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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
高松琴平電気鉄道市内線
市内線
概要
現況 廃止
起終点 起点:築港前
終点:公園前
運営
開業 1917年5月20日
廃止 1957年1月8日
所有者 四国水力電気→讃岐電鉄→
高松琴平電気鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 2.4 km (1.5 mi)
軌間 1,435 mm (4 ft 8 1⁄2 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
テンプレートを表示
[隠す]停留所・施設・接続路線
凡例
exTRAJEKT
宇高連絡船
exSTR uexKBHFa
0.0 築港前
exBHF uexSTR
高松 (II) -2001
exSTR uexBHF
0.3 高松駅前
KBHFxa uexSTR
高松 (III) 2001-
ABZrf uexSTR
←予讃線
STR uexSTR
↓高徳線
LSTR uexBHF
0.7 広場
uexBHF
0.9 法泉寺前
uexBHF
1.2 五番丁
uexBHF
1.4 七番丁
uexBHF
1.7 大護寺前
LSTR uexBHF
2.0 馬場前
STR
2.3 公園前
STR exSTR
志度線直通
STR
高徳線
市内線(しないせん)とは、かつて香川県高松市に存在した高松琴平電気鉄道の軌道線(路面電車)。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 運行概要
3 歴史
4 大護寺前駅
5 停留所一覧
6 接続路線
7 輸送・収支実績
8 車両
9 脚注
10 参考文献
概要[編集]
元々、公園前 - 出晴駅(後、瓦町駅に統合)間に鉄道路線を有していた東讃電気軌道(後、高松琴平電気鉄道志度線)の路線を、開業直後に役員の不祥事が発覚したことに起因する経営難に陥っていた同社を救済合併した四国水力電気によって公園前からさらに高松駅前を経由して築港まで延伸する際に、市街地の道路を通すため軌道線扱いにして開通させたものである。その経緯から志度線と直通運転をしており、末期には長尾線とも直通していた。
その後、利用者増加のため複線化工事が行われたり、運営母体が讃岐電鉄・高松琴平電気鉄道と変わるなどといった動きがあったが、1945年(昭和20年)の高松市空襲で甚大な被害を受けて志度線の公園前駅 - 瓦町駅間と同時に休止となった。戦後の資材難と都市計画により軌道としての復活は断念されて施設の撤去が行われ、1947年8月2日に完了した[1]。休止から12年後の1957年に正式に廃止となった。
栗林公園 - 天神前交差点までは現在の香川県道173号高松停車場栗林公園線が、天神前交差点 - 高松市役所まではその東側に並行する狭い市道が本路線のルートにほぼ相当するが、高松市役所以北では戦後の都市計画で当該道路が廃止され、市街地の一部となった。
路線データ[編集]
廃線時
路線距離:築港前 - 公園前間2.4km
軌間:1435mm
複線区間:全線
電化区間:全線(直流600V)
運行概要[編集]
1944年5月当時
運行本数:6-22時台まで6・12分間隔(志度線と直通運転)
所要時間:築港前 - 公園前間18-19分
歴史[編集]
1915年(大正4年)8月10日 東讃電気軌道に対し軌道特許状下付(高松市内町-香川郡栗林村間)[2]。
1916年(大正5年)
9月13日 軌道特許状下付(高松市玉藻町-高松市内町間)[3]。
12月25日 四国水力電気が東讃電気軌道を合併[4]。
1917年(大正6年)
5月20日 四国水力電気により、高松駅前 - 公園前間2.1km開業[5]。
7月13日 築港前 - 高松駅前間0.3km延伸[5]。
1928年(昭和3年)3月10日 高松駅前 - 公園前間複線化
1929年(昭和4年)4月5日 築港前 - 高松駅前間複線化
1942年(昭和17年)4月30日 四国水力電気の電力事業が日本発送電関連の四国配電(後、四国電力)に譲渡されたため、残存事業の内鉄道・軌道を新設会社の讃岐電鉄に譲渡して[6]、同社はまもなく解散
1943年(昭和18年)11月1日 交通統制により、讃岐電鉄・琴平電鉄・高松電気軌道が合併し高松琴平電気鉄道発足[7]
1945年(昭和20年)
6月26日 長尾線と直通運転開始
7月4日 空襲の被害により休止
1947年(昭和22年)8月2日 軌道の撤去完了
