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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
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一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
将棋に「ハサミ将棋」や「山崩し」があるように、囲碁にも「ポン抜きゲーム」/「石取りゲーム」があります。基本となる「アタリ」の習得に有用です。
ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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当サイトに、お越しいただいて有難うございます。
一局の碁をお楽しみください。
当サイトで、御覧頂いているブラウザを使用して囲碁対局ができます。HTML5を使用するので、ソフトのインストールは不要です。
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囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
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実体験に基づいた、オススメ記事もネット上にあります。
「ネット碁を打ちたいけどどこで打ったらいいのかわからない」という方は、参考にしてください。
オススメするネット囲碁対局場3選
ここによると、
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これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
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KGSの口コミ
KGS
パンダネット
当サイトも、及ばずながら、がんばります。
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
鞆鉄道線
鞆鉄道線
概要
現況 廃止
起終点 起点:福山駅
終点:鞆駅
駅数 12駅
運営
開業 1913年11月17日
廃止 1954年3月1日
所有者 鞆鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 12.5 km (7.8 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線[1](廃止当時)
凡例
exSTR
国鉄:福塩線 1935-
STR
国鉄:福塩南線 -1935
STR
ABZql
国鉄:山陽本線
exSTRrg
0.0 福山
exBHF
0.2 三ノ丸
exBHF
0.8
0.0
野上
exABZlf exSTRlg
exBHF exBHF
1.3
草戸稲荷 (I) -1928
exSTR2 exSTR3
1.8 草戸稲荷 (II) 1928-
exSTR+1
旧線 -1928
exWBRÜCKE exWBRÜCKE
芦田川
exBHF exSTR
2.7 半坂
exABZrg exSTRrf
exBHF
3.4
2.6
妙見[1]
exBHF
4.7 水呑薬師
exBHF
5.5 水呑
exBHF
6.7 葛城
exBHF
9.0 田尻村
exBHF
10.2 金崎
exKBHFe
12.5 鞆
鞆鉄道線(ともてつどうせん)は、鞆鉄道が福山駅 - 鞆駅間で1913年(大正2年)から1954年(昭和29年)まで運行していた鉄道路線。
元々軽便鉄道として開通したため、軌間762mmのナローゲージを用いていた。また、同線で使用されていた蒸気機関車の煙突がラッキョウの形に似ていたため、「ラッキョ汽車」とも呼ばれていた。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行状況
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 輸送・収支実績
7 車両
7.1 車両数の変遷
8 脚注
9 参考文献
10 関連書籍
11 関連項目
路線データ[編集]
1954年2月時点
路線距離:福山 - 鞆12.5km
駅数:12駅(起終点駅含む)
軌間:762mm
複線区間:なし(全区間単線)
電化区間:なし(全線非電化)
動力:蒸気・内燃(ガソリン)
運行状況[編集]
1925年3月11日改正時
運行本数:全区間8往復
所要時間:全区間48分
1950年5月12日改正時
運行本数:全区間13往復
所要時間:全区間39-41分
歴史[編集]
1945年戦災概況図。戦中における市内路線状況。
1909年(明治42年)10月に福山町より鞆町への交通機関として鞆町、福山町の有志と福山出身の代議士井上角五郎、大日本軌道の雨宮亘の発起により軌道条例による鞆軌道の出願がされた[2]。1910年(明治43年)には軽便鉄道法が公布されることになったので計画を改め[3]鞆軽便鉄道として免許状が下付された。11月に鞆軽便鉄道株式会社[4]が設立され林半助[5]が社長に就任した。林と役員となった太田操、酒井作治郎は鞆銀行役員[6]であり桑田貞治郎は桑田銀行関係者[7]でありいずれも鞆町の代表的な資産家であった[8]。
1910年(明治43年)
9月5日 鞆軽便鉄道発起人井上角五郎他に対し鉄道免許状下付(鞆 - 福山間)[9]。
11月18日 鞆軽便鉄道株式会社設立[10]
1913年(大正2年)11月17日 野上 - 鞆間が開業[11]。軽便鉄道法に基づく軽便鉄道線であった。
1914年(大正3年)4月12日 福山町 - 野上間が開業[12]。
1919年(大正8年)
1月1日 福山町を鞆鉄福山に改称[13]。
7月 台風により草戸稲荷-野上間が壊滅的な被害を受ける。芦田川橋梁の橋脚流出[14]。
1925年(大正14年)7月 置き石により機関車が転覆。機関士が死亡[15]。
1926年(大正15年)12月19日 軽便鉄道線を地方鉄道法に基づく鉄道路線へ変更し、社名を鞆鉄道とする。
1928年(昭和3年)12月23日妙見-野上間線路新設付け替え(芦田川改修工事に伴い在来線路が新川敷となるため)[16]
1931年(昭和6年)9月10日 福山 - 三ノ丸間が開業。鞆鉄福山を三ノ丸に改称[17]。
1954年(昭和29年)3月1日 全線廃止。並行するバスが多く走っていたため、それに代替。
駅一覧[編集]
1954年2月廃止時点のもの
