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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
大分交通宇佐参宮線
宇佐参宮線
概要
現況 廃止
起終点 起点:豊後高田駅
終点:宇佐八幡駅
駅数 6駅
運営
開業 1916年3月1日
廃止 1965年8月21日
所有者 宇佐参宮鉄道→大分交通
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 8.8 km (5.5 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 120.7 m (396 ft)
電化 全線非電化
最急勾配 18.2 ‰
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
exKBHFa
0.0 豊後高田駅
exBHF
封戸駅
exSTRc2 exSTR3
exSTR+1 exSTRc4
exSTRlf
exSTRlg
4.0 宇佐駅
STRq
xKRZo
国鉄:日豊本線
exSTRrg exSTRrf
exWBRÜCKE
寄藻川
exBHF
6.0 橋津駅
exBHF
宇佐高校前駅
exKBHFe
8.8 宇佐八幡駅
26号蒸気機関車
宇佐参宮線(うささんぐうせん)は、かつて大分県豊後高田市の豊後高田駅から日本国有鉄道(国鉄)日豊本線の宇佐駅を経て、宇佐神宮のある宇佐八幡駅までを結んでいた大分交通の鉄道路線である。
元々、日豊本線から宇佐神宮へのアクセス路線として建設され、大分交通の経営するバス路線と競合するため廃止された。東方面へ更に延伸し、国東線と共に国東半島一周鉄道を形成する計画もあったが、実現せず終わった。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行概要
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 輸送・収支実績
7 車両
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
10 関連項目
路線データ[編集]
1965年(昭和40年)3月当時
路線距離:豊後高田 - 宇佐八幡間 8.8km
駅数:6
軌間:1,067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(非電化)
運行概要[編集]
運行本数:豊後高田 - 宇佐八幡間10往復半(他、宇佐八幡 - 宇佐間上り区間列車が1本存在)
所要時間:豊後高田 - 宇佐間11分、宇佐 - 宇佐八幡間12 - 13分
歴史[編集]
宇佐神宮のある宇佐郡宇佐町と国東半島の玄関口にあたる西国東郡高田町を国鉄宇佐駅へ鉄道で結ぶべく地元有志により1911年(明治44年)1月に鉄道敷設申請が提出された。翌1912年(明治45年)5月鉄道免許状が下付されたものの、資金調達が捗らす延長申請が繰り返された。ようやく1914年(大正3年)3月になり宇佐参宮鉄道が設立され、資本金を15万円とし、初代社長に水之江浩[注釈 1][1]が就任した。同年12月工事施工の認可が下りると、1916年(大正5年)3月豊後高田-宇佐-宇佐八幡間が開通した。業績は好調で車両、施設など増強し、真玉及び拝田への路線延長を計画した。1924年(大正13年)に豊後高田より中真玉村までの延長敷設免許を取得したが、地元の豊後高田町が中間駅となることに反対の声を上げ、また桂川の架橋費用の問題もあり1928年(昭和3年)免許失効となる。また宇佐八幡駅より日出生鉄道(豊州鉄道→大分交通豊州線)拝田駅までの延長敷設免許を1928年(昭和3年)に取得すると用地取得、工事着手と順調に進んだが、終点拝田駅の共同使用について豊州鉄道[注釈 2]が不利になるとして難色を示したため協議にならず1930年(昭和5年)鉄道大臣に裁定方を申請するが決着はつかなかった。そうしている間に不況の影響で収益は悪化しついに1935年(昭和10年)に計画は放棄され西国東郡と宇佐郡を結ぶ計画は消滅した。
1912年(明治45年)5月1日 鉄道免許状下付(宇佐郡宇佐町-西国東郡高田町間)[2][3]
1914年(大正3年)3月25日 宇佐参宮鉄道株式会社設立[2]
1916年(大正5年)3月1日 全線開業[2][4]
1924年(大正13年)6月9日鉄道免許状下付(西国東郡高田町-同郡中真玉村間)[5]
1928年(昭和3年)
3月9日 鉄道免許状下付(宇佐郡宇佐町-同郡豊川町間)[6]
5月4日 鉄道免許失効(西国東郡高田町-同郡中真玉村間 指定ノ期限内ニ工事施工ノ認可申請ヲ為ササルタメ)[7]
1932年(昭和7年)2月25日 鉄道免許失効(宇佐八幡起点5492m-終点間 指定ノ期限マテニ実施設計ノ認可申請ヲ為ササルタメ)[8]
1935年(昭和10年)4月17日 鉄道起業廃止許可(宇佐郡宇佐町-同郡豊川村間)[9]