1957年(昭和32年)1月8日 全線廃止
大護寺前駅[編集]
大護寺前駅は開業当初「八本松駅」という名称であった。八本松というのは八本の松があることに由来する広場状の辻の名前で、現在の天神前交差点にあたる。大護寺というのはそこから南進して西側に位置していた大寺である。この山門にある松は枝が道路上に大きくせり出すほどの大木であり、市内線建設時にはそれが障害となって架線を支える電柱が建てられなかった。会社側は寺に対してこのせり出した枝を切らせてもらえるよう交渉をしたが、あえなく断られ、やむなくこの部分のみは複数の鉄柱を組み合わせて枝を取り囲むような構造で建設した。当時は電柱といえば木造が普通であり、複数の鉄柱を使用し、なおかつ複雑な構造にしたことで建設費が増大する結果となった[8]。
そのような紆余曲折がありながらも何とか開通にこぎつけたが、開通後大護寺から苦情が入る。この鉄柱を足場にして寺の土塀を乗り越え、泥棒が入るという。これを受けた会社側は対策として鉄柱の周囲に鉄板を張ったが、以後も寺からは様々な理由で苦情が入った。寺と会社側は大いに揉めた挙句、会社側が大きく妥協して寺の最寄り駅であった八本松駅を大護寺前駅に改称して、それを以って寺の宣伝とすることで決着した。以後、駅の正式名は大護寺前となったが、八本松に位置するという所在は変わらなかったため、この駅は通称として引き続き八本松とも呼ばれていた[9]。
停留所一覧[編集]
1935年当時
築港前 - 高松駅前 - 広場 - 法泉寺前 - 五番丁 - 七番丁 - 大護寺前 - 馬場前 - 公園前
接続路線[編集]
社名・路線名は廃止時点のもの
高松駅前:予讃本線・高徳本線・宇高連絡船(高松駅)
公園前駅:志度線
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円)
1917 145,449 7,233 5,071 2,162
1918 288,354 16,547 8,806 7,741
1919 522,420 26,475 13,252 13,223
1920 951,052 39,154 22,381 16,773
1921 1,174,214 42,276 31,718 10,558
1922 1,478,458 51,040 35,112 15,928
1923 1,181,410 52,122 36,857 15,265
1924 1,358,104 61,945 30,707 31,238
1925 1,450,741 65,873 34,436 31,437
1926 1,313,386 69,858 36,242 33,616
1927 1,401,259 71,497 35,290 36,207
1928 1,605,633 83,828 41,179 42,649
1929 1,443,097 140,994 88,894 52,100
1930 1,394,812 116,490 88,584 27,906
1931 1,256,247 60,212 37,382 22,830
1932 1,147,353 73,819 68,976 4,843
1933 1,165,271 53,710 35,656 18,054
1934 1,103,660 49,860 35,043 14,817
1935 1,017,171 45,870 35,727 10,143
1936 1,091,992 47,150 34,269 12,881
1937 1,100,280 47,301 36,210 11,091
鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両[編集]
13-16 1918年長崎電気軌道[10]製の木製単車(定員40人)
51-56 1928年梅鉢鉄工所製の鋼製ボギー車(定員60人)[11]
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ このとき取り外された軌道の敷石は常磐街の路面に転用されて1968年12月まで使用された(高松琴平電気鉄道 『60年のあゆみ』、1970年、p. 143。)。
