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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
雲仙鉄道
雲仙鉄道
概要
現況 廃止
起終点 起点:愛野村駅(現・愛野駅)
終点:雲仙小浜駅
駅数 9駅
運営
開業 1923年5月5日(温泉軽便鉄道)
1927年3月10日(小浜地方鉄道)
廃止 1938年8月15日
所有者 温泉軽便鉄道→温泉鉄道
小浜地方鉄道→小浜鉄道→
雲仙鉄道+温泉鉄道→雲仙鉄道
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 17.34 km (10.77 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
島原鉄道:島原鉄道線
eABZq+l BHFq
0.0 愛野村
exBHF
1.7 愛津
exBHF
3.8 水晶観音
exBHF
4.9 浜
exSTR
↑温泉軽便鉄道の開業区間
exBHF
9.3 千々石
exSTR
↓小浜地方鉄道の開業区間
exBHF
10.5 上千々石
exBHF
12.9 木津ノ浜
exBHF
15.3 富津
exKBHFe
17.3 雲仙小浜
雲仙鉄道(うんぜんてつどう)は、かつて長崎県南高来郡愛野村(現・雲仙市)の島原鉄道愛野村駅(現・愛野駅)から同県南高来郡小浜町(現・雲仙市)の雲仙小浜駅(開業時は肥前小浜駅)を結んでいた鉄道路線、およびその運営会社である。1938年(昭和13年)に全線が廃止された。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
2.1 温泉軽便鉄道→温泉鉄道
2.2 小浜地方鉄道→小浜鉄道→雲仙鉄道
3 運行形態
4 輸送・収支実績
4.1 温泉軽便鉄道→温泉鉄道
4.2 小浜地方鉄道→小浜鉄道
4.3 雲仙鉄道
5 駅一覧
6 接続路線
7 車両
7.1 蒸気機関車
7.2 客車
7.3 ガソリンカー
7.4 車両表
7.5 車両数の変遷
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
路線データ[ソースを編集]
路線距離(営業キロ):17.34km
軌間:1067mm
駅数:9駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:
歴史[ソースを編集]
島原鉄道の愛野村駅から南側に分岐して島原半島西部を横断し、半島中西部の温泉地である小浜に至る路線であった。島原半島に島原鉄道・口之津鉄道を開業させていた植木元太郎が温泉(うんぜん)軽便鉄道(後の温泉鉄道)を設立し、同社の手により1923年(大正12年)に愛野村 - 千々石間を開業した。続いて本多親宗[1]らが設立した小浜地方鉄道(後の小浜鉄道)が1927年(昭和2年)に温泉鉄道と接続する形で千々石 - 肥前小浜間を開業し、諫早 - 肥前小浜間の直通運転を実施した。しかし肥前小浜駅(後の雲仙小浜駅)が小浜町の中心部から北に2kmほど離れていたこともあり業績はふるわなかった。温泉鉄道は自動車に客を奪われ政府補助金を受けていてもなお欠損を生じた結果10数万円の負債を抱えることになった。このため小浜鉄道との合併を画策するも鉄道財団抵当権者である日本興業銀行の了解をえられなかった。また小浜鉄道へ路線を賃貸することもできず、小浜鉄道へ営業管理委託を計画していたさなか競売にかけられる事態になってしまった。窮地に陥った温泉鉄道は銀行と折衝した結果、1、債務を保証人により代位弁済する。2、鉄道及び営業権を小浜鉄道へ譲渡し会社は解散する。3、小浜鉄道は鉄道及び営業権を譲受しその代金支払を代位弁済した保証人に支払う。以上の条件で路線を残すことになった[2]。こうして1933年(昭和8年)に雲仙鉄道(←小浜鉄道)は温泉鉄道の路線を引継ぐことになった。その後も経営は好転せず1935年(昭和10年)には島原鉄道に経営委託したが、1937年(昭和12年)3月に政府補助金が支給期限満了し、さらに損失に対し私財を提供していた社長も6月になくなったことから[3]1938年(昭和13年)に廃止された。
温泉軽便鉄道→温泉鉄道[ソースを編集]
1919年(大正8年)12月2日 : 温泉軽便鉄道に対し鉄道免許状下付(高来郡愛野村-同郡千々石村間)[4][5]
1920年(大正9年)7月6日 : 温泉軽便鉄道設立(社長植木元太郎)[6][5]
1923年(大正12年)5月5日 : 愛野村 - 千々石を開業[7]
1924年(大正13年)5月31日 : 温泉鉄道に社名変更[8]
1926年(大正15年)
1月21日 : 植木元太郎取締役辞任[9]
7月1日 : 浜駅開業
1927年(昭和2年)6月 : 島原鉄道・温泉鉄道・小浜鉄道の3社で諫早 - 肥前小浜間直通運転開始
1932年(昭和7年)11月 : 島原鉄道との直通運転を廃止
1933年(昭和8年)10月2日 : 鉄道敷設免許を雲仙鉄道に譲渡[10][11]。会社解散。
小浜地方鉄道→小浜鉄道→雲仙鉄道[ソースを編集]
1920年(大正9年)12月2日 : 小浜地方鉄道に対し鉄道免許状下付(高来郡千々岩村-同郡小浜村間)[12][5]
1921年(大正10年)8月25日 : 小浜地方鉄道設立(社長本多親宗)[6][5]
1927年(昭和2年)
3月10日 : 千々石 - 肥前小浜(後の雲仙小浜)を開業[13]
5月24日 : 小浜鉄道に社名変更
6月 : 島原鉄道・温泉鉄道・小浜鉄道の3社で諫早 - 肥前小浜間直通運転開始
