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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
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ドンジャラも麻雀の基礎ルールの説明には有用ですね。
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オススメするネット囲碁対局場3選
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推薦者のブログ
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KGSの口コミ
KGS
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
博多湾鉄道汽船
博多湾鉄道汽船(はかたわんてつどうきせん)は、福岡県にあった鉄道事業者。会社設立当初は、博多湾鉄道(はかたわんてつどう)を名乗る。
湾鉄(わんてつ)の略称で呼ばれた。
目次 [非表示]
1 概要
2 沿革
3 保有路線
4 輸送・収支実績
5 車両
5.1 車両数の変遷
6 脚注
7 参考文献
概要[編集]
明治時代中期、糟屋郡志賀村西戸崎地区(現・福岡市東区西戸崎)に石炭の積出港を建設し、西戸崎と福岡県北部の糟屋炭田及び筑豊炭田の各産炭地を結ぶ目的で計画された。1900年2月に創立総会を開き発起人には天狗煙草の岩谷松平[1]、資生堂創業者の福原有信など東京の実業家も含まれており、本社も1903年12月糟屋郡志賀島村西戸崎に移転するまでは東京市京橋区銀座におかれていた。同年には現在の香椎線にあたる西戸崎 - 宇美間のほか、糟屋郡多々良村土井(現・福岡市東区土井) - 糟屋郡篠栗村(現・篠栗町)間、糟屋郡和白村奈多(現・福岡市東区奈多) - 鞍手郡直方町中泉(現・直方市中泉)間、鞍手郡宮田村(現・宮若市) - 同郡植木町(現・直方市植木)間の約90kmにわたる区間の免許を取得した。
しかし創立した1900年は恐慌の年であり株金の払込は滞り、このため資本金を470万円から207万5000円に減少し営業エリアを粕屋炭田地区に絞って筑豊地区への免許は返上し、1904年に西戸崎 - 須恵間を開通させ、翌年には宇美まで延長した。他の路線の免許は1907年までに失効している。また1903年には宇美から浮羽郡吉井町に至る約40kmの路線の仮免状を取得したが、本免許にも至らずやはり失効している。その一方で酒殿と志免炭坑地区を結ぶ貨物支線の建設を進め、1915年までに酒殿から志免(糟屋郡志免町)・旅石(同須恵町)への支線を開通させた。
1918年6月に太田清蔵(4代目)[2]が専務取締役に就任し経営のトップに立った。1915年に第3位の大株主(3129株)となっていたが徴兵保険会社専務取締役名義でも3850株を所有しておりその後も持株比率を高めた結果であった。
1920年、海運業に参入し、社名を博多湾鉄道汽船に変更した。その後1924年から翌年にかけて貝塚線を建設し、福岡市内に市内路面電車(のちの西鉄福岡市内線)と接続するターミナル駅(新博多駅)を設けて糟屋郡北部と福岡市内を鉄道で結び、同時期に津屋崎 - 福間(国鉄)間を運行していた馬車鉄道の津屋崎軌道を買収した。1929年には貝塚線を電化している。一方で、同じ1929年には鉄道大臣・小川平吉が私鉄事業者5社に対して便宜を図った汚職事件(五私鉄疑獄事件)が発覚したが、この5社に博多湾鉄道汽船も含まれており、一時は経営危機に陥った。1939年に旧津屋崎軌道の馬車鉄道路線を廃止している。
また沿線開発としては、1932年に香椎駅周辺に野球場(後の香椎球場)を建設したほか、1938年には同じく香椎地区に香椎チューリップ園を建設している。後者は現在、香椎花園として営業している。
1942年に九州鉄道(2代目)・福博電車・筑前参宮鉄道とともに九州電気軌道に吸収合併され、西日本鉄道となり解散した。
沿革[編集]
1898年(明治31年)11月7日 仮免許状下付。
1900年(明治33年)6月13日 本免許状下付(西戸崎-宇美、土井-篠栗、奈多-中泉、宮田-植木間)、博多湾鉄道株式会社設立[3]。
1903年(明治36年)12月26日 仮免許状下付(宇美-吉井間)[4]。
1904年(明治37年)1月1日 博多湾鉄道により粕屋線西戸崎 - 須恵間が開業[5]。
1905年(明治38年)
6月1日 粕屋線須恵 - 新原間が開業[6]。
12月29日 粕屋線新原 - 宇美間が開業し全通[7]。
1906年(明治39年)1月29日 仮免許失効(宇美-吉井間 本免許申請を為さざる為)[8]
1907年(明治40年)11月9日 仮免許状下付(酒殿-志免間 貨物線)[9]。
