大会の開催に合わせて開通した広島高速交通「アストラムライン」の延伸、およびJR山陽本線とのアクセス改良計画が進むなど多方面から都市機能の充実が進められている。
ちなみに同市は別名、「3Bの街」とも言われている[3]。これは、
市内にはバス(Bus)路線が多い。
東京、大阪等に本社を持つ企業の支店(Branch)が多い(支店経済都市)。
市街地がデルタ地帯にあるため、長さ2メートル以上の橋が(Bridge)が約2,600もある。
と言うことに由来したものである。またこれに加えて、
銀行(Bank):全国の地方銀行や都市銀行が支店を置いていることが多い。
バー(Bar):市内にある流川は中四国最大の歓楽街であり、同地区にはバーやスナック、キャバレーなどが多くある。
などを含めて、「4B・5Bの街」と言われる場合もある[要出典]。
地理[編集]
南は瀬戸内海に面し、広島湾となっている。市の中心部を流れる太田川の河口に開けた三角州上に市街地が形成されている。太田川デルタを中心に広島平野が形成されているが、それを取り囲むように市の西部・北部・東部は丘陵地帯となっている。
市域の80%は丘陵部であり、平地部は太田川デルタの海抜ゼロメートル地帯と北の祇園大橋(海抜5m)から可部(海抜22m)にかけての河谷平野部がほぼ平地部であるが[4]、その周辺の山腹は宅地化が進んでおり安佐南区の伴南は標高約220m、山本新町は約197m、西区の己斐大迫は173m、古田台196メートルなどで造成地は山の中腹あたりまで広がっている[5]。もちろんデルタ地帯からの連続では無い地域では佐伯区湯来町の杉並台ように標高400m 近いところもある。広島市の最高地点は佐伯区湯来町と廿日市市玖島にまたがる大峯山(おおみねやま)で標高1040メートルである[6]。
以上の広島市の造成地などを含めた可住地面積率は3割ほどで市域の7割は山林である[7]。
山:大峯山(1040m)、白木山(889m)、備前坊山(789m)、呉娑々宇山(682m)、武田山(佐東銀山城 410.9m)
川
デルタ6川…太田川(太田川放水路)、天満川、元安川、旧太田川(本川)、京橋川、猿猴川
その他…三篠川、瀬野川、八幡川、府中大川、古川、安川、山本川、二又川
島:似島、金輪島、宇品島(元宇品)、峠島
港湾:広島湾、広島港(旧宇品港)、草津港
気候[編集]
広島市
雨温図(説明)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
45 102
67 112
124 145
142 2010
178 2415
247 2719
259 3124
111 3325
170 2921
88 2314
68 179
41 124
気温(°C)
総降水量(mm)
出典:気象庁
[表示]インペリアル換算
沿岸部から中山間地域までを市域にもつため気候は複雑である。市域北部(安佐北区、安佐南区、佐伯区北部)は日本海側気候と瀬戸内海式気候の境界に当たるが、市域南部は瀬戸内海式気候で晴天の日が多く温暖である。夏は暑く、瀬戸内海特有の凪も発生する。しばしば摂氏35度以上の猛暑日を記録する。冬には空気が乾燥して晴天になる日が多いが、冬型の気圧配置が強まると北西の季節風の影響で雪が降ることもある。山間部の気温は緯度の割に低く、冬にはよく氷点下まで下がる。降雪日数は瀬戸内海沿岸都市の中では多いが、積雪は市北部を除けばそれ程多くはならない。しかし、稀に雪雲が絶えず日本海より供給され続け市内中心部でも10から15センチ程度の大雪に見舞われることもある。路面凍結も起こり、国道488号のように冬期は閉鎖される道路もある。冬から春にかけては、中国大陸由来の黄砂が飛来して視界が霞んだり、うっすら積もることもある。広島気象台は1987年12月22日に中区の江波山公園から繁華街の中区上八丁堀に移転したため、気温などがデータ上大幅に上昇した。旧広島気象台は広島市江波山気象館として保存されている。
広島市の年降雨量は1349mm[8] で全国平均(1596mm)より少ないが、瀬戸内でも顕著な少雨地域である岡山市(921mm)や高松市(872mm)よりは多い。年間降水日数は90日で、全国5番目に降水日の少ない県庁所在地である[9]。
[隠す]広島地方気象台(中区、平年値:1981-2010)の気候
月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年
最高気温記録 °C (°F) 18.8
(65.8) 21.5
(70.7) 23.7
(74.7) 29.0
(84.2) 31.5
(88.7) 34.4
(93.9) 38.7
(101.7) 37.9
(100.2) 36.9
(98.4) 31.2
(88.2) 26.3
(79.3) 22.3
(72.1) 38.7
(101.7)
平均最高気温 °C (°F) 9.7
(49.5) 10.6
(51.1) 14.0
(57.2) 19.7
(67.5) 24.1
(75.4) 27.2
(81) 30.8
(87.4) 32.5
(90.5) 29.0
(84.2) 23.4
(74.1) 17.4
(63.3) 12.3
(54.1) 20.9
(69.6)
日平均気温 °C (°F) 5.2
(41.4) 6.0
(42.8) 9.1
(48.4) 14.7
(58.5) 19.3
(66.7) 23.0
(73.4) 27.1
(80.8) 28.2
(82.8) 24.4
(75.9) 18.3
(64.9) 12.5
(54.5) 7.5
(45.5) 16.3
(61.3)
平均最低気温 °C (°F) 1.7
(35.1) 2.1
(35.8) 4.8
(40.6) 9.9
(49.8) 14.7
(58.5) 19.4
(66.9) 23.8
(74.8) 24.8
(76.6) 20.8
(69.4) 14.2
(57.6) 8.5
(47.3) 3.7
(38.7) 12.4
(54.3)
最低気温記録 °C (°F) −8.5
(16.7) −8.3
(17.1) −7.2
(19) −1.4
(29.5) 1.8
(35.2) 6.6
(43.9) 14.1
(57.4) 13.7
(56.7) 8.6
(47.5) 1.5
(34.7) −2.6
(27.3) −8.6
(16.5) −8.6
(16.5)
降水量 mm (inch) 44.6
(1.756) 66.6
(2.622) 123.9
(4.878) 141.7
(5.579) 177.6
(6.992) 247.0
(9.724) 258.6
(10.181) 110.8
(4.362) 169.5
(6.673) 87.9
(3.461) 68.2
(2.685) 41.2
(1.622) 1,537.6
(60.535)
降雪量 cm (inch) 5
(2) 4
(1.6) 1
(0.4) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 0
(0) 3
(1.2) 12
(4.7)
平均月間日照時間 137.2 139.7 169.0 190.1 206.2 161.4 179.5 211.2 165.3 181.8 151.6 149.4 2,042.3
出典 1: 気象庁[10]
出典 2: 気象庁[11]
[表示]広島(広島地方気象台・江波山公園)・1961 - 1990年平均の気候
[隠す]三入(安佐北区)の気候
月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年
最高気温記録 °C (°F) 16.6
(61.9) 20.4
(68.7) 23.0
(73.4) 29.8
(85.6) 33.7
(92.7) 35.0
(95) 38.9
(102) 37.8
(100) 36.9
(98.4) 30.2
(86.4) 24.9
(76.8) 19.9
(67.8) 38.9
(102)
平均最高気温 °C (°F) 8.4
(47.1) 9.6
(49.3) 13.5
(56.3) 19.8
(67.6) 24.5
(76.1) 27.6
(81.7) 31.0
(87.8) 32.7
(90.9) 28.4
(83.1) 22.7
(72.9) 16.6
(61.9) 11.1
(52) 20.49
(68.89)
平均最低気温 °C (°F) −0.4
(31.3) 0.0
(32) 2.5
(36.5) 7.4
(45.3) 12.4
(54.3) 17.6
(63.7) 22.1
(71.8) 22.7
(72.9) 18.6
(65.5) 11.8
(53.2) 6.1
(43) 1.5
(34.7) 10.19
(50.35)
最低気温記録 °C (°F) −8.1
(17.4) −8.6
(16.5) −5.0
(23) −1.2
(29.8) 3.2
(37.8) 8.8
(47.8) 14.8
(58.6) 15.3
(59.5) 8.0
(46.4) 1.7
(35.1) −2.7
(27.1) −6.0
(21.2) −8.6
(16.5)
降水量 mm (inch) 60.3
(2.374) 75.2
(2.961) 127.8
(5.031) 138.9
(5.469) 182.9
(7.201) 256.7
(10.106) 291.4
(11.472) 143.1
(5.634) 196.0
(7.717) 92.9
(3.657) 74.9
(2.949) 56.7
(2.232) 1,696.8
(66.803)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 9.9 10.0 11.1 10.0 10.0 11.6 11.9 8.5 10.2 7.1 7.6 9.0 116.9
平均月間日照時間 96.9 110.0 146.2 174.9 183.7 138.0 149.4 180.7 147.0 161.3 131.3 109.2 1,728.6
出典: 気象庁
自然災害[編集]
近くに火山や大規模な活断層がなく、大きな地震の頻度も低い。広島市のある広島県南部は、台風や梅雨時の豪雨による水害は比較的少ないとされてきたが、1989年から2011年の23年間の累計被害金額を県別で見ると全国12位と比較的上位であり、ひとたび災害が起きると災害への対策不徹底や防災意識の低さがしばしば指摘される。
「広島土砂災害」も参照
水害[編集]
市域では豪雨・台風に伴う太田川の氾濫・洪水が歴史上何度も起きている。台風被害は1943年(昭和18年)9月、1945年(昭和20年)9月(枕崎台風)、1950年(昭和25年)9月など9月・10月に集中している。特に原爆投下1ヶ月後に襲った枕崎台風では原爆で建造物がダメージを受けていたところに太田川の堤防決壊が加わり、数百人の死者・行方不明者を出す惨事となった。1960年代以降、太田川放水路開通や高瀬堰・大芝水門設置などの治水対策により下流デルタにおける決壊・洪水は起きていない。一方でデルタ地帯では近年でも高潮による浸水被害が起きている[12]。
1991年(平成3年)9月の台風19号(りんご台風)では、広島市で最大瞬間風速58.9メートルなど猛烈な風による高潮被害・塩害が広がり、長時間停電したり、街路樹や柑橘類などの果樹が枯死したりする被害が起きた。中国電力はこれをうけて管内の電柱に塩害対策を施したが、2004年9月6日の台風18号接近では市内で最大瞬間風速60.2メートル(広島地方気象台観測史上1位)の暴風が吹いて再び大きな被害を出し、対策不足が指摘された。