1945年(昭和20年)4月20日 交通統制により、県下の鉄道・バス会社と共に大分交通へ統合
1965年(昭和40年)
7月16日 営業廃止許可[10]
8月14日 営業廃止公告[10]
8月21日 全線廃止[10]
駅一覧[編集]
1965年(昭和40年)8月当時
豊後高田駅 - 封戸駅 - 宇佐駅 - 橋津駅 - 宇佐高校前駅 - 宇佐八幡駅
接続路線[編集]
宇佐駅:国鉄日豊本線
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1915 31,255 359 2,510 2,189 321
1916 244,400 15,451 22,112 20,165 1,947 検査改算減額1,431 14,551 9,199
1917 332,942 25,203 36,879 27,047 9,832 336 雑損金2,566 8,981 8,381
1918 400,310 21,145 36,188 39,967 ▲ 3,779 10,006 12,324
1919 405,176 25,512 49,958 45,453 4,505 積立金繰入1,200 雑損金5,056 4,554 3,835
1920 443,029 24,767 76,097 57,869 18,228 9,958
1921 410,673 22,972 81,199 53,163 28,036
1922 408,265 25,324 83,367 48,861 34,506
1923 439,063 28,603 87,498 54,177 33,321 1,000 5,129
1924 463,903 29,093 86,563 55,864 30,699 準備金繰入1,000 4,547
1925 344,354 20,930 61,529 38,753 22,776 3,167 841
1926 466,093 32,251 87,234 53,282 33,952 7,805
1927 448,417 28,495 81,009 53,137 27,872 自動車1,083 7,896
1928 430,585 33,560 91,774 55,942 35,832 積立金繰入4,756 償却金4,756 7,804
1929 404,585 33,961 88,618 57,540 31,078 自動車669 償却金1,000 6,597
1930 388,437 27,614 84,573 56,904 27,669 自動車806 5,181
1931 321,073 23,015 72,797 44,761 28,036 自動車2,757 4,395
1932 302,603 22,192 67,325 37,018 30,307 自動車8,799 6,146
1933 336,393 25,015 72,563 42,644 29,919 自動車10,617 6,345
1934 342,016 26,246 75,961 42,686 33,275 自動車業20,377 償却金3,282 7,100
1935 361,612 26,299 78,915 41,755 37,160 自動車業31,563 償却金10,117 6,546
1936 390,665 27,113 82,737 46,400 36,337 自動車業27,934 償却金1,266 6,326
1937 457,651 31,211 105,029 54,464 50,565 準備金繰入46,597
自動車業27,768 寄付金10,000
償却金42,021 6,093
1939 609,506 48,370
1941 911,607 55,496
1943 1,157,892 44,690
1945 1,480,671 35,729
1952 930,260 41,810
1958 1,051千 32,266
1963 792千 26,826
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版
車両[編集]
機関車
1-3 1915年大日本軌道製。1941年に1が日本製鋼(広島)へ売却。3が1955年廃車、2が1964年廃車
5 1924年雨宮製作所製Cタンク機関車。製造まもない武州鉄道3を1925年購入[11]。1964年廃車。
1(2代目) 1915年大日本軌道製。熊延鉄道1を1941年に購入。1949年廃車。
26 蒸気機関車 クラウス製(元九州鉄道19→国鉄26)
D21・22 L形ディーゼル機関車
ガソリンカー
キハ1-3 1931年合資会社雨宮工場製[注釈 3]後に客車化されハ11-13となる。1952年耶馬渓線に転出
ディーゼルカー
キハ502「みやばと」(元佐久鉄道キホハ58→国鉄キハ40306)・503「かみばと」(元北九州鉄道ジハ21→国鉄キハ40321) 1966年耶馬渓線に転出