1929年(昭和4年)10月18日 : 鉄道免許取消(1920年12月2日免許小浜町地内 工事竣功セザルタメ)[14]
1932年(昭和7年)11月 : 島原鉄道との直通運転を廃止
1933年(昭和8年)
7月27日 : 雲仙鉄道に社名変更[11]
10月2日 : 温泉鉄道鉄道敷設免許を譲受[10]
1935年(昭和10年)6月1日 : 島原鉄道に経営委託開始。1年後期間満了により委託解除[15]。
1937年(昭和12年)6月10日 : 本多親宗現職のまま死亡[16]
1938年(昭和13年)8月15日 : 愛野村 - 雲仙小浜間全線廃止[17][18]
運行形態[ソースを編集]
温泉軽便鉄道として開業した当時は1日7往復が運行されていた。
輸送・収支実績[ソースを編集]
温泉軽便鉄道→温泉鉄道[ソースを編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1923 111,307 4,735 32,590 38,961 ▲ 6,371 21,240 0
1924 124,748 5,293 32,331 42,933 ▲ 10,602 31,780 0
1925 135,947 5,252 34,174 46,078 ▲ 11,904 雑損1,521 36,975 40,101
1926 135,618 6,107 34,345 43,487 ▲ 9,142 雑損220 35,475 27,720
1927 171,932 6,384 46,026 42,437 3,589 雑損3,573 35,322 27,284
1928 162,084 8,168 45,165 49,438 ▲ 4,273 34,997 27,304
1929 142,434 5,976 38,198 39,149 ▲ 951 雑損6,507 37,911 27,744
1930 108,365 5,434 29,500 38,123 ▲ 8,623 雑損2,285 35,641 27,809
1931 86,150 2,674 20,088 25,594 ▲ 5,506 雑損562 38,064 27,847
1932 65,974 2,050 23,007 26,861 ▲ 3,854 雑損1,934 8,013 27,770
1933 33,298 528 6,089 12,696 ▲ 6,607 雑損97 4,381 2,556
小浜地方鉄道→小浜鉄道[ソースを編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1926 6,643 18 3,744 2,422 1,322
1927 150,446 1,789 33,922 48,105 ▲ 14,183 雑損202 66,340
1928 133,519 2,540 30,854 43,061 ▲ 12,207 38,568 63,866
1929 123,972 2,222 27,000 39,166 ▲ 12,166 雑損670 41,537 43,475
1930 96,005 1,744 20,328 33,549 ▲ 13,221 雑損15,740 46,459 43,707
1931 58,576 1,231 14,006 18,627 ▲ 4,621 雑損1,276 51,034 21,913
1932 42,309 1,005 11,077 19,946 ▲ 8,869 雑損4,802 39,964 36,423
1933 65,288 1,229 12,386 34,559 ▲ 22,173 雑損20,644 40,045 43,719
雲仙鉄道[ソースを編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1934 130,511 3,555 28,708 36,263 ▲ 7,555 雑損26,793 21,690 43,730
1935 127,382 4,173 28,249 39,439 ▲ 11,190 雑損17,251 15,181 43,783
1936 163,786 5,134 35,414 53,969 ▲ 18,555 雑損償却金8,376 17,103 43,836
1937 160,279 4,070 34,139 48,685 ▲ 14,546 雑損14,473、自動車426 11,046 19,527
1937年度に債務免除200,000円を計上している。
鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
駅一覧[ソースを編集]
愛野村駅 - 愛津駅 - 水晶観音駅 - 浜駅 - 千々石駅 - 上千々石駅 - 木津ノ浜駅 - 富津駅 - 雲仙小浜駅
接続路線[ソースを編集]
愛野村駅:島原鉄道島原鉄道線
車両[ソースを編集]
温泉軽便鉄道開業時に用意された車両は機関車(雨宮製作所製)1両、二・三等合造ボギー客車ホロハ1・2(岡部鉄工所製、定員66人二等14人三等52人)、四輪有蓋貨車ワ1・2(岡部鉄工所製)、四輪有蓋緩急車ワフ1・2(岡部鉄工所製)、他に島原鉄道より機関車4号を借入[19][20]。1924年(大正13年)3月に四輪三等手荷物緩急車ハニ1(定員38人)が竣功[21]。同月四輪無蓋貨車(ト1-5)5両を島原鉄道より購入(1924年4月使用認可[22])[23]。1925年(大正14年)7月に全車両が自動連結器に交換[24]。1927年(昭和2年)島原鉄道より機関車と客車を購入(機関車(3)1両、四輪二・三等合造客車(島原ロハ3→ロハ10)1両、四輪三等客車(島原ハ4・5→ハ20・21)2両)[25][26]。1927年(昭和2年)島原鉄道へ二・三等合造ボギー客車ホロハ2を売却[27]。
