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オススメするネット囲碁対局場3選
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
北九州市交通局
曖昧さ回避 「北九州市電」はこの項目へ転送されています。かつて北九州市内で西日本鉄道が運営していた路面電車については「西鉄北九州線」をご覧ください。
北九州市交通局
Kitakyushu City Transportation Bureau
Kitakyushu City bus Wakamatsu depot.jpg
北九州市交通局・若松営業所
種類 地方公営企業
略称 市営バス
本社所在地 日本の旗 日本
〒808-0017
福岡県北九州市若松区東小石町3番1号[1]
業種 陸運業
事業内容 自動車運送事業
代表者 小坪正夫[2]
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北九州市交通局(きたきゅうしゅうしこうつうきょく)は福岡県北九州市の自動車運送業務を担う地方公営企業法に基づく地方公営企業である。1929年に若松市交通局として発足し、1963年2月10日に若松市が小倉市・門司市・戸畑市・八幡市と対等合併してできた北九州市に引き継がれた。1929年に乗合バス、1950年に貸切バス、1972年に国内旅行業の事業を始めた[1]。
バス事業(公営バス)を展開している。かつては軌道事業も行っていた。
2013年から局長だった白杉優明[3]の後任として2015年4月から小坪正夫が局長を務める[2]。
目次 [非表示]
1 沿革
2 バス事業
2.1 営業所
2.2 一般路線バス
2.2.1 系統番号・方向幕
2.2.2 優等系統
2.3 主なバスターミナル
2.4 高速バス(運行終了)
2.5 車両
2.6 ひまわりバスカード
3 軌道事業(廃止)
3.1 路線データ
3.2 年表
3.3 車両
3.4 軌道事業の参考文献
3.5 その他
4 脚注
5 外部リンク
沿革[ソースを編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
1929年(昭和4年)6月15日 若松市、路線バス事業を開始。
1936年(昭和11年) 市営軌道(貨物専用路面電車)の運行を開始。
1950年(昭和25年)
4月24日 貸切バス事業を開始。
10月20日 西鉄バスとの間で若松 - 福岡間の相互乗り入れ開始(廃止時期不明)。
1963年(昭和38年)2月10日 北九州市発足、旧若松市の交通事業を引き継ぐ。この前後に若戸大橋経由のバス路線を運行開始。
1975年(昭和50年) 若松区内の貨物専用路面電車を廃止。
1987年(昭和62年) 向田営業所開設。
1999年(平成11年) 二島営業所・小石営業所を廃止。小石営業所の向かいにあった響南中学校(1997年度限りで閉校)の跡地に、交通局を二島営業所の位置から移転し、若松営業所を新設(庁舎は響南中学校旧校舎を活用)。
2001年(平成13年)9月20日 非接触式ICカード「ひまわりバスカード」を導入。
2002年(平成14年)10月26日 西鉄バス北九州の協力を受け、「社会実験」として黒崎芦屋間急行バスの運行を開始。
2006年(平成18年)
3月16日 北九州空港の移転に合わせ、折尾・学研都市ひびきのと空港を結ぶ高速バスの運行を開始。
4月1日 抜本的ダイヤ改正・路線再編を実施。大半の系統を二島駅で分断。
2007年(平成19年)8月1日 上記の北九州空港行き高速バスを向田営業所まで延伸。
2009年(平成21年)
4月1日 水巻町南部に乗り入れていた西鉄バス北九州中間線(63、64番系統)の一部区間廃止に伴い水巻町内区間はすべて廃止されたため、その代替として同町南部へ乗り入れを開始。また、上記の北九州空港行き高速バスを、西鉄バス北九州が運行している黒崎 - 北九州空港線と統合、同社との共同運行とし、一部の経路を変更(詳細後述)。
10月1日 利用促進を図るため小倉線を増便。平日は24便となり従来より8往復増便となった。
2010年(平成22年)
4月1日 上記の北九州空港行き高速バスから西鉄バス北九州が撤退、再び市営バスの単独運行に戻る(詳細後述)。
4月3日 4年ぶりに抜本的ダイヤ改正・路線再編を実施。
12月27日 小倉記念病院の移転に伴い、病院玄関前に「小倉記念病院玄関前」バス停を新設。
2011年(平成23年)
3月12日 小倉駅北口の「新幹線口(しんかんせんぐち)」への改称に伴い、「小倉駅北口」バス停名称を、「小倉駅新幹線口」に改称。
3月27日 上記の北九州空港行き高速バスを一度撤退した西鉄バス北九州へ民間移譲、学研都市ひびきの発着に戻る(詳細後述)。
4月1日 市立若松病院の「産業医科大学若松病院」への改称に伴い、「市立若松病院」バス停名称を、「産業医科大学若松病院」に改称。
10月3日 折尾トンネルの撤去工事に伴い、折尾駅 - 頃末 - 向田営業所の路線(86番系統)を2012年3月31日までの間折尾四丁目経由から九州女子大前経由に変更。
2012年(平成24年)
4月1日 16年ぶりに運賃改定を実施。
2013年(平成25年)