1999年6月末の集中豪雨(6.29豪雨災害)では広島市と呉市に被害が集中し、市内では佐伯区と安佐北区を中心に死者19名・家屋全半壊100棟を超す被害があったため、災害救助法および被災者生活再建支援法の適用を受けている。
2014年8月20日未明には市北部で3時間雨量が204mm(安佐北区三入)などの猛烈な雨が降り、安佐北区可部・安佐南区八木・同山本・同緑井などで同時多発的に大規模な土石流が発生し、死者74名、重軽傷者44名、家屋の全半壊255棟などの甚大な被害が生じた(→平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害)。
土砂災害危険箇所[編集]
広島市は土砂災害危険箇所を合計6040か所指定している。内訳は安佐北区2085か所、佐伯区1019か所、安佐南区985か所、安芸区843か所などとなっている[13]。高度経済成長期の人口増に伴い宅地開発が進んだが[14]、造成対象地域は多くが平野部周縁の傾斜地・谷あいであったため、土砂災害の危険が指摘された。特に1999年の6.29豪雨災害の後に調査・研究が進み、指定数が増えた。
地震[編集]
市域の多くを占める太田川デルタは中国山地から流出した真砂土による沖積平野のため地盤は軟弱で[15]、地震ハザードステーションの地震動予測地図では市北部の低地部(長束〜可部)では「30年以内に震度6弱以上の地震」が起きる確率は26%以上としている[16]。沿岸部の確率はこれより小さい。
太田川デルタでは江戸時代以降に6回の大地震に遭遇している[17]。2001年(平成13年)3月24日には安芸灘を震源とする芸予地震(マグニチュード6.4)が発生し、広島市でも震度5強(西区、安佐南区)を観測した。市内では死者は出なかったが、多数の負傷者が出たほか宅地造成区域の法面が崩れたり(安佐南区相田町)、道路法面が沈下・亀裂を起こしたりした(西区己斐上)。また草津港(広島港草津地区)では岸壁が崩れる被害があった[18]。
地名[編集]
市名の由来[編集]
広島という名称は、戦国時代末期の1589年、この地を支配した戦国大名の毛利輝元が築城に際して命名した。第二次世界大戦後に新字・現代かなづかいになる以前は「廣島(廣嶋)」と表記した。
輝元の時代、この地は太田川河口デルタの形成途上にあり、箱島(今の白島地区)や日地島(比治山)などの中洲が点在する五箇庄(ごかのしょう)と呼ばれていた。これらの中で最も広い島(実際には2番目)に築城したことから「広島」と命名したとされるが、輝元には別の意図もあった。広島築城事業は、当時120万石の「西国の雄」毛利家が、本拠地をそれまでの吉田郡山城から移して新たに築こうという大事業であり、城の名称には家運長久の願いが込められた。毛利氏は代々、大江広元の末裔であることを誇りとしており、「元」のほか「広」も諱に使用する字の一つとしていたことや「広大」「末広」の良縁起から「広」の字を冠することとし、「島」については城普請案内を務めた普請奉行の福島元長の名字からとって命名した。
「広島へ行く」[編集]
西日本の方言で、「広島へ行く」「ヒロシマにゆく」という表現が、「死ぬ」を婉曲に表す忌み言葉として使われることがある。この「広島」が本来広島城下を指したかどうかは不明だが、実際には広島市を念頭に置いて使用されている。1741年(寛保元年)の『夏山雑談』に記述があり、起源は近世以前までさかのぼる。
柳田國男は『廣島へ煙草買ひに』という著作の中で、「ヒロシマ」は「会津檜枝岐などの狩詞で人里のことであった」、「ヒロシマへユク」は「壱岐では死ぬの隠語に代用して居ることが最近刊行せられた山口君の続方言集[19] に見えて居る、ヒロシマといふ語にもし斯ういふ感覚が伴なふことを知って居たら、藝州の殿様も是を御城下の名にはしなかったかも知れない。」と記し、さらに「タバコ」を「関西地方は殆ど一般に、休息の同義語に用いられている」とし、「廣島へ煙草買ひに行く」というのは、伊予の内海側では「死ぬ」という代わりに時々使われる気のきいた忌み言葉になっている、と説明している。
南海日日新聞の2000年12月16日付記事「ヒロシマへ行くこと[20]」では、愛媛県八幡浜市周辺で現在も使われ、『八幡浜市誌』に採録されているといい、起源については死の穢れを極端に避けた厳島(安芸の宮島)の風習に由来する可能性を指摘している(島全体が神聖とされた厳島では、死者が出ると島外で葬儀・埋葬を行い=「ヒロシマに行き」、遺族は服喪期間が明けるまで島に戻れなかった)。
広島市の地名[編集]
「広島市町名・地区一覧」も参照
旧広島市には海や干拓に関連した地名、太田川下流域には古代からの水運に由来する地名がある。
島 - 江波(えば・江波島)、白島(はくしま・箱島)、仁保(にほ・仁保島)、比治山(ひじやま・日地島)、吉島(よしじま・古くは葭島と書き、葭の茂っている中州の意味とされる)
川 - 打越(洪水の冠水を堤防を壊して排水する「内越」から)、流川町(縮景園の排水路として開かれた流川に由来)、薬研堀(通りに沿う水道の名に由来)、川内(太田川と古川に挟まれた中州に由来)、天神川(尾長天満宮から流れる天神川に由来)、横川(太田川がここから西に分流)、広瀬(天満川がカーブする内側に広い瀬が広がっていたことに由来)、可部(河戸、河の口。太田川の合流点であったことに由来)
海 - 草津(神武天皇の「軍津」=いくさつ)、古江(「古ヘ天子ノ御船着シ古キ入江之故事」に由来)、向洋(向い灘)
船 - 加古町(藩船の水主「かこ」が由来)、舟入(船舶の停泊した入り江)、船越(沖合いを行きかう船に由来)、帆立(祇園)
漁業 - 江波(漁場の餌場)、小網町(網を打つ漁民が多く居住し、網打小路と呼ばれたため)、蟹屋町(蟹売りが歩いていた町)
商業 - 紙屋町(伊予国から広島に移り住んだ紙商、伊予屋九郎左衛門に由来)、十日市町(安芸高田市吉田の十日市場を移したといわれる)
神社・寺院 - 胡町(1603年建立の胡子神社に由来)、住吉町(航海の神、住吉神社)、国泰寺町(安国寺恵瓊が開基した新安国寺が国泰寺と改称された)、寺町(寺院が多く集まっていることに由来)、袋町(大黒天の袋をとって「袋町」と命名)
藩政関連 - 基町(毛利氏時代以来の広島開基地という意による)、幟町(藩主の旗印をまかされていた御旗の士が居住していたことによる)、八丁堀(広島城の外堀の1辺の長さが約八丁(約880メートル)であったことに由来)、大手町(広島城の大手門に由来)、京橋町(西国街道の京橋)
その他 - 堀越(平清盛が向洋半島に娘を埋葬した際、遺体を荒らされないため半島を島にするために堀を掘ったことによる)
人口[編集]
Demography34100.svg
広島市と全国の年齢別人口分布(2005年) 広島市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 広島市
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
広島市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 798,540人
1975年 923,588人
1980年 992,736人
1985年 1,051,748人
1990年 1,093,707人
1995年 1,117,117人
2000年 1,134,134人
2005年 1,154,391人
2010年 1,173,843人
2015年 1,194,304人
総務省統計局 国勢調査より
1889年(明治22年)に日本最初の市(31市)の一つになって以来、一貫して中国・四国地方の市で最大の人口を有する。市制施行当時の人口は88,820人で、国内9番目の人口を有していた(現在は国内11番目)。
城下町広島の人口は、江戸時代中期の正徳5年(1715年)には7万人ほどであったと推定されている。明治維新後の1869年(明治2年)には8万8607人であったが、1871年(明治4年)の廃藩置県の際には藩士や奉公人などの転出により7万2715人に減少した。1889年の市制施行時には8万3387人に回復し、日清戦争以降に人口が本格的に増加した。1920年(大正9年)の第1回国勢調査では約16万人となった。1929年(昭和4年)に周辺7町村を編入するなど戦前を通して人口は増加し、1942年(昭和17年)には戦前最高の約42万人となったが、第二次世界大戦の激化により減少し、1945年(昭和20年)の原爆投下で壊滅的な被害をうけた(1945年11月時点の人口は13万7197人)。その後疎開者・避難者や出征者の帰還等に伴い1950年(昭和25年) には約29万人まで回復し、1965年(昭和40年)頃には50万人に達した。その後は安芸郡、安佐郡、佐伯郡など周辺町村との合併に伴い市域が10倍近くに拡張し1985年(昭和60年)に人口が100万人を突破した[21]。
広島県内で2013年の人口が2000年比で増加した地域は広島市(4.4%)、安芸郡坂町(7.2%)、東広島市(9.3%)、福山市(1.2%)の4地域のみであった。
広島市の外国人居住者数は1万2976人で、減少傾向にある[22]。
現広島市域の人口の推移[23]
調査年次 人口(人) 世帯数(戸) 世帯規模 備考
総数 増減 率[24] 総数 増減 率[24] 人/戸
大正9年 1920 305,773 - - 67,420 - - 4.54
昭和5年 1930 382,697 76,924 25.2% 83,728 16,308 24.2% 4.57
15年 1940 463,670 80,973 21.2% 100,489 16,761 20.0% 4.61
(22年) 1947 387,477 -76,193 -16.4% 93,504 -6,985 -7.0% 4.14 増減は1940年比である
25年 1950 447,174 -16,496 -3.6% 105,742 5,253 5.2% 4.23 増減は1940年比である
35年 1960 590,972 143,798 32.2% 155,939 50,197 47.5% 3.79
45年 1970 798,540 207,568 35.1% 247,941 92,002 59.0% 3.22
55年 1980 992,736 194,196 24.3% 346,718 98,777 39.8% 2.86
平成2年 1990 1,093,707 100,971 10.2% 407,899 61,181 17.6% 2.68
12年 2000 1,134,134 40,427 3.7% 463,135 55,236 13.5% 2.45
22年 2010 1,174,209 40,075 3.5% 512,946 49,811 10.8% 2.29
2020
近年の状況[編集]
自然増(出生-死亡)は1994年には5852人であったが、減少し続けており2012年には1930人となった。社会増(転入-転出)は2003年まではマイナスであったが2004年からプラスに転じ、1千人台の増加がある[25][26]。
広島市域の大半を占める山間部や山間部・島嶼部の隣接自治体では人口減および少子化・高齢化が急速に進んでいる。太田川下流デルタ(中区・南区・西区・東区など)と下流部(安佐南区他)では、60歳以上の人口比率は23%、20歳未満は20%であったが、安芸太田町では60歳以上の人口比率は50%、20歳未満は13%であった(平成17年国勢調査)[12]。
区ごとの人口の推移[編集]
