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囲碁は、陣地を囲むゲームです。
RPGゲームやアクションゲームとは異なる思考で次の一手を考える、面白いゲームです。
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2:KGS
1:パンダネット
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推薦者のブログ
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幽玄の間サイト
KGSの口コミ
KGS
パンダネット
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Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
碁
囲碁
ゲーム
Wikipediaの記事を引用/参考します。(CC BY-SA 3.0)
三池鉄道
三池鉄道諏訪川橋りょう
路線総延長 18.6 km
軌間 1067 mm
停車場・施設・接続路線
凡例
三池本線(-1997)
exKDSTa
0.0 三池浜駅
xhKRZa HSTq STRq
新栄町駅 西鉄:天神大牟田線
xhKRZe STRq ABZq+r
大牟田駅 JR九:鹿児島本線
xABZrg DSTq ABZlg
1.8*
旭町駅 旭町線
STR KBSTe
仮屋川操車場
KDSTxe
?
0.0*#
宮浦駅
exSTR exKDSTa
3.3#
東谷駅
exABZlf exSTRrf
勝立線(-1969)
exWBRÜCKE
諏訪川橋梁 諏訪川
exDST
? 万田駅
exDST
? 妙見駅
exABZrg exSTRlg
玉名線(-1985)
exDST exSTR
?
0.0**
原万田駅
exSTR exDST
?**
大平駅
exSTR exDST
?**
宮内駅
exSTR exDST
?**
大谷駅
exSTR exKDSTe
4.2**
平井駅
exABZlf exSTRlg
STRq xKRZo eABZql+l HSTq
荒尾駅 JR九:鹿児島本線
exABZrg exSTRrf
exDST
? 西原駅
exDST
? 四ツ山駅
exKDSTe
9.3 三池港駅
宮原坑跡付近の旧三池炭鉱専用鉄道敷
三池鉄道(みいけてつどう)は、かつて福岡県大牟田市および熊本県荒尾市で運行されていた専用鉄道(一時期地方鉄道)の通称である。
三井三池炭鉱から採掘された石炭を輸送するために敷設された。また、従業員輸送にも使用された。
保有者は三井鉱山から三井三池港務所、再び三井鉱山、三井石炭鉱業と移った。現在でも一部区間が現存し、三井化学の専用鉄道として使用されている。
廃止された三池本線の三池港駅から県道大牟田植木線の旧早鐘踏切(宮浦駅より三池港駅方面へ約1.5km)までは、明治期の石炭輸送の様子を残した遺構「旧三池炭鉱専用鉄道敷」として世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産となっている。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 車両
5.1 電気機関車
5.2 蒸気機関車
5.3 貨車
5.4 客車
6 その他
7 参考文献
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
路線データ[編集]
地方鉄道に変更された1964年(昭和39年)8月11日時点のもの。旭町線のみ現存。
区間(営業キロ)
三池本線:三池浜駅 - 三池港駅間 (9.3km)
旭町線:宮浦駅 - 旭町駅間 (1.8km)
勝立線:宮浦駅 - 東谷駅 (3.3km)
玉名線:原万田駅 - 平井駅間 (4.2km)
軌間:1067mm
複線区間:
電化区間:
閉塞方式:
歴史[編集]
世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産に含まれる旧三池炭鉱専用鉄道敷。
1891年(明治24年)12月25日 - 三井合名鉱山部の専用鉄道として開業。
1896年(明治29年)12月22日 - 大牟田駅への連絡線開業。
1909年(明治42年) - 三井鉱山専用鉄道となる。
1961年(昭和36年)10月 - 荒尾駅への連絡線開業。