福山 - 三ノ丸 - 野上 - 草戸稲荷 - 半坂 - 妙見 - 水呑薬師 - 水呑 - 葛城 - 田尻村 - 金崎 - 鞆
接続路線[編集]
福山駅:国鉄山陽本線・福塩線
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1913 12,211 53 1,631 2,317 ▲ 686 1,913
1914 191,195 3,484 24,968 24,300 668 改算繰入9,470 償却金2,192 16,139 9,470
1915 150,510 4,297 20,918 19,809 1,109 雑損40 18,673 17,570
1916 157,601 5,491 22,744 18,967 3,777 15,977 16,278
1917 228,807 7,714 30,057 29,536 521 14,300 10,795
1918 265,197 7,954 43,926 28,590 15,336 寄付金460 貯蔵物売却差損金
及側線撤去493 13,374 10,160
1919 287,617 8,184 37,748 35,271 2,477 郵便過怠金1 12,194 15,224
1920 285,198 6,821 56,753 49,403 7,350 雑損金914 15,593 7,812
1921 309,900 10,054 78,555 47,042 31,513
1922 311,502 10,818 88,620 51,232 37,388
1923 277,545 8,845 81,383 63,022 18,361 雑損49 6,665 8,573
1924 284,332 8,095 83,241 47,709 35,532 1,349
1925 255,347 7,435 77,003 39,548 37,455
1926 271,400 8,092 78,795 38,631 40,164 雑損1,240
1927 294,791 8,372 82,289 41,599 40,690
1928 310,218 12,045 76,417 47,629 28,788 692 180
1929 319,635 10,827 80,304 46,898 33,406 自動車3,365 708
1930 306,017 8,062 73,814 47,989 25,825 内務省補助金90,847 雑損償却金90,847
自動車1,765 833
1931 255,516 6,944 58,341 34,354 23,987 自動車222 2,602
1932 182,898 5,139 41,339 27,273 14,066 自動車1,141 6,133
1933 210,012 6,524 49,667 30,388 19,279 自動車1,460 7,422
1934 292,796 6,746 52,136 30,986 21,150 自動車5,006 6,882
1935 468,134 6,349 66,423 41,752 24,671 雑損1,962
自動車11,282 6,227
1936 453,238 7,969 74,862 50,779 24,083 自動車2,419 6,309
1937 501,267 6,726 79,260 55,026 24,234 自動車10,206 5,259
1939 589,189 8,613 110,191 76,929 33,262 自動車477 4,203
1941 856,650 14,768
1943 1,169,498 12,106
1945 1,664,560 8,139
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
年度 営業キロ 総輸送人員(千人) 定期外輸送人員(千人) 定期輸送人員(千人) 貨物輸送量(トン)
1950(昭和25年) 16.6 1,099 480 618 2,026
1951(昭和26年) 12.5 803 347 456 1,913
1952(昭和27年) 12.5 489 158 330 1,346
1953(昭和28年) 12.5 428 115 313 1,453
広島県統計年鑑、昭和32年、No,121-95地方鉄道及び軌道(国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可)
車両[編集]
開業時用意された車両は機関車4両(うち雨宮製作所2両、ユンク(ドイツ)2両)。ボギー客車(定員40人)6両、ボギー有蓋貨車3両、ボギー無蓋貨車6両、四輪有蓋貨車4両(雨宮製作所及び大阪加藤工場製[18])[19]
その後1915年(大正4年)にボギー無蓋貨車3両を自社工場で改造して夏期納涼列車(ボト11-13、定員28人)を製作[20]。1918年(大正7年)に機関車2号(雨宮製作所製)を阪神急行電鉄に売却[21]。1921年(大正10年)機関車(コッペル)1両[22]とボギー客車(加藤車輌製作所製)1両を増備した[23]。
昭和になると沿線乗合自動車の進出に対抗するため運転回数増加、運転時刻短縮の必要からガソリンカーを導入することになり[24]1927年(昭和2年)日本車輌製造で軌道自動客車(単端式気動車)を2両製作[25][26]したのをはじめとして、1928年(昭和3年)に松井自動車工作所により四輪ボギー車(定員40人)を1両製作[27][28]。1930年(昭和5年)[29][30]、1933年(昭和8年)[31][32]と片ボギー車を1両ずつ増備した。
機関車はガソリンカーの増備により余剰となったため1935年(昭和10年)に1号(雨宮製作所製)を岡山県庁へ売却した[33]。1936年(昭和11年)国鉄より軽便用2軸ボギー三等客車5両(福塩南線ケコハ225.228.233.235.237)の払下げを受けることになりボハ8-12と付番した[34][35][36]。この客車増備により無蓋貨車より改造した客車は元の貨車に戻すことにした[37]。
戦後まもなく日本製鉄釜石より機関車2両(156・157)購入[38]と機関車1両を新製(立山重工業)[39]。1949年に客車1両(ボハ6)を廃車している[40]。
廃線間近には内燃動車4両、客車12両、貨車6両で蒸気機関車は使用されなくなり戦後購入した3両が車庫に留置。客車も朝のラッシュ時のみ使用されていた[41]。
車両数の変遷[編集]
年度 機関車 内燃動車 客車 貨車
有蓋 無蓋
1913-1915 4 6 7 6
1916 4 6 7 3
1917 4 9 7 3
1918-1920 3 9 7 3
1921-1926 4 10 7 3
1927 4 2 10 7 3
