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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
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対局(専用)ソフトを使用しません。ブラウザーのみで動作します。インストール不要なので不安がありません。
一般的なゲームでは、「礼」に重きをおきませんが、知的ゲームでは、礼を重んじる利用者が多いので、礼を心がけたいものです。
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初心者の方も、対局できるようになっております。
ルールを知ったが、対局する機会がない人に最適です。ルールが解らない方は、申し訳ありませんが事前に習得して頂けれは幸いです。
囲碁のルールは単純なのでずか、ゲームは難しいです。
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オススメするネット囲碁対局場3選
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これらを鑑みると、
3:幽玄の間
2:KGS
1:パンダネット
だそうです。
推薦者のブログ
幽玄の間の口コミ
幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
銀鏡軌道
路線総延長 11.7 km
軌間 610 mm
凡例
exSTR
妻線
杉安
日向軌道
uexDST
0.0 二軒橋 (八重)
uexDST
2.1 石橋
uexDST
4.2 一ノ瀬
uexDST
5.7 吉松
uexDST
6.3 宮ノ谷
uexDST
6.9 柳
uexDST
8.3 槙ノ鼻
uexKDSTe
11.7 銀鏡
今尾 (2009) に基づく
銀鏡軌道(しろみきどう)は、かつて宮崎県に存在した貨物専業の馬車鉄道・人車軌道。日向軌道終端の二軒橋に近い八重を起点とし、銀鏡との間を結んでいた。
経営は当初組合形式であったが、後に合名会社形式へ変更された。日本で最後まで現存した民営の馬車鉄道路線にもなった[1]。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 沿革
3 輸送・収支実績 ・車両数
4 脚注および参考文献
路線データ[編集]
路線距離:八重 - 銀鏡間11.1km[2]
軌間:610mm
沿革[編集]
1925年(大正14年) 二軒橋 - 槙ノ鼻間が実質的に開業[3]
1926年(大正15年)5月14日 銀鏡軌道組合に対し軌道特許状下付(児湯郡東米良村大字八重-同郡同村大字銀鏡間 動力馬力)[4]
1926年(大正15年)夏 槙ノ鼻 - 銀鏡間を木村林業から買収し事実上の全通[3]
1932年(昭和7年)1月20日 銀鏡軌道組合として軌道法に基づく正式開業(動力馬力及人力)[5]
1936年(昭和11年)4月20日 合名会社銀鏡軌道に改組[6]
1949年(昭和24年)1月 会社解散、実質的に廃止
1949年(昭和24年)5月13日 正式廃止
東米良村では明治43年に谷口善吉が上揚-征矢抜間(5キロ)、大正8年に木村工業(前述の木村林業との関係不明)が上揚-銀鏡間に森林軌道敷設の記録がある[7]。
輸送・収支実績 ・車両数[編集]
年度 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 無蓋貨車
1932 1,223 4,512 2,922 1,590 償却金1,412 5
1933 3,199 12,366 7,237 5,129 雑損償却金5,009 5
1934 3,401 14,943 9,158 5,785 雑損償却金5,510 7
1935 3,571 16,256 10,993 5,263 雑損償却金4,847 7
1936 2,750 12,134 9,237 2,897 雑損17償却金2,880 4
1937 2,799 12,384 8,427 3,957 雑損1償却金5,255 4
1939 2,988 13,417 9,547 3,870 雑損482償却金5,027
1941 3,551 17,819 17,301 518 雑損2,523退職金1,438
1948 1,081
1949 1,180
鉄道統計資料、鉄道統計、鉄道統計年報、地方鉄道軌道統計年報各年度版
脚注および参考文献[編集]
^ 北海道の簡易軌道風蓮線では1963年まで馬力を使用していた。
^ 今尾 (2009) では二軒橋(八重) - 銀鏡間11.7km