小浜地方鉄道開業に用意された車両は機関車2両、四輪三等客車ハ2475(形式2475)、四輪二三等客車ロハ300(形式293)・ロハ877(形式858)、有蓋緩急車ワフ4993(形式4991)・ワフ5264(形式5264)→小浜地方ワ4・5、有蓋車ワ52457(形式5000)→小浜地方ワ10。すべて国鉄からの払下げであった[28][29][30][31][32]。
蒸気機関車[ソースを編集]
1, 2
旧小浜鉄道所属。1904年、日本鉄道大宮工場製の車軸配置0-6-0 (C) のタンク機関車。旧番号は1041, 1043。2は、明治鉱業庶路鉱業所に譲渡され1となる。
23
旧温泉鉄道1。1922年、雨宮製作所製車軸配置2-4-0 (1B) の27t級タンク機関車。廃止後、南武鉄道に譲渡。3となり、その後鉄道省90となる。
24
旧温泉鉄道2。1871年、英シャープ・スチュアート製車軸配置2-4-0 (1B) の22t級タンク機関車。鉄道院161から島原鉄道3を経て、1927年3月入線。
客車[ソースを編集]
ホロハ101
旧温泉鉄道ホロハ1。廃止後は、口之津鉄道に譲渡されホハフ33となり、合併により島原鉄道に移った。同形車にホロハ2があったが、1927年に島原鉄道へ譲渡され、ホロハ31 → ホハ31 → ホハフ31となった。
ガソリンカー[ソースを編集]
温泉鉄道
カハ5 1929年東洋車輌製の木製2軸車。定員40人。1937年3月廃車
小浜鉄道
カハ1、2 1929年日本車輌製の半鋼製2軸車。定員32人
カハ21、22 1936年日本車輌製半鋼製ボギー車。定員60人。廃止後譲渡されたが、うち1両は篠山鉄道→西武鉄道→日立電鉄と長期間使用された[33]。
車両表[ソースを編集]
車種 旧所属 形式番号 申請・届 製造年 製造所 前歴 1936年改番 廃車
機関車 小浜 1 1926年 1904年 日本鉄道大宮工場 国鉄1043 21 廃線まで在籍
小浜 2 1926年 1904年 日本鉄道大宮工場 国鉄1041 22 廃線まで在籍
温泉 1 1923年 1922年 雨宮製作所 23 1937年4月(南武鉄道)
温泉 3 1927年 1871年 シャープ・スチュアート 島原鉄道 24 1937年3月
客車 温泉 ホロハ1 1923年 1923年 岡部鉄工所 ホロハ101 廃線まで在籍
温泉 ホロハ2 1923年 1923年 岡部鉄工所 1927年(島原鉄道)
小浜 ロハ300 1926年 平岡工場か新橋工場 国鉄ロハ300
小浜 ロハ877 1926年 平岡工場か新橋工場 国鉄ロハ877
小浜 ロハ10 ロハ300か877 ロハ111 廃線まで在籍
小浜 ロハ11 ロハ300か877 ロハ112 1937年12月
温泉 ロハ10 1927年 1895年 阪堺鉄道 島原鉄道 ロハ113 1937年3月
温泉 ハ20 1927年 1895年 阪堺鉄道 島原鉄道 ハ121 廃線まで在籍
温泉 ハ21 1927年 1895年 阪堺鉄道 島原鉄道 ハ122 廃線まで在籍
温泉 ハニ1 1923年 1923年 岡部鉄工所 ハニ141 廃線まで在籍
小浜 ハ2475→フハ1 1926年 汽車製造 国鉄ハ2475 フハ131 1937年3月
小浜 ハ2→フハ2 1928年 国鉄ハ2638 フハ132 1937年12月
小浜 フハ3 1928年 国鉄ハ4785 フハ133 1937年12月
貨車 温泉 ワ1 1923年 1923年 岡部鉄工所 ワ161 廃線まで在籍
温泉 ワ2 1923年 1923年 岡部鉄工所 ワ162 廃線まで在籍
小浜 ワ10 1926年 日本車輌 国鉄ワ52457 ワ173 廃線まで在籍
温泉 ワフ1 1923年 1923年 岡部鉄工所 ワブ151 1937年12月
温泉 ワフ2 1923年 1923年 岡部鉄工所 ワブ152 1937年3月
小浜 ワ4→ワブ4 1926年 神戸工場 国鉄ワフ4993 ワブ153 1937年12月
小浜 ワ5→ワブ5 1926年 神戸工場 国鉄ワフ5264 ワブ154 廃線まで在籍
温泉 ト1-5 1923年 島原鉄道 廃車日不明
ガソリンカー 小浜 カハ1 1929年 1929年 日本車輌 カハ11 廃線まで在籍
小浜 カハ2 1929年 1929年 日本車輌 カハ12 廃線まで在籍
温泉 カハ5 1929年 1929年 東洋車輌 カハ16 1937年3月
雲仙 カハ21・22 1936年 1936年 日本車輌 改番なし 廃線まで在籍
車両数の変遷[ソースを編集]
年度 機関車 動車 客車 貨車
蒸気 ガソリン 有蓋 無蓋
温泉 小浜 温泉 小浜 温泉 小浜 温泉 小浜 温泉 小浜
1923 1 3 4 0
1924 1 3 4 5
1925 1 5 4 5
1926 2 2 6 3 4 3 5 0
1927 2 2 5 3 4 3 5 0
1928 2 2 5 5 4 3 5 0
1929 2 2 1 2 5 5 4 3 5 0
1930-32 2 2 1 2 5 5 4 3 0 0
1933-35 4 3 10 7 0
1936 2 4 8 6 0
1937 2 4 4 5 0
鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料より
脚注[ソースを編集]
^ 『人事興信録. 7版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「理由書」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』187-188頁
^ 「理由書」『雲仙鉄道・自昭和十一年至昭和十三年』112頁