1928 4 3 10 7 3
1929 4 2 11 7 3
1930-1932 4 4 10 7 3
1933 4 5 10 7 3
1934 4 5 10 7 3
1935 4 5 15 7 3
1936 3 5 15 7 3
1937 3 5 12 7 6
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ a b 距離は今尾による。鉄道省 (1937) では妙見3.5km
^ No.1「鞆軽便鉄道敷設免許ノ件」109頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・鞆鉄道株式会社・明治四十三年~大正元年』
^ No.1「鞆軽便鉄道敷設免許ノ件」70-71頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・鞆鉄道株式会社・明治四十三年~大正元年』
^ 『日本全国諸会社役員録. 明治44年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 多額納税者『人事興信録. 3版(明44.4刊)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 明治44年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 明治44年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「近世港町鞆および下津井における鉄道交通の導入とその特質」14頁
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1910年9月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ No.3「会社設立登記届」『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・鞆鉄道株式会社・明治四十三年~大正元年』
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年11月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年4月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1919年1月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『福山市史』下巻、1978年、760-761頁
^ 線路工夫の私怨とされている(藤井浩三「旧鞆軽便鉄道の蒸気機関車」『鉄道ピクトリアル』No.172)
^ No.11「変更線路使用開始ノ件」No.12「変更線路使用実施届」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年9月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 別の申請書には雨宮鉄工所製作ボギー客車6両のうち3両を島屋商会(大阪)製作に変更(No1「客車変更使用認可申請ノ件」4頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』)や有蓋貨車島屋商会(大阪)製作(No.3「機関車及有蓋貨車使用認可申請ノ件」20、23頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』)なる記述がある
^ No.18「鞆、野上間運輸営業開始認可申請ノ件」7-8頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』
^ No.34「代用客車使用ノ件」」『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』
^ No.6「機関車譲渡ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
^ No.22「機関車設計ノ件」、No.24「機関車竣功ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
^ No.20「客車設計ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
^ No.42「瓦斯倫動力併用ノ件」(No.43「定款中一部変更届」1頁に掲載)『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
^ No.44「瓦斯倫自動客車設計ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
^ No.46「車輌竣功ノ件ニ関スル通牒」(5-6頁に竣功図)『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
^ No.5「自動客車設計ノ件」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
^ No.7「瓦斯倫客車竣功ノ件」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
^ No.18「車輌設計並特殊設計ノ件(再提出)」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
^ No.20「瓦斯倫自動客車竣功ノ件(再提出)」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
^ No.29「瓦斯倫自動客車設計ノ件」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
^ No.36「車輌竣功ノ件」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
^ No.1「機関車譲渡ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』9頁
^ No.3「鉄道書所属車輌譲受使用ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』11-14頁
^ No.5「鉄道書所属車輌譲受使用開始ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』37-38頁
