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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
東武日光鋼索鉄道線
日光鋼索鉄道線(にっこうこうさくてつどうせん)はかつて栃木県日光市の馬返駅から明智平駅までを結んでいた東武鉄道の鋼索鉄道(ケーブルカー)である。
馬返駅で日光軌道線と連絡する形で運行していた。1970年廃止。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 車両
2.1 初代
2.2 2代目
3 歴史
3.1 年表
4 駅一覧
5 接続路線
6 輸送・収支実績
7 兼業(乗合自動車業および電気事業)
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):1.2km
水平延長:1,184m
軌道中心間隔:3,200mm
最小曲線半径:300m
仰長:1,263m
最急勾配:500/1000
最小勾配:250/1000
高低差:428.1m
施行基面幅:3,636m
軌間:1067mm
軌条重量:26kg/m
枕木敷設間隔:0.792m
道床構造:全線コンクリート道床
駅数:2(起終点駅含む)
車両[編集]
「A」と「B」の2両が在籍し、初代と二代の2種が存在した。
初代[編集]
開業に備えて汽車製造東京支店で半鋼製車体を製作した。
車体は台枠長10,200mm、車体幅2,550mmの半鋼製で、定員は80名(座席40人)、自重は8.5tを公称した。
側面の客用扉は3か所に設置し、その間に2枚1組の側窓を階段状に2組ずつ設置し、各組の幕板部に半円状の飾り窓を設ける。妻窓は3枚構成で、その中央下部の腰板部に前照灯を設置する。
台車はスイス・テオドルベル社製で、自動空気ブレーキと手ブレーキを備える軸距5,000mmの2軸単台車である。
室内灯給電用の集電装置として特殊な構造のビューゲルを前後に各1基備える。
更新前の巻き上げ機用電動機は常用はブラウンボベリー製115馬力、予備は明電舎製150馬力であった。
2代目[編集]
1953年3月汽車製造東京支店製の半鋼製車体と、日立製作所製の台車よりなる。
1953年(昭和28年)2月5日から運輸営業を休止して、車両を更新するとともに、それにともない鋼索を36mm径から38mm径に変更、鉄筋コンクリート丁桁を一部補強、車両長が伸びるため馬返、明智平両停留場の乗降場階段およびピットを延長する工事を行い、同年3月18日から運輸営業を再開した。
車体は台枠長14,160mm、車体幅2,600mmと拡大された。窓配置は頂上側から1D(1)2D(1)2D(1)(D:客用扉、(1):戸袋窓)で、幕板部の窓上辺を屋根の傾斜と合わせて腰板部の窓下辺は水平面に合わせた、つまり上辺が斜めになった台形の側窓が階段状に並び、床面もこの窓に合わせて階段状となるという、特徴的な構造を備える。客用扉は750mm幅の片引き戸で、側窓幅は1,120mm。座席はロングシートである。
車体の大型化により自重は9.95t、定員は120人(座席48人)となった。車体傾斜の角度は36%である。
妻面は丸妻で、中央に1,000mm幅で下部が小さく開閉する背の高い大窓を設置し、その両脇に中央の大窓と同じ高さで600mm幅の一般的な二段上昇窓を置くという近代的な印象のレイアウトとなっている。前照灯は大窓中央上の屋根に埋め込まれるようにして砲弾型の灯具に収めて設置されている。
台車は日立製作所設計のギーセライベルン式2軸単台車で、軸距7,000mmと初代と比較して2m軸距が延伸されている。
集電装置は一般的なビューゲルを前後各1基ずつ搭載する。
制動装置はギーゼライベルン式で手動制動機、自動制動機、および足踏制動機の三種を装備する。
巻き上げ機用電動機も車両更新の際に日立製作所製に取り替え、常用は三相交流開放型誘導電動機250馬力1台、予備は180馬力1台で、走行速度は常用3.25m/s(11.7km/h)、予備2.71m/s(9.756km/h)となった。
歴史[編集]
馬返 - 明智平 - 中宮祠間の鉄道免許状が下付されたのは1926年5月のことであったが、1927年3月日光登山鉄道株式会社が資本金200万円で設立され、1929年3月工事施工の認可が得られたものの、昭和恐慌の影響で工事中止をやむなくされた。1931年11月に工事が再開され、明智平 - 中宮祠間は鉄道敷設をあきらめ自動車専用道とし1932年(昭和7年)に馬返 - 明智平間1.2kmがようやく開業した。翌年には、300mであるが架空索道(明智平ロープウェイ)を明智平 - 展望台間に開業させる。