1908年(明治41年)4月21日 本免許状下付(酒殿-志免間 貨物線)[10]
1909年(明治42年)8月1日 粕屋線の支線として酒殿 - 志免間の貨物支線が開通[11]。
1915年(大正4年)3月11日 貨物支線の志免 - 旅石間が開通[12]。
1918年(大正7年)3月27日 軽便鉄道に指定[13]
1919年(大正8年)
6月28日 東筑軌道に対し鉄道免許状下付(宗像郡福間町-鞍手郡若宮村間)[14]8月に博多湾鉄道に譲渡。
10月25日 鉄道免許状下付(糟屋郡和白村-福岡市間)[15]。
1920年(大正9年)3月25日 博多湾鉄道が博多湾鉄道汽船に社名変更。
1921年(大正10年)10月21日 鉄道免許状下付(鞍手郡若宮村-嘉穂郡飯塚町間)[16]。
1924年(大正13年)
1月1日 津屋崎軌道を吸収合併[17]。
5月23日 貝塚線新博多(のちの千鳥橋) - 和白間を開業[18]。
1925年(大正14年)
7月1日 和白 - 宮地岳間が開業[19]。
7月11日 旧津屋崎軌道の特許路線であった道辻 - 宮地岳駅前間を開業。
1929年(昭和4年)8月16日 貝塚線全線を1500V電化[20]。
1935年(昭和10年)6月7日 鉄道免許一部取消(宗像郡津屋崎町-鞍手郡若宮村)[21]。
1936年(昭和11年)1月24日 起業廃止許可(大正10年10月21日免許 鞍手郡若宮村-飯塚市間)[22]。
1939年(昭和14年)4月13日 旧津屋崎軌道の福間 - 津屋崎間及び道辻 - 宮地岳駅前間を廃止[23]。
1942年(昭和17年)9月19日 戦時体制(陸上交通事業調整法)に対応するために博多湾鉄道汽船が九州電気軌道に合併。西日本鉄道となる。
1944年(昭和19年)5月1日 粕屋線が戦時買収により国有化され、香椎線となる。
保有路線[編集]
貝塚線(現:西日本鉄道 貝塚線)
粕屋線(現:九州旅客鉄道 香椎線)
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1903 26,689 3,023 60,593 14,949 45,644
1904 86,060 70,289 55,350 44,814 10,536
1905 126,340 79,269 78,692 46,775 31,917
1906 161,437 153,009 121,316 57,339 63,977
1907 187,328 162,636 121,179 63,112 58,067
1908 213,951 115,849 115,342 75,890 39,452
1909 214,739 185,047 143,022 79,747 63,275 30
1910 204,099 234,207 161,883 85,180 76,703 535
1911 197,947 301,131 180,092 95,863 84,229
1912 217,071 332,507 206,508 106,268 100,240
1913 220,795 338,052 211,930 100,289 111,641
1914 231,693 373,535
貨物支線3,161 244,157 121,519 122,638 軽便鉄道益金(貨物支線)29
1915 215,052 384,648
貨物支線55,897 285,270 143,773 141,497 軽便鉄道益金(貨物支線)677
1916 256,394 347,591
貨物支線93,533 280,686 137,807 142,879 軽便鉄道益金(貨物支線)1,666
1917 346,609 506,350 328,193 160,646 167,547
1918 511,590 525,879 402,029 235,175 166,854
1919 563,164 608,605 526,659 323,997 202,662 船舶営業益金1,091
1920 488,280 552,640 553,543 337,744 215,799 船舶益金31,005
1921 452,455 541,228 657,922 334,966 322,956
1922 470,491 568,489 688,633 354,854 333,779
1923 485,717 607,385 717,044 365,411 351,633 船舶運輸業其他1,138,816 船舶運輸業其他1,089,985
1924 819,479 658,188 787,187 371,017 416,170 軌道及船舶72,909 180,341
1925 1,090,997 701,614 886,803 399,256 487,547 軌道及船舶75,119 234,877
1926 1,115,450 655,125 854,799 435,767 419,032 軌道及船舶98,994 221,797
