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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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香月駅
曖昧さ回避 この項目では、香月線の駅について説明しています。筑豊電気鉄道線の駅については「筑豊香月駅」をご覧ください。
香月駅
かつき
KATSUKI
◄岩崎 (0.8km)
所在地 福岡県北九州市八幡西区香月
北緯33度48分8.1秒
東経130度43分43.3秒座標: 北緯33度48分8.1秒 東経130度43分43.3秒
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 香月線
キロ程 3.5km(中間駅起点)
電報略号 カキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1908年(明治41年)7月1日
廃止年月日 1985年(昭和60年)4月1日
備考 有人駅
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香月駅
かつき
KATSUKI
(2.3km) 木屋瀬►
所在地 福岡県遠賀郡香月町
所属事業者 筑豊鉄道(2代)
所属路線 筑豊鉄道線
キロ程 0.0km(当駅起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1915年(大正4年)1月1日
廃止年月日 1954年(昭和29年)10月1日
テンプレートを表示
香月駅(かつきえき)は、かつて福岡県北九州市八幡西区大字香月にあった、日本国有鉄道(国鉄)香月線の駅(廃駅)である。
なお当駅は北九州市内に存在したが、その中心駅である小倉駅へ出るにはいったん中間市・水巻町を経由しなければならない「飛び地駅」であったため、特定都区市内の対象からは外されていた。
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 現状
4 隣の駅
5 輸送量・収入
6 関連項目
歴史[編集]
1908年(明治41年)7月1日 - 国鉄筑豊本線貨物支線中間 - 当駅間開業にともない、貨物駅として設置。
1911年(明治44年)10月1日 - 旅客取り扱い開始。一般駅となる。同時に香月線が独立。
1915年(大正4年)1月1日 - 鞍手軽便鉄道(後の筑豊鉄道(2代))が当駅 - 野面間開業。
1916年(大正5年)4月1日 - 荷物取り扱い開始。
1954年(昭和29年)10月1日 - 筑豊鉄道(2代)の当駅 - 野面間廃止。
1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物取り扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取り扱い廃止。
1985年(昭和60年)4月1日 - 廃止。
駅構造[編集]
廃止時は単式ホーム1面1線を持つ有人駅で、本線のほか機回し線を有した。
現状[編集]
保存されている国鉄香月駅駅名標
跡地は西鉄バス香月営業所となっており、その一角には当駅の駅名標と説明板が設置されている。
隣の駅[編集]
日本国有鉄道
香月線
岩崎駅 - 香月駅
筑豊鉄道
筑豊鉄道線
香月駅 - 木屋瀬駅
輸送量・収入[編集]
年度 旅客(人) 貨物量(トン) 旅客収入(円) 貨物収入(円)
1924 202,727 314,849 49,437 213,646
1928 223,495 364,414 48,168 251,054
1931 170,083 238,660 30,255 170,924
1935 183,385 399,426 34,978 286,411
福岡県統計書各年度版より
関連項目[編集]
日本の鉄道駅一覧
廃駅
[隠す] 日本国有鉄道 香月線(廃線)
中間 - 新手 - 岩崎 - 香月
カテゴリ: 日本の鉄道駅 か八幡西区の鉄道駅福岡県の廃駅筑豊本線筑豊鉄道(2代)日本国有鉄道の廃駅1908年開業の鉄道駅1985年廃止の鉄道駅八幡西区の歴史
中央軌道
甘木周辺の鉄道概略図。黒線は現存する鉄道路線
中央軌道(ちゅうおうきどう)は、1921年から1928年まで福岡県朝倉郡甘木町・三井郡大刀洗村(現・大刀洗町)などで軽便鉄道・乗合バスを運営していた日本の企業、および同社が運営していた鉄道路線である。経営不振から朝倉軌道に事業が吸収された。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 年表
3 駅一覧
4 輸送・収支実績
5 脚注
6 参考文献
概要[編集]
旧大板井橋を渡る中央軌道列車
1916年(大正5年)ごろ、建設の決まった太刀洗飛行場への輸送などを目的に、鳥栖から飛行場正門を経由して三輪町(現・筑前町)の中心地であり朝倉軌道の停留所があった新町までを結ぶ路線として計画された鉄道が中央軌道である。1917年(大正6年)12月22日に特許を取得し、1919年(大正8年)1月1日に会社が設立された。社長は、かつて八坂会社(銀行類似会社)の社長を務め、鳥栖駅の駅弁販売会社である八ツ橋屋(現・中央軒)の設立にも関わった八坂甚八。
1921年(大正10年)7月1日に、新町-松崎間6.8kmが開業して営業を開始した。1924年(大正13年)4月25日には松崎-上小郡(九州鉄道小郡駅(現・西鉄天神大牟田線西鉄小郡駅)に接続)間3.0kmを開業させ、飛行場への引き込み線建設も申請された(開設年月日は不明)。また、この頃にはバス事業にも進出し、甘木-大刀洗飛行場間で路線を運営した。