広島市の人口は微増しているが、中区は1960年代、南区は70年代に減少に転じている。人口増加の大きい地区は安佐南区で合併後の1975年から2010年にかけて人口は10万人増加し178%となった。同じ期間に中区は約1万8千人減少し88%、南区は約3万人減少し82%となった[27]。中区と南区では20世紀後半に継続的な人口流出があったが、21世紀に入り増加に転じている(都心回帰)。
地域別人口推移 (現市域、単位:人)
行政区 昭和40年 昭和45年 昭和55年 平成2年 平成12年 平成22年
1965年 1970年 1980年 1990年 2000年 2010年
全市 696,845 798,540 992,736 1,093,707 1,134,134 1,173,843
中区 167,682 155,914 138,486 134,651 124,719 130,482
東区 61,527 88,580 117,286 122,715 123,258 120,751
南区 164,177 171,615 151,534 143,938 135,467 138,190
西区 119,067 139,293 155,424 178,486 179,519 186,985
安佐南 56,060 83,779 157,728 175,211 204,636 233,733
安佐北 49,016 55,978 113,238 144,446 156,387 149,633
安芸区 39,837 51,128 65,775 70,039 75,435 78,789
佐伯区 39,479 52,253 93,265 124,221 134,713 135,280
人口と社会環境[編集]
太田川の河口デルタにある西区、中区、南区の地域(旧広島市域にほぼ相当)の面積は現市域の9%を占め、市の人口の39%が居住している。第2次・第3次産業の経済活動はこの3区に集中しており、製造品出荷額の70%、商品販売額の82%をこの地域が占める。農業など第1次産業就業者は88%がこの3区以外の市民で、安佐北区(2479人)、安佐南区(1876人)、佐伯区(991人)に多い。
都市機能も旧市街に集中しており、昼間人口は中区で平方kmあたり5万人以上、西区と南区で1万人以上となっている。同5千人以上の地域は、東が海田町、西が廿日市、北が安佐南区大町まで連なっている。広島都市圏の機能の分散が進展し、中心部への昼間人口流入は減少する一方で佐伯区、廿日市市、広島IC周辺、広島大学が立地する東広島市などで増加傾向にある。この状況に対し交通インフラ、特に道路整備が遅れており、広島市の人口百万人あたりの自動車専用道の長さは11kmと、札幌市(21 km)・仙台市(27 km)・福岡市(30 km)と比較して短い[28]。
広島市の各種統計(2012年)[29]
広島市 中区 東区 南区 西区 安佐南 安佐北 安芸区 佐伯区
総面積 km2 905.4 15.3 39.4 26.1 35.7 117.2 353.4 94.0 224.4
可住地 km2 283.5 15.3 17.9 22.9 29.2 43.8 84.2 26.0 44.4
可住地比率 31% 100% 45% 88% 82% 37% 24% 28% 20%
人口(万人)
総人口 117.4 13.0 12.1 13.8 18.7 23.4 15.0 7.9 13.5
15歳未満 16.8 1.3 1.8 1.8 2.7 4.1 2.0 1.2 2.0
(比率) 14% 10% 15% 13% 14% 18% 14% 15% 14%
65歳以上 23.1 2.7 2.5 2.8 3.4 3.9 3.6 1.6 2.7
(比率) 20% 20% 21% 20% 18% 17% 24% 20% 20%
昼間人口 117.4 24.4 10.2 15.6 18.8 18.5 12.8 6.4 10.7
人口/可住地
人/km2 4,141 8,534 6,753 6,040 6,415 5,342 1,777 3,034 3,049
社会基盤
1住宅当たり
延べ面積 m2 79.5 56.94 83.81 69.84 70.24 83.67 103.64 90.25 93.29
医師数 3156 919 184 1016 274 232 234 101 196
1千人あたり 2.69 7.04 1.52 7.35 1.47 0.99 1.56 1.28 1.45
歯科医師数 1177 239 67 377 137 152 81 36 88
小学校数 147 16 13 19 18 26 27 9 19
中学校数 80 7 7 12 13 15 11 5 10
高校数 45 8 5 6 9 6 6 1 4
経済基盤 - 人口・就業者(人)、額(億円)
労働力人口 593,489 67,072 60,946 72,511 95,067 110,880 79,117 39,954 67,942
第1次就業者 7,186 207 313 261 408 1,876 2,479 651 991
第2次 124,063 9,324 11,796 14,732 17,516 23,797 21,561 10,960 14,377
第3次 420,128 51,953 44,510 52,039 70,413 77,763 49,586 25,783 48,081
耕地面積(km2) 30
事業所数 58,049 17,097 3,982 8,092 9,232 7,533 5,070 2,167 4,876
製造品出荷額 18,683 690 120 9,489 2,974 1,251 1,893 1,804 462
商品販売額 76,967 33,467 1,668 13,051 16,313 4,591 1,840 1,813 2,223
広島市 中区 東区 南区 西区 安佐南 安佐北 安芸区 佐伯区
人口集積率[編集]
広島県の市町村数(参考)
年月 政令市 市数
(政令市除く) 町村数 計 備考
1960年10月 0 12 98 110 昭和の大合併期
1980年10月 1 11 75 87 1980年4月、広島市が政令市に指定
2000年10月 1 12 73 86 平成の大合併期
2015年10月 1 13 9 23
広島県の人口は1998年(平成10年)の288万5617人をピークに減少しているが[30]、広島市の人口は増加が続いている。2009年時点では、2015年(平成27年)以降人口減少に転ずると予想されていた[31]。そのため、広島市の広島県における人口比(人口集積率)は上昇傾向にある。
当時の市域をもとにした過去および現在の広島市の人口、広島県に占める人口集積率は次の通り[32]。なお、1960年から1980年の間には沼田町・安佐町・可部町・祇園町・安古市町・佐東町・高陽町・瀬野川町・白木町・熊野跡村・安芸町・矢野町・船越町を、1985年には五日市町を、2005年には湯来町を合併している[33]。
1960年の人口比[32]
Circle frame.svg
1960年国勢調査
広島県合計:2184043人
広島市:
431336人 (19.7%)
市部(広島市除く):
782740人 (35.8%)
郡部(町村部):
969967人 (44.4%)
1980年の人口比[32]
Circle frame.svg
1980年国勢調査
広島県合計:2739161人
広島市:
899399人 (32.8%)
市部(広島市除く):
1064218人 (38.9%)
郡部:
775544人 (28.3%)
2000年の人口比[32]
Circle frame.svg
2000年国勢調査
広島県合計:2878915人
広島市:
1126239人 (39.1%)
市部(広島市除く):
1147296人 (39.9%)
郡部:
605380人 (21.0%)
現在の人口比
Circle frame.svg
2017年5月1日推計人口
広島県合計:2,832,035人
広島市:
1,197,655人 (42.3%)
市部(広島市除く):
1,460,533人 (51.6%)
郡部:
173,847人 (6.1%)
歴史[編集]
古代から中世[編集]
古代には太田川デルタは未だ形成されておらず、可部付近まで海が入り込んでいたと考えられている[34]。太田川下流域の長束から可部にかけて古墳群が存在することから、下流域にはある程度の規模の集落が形成されていたと思われる。7-8世紀の律令の時代には古安芸郡(現在の広島県の西半分)には11ヶ郷があり可部近辺が漢弁郷と呼ばれ、太田川、根之谷川、三篠川の合流地点であり出雲往還および石見往還の分岐点として栄えていた[35]。
平安時代には可部、中野、四日市、水落、大毛寺、今井田柳瀬、勝木などの地域が可部荘で、南原川と根之谷川の間が三入荘、三篠川の中流域に三田郷、戸坂あたりが田門荘があり、祇園近辺に佐東倉敷が置かれていた。太田川下流部の流路は江戸時代初期に福島正則が流路を東に移すまでは古河(佐東川)が本流であり、下流部では 左岸(東側)は現在よりかなり広かった。当時はまだ太田川デルタが形成されておらず海田に開田荘があり国府が置かれた[35]。 この時期には平安海進(8世紀から12世紀)があり、可部付近の河川水位と海水位の差は現在より小さかった。
平安時代後半(1100年頃)には、湾頭は長束付近[36] で牛田村、長束、三篠が河口を囲んでおり、山陽道は戸坂村で太田川を渡河していた。1371年(応安4年)に当地を通った今川了俊は紀行文『道ゆきぶり』の中で「かひた」から「佐西の浦」(現廿日市市あたり)にかけては「しほひ (潮干)の浜」であったと記述している[37]。
室町時代中期(1400年頃)にデルタが形成され始め、戦国時代(1500年頃)には現在の平和大通りあたり(長束から約4km)までに広がっ た。この急速な土砂堆積は当時太田川中流域で盛んであったたたら製鉄の為の砂鉄採取で行なわれた鉄穴(かんな) 流し[38] の影響が考えられている。室町時代に武田山 に佐東銀山城を築いた安芸武田氏の基盤は未開発の太田川デルタ以北の長束より上流であり、下流域の当時の中洲(川内・中筋・東野・東原一帯)に本拠を持つ土豪である川内衆(かわのうちしゅう)と府中を本拠とした安芸白井氏の水軍を擁していた。これら両水軍は武田氏滅亡後は毛利氏に仕えた[39]。川内衆は毛利氏の指示によりデルタの干拓に携わった[37]。
安土桃山時代から江戸時代まで[編集]
謀神と称される戦国時代最高の知将の一人、毛利元就
正保年間に書かれた『安芸国広島城所絵図』。
安土桃山時代の開府以降、山陽道沿線の行政の中心地として、広島市は発展した。
毛利氏による 広島城築城開始後は福島氏や淺野氏によりデルタの開発は継続された。広島デルタの開発は1589年に毛利輝元が開始し、1601年に福島正則が入城したが、城内の建物やその周辺の補修や普請は継続し福島氏改易の原因となる1617年の普請まで城下の整備が継続された。1619年に 浅野氏の入城後はほぼ洪水や火災などの補修に留まっているので、少なくとも1619年には城内の工事は完了していたと思われる[40]。毛利氏により10年、福島氏により約20年が城およびデルタ開発に費やされ、干拓事業などにより広島市道霞庚午線(長束から約6km)のあたりまでデルタが拡大した。デルタ形成に寄与した「鉄穴流し」ではあるが、治水の為に1628年(寛永5年)に禁止された[41]。江戸時代には、それまで猿猴川と京橋川の河口の島であった比治山や黄金山一帯が埋め立てられた[42]。
(特徴:地方王国たる広島藩の首府)