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1919年12月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b c d 帝国鉄道協会 (1928)
^ a b 『日本全国諸会社役員録. 第30回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年5月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正13年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「取締役並に監査役変更登記済届」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』67頁
^ a b 9月28日許可「鉄道譲渡」『官報』1933年10月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 『鉄道統計資料. 昭和8年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年12月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1927年3月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許取消」『官報』1929年10月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『雲仙鉄道・自昭和十一年至昭和十三年』134頁
^ 「社長逝去御通知」『雲仙鉄道・自昭和十一年至昭和十三年』80頁
^ 「運輸営業廃止実施ノ件」『雲仙鉄道・自昭和十一年至昭和十三年』248頁
^ 和久田康雄『鉄道ファンのための私鉄史研究資料』電気車研究会、2014年、177頁
^ 「愛野村千々石間運輸開始ノ件」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(一)・自大正八年至大正十二年』306頁
^ 「機関車借入認可申請」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(一)・自大正八年至大正十二年』275頁
^ 「車両竣功届」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』29頁
^ 「車両竣功図訂正御届」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』65頁
^ 「車両譲受使用認可申請」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』34頁
^ 「自動連結器取付工事竣功届」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』50-59頁
^ 「車両譲受使用ノ件」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』96-99頁
^ 「竣功届」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』141頁
^ 「客車譲渡ノ件」『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』109頁
^ 「省有貨車譲受使用ノ件」『雲仙鉄道(元小浜鉄道)(一)・自大正九年至昭和二年』238-240頁
^ 「省有機関車譲受使用ノ件」『雲仙鉄道(元小浜鉄道)(一)・自大正九年至昭和二年』242-245頁
^ 「省有客車譲受使用ノ件」『雲仙鉄道(元小浜鉄道)(一)・自大正九年至昭和二年』246-251頁
^ 「車両竣功届」『雲仙鉄道(元小浜鉄道)(一)・自大正九年至昭和二年』272頁
^ 「車両表」『雲仙鉄道(元小浜鉄道)(一)・自大正九年至昭和二年』295頁
^ 西武鉄道以降は西武モハ101形電車#気動車改造クハを参照
参考文献[ソースを編集]
和久田康雄 『私鉄史ハンドブック』 電気車研究会、1993年、p. 182。
『私鉄史ハンドブック』正誤表 2010年2月作成 (PDF)
今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』12 九州沖縄、新潮社、2009年、p. 55。ISBN 978-4-10-790030-2。
帝国鉄道協会(編纂) 『帝国鉄道年鑑』 帝国鉄道協会、東京市麹町区有楽町、1928年5月、昭和3年版、pp. 432-435。(国立国会図書館デジタルコレクション)
鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(覆刻:1986年)、p. 433。ISBN 4-88540-048-1。
湯口徹『内燃動車発達史 上巻』ネコ・パブリッシング、2004年、316-317頁
『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(一)・自大正八年至大正十二年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
『雲仙鉄道(元温泉鉄道、小浜鉄道)(二)・自大正十三年至昭和八年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