1964年(昭和39年)8月11日 - 全線地方鉄道に変更。三井鉱山の三池鉄道線として営業開始。
1965年(昭和40年)3月11日 - 三井鉱山より三池港務所が分離独立し三井三池港務所が発足。運営会社が三井三池港務所となる。
1969年(昭和44年)1月4日 - 勝立線廃止。
1973年(昭和48年)
8月1日 - 全線専用鉄道に変更、再び三池鉄道専用鉄道となる。
8月27日 - 三井石炭鉱業が発足し、同社の専用鉄道となる。
1978年(昭和53年)10月 - 荒尾駅への連絡線が休止。
1984年(昭和59年)10月1日 - 通勤列車運行終了。
1985年(昭和60年) - 玉名線廃止。
1997年(平成9年)
3月 - 三池火力発電所向け石炭輸送廃止。三池本線廃止。
4月1日 - 旭町線が三井東圧化学(現・三井化学)に譲渡され、同社の専用鉄道となる。
駅一覧[編集]
地方鉄道に変更時のもの。
三池本線
三池浜駅 - 宮浦駅 - 万田駅 - 妙見駅 - 原万田駅 - 西原駅 - 四ツ山駅 - 三池港駅
旭町線
宮浦駅 - 旭町駅
勝立線
宮浦駅 - 東谷駅
玉名線
原万田駅 - 大平駅 - 宮内駅 - 大谷駅 - 平井駅
接続路線[編集]
旭町駅:日本国有鉄道(現・九州旅客鉄道)鹿児島本線(大牟田駅、厳密には同駅構内扱いの仮屋川操車場)
車両[編集]
電気機関車[編集]
22 - 元西日本鉄道宮地岳線ED201。1950年東芝製45t機関車を1958年に購入。1997年まで使用された。
18号機
1936年東芝製の45t B-B形電気機関車。三井化学専用線で現用中。
11号機
1911年三菱造船製の20t B形電気機関車。三井化学専用線で現用中。
1号機
1911年シーメンス製の20t B形電気機関車。保存車。
5号機
1908年GE製の15t B形電気機関車。運転室には出入口がなく、窓から出入りする。保存車。
電源車デ-4
工場内では引火性の強い物質を扱う区域があり、その区域内では専用鉄道はパンタグラフからのスパークを避けるため非電化とし、電源車から電気機関車へ電力を供給して走行する。
三池炭鉱閉山まで使用されていた電気機関車のうち、5号機(1908年GE製15t B形)、1号機(1911年シーメンス製20t B形)、5号機(1915年三菱製20t B形)、17号機(1936年東芝製45t B-B形)の4両が保存されている。大牟田市内の工場敷地で保管され、毎年11月3日に大牟田市が開催する近代化遺産一斉公開の日に限り公開されていたが、2015年9月1日からGCF(ガバメントクラウドファンディング)により資金を集め[1]、2016年8月22日に三川坑跡に移設[2]、同年10月15日より土日祝日に限り一般公開されている[3]。
蒸気機関車[編集]
延べ26両が在籍。以下、主なものを挙げる。
10号・13号・15号 - 1902年から1907年にかけてアメリカ・ポーター社から輸入した9両の機関車のうちの3両。サドルタンク式機関車で、運転整備重量22.10t、弁装置スチブンソン式、軸配置B1,動輪直径914mmである。[4]
貨車[編集]
ハト形無蓋車
ハト形無蓋車
客車[編集]
従業員輸送列車は1946年(昭和21年)より始められ、三池港 - 平井間、三池港 - 万田間で朝5時から深夜1時まで運転されていたが、1984年(昭和59年)時点で社宅の集約とマイカー通勤により利用が激減し、乗客ゼロの列車もあり、一日300人程度となっていた。
コハ103・104・106 1948年東芝製。定員116人。木造客車の台枠(トラス棒)を流用し半鋼製車体(客用扉3、貫通路片側のみ)を新製。最大長さ16830mm、ロングシート、暖房設備なし[5]
ホハ202-204 1950年日本車輌製造製。定員160人。国鉄63系電車#三池鉄道を参照
その他[編集]
1981年(昭和56年)1月11日に放送された『西部警察』第65話「博多港決戦!!」のロケで、グリーンランドにいた犯人グループの1人が5号電気機関車(1915年の三菱製)牽引の三池鉄道の通勤列車(客車はコハ100形とホハ200形タイプの2両編成)に乗り込んだ末、銃撃戦を繰り広げるシーンが撮影された。[6]
参考文献[編集]
吉富実「三井三池の炭鉱鉄道をたずねて」『鉄道ピクトリアル』No.434
脚注[編集]