そして1927年(昭和2年)2月24日、小郡-上田代(鹿児島本線田代駅に接続)間2.9kmが開業し、全線開業する。当初は鳥栖まで伸ばす予定であったにもかかわらず田代止まりとなったのは、鹿児島本線との立体交差ができなかったためであった。
こうして全通した中央軌道であったが、1927年度の1日1kmあたりの旅客数は16人と、同地域の朝倉軌道(同64人)と比べても1/4という低水準であり[1]、経営状態は厳しいものであった。このため、1928年(昭和3年)5月には、無許可で運行が休止される。同年、朝倉軌道がこれを4万円で譲り受け、9月から朝倉軌道田代線として運行再開した(ただし、書類上の運転再開日は翌年1月11日である)[1]。
しかし、田代線となってからも輸送量は伸びず、1933年(昭和8年)2月16日には、水害を理由に上小郡-上田代間に休止許可が下りた(実際にはもっと早い段階に無許可で運行休止がされていただろうとも推測されている[1])。その上、休止後すぐに、無許可で線路は撤去してしまっていた。
さらに翌1934年(昭和9年)9月には、飛行隊-上小郡間がやはり無許可での運行休止となる。事後で廃止申請が行なわれ、1936年(昭和11年)6月14日に廃止が許可された。
1935年(昭和10年)12月には、大刀洗飛行場への輸送力増強などを目的に、基山-大刀洗-甘木を結ぶ国鉄甘木線(現・甘木鉄道甘木線)の建設が正式に決定される。バスに押される形で営業成績が苦しくなってきていた朝倉軌道は、甘木線建設に因る補償金を受けて廃業する道を選び、1940年(昭和15年)4月19日、田代線残存部分(依井-飛行隊)を含む朝倉軌道全線は廃止され、ここに旧中央軌道の路線は消滅した。なお、末期の田代線は、飛行隊への貨物輸送のみを1日2回(時刻不定)行なうという形で細々と営業が継続されている状態であった。
路線の大部分は現在の国道500号上に敷設されていた。
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):12.7km
軌間:914mm
駅数:20駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
年表[編集]
1917年(大正6年)12月22日 軌道敷設の特許。動力は瓦斯[2][3]。
1918年(大正7年)12月15日 中央軌道株式会社創立総会。
1919年(大正8年)1月1日 会社設立。
1921年(大正10年)7月1日 新町-松崎間6.8kmが開業[4]。動力は蒸気。
1924年(大正13年)4月25日 松崎-上小郡間3.0kmが開業[4]。
1927年(昭和2年)2月24日 上小郡-上田代間2.9kmが開業[4]。
1928年(昭和3年)5月 運行休止。
1928年(昭和3年)9月12日 朝倉軌道が福岡県知事への肩代わり運行を報告。
1928年(昭和3年)12月14日 朝倉軌道に対し軌道譲渡を許可[5]。
1929年(昭和4年)1月11日 形式上の朝倉軌道田代線運転開始日。
1933年(昭和8年)2月16日 水害を理由に上小郡-上田代間休止許可。
1934年(昭和9年)9月 飛行隊-上小郡間運行休止。
1937年(昭和12年)7月20日 飛行隊-上田代間が正式に廃止[6]。
1940年(昭和15年)4月19日 全線廃止[7]。
駅一覧[編集]
新町(1928-30年頃、依井へ改称) - 柿木原 - 野町 - 山隈 - 航空隊前(1924年頃、飛行隊前へ改称) - 原地蔵 - 花立 - 十文字 - 今隈 - 警察署前 - 松崎 - 女学校前 - 上岩田 - 宝満川 - 大板井 - 上小郡 - 下小郡 - 幡崎 - 姫方 -上田代[8]
また、駅以外の場所でも乗客は乗降できた。
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円)
1921 30,489 167 5,328 8,668 ▲ 3,340
1922 80,958 2,267 10,773 24,945 ▲ 14,172
1923 70,117 1,800 11,023 22,764 ▲ 11,741
1924 66,622 1,652 19,878 26,011 ▲ 6,133
1925 49,832 1,962 9,889 19,060 ▲ 9,171 1,195 1,732
1926 34,517 2,906 11,428 17,955 ▲ 6,527 623
1927 71,386 1,111 12,551 33,739 ▲ 21,188 1,860、雑損89
1928 38,861 926 5,850 17,277 ▲ 11,427
鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料より
脚注[編集]
^ a b c 湯口徹「朝倉軌道気動車探求記-ある軌道の1930年代(前編)」
^ 「軌道特許状下付」『官報』1917年12月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 起業目論見書には雨宮式石油発動機関車とされており朝倉軌道や南筑軌道で使用された石油発動機関車との差異は不明
^ a b c 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道譲渡」『官報』1928年12月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 6月14日許可「軌道営業廃止」『官報』1937年6月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 4月12日許可「軌道運輸営業廃止」『官報』1940年4月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本鉄道旅行地図帳12号 九州 沖縄』 p42