^ No.12「客車称号及番号変更ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』65-67頁
^ No.11「車輌設計変更ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』38-41頁
^ 「蒸気機関車設計について」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』216-224頁(竣工図225頁)
^ 「車輌設計について」231-251頁「車両竣功について」259-262頁『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』
^ 「並等客車廃車について」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』305-308頁
^ 鹿島雅美「鞆鉄道訪問」『鉄道模型趣味』No.57
参考文献[編集]
青木栄一「近世港町鞆および下津井における鉄道交通の導入とその特質」『東北地理』21-3、東北地理学会、1969年
『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・鞆鉄道株式会社・明治四十三年~大正元年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(1986年覆刻)、p. 415。ISBN 4-88540-048-1。
今尾恵介(監修) 『中国・四国』 新潮社〈日本鉄道旅行地図帳:全線・全駅・全廃線〉、東京、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6。
関連書籍[編集]
湯口 徹『鞆鉄道』(RM LIBRARY196) ネコ・パブリッシング、2015年
宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩くIV』JTB、1997年
写真アルバム『福山市の昭和』樹林舎、2016年-車両写真7枚、お別れ列車写真3枚を掲載
関連項目[編集]
廃線
執筆の途中です この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
カテゴリ: 鞆鉄道中国地方の鉄道路線 (廃止)広島県の交通史
宇部線
JR logo (west).svg宇部線
塩田川沿いを走る宇部線の電車(琴芝駅 - 宇部新川駅間)
塩田川沿いを走る宇部線の電車
(琴芝駅 - 宇部新川駅間)
概要
起終点 起点:新山口駅
終点:宇部駅
駅数 18駅
運営
開業 1914年1月9日
全通 1925年3月26日
所有者 宇部軽便鉄道→宇部鉄道→
National Railway Symbol of Japan.png鉄道省→運輸通信省→運輸省→Japanese National Railway logo.svg日本国有鉄道→
JR logo (west).svg西日本旅客鉄道
使用車両 105系、クモハ123形
路線諸元
路線総延長 33.2 km (20.6 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V 架空電車線方式
運行速度 最高85 km/h (53 mph)
[折り畳む]路線図
JR Ube Line.JPG
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線
凡例
KDSTl ABZlg STR
下関総合車両所[# 1]
STRq ABZlg STR
山口線
0.0 新山口駅
KRZu KRZu STRrf
山陽新幹線
STR BHF
2.8 上嘉川駅
STR3
山陽本線
STR+1 STRc4
eBHF
4.3 周防江崎駅 -1943
BHF
5.9 深溝駅
BHF
7.5 周防佐山駅
BHF
8.8 岩倉駅
BHF
10.2 阿知須駅
BHF
12.7 岐波駅
BHF
15.2 丸尾駅
eBHF
17.2 白土駅 -1943
BHF
18.9 床波駅
eBHF
19.8 長生炭鉱駅 -1943
BHF
20.7 常盤駅
BHF
22.5 草江駅
BHF
23.7 宇部岬駅
eABZlf exKBSTr
セントラル硝子
BHF
25.3 東新川駅
BHF
26.0 琴芝駅
WBRÜCKE
真締川
STRc2 STR3 exKDSTa
1.2*
0.0#
宇部港駅 -1961
STR+1
exSTR
1.8** 宇部新川駅 (1) -1923
eABZrg exKRZ exBHFq exABZrf
0.4* 上町駅 -1952
exSTR3 exSTR
27.1
0.0*
宇部新川駅 (2) 1923-
eABZg+1
exSTRq exABZrf
STR exSTR exKBSTl exABZrf
宇部興産
STR exSTR exBHF
0.5# 港町駅 -1952
STR exSTR exBHF
1.3# 発電所前駅 -1952
STR exSTR exKDSTe
1.8# 沖ノ山新鉱駅 -1961
STR exBHF
0.5# 西沖山駅 -1952
STR exBHF
1.1# 助田駅 (2) -1952
eBHF exSTR
0.9*
0.0**
助田駅 (1) -1941
xABZg2 xSTR+c3
xSTR+c1 xABZg+4
exSTR eBHF
1.8# 花河内駅 -1952
exSTR BHF
28.9
2.2#
居能駅
exBHF ABZlf
1.5* 藤曲駅 -1952 小野田線
exDST STR
宇部新川鉄道部車両支部
exKRWl eKRWg+r
BHF
30.3
3.3*
岩鼻駅
eBHF
31.1 開作駅 -1926
WBRÜCKE
厚東川
DST
32.0 際波信号場
STRq ABZql
STRq
33.2 宇部駅 山陽本線
exSTRlg
船木鉄道
^ 下関総合車両所
運用検修センター新山口支所
石灰石貨物列車(2009年)
宇部線(うべせん)は、山口県山口市の新山口駅から山口県宇部市の宇部駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 運行形態
2.1 快速列車
2.2 貨物列車
3 使用車両
4 並行する交通
5 歴史
5.1 宇部軽便鉄道→宇部鉄道
5.2 宇部電気鉄道
5.3 国有化以後
5.4 民営化以降
6 駅一覧
6.1 廃止区間
6.2 廃駅
7 選択乗車の特例
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
10 関連項目
概要[編集]