初代社長の植竹龍三郎は中宮祠電力を経営しており[1]、中宮祠での鋼索鉄道の免許を1922年に得ていた。しかしこれを放棄し新たに日光登山鉄道株式会社を設立したのであるが、1928年中宮祠電力の電気事業を日光登山鉄道に譲渡すると1931年度には社長をおりてしまった。1933年に本社所在地が東京市本所区小梅1丁目2番ノ1の東武鉄道と同住所となり根津嘉一郎 が取締役に就任している。
1943年(昭和18年)に不要不急線ということで架空索道線は撤去されたが、鋼索線は観光用のみならず奥日光への実用交通機関でもあり、地元の陳情を受けて存廃を検討中に終戦を迎え存続された。1945年(昭和20年)には後の東武日光軌道線を運営していた日光軌道に合併された。1947年(昭和22年)に日光軌道は東武鉄道に吸収され、東武の運営となる。1950年(昭和25年)には、架空索道線を復活させた。
終戦後、観光がブームになり、軌道線・鋼索線・架空索道線が連携して旅客輸送のメインルートになるがやがて自動車時代が到来、道路整備が進捗するほどに観光バスや自家用車にその位置を明け渡していった。1968年(昭和43年)に日光軌道線が廃止されたため路線バスとの接続をおこなうが、バスは奥日光へ直通するのでわざわざ途中の馬返駅で鋼索線にのりかえる理由がなく、利用客が激減した日光鋼索鉄道線も1970年(昭和45年)には廃線となる。残った架空索道線は、1985年(昭和60年)に日光交通へ移管された。
廃止後も、明智平駅の裏手から廃線跡の路盤やトンネルが残存している。
年表[編集]
1922年(大正11年)4月20日 中宮祠電力に鉄道免許状下付[2]。
1926年(大正15年)
5月21日 中宮祠電力に対し起業廃止許可[3]
5月21日 日光登山電気鉄道に対し馬返 - 明智平 - 中宮祠間鉄道免許状下付[4]。
1927年(昭和2年)
2月4日 日光登山電気鉄道から日光登山鉄道への改称届出[5]。
3月7日 日光登山鉄道設立(本社東京)[6][7]。
1928年(昭和3年)3月 中宮祠電力が電気事業を日光登山鉄道に譲渡[8]。
1932年(昭和7年)
8月24日 明智平 - 中宮祠間起業廃止許可[9]
8月26日 自動車専用道路を開設[10]。
8月28日 馬返 - 明智平間開業[11]。
1945年(昭和20年)2月28日 日光軌道が日光登山鉄道を合併。
1947年(昭和22年)6月1日 東武鉄道が日光軌道を合併。日光鋼索鉄道線となる。
1954年(昭和29年)10月1日 第一いろは坂開通。
1957年(昭和32年)10月20日 東武鉄道が日光に定期観光バスを運行開始する。
1965年(昭和40年)10月6日 第二いろは坂・金精道路開通。
1970年(昭和45年)4月1日 馬返 - 明智平間廃止。
駅一覧[編集]
馬返駅 - 明智平駅
接続路線[編集]
馬返駅:東武日光軌道線
明智平駅:明智平ロープウェイ
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1932 119,791 38,580 17,041 21,539 自動車電燈業6,134 26,596
1933 264,645 91,916 29,273 62,643 自動車電燈業6,678 44,218
1934 299,426 94,464 40,429 54,035 自動車業5,516 37,208
1935 315,263 94,886 35,486 59,400 自動車電燈業4,636 28,712
1936 381,160 108,168 42,855 65,313 自動車業その他11,954 償却金12,000 28,409
1937 307,423 88,836 36,386 52,450 自動車電燈業11,551 自動車業15,331 18,803
1939 757,354 228,514 54,173 174,341 自動車電燈業6,756
償却金74,700 12,568
1941 800,430
1943 741,244
1945 249,082
鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
年度 乗客(人)
1948 1,161,067
1949 1,432,650
1950 1,164,573
1951 1,517,005
1952 1,619,416
1953 2,520,933
1954 2,356,933
1955 1,444,188