毛利元就が中国地方一円の戦国大名となった時、小盆地である吉田(郡山城)は手狭であり、交通の便も悪かった。そこで、山陽道(西国街道)が通り、太田川や瀬戸内海の水運を利用できる、太田川下流デルタの寒村・五箇庄に注目した。元就の死後、毛利輝元によってその着想を現実化し、広島の開発が始まった。
1589年(天正17年):毛利輝元が、五箇庄の箱島(現在の白島)を中心とした干拓と、広島城の築城とを命じる。
1591年(天正19年):毛利輝元が、未完成ながらも広島城に入府し、地名を「広島」と命名する。
1599年(慶長4年):広島城の完成。
1600年(慶長5年):関ヶ原の戦いで敗北し、長門国・萩に移封された毛利氏の替わりに福島正則が城主となる。
山陽道が、福島正則によって城下町を通るように南寄りに付け替えられる。また、同時期に出雲街道や石見街道も整備される。干拓により新開地も増え続け、江波や草津が港として整備される。
1619年(元和5年):広島城石垣の無届け改修を理由として福島正則が改易となり、浅野長晟が城主となる。以降、浅野氏の広島藩が明治維新まで続く。
江戸時代を通して広島の人口は拡大し続け、幕末には武家・町人併せて7万人あまりの規模に達していたと言われる。これは日本三都(江戸・大坂・京)および名古屋・金沢に次ぐ水準で、この当時から日本屈指の都市となっていた。
明治時代から第二次世界大戦勃発まで[編集]
1878年(明治11年)郡区町村編制法後、廣島市として想定された範囲の地図。
(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点・軍事都市) 明治に入り軍港の整備や、産業誘致の為の埋め立てでデルタはさらに拡大していった [43]。現在の空港通り最南端は長束より約9kmの距離である。
1871年(明治4年)
8月29日:廃藩置県により、旧広島藩領は全域「廣島縣」となる。
10月12日:「鎮西鎮台第一文営」が広島城に設置される。徴兵制が始まっていないので旧藩兵からなる部隊であった。
1873年(明治6年)1月9日:「第五軍管広島鎮台」が第一文営跡に設置される。
1884年(明治17年)9月:千田貞暁県令(知事)により広島県営として宇品港の建設に着工。
1888年(明治21年)5月14日:第五軍管広島鎮台が第五師団司令部に昇格する。
1889年(明治22年)
4月1日:開府300周年。市制施行により広島市となり、広島県の県庁所在地とされた。
11月:宇品築港及び干拓工事の終了。当初の計画では氏族殖産補助金(旧藩主浅野氏)、氏族殖産金(国庫)と埋め立てによりできる新開地を担保とした。災害と計画変更により、更に二回に渡り国庫の補助を受けて私財も投じたため、千田県令は工事の完成を見ず新潟県に左遷されてしまう。漁民に抵抗を受け、県民に負担をかけ、当時の広島には不釣合いな大規模港湾であり県令の功名心による土木工事であるとの批判も受けた。しかし、日清戦争において臨時の首都となった要因は、前線に近い点だけでなく、鉄道が開通しており、近代港湾を持ち、物資の生産・集積・貯蔵に必要な十分な土地を持つという理由であり、宇品港と宇品干拓と共に、近代における広島の発展の原動力となった千田県令は、後に再評価されて勲三等旭日章を受け、男爵に叙せられ、千田廟公園(千田神社)が建てられた。
1893年(明治26年)5月:広島電燈株式会社設立。
楊斎延一『広島県御安着之図』
1894年(明治27年)
6月10日:山陽鉄道(現山陽本線)が広島まで開通。
8月4日:陸軍省の山陽鉄道への依頼により、広島駅から宇品港への宇品線の建設着工、2週間の突貫工事により同月20日完成。
9月15日:日清戦争に伴い、大本営や帝国議会が臨時に広島に移る。以来、広島は軍都として発展する。(→首都機能移転)
10月:市初の発電所(火力、30キロワット)が大手町に建設され、市内に電灯がともる[44]。
1896年(明治29年)5月19日:市章を制定する。[45]
1899年(明治31年)1月1日:広島市内で上水道の給水開始。
1903年(明治36年)12月27日:海田市駅から呉軍港を結ぶ呉線、官設により開通。
1905年(明治38年)2月:府中煙草製造所(元JT府中工場、及び同廣島分工場(元JT広島工場)が煙草製造開始。
1930年頃(昭和初頭)の廣島市地図。
1930年頃(昭和初頭)の廣島市地図。
1945年米軍作成の広島市地図。赤い斜線(濃い赤)の部分が原爆による全壊地域、赤い点(薄い赤)の部分が半壊地域である。地図の升目は1000ヤード(914.4メートル)である。一部1930年代の情報で書かれている[46]。
1945年米軍作成の広島市地図。赤い斜線(濃い赤)の部分が原爆による全壊地域、赤い点(薄い赤)の部分が半壊地域である。地図の升目は1000ヤード(914.4メートル)である。一部1930年代の情報で書かれている[46]。
1909年(明治42年)
10月:広島瓦斯株式会社創立。
12月19日:大日本軌道広島支社が横川-祇園(下祇園駅と古市橋駅の間)(現可部線)を開業。
1910年(明治43年)10月1日:市内にガス供給開始。
1911年(明治44年):広島城の外堀が埋められる。
1912年(明治45年/大正元年)
広島市歌(初代)を制定
7月8日亀山発電所(水力、2100キロワット)が送電開始[44]。
西堂川(西塔川)(現在の鯉城通り・一部千田通り)が埋め立てられる。これが御幸橋方面への市内電車通りとなる。
11月:広島電気軌道(現広島電鉄)による市内電車の運転始まる、広島駅-紙屋町-御幸橋、八丁堀-白島など4路線。
1915年(大正4年)
4月28日:芸備鉄道が東廣島(現在の東広島駅とは別)-志和地間を(現芸備線)開業。
6月1日:芸備鉄道志和地-三次(現在の西三次)間が開業。
1920年(大正9年)7月15日:芸備鉄道広島-東広島(現在の東広島駅とは別)間が開業。国鉄廣島駅へ乗り入れ。
1922年(大正11年)8月22日:広島電気軌道宮島線(己斐-草津)が開業。
1925年(大正14年)7月15日:宮島線廿日市-地御前間が開業。
1926年(大正15年)7月15日:宮島線地御前-新宮島(後に廃止)間が開業。
1929年(昭和4年):昭和産業博覧会開催。4月18日、博覧会開催を記念して中国新聞社より広島市歌(2代目)を市に寄贈。
1931年(昭和6年)2月1日:宮島線新宮島-電車宮島(現在の広電宮島口)間が開業し、宮島線全通。
1932年(昭和7年):太田川の山手川と福島川の改修工事(太田川放水路)が帝国議会で決定。工事は第二次世界大戦で一時中断。
第二次世界大戦中[編集]
原爆投下前。
投下後。
広島市中央部
同心円の中心が爆心地。すぐ左上に目標の相生橋。画面右上の矩形は広島城
(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点・戦時体制下の軍事都市)
1944年(昭和19年)11月18日:広島市で第一次建物疎開が実施される。原爆投下まで計6回実施される。
1945年(昭和20年)
2月:造幣局廣島支局の仮工場が完成。貨幣の製造を開始。
4月3日:広島市で学童疎開が始まる。
6月: 廣島文理科大学内に中国地方総監府が設置される。
8月6日:アメリカ軍により世界初の核攻撃。原子爆弾が市中心部に投下された。
第二次世界大戦終結から現在まで[編集]
広島に行幸した昭和天皇を歓迎する市民(1947年)
(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点・平和記念都市としての都市整備・工業都市)
1945年(昭和20年)9月17日:枕崎台風により被害を受ける。広島県内で死者・行方不明者2012人。
1949年(昭和24年):
市制60周年、開府360周年。
8月6日:特別法である広島平和記念都市建設法が国会で可決され、住民投票を経て公布される。
12月15日:プロ野球セントラル・リーグ広島カープが創設される。
1955年(昭和30年):平田屋川(竹屋川)(現在の並木通り)が埋め立てられる。
1957年(昭和32年)7月22日:広島カープの本拠地となる広島市民球場 (初代)完成。
比治山から広島市内を望む。1955年頃。
1961年(昭和36年):広島空港(後に広島西飛行場、現・広島ヘリポート)開港。
1962年(昭和37年)
5月12日:日本国有鉄道山陽本線 三原-広島間が電化
10月1日:日本国有鉄道 山陽本線 広島駅-横川駅間電化。
1964年(昭和39年)7月25日:横川駅-小郡駅(現在の新山口駅)間が電化され、山陽本線全線電化開通。
1965年(昭和40年)8月18日:広島市歌(3代目、現行)を制定。
1966年(昭和41年):国道2号線新広島バイパスが海田町大正から仁保・国泰寺・鷹野橋・舟入を経由し西区観音まで開通。
1967年(昭和42年):山手川を拡幅し福島川を埋め立てる形で、太田川放水路完成。
1969年(昭和44年)3月1日:東広島駅(貨物駅、現在の広島貨物ターミナル駅)開業。
1970年(昭和45年):広島市営地下鉄の建設計画が浮上。
1974年(昭和49年)4月:西広島バイパス庚午北-観音本町間開通。
1975年(昭和50年)
3月10日:山陽新幹線広島駅開業。
10月:広島東洋カープがセントラル・リーグ初優勝を遂げる。
1979年(昭和54年)11月:広島東洋カープが初の日本一達成。
1980年(昭和55年)4月1日:政令指定都市に移行。
1982年(昭和57年)1月15日:市外局番が082になる。
1985年(昭和60年)3月20日:広島自動車道開通。
1989年(平成元年):'89 海と島の博覧会・ひろしま 開催。
1992年(平成4年)4月:日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ「サンフレッチェ広島」設立。
1993年(平成5年)10月29日:広島空港が本郷町(現三原市)に移転、跡地にはコミューター空港として広島西飛行場が開業。
1994年(平成6年)
6月11日:サンフレッチェ広島がJリーグ1stステージ初優勝を遂げる。
8月20日:営業距離18.4 km(地下区間1.9 km、地上16.5 km)の新交通システムである広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)が本通駅-広域公園前駅間で開業。
10月2日:アジア競技大会開催。
1996年(平成8年):原爆ドームが世界遺産(文化遺産)に登録。
1997年(平成9年)12月10日:山陽自動車道全通。
2001年(平成13年)
4月11日:広島初の地下街「紙屋町シャレオ」開業。
10月2日:広島高速4号線開通。
2006年(平成18年)10月16日:広島高速1号線開通。
比治山から広島市内を望む。2007年。
2016年G7広島外相会合
2016年バラク・オバマの広島訪問
2009年(平成21年)3月28日:広島東洋カープの新しい本拠地となるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(略称『マツダスタジアム』)完成。
2010年(平成22年)4月26日:広島高速2号線開通。広島高速3号線(広島南道路)吉島出入口まで開通。
2012年(平成24年)
11月15日:広島西飛行場としての供用廃止。ヘリポートとして存続し、広島ヘリポートとしての供用開始。
11月24日:サンフレッチェ広島が初のJリーグ年間王者に輝く。
2013年(平成25年)4月19日 - 5月12日:全国菓子大博覧会・ひろしま菓子博2013が広島市中央公園および広島市民球場跡地で開催。
2014年(平成26年)