1927 1,172,447 664,267 865,649 419,699 445,950 軌道船舶45,802 207,611
1928 1,195,801 708,945 912,639 429,470 483,169 軌道10,632 220,857
1929 1,709,069 709,455 1,002,599 456,726 545,873 軌道船舶業59,803 償却金25,000 359,469
1930 1,803,980 616,748 923,717 435,635 488,082 軌道船舶業24,558 償却金135,000 374,147
1931 1,743,348 501,620 754,333 320,806 433,527 軌道船舶土地業53,191 償却金120,000 363,712
1932 1,719,624 613,716 816,471 365,552 450,919 軌道及船舶自動車業10,068 償却金115,000 344,331
1933 1,817,820 692,273 896,192 452,682 443,510 自動車其他66,550 償却金121,037 301,180
1934 1,851,620 805,232 985,002 440,791 544,211 自動車其他60,949 償却金166,221 317,957
1935 2,130,446 885,259 1,067,642 535,692 531,950 船舶業其他9,472
雑損償却金106,483 262,438
1936 2,371,371 948,927 1,166,999 631,865 535,134 自動車船舶軌道業108,961 償却金90,000 216,000
1937 2,525,386 979,353 1,283,673 675,860 607,813 船舶軌道業281,404 雑損償却金120,000 190,876
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版より
車両[編集]
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蒸気機関車
1 - 3(初代) : 1903年、独ハノーバー製の車軸配置0-6-0形タンク機関車。1911年、10形と交換[24]で鉄道院に移籍し、1430形 (1432 - 1434) となる。
1(2代) → 21(初代) : 1878年、英シャープ・スチュアート製の車軸配置0-6-0(C)形タンク機関車(製造番号 2794)。1917年10月入線。旧南海鉄道 14。1938年廃車。
1(3代) : 1896年、米ブルックス製の車軸配置2-6-2形タンク機関車。旧南海鉄道 7。西鉄 1(2代)を経て、鉄道省 3418。
2(2代) : 1897年、米ブルックス製の車軸配置2-6-2形タンク機関車。1923年、高野鉄道 2を譲り受けたもの。鉄道省3350形と同形。戦時買収の対象とはならず、西鉄 2を経て1(3代)に改番後廃車。
3(2代) : 1896年、米ピッツバーグ製の車軸配置2-6-2(1C1)形タンク機関車(製造番号 1692)。1917年12月入線。旧南海鉄道 3。西鉄 3を経て、鉄道省 3419。
4 : 1897年、米ピッツバーグ製の車軸配置2-6-2(1C1)形タンク機関車(製造番号 1693)。1919年6月入線。旧播丹鉄道 4。西鉄 4を経て、鉄道省 3410。
5, 6 : 1898年、米ブルックス製の車軸配置2-6-2(1C1)形タンク機関車(製造番号 3060, 3058)。1924年2月および1925年4月入線。旧南海鉄道 11, 9。戦時買収の対象とはならず、2, 3に改番。
7 : 1897年、ブルックス製の車軸配置0-6-0(C)形タンク機関車(製造番号 2865)。1924年9月入線。旧南海鉄道 臨4。1938年廃車。
8形 8, 9 : 1911年、米アルコ製の車軸配置0-6-0(C)形タンク機関車。使用開始は1913年[25]1944年の戦時買収後は、 1325形 (1325, 1326) となる。
10形 10 - 14 : 1889年、独クラウス製の車軸配置0-4-0形タンク機関車。1911年、1 - 3と交換で鉄道省10形 (10 - 14) を譲り受けたもの。戦時買収後も同番号のまま。
3400形 15 - 18 : 1896年および1897年、米ピッツバーグ製の車軸配置2-6-2形タンク機関車。1934年および1935年に鉄道省3400形 (3402, 3405, 3400, 3411) を譲り受けたもの。戦時買収後は旧番号に復帰。
1850形 19, 20 : 1895年/1896年、英ダブス製の車軸配置0-6-0(C)形タンク機関車(製造番号 2274, 3324)。1940年6月入線。旧鉄道省 1859, 1876。戦時買収後は旧番号に復帰。