4月1日 芦屋町内の系統のうち、山鹿 - はまゆう団地間を廃止、芦屋町タウンバスに移譲。また、5月に八幡西区役所が移転されることに伴い、「八幡西区役所前」バス停名称を、「御手洗公園前」に改称。
8月1日 経営改善のため「ふれあい定期」の料金を全種従前の2倍に引き上げ。
2014年(平成26年)
3月26日 一部の路線で電気バスの運行を開始。
4月1日 消費税8%引き上げに伴い運賃改定を実施。
6月1日 不採算路線である若松北西部の路線を分断。小型バスによる運用開始。運賃は1区350円、2区400円。
12月21日 若松北西部線において、フリー降車制度を導入。
2016年(平成28年)
5月9日 初代ハローキティキャラクターバス(三菱ふそう製)運行を開始。
9月1日 受託路線を除いた全線においてダイヤ改正。上記不採算路線の運賃・路線見直しが図られ、特定区間の運賃は1区260円、2区290円などに引き下げられると共に加算運賃制度に移行。あわせて特定加算運賃適用区間が若松区北西部の大半に拡大した。また、2002年10月26日から試験運行を開始した「黒崎芦屋間急行バス」(芦屋急行線)が、自家用車の普及等の影響で利用者が伸び悩み本格実施へ移行することが困難であると判断され、2017年3月31日をもって西鉄バス北九州と共に廃止することが決定。これに伴い、芦屋町 - 折尾駅間の折尾駅への速達性・利便性を図るため、朝の通勤時間帯に快速便の増便等を含めたダイヤ改正や、折尾駅から学研都市方面の利便性を図るため、折尾駅(西口) - 学研都市経由 - 青葉台(サイエンスパーク)行きを開設した。
2017年(平成29年)
3月31日 黒崎芦屋間急行バス(芦屋急行線)と、イオン若松ショッピングセンターシャトルバスが廃止になった。
5月1日 ハローキティキャラクターバス2代目(日野自動車製)が運用開始。
バス事業[ソースを編集]
一般路線車
一般路線車
ワンステップバス
ワンステップバス
電気バス
電気バス
貸切バス車両
貸切バス車両
ボート送迎バス用車両(現在は廃車となったため一般路線車で運行中)
ボート送迎バス用車両(現在は廃車となったため一般路線車で運行中)
バス事業は1929年に、若松渡場から折尾駅前までの11.2kmの区間で、旧若松市が経営する市営バスとして開業。現在は主に北九州市若松区を中心として、隣接する北九州市八幡西区と遠賀郡水巻町・芦屋町の一帯に路線網を持ち、さらに一部の路線が北九州市戸畑区(戸畑駅を発着して若戸大橋を経由して若松区に向かう路線)・小倉北区(北九州市役所を発着して小倉駅新幹線口・北九州高速道路経由で若松区に向かう路線)および中間市(水巻南部循環が市域の北端の一部を運行)に延びる。
前述のとおり、元は旧若松市の事業を引き継いだものであるため、“北九州市”交通局と言っても北九州市内の一部のみでの運行であり、前述の営業エリア外の北九州市内のバス事業については、西日本鉄道の子会社である西鉄バス北九州が行っている。かつては2002年10月1日から2017年3月31日まで黒崎・芦屋間の急行バス(芦屋急行線)が市営向田営業所と西鉄バス北九州八幡営業所との間で共同運行されていた。
2006年4月1日に、定時運行の確保やJRとの接続を効率化するためダイヤの全面改正が行われ、路線や系統番号などのシステムが大きく改編された。大半の路線が二島駅を境に分断され、同駅から東へ向かう路線は若松営業所が、西へ向かう路線は向田営業所が、それぞれ受け持つようになった。しかし2010年頃から、二島地区を越えて直通運行する系統が再開され、それらはダイヤ改正を行うたびに拡大している。さらに両営業所でほぼ全線を共同運行するダイヤに変更している。
運行ダイヤは、路線ごとの編成を行っておらず、両営業所で共同運行するダイヤを編成しているため、若松営業所所属車が最も遠方となる芦屋線の運用に入ることや、向田営業所所属車が小倉や若松中心部の路線の運用に入ることもしばしばある。その反面、長距離回送や片道回送ダイヤも多く、非効率な面も多い。[要出典]
乗降方式は後乗り前降り。区間料金制(1区190円から1区ごとに30円ずつ加算、一部JR駅周辺では100円)である。一部路線に限り西鉄バス北九州との共通定期券制度があるが、現時点では乗車カードの共通利用はできない(詳細後述)。
これまで、運営が非効率的で赤字路線がかなり多く、今後の経営状況によってはバス事業の抜本的な見直し(民営化など)の必要もあると(北九州市交通局では)していたものの、平成16年以降の新規車両の購入凍結や各種のコスト削減策などにより、近年では事業全体としては健全運営を何とか維持できている。 路線ごとの収支は公にされておらず、市営バス事業改善計画の答申資料による資料では黒字区間は小倉線、戸畑線、若松(小石、二島)、浅川線(青葉台、芦屋)などごくわずかの路線とされている。赤字区間のうち、特に若松区北西部の赤字が事業全体の赤字額の3割を占め、市営バス事業改善計画においてもこの区間の見直しを重点課題としている[4]。若松区北西部の路線については2014年6月より折尾、二島との直通運行を廃止し、大鳥居 - かんぽの宿北九州間の折り返し運用となり、運賃制度も他の路線とは異なり、1区260円(以降は運賃区界ごとに1区ずつ通常加算)と一般路線の3区相当額の設定となる[5]。
営業所[ソースを編集]
若松営業所 - 北九州市若松区東小石町3番1号(交通局も同所)