3月23日:広島高速3号線(広島南道路)全線開通。
8月20日:19日深夜に降り続いた局地的豪雨の影響により、安佐北区、安佐南区で大規模な土石流、土砂崩れが発生(平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害)。このように旧広島市は太田川の開口部に干拓して作られた土地の上にあり、多くの地名に海や干拓にまつわる字句が入っている[47]。またデルタ開発以前の長束から可部にかけての太田川下流域には古代からの水運に因んだ地名(大字・字)が残っている。
2015年(平成27年)3月14日:JR西日本とアストラムラインの「新白島駅」がそれぞれ開業。
2016年(平成28年)
4月10日 - 4月11日:G7広島外相会合開催。
5月27日:オバマ第44代アメリカ合衆国大統領広島訪問。
9月10日:広島東洋カープが7度目のリーグ優勝を果たす。
9月23日:HIROSHIMA ORIZURU TOWERグランドオープン。
行政[編集]
市長[編集]
市長:松井一實(2011年4月10日- 2期目)[48]
歴代市長[編集]
[表示]
表 話 編 歴
Flag of Hiroshima.svg 広島市長
議会[編集]
詳細は「広島市議会」を参照
平和記念都市[編集]
原子爆弾が投下された歴史を踏まえ、広島市は自らを平和記念都市として、平和の確立と核兵器の廃棄を求める活動を活発に行っている。
爆心地周辺は、広島平和記念公園として整備され、原爆ドームは1996年ユネスコの世界遺産に登録された。
核被爆地としての意味を強調する場合、カタカナでヒロシマと表記することがある。これは長崎(ナガサキ)も同様である。
行政区画の変遷[編集]
併合地域名の後の括弧内の数字は編入時の人口と面積である。
1889年(明治22年)4月1日- 市制施行。同年12月31日現在の現住人口は8万8820人で、全国9位、中国地方1位 [3]。
1904年(明治37年)9月15日- 安芸郡仁保島村字宇品(現在の元宇品)を編入。
1929年(昭和4年)4月1日- 安芸郡仁保村・矢賀村・牛田村、佐伯郡己斐町・草津町・古田村、安佐郡三篠町を編入。
1955年(昭和30年)4月10日- 安芸郡戸坂村を編入。
1956年(昭和31年)4月1日- 安芸郡中山村を編入。
1956年(昭和31年)11月1日- 佐伯郡井口村を編入。
1971年(昭和46年)4月1日 - 安佐郡沼田町(6,285人、67.09km2)を編入。
1971年(昭和46年)5月20日 - 安佐郡安佐町(8,679人、107.93km2)を編入。
1972年(昭和47年)4月1日 - 安佐郡可部町(29,854人、91.74km2)を編入。
1972年(昭和47年)8月27日 - 安佐郡祇園町(42,505人、15.07km2)を編入。
1973年(昭和48年)3月20日 - 安佐郡高陽(12,932人、51.55km2)・佐東(16,441人、16.04km2)・安古市(25,717人、19.25km2)各町及び安芸郡瀬野川町(19,844人、58.21km2)を編入(安佐郡消滅)。
1973年(昭和48年)10月22日 - 高田郡白木町(8,988人、99.78km2)を編入。
1974年(昭和49年)11月1日 - 安芸郡安芸町(20,763人、22.66km2)及び熊野跡村(1506人、19.98km2)を編入。
1975年(昭和50年)3月20日 - 安芸郡船越(14,412人、3.25km2)・矢野(20,190人、11.91km2)両町を編入。
1980年(昭和55年)4月1日 政令指定都市に移行。安芸・安佐北・安佐南・中・西・東・南の7行政区設置。
1985年(昭和60年)3月20日 - 佐伯郡五日市町(96,411人、59.85km2)を編入。佐伯区設置。広島市の人口が100万人を超える。
1989年(平成元年)6月1日 - 廿日市市と境界変更。
2005年(平成17年)4月25日 - 佐伯郡湯来町(7,796人、162.87km2)を編入。佐伯区の一部になる。
広島市と周辺町村[編集]
広島市は1889年4月1日の市制制度制定時に市制が施行された全国31都市の1つで、それ以後は周辺の郡に所属する町村を吸収合併していった。その中で安佐郡は1971年から1973年までの3年間で全域が広島市に編入され(なお、当該地域は、1980年の政令指定都市移行で安佐北・安佐南の2区を設置)、佐伯郡も広島市・大竹市・廿日市市・江田島市となり消滅した。(このうち、廿日市市は単独市制施行前は広島市への編入協議もあった。)
安芸郡も広島市や呉市への編入が進んだが、現存する府中町、海田町、熊野町、坂町は、現在に至るまで単独町制を維持している。このうち、府中町は人口5万人を維持し続けており、単独市制移行も視野に入れている。
この背景には、これら4町は広島市のベッドタウンとして機能し人口の流出が留まっていることや、財政基盤が強く、特に府中町にはマツダの本社、海田町には同社の関連企業及び陸上自衛隊第13旅団司令部があり、法人税や基地交付金などによってこの傾向が顕著であることが挙げられる。しかし、住民の日常生活や社会基盤整備では広島市との関係が深く、広域での水道や交通網の整備が進められている。
行政区[編集]
Hiroshima wards.png安佐北区佐伯区安佐南区安芸区西区東区中区南区
広島市は以下の8区で構成される(自治体コード順)。
当初は7区だったが、1985年、合併した佐伯郡五日市町を佐伯区とし8区となった。
旧市内[編集]
おおむね1970年代以前から広島市だった区域。
中区
東区 - 1974年合併の旧安芸町域も含まれる。
南区
西区
新市内[編集]
おおむね1970年代以降合併により広島市となった区域。
安佐南区
安佐北区
安芸区
佐伯区
インフラ整備の状況[編集]
下水道普及率 : 92.8%(平成19年度末)
姉妹都市・提携都市[編集]
「国際平和都市・ヒロシマ」の歴史や知名度を背景として、第二次世界大戦で大規模な被害を受けた都市と姉妹都市・友好都市関係を締結する例が多い[独自研究?]。以下、< >内にその都市が受けた戦災の項目へのリンク、ないしその被害状況を示す。 なお、ハワイのホノルルに関しては、広島県が日本有数の日系人移民送出県だったという関係も持っている。
日本国外[編集]
姉妹都市
アメリカ合衆国の旗 ホノルル市(アメリカ合衆国ハワイ州)[49]
1959年(昭和34年)6月15日 姉妹都市提携[49] <真珠湾攻撃>
ロシアの旗 ヴォルゴグラード市(ロシア連邦ヴォルゴグラード州)[50]
1972年(昭和47年)9月28日 姉妹都市提携[50] <スターリングラード攻防戦>
ドイツの旗 ハノーファー(ハノーバー)市(ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州)[51]
1983年(昭和58年)6月27日 姉妹都市提携 [51]<連合軍による数次の空襲で6700人が死亡、市域の大半を焼失>
大韓民国の旗 大邱広域市(大韓民国)[52]
1997年(平成9年)5月2日 姉妹都市提携[52]
カナダの旗 モントリオール市(カナダケベック州)[53]
1998年(平成10年)6月4日 姉妹都市提携[53]
友好都市
中華人民共和国の旗 重慶市(中華人民共和国直轄市)[54]
1986年(昭和61年)10月23日 友好都市提携[54] <重慶爆撃>
国内[編集]
提携都市
日本の旗 長崎市(長崎県)[55]
1975年(昭和50年)8月5日 平和文化都市提携 <長崎市への原子爆弾投下>
国際機関[編集]
国際連合機関
国際連合の旗国連訓練調査研究所広島事務所
総領事館
大韓民国の旗在広島大韓民国総領事館
名誉領事館
オーストリアの旗在広島オーストリア共和国名誉領事館
カナダの旗在広島カナダ連邦名誉領事館
デンマークの旗在広島デンマーク王国名誉領事館
ドイツの旗在広島ドイツ連邦共和国名誉領事館
フランスの旗在広島フランス共和国名誉領事館
通商事務所など
タイ王国の旗タイ王国政府通商代表事務所広島
中華人民共和国の旗上海市対外経済貿易定期駐在事務所広島
マレーシアの旗駐日マレーシア連邦サバ州政府広島事務所
カナダの旗カナダ連邦政府広島通商事務所
国家機関[編集]
内閣府
公正取引委員会事務総局近畿中国四国事務所中国支所
人事院中国事務局
総務省
中国総合通信局
中国四国管区行政評価局
財務省
中国財務局
広島国税局
日本政策金融公庫広島支店
日本政策投資銀行中国支店
法務省
中国公安調査局
広島入国管理局
広島法務局
広島矯正管区
中国地方更生保護委員会
経済産業省
中国経済産業局
国土交通省
中国地方整備局
中国運輸局
気象庁広島地方気象台
国土地理院中国地方測量部
海上保安庁第六管区海上保安本部
広島地方海難審判所
農林水産省
中国四国農政局広島拠点
林野庁近畿中国森林管理局広島森林管理署
厚生労働省
広島労働局
広島中央労働基準監督署
環境省
中国四国地方環境事務所広島事務所
防衛省
中国四国防衛局
自衛隊広島地方協力本部
国土交通省と財務省
住宅金融支援機構中国支店
政府と民間団体が共同出資
商工組合中央金庫広島支店・広島西部支店
警察庁
中国管区警察局
裁判所
広島高等裁判所
広島地方裁判所
広島家庭裁判所
広島簡易裁判所
可部簡易裁判所
地域間関係[編集]
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瀬戸内海を挟んで対岸に位置する松山市とは相互往来も盛んで、松山市周辺から広島市へ買物に訪れる人々もいる[要出典]。
松山市 - 広島市(市役所同士直線距離 67.1 km)
旅客(大人1人、片道)
高速船:直通68分、呉経由77分、6900円、14往復/日
フェリー:直通145分、呉経由160分、3500円、10往復/日
高速バス:なし
自家用車(片道)
フェリー:直通145分、呉経由160分、9500円(車両3m-4m、含1人分運賃)
しまなみ海道経由:約200分、8450円(通常は高速8,100円+広島高速350円だが、土・休日はETCを利用した場合、料金が異なる。)、約200km [(参考)松山IC-岡山IC(瀬戸大橋経由):約140分、7750円、約185km]
又山口県の岩国市や周南市とは山陽道・山陽新幹線・山陽本線等を通じて相互往来は盛んである。
拠点性[編集]
Question book-4.svg
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広島市は中国地方もしくは中国・四国地方を管轄する国の出先機関や企業の支社が集中し、中四国地方の中で最も高い拠点性を有することから、有力な支店経済都市の一つとなっている。なお中国地方を1つの地方区分とする場合は、広島市がほぼ全ての拠点機能を独占しているが、大阪市が近畿・中国・四国の拠点性をまとめて有することもあり、また、北九州市が九州全域と山口県西部地区の拠点性を有する場合もあり、広島市が同等の拠点性を独占するまでには至っていない。中国・四国地方を企業の1つの営業エリアとした場合、広島市を拠点とする割合は、2007年12月末時点で、77.1%に留まっており、ほぼ100%に近い割合の北海道の札幌市、東北の仙台市、中部の名古屋市、九州の福岡市とは異なっている。
瀬戸内海沿岸部の各地に工場を持つ有力企業が瀬戸内工業地域を構成し、各地域・自治体の工業出荷額に大きく影響している。七大都市圏の中心都市の比較では、卸売および小売の年間販売額[56] において広島市は6番目となっているが、中国地方とほぼ同じ面積の南東北(域内人口や域内県民総生産合計が中国地方の3/4以下)と比べると、中国地方の中心都市・広島市の年間販売額は、南東北の中心都市・仙台市をやや上回っているが、南東北とほぼ同じ域内人口・域内GDPの北海道の中心都市・札幌市よりは卸売および小売の年間販売額が下回っている。