1956 1,249,545
1957 1,163,385
1958 1,105,923
1959 1,038,152
1960 983,046
1961 1,022,859
1963 1,030千
1966 433千
『東武鉄道六十五年史』447頁、私鉄統計年報1963,1966年度版
兼業(乗合自動車業および電気事業)[編集]
日光登山鉄道時代に乗合自動車業と電気事業を兼営していた。
乗合自動車業
明智平 - 中宮祠間( 2.2キロ)の自動車専用道で営業運転していた。開業路線 保有車両5台(定員21人)[12]
電気事業
1928年3月に中宮祠電力(1920年開業)より電気事業の譲渡を受け開業した。供給地は上都賀郡日光町(日光字中宮祠)。その後1941年2月に電気事業は東京電燈に譲渡した。
脚注[編集]
^ 塩原電車、下野電気鉄道の経営にも関与しており、植竹の時の日光登山鉄道と塩原電車の本社所在地は同じ東京都京橋区西紺屋町二であった。
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年4月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「起業廃止許可」『官報』1926年5月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年5月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 鉄道省『鉄道統計資料』昭和元年 第3編 監督、p.8(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第36回(昭和3年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『電気事業要覧 第20回 昭和4年3月』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道起業廃止」『官報』1932年8月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『東武鉄道六十五年史』932頁
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年9月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
寺山一昭/鉄道史料編集部「日光の電車(7)」、『鉄道史料 第59号』、鉄道史資料保存会、1990年、pp.43-48
東武博物館学芸課『なつかしの日光軌道』東武博物館、2010年、31頁、32頁。
K生「日光電車ほか」、『ROMANCE CAR』、東京鉄道同好会。
国立公文書館所蔵『軌道特許・東武鉄道・昭和27~31年』。
『東武鉄道六十五年史』1964年
関連項目[編集]
廃線
東武日光軌道線 - 国鉄・東武日光駅からいろは坂の始まる馬返までを結んでいた軌道線(路面電車)。1968年廃止。
明智平ロープウェイ - 明智平駅と展望台駅を結ぶ索道路線。営業中。
中禅寺温泉ロープウェイ - 華厳滝付近の中禅寺温泉駅から海抜約1600mの茶ノ木平駅までを結んでいた索道。2003年廃止。
外部リンク[編集]
日光市立図書館:広報バックナンバー 昭和45年「さようならケーブルカー 惜しまれながら引退」 (PDF)
木村尚克「日光登山鉄道工事大要」『土木建築工事画報』第8巻11号、1932年(土木学会附属土木図書館より)
きしゃでんしゃ1953年天然色写真(国会図書館デジタルコレクション)
[隠す]
表 話 編 歴
Tōbu Tetsudō Logo.svg 東武鉄道の鉄道路線
本線
TS
伊勢崎線(東武スカイツリーライン:浅草・押上 - 東武動物公園) - 亀戸線 - 大師線
TI
伊勢崎線(東武動物公園 - 伊勢崎) - 佐野線 - 小泉線 - 桐生線
TN
日光線 - 宇都宮線 - 鬼怒川線
TD
野田線(東武アーバンパークライン)
東上線
TJ
東上本線 - 越生線
廃止路線
伊香保軌道線 - 日光軌道線 - 日光鋼索鉄道線 - 矢板線 - 啓志線 - 熊谷線 - 大谷線 - 徳川河岸線 - 仙石河岸線 - 大叶線 - 会沢線 - 根古屋線
未成路線
西板線 - 高島平線
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カテゴリ: 関東地方の鉄道路線 (廃止)東武鉄道の廃止路線日本の鋼索式鉄道栃木県の交通史日光市の交通日光市の歴史