参考文献[編集]
飯田栄彦『甘鉄物語』 甘木鉄道、2004年
今尾恵介『地形図でたどる鉄道史 西日本編』 JTB、2000年
今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳12号 九州 沖縄』 新潮社、2008年
小郡市史編集委員会『小郡市史 第3巻(通史編)』 小郡市、1998年
岡本憲之『全国軽便鉄道 失われたナローゲージ物語300選』 JTB、1999年
湯口徹「朝倉軌道気動車探求記-ある軌道の1930年代(前編)」、『鉄道ピクトリアル』1997年9月号(通巻642号)、電気車研究会、66-72頁
湯口徹「朝倉軌道気動車探求記-ある軌道の1930年代(後編)」、『鉄道ピクトリアル』1997年10月号(通巻643号)、電気車研究会、60-65頁
湯口徹『RM LIBRARY 115 石油発動機関車』ネコ・パブリッシング、2009年、34-35頁
カテゴリ: かつて存在した日本の軌道事業者かつて存在した日本のバス事業者九州地方の鉄道路線 (廃止)日本の軽便鉄道福岡県の交通史
徳力軌道
[隠す]徳力軌道
路線総延長 3.1 km
軌間 914 mm
凡例
uexSTR
小倉電気軌道
uexKBHFe
=西鉄北方線
uexKBHFa
0.0 北方
uexBHF
守恒
uexBHF
2.2 徳力図里
uexKBHFe
3.1 徳力桜橋
徳力軌道(とくりききどう)は、かつて福岡県企救郡企救町(現・北九州市小倉南区)内を運行していた馬車鉄道路線およびその運営会社である。
目次 [非表示]
1 概要
2 路線データ
3 運行概要
4 歴史
5 輸送・収支実績
6 関連項目
7 脚注
8 参考文献
概要[編集]
小倉電気軌道(のちの西鉄北方線)の終点であった北方で接続し、南側の徳力地区へ延びる路線として敷設された。1920年9月に馬車鉄道から路面電車に切り替えたことで不要となった小倉電気軌道の客車7両全車(定員20名)を譲り受け、このうち3両を整備して使用している。軌条も同じく小倉電気軌道の路面電車化による余剰品であった。
本社は徳力に置いていた。
1923年に開業したが、開業と同時期に沿線で運行開始されていたバスの影響を受け開業当初から業績不振であり、1925年に廃線となった。営業期間はわずか2年半であった。なお、1985年には西鉄北方線を代替する形で北九州モノレールが開業し、60年の時を経て徳力に軌道系交通が復活している。
路線データ[編集]
路線距離:3.1km
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
動力:馬力
運行概要[編集]
運行本数:旅客約30往復(約40分間隔)
所要時間:約20分
歴史[編集]
1920年(大正9年)11月5日 福岡県企救郡企救町北方から同町徳力に至る1マイル29チェーン (2.2km) の馬車軌道路線の特許出願
1922年(大正11年)2月28日 上記区間の特許を得る[1]
1923年(大正12年)
2月28日 軌道特許状下付(企求郡企求町大字徳力地内)[2]
3月17日 北方 - 徳力図里間が開業
12月20日 徳力図里 - 徳力桜橋間42チェーン (0.9km) を延伸開業
1925年(大正14年)11月28日 全線廃止・会社解散[3]
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円)
1923 46,125 3,373 3,272 101
1924 66,187 4,497 5,190 ▲ 693
1925 6,249 656 1,791 ▲ 1,135 欠損18,185
鉄道省鉄道統計資料各年度版
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
脚注[編集]
^ 「軌道特許状下付」『官報』1922年3月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道特許状下付」『官報』1923年9月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道特許失効」『官報』1925年12月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
谷口良忠 (8月 1985年). “小倉軌道・徳力軌道沿革史”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) 通巻451号: pp. 63-69.
執筆の途中です この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
カテゴリ: かつて存在した日本の鉄道事業者九州地方の鉄道路線 (廃止)福岡県の交通史小倉南区の交通小倉南区の歴史小倉南区の企業馬車鉄道
南筑軌道
南筑軌道(なんちくきどう)は九州鉄道(現在のJR九州鹿児島本線)羽犬塚駅から八女郡の中心地である福島町(現在の八女市)を結んだ馬車鉄道及びその事業者である。その後馬力から内燃化し、路線延長して八女郡を東西に横断するようになったが、矢部線が建設されることになり開通を待たずに廃止された。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
2.1 黒木軌道
3 運行状況
3.1 ダイヤ・運賃
4 輸送・収支実績
5 車両
6 駅一覧
7 脚注
8 参考文献
9 外部リンク
路線データ[編集]
路線距離:羽犬塚 - 黒木17.18km
軌間:914mm = 3ft
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
動力:馬力→内燃
歴史[編集]