広島を最大志向先とする高速道路流動は、鳥取西部、島根、岡山、山口東部であり、鳥取東部は大阪を、山口西部は北九州市をそれぞれ志向する。そのため、広島を最大志向先とする地域は実際の中国地方の範囲よりも小さくなっている。また、広島市は地理的・経済的に中国地方の中心地として志向される一方で東京、大阪、名古屋や福岡を中心に志向する考えが在住者にも常識的に存在している。このように日本全体から見た広島市は必ずしもプライメイトシティとなっていないが、「日本の縮図」や「日本の平均値県・地域」という語に代表されるように、平均的な人口世代分布を持ち、経済・社会・文化・商業・工業の様々な要素をバランスよく保持した「万能型都市・地域」となっている。
経済[編集]
広島市は人口集積と同時に経済活動の集中も見られ、広島県の年間商品販売額(卸・小売)の2/3を占め、中国5県の1/3に達する。広島市の第三次産業(卸・小売業、情報サービス・情報通信業等)の従事者の数は広島県の総数の7-8割を占める[12]。
主な商業施設・商店街[編集]
本通ヒルズ
広島ZERO GATE
パセーラ
お好みやき村
京橋川屋台
エールエール
中区[編集]
紙屋町地区
広島センタービル(そごう広島店本館・アクア広島センター街)
基町クレド(そごう広島店新館・パセーラ)
サンモール
エディオン広島本店
広島本通商店街
紙屋町シャレオ(地下街)
八丁堀地区
広島三越
福屋八丁堀本店
天満屋八丁堀ビル
広島パルコ
東急ハンズ広島店
えびす通り商店街
広島金座街商店街
宝町
フジグラン広島
鷹野橋地区
鷹野橋商店街
南区[編集]
広島駅地区
ひろしま駅ビル ASSE
エールエール(福屋広島駅前店)
ひろしまMALL
宇品地区
ベイシティ宇品(エディオン・スポーツオーソリティ・フレスタ)
イオン宇品ショッピングセンター
段原地区
広島イースト
皆実町地区
ゆめタウン広島
西区[編集]
観音地区
マリーナホップ
商工センター地区
アルパーク
東区[編集]
温品地区
フォレオ広島東
佐伯区[編集]
旧五日市地区
広電ファミリータウン楽々園(マダムジョイ楽々園店、ナイスディ、ホームセンターダイキ楽々園店、ヤマダ電機テックランド佐伯店)
安佐南区[編集]
緑井地区
フジグラン緑井[57]
天満屋緑井店[58]
祇園地区
イオンモール広島祇園[59]
ゆめタウン祇園[60]
安佐北区[編集]
高陽地区
フジグラン高陽[61]
企業[編集]
広島市に本社を置く企業[編集]
製造業、卸売・建設業[編集]
コベルコ建機[62]
ジェイ・エム・エス[63]
大宝医科工業[64]
西川ゴム工業[65]
モルテン[66]
小売[編集]
イズミ[67]
エディオン(登記上本店所在地が広島市。本社は大阪市。広島市で創業したデオデオなどが前身。)
福屋
フタバ図書[68]
ポプラ[69]
マックスバリュ西日本[70]
メガネ21[71]
食品[編集]
あじかん[72]
オタフクソース[73]
センナリ[74]
タカキベーカリー[75]
アンデルセン[76]
田中食品[77]
ちから[78]
にしき堂[79]
福留ハム[80]
三島食品[81]
金融機関[編集]
中国労働金庫[82]
広島銀行[83]
広島県信用組合[84]
広島市信用組合
広島信用金庫[85]
もみじ銀行(山口フィナンシャルグループ傘下)[86]
ライフライン[編集]
中国電力[87]
広島ガス[88]
運輸[編集]
広島電鉄(路面電車や路線バスを運行)[89]
広島高速交通(新交通システムを運行)[90]
瀬戸内海汽船(瀬戸内海沿岸でフェリーを運航)[91]
広島交通(路線バスを運行)[92]
広島バス(路線バスを運行)[93]
消滅した企業[編集]
アーバンコーポレイション
キョーエイ産業
コンパイル
広島市に拠点を置く企業[編集]
増岡組(広島本店)
三菱重工プラント建設(機鉄・プラント事業部)
マツダ(宇品工場)
広島市発祥の企業[編集]
オリエントコーポレーション
カルビー
フジタ
フマキラー
ライフ
漁港[編集]
草津漁港 - カキの養殖も盛んである。
井口漁港
五日市漁港
マスメディア[編集]
新聞社[編集]
中国新聞社
太平洋戦争開戦直前まで芸備日日新聞があり、明治時代から大正時代初めまでは広島最大の部数だった。
テレビ局・ラジオ局兼営[編集]
NHK広島放送局
中国放送(RCC:中国新聞社傘下。テレビ放送はTBS系列、AM放送はJRN・NRN系列)
テレビ局[編集]
広島テレビ放送(HTV:日本テレビ系列)
広島ホームテレビ(HOME:テレビ朝日系列)
テレビ新広島(TSS:フジテレビ系列)
ラジオ局[編集]
広島エフエム放送(HFM、FM放送 JFN系列、県域放送局)
FMちゅーピー(コミュニティ放送局)
ケーブルテレビ局[編集]
ひろしまケーブルテレビ(HICAT:中国電力傘下。東区・南区・安佐南区・府中町)
ふれあいチャンネル(中国新聞社傘下。中区・西区・安芸区・佐伯区・安佐北区・廿日市市・海田町)
教育[編集]
小学校・中学校[編集]
下記のそれぞれの記事を参照のこと。
中区 (広島市)#教育
東区 (広島市)#教育
南区 (広島市)#教育
西区 (広島市)#教育
安芸区#教育
佐伯区#教育
安佐南区#教育
安佐北区#教育
高等学校[編集]
国立[編集]
広島大学附属高等学校
県立[編集]
広島県立安芸高等学校
広島県立安芸南高等学校
広島県立五日市高等学校
広島県立可部高等学校
広島県立祇園北高等学校
広島県立高陽高等学校
広島県立高陽東高等学校
広島県立西高等学校
広島県立広島井口高等学校
広島県立広島観音高等学校
広島県立広島工業高等学校
広島県立広島国泰寺高等学校
広島県立広島商業高等学校
広島県立広島皆実高等学校
広島県立安古市高等学校
広島県立安西高等学校
広島県立湯来南高等学校
市立[編集]
広島市立安佐北中学校・高等学校
広島市立大手町商業高等学校
広島市立沼田高等学校
広島市立広島工業高等学校
広島市立広島商業高等学校
広島市立舟入高等学校
広島市立美鈴が丘高等学校
広島市立基町高等学校
私立[編集]
大下学園祇園高等学校→AICJ中学校・高等学校
広陵高等学校
山陽高等学校
修道高等学校
進徳女子高等学校
崇徳学園
デネブ高等学校(閉校)
並木学院高等学校
ノートルダム清心中学校・高等学校
比治山女子中学校・高等学校
広島学院高等学校
広島県瀬戸内高等学校
広島工業大学高等学校
広島桜が丘高等学校
広島城北高等学校
広島女学院中学校・高等学校
広島なぎさ中学校・高等学校
広島文教女子大学付属高等学校
安田学園安田女子高等学校
大学・短期大学[編集]
大学[編集]
国立[編集]
広島大学(霞キャンパス・東千田キャンパス夜間主コース)
県立[編集]
県立広島大学
市立[編集]
広島市立大学
私立[編集]
エリザベト音楽大学
比治山大学
広島経済大学
広島工業大学
広島国際学院大学
広島修道大学
広島女学院大学
広島都市学園大学
広島文教女子大学
安田女子大学
短期大学[編集]
私立[編集]
鈴峯女子短期大学
比治山大学短期大学部
広島国際学院大学自動車短期大学部
広島文化短期大学
安田女子短期大学
特別支援学校[編集]
県立[編集]
広島県立広島北特別支援学校
広島県立広島中央特別支援学校
広島県立広島特別支援学校
広島県立広島西特別支援学校
広島県立広島南特別支援学校
市立[編集]
広島市立広島特別支援学校
学校教育以外の施設[編集]
研修機関[編集]
中小企業大学校広島校(独立行政法人中小企業基盤整備機構)
職業能力開発短期大学校[編集]
広島県立技術短期大学校
職業能力開発促進センター[編集]
広島職業能力開発促進センター
指定自動車教習所[編集]
可部自動車学校[94]
高陽自動車学校[95]
中国自動車学校[96]
沼田自動車学校[97]
広島中央自動車学校[98]
広島モータースクール[99]
ロイヤルドライビングスクール広島校[100]
早稲田自動車学園[101]
広島労働局長登録教習機関[編集]
広島クレーン学校広島校
登録小型船舶教習所[編集]
中国船舶職員養成協会
施設[編集]
博物館[編集]
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
広島市郷土資料館
広島市健康づくりセンター健康科学館
広島市交通科学館
広島市こども文化科学館
広島市江波山気象館
広島城
広島平和記念資料館
美術館[編集]
広島県立美術館
広島県立美術館
広島市現代美術館
ひろしま美術館
研究機関[編集]
放射線影響研究所
放射線影響研究所
広島大学原爆放射線医科学研究所
図書館[編集]
広島市立中央図書館
広島市立中区図書館
広島市立東区図書館
広島市立南区図書館
広島市立西区図書館
広島市立安佐南区図書館
広島市立安佐北区図書館
広島市立安芸区図書館
広島市立佐伯区図書館
広島市立佐伯区図書館 湯来河野閲覧室
広島市立まんが図書館
広島市立まんが図書館あさ閲覧室
広島市映像文化ライブラリー
広島市こども図書館
広島県立図書館
広島市は、高知市や新潟市などと列んで、漫画家の多い都市となっている[独自研究?]。広島市出身の漫画家については、出身有名人の項目へ。
公園・庭園[編集]
絵下山公園
江波皿山公園
江波山公園
黄金山緑地
縮景園
千田公園
千田廟公園
東千田公園
広島県立広島緑化植物公園
広島広域公園
広島市安佐動物公園
広島市植物公園
広島市森林公園
広島市中央公園
広島城址公園
広島平和記念公園
広島みなと公園
比治山公園
元宇品公園
展示施設[編集]
広島市中小企業会館
広島県立広島産業会館
多目的ホール(1000人以上)[編集]
広島サンプラザ(固定席3000席)
広島市文化交流会館(旧称「広島厚生年金会館」)大ホール(2001席)
広島県立文化芸術ホール(ALSOKホール・旧称「広島郵便貯金ホール」)(1730席)
広島国際会議場フェニックスホール(1504席)
アステールプラザ大ホール(1204席)
スポーツ施設[編集]
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(広島市民球場)
広島広域公園
広島ビッグアーチ
第一球技場
第二球技場
テニスコート
コカ・コーラウエスト広島総合グランド
コカ・コーラウエスト広島スタジアム
コカ・コーラウエストラグビー場
コカ・コーラウエスト野球場
補助競技場
運動場
総合屋内プール(広島ビッグウェーブ)
広島県立総合体育館
広島グリーンアリーナ
小アリーナ
武道場
弓道場
屋内プール
トレーニングルーム
中央公園ファミリープール
中央庭球場・中央バレーボール場
広島観音マリーナ
広島競輪場
広島サンプラザ
可部運動公園(野球場・テニスコート・卓球場・多目的スポーツ広場)
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島
医療機関[編集]
高度救命救急センターを併設する病院
広島大学病院
広島県災害拠点病院
県立広島病院
広島市立広島市民病院
広島赤十字・原爆病院
広島県災害拠点病院かつ夜間・休日診療に対応する病院
広島市立安佐市民病院
夜間・休日診療に対応する病院
安佐医師会可部夜間急病センター
広島市医師会運営・安芸市民病院
広島市医師会千田町夜間急病センター
広島市立舟入市民病院
広島大学病院
県立広島病院
広島市立広島市民病院