1070形 21(2代) : 1900年、英ニールソン製の車軸配置4-4-2(2B1)形タンク機関車(製造番号 5642)。1942年5月入線。旧鉄道省 1103。戦時買収後は旧番号に復帰。
貨車
ワ1-3 1925年日車製の有蓋車。国鉄買収対象からはずされ西鉄ワ101-103になる。
ワフ11-12 1925年日車製有蓋車。国鉄買収対象からはずされ西鉄ワ104-105になる。
ト11-16 開業時に天野工場で製作された無蓋車。
ト17-26→66-75→56-65 1919年に増備した梅鉢鉄工所製の無蓋車。国鉄買収からはずされたト61-65は西鉄ト151-155になる。
客車
ホ1-3、ハ1-4、ハブ1・2 開業時に木製2軸車9両を新製。のちにロハ1-3、ハ1-4、ハニ1・2に改番。1924年と1926年にハ車のうち2両をロハ車に改造。1932年にロハ車1両を廃車。1937年2等制を廃止しハ2-7に改造改番。1944年国鉄に買収によりハ車6両はハ1170-1175(2代目)(形式1005)、ハニ2両はハニ3562・3563(2代目)(形式3550)となる。1947年廃車。
ハブ3-6のちにハフ3-6 1913年(大正2年)2月に国鉄フハ3244-3247(形式3155)(形式図[26])の払下げをうけた。宮地岳線電化により廃車となり一部が呉海軍工厰へ
ロ1、ハフ7-15 1922年に大阪高野鉄道より購入した木製2軸客車。国鉄に買収されたのは1937年にハ1となったロ1とハフ14でそれぞれハ1169(2代目)(形式1005)、ハフ1501(形式1500)となる。履歴は高野鉄道ろ1-5、は5、12、19、23、28
ハフ16-19 1926年川崎造船所製の木製2軸車
ナハ1-3 1926年川崎造船所製の木製ボギー車。電化により電動車(デハ1-3)に改造された
ガソリンカー
キハ1-4 : 1934年日本車輌本店製の半鋼製ボギー式ガソリンカー。西戸崎-宇美間で使用された。
車両数の変遷[編集]
年度 蒸気機関車 客車 貨車
有蓋 無蓋
1903-1906 3 9 5 52
1907-1908 3 9 5 62
1909 3 11 5 62
1910-1911 5 9 5 62
1912 5 13 5 112
1913-1914 7 13 5 112
1915-1916 7 13 5 142
1917 9 13 5 142
1918 9 13 5 157
1919-1920 10 13 5 177
1921 11 13 5 177
1922-1923 11 18 5 177
1924 13 23 10 177
1925-1928 15 30 10 177
1929 15 36 10 177
1930 15 33 10 177
1931-1933 15 30 10 177
1934 17 34 10 177
1935 19 34 10 192
1936 19 40 10 203
1937 19 41 10 203
鉄道局年報、鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
客車の数両には1929-1934年度電動車9両1936-1937年度11両、1934-1937年度にガソリンカー4両が含まれる
脚注[編集]
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^ 岩谷は沿線に鉱区権を所有していた
^ 『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「私設鉄道株式会社免許状等下付」『官報』1900年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「仮免許状下付」『官報』1904年1月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「運輸開始」『官報』1904年1月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「運輸開始」『官報』1905年6月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「運輸開始」『官報』1906年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「仮免状失効」『官報』1906年1月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「仮免許状下付」『官報』1907年11月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「本免許状下付」『官報』1908年4月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「運輸開始並停車場新設」『官報』1