^ a b 今尾 (2009)
^ 「軌道特許状下付」『官報』1926年5月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在官報』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 3月26日譲渡許可「軌道譲渡」『官報』1936年3月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『宮崎県林業史』宮崎県、1997年、448頁
今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
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カテゴリ: 馬車鉄道九州地方の鉄道路線 (廃止)人車軌道宮崎県の交通史
住吉村営人車軌道
[隠す]住吉村営人車軌道
路線総延長 1.7 km
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
国鉄:日豊本線
0.0 次郎ヶ別府駅
uexBST
四本松交換所
uexKBHFe
1.7 住吉神社
松林の中を行く住吉村営人車軌道
住吉村営人車軌道(すみよしそんえいじんしゃきどう)は、宮崎県北那珂郡住吉村(現・宮崎市)において、1913年(大正2年)から1929年(昭和4年)まで運行されていた人車軌道である。住吉神社への参拝客輸送が主目的であった。
なお、後述するように公文書における記録が存在せず、正式名称が不明である。本項目における記事名は、宮田憲誠「宮崎にもあった人車軌道 住吉村営人車軌道」[1]に拠った。当時の地形図などには住吉人車軌道と記載されている。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 運行形態・車両・沿線概況
3 歴史
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
概要[編集]
1911年(明治44年)に宮崎県知事に就任した有吉忠一は、かつて千葉県知事時代にそうしたように県営鉄道敷設を提唱し、宮崎県営鉄道妻線(後の日豊本線の一部と妻線(現在は廃止))を開業させた。住吉村ではこれをきっかけに村の振興を図り、同線の駅であった次郎ヶ別府駅(現・日向住吉駅)から村内の住吉神社まで参拝道路を整備したところ、以前は3,000人程度だった例祭時の参拝客が10,000人を超えるようになるなどの活況を示すようになった[1]。この状況をみた県営鉄道は参拝道路へ人車軌道を敷設することを住吉村へ提案し、村もこれを承認。こうして1914年(大正3年)5月に敷設工事が始まり、同年8月1日に住吉村営人車軌道が開業した。なお、敷設には県営鉄道の工事で不要になった資材が利用された[1]。
ただし、この路線に関して、内務省や宮崎県の公式文書には一切記録が残っていない。このことから、軌道条例(後の軌道法)に基づいて敷設された可能性は低く、かつて有吉が千葉県知事であった時代に敷設された庁南茂原間人車軌道と同様、県の特例によって敷設されていたのではないかと推測されている[1]。
開業してみると、参拝客のほか、県営鉄道の主催で住吉浜にて行なわれた観月祭への客や、住吉村に設置された「飛行機館」(第一次世界大戦の戦利品などが展示されていた)への客などの利用もあり、当初は1日平均5円以上の収入があるなど好調な経営であった[1]。
その後の詳細は不明。1929年(昭和4年)に廃止されたということのみが判明している[1]。
路線データ[編集]
路線距離:1.7km[2]
軌間:不明
駅数:2?
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
運行形態・車両・沿線概況[編集]
車両はスプリング仕掛の長椅子を向かい合わせた形の4人乗りで、足踏ブレーキを備えていた。また、屋根付きのものと屋根無しのものが存在した。これを押夫(これは住吉村の青年会員が行なった)2人が押すという形で運行し、片道約15分、運賃は5銭(後に10銭)であった。なお、途中「四本松」という地点には交換所があった。
沿線は松林、果樹園、スイカ畑などがほとんどで、のどかな風景であった[1]。
歴史[編集]
1914年(大正3年)
5月 工事開始
8月1日 開業
1929年(昭和4年) 廃止
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』2005年1月号、電気車研究会、130-131頁
^ 住吉郷土誌による。ただし、当時の日州新聞には2.01km、あるいは1.75kmという記述もみられる
参考文献[編集]