広島赤十字・原爆病院
広島市立安佐市民病院
安佐医師会可部夜間急病センター
広島市医師会運営・安芸市民病院
広島市医師会千田町夜間急病センター
広島市立舟入市民病院
交通[編集]
広島電鉄 広島市はLRTの整備を進めている。
広島市内のJR在来線路線図
広島電鉄系統図
鯉城通り
鉄道・軌道[編集]
JR西日本
山陽新幹線・山陽本線・呉線・芸備線・可部線
広島電鉄
市内線(本線・宇品線・江波線・白島線・皆実線・横川線)・宮島線
広島高速交通(通称:アストラムライン。新交通システム)
広島高速交通広島新交通1号線
スカイレールサービス(モノレールの一種)
広島短距離交通瀬野線
広島市の都市内交通の中核は路面電車が担っている。このため広島は「路面電車(LRT)の街」として有名であり、広島電鉄の運行する路面電車の路線長や車両保有数・乗降客数は日本一の規模を誇る。世界的に路面電車に注目が集まるなか、「路面電車からLRTへ」と、人と環境に優しい交通機関へと変化しつつある。また、原爆で被害を受けた車輌(被爆電車)を営業運行したり、平和学習の貸切にも用いている[102]。さらに、他都市の車両を塗り替えず、そのまま使用したり、旧型車の運行を行うなど観光客誘致にも力を入れている。 なお広島電鉄の名が示すとおり鉄道線も保有している。宮島線がこれにあたり、市内線と同様の車両が使用されるものの運賃体系の違いや専用軌道であるなど若干趣きが異なる。
この他、市街地と北部のニュータウンを結ぶ路線としてアストラムラインが存在する。このうち、本通駅 - 県庁前駅間は地下線で、鉄道事業法に基づく免許と地下鉄の建設補助を受けて建設されている。そのため国土交通省の統計資料でも地下鉄に分類されており、中国・四国地方では唯一の地下鉄となっている。なお地下線そのものは県庁前駅からさらに城北駅手前付近まで続くが、この区間は新交通システムの建設補助と軌道法の適用を受けており、通常地下鉄には分類されない。
現在は、路面電車の一部高架化や路線変更、アストラムラインの広域公園前駅から西広島駅までの延伸が計画されている。
主なターミナル駅[編集]
広島駅 - JR山陽本線・芸備線・呉線・可部線・山陽新幹線・広島電鉄本線・広島電鉄宇品線・広島電鉄皆実線
広島電鉄紙屋町東停留場・紙屋町西停留場・本通停留場、広島高速交通広島新交通1号線県庁前駅・本通駅
横川駅 - JR山陽本線・可部線・広島電鉄横川線
西広島駅・広電西広島駅 - JR山陽本線・広島電鉄宮島線・広島電鉄本線
新白島駅 - 広島高速交通広島新交通1号線・JR山陽本線
大町駅 - 広島高速交通広島新交通1号線・JR可部線
五日市駅・広電五日市駅 - JR山陽本線・広島電鉄宮島線
バス[編集]
広島市中心部(市街地)は、路面電車とともに路線バスが多く運行している。概ね中区・東区・西区・南区は広電バス(緑色の車体)と広島バス(赤色の車体)の2社が運行している。また西区の一部ではエイチ・ディー西広島が運行している。郊外路線では、安佐南区は広電バス、広島交通と中国JRバスの3社、安佐北区は広島交通と広島バス、中国JRバス、備北交通の4社、安芸区では広電バスと芸陽バス、佐伯区では広電バスが運行し広島バスセンターなどに乗り入れている。
乗車方法は後乗り前降り後払いで、運賃は整理券による区間制である。2008年1月26日から非接触型ICカード方式による乗車カード「PASPY」の導入が始まった。また、2008年3月よりJR西日本のICOCAでもPASPY利用可能なバス路線を利用できるようになっている。利用可能路線は「PASPY」を参照。PASPYは、バスの他にも、広島電鉄の電車、宮島松大汽船、宮島ロープウェー、JR西日本宮島フェリー、瀬戸内海汽船などでも利用できる。
運行会社[編集]
広島電鉄
広島バス
広島交通
エイチ・ディー西広島
芸陽バス
備北交通
中国ジェイアールバス
第一タクシー - 第一タクシーは、広島電鉄から移管した路線(安佐南区)を受け持っている。
エンゼルキャブ - 広島交通から移管した路線(安佐南区)を受け持っている。
中心となるバスのりば[編集]
広島バスセンター
紙屋町・八丁堀のバス乗り場
広島駅のバスのりば
高速バス[編集]
広島バスセンターおよび広島駅前を拠点に、中国・四国地方の各地ならびに関西、九州北部と広島とを結ぶ昼行高速バス、関東・中京・関西の各地と広島とを結ぶ夜行高速バスが運行されている。路線の一覧は広島バスセンター#高速バスならびに広島駅のバスのりば#高速バスを参照のこと。
道路[編集]
広島市の主要道路は、従来からの中心市街部を網羅する国道2号などの一般道路と、市の北部から西部にかけて通る都市間高速道路、それに中心市街地と郊外にできた高速道路インターチェンジとを結ぶ都市高速道路である広島高速道路などによって成り立っている。
一般道路は太田川の三角州地帯に発展した従来の中心市街地を通り、中国地方の中心都市である広島市と他地域の都市を結ぶ。また、中心市街地はおおむね平坦な地形であり、国道や県道などの主要道路を軸とした市道などが整備され、一般道路の整備状況は概ね良好である。第二次世界大戦中に空襲対策で行われた防火帯整備、それに原爆投下がもたらした旧市街の壊滅と焦土化により、戦災復興事業として広幅員の道路が整備された。これは広島電鉄による路面電車網の存続と高頻度・定時運転の継続(軌道敷への自動車進入禁止の維持)にも寄与している。特に爆心地付近を通る平和大通りは名古屋市の若宮大通・久屋大通と並ぶ「100m道路」として整備された。その一方、軟弱な地盤などを理由にして高架橋の整備などを伴う都市高速道路の建設は遅れ、各国道などでの自動車交通は都市間(中長距離)輸送と都市内(短距離)交通が未分離の状態にある。また広域合併により広島市に編入された湯来温泉(旧湯来町)などの山間地域では地形の制約を大きく受け、川の谷筋に沿って一般道路が整備されている。その幅員は中心市街地と比較すると狭く、国道であっても国道433号七曲峠の大型車通行不可区間、国道488号の冬季閉鎖区間なども存在する。ただし、安佐南区の西風新都地区をはじめ、佐伯区内や安芸区内などでは山を崩しながら傾斜地に建設されたニュータウンが点在し、その内部では住民の自動車利用を前提とした地区内道路の整備が行われている。
1980年代後半に中国自動車道との連絡道路である広島自動車道、継いで山陽自動車道の同市内区間が完成すると、山陽自動車道の各インターチェンジと広島の中心市街地とを結ぶ連絡道路が整備された。広島東インターチェンジに直結する広島高速1号線(安芸府中道路)、広島インターチェンジと結ばれてアストラムラインと一体で整備された国道54号、五日市インターチェンジにほど近い西風新都地区から西風トンネルで都心部につながる広島高速4号線(広島西風新都線)などの広島高速道路や一般道路などがこれに該当し、広島市は1975年開業の山陽新幹線に続いて自動車交通でも高速化時代に入った。しかし、広島高速道路は従来の中心市街地を貫通するものではない。特に広島空港との連絡機能も担っている1号線については5号線(東部線)建設などでの利便性向上が求められている。また、南部の臨海部では広島高速3号線(広島南道路)が建設され、広島呉道路と接続している。広島高速2号線(府中仁保道路)を介した広島高速1号線とも接続されているが、廿日市市方面への整備による市域の東西横断はまだ計画段階である。
高速道路[編集]
中国自動車道
山陽自動車道
広島自動車道
広島高速道路
広島高速1号線(安芸府中道路)・2号線(府中仁保道路)・3号線(広島南道路)・4号線(広島西風新都線)・5号線(東部線)
一般有料道路[編集]
広島呉道路
海田大橋
広島熊野道路
国道[編集]
国道2号(西広島バイパス・新広島バイパス・東広島バイパス・広島南道路)
国道31号
国道54号(祇園新道・佐東バイパス・可部バイパス) - 起点
国道183号 - 起点
国道191号 - 終点
国道261号 - 起点
国道433号
国道487号 - 終点
国道488号
県道[編集]
島根県道・広島県道5号浜田八重可部線 - 終点
広島県道33号瀬野川福富本郷線 - 起点
広島県道34号矢野安浦線 - 起点
広島県道37号広島三次線 - 起点
広島県道38号広島豊平線 - 起点
広島県道40号安佐豊平芸北線 - 起点
広島県道41号五日市筒賀線 - 起点
広島県道42号大竹湯来線 - 終点
広島県道46号東広島白木線 - 終点
広島県道68号大林井原線 - 起点・終点(安芸高田市経由)
広島県道70号広島中島線 - 起点・終点(安芸郡府中町経由)
広島県道71号広島湯来線 - 市内完結
広島県道77号久地伏谷線 - 市内完結
広島県道84号東海田広島線 - 終点
広島県道85号下瀬野海田線 - 起点
広島県道86号翠町仁保線 - 市内完結
広島県道151号府中海田線
広島県道152号府中祇園線 - 終点
広島県道164号広島海田線 - 起点
広島県道174号瀬野呉線 - 起点
広島県道176号小河原志和線 - 起点
広島県道177号下佐東線- 起点・終点(山県郡安芸太田町経由)
広島県道187号浜田仁保線 - 終点
広島県道196号安芸中野停車場線 - 市内完結(駅前連絡)
広島県道199号五日市停車場線 - 市内完結(駅前連絡)
広島県道226号井原市停車場線 - 市内完結(駅前連絡)
広島県道240号可部停車場線 - 市内完結(駅前連絡)
広島県道243号広島港線 - 市内完結
広島県道253号南原峡線 - 市内完結
広島県道262号南観音観音線 - 市内完結
広島県道264号中山尾長線 - 市内完結
広島県道265号伴広島線 - 市内完結
広島県道267号宇津可部線 - 市内完結
広島県道268号勝木安古市線 - 市内完結
広島県道269号今井田緑井線 - 市内完結
広島県道270号八木緑井線 - 市内完結
広島県道271号八木広島線 - 市内完結
広島県道274号瀬野船越線- 起点・終点(安芸郡海田町経由)
広島県道276号矢野海田線 - 起点
広島県道277号古市広島線 - 市内完結
広島県道290号原田五日市線 - 市内完結
広島県道291号長野葛原線 - 終点
広島県道292号川角佐伯線 - 起点
広島県道293号本多田佐伯線 - 起点
広島県道328号志和口向原線 - 起点
広島県道459号矢口安古市線 - 市内完結
広島県道472号広島東インター線 - 市内完結
広島県道473号府中仁保線 - 市内完結
広島県道474号温品二葉の里線 - 市内完結
主な市道[編集]
広島市道天満矢賀線(相生通り)
広島市道霞庚午線
広島市道御幸橋三篠線(白島通り・中央通り・御幸橋西詰通り)
広島市道駅前吉島線(駅前通り)
広島市道比治山庚午線(平和大通り)
広島市道駅前観音線 (城北通り・中広通り)
平和大通り
広島市内の通り、Category:広島市道も参照。
港[編集]
広島港:松山方面の連絡口ともなる。船舶乗降人員数は全国4位。内国航路に限ると3位。(2007年度国土交通省港湾統計年報による)
航路[編集]
瀬戸内海汽船・石崎汽船
広島 - 呉 - 松山観光港
瀬戸内シーライン
広島 - 江田島(切串港) - 江田島(小用港)
広島 - 江田島(切串港) フェリー
広島 - グランドプリンスホテル広島前 - 宮島3号桟橋(厳島港)
上村汽船
広島 - 江田島(切串港)
江田島汽船
広島 - 能美(三高港)
江田島市企業局
広島 - 能美(高田港) - 能美(中町港)
似島汽船
広島 - 似島(学園) - 似島(家下)
金輪島会
広島(市営) - グランドプリンスホテル広島前 - 金輪島
バンカー・サプライ
広島(市営) - 似島(学園) 高速船