最初に八女郡に鉄道がやってきたのは1891年に開設された九州鉄道羽犬塚駅であり郡の西端部に位置していた。城下町であった福島町や郡の中央にあった黒木町には鉄道建設の計画があったが実現しなかった[1]。1903年地元有志の手により南筑馬車鉄道が設立され(本社は福島町)、同年8月羽犬塚-福島間が開業した。1907年に南筑軌道と改称し第一次世界大戦時には馬が徴発されて一時運休するなどしたが、会社の経営陣は地元の町村長、県会議員、地元の経済人が就いていており筑後地方の軌道では筆頭の一割配当をするなど業績は良好であった。1915年には石油発動機関車に動力を変更をし輸送力を増強した。1920年に増資し軌条を交換し曲線の緩和など工事をして速度向上を図った。さらに1923年に黒木軌道を合併し八女郡を東西に横断するようになった。また後ノ江 - 久留米間及び羽犬塚 - 船小屋間(船小屋温泉の湯治客を目当てとした)の延長、水力発電所を建設し電気鉄道への転換をはかることなどを計画したが実現しなかった。
一方1926年からおこなっていた陳情によりようやく矢部線の建設が決定し1936年度着工1941年完成と決まったが戦争の影響によりすぐに工事が中止となった。これに対し南筑軌道では金属回収による鉄価高騰を機会に軌道の廃止を決定。沿線町村長の廃止延期の陳情もあったが1940年6月に廃止となり、自社でのバス運行に転換されたが、1942年に堀川自動車に買収された。
1902年8月7日 - 軌道敷設特許[2]。
1903年6月22日 - 南筑馬車鉄道株式会社設立[2]。
1903年8月8日 - 羽犬塚 - 福島間開業[2]。
1903年12月1日 - 福島 - 山内間開業[2]。
1915年 - 内燃化[3]。
1916年5月6日 - 黒木軌道により川崎村(山内)- 黒木間開業[2]。
1923年3月15日 - 黒木軌道と合併[4]。
1940年6月24日 - 廃止[5]。
現在は堀川バスの羽矢線がほぼ同じルートを通っている。
黒木軌道[編集]
1911年5月11日発起人隈本勝三郎ほか六名の連署により軌道敷設の願いが県に提出され、1912年10月11日に許可された。1914年5月21日黒木軌道株式会社[6]を設立し本社を豊岡村(黒木町)に置いた。1916年5月黒木 - 山内間が開業し、当初から石油発動機関車を使用した[7]。その後南筑軌道と相互乗り入れするようになった。
運行状況[編集]
黒木軌道と合併時には羽犬塚 - 黒木間を2時間以上かかっていた。原因は馬車軌道時代の細い軌条と急曲線であり、その後改良により80-90分に短縮され、30-60分間隔になった。なお同社は乗合自動車も運行しており同じ区間を50分で結んでいた。
貨物は材木、電柱、木炭、和紙、提灯、竹皮、米麦を輸送していた。
ダイヤ・運賃[編集]
明治後期 1日9往復
羽犬塚-福島間 特等14銭、並等9銭
輸送・収支実績[編集]
南筑軌道
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1908 227,632 12,822 20,667 14,812 5,855 364 55
1909 236,877 7,599 21,377 14,587 6,790 196 11
1910 230,998 9,543 20,932 13,289 7,643 利子341 30
1911 236,242 1,311 21,372 15,209 6,163 利子342
1912 253,347 1,460 23,033 16,460 6,573 375
1913 254,493 1,538 21,760 18,411 3,349 利子523
1914 279,312 1,868 21,975 17,209 4,766 利子459
1915 282,553 7,778 25,643 20,588 5,055 利子199 360
1916 362,532 11,597 32,791 26,318 6,473
1917 423,130 15,426 41,531 30,446 11,085
1918 514,567 18,606 57,006 49,846 7,160
1919 576,395 12,686 84,098 73,458 10,640
1920 487,746 19,240 92,350 86,949 5,401
1921 642,612 26,525 117,461 93,945 23,516
1922 787,054 30,147 154,218 115,316 38,902
1923 719,036 30,037 158,230 120,559 37,671 償却金10,000 220
1924 653,078 32,667 157,967 120,139 37,828 他事業1,506 他事業1,668償却金10,000
1925 626,671 26,250 142,447 106,528 35,919 他事業7,311 他事業6,026償却金7,000
1926 581,655 26,618 135,213 103,366 31,847 4,479 償却金9,000
1927 580,541 16,580 121,291 90,720 30,571 2,758 償却金5,000
1928 562,188 11,016 103,514 80,900 22,614 自動車2,641 償却金3,000
1929 428,030 9,842 69,246 52,943 16,303 自動車7,412 償却金3,030
1930 407,886 8,542 60,102 49,066 11,036 自動車9,546 償却金4,000
1931 438,456 6,239 48,826 36,129 12,697 自動車4,229 償却金3,500
1932 437,597 6,145 46,699 37,533 9,166 自動車2,369 償却金3,427