宮田憲誠「宮崎にもあった人車軌道 住吉村営人車軌道」、『鉄道ピクトリアル』2005年1月号、電気車研究会、130-131頁
『かつしかブックレット15 帝釈人車鉄道 -全国人車データマップ-』、葛飾区郷土と天文の博物館、2006年
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
外部リンク[編集]
『宮崎県写真帖』1920年(国立国会図書館デジタルコレクション)住吉浜への交通の便として人車鉄道を案内している
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)人車軌道宮崎県の交通史宮崎市の交通宮崎市の歴史
高千穂鉄道高千穂線
高千穂線
高千穂橋梁を渡る延岡行の列車
高千穂橋梁を渡る延岡行の列車
概要
現況 廃止
起終点 起点:延岡駅
終点:高千穂駅
駅数 19駅
運営
開業 1935年2月20日
三セク転換 1989年4月28日
廃止 2008年12月28日
所有者 National Railway Symbol of Japan.png 鉄道省→運輸通信省→運輸省→
Japanese National Railway logo.svg 日本国有鉄道(国鉄)→
JR logo (kyushu).svg 九州旅客鉄道(JR九州)→
高千穂鉄道
路線諸元
路線総延長 50.0 km (31.1 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
eABZq+l BHFq
0.0 延岡駅 ←日豊本線→
exBHF
4.1 西延岡駅
exBHF
6.8 行縢駅
exBHF
10.4 細見駅
exBHF
11.6 日向岡元駅
exBHF
13.3 吐合駅
exBHF
14.6 曽木駅
exBHF
17.1 川水流駅
WASSER+l exWBRÜCKE WASSERq
五ヶ瀬川
WASSER exBHF
19.9 上崎駅
WASSER exBHF
24.9 早日渡駅
WASSER exBHF
26.4 亀ヶ崎駅
WASSERl exWBRÜCKE WASSER+r
五ヶ瀬川
exBHF WASSER
29.1 槇峰駅
exBHF WASSER
31.5 日向八戸駅
WASSER+l exWBRÜCKE WASSERr
五ヶ瀬川
WASSER exBHF
32.9 吾味駅
WASSERl exWBRÜCKE WASSER+r
五ヶ瀬川
exBHF WASSER
37.6 日之影温泉駅
exTUNNEL1 WASSER
第二日之影トンネル
exBHF WASSER
40.4 影待駅
exTUNNEL1 WASSER
天狗山トンネル
exBHF WASSER
44.0 深角駅
exTUNNEL1 WASSERl
大平山トンネル 2938m
exWBRÜCKE WASSERq
高千穂橋梁 岩戸川 353m
exBHF
47.9 天岩戸駅
exBHF
50.0 高千穂駅
exSTR POINTERd
未開業区間
exHST
(54.0) 上野
exHST
(57.0) 田原
exHST
(59.6) 河内
exSTR+GRZq
↑宮崎県/熊本県↓
exHST
(65.9) 日向泊
extSTRa
高森トンネル 6500m
extSTRe POINTERu
未開業区間
KBHFl xABZlg
(73.0) 高森駅
STR
高森線
トンネル・橋は主なもののみ記載
風光明媚な五ヶ瀬川を鉄橋で何度も横断していた
「トロッコ神楽号」の車内で販売されていた弁当
高千穂線(たかちほせん)は、かつて宮崎県延岡市の延岡駅から宮崎県西臼杵郡高千穂町の高千穂駅を結んでいた高千穂鉄道の鉄道路線である。2005年9月の台風14号による被害で運行休止となり、2008年12月28日に全線が廃止された(詳細は後述)。
以前は日本国有鉄道(国鉄)大分鉄道管理局、九州旅客鉄道(JR九州)の路線であった。なおこの項では、国鉄時代に建設中止となり未成線となった区間についても詳述する。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
4.1 開業区間
4.2 未開業区間
5 輸送・収支実績
6 未開業区間
6.1 鉄道敷設について
6.2 工事中止後の状況
7 代替輸送
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
概要[編集]
旧国鉄特定地方交通線であった高千穂線を転換して開業した路線である。五ヶ瀬川に沿って宮崎県北部の工業都市延岡市と神話の里高千穂町を結ぶ。深角 - 天岩戸間の高千穂橋梁(全長353m)は水面からの高さが105mあり、日本一高い鉄道橋であった。そのため、旧国鉄時代から同橋梁上では乗客に対して眺望や高さを堪能させることも目的とした徐行運転を行っていた。