^ 『鉄道院年報. 大正4年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道特許状下付」『官報』1916年9月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『四水三十年史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 『鉄道院鉄道統計資料. 大正6年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 2月28日許可「軌道譲渡許可」『官報』1942年3月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 10月25日許可「軌道譲渡許可」『官報』1943年11月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 荒井とみ三 『高松今昔記』第一巻、歴史図書社、1978年、57頁。
^ 荒井とみ三 『高松今昔記』第一巻、歴史図書社、1978年、58頁。
^ 当時他社の電車の製作を請負っていた
^ 『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
『四水三十年史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
三好充恭「高松琴平電気鉄道・高松市内線」『鉄道ピクトリアル』No.319
和久田康雄『日本の市内電車 -1895 - 1945-』成山堂書店、2009年、121-122、233頁
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表 話 編 歴
日本の路面電車
執筆の途中です この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
カテゴリ: 四国地方の鉄道路線 (廃止)高松琴平電気鉄道かつて存在した路面電車路線香川県の交通史
屋島ケーブル
屋島ケーブル
登山口駅に停車中の2号車「辨慶号」
登山口駅に停車中の2号車「辨慶号」
概要
種別 鋼索鉄道
現況 廃止
起終点 起点:屋島登山口駅
終点:屋島山上駅
駅数 2駅
運営
開業 1929年4月21日
廃止 2005年8月31日
所有者 屋島登山鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 0.8 km (0.50 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
運行速度 2.52 m/s (8.3 ft/s)
最高地点 高低差 265 m (869 ft)
最急勾配 447 ‰
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線
凡例
exENDEa+BSalr
0.8 屋島山上駅
exSTR+BSlr
exTUNNEL1
exSPLa
exSPLe
exSTR
exSTR+BSlr
exENDEe+BSelr
0.0 屋島登山口駅
1号車「義経号」(廃止後に撮影)
廃止後の様子
車内(廃止後、2007年10月15日)
屋島ケーブル(やしまケーブル)は、かつて香川県高松市にあった屋島登山口駅から屋島山上駅に至る屋島登山鉄道のケーブルカー路線である。屋島ケーブルと呼ばれていたが正式な路線名はない。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 運行形態
3 車両
4 歴史
4.1 廃止へ
4.2 廃止後
5 駅一覧
5.1 接続路線
6 運賃
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
概要[編集]
観光地「屋島」を登るケーブルカーで、山上にある四国第八十四番霊場の南面山屋島寺や景勝地の獅子の霊巌への足となっていた。屋島ドライブウェイが開通する1961年(昭和36年)までは唯一の動力登山手段であり、またドライブウェイ開通後も山上へ登るための唯一の公共交通機関であった。
路線データ[編集]
路線距離:0.858km(営業キロは0.8km)
軌間:1067mm
駅数:2駅(起終点駅含む)
高低差:265m
最急勾配:447‰(最緩勾配:202‰)
速度:2.52m/s(9.072km/h)
捲揚機:2段減速エンドレス式(スイス・ギーセライベルン社製)
電動機:150馬力(電圧440V)
定員:121名
客数:5万5,514人(2003年度)[1]
運行形態[編集]
上下同時発車で毎時15分・35分・55分の20分間隔で運行されていた。所要時間は5分。シーズン中(3月21-5月15日、7月25日-10月10日)の営業時間は平日が8:15から18:15、休日(土・日・祝)が7:35から18:55発車分まで。それ以外のオフシーズンは終日8:55から17:35発車分まで。
車両[編集]
1950年(昭和25年)の営業再開にあわせて日立製作所で製造された1・2の2両を保有しており、1に「義経号」、2に「辨慶号」の愛称が付けられていた。車体は白地に赤帯の塗装であった。