『雲仙鉄道(元小浜鉄道)(一)・自大正九年至昭和二年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
『雲仙鉄道(元小浜鉄道)(二)・自昭和三年至昭和十年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
『雲仙鉄道・自昭和十一年至昭和十三年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
関連項目[ソースを編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
廃線
外部リンク[ソースを編集]
温泉鉄道・小濱鉄道
雲仙鉄道
雲 仙 鉄 道 (島原半島北西部)
愛野~小浜~口之津
廃線探索 雲仙鉄道-1
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)かつて存在した日本の鉄道事業者雲仙鉄道雲仙市の交通雲仙市の歴史長崎県の交通史
島原鉄道線
島原鉄道線
廃止された南目線を有明海に沿いながら走るキハ2500形気動車(2008年)
廃止された南目線を有明海に沿いながら走る
キハ2500形気動車(2008年)
概要
起終点 起点:諫早駅
終点:島原外港駅
駅数 24駅
運営
開業 1911年6月20日(島原鉄道)
1922年4月22日(口之津鉄道)
部分廃止 2008年4月1日(島原外港-加津佐間)
所有者 島原鉄道+口之津鉄道→
島原鉄道
使用車両 島原鉄道#車両を参照
路線諸元
路線総延長 43.2 km (26.8 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線
凡例
STR
JR九:大村線
ABZrg STRq
JR九:長崎本線
0.0 諫早駅
STRrf STR
JR九:長崎本線
BHF
1.5 本諫早駅
BHF
2.9 幸駅
BHF
4.8 小野本町駅
BHF
5.5 干拓の里駅
BHF
7.5 森山駅
BHF
9.6 釜ノ鼻駅
BHF
11.4 諫早東高校前駅
eABZlg
雲仙鉄道
BHF
12.4 愛野駅
BHF
14.4 阿母崎駅
BHF
16.6 吾妻駅
BHF
19.6 古部駅
BHF
20.8 大正駅
BHF
23.0 西郷駅
BHF
25.5 神代町駅
BHF
29.4 多比良町駅
BHF
31.8 島鉄湯江駅
BHF
34.1 大三東駅
BHF
35.2 松尾町駅
BHF
37.5 三会駅
BHF
40.5 島原駅
BHF
41.5 島鉄本社前駅
BHF
42.3 南島原駅
KBHFxe
43.2 島原外港駅
exSTR
↓2008年廃止
exBHF
44.3 秩父が浦駅
exBHF
45.4 安徳駅
exBRÜCKE
安新大橋 水無川
exBHF
47.5 瀬野深江駅
exBHF
49.6 深江駅
exBHF
52.0 布津新田駅
exBHF
53.9 布津駅
exBHF
56.9 堂崎駅
exBHF
58.4 蒲河駅
exBHF
59.9 有家駅
exBHF
61.2 西有家駅
exBHF
63.4 龍石駅
exBHF
65.3 北有馬駅
exWBRÜCKE
有馬川
exBHF
66.1 常光寺前駅
exBHF
67.1 浦田観音駅
exBHF
68.2 原城駅
exBHF
70.6 有馬吉川駅
exTUNNEL1
exBHF
74.6 東大屋駅
exBHF
75.8 口之津駅
exBHF
76.8 白浜海水浴場前駅
exKBHFe
78.5 加津佐駅
島原鉄道線(しまばらてつどうせん)は、長崎県諫早市の諫早駅から同県島原市の島原外港駅までを結ぶ島原鉄道の鉄道路線である。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 路線データ
2 歴史
2.1 年表
3 運行形態
4 利用状況
4.1 輸送実績
4.2 収入実績
4.3 戦前の輸送収支実績
5 駅一覧
5.1 過去の接続路線
6 運賃
7 廃止区間の状況
8 脚注
9 参考資料・文献
10 関連項目
11 外部リンク
概要[編集]
島原半島の北岸から東岸を走る鉄道路線。非電化ローカル線であるが、諫早口では近郊輸送の役割も担っている。かつては博多駅までの国鉄線直通優等列車も運行していたが廃止され、島原半島と福岡を結ぶ当路線の連絡機能は失われた。
以前は島原外港駅からさらに南島原市の加津佐駅までを結んでいたが、同区間は2008年(平成20年)4月1日に廃止された(歴史にて詳述)。部分廃止以前は諫早 - 南島原間を北目線(きためせん)、南島原 - 加津佐間は南目線(みなんめせん)[1]と呼ばれていた。南目線は南島原 - 島原外港間一区間が存続している。
路線データ[編集]
路線距離(営業キロ):43.2km
軌間:1067mm
駅数:24駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:自動閉塞式
歴史[編集]
通称・北目線と呼ばれる諫早 - 南島原間は島原鉄道によって、同じく南目線と呼ばれる南島原 - 加津佐間は傍系会社の口之津鉄道によって開業した。両社は1943年(昭和18年)に合併した。
1958年(昭和33年)から諫早駅より国鉄長崎本線に乗り入れて長崎駅まで直通運転を開始した。1960年(昭和35年)には国鉄の準急(後に急行化)に併結して博多駅までの直通運転を開始した。国鉄線への乗り入れは1980年(昭和55年)まで行われた。これについては、長崎本線優等列車沿革も参照されたい。
雲仙普賢岳の噴火活動が1991年(平成3年)頃から活発となり、同年火砕流により南島原 - 布津間が約半年間不通となる。翌年には島原外港 - 深江間が土石流により不通となり、1993年(平成5年)にこの区間を休止して防災工事が行われた。1997年(平成9年)に島原外港 - 深江間の高架化が完成し運行を再開した[2]。