向田営業所 - 北九州市八幡西区三ッ頭2丁目25番1号
また、折尾駅前(オリオンプラザ内)、二島(イオン若松ショッピングセンター)、若松商連、小倉北区役所内に案内所がある。1988年までは折尾営業所、1990年代末期までは二島営業所、若松市営バス時代には藤木営業所が存在した。
路線については各営業所の項を参照。
一般路線バス[ソースを編集]
系統番号・方向幕[ソースを編集]
運行開始以来、長く系統番号の導入はされなかったが1990年代からまず方向幕のカラー化を開始した。方向幕の地の色・文字の色で経由地・方面をわかりやすく表示したものだった。その後1990年代後期に「行先番号」が導入された。これは「行先」を固定の番号で示すものであり、若松営業所行きはどの始発地からでもどの経由地を通るものでも20番であった。番号部分の色分けにより経由地を区別した。その後これを若干マイナーチェンジし「枝番」を付けて経由地を表すものを導入した。現在は、LED方向幕の導入により、カラー化は行われていない。しかし、福岡県では西鉄バスが系統別に付番していることもあり、行きと帰りで番号が違うこの制度は広く浸透せず西鉄バスと同様の系統別の方式に改められた。西鉄バスとの番号の共通化、統一は行われていない。
優等系統[ソースを編集]
古くは二島本線で一部の停留所を通過する準急系統が存在したがその後はすべての系統が各停留所に停車していた。1990年代に浅川線で快速系統が新設されたのを皮切りに快速、急行などのバスが運行されている。
現在運行中の優等系統
折尾駅西口 - 学研都市(ノンストップ)※長期休暇時は運休
青葉台入口→折尾駅西口(快速70)快速区間 第二浅川橋→学園大通り
粟屋→折尾駅西口(快速90)快速区間 第二浅川橋→学園大通り
かつて運行された優等系統
折尾駅→青葉台入口(快速70)快速区間 学園大通り→浅川小学校前
第二浅川橋 - 小倉(特急)青葉台入口 - 大橋通り間は第一二島にのみ停車。
第二浅川橋 - 小倉(快速10)現在は折尾駅発着の普通に格下げされている。
折尾駅西口 - 学研都市(急行ひびきの号)※専用車での運行。途中九州共立大前にのみ停車。
黒崎芦屋間急行バス(芦屋急行線)
主なバスターミナル[ソースを編集]
若松渡場
戸畑駅
小倉駅(新幹線口)
黒崎駅、西鉄黒崎バスセンターは八幡西郵便局前発のみ乗り入れとなり、黒崎駅は八幡西郵便局行きのみ乗り入れとなる。
折尾駅
高速バス(運行終了)[ソースを編集]
かつて運行していた空港線
向田営業所 - 高須交番前 - 学研都市ひびきの - 浅川学園台入口 - 産業医科大学病院入口 - 学園大通り - 折尾駅西口 - 西鉄黒崎バスセンター - ホテルクラウンパレス北九州 - 黒崎インター引野口 - 高速千代ニュータウン - 八幡IC - 小倉南IC - 北九州空港(北九州空港エアポートバス)
2006年3月16日北九州空港開港と同時に学研都市ひびきの発着で運行開始。2007年8月1日に向田営業所まで延長。当時のルートは向田営業所 - 高須公営住宅前 - 学研都市ひびきの - 浅川学園台入口 - 産業医科大学病院入口 - 学園大通り - 折尾駅西口 - 北九州空港。当初は北九州市営バスの単独運行で、黒崎駅は経由しなかった(黒崎駅からは西鉄バス北九州により黒崎 - 北九州空港線が運行されていた)。
2009年4月1日のダイヤ改正で折尾発・黒崎発の両路線を統合(同時に運行ルートの都合で経由地を高須公営住宅前から高須交番前に変更)し、西鉄バス北九州との共同運行になったが、2010年4月1日から西鉄バス北九州の撤退に伴い再び北九州市営バスの単独運行に戻った(同時に小倉南ICは全便通過となった)。しかし2011年3月27日付けでその撤退した西鉄バス北九州に路線を民間移譲、学研都市ひびきの発着に戻った。
市営バスに関しては青と白の専用塗色の車両が用いられていた。
車両[ソースを編集]
一般路線車のシャーシは日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)製もしくは三菱ふそう製が採用されている。多くの車両が西鉄バスと同じく地元の西日本車体工業製ボディを架装している。西日本車体工業解散後の2011年5月には三菱ふそうバス製造 (MFBM) 製の三菱ふそうエアロスターが5台採用された。これは市の政策によって先行導入された車両である。その後もエアロスターが毎年度数台程度導入されている。他にわずかながら1980年代から1990年代にかけて当時の純正ボディメーカーの富士重工製や新呉羽自動車工業・三菱自動車バス製造製ボディを架装して導入された車両がある。
車両の色は白と紺のツートンカラーと若緑色と白のツートンカラーと明るい緑色と白のツートンカラー(新塗装)の3種類で、明るい緑色と白のツートンカラーへの塗色変更が進められている。ワンステップバスやノンステップバスは紫色と白のツートンカラー、黄緑色一色塗りなどの変遷を経て、1994年(平成6年)度以降に納車されたほとんどの車両はツーステップバスの新塗装と同様、明るい緑色と白のツートンカラーとなっている(白と紺のツートンカラーの606号車、若緑色と白のツ-トンカラーの9901号車と9902号車、ギラヴァンツ北九州ラッピングバスの0009号車、キティバスの1501号車と1601号車は除く)。競艇の送迎車には現在は一般路線車、もしくは一般路線車にハーフラッピングが行われた車両が使用され、以前使用されていた特別塗装が行われた車両は廃車となった。かつては学研都市ひびきのPR用の特別塗装を行っていた。各車に車両番号が付けられている。車号は平成8年導入車までは、和暦+通し番号(例:昭和63年度予算購入の7台目→6307、平成6年度予算購入の1台目→601)、以降は西暦の下2桁+通し番号となっている。そのため、車体やメーカーによる区別は行われていない。