歴史[編集]
1926年の計画ではケーブルカーと地上部(平坦線)を予定していたが、実現したのはケーブルカーのみであった。
1926年(大正15年)4月7日 屋島登山電気鉄道発起人に対し鉄道免許状下付[2]
1927年(昭和2年)
3月18日 屋島登山鉄道への社名変更届出[3]。
11月24日 屋島登山鉄道株式会社設立[4][5]。
1929年(昭和4年)4月21日 屋島神社前(後の屋島登山口) - 屋島南嶺(後の屋島山上)間が開業[6]。
1930年(昭和5年)8月26日 木田郡古高松村 - 同郡屋島村(平坦線)の鉄道免許取消[7]。
1944年(昭和19年)2月11日 屋島神社前 - 屋島南嶺間が不要不急線として休止。資材を供出。
1950年(昭和25年)4月16日 屋島登山口 - 屋島山上間が営業再開。屋島神社前駅が屋島登山口駅、屋島南嶺駅が屋島山上駅へ改称。
2004年(平成16年)10月16日 屋島登山口 - 屋島山上間が営業休止。
2005年(平成17年)8月31日 屋島登山口 - 屋島山上間が廃止。
廃止へ[編集]
2004年(平成16年)10月12日、ケーブルの運営会社である屋島登山鉄道は高松地裁に自己破産を申請した[8]。負債総額は約9億円。直接的な原因は屋島観光の衰退に伴う利用客の減少で収支が悪化し、資金繰りが困難になったことであった[9]。しかし、その背景にはかつて当社は高松琴平電気鉄道(ことでん)の子会社であったが、ことでん本体が2001年(平成13年)末に民事再生法の適用を申請したため、以降当社はグループの支援を受けられず完全な単独経営を余儀なくされたことがあった(詳細は「屋島登山鉄道」を参照)。
運営会社の経営破綻と同時にケーブル事業も2004年10月16日から休止する旨を四国運輸局に届け出た。2005年(平成17年)7月1日には「鉄道事業の廃止届出」を行い、その中で事業廃止日を1年後の2006年(平成18年)7月1日とした。しかし、廃止届出から約1か月半後の2005年8月22日には「事業廃止の日の繰上の届出」をし、当初予定していた廃止日を一年近く繰り上げることを決定。その届出通り同年8月31日に廃止された[10]。運営会社は破産手続きを進めながら、譲渡先を探すなどケーブルカーの存続の道を模索したが、施設の老朽化などが障害となって譲渡先は見つからなかった。
運行最終日となった2004年10月15日には、約800人の観光客が詰めかけたが、運行前の試運転時に電気系統にトラブルが発生。両車両ともに駅から約50mの位置に停止したまま動かなくなり、結局、終日事故運休となった[11]。
廃止後[編集]
屋島ケーブル廃止後は、乗合タクシーによる代行輸送が行われていた。また2006年12月の新屋島水族館開館に併せ、土日祝日と一部の学校休業日にはことでんバスにより琴電屋島駅 - 屋島山上間のシャトルバスの運転が開始された。このバスは好評のため2007年(平成19年)4月1日から毎日運転となり、同時にJR屋島駅への乗り入れも開始され、屋島への公共交通機関が完全復活した[12][13]。
2005年11月からボランティア団体によるケーブルカーの運行再開を求める署名活動が行われた[14]。
しかし、高松市が屋島の活性化をめざして2011年に設置した「屋島会議」は、2012年11月に市長に提出した「屋島活性化基本構想(仮称)最終報告」の中で、ケーブルについては「登山道・遊歩道として整備することを念頭に、関係する行政機関が連携し、適切に対応していくものとする」としており、ケーブルとして復活する方針は採用されていない[15][16]。
屋島山上駅に置かれていた車両については、災害時等に滑落する懸念から、2013年1月に四国森林管理局香川森林管理事務所の手によって山麓の屋島登山口駅まで引き下ろされた[16]。
屋島登山口駅については、2014年 - 2015年頃に解体され[17]、2016年に地元新馬場自治会の自治会館「新馬場会堂」が落成したが、駅のホームは撤去されず、車両2両が留置された状態で存置している。なお、車両2両については、2015年に車体の錆び落としと、グリーン1色への再塗装を実施している[18]。
駅一覧[編集]
事業者名・路線名等は廃止時点のもの。全駅とも香川県高松市に所在。
駅名 営業キロ 接続路線
屋島登山口駅 0.0 高松琴平電気鉄道:志度線(琴電屋島駅:徒歩連絡)
四国旅客鉄道:高徳線(屋島駅:徒歩連絡)
屋島山上駅 0.8
接続路線[編集]