南島原 - 加津佐間が赤字の約8割を占めていたことから、2004年度から廃止が検討され始め(同区間は1970年代にも廃止が検討されたが猛反対にあい撤回された[3])、島原鉄道は2007年(平成19年)1月31日に島原外港 - 加津佐間を2008年(平成20年)4月1日に廃止する方針を発表した[4](当初の廃止予定区間は南島原 - 加津佐間であったが、島原市の要望を受けて島原外港 - 加津佐間となった[5][6])。
普賢岳噴火災害復旧に伴って建設された設備の大半も10年余りで役目を終えることとなった。
年表[編集]
1907年(明治40年)5月18日 仮免許状下付(北高来郡北諫早村-南高来郡島原村間)[7]
1909年(明治42年)3月19日 本免許状下付[8]
1911年(明治44年)
6月20日 島原鉄道により本諫早 - 愛野村(現在の愛野)間が開業[9][10]。
8月21日 島原鉄道 諫早 - 本諫早間が開業[10]。
1912年(大正元年)10月10日 島原鉄道 愛野村 - 神代町間が開業[11]。
1913年(大正2年)
5月10日 島原鉄道 神代町 - 大三東間が開業[12]。
9月24日 島原鉄道 大三東 - 湊新地(現在の南島原)間が開業[13]。
1918年(大正7年)
3月25日 不知火鉄道(後に口之津鉄道)に対し鉄道免許状下付(南高来郡島原町-同郡口之津村間)[14]
7月16日 島原鉄道 湊新地駅を島原湊駅に改称[15]。
1919年(大正8年)5月6日 島原鉄道 湯江駅(現在の島鉄湯江駅)開業[16]。
1922年(大正11年)4月22日 口之津鉄道により島原湊 - 堂崎間が開業[17]。
1923年(大正12年)3月24日 口之津鉄道に対し鉄道免許状下付(南高来郡口之津村-同郡加津佐村間)[18]
1926年(大正15年)7月2日 口之津鉄道 堂崎 - 南有馬(のちの原城)間が開業[19]。
1927年(昭和2年)6月 温泉鉄道・小浜鉄道と直通運転開始(1932年(昭和7年)まで)。
1928年(昭和3年)3月1日 口之津鉄道 南有馬 - 加津佐間まで開業し全通[20]。
1929年(昭和4年)5月17日 口之津鉄道 布津新田駅、龍石駅開業。
1930年(昭和5年)
6月1日 口之津鉄道 瓦斯倫動力併用[21]
9月1日 島原鉄道 釜ノ鼻駅開業。
1931年(昭和6年)10月1日 島原鉄道 松尾町駅開業。
1932年(昭和7年)11月15日 口之津鉄道 瀬野深江駅、蒲河駅、浦田観音駅、女学校前駅(現在の白浜海水浴場前駅)開業。
1933年(昭和8年)7月15日 口之津鉄道 常光寺前駅開業。
1934年(昭和9年) 湯江駅を島鉄湯江駅に改称。
1934年(昭和9年)2月15日 島原鉄道瓦斯倫動力併用実施[22]
1943年(昭和18年)7月1日 島原鉄道が口之津鉄道を合併。
1949年(昭和24年)8月1日 愛野村駅を愛野駅に改称。
1955年(昭和30年)3月9日 吾妻崎駅(現在の阿母崎駅)、大正駅開業。
1957年(昭和32年)
7月25日 諫早・島原地方大水害により諫早-島原間で線路寸断、鉄橋流出など列車、バスなど運行不能となる[23]。
9月18日 鉄道全線仮復旧[23]
1958年(昭和33年)4月11日 国鉄線への直通運転を開始。
1960年(昭和35年)
11月5日 吾妻崎駅を阿母崎駅に、山田村駅を吾妻駅に、島原湊駅を南島原駅に、安中村駅を安徳駅に改称。
11月11日 島原外港駅開業。
1962年(昭和37年)10月 南有馬駅を原城駅に改称。
1964年(昭和39年)
1月7日 小野村駅を小野本町駅に改称。
4月8日 中央高校前駅(現在の秩父が浦駅)開業。
1980年(昭和55年)10月1日 国鉄線への直通運転を廃止。
1984年(昭和59年)11月12日 諫早東高校前駅、島鉄本社前駅開業。
1990年(平成2年)10月10日 中央高校前駅を職業訓練校前駅に改称。
1991年(平成3年)6月3日 雲仙普賢岳の火砕流で南島原 - 布津間不通に。12月27日全線復旧[2]。
1992年(平成4年)
3月15日 島原外港 - 深江間が土石流により不通となる。4月14日復旧[2]。
11月3日 阿母崎駅 - 吾妻駅間において、正面衝突事故が発生。乗客74名が負傷。
1993年(平成5年)4月28日 島原外港 - 深江間が再び不通となり、翌29日からこの区間を休止[2]。
1995年(平成7年)4月20日 干拓の里駅開業。職業訓練校前駅を技術専門校前駅に改称。
1996年(平成8年)10月1日 技術専門校前駅を秩父が浦駅に改称。
1997年(平成9年)4月1日 島原外港 - 深江間の高架化が完成し全線で運行を再開[2]。
1999年(平成11年)3月13日 ワンマン運転開始。
2000年(平成12年)3月11日 幸駅開業。
2008年(平成20年)4月1日 島原外港 - 加津佐間廃止。同時にダイヤ改正を行い、列車を増発。
2010年(平成22年)11月2日 島原外港駅が全焼。詳細は島原外港駅を参照。
運行形態[編集]
2017年3月4日改正ダイヤ[24]では、諫早・本諫早 - 南島原・島原外港間に約15 - 60分に1本の25往復が運行されており(うち島原外港発着は下り22本・上り21本、島原外港行き下り始発列車のみ本諫早発)、うち下り3本・上り2本が急行列車として運行されている(運賃だけで利用可能で別途料金不要。停車駅は「駅一覧」を参照。下り1本は諫早 → 愛野間各駅停車)。このほか諫早 - 本諫早間のみ運転の区間列車も下り13本・上り12本あり、諫早発の最終が22時台で2本ある。