909年8月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年3月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道指定」『官報』1918年3月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1919年7月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道敷設免許状下付」『官報』1919年10月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1921年10月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 認可1923年12月8日『鉄道省鉄道統計資料. 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年5月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年7月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許一部取消」『官報』1935年6月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道起業廃止」『官報』1936年1月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道運輸営業廃止」『官報』1939年8月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 契約は九州鉄道管理局長との間で博多湾鉄道所有の蒸気機関車3両と蒸気動車2両を鉄道院10形蒸気機関車5両と軌条に交換。「博多湾鉄道の機関車」74頁受入、譲渡『鉄道院年報. 明治43年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「博多湾鉄道の機関車」76頁
^ 『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
『西日本鉄道百年史』、24-28頁
澤内一晃「南海の二軸客車」『鉄道ピクトリアル』No.835
澤内一晃「西鉄の貨車と貨物輸送」『鉄道ピクトリアル』No.847
谷口良忠「西日本鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.229
谷口良忠「博多湾鉄道の機関車」『鉄道ピクトリアル』No.229
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表 話 編 歴
西鉄グループ(カテゴリ)
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カテゴリ: 博多湾鉄道汽船西鉄グループの歴史かつて存在した日本の鉄道事業者福岡市の歴史福岡県の交通史かつて存在した福岡県の企業
津屋崎軌道
[隠す]津屋崎軌道
路線総延長 3.9 km
軌間 914 mm
凡例
STR
鹿児島本線
BHF uexKBHFl uexSTRlg
0.0 福間 (2) 1910-
eBHF uexKBHFl uexABZlg
福間 (1) -1910
STRrf uexSTR
exKBHFl uexmKRZ
湾鉄貝塚線
uexKBHFl uexTBHFr
0.2* 宮地岳駅前
uexSTR
?
0.0*
道辻
uexBHF
薬師
uexBHF
1.5 宮司
uexSTR exSTRrg
西鉄宮地岳線 #
uexSTR exHST
宮地岳
exSTRrg uexmKRZ exSTRrf
exSTR uexBHF
中松原
exSTR uexKBHFe
3.7 津屋崎
exKHSTe
#: 当線廃止後の開業
参考のために位置を記す
津屋崎軌道(つやざききどう)は、明治時代末期から大正時代末期にかけて福岡県宗像郡福間町と同郡津屋崎町(現在はいずれも福津市)を結ぶ私鉄を建設・運営した鉄道事業者である。
1924年(大正13年)に西日本鉄道(西鉄)の前身の鉄道会社の一つである博多湾鉄道汽船に吸収合併され、1939年(昭和14年)まで営業が続けられた。本記事では博多湾鉄道汽船への吸収合併後の動きについても記述する。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 沿革
2.1 年表
3 輸送・収支実績
4 関連項目
5 脚注
6 参考文献
路線データ[編集]
路線距離:3.9km
軌間:914mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
動力:馬力
沿革[編集]