1933 430,524 5,819 47,454 43,891 3,563 償却金3,170自動車318
1934 452,537 6,817 52,523 45,467 7,056 自動車8,613 償却金9,838
1935 456,091 6,706 49,575 44,501 5,074 自動車7,467 償却金4,236
1936 494,768 7,093 58,645 42,903 15,742 償却金3,000自動車25
1937 500,010 7,760 52,495 49,546 2,949 自動車6,386 償却金1,400
黒木軌道
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1916 112,949 5,623 11,342 12,788 ▲ 1,446
1917 121,736 7,625 17,954 16,587 1,367
1918 142,087 9,125 23,226 24,669 ▲ 1,443 780
1919 292,045 9,150 33,431 32,750 681
1920 121,824 12,775 34,486 34,233 253
1921 110,040 12,005 33,681 38,134 ▲ 4,453
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両[編集]
開業時は客車9両(特等車2、並等車7)、貨車6両、馬15頭だった。1915年に馬匹から内燃動力に切り替えるべく筑後軌道より石油発動機関車を譲り受け客車や貨車を原則1両牽引した。1930年になると中古のガソリン機関車(アメリカミルウォーキー製)1両を購入し貨物輸送に使用した。1932年度の所有車両は機関車20両、客車20両、貨車19両、乗合自動車12台。また1934年内燃動車を導入し、廃線になった柳河軌道から内燃動車1両を購入[8]。1936年には自社で2両を客車から改造した。
廃止後客車4両が十勝鉄道で再起した。(十勝鉄道コホハ41 - 44 44はさらに歌登町営軌道に譲渡された)
駅一覧[編集]
羽犬塚 - 山ノ井 - 長浜 - 鵜池(うのいけ) - 蒲原(かまはら) - 下福島 - 福島 - 鈍土羅(どんどら) - 後ノ江(あとのえ) - 井延 - 忠見 - 上山内(後に山内) - 長野 - 犬山 - 湯辺田(ゆべた) - 内ノ城 - 田本 - 上本分 - 大ノ原 - 中籠(なかごもり) - 黒木
合併前の1921年時点では山内と上山内両駅とも存在しており、山内駅が接続駅[9]上山内駅が黒木軌道所属となっている[10]
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 1900年発行の八女郡是によれば筑後鉄道と米山鉄道の計画があったことがわかる。(国会図書館デジタルコレクションより)
^ a b c d e 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 筑後市史2は3月25日、黒木町史では12月
^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正11年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道運輸営業廃止」『官報』1940年9月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 古老の話によると馬匹も使用していたらしい。
^ ボギー客車も購入
^ 「停留場共用ノ件」『南筑軌道株式会社(二)・自大正五年至大正十四年』8-11頁
^ 「客車混用ノ件」『南筑軌道株式会社(二)・自大正五年至大正十四年』159頁
参考文献[編集]
『黒木町史』1993年、519-521頁
『筑後市史2』1995年、228-231頁
『八女市史』1992年、195-200頁
『福岡県百科辞典 下』西日本新聞社、1982年、433-437頁 担当執筆は谷口良忠
今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 12号 九州沖縄』新潮社、2009年
臼井茂信「南筑軌道」『鉄道ファン』No167 1975年3月号、99頁
岡本憲之『軽便鉄道時代』JTBパブリッシング、2010年
亀井一男「地図と鉄道16」『鉄道史料』No47 1987年8月
湯口徹『石油発動機関車』RMライブラリー115 ネコ・パブリッシング、2009年
湯口徹『内燃動車発達史 上』ネコ・パブリッシング、2004年、302-304頁
牧野俊介『軍機保護法下の汽車軽便』JTBパブリッシング、2009年
和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、173、176頁
『南筑軌道株式会社(二)・自大正五年至大正十四年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
久留米市立草野歴史資料館(樋口一成)『なつかしの風景 筑後の軌道』2015年 28-31頁
外部リンク[編集]
福岡県内務部会計課『最新福岡県管内軌道図』福岡県、1920年(国立国会図書館近代デジタルライブラリー) - 羽犬塚 - 黒木間が南筑軌道、福島町から三井郡方面の路線は三井電気軌道、羽犬塚から三潴郡方面の路線は三潴軌道
カテゴリ: 馬車鉄道かつて存在した日本の軌道事業者かつて存在した日本のバス事業者九州地方の鉄道路線 (廃止)福岡県の交通史筑後市の歴史八女市の歴史
北本市
きたもとし
北本市
Kitamoto montage.JPG
石戸蒲ザクラ 北本総合公園
鴻巣宿
北本駅 解脱会の天神地祇太神社殿