登山口駅への最寄り駅はことでん琴電屋島駅が徒歩5分(約310m)で最短である。琴電屋島駅からの距離に不動産取引表示の際に利用される徒歩所要時間(時速4.8km)の基準を当てはめると3分となるため一部資料にはこの数字が利用されている場合があるが、駅からは緩い上り坂になっているため実際は5分ほどかかり、公式パンフレットなどでもこの時間が記載されている。また、JR屋島駅からの徒歩時間は公式パンフレットでは徒歩10分 (1.14km) とされているが、徒歩所要時間(時速4.8km)の基準を当てはめるとこの距離は徒歩14分かかる。しかしそれでも、実際は経路が複雑なうえに国道11号などいくつかの道路を横断し、かつ琴電屋島駅からと同様に緩い上り坂を登る必要があるため、実際は14分では到達しない場合がある。
コトデンバス(当時)はかつて(1990年代後半まで)高松築港駅から登山口駅行き(行先表示は「屋島ケーブル」)の路線バスを運行していた。ちなみに同社は屋島山上への直行バスも運行していた。
山上を移動する手段としては山上駅から貸し自転車(500円)が貸し出されていた。
運賃[編集]
一般 団体(25人以上) 団体(100人以上) 団体(300人以上)
片道 往復 片道 往復 片道 往復 片道 往復
大人 700円 1300円 630円 1170円 580円 1040円 490円 910円
高校生 580円 1040円 490円 910円 420円 780円
中学生 490円 910円 420円 780円 350円 650円
小人 350円 650円 280円 520円 250円 460円 210円 390円
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 平成16年版高松市統計年報・11 教育・文化(その2)124-129 - 高松市
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年6月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 鉄道省『鉄道統計資料』昭和元年度 第3編 監督、p.8(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 運輸省鉄道局監修『鉄道要覧』平成九年版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.187
^ 『日本全国諸会社役員録. 第36回』(国立国会図書館デジタルコレクション)では1927年3月、『日本全国諸会社役員録. 第37回』(国立国会図書館デジタルコレクション)では1927年11月設立。
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年5月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許一部取消」『官報』1930年8月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 地裁に自己破産を申請-屋島登山鉄道 - 四国新聞、2004年10月13日
^ 屋島登山鉄道、12日に自己破産申請へ - 四国新聞、2004年10月9日
^ 屋島登山鉄道、8月末で事業廃止 - 四国新聞、2005年8月23日
^ トラブルで運休-屋島ケーブル最終日 (Internet Archive) - 四国新聞、2004年10月16日
^ シャトルバス毎日運行へ 屋島山上―琴電屋島駅 - 四国新聞(47NEWS)、2007年3月30日
^ 屋島山上行シャトルバス - ことでんバス
^ 屋島ケーブル再開へ-署名活動を開始 - 四国新聞、2005年12月5日
^ 屋島活性化基本構想(仮称)最終報告 (PDF) (高松市ウェブサイト)p.51を参照。
^ a b 屋島ケーブルカー、麓へ/車両滑落防止で移動 - 四国新聞、2013年1月22日
^ 参考外部リンク
^ 参考外部リンク
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、屋島ケーブルに関連するカテゴリがあります。
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
外部リンク[編集]
屋島再生にケーブルカーは必要か - 四国新聞社
カテゴリ: 四国地方の鉄道路線 (廃止)日本の鋼索式鉄道香川県の交通史高松市の交通高松市の歴史屋島
内子線
JR logo (shikoku).svg内子線
概要
起終点 起点:新谷駅
終点:内子駅
駅数 4駅
路線記号 U
運営
開業 1920年5月1日
所有者 愛媛鉄道→鉄道省→
運輸通信省→運輸省→
Japanese National Railway logo.svg日本国有鉄道→