アクアネットサービス
マリーナホップ - 宮島(厳島港) 高速船
アクアネット広島
元安桟橋 - 宮島(厳島港) 高速船
空港[編集]
広島ヘリポート:旧広島西飛行場、1993年10月28日までは広島空港。2010年10月31日に定期便が全廃された。2012年11月15日からヘリポート機能のみが運用されている。
広島空港:三原市に所在する。東京便やソウル便などが就航する、中国地方最大の空港。エアポートリムジンが広島市や周辺自治体へ運行されている。
スポーツ・芸術・娯楽[編集]
プロスポーツチーム[編集]
広島東洋カープ(野球、セントラル・リーグ)
サンフレッチェ広島(サッカー、Jリーグ)
アンジュヴィオレ広島(サッカー、なでしこリーグ)
JTサンダーズ(バレーボール、Vリーグ男子)
広島メイプルレッズ(ハンドボール、日本ハンドボールリーグ女子)
広島ドラゴンフライズ(バスケットボール、Bリーグ)
ダブプロレス(プロレス)
広島三栄ボクシングジム(プロボクシング)
広島拳闘会(プロボクシング)
アズボクシングジム(プロボクシング)
広島竹原ボクシングジム(プロボクシング):会長は竹原慎二の父。
スポーツイベント[編集]
天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会
織田幹雄記念国際陸上競技大会
ピースカップ
過去のイベント[編集]
第6回国民体育大会
AFCアジアカップ1992
1994年アジア競技大会
第51回国民体育大会
実現しなかったイベント[編集]
広島・長崎オリンピック構想
ヒロシマ・オリンピック構想
競輪・競馬[編集]
広島競輪場
ウインズ広島
音楽楽団[編集]
広島交響楽団
広島ウインドオーケストラ
観光[編集]
原爆ドーム
国宝 不動院金堂
世界平和記念聖堂
史跡・歴史的建造物[編集]
広島市の文化財(1) 有形文化財:建造物・広島市の文化財(10) 記念物:史跡・広島市の文化財(11) 記念物:名勝・広島市の文化財(12) 記念物:天然記念物・広島市の文化財(13) 登録文化財 より。県指定・市指定は各区の記事を参照。
世界遺産
原爆ドーム(被爆建造物・国指定の史跡でもある)
国宝
不動院(「金堂」が指定、被爆建造物でもある)
重要文化財(国指定)
国前寺(「本堂」「庫裏」が指定、被爆建造物でもある)
世界平和記念聖堂
広島平和記念資料館(「本館」が指定)
不動院(「鐘楼」「楼門」「木造薬師如来坐像」「梵鐘」が指定、被爆建造物でもある)
三瀧寺(三滝観音)(「木造阿弥陀如来坐像」が指定)
国指定の史跡
広島城
頼山陽史跡資料館(頼山陽居室)
原爆ドーム
中小田古墳群
登録文化財(国指定)
広島大学附属中学校・高等学校講堂
国指定の名勝
広島平和記念公園
縮景園
特別天然記念物
オオサンショウウオ
祭事[編集]
とうかさん(6月第一金曜日 - 日曜日、圓隆寺・中央通り)
住吉祭(7月26日、住吉神社)
胡子講:胡子大祭(11月17日 - 20日、胡子神社)
ひろしまフラワーフェスティバル(平和記念公園、平和大通りほか)
広島国際アニメーションフェスティバル(アステールプラザほか)
南の風EBAあそび(江波山公園)
ひろしまドリミネーション(平和大通り、中心部商店街等)
砂持加勢祭り - 文久2年に行なわれた山車と仮装の祭りを2008年より復活させたもの。砂持は川浚えの砂を運ぶ人のこと。
名産品[編集]
カキ
お好み焼き
もみじ饅頭
広島菜
温泉[編集]
湯来温泉
湯の山温泉
広島市を舞台とした作品[編集]
「広島原爆をテーマとした作品」も参照
テレビドラマ[編集]
西部警察 PART-II(テレビ朝日系列) 第18話「広島市街パニック!!」・第19話「燃えろ!! 南十字星」(日本全国縦断ロケ第二弾、1982年放送)
毛利元就(NHK大河ドラマ、1997年放送)
夏の王様(NHKドラマDモード、2001年放送)
広島 昭和20年8月6日(TBS「涙そうそうプロジェクト」、2005年放送)
はだしのゲン(2007年放送)
漫画[編集]
はだしのゲン
夕凪の街 桜の国
カバチタレ!
極悪がんぼ
BAD BOYS
鉄道むすめ〜TerminalMemory〜
僕は恥っこが好き
映画[編集]
原爆の子(1952)
ひろしま(1953)
ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)(1959)
千羽鶴(1958)
その夜は忘れない(1962)
母(1963)
愛と死の記録(1966)
仁義なき戦い/広島死闘篇(1973)
廣島廿八(1974)
白い町ヒロシマ(1985)
黒い雨(1989)
夏少女(1995)
鏡の女たち(2002)
父と暮せば(2004)
カスタムメイド10.30(2005)
横川サスペンス(2005)
二重被爆(2006)
恋する彼女、西へ。(2007)
夕凪の街 桜の国(2007)
サルベージ・マイス(2011)
アニメ[編集]
ピカドン(1979)
はだしのゲン(1983)
にんげんをかえせ(1984)
はだしのゲン2(1986)
クロのいた夏(1986)
かっ飛ばせ!ドリーマーズ〜カープ誕生物語(1993)
ふたつの黒い雨(2005)
この世界の片隅に(2016)
音楽[編集]
みなと (広島港)
松山行きフェリー(村下孝蔵)(広島港)
広島之恋
HIROSHIMA (ベン・フォールズ) (広島市中区)
広島市出身・ゆかりの有名人[編集]
広島市出身の人物一覧を参照。
発行物[編集]
広島平和記念都市建設記念切手
1949年8月6日に広島平和記念都市建設記念の額面8円の切手が発行された。
2003年3月20日に世界遺産シリーズ切手として原爆ドームおよび平和切手コンクール入賞作の80円切手10種が発行された。
2005年4月22日にふるさと切手で「平和記念公園50周年」の50円切手2種が発行された。
市外局番[編集]
広島市の市外局番は以下の通りとなっている。
佐伯区のうち湯来町下の一部:0826(加計MA。市内局番は20 - 39)、安芸太田町・北広島町(旧芸北町)と同一MA。
佐伯区のうち杉並台・湯来町(下の一部を除く):0829(廿日市MA。市内局番は20、30 - 40、44 - 59、70 - 89)、廿日市市と同一MA。
上記以外の区域:082(広島MA。市内局番は200 - 299、500 - 599、800 - 909、921 - 929、941 - 943、960 - 969、990 - 999)、府中町・海田町・熊野町・坂町と同一MA。
同一市外局番であっても、下記の区域の相互通話はそれぞれMAが異なるため、市外局番が必要である。
082:広島MAと東広島MA(東広島市(黒瀬・黒瀬町・安芸津町を除く)。市内局番は400 - 409、420 - 439、490 - 499)
0826:加計MAと千代田MA(北広島町(旧芸北町を除く)。市内局番は60 - 89)と安芸吉田MA(安芸高田市。市内局番は40 - 59)
脚注[編集]
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^ 平和市長会議公式サイト 加盟都市分布図/加盟都市数、2011年(平成23年)4月1日現在。
^ この外にも、出征拠点であった宇品港(現広島港)や三菱重工業などの軍需工場が集積し、大日本帝国陸軍第5師団(第二次世界大戦末期には第2総軍も)の本拠地になった。近隣の呉市には、大日本帝国海軍の呉鎮守府・呉軍港・海軍工廠が置かれ、ここでは世界最大の戦艦でもある大和が造られた。広島湾には江田島に海軍兵学校(現在は主要施設が海上自衛隊幹部候補生学校と海上自衛隊第1術科学校に継承使用されている)があり、戦前における軍事拠点としての重要性は日本有数だったといってよい。
^ 日本銀行広島支店 「県内経済の特徴」
^ kotobank - 日立ソリューションズ・世界大百科事典 「広島平野」
^ 「Google Maps 標高」 注意、Googleのサイトでは無い。
^ 広島県庁 「大峯山県自然環境保全地域」
^ [1]
^ e-Statの2000年2005年2010年の平均
^ 社会生活統計指標, 総務省統計局 e-Stat
^ “広島 1981-2010年”. 気象庁. 2012年1月6日閲覧。
^ “広島 観測史上1〜10位の値”. 気象庁. 2012年2月6日閲覧。
^ a b c 河川維持管理計画 - 太田川水系, 国土交通省・中国地方整備局・太田川河川事務所, 2013年3月.
^ 土砂災害危険箇所一覧表, 広島県庁砂防課
^ 危険箇所図, 広島県庁・土砂災害ポータルひろしま
^ 表層地盤, 地震ハザードステーション J・SHIS
^ 確率論的地震動予測地図, 地震ハザードステーション J・SHIS
^ 太田川水系河川整備基本方針(案)(PDF), 国土交通省中国地方整備局太田川河川事務所
^ 2001年3月24日芸予地震被害調査報告、社団法人土木学会芸予地震被害調査団
^ 山口麻太郎「続壱岐島方言集」春陽堂、1927
^ 愛媛の伝承文化〜単なる備忘録〜「ヒロシマへ行くこと」採録
^ 広島市 「2. 人口・世帯」
^ 広島県・広島の統計 「市区町別推計人口の推移(外国人)」
^ 広島市役所 「平成22年国勢調査結果の概要(速報)」
^ a b 増減率は10年毎。
^ 広島市役所 「人口移動」
^ 「人口世帯」
^ 広島市役所 「平成22年国勢調査結果の概要(速報)」
^ 広島都市圏の機能分担と連携をどう図るべきか(PDF), 国土交通省・中国地方整備局
^ 広島県庁 広島市の統計 ,「統計でみる市区町村のすがた2012」,総務省統計局
^ 広島県の人口移動, 広島県統計
^ 広島市の都市づくりの方向(PDF), 広島市
^ a b c d 国勢調査 - 広島県ホームページ
^ 広島市の合併への取組
^ 広島市・亀山公民館 「亀山の歴史」
^ a b 広島文教女子大・角重 始 「源平争乱記の可部周辺」
^ 太田川河川事務所 太田川水運の成立
^ a b 広島城の歴史 「築城前の広島」
^ 山肌を切り崩し水路に流して砂鉄を選別していた。
^ 戦国日本の津々浦々 「安芸武田氏」
^ 広島城の歴史 「浅野氏の治世」
^ 国土交通省 「太田川の歴史」
^ 国土交通省・中国地方整備局・広島国道事務所 「海へ広がる広島デルタ」 時代別の干拓状況の地図がある。
^ “太田川水系河川整備計画” (PDF) (プレスリリース), 国土交通省・中国地方整備局・太田川河川事務所, (2011年) 2013年5月13日閲覧。
^ a b 広島市亀山公民館 「亀山発電所」
^ 日本に市町村章 p182
^ 1930年代の大日本帝国陸軍の陸地測量部他の各種刊行物と1945年の米軍による航空写真をもとに米国陸軍が作成した地図である。
^ 広島市 「海に関係した地名を探してみよう」 その他多くの地名についての記述がある。
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^ “広島県広島市の自動車学校 沼田自動車学校”. 沼田自動車学校. 2017年2月3日閲覧。
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^ “ロイヤルドライビングスクール広島校”. 株式会社ロイヤルコーポレーション. 2017年2月3日閲覧。
^ “早稲田自動車学園”. 早稲田自動車学園. 2017年2月3日閲覧。
^ 広電電車 電車のご利用方法 - 団体・貸切 - 広島電鉄
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