しかし、2005年9月6日の台風14号による増水で第一五ヶ瀬川橋梁(川水流 - 上崎間)、第二五ヶ瀬川橋梁(亀ヶ崎 - 槇峰間)が流失するなど全線にわたって甚大な被害を受け、運行休止となった。宮崎県や沿線自治体が復旧費用の負担に難色を示したため、高千穂鉄道としての復旧・運行再開を断念し、全線廃止とすることが決定された。2007年9月6日に延岡 - 槇峰間が廃止、翌2008年12月28日に高千穂 - 槇峰間も含む全線が廃止された[1]。
ただし、民間で復旧・運行再開をする企業・団体が現れれば譲渡を検討するとしており、宮崎県内外からいくつかの企業が名乗りを上げたほか、高千穂町の観光・商工関係者らが部分運行再開のための会社として「神話高千穂トロッコ鉄道(しんわたかちほトロッコてつどう)」を設立した。同社は、まずは2008年12月に廃止された日之影温泉 - 高千穂間で部分運行再開し、その後日之影温泉から槇峰、将来的には、2007年に廃線となった延岡までの再開を目指している。なお、神話高千穂トロッコ鉄道は2008年4月1日に社名が「高千穂あまてらす鉄道」と改称された。現在は高千穂あまてらす鉄道が高千穂駅 - 高千穂橋梁間をスーパーカートによる遊具としての不定期運行を行っている状況である。
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):50.0km
軌間:1067mm
駅数:19駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:特殊自動閉塞式
運行形態[編集]
すべて線内折り返し運転で、ワンマン運転を実施していた。2両編成の場合は車掌乗務だが、ほぼ1両での運転のため、滅多に乗務していなかった。
1991年から前面展望車両の指定席車と一般車の自由席車を連結した「たかちほ号」が運行されていたが、2003年3月からはこれに代わりトロッコ列車の「トロッコ神楽号」が運行開始され、2005年の運行停止まで運行された。
運行停止の時点では1日13往復の列車が運行しており、毎時1本程度の運行であったが、2時間以上間が開く時間帯もあった。
第三セクター転換後は高千穂駅と延岡駅で夜間滞泊が設定されていた。国鉄時代は日ノ影駅で夜間滞泊があり、朝の高千穂駅の始発は日ノ影 - 高千穂間を回送列車として運行されていた。
歴史[編集]
元々は改正鉄道敷設法で「熊本県高森ヨリ宮崎県三田井ヲ経テ延岡ニ至ル鉄道」として定められ、延岡から三田井(高千穂)を経て高森線(現在の南阿蘇鉄道高森線)の高森駅までの延伸が計画されていたが、国鉄時代に延岡 - 高千穂間が開業したにとどまった。高千穂 - 高森間27.0 kmの建設はトンネル掘削中の異常出水事故により中断、1980年(昭和55年)に工事が凍結された(詳細は「未開業区間」の項で後述)。
1935年(昭和10年)2月20日 日ノ影線の延岡 - 日向岡元間が新規開業、西延岡・行縢・日向岡元の各駅を新設
1936年(昭和11年)4月12日 日向岡元 - 川水流間を延伸開業、曽木・川水流の両駅を新設
1937年(昭和12年)9月3日 川水流 - 槇峰間を延伸開業、早日渡・槇峰の両駅を新設
1939年(昭和14年)10月11日 槇峰 - 日ノ影間を延伸開業、日向八戸・日ノ影の両駅を新設
1957年(昭和32年)2月1日 細見・吐合・上崎・亀ヶ崎・吾味の各駅を新設
1972年(昭和47年)7月22日 日ノ影 - 高千穂間を延伸開業し高千穂線と改称。この区間は旅客営業のみ。影待・深角・天岩戸・高千穂の各駅を新設
1974年(昭和49年)4月1日 延岡 - 日ノ影の貨物営業を廃止
1975年(昭和50年)2月 建設中の高森トンネル坑内で異常出水事故。高森町内の井戸水が枯れ水道が断水
1976年(昭和51年)9月 高森トンネル工事が一時中断
1980年(昭和55年) 国鉄再建法成立により高千穂 - 高森間の鉄道建設凍結
1982年(昭和57年)8月13日 台風11号による増水で川水流 - 日ノ影間が不通(12月復旧)
1984年(昭和59年)6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1987年(昭和62年)4月1日 開業区間を九州旅客鉄道が承継。未開業区間は日本国有鉄道清算事業団が承継
1988年(昭和63年)6月21日 第三セクター会社への転換を決定
1989年(平成元年)4月28日 高千穂鉄道に転換。運行本数を増発、日ノ影滞泊を廃止し高千穂滞泊に変更
1993年(平成5年) 高千穂 - 高森間の鉄道建設用地・工作物などが日本国有鉄道清算事業団から高千穂町・高森町へ無償譲渡