2014年に2台導入された電気バスは部品を東レグループ企業と三菱重工業が供給し、車両の組立は韓国の韓国ファイバー(HFG)が行っている[6]。
ハローキティと北九州市の観光名所をデザインしたハローキティキャラクターバスが2台ある。2016年5月9日に運行開始した1台目はエアロスター(1501号車)で、2017年5月1日に運行開始した2台目(1601号車)はこれまで導入されていなかった日野自動車製(ブルーリボン)である。ハローキティバスは土日祝日に限り運行時刻を公開している。
ギラヴァンツ北九州のラッピングバスが2017年3月頃から運行している。1994年(平成6年)度に納車された三菱ふそうエアロスターのワンステップバス(0009号車)を新塗装の明るい緑色と白のツートンカラーの車両からギラヴァンツ北九州のグループカラーの黄色に塗り替えた車両で、車内はギラヴァンツ北九州の監督・選手のプロフィールが掲載されている。以前ギラヴァンツ北九州ラッピングバスとして使用されていた日産ディーゼル(現、UDトラックス)製の9903号車は新塗装の明るい緑色と白のツートンカラーに戻されている。
貸切バスは縦10列または11列で横4列シートの大型車のみ保有する。紫色と白、もしくは青色と白(元空港線車両)のツートンカラーである。貸切バス車両には車両番号ではなく、各車に北九州市内の地名や山などにちなむ固有の愛称名が付けられている。
ひまわりバスカード[ソースを編集]
2001年(平成13年)9月、乗車カードとして小田原機器製のICカード「ひまわりバスカード」が導入された[7]。九州における交通系ICカードの先行事例だった[8]。
種類は現在3種類ある。
回数券タイプ
定期券タイプ
一日乗車券タイプ(大人用・子供用)
カードの新規発売時、1枚につき500円の預り金(デポジット)を収受しており、カードを返却した際に返還される。
なお、ひまわりバスカードにおいては、カードに残高をチャージすることを「積み増し」と呼んでいる。
現在定期券タイプ・一日乗車券タイプの子供用を除きバス車内で購入できる。ただしバス車内では、回数券タイプは1,000円・2,000円・3,000円・5,000円・10,000円分のみで、一日乗車券タイプは5回分までしか新規発売・積み増しできない。またバス車内で購入できないものについては各案内所・営業所でしか取り扱いされていない。積み増しについては、各案内所・営業所に加えて西鉄黒崎バスセンター定期券販売所でも行うことができる。ただし、西鉄黒崎バスセンター定期券販売所では、カードの新規購入(共通定期券を除く)はできない。かつては、回数券タイプかつ3,000円以上でしか新規発売を取り扱いしていなかったが、2007年4月1日より一日乗車券・大人用の新規販売を始めた。また回数券タイプも1,000円単位で新規発売・積み増しを開始した。
定期券タイプは、通勤定期券・通学定期券・持参人式定期券・片道定期券・一括契約定期券・地域フリー定期券(折尾・若松渡場)・全線定期券・高齢者向け高割引定期券「ふれあい定期」がある。ただし市営バス・西鉄バスが共通で乗車できる『本城西団地共通定期券』は現在も紙券タイプで発売されている。定期券タイプは、紙式を除いて積み増しができる。万が一期限が切れていたり、定期区間外に乗車しても回数券タイプのように積み増しすれば、利用することができる。
回数券タイプは、最大25,000円まで積み増しすることができる。また積み増し額により10%から15%のプレミアムがつく。
一日乗車券タイプは、大人700円(小児350円)で市営バス全路線に乗車することができる。最大35回分積み増しができる。
このカードは北九州市営バス以外では利用できない[9]。ひまわりバスカードは日本鉄道サイバネティクス協議会が策定したサイバネ規格に準拠しておらず、サイバネ規格に準拠したnimoca(西鉄グループ)やSUGOCA(JR九州)をはじめとした他社の交通系ICカードとの互換性はない。北九州市営バスは、西鉄等が乗車カードとしてまず磁気カードを導入したのとは異なり最初からICカードを採用しており(ひまわりバスカードが導入された時点で、サイバネ規格に準拠したSuicaはまだ試験導入段階であった)、IC乗車カードの共通利用は想定していなかった。[要出典]
軌道事業(廃止)[ソースを編集]
北九州市営軌道線
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 福岡県北九州市
開業 1936年5月5日
廃止 1975年11月1日
路線諸元
軌間 1,067 mm (狭軌)
電化方式 直流600V 架空電車線方式
テンプレートを表示
[隠す]経路図
凡例
uexSTRrg emABZrf
↑国鉄:筑豊本線
uexDST KBHFe
0.0
-
若松駅
uexSTR
北湊線
uexHST
?