客車
ホハフ101-104 ボギー客車。1966年耶馬渓線に転出
ハニフ111-114・ハフ115 2軸客車。ハニフ113・114は元九州鉄道、ハフ115は元日本鉄道
貨車
ワ1 2軸有蓋貨車
ト1 2軸無蓋貨車
脚注[編集]
注釈[編集]
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^ 宇佐郡の大地主で明治23年から明治33年まで県下長者番付筆頭。
^ 競売にかけられるなど豊州鉄道の社内は混乱していた。
^ 注文後雨宮製作所が倒産したため合資会社雨宮工場で再起。
出典[編集]
[ヘルプ]
^ 『人事興信録. 4版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b c 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年5月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年3月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年6月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年3月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許失効」『官報』1928年5月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許一部失効」『官報』1932年2月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道起業廃止」『官報』1935年4月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b c 奈良崎博保「大分交通宇佐参宮線の鉄道営業廃止」『鉄道ファン』No.52
^ 「宇佐参宮鉄道ヘ機関車譲渡ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・大正十年~大正十五年』
参考文献[編集]
奈良崎博保・谷口良忠 (1966). “大分交通国東線・宇佐参宮線”. 鉄道ピクトリアル No. 186 (1966年7月臨時増刊号:私鉄車両めぐり7): pp. 79-95, 104-106.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道史資料保存会(1986年覆刻)、東京、1937年、p. 438。ISBN 4-88540-048-1。
『大分交通40年のあゆみ』大分交通、1985年、47-52頁
『大分県交通史』九州交通新聞社、1978年、100-101頁
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
国鉄10形蒸気機関車 - 本路線で使用された国鉄払下げの蒸気機関車。26の1両が在籍し、現在は宇佐神宮境内に保存されている。
執筆の途中です この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)大分交通
大分交通国東線
国東線
概要
現況 廃止
起終点 起点:杵築駅
終点:国東駅
駅数 20駅
運営
開業 1922年7月7日
廃止 1966年4月1日
所有者 国東鉄道→大分交通
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 30.3 km (18.8 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 160 m (520 ft)
電化 全線非電化
最急勾配 18.18 ‰
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
STR
国鉄:日豊本線
BHF
0.0 杵築駅
eABZlf exSTRlg
STRrf exSTR
国鉄:日豊本線
exBHF
1.2 八坂(停)
exBHF
3.3 祇園
exBHF
若宮(臨)
exBHF
5.1 杵築町
exBHF
6.2 大内(停)
exBHF
7.9 灘手(停)
exBHF
9.4 守江
exBHF
東守江
exBHF
11.8 狩宿(停)
exBHF
13.9 奈多八幡
exBHF
14.9 北奈多(停)
exBHF
志口(停)
exBHF
18.1 安岐
exBHF
19.1 古城(停)
exBHF
大海田(停)
exBHF
23.3 武蔵
exBHF
24.9 池の内(停)
exBHF
26.4 綱井
exBHF
黒津崎(臨)
exBHF
29.1 小原(停)
30.3 国東駅
36.0 国見駅 計画のみ
exLSTR
計画線
豊後高田駅
exSTR
宇佐参宮線