1906年(明治39年)、津屋崎馬車鉄道の名で九州鉄道(初代、現・鹿児島本線)の福間駅と津屋崎町を結ぶ馬車鉄道路線として計画・出願され、特許を得た。会社は1907年(明治40年)に設立し、同年内に社名を津屋崎軌道に改称して1908年(明治41年)に福間 - 宮司(宮地嶽神社の最寄り駅)間が開通し、翌1909年(明治42年)に宮司 - 津屋崎間が開通した。
1924年(大正13年)、津屋崎軌道は博多湾鉄道汽船に吸収合併された。博多湾鉄道汽船は当時福岡市と宮地嶽神社を結ぶ鉄道路線(現・西鉄貝塚線)を建設していた。翌1925年(大正14年)、新博多 - 宮地岳間の開業とほぼ同時期に旧津屋崎軌道線から宮地岳駅に至る支線が建設され、両線の接続が図られた。
博多湾鉄道汽船による吸収合併後、沿線に運行開始されたバスの影響で利用者が次第に減少した。太宰府軌道の電化により余剰となった蒸気機関車と客車を譲り受け、馬力を蒸気動力に切り替えることが検討されたが実現せず、1939年に馬車鉄道区間は廃止された。
なおこの歴史を後世に伝えるため、福間・津屋崎両町が合併・市制施行したのを契機とし、それによって生まれた福津市の乗馬クラブが2011年から予約制の観光馬車を走らせている。詳細はNHK福岡放送局『ふっくTV』第2回で津屋崎軌道と共に紹介された。
年表[編集]
「西鉄貝塚線#歴史」および「博多湾鉄道汽船#沿革」も参照
1906年(明治39年)7月21日 津屋崎馬車鉄道に福間 - 津屋崎間3.8kmの特許が下付
1907年(明治40年)3月26日 津屋崎馬車鉄道設立。本社を宗像郡下西郷村字根木町2732番地3に置く。資本金5万円
1907年(明治40年)10月20日 津屋崎軌道に改称
1908年(明治41年)3月10日 津屋崎軌道に福間町根木町地内0.2kmの特許が下付
1908年(明治41年)4月28日 福間 - 宮司間が開業
1909年(明治42年)5月11日 本社を宗像郡津屋崎町大字宮司字前田1300番地2へ移転
1909年(明治42年)8月12日 宮司 - 津屋崎間が開業
1911年(明治44年)2月14日 福間町根木町地内の特許を返納
1924年(大正13年)1月1日 博多湾鉄道汽船が津屋崎軌道を吸収合併[1]
1925年(大正14年)7月11日 道辻 - 宮地岳駅前間が開業
1939年(昭和14年)4月13日 福間 - 津屋崎間及び道辻 - 宮地岳駅前間を廃止
輸送・収支実績[編集]
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円)
1908 49,585 3,855 2,625 1,230
1909 111,948 6,069 4,245 1,824
1910 120,665 7,483 4,598 2,885
1911 68,418 7,371 4,638 2,733
1912 64,897 1,571 7,262 6,251 1,011
1913 12,200 266 7,868 6,906 962
1914 79,564 7,896 5,413 2,483
1915 76,581 9,285 6,479 2,806
1916 83,887 10,407 6,432 3,975
1917 115,799 11,704 7,160 4,544
1918 156,371 17,794 10,118 7,676
1919 185,341 24,884 14,425 10,459
1920 178,085 26,677 21,090 5,587
1921 183,155 27,686 19,126 8,560
1922 169,807 26,456 18,380 8,076
1923 236,829 25,267 18,460 6,807
1924 224,870 24,256 18,652 5,604
1925 171,402 19,807 18,260 1,547
1926 120,034 12,051 15,174 ▲3,123
1927 119,370 11,340 12,851 ▲1,511
1928 101,169 9,758 11,250 ▲1,492
1929 100,264 9,684 11,277 ▲1,593
1930 67,931 6,451 12,222 ▲5,771
1931 32,678 2,921 4,882 ▲1,961
1932 24,021 2,097 3,683 ▲1,586
1933 26,450 2,365 3,905 ▲1,540
1934 30,194 2,572 2,998 ▲426
1935 24,408 2,216 3,121 ▲905
1936 20,911 1,832 3,072 ▲1,240
1937 20,131 1,760 3,203 ▲1,443
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版より
関連項目[編集]
西日本鉄道
西鉄貝塚線
博多湾鉄道汽船