周防灘に沿って敷かれ、宇部市の中心市街地を貫通する。宇部市中心部および山口市南部(旧阿知須町を含む)と山陽本線の宇部駅・新山口駅との旅客輸送が中心となっている。他線への直通は厚狭駅や下関駅など宇部駅から西側方面のみであり、東側方面はすべて新山口駅が終着駅となっている。
かつては石炭輸送などの貨物輸送が盛んであり、沿線の工場などへの支線が数多く存在したが、主力であった宇部興産向けやセントラル硝子宇部工場向け(2009年10月18日限りで廃止)の石灰石輸送は宇部興産専用道路を使用したトラック輸送に切り替えられている[1](「宇部興産#宇部興産と鉄道貨物」も参照)。
比較的早い時期に電化された路線の一つであるが、全線が単線で地盤が悪いこともあり運行速度が遅く、宇部新川 - 新山口間では、宇部市営バスを利用する方が早く到着できる場合がある。1970年代、利便性向上のため地盤改良による高速化や、宇部駅 - 岩鼻駅間の複線化、岩鼻駅 - 東新川駅間の複線・高架化が計画されていたほか、宇部駅 - 宇部港駅間と宇部駅 - 宇部新川駅間を藤曲経由に改良し、宇部岬駅 - 宇部港駅間の路線を新設する構想もあったが、いずれも実現には至っていない[2]。
全区間を広島支社の山口地域鉄道部が管轄している[3]。路線図[4]や駅掲示時刻表のシンボルで使用されているラインカラーは赤紫(■)。
路線データ[編集]
管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):33.2km
軌間:1067mm
駅数:18(起終点駅含む)
宇部線所属駅に限定した場合、山陽本線所属の新山口駅・宇部駅が除外され[5]、16駅となる。
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
最高速度:85km/h
運転指令所:広島総合指令所厚狭派出
運行形態[編集]
2015年5月25日現在の運行形態は次の通り[6]。
ワンマン運転を実施しており、新山口駅 - 宇部駅間(一部は宇部新川駅で乗り換え)のほか、宇部岬駅・宇部新川駅 - 宇部駅間の区間運転(宇部岬駅折り返しは平日・土曜日のみ)の列車もあり、おおむね1時間に1本が運転されている。また、一部の列車は宇部駅から山陽本線に直通し、厚狭駅・下関駅発着で運転されている。なお、宇部新川駅 - 居能駅間には小野田線の列車が乗り入れており、上り1本のみ宇部新川駅を越えて新山口駅まで直通している。
2002年(平成14年)3月23日のダイヤ改正までは23時台まで列車が運行されていたが、以後は21・22時台で終電になっている。また、国鉄時代は日付を越える終電が設定されていた。
かつてはおおむね月1回程度の割合で、線路保守点検のため日中に列車を運休させることがあったが、現在は行われていない。なお、運休時間帯は3時間半 - 4時間ほど列車は運行されず、バス代行もなかった。
山陽本線宇部 - 厚狭間に宇部線から美祢線に直通する貨物列車のための単線の貨物線があった時代は、宇部線から山陽本線厚狭・下関方面や美祢線に直通する旅客列車もこの貨物線を走行していた。
快速列車[編集]
2015年(平成27年)現在、宇部線に快速列車は設定されていないが、かつては以下の列車が運転されていた。
快速「竜王」
1959年(昭和34年)2月15日から1961年(昭和36年)4月30日まで、小野田駅 - 小郡駅(現在の新山口駅)間を小野田線・宇部線経由で結ぶ快速列車として運行されていた[7]。宇部線を経由し、両駅間を60分で結んだ[7]。
快速「ときわ」
1959年(昭和34年)2月15日から1965年(昭和40年)9月30日まで、宇部新川駅 - 小郡駅(現在の新山口駅)間を結ぶ快速列車として運行されていた[7][8]。両駅間を40分で結んだ[7]。
無名の快速
1975年3月から、小郡駅(現在の新山口駅) - 宇部駅間を宇部線経由で結ぶ快速列車が運転されていた。一部は鹿児島本線南福岡などまで直通し、鹿児島本線内を特別快速として運転するものもあった。
快速「きらら号」
2001年(平成13年)7月14日から同年9月30日まで、山口きらら博の観客輸送のため、小郡駅(現在の新山口駅) - 阿知須駅間に117系電車による臨時快速列車「きらら号」が運行されていた[9]。
快速「のぞみリレー号」
2003年(平成15年)10月1日から2009年(平成21年)3月13日まで、山陽新幹線の「のぞみ」に接続する快速列車として運行されていた。主に新山口駅 - 宇部新川駅間で運行されていたが、一部の列車の始発となっている宇部駅では山陽本線を利用した方が早かった(そのため、宇部駅発着列車は宇部新川駅以西では普通列車として運転されていた)。当初は新山口駅 - 宇部新川駅間では阿知須駅と床波駅に停車していたが、2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正で宇部岬駅・東新川駅・琴芝駅にも停車駅するようになった。その1年後の2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で廃止され、下り2本・上り3本のうち下り2本・上り1本は普通に変更された[注釈 1]。
貨物列車[編集]
貨物列車は宇部駅 - 宇部岬駅間で、美祢線の重安駅と宇部岬駅を結ぶ専用貨物列車が1日2往復(水曜日は1往復のみ、厚狭駅で編成が分割されるため美祢線では1往復)運行されていたが2009年10月18日限りで廃止されている[1]。牽引機はDE10形ディーゼル機関車で、貨車はホキ9500形(太平洋セメント社籍。車体表示は前身の小野田セメント)の編成であった。
使用車両[編集]
現在はすべて電車となっており、下関総合車両所運用検修センターに所属する105系およびクモハ123形が使用されている。クモハ123形のみで運転する列車はながらくトイレがない状態だったが、2013年10月より一部の車両においてトイレが設置され、同年12月には両開き扉を有するクモハ123-5とクモハ123-6にもトイレが設置された。2015年5月現在、すべての車両にトイレが設置されている。
国鉄となった当初は宇部鉄道から承継した電車を使用し、戦後には他の買収私鉄から承継した電車(買収国電)も転属して使用された。1950年代後半からこれらの買収国電に代わりクモハ11形・クハ16形・クモハ41形・クハ55形・クモハ42形などの旧形国電が導入され、1981年に105系に置き換えられるまで使用された。
またかつては南福岡電車区に所属する415・421・423系が山陽本線を経由し宇部線に乗り入れていた。国鉄分割民営化後、これらが九州旅客鉄道の所属となってからも続けられたが、現在では廃止されている。下関所属の115系が乗り入れたこともあった。また1970年代には宇部線から美祢線に直通する気動車列車も運転されたことがあった。 現在でも年に1〜2回ほど臨時列車として下関所属の115系が入線する。