Flag of Kitamoto, Saitama.svg
北本市旗
Emblem of Kitamoto, Saitama.svg
北本市章
1965年(昭和40年)8月1日制定
国 日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
団体コード 11233-0
法人番号 7000020112330
面積 19.82km2
総人口 66,525人
(推計人口、2017年5月1日)
人口密度 3,360人/km2
隣接自治体 桶川市、鴻巣市、
比企郡川島町、吉見町
市の木 サクラ
市の花 キク
市の歌 「北本市の歌」「北本音頭」
北本市役所
市長 [編集]現王園孝昭
所在地 〒364-8633
埼玉県北本市本町一丁目111番地
北緯36度1分36.8秒東経139度31分48.7秒
北本市役所
外部リンク 北本市
北本市位置図
■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村
地理院地図 Googleマップ Bing GeoHack
MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン
特記事項 市外局番:048(市内全域、熊谷MA)
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北本市(きたもとし)は、埼玉県の東部中央にある人口約6万6千人の市である。江戸幕府による宿駅整備以前の1602年(慶長7年)までは中山道の宿場、鴻巣宿があったことが地名の由来である。
目次 [非表示]
1 地理
1.1 隣接自治体との関係
2 歴史
2.1 沿革
2.2 市名の由来と経緯
2.3 北本町成立までの経過
3 人口
4 行政
4.1 市長
4.1.1 歴代市長
4.2 市議会
4.3 広域行政
4.4 消防
4.5 警察
5 経済
5.1 企業
5.2 農業
6 姉妹都市・提携都市
6.1 国内
7 地域
7.1 郵便
7.2 健康
7.3 施設
7.4 公園
7.5 教育
7.6 電話番号
8 交通
8.1 鉄道路線
8.2 バス
8.3 道路
9 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
10 出身著名人
11 その他
12 脚注
13 外部リンク
地理[編集]
河川: 荒川、江川
この他、赤堀川も市の東部をわずかに掠めている。
隣接自治体との関係[編集]
鴻巣市
北部および東部で接している。鴻巣市が本市東部を覆うような形で接している。高崎線や国道17号、旧中山道(埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線)などで結ばれており、また、北本駅が鴻巣市境に近接している為、住宅地や市街地が一部市境にまたがって存在するほか、鴻巣市に所在する鴻巣警察署の管轄内であり、電話番号の単位料金区域でも同じ熊谷MAに属し市内扱いであるなど、北本市にとって最も密接な市である。鴻巣市の南西部および南東部(常光地区)の住民は北本駅を利用、北本市北部(深井地区など)の住民は鴻巣駅を利用することがある。また、鴻巣市のコミュニティバス「フラワー号」の馬室コース・常光コースが北本駅まで乗り入れており、北本市内にもバス停が設置されている。なお、現在の鴻巣の街の基となった鴻巣宿は現在の北本市域から移設されたものである。
桶川市
南部で接している。高崎線や国道17号、旧中山道(埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線)などで結ばれている。本市南部(二ツ家地区など)の住民は桶川駅を利用することがある。
比企郡吉見町
西部で接している。北本駅まで吉見町巡回バスが乗り入れている。市町境の荒川に荒井橋および高尾橋(冠水橋)が架橋されている。
比企郡川島町
南西部で接している。荒川で隔てられており、本市と川島町を直接結ぶ道路が存在しない為、移動には吉見町または桶川市を経由する必要がある。
歴史[編集]
沿革[編集]
1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。
1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
1879年(明治12年) - 足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。東間村・北本宿村・深井村・山中村・古市場村・北中丸村・常光別所村・花ノ木村が合併し、中丸村になる。下石戸上村・下石戸下村・石戸宿村・荒井村・高尾村が合併し、石戸村になる。
1943年(昭和18年)2月11日 - 中丸村と石戸村が合併、北足立郡北本宿村になる。
1959年(昭和34年)11月3日 - 町制施行に伴い、名称変更。北本宿村から北本町になる。
1965年(昭和40年)8月1日 - 町章[1]が制定される。
1971年(昭和46年)11月3日 - 市制施行。
北本市役所旧庁舎
市名の由来と経緯[編集]
本宿歩道橋
中山道の宿場・鴻巣宿が1602年(慶長7年)に市宿新田(現在の鴻巣市)に移転し、以後本(元)鴻巣村と呼ばれるようになった。それが転じて本(元)宿村となる。明治時代に入り、同一郡内に本(元)宿村がもう一つ存在(現・さいたま市桜区南元宿)したため、北本宿村に改められた。1889年(明治22年)に周辺村との合併により中丸村となり、旧北本宿村は中丸村大字北本宿となった。
その後、1928年(昭和3年)に高崎線の本宿信号場が駅に昇格した際に、所在地が大字北本宿であることから北本宿駅となり、1943年(昭和18年)に中丸村と石戸村が合併した際に、両村の最寄り駅である北本宿駅の名を採り、北本宿村が成立した。