0.0
中川通7丁目分岐点
uexSTRrg uexABZq+l uexABZglr uexSTRlg
←浜ノ町線 / 連歌浜線→
uexSTR uexKDSTe uexKDSTe uexSTR
1.3
-
北湊駅
uexSTR uexSTR
←車庫
uexKDSTe uexSTR
-
0.6
浜ノ町駅
uexDST
-
0.8
連歌浜駅
uexKDSTe
-
2.1
安瀬駅
軌道事業(北九州市営軌道)は1936年に若松市営軌道として当時の若松市内で開業。その後、北九州市発足とともに北九州市営軌道となった。電化された路面の軌道であるが、一般の路面電車とは異なり、貨物専業で旅客営業は行わなかった。電気機関車で国鉄の貨車を牽引し、若松駅と港湾部の間で貨物輸送を行ってきたが、道路上を走行するため騒音・振動が激しいことや商店街の中を通過することから沿線住民とのトラブルが絶えなかった。主力の石炭輸送量の減少に伴って経営が悪化し、1968年から1971年まで運営業務を日本通運に委託。1971年からは事業の所管が交通局から経済局に移管されている。その後も経営状況は改善されず1975年に廃止された。
路線データ[ソースを編集]
路線距離:
若松駅 - 北湊 1.3km
中川通 - 浜ノ町 0.6km
中川通 - 安瀬 2.1km
軌間:1067mm
電化区間:全線(直流600V)
ほとんどの区間が単線であったため、中川通りを若松駅側に進む場合などは道路の右側を対向車の流れと逆らうように走行していた[10]。
年表[ソースを編集]
1932年(昭和7年)6月11日 軌道特許状下付[11]
1933年(昭和8年)5月8日 工事施工認可申請
1936年(昭和11年)5月5日 北湊線(本線)若松 - 北湊 (1.3km) および浜ノ町線中川通 - 浜ノ町 (0.6km) 開業
1936年(昭和11年)5月22日 市営電気軌道事業開始、本線延2.665km、側線延0.850kmを敷設(若松市史第2集)
1938年(昭和13年)7月20日 連歌浜線軌道特許状下付[12]
1939年(昭和14年)2月14日 本線より北湊海岸線へ延0.300kmを敷設(若松市史第2集)
1939年(昭和14年)5月1日 連歌浜支線延長第1期0.800kmを敷設(若松市史第2集)
1939年(昭和14年)7月11日 連歌浜線中川通 - 連歌浜 (0.8km) 開業
1939年(昭和14年)9月13日 連歌浜支線延長第2期0.170kmを敷設(若松市史第2集)
1945年(昭和20年)9月30日 浜十二番町支線より東海岸連絡線0.100kmを敷設(若松市史第2集)
1952年(昭和27年)10月1日 市営電気軌道事業に地方公営企業法適用(若松市史第2集)
1958年(昭和33年)3月6日 連歌浜線連歌浜 - 安瀬軌道法特許
1959年(昭和34年)8月1日 連歌浜線連歌浜 - 安瀬 (1.3km) 開業
1968年(昭和43年)9月21日 経営合理化のため運営業務を日本通運に委託
1971年(昭和46年)7月1日 運営業務を再び市に移管。市での事業所管は交通局から経済局に移される。
1975年(昭和50年)11月1日 全線廃止
車両[ソースを編集]
ボギー台車を2基備える凸型電気機関車がのべ6両在籍した。塗装はいずれも車体は茶色一色だが黄と黒のゼブラのペイントがされた板が若松駅側の端梁につけられていた。開業時に1, 2の2両、廃止時に5, 101, 201の3両。貨車は国鉄車両が直通しており特に緩急車・車掌車などはつけられていない[13]。
1, 2
1936年開業時の車両。書類上、1924年馬来工業の新規製造だが、谷口 (1969) は前所有者があると推測している。全長7,220mm、全幅2,240mm、全高4,253mm、重量10t、出力22.4kW×2、引張力1,370kg(歯車比69:14)と小型で、老朽化及び出力不足のため1950年(昭和25年)3月31日に101に代替廃車され、日本鉄道自動車工業に売却された。1956年、そのうちの1両は北陸鉄道の手に渡って再起し、EB301となっている。
3, 5
1940年(昭和15年)日本鉄道自動車工業の製造。全長8,350mm、全幅2,400mm、全高4,000mm、重量15t、出力26.1kW×4、引張力2,740kg(歯車比81:14)。3は余剰車として1968年(昭和43年)8月31日廃車、5は路線廃止まで在籍[14]。
101
日本鉄道自動車工業の製造、1950年(昭和25年)製造、翌年竣工。全長8,390mm、全幅2,400mm、全高4,064mm、重量20t、出力37.3kW×4、引張力2,500kg(歯車比64:14)。廃止時までの主力機。
201
三菱電機の製造による。1952年(昭和27年)の製造。全長8,830mm、全幅2,400mm、全高3,965mm、重量20t、出力38.8kW×4、引張力3,640kg(歯車比76:15)になっている。廃止時まで主力であった。
軌道事業の参考文献[ソースを編集]
谷口良忠 (1969). “北九州市営軌道線”. 鉄道ピクトリアル No. 232 (1969年12月号臨時増刊:私鉄車両めぐり10): pp. 92-95, 100.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道史資料保存会(1986年覆刻)、東京、1937年、p. 457。ISBN 4-88540-048-1。
和久田康雄 「昭和52年5月1日現在における補遺」『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺5頁。
若松市史第2集編纂委員会 『若松市史第2集』 福岡県若松市役所、福岡、1959年、pp. 639-648。
その他[ソースを編集]
1963年の日活映画『狼の王子[15]』は冒頭と最後が北九州市(1950年 - 1958年〈昭和25 - 33年〉の設定なので当時は若松市)が舞台だが、冒頭で主人公の養父的な存在の日下組の組長・日下万蔵(演:石山健二郎)が対立する組の刺客に刺殺される話が出てくる。この万蔵が刺されるシーンの直前に画面左手の方から若松市営軌道の貨物列車が登場し「主人公が真横を通る列車の轟音でこの騒ぎに気がつくのが遅れて先にどんどん行ってしまい、刺された万蔵が逃げようと貨車にしがみつき、刺客がそれを必死に追いかけ切りつけ、万蔵が最後に力尽きて転落する。」という珍しい展開になる。