1995年(平成7年)1月1日 日ノ影駅を日之影温泉駅に改称
2005年(平成17年)9月6日 台風14号による増水で第一五ヶ瀬川橋梁、第二五ヶ瀬川橋梁が流失し全線で運行休止。同年12月に復旧断念と廃止の方針が決定
2006年(平成18年)9月5日 延岡 - 槇峰間の廃止届と槇峰 - 高千穂間の休止届を国土交通省九州運輸局に提出
2007年(平成19年)
9月6日 延岡 - 槇峰間 (29.1 km) を廃止
12月27日 槇峰 - 高千穂間の廃止届を九州運輸局に提出
2008年(平成20年)12月28日 槇峰 - 高千穂間 (20.9 km) を廃止
駅一覧[編集]
開業区間[編集]
駅所在地の自治体名は休止時点のもの。全線宮崎県内に所在。
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線・備考 所在地
延岡駅 - 0.0 九州旅客鉄道:日豊本線 延岡市
西延岡駅 4.1 4.1
行縢駅 2.7 6.8
細見駅 3.6 10.4
日向岡元駅 1.2 11.6
吐合駅 1.7 13.3 東臼杵郡北方町
曽木駅 1.3 14.6
川水流駅 2.5 17.1
上崎駅 2.8 19.9
早日渡駅 5.0 24.9
亀ヶ崎駅 1.5 26.4
槇峰駅 2.7 29.1 西臼杵郡日之影町
日向八戸駅 2.4 31.5
吾味駅 1.4 32.9
日之影温泉駅 4.7 37.6 1995年に「日ノ影駅」から改称
影待駅 2.8 40.4
深角駅 3.6 44.0
天岩戸駅 3.9 47.9 西臼杵郡高千穂町
高千穂駅 2.1 50.0
未開業区間[編集]
駅間距離、高千穂駅以外の累計キロはいずれも計画距離。累計キロは延岡から、接続路線の事業者名、駅所在地は工事凍結時のもの。
駅名 よみ 駅間距離(km) 累計キロ 接続路線 所在地
高千穂駅 たかちほ - 50.0 (国鉄高千穂線開業区間) 宮崎県 西臼杵郡高千穂町
上野駅 かみの 4.0 54.0
田原駅 たばる 3.0 57.0
河内駅 かわち 2.6 59.6
日向泊駅 ひゅうがどまり 6.3 65.9 熊本県 阿蘇郡蘇陽町(現上益城郡山都町)
高森駅 たかもり 7.1 73.0 日本国有鉄道:高森線(現・南阿蘇鉄道:高森線) 阿蘇郡高森町
※河内駅 - 日向泊駅間で高森町を通過する予定であったが、駅設置計画はなかった。
輸送・収支実績[編集]
年度 旅客輸送人員(千人) 一日1Km平均通過人員(人) 鉄道業営業収入(千円) 鉄道業営業費(千円)
1989 542 785 274,999 321,618
1990 565 750 284,027 338,234
1991 564 827 273,806 330,102
1992 608 848 277,109 332,355
1993 544 798 237,801 326,402
1994 603 820 270,095 289,667
1995 563 763 248,571 268,057
1996 544 738 245,951 265,939
1997 518 692 224,032 243,388
1998 481 644 214,050 266,485
1999 459 622 203,183 281,412
2000 434 583 189,793 262,708
2001 411 577 183,819 245,918
2002 381 522 175,795 241,317
2003 389 539 189,057 244,061
2004 365 504 179,702 243,508
民鉄主要統計『年鑑日本の鉄道』1992年-2007年
未開業区間[編集]
鉄道敷設について[編集]
夢見路公園(手前)とトンネルの駅(奥)
夢見路公園(手前)とトンネルの駅(奥)
葛原トンネル
葛原トンネル
トンネル貯蔵庫
トンネル貯蔵庫
日清戦争の直後、軍事産業路線として熊本県と宮崎県延岡市を結ぶ九州横断鉄道敷設の話が持ち上がり、国鉄が延宇線(宇土 - 延岡)を計画したり、熊本 - 延岡を結ぶ鉄道敷設を目的として熊延鉄道が設立されたりするなどその気運は高まった。しかし、いずれも実現には至らなかった。その後1922年の改正鉄道敷設法で熊本 - 立野 - 高森 - 高千穂 - 日ノ影 - 延岡という鉄道計画が最終案となり(熊本 - 立野間は豊肥本線)、同年高森線(現・南阿蘇鉄道高森線)立野 - 高森間の工事が着手された。しかし国の財政難で工事が中断されたため、1925年には熊本県・宮崎県・大分県の関係者による「高千穂高森間鉄道速成同盟会」が結成され、鉄道建設促進運動を起こした結果、1939年までに延岡 - 日ノ影(現・日之影温泉)間が開通したものの、戦争の激化により再び鉄道建設の目処が立たないこととなった。 戦後の1947年、地元で「日ノ影高森間鉄道敷設期成同盟会」が結成され、この鉄道の全線貫通を国に請願したことから、1962年鉄道審議会が日ノ影 - 高森間の建設を決定した。1966年に日本鉄道建設公団(以下「鉄道公団」と略)によって日ノ影 - 高千穂間の敷設工事が着工され1972年に完成、残る高千穂 - 高森間27.0kmの工事も1973年に着工、1977年完成を目指して工事が進められた。