国東線(くにさきせん)は、かつて大分県杵築市の杵築駅から、国東半島東部にある同県東国東郡国東町(現・国東市)の国東駅までを結んでいた大分交通の鉄道路線である。
目次 [非表示]
1 路線概要
1.1 路線データ
2 運行概要
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 輸送・収支実績
7 車両
8 廃線後の現状
9 脚注
9.1 注釈
9.2 出典
10 参考文献
11 関連項目
路線概要[編集]
潮干狩りの時期には臨時に「貝掘り列車」、花見の際には八幡奈多宮の「花見列車」を出したり、みかんや七島イの輸送に使われたりと人々に長い間親しまれていた。駅および停留所同士の間隔が狭く、沿線集落の住民の生活に密着していた。また、国東半島はそのほぼ中心にある両子山から沿岸部に向かって幾筋もの谷が続き、その谷に沿って集落が点在している。したがって内陸の集落から沿岸部に出るのは比較的容易であるが、隣の谷筋に行くのは非常に不便であった。この点も考慮し、安岐駅以北は主要な谷筋ごとに必ず駅または停留所が配置されていた。
また、千光寺の坂(八坂停留所 - 祇園駅間)、祇園の坂(祇園駅 - 若宮臨時停留所間)、塩屋の坂(志口停留所 - 安岐駅間)といった急坂は、いずれも距離が長かったので、乗客の多いときなど一度では上りきれずに後退してしまうことがあった。 そのようなときは思い切って戻り、勢いをつけて全速力で上っていったが、それでも上りきれないときには乗客に坂の間だけ降りて歩いてもらったものである。ひどいときには乗客に後ろから押してもらうようなこともあった。特に戦中戦後の燃料事情の悪いときには、日常茶飯事のことであった。
杵築高校生の通学をはじめ、地域住民になくてはならないものであった。国東線が現役であった頃は、国東半島は大分県内の中でもきわめて道路事情の悪い地域であり、陸の孤島などと呼ばれていた。半島の沿岸部をまわる国道213号は、現在は国東線の線路跡を利用するなどして線形・幅員ともにかなり改良されているが、当時は曲がりくねった未舗装の狭路であったので、自動車輸送はあまり役に立たなかったのである。バス交通もあったが、現在よりもずっと時間がかかっていた。
みかん栽培や七島イの栽培が隆盛をきわめる中、国東線の経営もすこぶる順調であった。富来までの延伸が予定され、用地確保もなされていた。最終的には宇佐参宮線と結び国東半島一周鉄道を形成する計画もあったが、これらは諸般の事情で実現しなかった。国東 - 富来間の確保済みの用地は、現在は荒れるに任されており確認するのは困難となっている。
1961年(昭和36年)には大雨(仏崎の崖崩れで別大電車が埋まり、多数の死者が出たのもこのとき)により、ほぼすべての鉄橋が流失した。また灘手停留所付近では、線路が浜辺を通っていたので高波の被害が著しく線路が曲がりくねってしまったり、観音崎の切通しが埋没するなど、被害が甚大であった。安岐 - 武蔵間は鉄橋が多かったので特に被害が大きく、復旧の目処が立たないまま、復旧していた武蔵 - 国東間とともに1964年(昭和39年)に廃止となった。杵築 - 安岐間は仮設の鉄橋をかけるなどして辛うじて営業していたが、モータリゼーションの進行の影響もあって1966年(昭和41年)に全線廃止となった。皮肉にも路線廃止から一か月後、大分空港が、大分市内から安岐町へ移転することが正式に発表された。
路線データ[編集]
1961年(昭和36年)10月当時
路線距離:30.3km
駅数:20
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
運行概要[編集]
1939年(昭和14年)11月改正当時
運行本数:杵築 - 国東間11往復
所要時間:全線1時間11分 - 18分
1961年6月改正当時
運行本数:杵築 - 国東間16往復半(他、安岐 - 杵築間区間列車1本あり)
所要時間:全線1時間15 - 30分
歴史[編集]
地元有志により1912年杵築-富来間の鉄道敷設を申請した。1913年(大正2年)鉄道敷設免許状が下付され、1914年(大正3年)国東鉄道株式会社を設立。浜本義顕が初代社長に就任。用地買収をおこない1916年(大正5年)に工事に着手した。ところが第一次世界大戦のさなかで人夫が払底。くわえて建設資金も不足したため工事が遅れ開業の目処がたたなかった。やがて債権者の取立のため、軌条を売却し負債に当てる、社員を全員解雇し最低人数を再雇用するなど、会社は倒産寸前にあった。
1921年(大正10年)12月になると京阪電気鉄道の太田光凞が社長に就任した。1922年(大正11年)2月の株主総会で資本金80万円を26万4000円に減資し、73万6000円を増資して100万円とすることを決議、差引益金を繰越欠損金及び建設費の償却に充当することとし、さらに債権者に対し減額を依頼。自らも7000円を提供し債務弁済にあてるなど財務整理を実行した。こうして1922年(大正11年)7月に杵築 - 杵築町(後の杵築市)間が開業することとなった。太田は1925年(大正14年)に社長を退任。1939年(昭和14年)死去するまで取締役に籍をおいた[注釈 1]。