脚注[ソースを編集]
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^ a b 交通局の概要 - 北九州市 平成26年4月1日現在
^ a b 祝部幹雄 人事:北九州市 1523人が異動 地方創生推進室を新設 /福岡 毎日新聞北九州版 2015年03月26日 00時00分
^ 「安全・安心」へ新組織 北九州市1567人異動 qBiz 2013年03月26日 03時00分 更新
^ 北九州市営バス事業経営計画(素案)に対する意見の概要と交通局の考え方 (PDF) - 北九州市交通局総務経営課、2011年1月25日
^ 「かんぽの宿〜蜑住団地〜大鳥居」路線の運賃・便数等を見直し - 北九州市
^ 太陽光×蓄電池=電気バス、北九州市で営業運転へ - 畑陽一郎、ITmediaスマートジャパン、2014年2月13日
^ ICバスカード(ひまわりバスカード)について知りたい。(カードの種類と金額について)
^ I. 地球温暖化対策に対する取組み 2. 環境負荷の小さい交通体系の構築 (2) 公共交通機関の利用促進 平成25年度九州運輸局交通環境対策アクションプラン
^ 回数乗車券
^ 阿南茂、撮影「蒸機と凸電の町、若松(その1)」『鉄道模型趣味』1997年5月号(No.626)、機芸出版社、1997年、P22-23。
^ 「軌道特許状下付」『官報』1932年6月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道特許状下付」『官報』1938年7月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 阿南茂、撮影「蒸機と凸電の町、若松(その1)」『鉄道模型趣味』1997年5月号(No.626)、機芸出版社、1997年、P24-25。
^ ただし、『鉄道模型趣味』1997年5月号では「5号は、その年(注:1975年)の9月、とうとう廃車になった。」と書かれている。
^ 狼の王子-日活株式会社 home>映画>狼の王子
外部リンク[ソースを編集]
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表 話 編 歴
SUNQパス運営委員会 参加事業者
カテゴリ: 地方公営企業若松区の企業北九州市の交通九州地方の乗合バス事業者九州地方の貸切バス事業者かつて存在した日本の軌道事業者九州地方の鉄道路線 (廃止)
九州肥筑鉄道
九州肥筑鉄道
概要
現況 廃止
起終点 起点:矢部川駅(現・瀬高駅)
終点:南関駅
駅数 7駅
運営
開業 1920年9月15日
最終延伸 1922年3月20日
廃止 1938年12月16日
所有者 東肥鉄道→九州肥筑鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 13.6 km (8.5 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
uexSTR
柳河軌道
uexSTR exSTR
国鉄:佐賀線 -1987
uexSTRlf
exSTR
←国鉄:鹿児島本線→
STRq
eABZqr+r
0.0 矢部川
exBHF
1.8 朝日 -1927?
exBHF
2.6 本吉
exBHF
5.4 野町
exBHF
7.2 筑後原町
exBHF
9.4 北関
exBHF
12.2 外目
exKBHFe
13.6 南関
九州肥筑鉄道(きゅうしゅうひちくてつどう)は、かつて福岡県山門郡瀬高町(現・みやま市瀬高町)の鉄道省鹿児島本線矢部川駅(現・瀬高駅)から分岐して、熊本県玉名郡南関町に至る鉄道路線を有していた鉄道事業者である。
目次 [非表示]
1 概要
2 路線データ
3 運行概要
4 歴史
5 輸送・収支実績
6 駅一覧
7 接続路線
8 車両
8.1 蒸気機関車
8.2 蒸気動車
8.3 ガソリンカー
8.4 客車
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
概要[編集]
鹿児島本線が海沿いに敷かれたため、鉄道から外れた南関町の者が軽便鉄道としてこの地区に鉄道を引くことを決断し、1910年(明治43年)に東肥鉄道(とうひてつどう)として申請書を熊本県庁に提出した。同名の会社が1897年(明治30年)に設立[1]されていたが、この会社は熊本 - 大津間[2]の鉄道敷設を計画していたもので着工に至らず解散となっていた。
1911年(明治44年)2月に発起人森藤吉郎他87人に対して軽便鉄道の敷設と旅客・貨物運輸営業の免許状が下付された。資金の大部分を沿線以外から調達する必要から九州出身の神戸の友常穀三郎を創立委員に迎えた。やがて株式応募は満額となり、1912年(大正元年)8月24日に創立総会が開かれ友常穀三郎が社長に熊本商業会議所会頭の林千八[3]が専務取締役に就任し東肥鉄道株式会社が正式に設立された。
また友常穀三郎は鉄道が開通するまでの間、乗合自動車運行を計画し熊本県初の乗合自動車業を申請した。しかし発起人のなかに乗合自動車業に対し不安視するものがいて兼営は実現しなかった。そのため友常穀三郎と専務の林千八は10月に熊本自動車運輸組を設立し熊本市内-山鹿間、熊本市内-本山、川尻間を開業することになった。1913年(大正2年)に改組して熊本自動車運輸株式会社を設立するがこの乗合自動車業は東肥鉄道に譲渡[4]されまもなく中止となった[5]という[6]。
1914年(大正3年)11月30日の臨時株主総会では役員が変更となり友常穀三郎、林千八は退任し、川端浅吉(兵庫県)[7]、藤原熊太郎(神戸市)[8]ら県外者が取締役に就任した。ようやく1915年(大正4年)2月になり南関停車場建設予定地にて起工式がおこなわた。工事費の予算は第一期工事矢部川-南関間を38万8398円25銭、第二期工事南関-隈府間を64万6954円75銭合計103万5353円であった。しかし株金の払込の滞納が見られるようになり新聞は完成の目処がたたないと報道し鉄道会社が反論する一幕もあった。資金難に悩みながら現在、九州自動車道が敷かれているルートにほぼ並行する形で建設され、1920年(大正9年) - 1922年(大正11年)に順次矢部川 - 南関間を開業させた。