ところが1977年2月、掘削中の高森トンネル(予定延長6500m)の入口から2050m地点の坑内で、地下水の水脈を切断してしまったために毎分36tの異常出水が発生、これにより高森町内の湧水8か所が枯れ、井戸水を使用していた約1,000戸もの家庭で水道が断水するという事故が起きた。そのため鉄道公団側はトンネルからの水をポンプで吸い上げ、町内の家に配水するよう処置したが、被害は町内の水田約113haにも及んだ。翌年トンネル工事は一時中止となり、事故を巡って鉄道公団と地元との補償交渉が開始され、事故から10年以上経った1989年に補償協定が成立した。
この出水事故が最大の要因となり鉄道敷設工事は中断されたまま、その後のモータリゼーションにより鉄道の必要性そのものが小さくなり、1980年国鉄再建法成立により工事予算が凍結され全面的に中止となった。高千穂 - 高森間の工事の進捗率は30%であったが、当時鉄道公団高千穂鉄道建設所の話では「あと7年あれば全線開通できる」状態であったという。
高森線は1986年、高千穂線は1988年それぞれ第三セクター会社へ転換されたものの、結局この2つの鉄道を結びつける工事が再開されることはなく、明治時代からの悲願であった九州横断鉄道の夢は幻と消えた。
工事中止後の状況[編集]
建設用地は国鉄の分割民営化時に、その用地、工作物などすべてが日本国有鉄道清算事業団に承継され、1993年沿線自治体に無償譲渡された。完成していた一部のトンネルや高架橋は1998年までに解体され、その後高千穂町内の用地の60%は旧地権者に払い下げられた。そのため、未成線となった建設用地は未着工の部分もあって、そのほとんどが何処か分からなくなっているが、ところどころに用地の境界標や封鎖されたトンネル、橋脚の跡などが残っている。
高千穂町内に建設された葛原トンネルは現在神楽酒造が「トンネル貯蔵庫」として利用しており、周辺は「トンネルの駅」として整備されている。このトンネル貯蔵庫は無料で見学できる。またその近くの用地の一部が「夢見路公園」として整備され、夢に終わった九州横断鉄道の敷設時を偲ばせている。
異常出水により工事中断となった高森トンネルは、無償譲渡を受けた高森町が親水公園として整備を行い、現在は掘削された2055mの内550mが「高森湧水トンネル公園」として一般に開放されている。ただし、トンネル内に入るには入園料が必要である。なお、この全通工事完成の暁には、終点の高森駅がこのトンネルの入口付近へ移転する予定であった。
代替輸送[編集]
高千穂線廃止以前より、延岡 - 高千穂間では、宮崎交通により路線バスが運行されていた。そのため、高千穂線の廃止に当たっては、これらのバス路線を増発することによって対応している。しかしながら、全線にわたって並行するバスは設定されていない。また、都市間連絡バスのあそ号・たかちほ号が延岡 - 高千穂 - 五ヶ瀬町 - 高森 - 熊本空港 - 熊本間を連絡しており、鉄道で連絡する予定だった熊本県方面へ抜けることができる。
脚注[編集]
^ “高千穂線73年の歴史に幕 復興かなわず全線廃止”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年12月28日) 2014年4月13日閲覧。
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
未成線
外部リンク[編集]
高千穂鉄道
神楽酒造 - トンネルの駅 - 「トンネルの駅」(葛原トンネル)の案内記事あり
高森町観光協会 - 高森湧水トンネル公園
国土交通省九州運輸局 廃止公示[リンク切れ] (PDF)
甦れ高千穂線!高千穂あまてらす鉄道株式会社 公式ホームページ
宮崎交通 路線バス時刻表
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表 話 編 歴
日本国有鉄道 赤字83線
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表 話 編 歴
日本国有鉄道 特定地方交通線
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カテゴリ: 高千穂鉄道九州地方の鉄道路線 (廃止)第三セクター路線