1959年(昭和34年)の町制施行と同時に自治体名を改称し、北本宿の宿を抜いて北本とした。旧中山道本宿交差点にある北本宿の碑や一部の地名辞典などで江戸時代の宿場町と記されるなど、北本という宿場があったかのような誤解が生じる要因となっている。
1971年(昭和46年)の市制施行に先駆け、町内を発祥の地とし、信仰の拠点を置く解脱会関係者を中心として解脱市として市制施行する提案がなされたが実現せず、北本のまま市制施行し現在に至る。
北本町成立までの経過[編集]
北本宿村が町制施行と改称を経て北本町となるまでの経過については、資料により記載内容が異なる。
北本宿村の廃止日を11月3日とするもの
11月3日に北本宿村が町制施行して北本宿町となり、即日改称して北本町となったという記述である。これは埼玉県の告示や官報、現北本市の例規などに記載されている。
北本宿村の廃止日を10月31日とするもの
まず10月31日に北本宿村が改称し北本村となり、その後11月3日に町制施行して北本町となったという記述である。これは複数の地名辞典などに記載されている。
人口[編集]
2004年に総人口が70,719人となってピークを迎えた。それ以降は年々減少傾向にある。2017年現在6万6千人の市となっている。
Demography11233.svg
北本市と全国の年齢別人口分布(2005年) 北本市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 北本市
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
北本市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 31,699人
1975年 46,632人
1980年 50,888人
1985年 58,114人
1990年 63,929人
1995年 69,929人
2000年 69,524人
2005年 70,126人
2010年 68,884人
2015年 67,414人
総務省統計局 国勢調査より
行政[編集]
市長[編集]
現王園孝昭(2015年5月1日就任、1期目)
歴代市長[編集]
斎藤隆
大護俊英
新井馨
加藤高
石津賢治
市議会[編集]
2015年5月19日現在
議員定数:20
議長:三宮幸雄(みらい)
副議長:滝瀬光一(平成会)
任期:2015年5月1日 - 2019年4月30日
会派
平成会:5
みらい:5
緑風会:4
公明党:3
日本共産党:2
仮称北本会:1
広域行政[編集]
埼玉中部環境保全組合…鴻巣市、吉見町と共同でごみ処理を行う
北本地区衛生組合…鴻巣市、久喜市、吉見町と共同でし尿処理を行う
桶川北本水道企業団…桶川市と上水道事業及び下水道使用料徴収業務を行う
埼玉県央広域事務組合…鴻巣市、桶川市と共に消防、火葬場・葬祭場運営、火薬類取締法・液化石油ガス法・高圧ガス保安法に基づく事務を行う
消防[編集]
埼玉県央広域消防本部(本部は鴻巣市)
北本消防署
北本東分署
警察[編集]
鴻巣警察署(鴻巣市)
北本交番 (本宿2丁目8番地)
北本駅前交番 (中央2丁目172番地)
二ツ家交番 (二ツ家1丁目380番地2)
経済[編集]
企業[編集]
新日本ガス
三菱マテリアル
非鉄材料技術研究所(所属するMMCスーパーアロイ(株)のホームページ)
トヤマ楽器製造(工場)
SUBARU(埼玉製作所)
株式会社コベルコマテリアル銅管
北本製作所(2004年9月より、三菱マテリアルから移管される。2005年9月操業停止)
関東グリコ(北本ファクトリー)
農業[編集]
さいたま農業協同組合
姉妹都市・提携都市[編集]
国内[編集]
福島県河沼郡会津坂下町
1992年10月19日姉妹都市提携
地域[編集]
[表示]
表 話 編 歴
Flag of Kitamoto, Saitama.svg 北本市の町・字
郵便[編集]
郵便番号は市内全域が上三桁は364。
北本郵便局(市内全域の集配を担当)
健康[編集]
平均年齢:40.3歳(男 = 39.6歳、女41.0歳)
施設[編集]
県の施設
北本県土整備事務所
北本県土整備事務所 - 上尾市、桶川市、北本市、鴻巣市、北足立郡伊奈町の4市1町の県道・県が管理する国道・県営公園の建設および管理、河川の改修および管理、建築確認(鴻巣市、桶川市、北本市、北足立郡伊奈町)、開発許可(北足立郡伊奈町)を行う。
埼玉県自然学習センター
北本自然観察公園
市の施設
体育センター
体育センター
野外活動センター
健康増進センター
知的障害者通所授産施設あすなろ学園
心身障害児通園訓練施設こども療育センター
総合福祉センター
市民交流プラザ
中央公民館
中央図書館
南部学習センター(南部公民館)
中央地域学習センター(東部公民館)
西部学習センター(西部公民館)
東間深井学習センター(北部公民館)
中丸学習センター(中丸公民館)
公団地域学習センター(学習センター)
東地域学習センター(勤労福祉センター)
本町西高尾学習センター(コミュニティセンター)
公園[編集]
北本総合公園
北本総合公園
北本中央緑地 - 高崎線沿線で唯一の雑木林
宮内緑地公園
中丸緑地公園
自然観察公園
北本水辺プラザ公園
高尾さくら公園
子供公園
天神下公園
教育[編集]
幼稚園
森の詩幼稚園
石戸幼稚園
北本中央幼稚園
北本東幼稚園
北本みなみ幼稚園
北本幼稚園
せきね幼稚園
ふじ幼稚園
みなみ第二幼稚園
保育所
北本市立栄保育所
北本市立中央保育所
北本市立東保育所
北本市立深井保育所
共同保育所
中丸保育園
鈴や保育室
高尾保育園
小学校
北本市立石戸小学校
北本市立北小学校
北本市立栄小学校
北本市立中丸小学校
北本市立中丸東小学校
北本市立西小学校
北本市立東小学校
北本市立南小学校
中学校
北本市立北本中学校
北本市立西中学校
北本市立東中学校
北本市立宮内中学校
専修学校