1913年(大正2年)10月4日 鉄道免許状下付(速見郡八坂村-東国東郡富来町間)[2]
1914年(大正3年)3月30日 国東鉄道株式会社設立[3][4]
1916年(大正5年)
10月23日 鉄道免許失効(工事施工認可ヲ得サルタメ 速見郡八坂村-東国東郡富来町間)[5]
12月14日 鉄道免許状下付(速見郡八坂村-東国東郡富来町間)[6]
1922年(大正11年)
7月7日 杵築 - 杵築町(後の杵築市)間5.1km開業[7]
12月24日 杵築町 - 守江間4.3km開業[8]
1923年(大正12年)10月5日 守江 - 奈多八幡間4.5km開業[9]
1925年(大正14年)12月2日 奈多八幡 - 安岐間4.2km開業[10]
1933年(昭和8年)7月11日 安岐 - 武蔵間5.2km開業[11]
1935年(昭和10年)11月30日 武蔵 - 国東間7.0km開業[12]
1945年(昭和20年)4月20日 交通統制により大分交通へ合同。大分交通国東線となる
1961年(昭和36年)10月 集中豪雨による鉄橋流失のため、安岐 - 武蔵間休止
1964年(昭和39年)9月1日 安岐 - 国東間廃止
1966年(昭和41年)4月1日 全線廃止
駅一覧[編集]
1961年10月当時
杵築駅 (本駅) - 八坂停留所 - 祇園駅 - 若宮停留所(臨時) - 杵築町駅(杵築市駅) - 大内停留所 - 灘手停留所 - 守江(もりえ)駅 - 東守江駅(住吉浜駅) - 狩宿(かりしゅく)停留所 - 奈多八幡(なだはちまん)駅 - 北奈多停留所 - 志口停留所 - 安岐駅 - 古城(ふるしろ)停留所 - 大海田(おおみだ)停留所 - 武蔵駅 - 池の内停留所 - 綱井駅 - 黒津崎停留所(臨時) - 小原停留所 - 国東駅
若宮停留所は毎年12月の若宮牛馬市の際に、黒津崎停留所は海水浴シーズンに黒津崎海水浴場に遊泳に行く客のために設けられたものである。
接続路線[編集]
杵築駅:国鉄日豊本線
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1922 87,452 3,662 17,528 14,558 2,970
1923 451,314 15,586 85,766 66,001 19,765 15,482 27,895
1924 488,177 20,181 121,643 97,319 24,324 42,479 54,387
1925 455,020 16,565 126,828 83,043 43,785 48,039 53,311
1926 409,053 19,619 109,267 83,617 25,650 雑損6,200 59,719 73,751
1927 425,164 18,297 118,146 88,235 29,911 自動車35,404 54,065 73,510
1928 410,172 17,276 113,226 84,446 28,780 自動車7,688雑損15,209 49,831 73,785
1929 368,349 18,414 107,151 69,781 37,370 自動車844 雑損1,241 37,025 73,669
1930 303,949 18,300 82,004 68,327 13,677 自動車657雑損9,136 30,197 73,681
1931 267,073 16,978 66,878 53,288 13,590 償却金15,000雑損3,727 43,567 71,400
1932 270,426 15,254 73,665 47,058 26,607 自動車10,851雑損償却金1,486 63,618 60,784
1933 268,204 21,278 74,200 44,957 29,243 自動車7,463雑損4,374 49,255 36,421
1934 293,043 26,854 89,855 57,073 32,782 自動車1,537雑損償却金8,076 42,077 37,528
1935 307,133 29,899 94,493 58,787 35,706 自動車4,835 雑損償却金18,920 39,655 37,540
1936 526,504 36,352 151,907 83,246 68,661 自動車9,454雑損537 52,147 18,224
1937 605,480 36,918 175,714 94,649 81,065 自動車27,280雑損19,336 65,714 65,749
1939 703,526 47,386
1941 1,067,385 50,973
1943 1,153,892 55,043
1945 1,263,457 48,908
1952 1,485,036 44,755
1958 1,819千 42,861
1963 2,212千 48,677
鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版
車両[編集]
ディーゼル機関車
D33・34 ディーゼル機関車 1954年日立製作所製。耶馬溪線D31・32の同型車
気動車
キハ50「ちどり」(元北九州鉄道ジハ51→国鉄キハ40331)
キハ602「しおかぜ」・604「なぎさ」 1956年及び1960年日本車輌製造及び新潟鐵工所製のボギー車。国鉄キハ10系がベースで前面非貫通2枚窓。耶馬溪線キハ601・603の同型車
キハ30「かもめ」(元佐久鉄道キホハ57→国鉄キハ40305) ボギー車
キハ20「はましぎ」・21「しらさぎ」 1935年日本車輌製造製のボギー車
キハ501「さざなみ」(元和歌山鉄道キハ501) ボギー車
客車
ホハフ201 ボギー客車
ハニフ11・12 片ボギー客車、元国東鉄道キハ11・12
ハフ54(元国鉄ハ4645)・55・56・57・ハニフ59 2軸客車
貨車
ワフ203 2軸有蓋貨車
ト203・212 2軸無蓋貨車
廃線後の現状[編集]
現在、路盤跡の大部分が国道213号となっている。また、一部の停留所の待合室が、現在もバスの待合として使われていたり、JR杵築駅ホームのはずれに、国東線乗り換え案内の看板が残っていたりしており、往時が偲ばれる。なお、旧杵築町駅(杵築市駅)は、現在バスターミナルとなっているが、よく「市駅」と呼ばれる。これは、国東鉄道の名残である。同様にJR杵築駅は「本駅」と呼ばれることが多い。
脚注[編集]
注釈[編集]
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^ なぜ遠隔地の倒産寸前のローカル私鉄再建を引き受けたかは自伝でもふれられず背景は未詳[1]。
出典[編集]
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^ 小川功「京阪グループの系譜」『鉄道ピクトリアル』No.695、118-119頁
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年10月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状失効」『官報』1916年10月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1916年12月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年7月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年1月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年10月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年12月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1933年7月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1935年12月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
『大分交通40年のあゆみ』大分交通、1985年、45-46頁
『大分県交通史』九州交通新聞社、1978年、102-103頁
奈良崎博保・谷口良忠 (1966). “大分交通国東線・宇佐参宮線”. 鉄道ピクトリアル No. 186 (1966年7月臨時増刊号:私鉄車両めぐり7): pp. 79-95, 104-106.(再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道史資料保存会(1986年覆刻)、東京、1937年、p. 437。ISBN 4-88540-048-1。
和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、pp.178-179。ISBN 4-88548-065-5
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
国鉄1000形蒸気機関車 - 本路線で使用された宇部鉄道から譲受した蒸気機関車。A形と称し、1の1両が在籍した。
鳳来寺鉄道1号形蒸気機関車#国東鉄道C形 - 1924年、コッペル製のC形タンク機関車。C形と称し、4, 5の2両が在籍した。
国鉄10形蒸気機関車 - 本路線で使用された国鉄払下げの蒸気機関車。13, 14の2両が在籍した。
国鉄1440形蒸気機関車 - 本路線で使用された国鉄払下げの蒸気機関車。1410, 1444の2両が在籍した。
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