JR logo (shikoku).svg四国旅客鉄道
使用車両 予讃線の使用車両を参照
路線諸元
路線総延長 5.3 km (3.3 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
過去の軌間 762 mm (2 ft 6 in)
運行速度 最高110 km/h (68 mph)
[折り畳む]路線図
Map railroad japan uchiko rough.png
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線
凡例
STR
予讃線
BHF
U14/S18 伊予大洲駅
伊予若宮信号場
ABZlf eABZq+l BHFq
S17 五郎駅 予讃線
exSTR
予讃線支線
eABZrg
旧線 -1986
BHF+GRZq
0.0 U13 新谷駅
BHF
1.2 U12 喜多山駅
eABZrf
旧線 -1986
exTUNNEL1 STR
exBHF BHF
3.7 U11 五十崎駅
exSTR TUNNEL1
五十崎トンネル
exKBHFe BHF
5.3 U10 内子駅
STR
予讃線支線
内子線(うちこせん)は、愛媛県大洲市の新谷駅から愛媛県喜多郡内子町の内子駅に至る四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線(地方交通線)である。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 輸送密度
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 その他
7 脚注
8 関連項目
概要[編集]
かつては予讃線の五郎駅から分岐して内子駅に至る盲腸線であった。現在は予讃線の向井原駅 - 伊予大洲駅間短絡ルート(建設時の名称は内山線)の一部に組み込まれ特急列車が行き交う路線となっているが、換算キロ制(現在のJR四国では擬制キロ制となっている)が適用されている地方交通線に指定されたがゆえに、幹線の予讃線(当時は予讃本線)に編入することができず、内子駅 - 新谷駅間が内子線のままとなっている。
短絡ルートに組み込まれる前の輸送密度は500人/日を下回る程度で、1980年に制定された日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の定める第1次特定地方交通線に選定される水準であったが[1]、短絡ルートになることで想定輸送密度は6700人/日と算定され大幅な増加が見込めることを理由に存続が決定した。国鉄再建法によって原則的に工事が凍結された日本鉄道建設公団AB線(地方開発線・地方幹線)の中で、内山線は北関東の鹿島新線とともに工事凍結を免れた2路線の中の1路線であり、しかも内山線は再建法施行以降に全線が国鉄線として開業した唯一の鉄道公団AB線である。ただし内山線は重要ルートとしての活用が約束されたにもかかわらず、鉄道公団線としては最低ランクのA線=地方開発線扱いであった。内山線と当線を合わせた区間が存続・建設となった理由としては、既存の伊予灘沿いの予讃本線が地すべり地帯で危険であることもあげられていた[2]。
地元住民からは内子線に加え予讃線の向井原駅 - 内子駅間および新谷駅 - 伊予大洲駅間に関しても未だに「内山線」と呼ばれている。
旅客向け時刻表や『鉄道要覧』では予讃線の伊予長浜経由の従来ルートと内子経由の短絡ルートの分岐点を伊予大洲駅としているが、実際の分岐点は予讃線五郎 - 伊予大洲間にある伊予若宮信号場である。ここでは時刻表や『鉄道要覧』に倣い伊予大洲駅を分岐点として記述する。
キロポストは高松駅からの距離の表示となっているため、内子線では終点から起点に向かってキロポストの数字が増えていき、下り線の進行方向左側に設置されている。
路線データ[編集]
管轄(事業種別):四国旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):5.3km
軌間:1067mm
駅数:4(起終点駅含む)
起終点駅を含めた全駅が内子線所属駅となっている[3]。
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:単線自動閉塞式
最高速度:110km/h
輸送密度[編集]
平均通過人員(輸送密度:人/日)は以下の通り[4]。
1989年度:4,445人
2011年度:3,806人
2012年度:
2013年度:3,883人
2014年度:3,825人
2015年度:3,810人
2016年度:3,664人[5]
運行形態[編集]