脚注[編集]
^ 認可1923年12月8日『鉄道省鉄道統計資料. 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
西日本鉄道 『躍進西鉄』、1958年。
西日本鉄道 『西日本鉄道百年史』、2008年。
「西日本鉄道特集」、『鉄道ピクトリアル』通巻668号1999年4月臨時増刊号、電気車研究会。
今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
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カテゴリ: 西鉄グループの歴史博多湾鉄道汽船馬車鉄道九州地方の鉄道路線 (廃止)かつて存在した日本の軌道事業者
三潴軌道
三潴軌道(みずまきどう)は福岡県三潴郡大川町(現在の大川市)から国鉄鹿児島本線(現在のJR九州鹿児島本線)羽犬塚駅を結んだ蒸気軌道及びその事業者である。乗合自動車の台頭により業績不振で廃止された。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
3 輸送・収支実績
4 車両
5 運行状況
6 駅一覧
7 脚注
8 参考文献
9 外部リンク
路線データ[編集]
路線距離:羽犬塚 - 下若津 13.4km、榎津 - 柳河 5.1km
軌間:914mm = 3ft
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
動力:蒸気
歴史[編集]
1891年に九州鉄道羽犬塚停車場が開設されたことにより鉄道輸送が注目され、また1902年には八女郡福島町から羽犬塚停車場に南筑馬車鉄道が開通しており順調な経営も伝えられていた。 1907年に大川町深川文十[1]他十余名が発起人となり三潴馬車軌道株式会社を創立することにし、内務大臣あて三潴郡大川町若津から八女郡羽犬塚村までの軌道敷設願を提出し特許が下付された。その後動力を馬匹から蒸気機関車に変更し、名称も三潴軌道にした。1908年7月7日より工事に着手。1909年6月21日に竣工し、8月13日に開通した。続いて1914年3月には柳河まで支線が開通した。
ところが柳河への支線の投資負担が過大となっており、また1912年に上久留米 - 若津間の路線を開業した大川鉄道がさらに明治橋までの延長も計画していたので、この影響を受けて乗客収入が大幅な減収となった三潴軌道は1916年10月の臨時株主総会において大川鉄道との合併も検討される状況になった[2]。結局合併には到らなかったが1919年には若津 - 榎津 - 柳河間の路線を大川鉄道に譲渡し、榎津 - 羽犬塚間で営業を続けていくことになった。やがて残された区間も乗合自動車との競合により1930年になり廃止された。
1908年3月9日 - 軌道敷設及び営業の特許[3]
1908年4月 - 三潴軌道株式会社設立[4]
1909年8月13日 - 下若津 - 羽犬塚間開通[5]
1914年3月28日 - 榎津 - 船津口間開通
1917年5月12日 - 船津口 - 柳河間開通
1919年2月2日 - 下若津-柳河間を大川鉄道に譲渡[6]
1930年6月17日 - 榎津-羽犬塚間廃止[7][8]
路線の開廃は『私鉄史ハンドブック』による
輸送・収支実績[編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1909 105,563 1,769 13,363 10,476 2,887 利子1,044 創業費償却3,028 80
1910 177,301 5,561 25,546 18,833 6,713 利子284補助金1,536 寄付金132 1,558
1911 196,509 6,066 27,246 18,796 8,450 利子71 1,507
1912 141,959 7,929 26,300 17,980 8,320 利子53
1913 127,618 8,672 25,272 16,909 8,363
1914 209,264 7,028 27,726 21,949 5,777 利子155 1,225
1915 197,086 8,416 25,434 20,090 5,344 利子280 1,441
1916 212,349 7,471 27,167 21,527 5,640 1,350
1917 244,287 4,704 34,373 30,676 3,697
1918 209,412 8,450 35,848 33,426 2,422
1919 132,490 6,490 34,061 29,481 4,580
1920 123,850 5,964 42,155 37,167 4,988
1921 129,011 6,603 43,723 37,001 6,722
1922 122,434 6,345 41,588 33,943 7,645