ほとんどの列車でワンマン運転を実施しているが、2両以上の編成の列車や、時間帯によっては車掌が乗務している(島原外港行きの場合、車掌乗務の列車であっても南島原 - 島原外港間では車両を切り離してワンマン運転となることが多い)。ワンマン運転の際には、駅員の配置の有無に関係なく、乗車時に車内で整理券を取って、降車時に乗車券・運賃とともに運転士に渡すことにより車内で精算を行う。一部の駅には自動券売機が設置されているが、磁気券ではないため諫早駅の自動改札機は通れない。諫早駅で運転士からもらえる出場証も自動改札機には対応しない。
列車番号は島原外港・南島原発着の普通列車が100番台、急行列車が200番台、本諫早発着の列車が50番台となっている。本諫早発着の列車については60番以降の番号は使われておらず、59番より後は51-1番のようにハイフンを使って表している。全列車が気動車によって運転されているが、気動車列車を表すDは使われていない。
2008年(平成20年)の島原外港 - 加津佐間の廃止前は、同年3月時点で諫早 - 加津佐間を通して走る列車(南島原駅で乗り換えとなる場合もあった)が1 - 2時間に1本程度(下り12本・上り13本)運転されていたほか、諫早 - 南島原間・諫早 - 本諫早間の区間列車も運転されていた。急行列車は下り1本、上り2本のみの運転だった。廃止区間においての最終は19・20時台であった。
1980年代まで運行されていた急行列車は10km以上乗車する場合に限り急行料金が必要であった。1997年(平成9年)に雲仙普賢岳噴火災害復旧工事完成に伴い復活した急行列車では急行料金が不要となっている。
1997年の災害復旧後に観光トロッコ列車「島鉄ハッピートレイン」が運行開始され、毎年4月から11月まで運行されていたが、島原外港 - 加津佐間の廃止により運行を終了している。
主力車両のキハ2500形気動車。画像の急行列車は「急行しまばら号」と書かれたヘッドマークを掲げている。
(2008年1月6日)
かつて運行されていた島鉄ハッピートレイン。
(2002年8月2日)
南島原駅に併設された車両基地(2008年1月7日)
利用状況[編集]
輸送実績[編集]
島原鉄道線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は減少している。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[表示]年度別輸送実績
収入実績[編集]
島原鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。手小荷物収入には郵便物収入を含む。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
[表示]年度別収入実績
戦前の輸送収支実績[編集]
島原鉄道
[表示]年度別実績
口之津鉄道
[表示]年度別実績
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
駅一覧[編集]
全駅長崎県に所在(廃止区間も含む)。
●:停車、▲:一部列車が停車、|:通過
普通列車は省略:各駅に停車
#印は、列車の交換可能な駅。
廃止区間の停車駅などは廃止直前時点のもの。
駅名 駅間キロ 営業キロ 急行 接続路線 所在地
諫早駅 - 0.0 ● 九州旅客鉄道:長崎本線・大村線 諫早市
本諫早駅# 1.5 1.5 ●
幸駅 1.4 2.9 ▲
小野本町駅 1.9 4.8 ▲
干拓の里駅 0.7 5.5 ▲
森山駅# 2.0 7.5 ▲
釜ノ鼻駅 2.1 9.6 ▲
諫早東高校前駅 1.8 11.4 ▲
愛野駅# 1.0 12.4 ● 雲仙市
阿母崎駅 2.0 14.4 |
吾妻駅# 2.2 16.6 ●
古部駅# 3.0 19.6 |
大正駅 1.2 20.8 |
西郷駅# 2.2 23.0 ●
神代町駅# 2.5 25.5 ●
多比良町駅# 3.9 29.4 ●
島鉄湯江駅 2.4 31.8 | 島原市
大三東駅# 2.3 34.1 ●
松尾町駅 1.1 35.2 |
三会駅# 2.3 37.5 |
島原駅# 3.0 40.5 ● 廃線区間代替バス
島鉄本社前駅 1.0 41.5 ●
南島原駅# 0.8 42.3 ●
島原外港駅 0.9 43.2 ●
廃止区間
秩父が浦駅 1.1 44.3 ● 島原市
安徳駅 1.1 45.4 ●
瀬野深江駅 2.1 47.5 ● 南島原市
深江駅# 2.1 49.6 ●
布津新田駅 2.4 52.0 ●
布津駅# 1.9 53.9 ●
堂崎駅 3.0 56.9 ●
蒲河駅 1.5 58.4 ●
有家駅# 1.5 59.9 ●
西有家駅 1.3 61.2 ●
龍石駅 2.2 63.4 ●
北有馬駅# 1.9 65.3 ●
常光寺前駅 0.8 66.1 ●
浦田観音駅 1.0 67.1 ●
原城駅# 1.1 68.2 ●
有馬吉川駅 2.4 70.6 ●
東大屋駅 4.0 74.6 ●
口之津駅 1.2 75.8 ● 島鉄フェリー
白浜海水浴場前駅 1.0 76.8 ●
加津佐駅 1.7 78.5 ●
過去の接続路線[編集]
愛野駅(当時は愛野村駅):雲仙鉄道 - 1938年8月16日廃止
運賃[編集]
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年(平成26年)4月1日改定[25]。急行料金は不要。
キロ程 運賃(円)
初乗り1 - 3km 150
4 170
5 200
6 240
7 280
8 320
9 360
10 390
11 430
12 470
13 520