並行する交通[編集]
ほぼ全線にわたって国道190号が並行しており、国道を走行する路線バスが運行されている[11]。おおむね宇部新川駅(および近傍の宇部中央バス停)を境に、東側は宇部市交通局の、西側は宇部市交通局・船木鉄道・サンデン交通のエリアとなっている。
宇部線のほうが運賃は安いが、バスのほうが運行本数が多い。宇部市交通局は新山口駅 - 宇部新川駅間(新山口線)で国道190号・嘉川駅前経由の普通便および山口宇部道路経由の特急便を運行しており、所要時間は普通便が72分 - 77分、特急が41分である(新幹線口 - 宇部新川駅間)[12]。同区間の宇部線の所要時間は約50分であるため[13]、特急便を利用すると宇部線よりも所要時間が短くなる。
歴史[編集]
1914年(大正3年)に、宇部軽便鉄道(のちに宇部鉄道と改称)によって宇部駅 - 宇部新川駅間が開業[14]し、その後1925年(大正14年)に宇部駅 - 宇部新川駅 - 小郡駅(現在の新山口駅)間の全線が開通した。宇部鉄道は石炭などの重要物資の輸送路線として1943年(昭和18年)に国有化され、宇部駅 - 宇部新川駅 - 小郡駅間が宇部東線となった。その後、宇部線と改称。宇部駅 - 岩鼻駅間の経路が藤曲経由から居能経由に変更された。
なお、宇部新川駅は1943年から1964年まで宇部駅を、その間山陽本線の宇部駅は西宇部駅を名乗っていた。
宇部軽便鉄道→宇部鉄道[編集]
1914年(大正3年)1月9日:宇部軽便鉄道により宇部 - 宇部新川間(4.1M≒6.60km)が開業[14]。開作停留場・岩鼻停留場・藤山駅(後の藤曲駅)・宇部新川駅(初代)が開業[15]。
1916年(大正5年)12月20日:助田停留場が開業。
1921年(大正10年)12月20日:宇部鉄道に社名変更[注釈 2]。
1923年(大正12年)8月1日:助田駅 - 宇部新川駅(初代)間(0.9M≒1.45km)が廃止。助田駅 - 宇部新川駅(2代目) - 床波駅間(5.7M≒9.17km)が延伸開業。宇部新川駅移転。東新川駅・宇部岬駅・草江停留場・床波駅が開業。
1924年(大正13年)8月17日:床波駅 - 本阿知須駅間(5.4M≒8.69km)が延伸開業。丸尾駅・岐波駅・本阿知須駅(現在の阿知須駅)が開業。
1925年(大正14年)
3月26日:本阿知須駅 - 小郡駅(現在の新山口駅)間(6.3M≒10.14km)が延伸開業し全通。岩倉停留場・周防佐山駅・深溝駅・江崎停留場・上嘉川駅が開業。
6月1日:常盤停留場が開業。
1926年(大正15年)8月15日:開作停留場が廃止。
1928年(昭和3年)2月25日:江崎停留場が周防江崎停留場に改称。
1929年(昭和4年)
10月29日:宇部駅 - 小郡駅間が1500V電化。
11月29日:琴芝駅・白土停留場が開業。
1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(20.6M→33.2km)。
1931年(昭和6年)7月21日:支線 宇部新川駅 - 沖ノ山旧鉱駅(のちの宇部港駅)間 (1.2km) が開業。中間に上町停留場が開業。
1933年(昭和8年)5月22日:藤山駅が0.5km宇部新川駅方面に移転。
1937年(昭和12年)10月1日:上町停留場が廃止。
1938年(昭和13年)5月1日:長生炭鉱停留場が開業。
1941年(昭和16年)
6月1日:助田停留場が廃止。
6月10日:岩鼻停留場が岩鼻駅に変更。
12月1日:宇部電気鉄道との合併に伴い解散し、新たに宇部鉄道として設立[16]。宇部駅 - 小郡駅間が本線となる。
宇部電気鉄道[編集]
「小野田線#宇部電気鉄道・宇部鉄道」も参照
1929年(昭和4年)5月16日:沖ノ山炭鉱(現在の宇部興産)の子会社である宇部電気鉄道により沖ノ山旧鉱駅 - 居能駅 - 新沖山駅間が開業。のちの宇部線にあたる区間に沖ノ山旧鉱駅(後の宇部港駅)・西沖山停留場・助田停留場(前出の宇部鉄道のものとは別位置)・花河内停留場・居能停留場が開業。
1930年(昭和5年)4月29日:支線 沖ノ山旧鉱駅 - 沖ノ山新鉱駅間が開業。港町停留場・発電所前停留場・沖ノ山新鉱駅が開業。
1938年(昭和13年)11月6日:花河内停留場が廃止[17]。居能停留場が居能駅に変更。
1941年(昭和16年)12月1日:宇部鉄道との合併に伴い解散[16]。
国有化以後[編集]
かつて使用されていた旧形国電
1943年(昭和18年)5月1日:宇部鉄道全線が国有化[18]。西宇部駅(現在の宇部駅) - 宇部駅(現在の宇部新川駅) - 小郡駅間が宇部東線、宇部港駅 - 宇部駅間・宇部港駅 - 居能駅 - 新沖山駅間・宇部港駅 - 沖ノ山新鉱駅間などが宇部西線となる[19]。
岩鼻駅 - 西宇部駅間改キロ (+0.1km)。
宇部新川駅が宇部駅に、藤山駅が藤曲駅に、宇部駅が西宇部駅に、沖ノ山旧鉱駅が宇部港駅に改称[18]。
停留場が駅に変更。周防江崎停留場・岩倉停留場・白土停留場・長生炭鉱停留場が廃止。
1944年(昭和19年)4月1日:宇部西線支線 宇部港駅 - 沖ノ山新鉱駅間の旅客営業休止。
1945年(昭和20年)6月20日:宇部西線貨物支線 居能駅 - 岩鼻駅間 (1.4km) が開業。
1946年(昭和21年)4月1日:宇部西線支線 宇部港駅 - 沖ノ山新鉱駅間の旅客営業再開。
1948年(昭和23年)2月1日:宇部東線が宇部線に、宇部西線が小野田線に改称。
1949年(昭和24年)3月1日:小野田線 宇部港駅 - 西沖山駅間、支線 宇部港駅 - 港町駅間の旅客営業廃止。
1950年(昭和25年)
4月1日:小野田線貨物支線 居能駅 - 岩鼻駅間が1500V電化。
6月1日:本阿知須駅が阿知須駅に改称。
1952年(昭和27年)4月20日:宇部線 岩鼻駅 - 藤曲駅 - 宇部駅(現在の宇部新川駅)間 (3.3km) が廃止[20]。居能駅 - 宇部駅間の電化新線 (1.8km) が開業[20]。小野田線貨物支線 岩鼻駅 - 居能駅間が宇部線に編入され旅客営業開始。これにより、宇部線 小郡駅 - 西宇部駅間が現在線経由で全通。
小野田線の居能駅 - 宇部港駅 - 沖ノ山新鉱駅間 (4.0km) の旅客営業が全廃され、宇部線に貨物支線として編入。同区間の助田駅・西沖駅・山港町駅・発電所前駅が廃止。小野田線貨物支線 宇部港駅 - 宇部駅間 (1.2km) が廃止。
1953年(昭和28年)8月15日:岩倉駅が開業。
1959年(昭和34年)2月15日:小野田駅 - 小郡駅(現・新山口駅)間で快速「竜王」、宇部新川駅 - 小郡駅間に快速「ときわ」で運転が開始[7]。
1960年(昭和35年)6月1日:上り準急「あきよし」の一部編成が宇部岬行普通列車として宇部線に乗り入れ開始[21]。