その後、山鹿温泉・大津方面や荒尾方面への路線建設も目指し、1927年(昭和2年)9月に南関駅-春富村間の延長起工式を行った。しかし工事はすすまなかった。1929年(昭和4年)1月21日には社名を九州肥筑鉄道と改称したが、この年第一徴兵保険(社長太田清蔵(4代目))からの借入金20万円の返済が問題となり4月30日の株主総会において社長以下役員20人が辞表を提出していた。第一徴兵保険は裁判所に申立て5月に強制管理が決定し、競売期日が決まるなど鉄道会社は窮地に陥った。この借入金問題は鉄道会社は全株式(3万株)を保険会社に無償提供することなどを示談案として提出。1930年(昭和5年)4月には契約書を交わして示談にこぎつけ一応の決着をみた。
しかし、旅客数や貨物量は悪化の一途をたどり、毎年1万円を超える借入金の利子は赤字を累積させついに1938年(昭和13年)9月に鉄道営業廃止の申請を提出した。ところが地元の反対運動や前述の第一徴兵保険の債務20万円に対し鉄道会社側が株式の無償提供により棒引きしたものであると主張し一時膠着状態となった。結局軌条、車両の処分と土地売却などで債務を支払い、剰余分と保険会社が贈呈した5万円を株主に分配することで和解が成立した。12月に免許を受けて28年目で廃線となり、建設中の区間も未成線となった。
なお、改正鉄道敷設法別表第113号には、「佐賀県佐賀ヨリ福岡県矢部川、熊本県隈府ヲ経テ肥後大津ニ至ル鉄道及隈府ヨリ分岐シテ大分県森付近ニ至ル鉄道」が国の建設すべき路線として示されており、この東肥鉄道→九州肥筑鉄道の路線のほかに、佐賀 - 矢部川間は国鉄佐賀線、豊後森 - 肥後小国間は国鉄宮原線としてそれぞれ開業したが、どちらも特定地方交通線に指定されて昭和末期に廃線となっている。
路線データ[編集]
路線距離:矢部川 - 南関間13.6km
軌間:1067mm(狭軌)
駅数:7
電化区間:なし(全線非電化)
複線区間:なし(全線単線)
動力:蒸気機関車・ガソリン動車
運行概要[編集]
1934年(昭和9年)12月1日改正時
旅客列車本数:
矢部川 - 本吉間1往復
矢部川 - 野町間1往復
矢部川 - 南関間3往復
所要時間:全線を41分
歴史[編集]
1911年(明治44年)2月25日 - 矢部川 - 隈府間鉄道敷設免許状下付[9][10]
1912年(大正元年)8月24日 - 東肥鉄道会社設立(社長 友常穀三郎[11])[12][13]
1920年(大正9年)
3月15日 鹿本郡八幡村 - 菊池郡隈府町間鉄道免許取消[14]
9月15日 矢部川 - 野町間開業[15]
12月20日 矢部川 - 本吉間に朝日停留場を設置[16]
1921年(大正10年)6月8日 野町 - 北関間開業[17]
1922年(大正11年)3月20日 北関 - 南関間開業[18]
1929年(昭和4年)
1月22日 九州肥筑鉄道に改称[19]
5月17日 強制管理手続開始、強制競売手続開始の決定(抵当権者第一徴兵保険)[20]
1930年(昭和5年)8月23日 玉名郡春富村 - 鹿本郡山鹿町間鉄道免許取消(官報掲載)[21]
1938年(昭和13年)
12月8日 - 玉名郡南関町 - 同郡春富村間鉄道起業廃止許可[22]
12月16日 全線廃止[23]
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1920年 67,358 1,736 11,777 15,905 ▲ 4,128 4,701
1921年 155,889 1,400 25,280 35,653 ▲ 10,373
1922年 188,981 7,547 45,300 59,622 ▲ 14,322
1923年 201,720 9,862 46,283 47,586 ▲ 1,303 雑損4,709 23,919
1924年 172,866 13,254 45,692 46,219 ▲ 527 25,165 38,951
1925年 163,461 11,374 41,369 46,474 ▲ 5,105 28,225 45,134
1926年 163,699 13,543 44,690 41,182 3,508 自動車196 雑損1,146 20,698 45,211
1927年 150,811 13,453 38,908 41,518 ▲ 2,610 自動車1,195雑損8,530 19,424 45,687
1928年 144,420 11,326 36,652 35,553 1,099 自動車1,670雑損10,283 21,657
1929年 146,802 11,533 34,656 40,876 ▲ 6,220 償却雑損自動車16,824 23,200 46,089
1930年 125,365 10,293 47,788 52,323 ▲ 4,535 自動車482 雑損償却金36,783 22,128 45,211
1931年 83,180 8,054 25,929 21,742 4,187 自動車14 雑損4,095 15,474 12,127
1932年 98,280 9,988 23,902 31,248 ▲ 7,346 自動車1,693 雑損2,926 9,449 8,639
1933年 96,163 18,520 26,895 25,787 1,108 自動車479 雑損2,492砂利3,357 17,337 3,921
1934年 84,654 10,009 19,839 22,881 ▲ 3,042 自動車砂利4,754 債務免除金4,646 雑損9,481 10,428
1935年 50,045 10,955 13,706 19,316 ▲ 5,610 自動車5,332 雑損358 10,428
1936年 34,862 8,366 12,768 16,613 ▲ 3,845 自動車砂利4,661 雑損3,391 10,445
1937年 39,075 9,087 13,797 15,875 ▲ 2,078 自動車2,463 10,428
鉄道省鉄道統計、鉄道統計資料各年度版より
清水寺 のある本吉駅の乗降客で全乗客数の8割をしめており乗客数のわりに運賃収入はあがらなかった。
駅一覧[編集]
矢部川駅 - 朝日駅 - 本吉駅 - 野町駅 - 筑後原町駅 - 北関駅 - 外目駅 - 南関駅