14 560
15 590
16 630
17 670
18 710
19 750
20 780
21 820
22 860
23 910
キロ程 運賃(円)
24 940
25 980
26 1010
27 1040
28 1060
29 1090
30 1120
31 1150
32 1170
33 1200
34 1230
35 1270
36 1290
37 1320
38 1350
39 1380
40 1400
41 1430
42 1460
43 1490
44 1510
廃止区間の状況[編集]
2013年時点では、レールおよび標識等は撤去されたものの、大部分で路盤や橋梁等は残されている[26]。廃線跡は大部分が島原鉄道の私有地となっており、沿線自治体であった島原市や南島原市が今後の土地活用を模索している[26]。駅舎は旧口之津駅を除いて現存している[27]ほか、旧有家駅舎はバス待合所として活用されている[28]。
島原鉄道では廃止区間の代替交通として、並行するバス路線を増便した[29](1時間あたり1 - 2本程度、途中区間便あり。)。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P95
^ a b c d e 「雲仙普賢岳災害から再起」、『鉄道ジャーナル』第31巻第8号、鉄道ジャーナル社、1997年8月、 71-77頁。
^ 『ありがとう南線 思い出をつないだ20の駅』島原鉄道 2008年 p64
^ “島原鉄道線一部区間(島原外港 - 加津佐)の廃止について” (PDF) (プレスリリース), 島原鉄道, (2007年1月31日), オリジナルの2007年2月2日時点によるアーカイブ。 2015年5月19日閲覧。
^ 「島鉄が南島原 - 加津佐間廃止を検討 07年度末[リンク切れ]」長崎新聞 2007年1月31日 (Internet Archive)
^ 「島鉄が島原外港駅 - 加津佐駅廃止を発表 来年三月末 [リンク切れ]」長崎新聞 2007年1月31日
^ 「私設鉄道株式会社仮免許状」『官報』1907年5月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「私設鉄道株式会社本免許状下付」『官報』1909年3月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道院年報. 明治44年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 官報では6月19日「軽便鉄道運輸開始」『官報』1911年9月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1912年10月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年5月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年10月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1918年3月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1918年7月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停車場設置」『官報』1919年5月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年4月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年3月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年7月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年3月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 『島原鉄道100年史』島原鉄道、2008年、136頁
^ 時刻表・運賃表 - 島原鉄道、2017年3月8日閲覧
^ 時刻表・運賃表 - 島原鉄道、2014年4月1日閲覧
^ a b 『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P96
^ 『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P101
^ 『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P98
^ 『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P99
参考資料・文献[編集]
栗原景「失われた鉄路の記憶8 島原鉄道」『鉄道ジャーナル』2013年4月号(通巻558号)、鉄道ジャーナル社、2013年4月。
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
聞きこみ!ローカル線 気まぐれ下車の旅(2016年2月22日放送、旅人は中山麻聖と小林綾子)
外部リンク[編集]
Large format camera lens.jpg 島原鉄道線に関連するメディアがあります。
島原鉄道
島原鉄道百年物語
トロッコ列車キハ2000形キハ2500形
安新大橋
土石流災害から鉄道を守るために
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