1961年(昭和36年)
4月30日:快速「竜王」が廃止[7]。
6月1日:準急「あきよし」一部編成の乗り入れが廃止[21]。
11月1日:貨物支線 宇部港駅 - 沖ノ山新鉱駅間 (1.8km) が廃止。
1964年(昭和39年)
9月15日:宇部駅が宇部新川駅に改称。
10月1日:西宇部駅が宇部駅に改称。
1965年(昭和40年)9月30日:快速「ときわ」が廃止[8]。
1970年(昭和45年)
6月1日:美祢駅 - 宇部港駅間の臨時石灰石輸送列車が1往復増発され、1日22往復となる[22]。
8月1日:美祢駅 - 宇部港駅間の臨時石灰石輸送列車が定期列車に変更。1往復が増発され、1日22往復となる[22]。
7月30日:岩鼻駅 - 宇部駅間に際波信号場が開設。
10月1日:美祢駅 - 宇部港駅間の石灰石輸送貨物列車が2往復増発され、1日25往復となる[22]。大嶺駅 - 宇部港駅間の石灰石輸送貨物列車が2往復増発され、1日25往復となる[22]。
1972年(昭和47年)
3月15日:美祢線との直通運転が開始され、長門市駅 - 宇部新川駅間で1日2往復、仙崎駅 - 宇部新川駅間で1日1往復が運転される[23]。
10月1日:美祢駅 - 宇部港駅間の石灰石輸送貨物列車が2往復増発され、1日33往復となる[23]。
1973年(昭和48年)3月28日:宇部港駅構内をロングレール化[23]。
1980年(昭和55年)7月7日:キハ40系気動車が運転開始[24]。
1981年(昭和56年)3月1日:105系電車が配置され、クモハ41形・クハ55形・クモハ51形・クモハ42形電車が運用終了[24]。
1982年(昭和57年)7月1日:美祢駅 - 宇部港駅間の石灰石輸送貨物列車が7往復廃止され、1日26往復となる[24]。
1983年(昭和58年)
3月8日:列車集中制御装置 (CTC) が導入[24]。
4月1日:美祢駅 - 宇部港駅間の石灰石輸送貨物列車が12往復廃止され、1日14往復となる[24]。
民営化以降[編集]
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、小郡駅 - 宇部駅間を西日本旅客鉄道が承継し同社広島支社の管轄となり、日本貨物鉄道が居能駅 - 宇部港駅間の第一種鉄道事業者、宇部岬駅 - 宇部駅間の第二種鉄道事業者となる。
1988年(昭和63年)4月1日:美祢駅 - 宇部港駅間の石灰石輸送貨物列車が6往復廃止され、1日8往復となる[24]。
1990年(平成2年)6月1日:宇部新川鉄道部の発足に伴い、全線(小郡駅・宇部駅の構内をのぞく)が同鉄道部の管轄になる[25]。宇部新川駅 - 居能駅間でワンマン運転開始[26]。
1992年(平成4年)3月14日:全線でワンマン運転開始[26]。
1996年(平成8年)3月16日:宇部新川鉄道部車両支所および宇部新川駅 - 同車両支所間の車庫支線が廃止(以降、車両留置は宇部新川駅構内)[24][9]。
1998年(平成10年)4月1日:美祢駅 - 宇部港駅間の石灰石輸送貨物列車が廃止[9]。
1999年(平成11年)
3月13日:山陽新幹線厚狭駅開業に伴い、宇部新川駅 - 厚狭駅間で1日2往復の直通運転開始[9]。
7月1日:宇部駅 - 宇部港駅間の貨物列車廃止(前日限り)に伴い[9]、居能駅 - 宇部港駅間の貨物支線が事実上休止。
10月2日:小郡駅(現・新山口駅) - 宇部新川駅間の8本でワンマン運転を拡大[9]。
2001年(平成13年)7月14日 - 9月30日:「山口きらら博」観客輸送のため、小郡駅 - 阿知須駅間に117系電車による臨時快速列車「きらら号」が運転[9]。
2002年(平成14年)3月23日:ローカル線経営改善のため、保守工事運休導入とともに運行本数、車両を削減、深夜時間帯の列車が廃止[9]。
2003年(平成15年)10月1日:小郡駅が新山口駅に改称[27]。新山口駅 - 宇部新川駅間で快速「のぞみリレー号」が運転開始。
2006年(平成18年)
3月1日:快速「のぞみリレー号」の一部列車の運転区間が宇部駅まで延長(宇部新川駅 - 宇部駅間は普通列車)。
5月1日:貨物支線 居能駅 - 宇部港駅間 (2.2km) が廃止。
2009年(平成21年)
3月14日:快速「のぞみリレー号」が廃止[10]。
6月1日:組織改正により宇部新川鉄道部が廃止され、全線(新山口駅・宇部駅の構内も含む)が山口地域鉄道部の管轄になる[28]。
10月18日:重安駅 - 宇部岬駅間の石灰石貨物列車がこの日限りで廃止[1]。
2014年(平成26年)4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(宇部岬駅 - 宇部駅間 9.5km)が正式に廃止される[29]。
駅一覧[編集]
全列車普通列車(すべての旅客駅に停車)
線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
全駅山口県内に所在
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 線路 所在地
新山口駅 - 0.0 西日本旅客鉄道:■ 山陽新幹線・山陽本線・山口線 ∨ 山口市
上嘉川駅 2.8 2.8 |
深溝駅 3.1 5.9 ◇
周防佐山駅 1.6 7.5 |
岩倉駅 1.3 8.8 |
阿知須駅 1.4 10.2 ◇
岐波駅 2.5 12.7 ◇ 宇部市
丸尾駅 2.5 15.2 |
床波駅 3.7 18.9 ◇
常盤駅 1.8 20.7 |
草江駅 1.8 22.5 |
宇部岬駅 1.2 23.7 ◇
東新川駅 1.6 25.3 ◇
琴芝駅 0.7 26.0 |
宇部新川駅 1.1 27.1 ◇
居能駅 1.8 28.9 西日本旅客鉄道:小野田線[* 1] ◇
岩鼻駅 1.4 30.3 ◇
際波信号場 - 32.0 ◇
宇部駅 2.9 33.2 西日本旅客鉄道:山陽本線 ∧
^ 小野田線の列車は、運転系統上は宇部新川駅へ乗り入れる
JR西日本直営駅は、新山口駅・宇部新川駅・宇部駅。簡易委託駅は阿知須駅。そのほかの駅は無人駅である。
廃止区間[編集]
駅名・停留場名後の( )内は起点からの営業キロ。宇部線編入前(小野田線時代)の旅客駅は省略。
貨物支線(2006年廃止)
居能駅 (0.0) - 宇部港駅 (2.2)
貨物支線(1961年廃止)
宇部港駅 (0.0) - 沖ノ山新鉱駅 (1.8)
国鉄線として廃止後は宇部興産に売却され、同社の専用側線として使用された。
本線(1952年廃止)
宇部新川駅 (0.9) - 助田停留場 (0.9) - 藤曲駅 (1.5) - 岩鼻駅 (3.3)
助田停留場は廃線前の1941年に廃止。現在線の宇部新川駅 - 居能駅間にあった。