『鉄道停車場一覧』昭和2年版(国立国会図書館デジタルコレクション)より
接続路線[編集]
矢部川駅:鉄道省鹿児島本線・佐賀線(1931年-1938年)、柳河軌道(-1932年)
車両[編集]
開業時に用意された車両は蒸気機関車、蒸気動車各1両、客車5両、貨車4両すべて新製だった。
蒸気機関車[編集]
1
1919年、雨宮製作所製18t級車軸配置0-6-0(C)形タンク機関車。
2
1921年、雨宮製作所製18t級車軸配置0-6-0(C)形タンク機関車(製造番号272)。廃止後、三菱化成黒崎工場に譲渡され、1958年廃車。
3
1871年、英シャープ・スチュアート製22t級車軸配置2-4-0(1B)形タンク機関車。旧島原鉄道5で、その前は鉄道院163。
4
1911年、米ボールドウィン製18t級車軸配置0-6-0(C)形タンク機関車(製造番号35439)。旧播丹鉄道1(2代)。
蒸気動車[編集]
ジハ1
1920年、枝光鉄工所製。1931年12月に廃車にしたが1933年1月客車として復活した[24]。
ガソリンカー[編集]
キ1
1927年、丸山車両製の単端式気動車木製車体で2軸車、定員40人[25]。
客車[編集]
ハフ1、ハ1 - 4
開業時に用意された5両は梅鉢製の木製2軸車。廃線後はハフ1、ハ1 - 3が上田電鉄(初代)[26]、ハ4が常北電気鉄道[27]に売却された。
車両数の変遷
年度 機関車 動車 客車 貨車
蒸気 蒸気 ガソリン 二等 二・三等 三等 有蓋 無蓋
1920年 1 1 1 4 2 2
1921-23年 2 1 1 4 2 2
1924年 2 1 5 2 2
1925年 2 1 0.5 4.5 2 2
1926年 2 6 2 2
1927-29年 3 1 1 5 2 2
1930年 4 1 1 5 2 2
1931年 3 1 5 2 2
1932-34年 3 1 1 5 2 2
1935年 3 1 6 2 2
1936年 2 1 6 2 2
1937年 2 1 5 2 2
脚注[編集]
^ 『日本全国諸会社役員録. 明治31年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道局年報. 明治30年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『人事興信録. 3版(明44.4刊)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『全国自動車所有者名鑑. 大正4年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『大正の熊本』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『都道府県別乗合自動車の誕生 写真・史料集 日本自動車史』200-203頁
^ 『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正4年(4版)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正4年(4版)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道院年報 明治44年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年2月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 衆議院議員、貿易商、九州商業銀行頭取、南信自動車取締役『人事興信録. 4版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道。 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許一部取消」『官報』1920年3月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1920年9月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道停留所設置」『官報』1920年12月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1921年6月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年3月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道統計資料. 昭和3年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道財団強制管理手続開始決定ニ付申出方」、「鉄道財団強制競売手続開始決定ニ付申出方」『官報』1929年5月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許一部取消」『官報』1930年8月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道起業廃止」『官報』1938年12月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道営業廃止」『官報』1939年2月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 湯口徹『日本の蒸気動車 下巻』(ネコ・パブリッシング、2008年)24 - 25頁
^ 湯口徹『内燃動車発達史 上巻』(ネコ・パブリッシング、2004年)296頁
^ 小林宇一郎「上田丸子電鉄」『鉄道ピクトリアル』No.164 1964年11月号、61頁
^ 白土貞夫『日立電鉄の75年』 ネコ・パブリッシング、2004年、18-19頁
参考文献[編集]
『南関町史』通史下巻、2006年、471-509頁
佐々木烈『都道府県別乗合自動車の誕生 写真・史料集 日本自動車史』三樹書房、2013年
関連項目[編集]
日本の鉄道駅一覧
山鹿温泉鉄道
山鹿線(JRバス)
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