北里大学看護専門学校
高等学校
埼玉県立北本高等学校
電話番号[編集]
市外局番は市内全域「048」。市内局番が「5XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(熊谷MA)。収容局は鴻巣局、鴻巣北本局。「5xx」から始まる市内局番は本市のほか、鴻巣市、行田市、羽生市、熊谷市、深谷市、大里郡寄居町で使用されている。
交通[編集]
鉄道路線[編集]
北本駅(東口)
東日本旅客鉄道(JR東日本)
高崎線
北本駅
※市北部(深井地区など)では鴻巣駅、市南部(二ツ家地区など)では桶川駅を利用することがある。北本駅と桶川駅の間の二ツ家地区(圏央道予定区間の交点付近)に新駅を設置する計画(請願駅)があったが、財政負担が大きいことから計画の是非を市民に問う住民投票が2013年12月15日に実施され[2]、その結果反対票が賛成票を大幅に上回ったため北本市は計画を撤回し、JR東日本への要望書提出は行わないことになった[3][4][5]。
バス[編集]
路線バス
川越観光バス(森林公園営業所)
北本駅西口 - 北本団地
北本駅西口 - 北里メディカルセンター
北本駅東口 - 富士重工業 - 桶川工業団地 - 北本駅東口
桶川駅西口- けやき団地 - 北里メディカルセンター
国際興業バス
深夜中距離バス「ミッドナイトアロー」上尾・鴻巣
停留所:二ツ家 - 北本駅入口
丸建自動車「けんちゃんバス」
北本駅東口 - グリコ工場 - 二ツ家 - 北本駅東口
コミュニティバス
北本市ではコミュニティバスの運行は行っていないが、隣接自治体のコミュニティバスの一部路線が北本市内を経由している。
鴻巣市コミュニティバス「フラワー号」
馬室コース(鴻巣駅西口 - 馬室 - 松原 - 北本駅西口)
北本駅西口まで乗り入れており、北本市内の西高尾地区にもバス停が設置されている。
常光コース(鴻巣駅東口 - 常光 - 北本駅東口)
北本駅東口まで乗り入れており、北本市内の宮内地区・北本地区にもバス停が設置されている。
吉見町「吉見町巡回バス」
町内循環・東南コース(道の駅いちごの里よしみ - 荒川荘方面先回り)
第1便のみ北本駅西口まで乗り入れており、市内の高尾さくら公園と総合福祉センターにもバス停が設置されている。
町外アクセス・北本駅線(道の駅いちごの里よしみ - 北本駅西口)
北本駅西口まで乗り入れており、市内の高尾さくら公園と総合福祉センターにもバス停が設置されている。
桶川市市内循環バス「べにばなGO」
東西循環コース
北本市南部を経由しており、北本市内の下石戸上地区にもバス停が設置されている。
道路[編集]
高速道路
圏央道が市内南部を通過しているが、市内にはインターチェンジは設置されていない。隣接する桶川市内に桶川北本ICと桶川加納ICが設置されている。
そのほか、首都高速埼玉大宮線与野出入口、関越道東松山IC、東北道久喜IC・加須ICなどの利用も上げられる。
一般国道
国道17号(大宮バイパス)
県道
主要地方道
埼玉県道33号東松山桶川線
埼玉県道57号さいたま鴻巣線
一般県道
埼玉県道135号北本停車場線
埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線(旧中山道)
埼玉県道311号蓮田鴻巣線
埼玉県道312号下石戸上菖蒲線
主な市道
ゆりのき通り(125号・4161号) - メディカルセンター入口交差点(埼玉県道57号さいたま鴻巣線交点)から1,285m。北里大学メディカルセンター建設時、3本のユリノキが伐採されずに残されたことに因む。同病院の建設に尽力した北里大学特別栄誉教授の大村智の功績を讃えて愛称が付けられることとなり、依頼を受けた大村本人が命名した[6]。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
石戸蒲ザクラ
石戸城跡
東光寺
石戸蒲ザクラ - 日本五大桜
デーノタメ遺跡
城ヶ谷堤 - 桜の名所
阿弥陀堂
解脱会御霊地
真福寺(石戸両大師)
北本まつり
北本天然温泉 - 楽市楽湯、湯楽の里
出身著名人[編集]
新井甫 - 海軍大佐、真珠湾攻撃時の空母『飛龍』の軍医長
石井堅治 - 農業事業者
石井博 - 言語学者・英文学者・詩人
伊藤敦基 - CBCテレビアナウンサー
大島敦 - 衆議院議員(民主党所属)
岡野聖憲 - 解脱会会祖
遠山啓 - 数学者・晩年在住
小川亜希子 - フリーアナウンサー・キャスター
小林清貞 - 独法学者
塚越礼奈 - 鹿児島放送アナウンサー
パーマ大佐 - お笑い芸人
福井和美 - 四国放送アナウンサー
水落穂南 - 重量挙げ選手
その他[編集]
とまちゃん - 北本市のゆるキャラ
真っ赤な誘惑北本トマトカレー - 名産のトマトを使ったご当地グルメ。
脚注[編集]
^ 図典 日本の市町村章 p72
^ 広報きたもと12月号特別号「新駅建設の賛否を問う住民投票が行われます」を発行しました - 北本市2013年11月29日
^ 住民投票データ 平成25年12月15日執行・北本市における新駅建設の賛否を問う住民投票結果 - 北本市2013年12月15日
^ 北本市における新駅建設の賛否を問う住民投票の開票結果を受けて[12月16日] - 北本市2013年12月16日
^ 「無駄遣い」圧倒的多数 埼玉・北本市住民投票 市費で新駅「ダメ」 - 東京新聞2013年12月16日朝刊
^ 埼玉新聞 2017年8月4日朝刊13面
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、北本市に関連するカテゴリがあります。
行政
北本市
観光
北本市観光サイト きたこれ
北本市観光協会
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表 話 編 歴
埼玉県の旗 埼玉県の自治体と行政区