藤曲駅は廃止後、電留線が整備され宇部電車区として使用されていたが、1996年に電車区も廃止。
廃駅[編集]
( )内は新山口駅起点の営業キロ。廃止区間の駅を除く。
周防江崎停留場:1943年廃止、上嘉川駅 - 深溝駅間 (4.3)
岩倉停留場:1943年廃止、岩倉駅付近 (8.7)
白土停留場:1943年廃止、丸尾駅 - 床波駅間 (17.2)
長生炭鉱停留場:1943年廃止、床波駅 - 常盤駅間 (19.8)
開作停留場:1926年廃止、岩鼻駅 - 宇部駅間(約31.1)
選択乗車の特例[編集]
新山口駅 - 宇部駅間は山陽本線と宇部線の間に選択乗車の特例(旅客営業規則第157条)があり、一方を経由する乗車券を持っていれば他方の経路でも乗車できる。途中下車の禁止されていない乗車券であれば他方の経路上でも途中下車が可能である。
脚注[編集]
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注釈[編集]
^ 山口新聞では「利用が少ないため五本あるリレー号を廃止し、うち三本は普通列車として残す」とある[10]。『JTB時刻表』2008年3月号、同2009年3月号によると、下り2本・上り3本のうち上り2本が廃止、下り2本・上り1本が各駅停車の普通に変更されている。
^ 会社商号変更日については諸説あるが、『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 p.148によると、鉄道省文書に「大正10年12月20日 船木区裁判所藤曲出張所に於いて商業登記変更」とある。なお、同文書によると同年12月17日は臨時株主総会で合併を決議した日付、また12月21日は鉄道大臣に合併を届け出た日付である。
出典[編集]
^ a b c “美祢線の石灰石列車“終着駅”18日最後に廃止” (日本語). 山口新聞 (下関市: 山口新聞社). (2009年10月12日) 2012年1月1日閲覧。
^ 経済企画庁 『善和工業用団地造成調査報告書』 経済企画庁。
^ データで見るJR西日本 - 西日本旅客鉄道
^ 広島エリア路線図 (PDF) - JRおでかけネット、2016年3月28日閲覧
^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
^ 『JR時刻表』2015年6月号、交通新聞社。
^ a b c d e f 『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 p.326
^ a b 『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 p.327
^ a b c d e f g h 『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 p.332
^ a b “のぞみ、徳山停車1本増 春のダイヤ改正” (日本語). 山口新聞 (下関市: 山口新聞社). (2008年3月14日) 2012年1月1日閲覧。
^ 宇部市公共交通マップ (PDF) - 宇部市
^ 宇部市営バス 新山口線[時刻表] (Excel) - 宇部市交通局
^ JR西日本 宇部線・小野田線時刻表 (PDF) - 西日本旅客鉄道
^ a b 『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 p.141
^ 『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 p.17
^ a b “宇部鉄道会社 昨日新生の祈願祭” (日本語). 関門日々新聞 (下関市: 関門日々新聞社). (1941年12月2日)
^ “電鉄のスピード化 5日から実施 3停留所廃止” (日本語). 宇部時報 (宇部市: 宇部時報社). (1938年10月2日)
^ a b “宇部線が国鉄に移管” (日本語). 宇部時報 (宇部市: 宇部時報社). (1943年5月1日)
^ 「鉄道省告示第84号」『官報』1943年4月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b “20日から開通 宇部、小野田短絡線” (日本語). 宇部時報 (宇部市: 宇部時報社). (1952年4月20日)
^ a b 今尾恵介・原武史監修、日本鉄道旅行地図帳編集部編『日本鉄道旅行歴史地図帳 - 全線全駅全優等列車』11号、新潮社、2011年。ISBN 978-4-10-790045-6。
^ a b c d 『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 p.329
^ a b c 『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 p.330
^ a b c d e f g 『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 p.331
^ 『データで見るJR西日本 2001』西日本旅客鉄道
^ a b ジェー・アール・アール編『JR気動車客車編成表 2011』交通新聞社、2011年。ISBN ISBN 978-4-330-22011-6。
^ “平成15年秋 ダイヤ改正” (日本語) (プレスリリース), 西日本旅客鉄道, (2003年7月30日), オリジナルの2004年6月14日時点によるアーカイブ。 2012年1月1日閲覧。
^ “「山口地域鉄道部」新設に伴う組織改正について” (日本語) (プレスリリース), 西日本旅客鉄道, (2009年5月18日), オリジナルの2009年5月25日時点によるアーカイブ。 2012年1月1日閲覧。
^ 『平成二十六年度 鉄道要覧』電気車研究会
参考文献[編集]
今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』11 中国四国、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6。
小野田市歴史民俗資料館 『わが町の鉄道史 小野田線を歩く』 小野田市教育委員会・小野田市歴史民俗資料館〈小野田市歴史民俗資料館 研究叢書第3集〉、2003年10月1日。
川島令三編著『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線 (8) 山口エリア』講談社、2012年。ISBN 978-4-06-295158-6。
関連項目[編集]
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