予讃線と一体的に運行されており、高松・岡山・松山 - 宇和島間の特急列車や松山・伊予市 - 伊予大洲・八幡浜・宇和島間の普通列車が運転されている。
そのため、起点は新谷であるが、松山・伊予市(・内子)発が下りとなっている。
盲腸線時代は五郎から内子間の線内折り返しのほか、1日1本のみ隣の伊予大洲駅まで運転する列車が存在した。
歴史[編集]
内子線旧線(新谷 - 五郎)跡
1920年(大正9年)5月1日:愛媛鉄道により若宮連絡所(五郎 - 大洲間にあった分岐点で現在の伊予若宮信号場) - 内子間が開業。軌間762mmの軽便鉄道であった。
1933年(昭和8年)10月1日:国有化され愛媛線となる。
1935年(昭和10年)10月6日:1067mm軌間に改軌。五郎駅分岐となり内子線と改称。
1971年(昭和46年)12月1日:貨物営業廃止。
1985年(昭和60年)11月25日:新谷 - 五十崎間(喜多山 - 五十崎間の一部を除く)で重軌条化・路盤強化及び曲線緩和工事に着手。これに伴い、全区間が翌年3月2日までバス代行輸送となる。
1986年(昭和61年)3月3日:予讃本線の向井原 - 内子間、新谷 - 伊予大洲間の開業により内子線が短絡ルートに組み込まれる。新谷駅に交換設備が設けられ、五十崎・内子両駅は移転、五郎 - 新谷間は廃止。CTC化。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により四国旅客鉄道に承継。日本貨物鉄道の第二種鉄道事業開業。
2006年(平成18年)4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業廃止。
駅一覧[編集]
営業中の区間の一覧表は「予讃線」も参照
普通列車はすべての駅に停車。特急列車停車駅は「宇和海 (列車)」ほか列車記事を参照。なお、普通・特急ともすべての列車が予讃線伊予市駅方面および伊予大洲駅方面へ直通する。
全駅愛媛県内に所在
駅番号 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 所在地
U13 新谷駅 - 0.0 四国旅客鉄道:予讃線(直通運転) 大洲市
U12 喜多山駅 1.2 1.2
U11 五十崎駅 2.5 3.7 喜多郡内子町
U10 内子駅 1.6 5.3 四国旅客鉄道:予讃線(直通運転)
廃止区間(経路変更による旧線、1986年3月3日廃止)
五郎駅 - 新谷駅
その他[編集]
映画撮影
1988年5月に、新線への切り替えで使用されなくなった五十崎駅付近の旧線を使用して、映画『ダウンタウン・ヒーローズ』の撮影が行われた。このとき車両として運転されたのは、1977年に米山工業の手で復元された伊予鉄道1号機(坊っちゃん列車の蒸気機関車)であった[6]。これは正真正銘の蒸気機関車で、現在伊予鉄道松山市内線で走行しているディーゼル駆動のものとは別車両である。
選択乗車の特例
向井原駅以遠(伊予市・松山・高松方面)と伊予大洲駅以遠(宇和島方面)との間には内子線経由と伊予長浜経由とで選択乗車の特例[7]があり、一方を経由する乗車券を持っていれば他方の経路でも乗車できる。途中下車の禁じられていない乗車券であれば他方の経路上でも途中下車できる(併用の場合を除く)。
脚注[編集]
^ それ以前の1968年9月に国鉄の諮問委員会が答申した赤字83線に選定されている。
^ 種村直樹『ローカル線の旅』日本交通公社、1981年、p236
^ 全駅が同路線所属なのは、孤立路線を除くと当路線と函館本線、越美北線のみである。
^ 区間別平均通過人員(輸送密度) および 旅客運輸収入(平成27年度) (PDF) - 四国旅客鉄道
^ “平成29年3月期決算発表 (PDF)”. 四国旅客鉄道 (2017年5月8日). 2017年5月12日閲覧。
^ 白川淳『全国保存鉄道』IV 西日本編、JTB、1998年、p.125
^ 旅客営業規則 第157条 34号 - 東日本旅客鉄道
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
国鉄の特殊狭軌線 - かつて該当。旧線名「愛媛線」。
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表 話 編 歴
JR logo (shikoku).svg 四国旅客鉄道
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表 話 編 歴
日本国有鉄道 赤字83線
カテゴリ: 四国地方の鉄道路線四国旅客鉄道の鉄道路線日本国有鉄道の鉄道路線赤字83線愛媛鉄道愛媛県の交通部分廃止路線