1923 123,690 6,135 40,941 33,650 7,291
1924 108,580 5,323 38,522 33,683 4,839
1925 92,125 5,420 29,079 26,674 2,405 16,717 他事業11,349償却金2,200 1,744
1926 114,534 6,930 28,989 24,855 4,134 5,119 償却金2,200 1,813
1927 101,995 5,194 26,246 23,992 2,254 4,889 償却金2,140 375
1928 91,426 4,086 20,639 24,001 ▲ 3,362 自動車7,568 836
1929 58,852 3,157 12,756 20,079 ▲ 7,323 自動車9,458 844
1930 5,211 805 1,426 3,327 ▲ 1,901 自動車2,429
鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版
1909年度の貨物量の単位は個
車両[編集]
開業時には深川造船所(若津鉄工所)で蒸気機関車5両と客貨車が製作された。
1910年度蒸気機関車6両、客車5両(定員合計175人)、貨車7両(有蓋車2、無蓋車5)1919年に下若津-柳河間を大川鉄道に譲渡した時点で蒸気機関車4両、客車4両、貨車7両
運行状況[編集]
1920年の時刻表によると榎津 - 羽犬塚間を8往復。所要時間は54分
家具の材料や建具を貨物輸送したが、大川家具は従来通り荷車により運搬されたという。
駅一覧[編集]
羽犬塚 - 長崎 - 富久 - 四ヶ所 - 蛭池 - 侍島 - 八丁牟田 - 上八 - 中木 - 大橋(→本木) - 郷原 - 酒見 - 中原 - 榎津 - 明治橋 - 上若津 - 下若津
榎津 - 新茶屋 - 幡保 - 兼木 - 田口 - 坂井 - 高橋 - 船津口 - 柳河
榎津 - 下若津間、榎津 - 柳河間を大川鉄道へ譲渡
『日本鉄道旅行地図帳 12号 九州沖縄』による
脚注[編集]
^ 深川文十は地方財閥である深川家の2代目であり大川鉄道の発起人でもある。詳細は深川造船所を参照。
^ 『九州諸会社実勢』によるとこのままでは三潴軌道も大川鉄道も共倒れのおそれがありいずれ合併するであろうと予測していた。
^ 『鉄道院年報 明治41年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 明治42年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道院年報 明治42年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 1月25日許可「軌道特許権譲渡」『官報』1919年2月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道営業廃止」『官報』1930年8月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 補助金めざし私鉄の猛襲不景気と自動車に押され四苦八苦の四百余社1930年5月25日付東京日日新聞(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)によると既に営業を休止していたらしい。
参考文献[編集]
『大川市誌』1977年、630 - 632頁
『大木町誌』1993年、494 - 495頁
『筑後市史2』1995年、231 - 232頁
『福岡県百科辞典 下』西日本新聞社、1982年、433-437頁 担当執筆は谷口良忠
今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 12号 九州沖縄』新潮社、2009年
青木栄一・三宅俊彦『森林鉄道からトロッコまで』大正出版、2005年、156 - 159頁
岡本憲之『軽便鉄道時代』JTBパブリッシング、2010年
小川功「西日本鉄道グループの系譜」『鉄道ピクトリアル』No668 1999年4月臨時増刊号、114-115頁
亀井一男「地図と鉄道16」『鉄道史料』No47 1987年8月
和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、174頁
『私鉄史ハンドブック』正誤表 (pdf)
三浦忍・加藤要一「大正初期九州における私有鉄道」『産業経営研究所報告』No34,九州産業大学産業経営研究所、2002年 - 投資家向けに作成された『九州諸会社実勢』(大正6年)を資料に九州各私鉄道の経営状態を分析している。
外部リンク[編集]
福岡県内務部会計課『最新福岡県管内軌道図』福岡県、1920年(国立国会図書館デジタルコレクションより)
カテゴリ: かつて存在した日本の軌道事業者九州地方の鉄道路線 (廃止)福岡県の交通史