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^ ふるさとチョイス 明治日本の産業革命を支えた世界文化遺産「三池炭鉱」を世界に発信する! プロジェクト「世界遺産じゃなかばってん」第一弾! 炭鉱電車ば見せたか!の巻 - トラストバンク、2015年9月7日閲覧
^ 特集 炭鉱電車が引っ越しました - 広報おおむたweb 2016年9月1日・15日合併号(No.1184)
^ 眠りから覚めた炭鉱電車 大牟田・三川坑跡で4両公開始まる 100歳超、現存で最古級 [福岡県] - 西日本新聞、2016年10月28日
^ 高井薫平(2012)『小型蒸気機関車全記録』(講談社)p.179
^ 『世界の鉄道』1971年版、朝日新聞社、1970年、186-187頁
^ コハ100とコハ200の車内が映るシーンがあるが両形式とも本来、運転台がある場所は車掌室となっていた
関連項目[編集]
日本の鉄道路線一覧
廃線
国鉄400形蒸気機関車
国鉄1800形蒸気機関車
国鉄5500形蒸気機関車
国鉄C12形蒸気機関車
三池港
外部リンク[編集]
旧三池炭鉱専用鉄道敷 - 大牟田の近代化産業遺産(大牟田市)
[表示]
表 話 編 歴
世界遺産 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
執筆の途中です この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
カテゴリ: 九州地方の鉄道路線 (廃止)専用鉄道大牟田市の交通大牟田市の歴史熊本県の交通史荒尾市の歴史三井グループの歴史三井鉱山部分廃止路線明治日本の産業革命遺産
門司築港
[隠す]門司築港(軌道線)
路線総延長 3.3 km
軌間 1435 mm
電圧 600 V(直流)
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
uexKHSTa
門司
uexSTR
九軌:北九州本線
uexBHF
0.0 東本町
uexABZrf
九軌:北九州本線
uexBHF
? 日ノ出町二丁目
uexBHF
? 日ノ出町四丁目
uexBHF
0.8* 日ノ出町九丁目
uexBHF
? 大久保越
uexBHF
? 大久保海岸
uexBHF
? 新開
uexKBHFe
3.3 田ノ浦
* 西日本鉄道HPより[1]
[隠す]門司築港(鉄道線)
路線総延長 1.55 km
軌間 1067 mm
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
STR
国鉄:鹿児島本線
KHSTxe
門司港駅
exSTR
国鉄:鹿児島本線貨物支線
exDST
0.0 外浜駅
exKDSTe
1.55 門築大久保駅
門司築港(もじちっこう)は、かつて大正から昭和初期にかけて福岡県門司市(現・北九州市)で路面電車を運営していた事業体である。もともと門司市の大久保・田ノ浦地区活性化開発を行うために設立されたのが同社で、その一環として電車を運行した。門築電車(もんちくでんしゃ)とも呼ばれた。
しかし営業は芳しくなく、末期になると九州電気軌道(現・西日本鉄道)に経営を委託して同社の田ノ浦線(たのうらせん)となっていた。また委託後には九州電気軌道線(後の西鉄北九州線)に乗り入れ、門司発着となっていた。
また、田野浦公共臨港鉄道の前身となる日本国有鉄道(国鉄)外浜駅から門築大久保駅までの鉄道線も営業していた。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
3 軌道線
3.1 停留所
3.2 接続路線
4 鉄道線
4.1 駅一覧
4.2 接続路線
5 輸送・収支実績
6 車両
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
路線データ[編集]
1932年当時
軌道線
路線距離:2.5km(日ノ出町九丁目 - 田ノ浦)
停留所数:5
軌間:1435mm
電化区間:全線直流600V
鉄道線
路線距離:1.55km(外浜 - 門築大久保)
軌間:1067mm
電化区間:なし
歴史[編集]
門司築港は大阪の相場師宮崎敬介[2]と島徳蔵[3]の発起により大久保・田野浦地区の開発を目的とし、その付帯事業として1919年(大正8年)に門司市大字門司字大久保-企救村間(小倉鉄道石田停車場 )、霧岳村-曽根村間(豊州本線曽根停車場)の企救半島の南側に軽便鉄道敷設を出願した。1920年(大正9年)門司築港株式会社[4]を設立。同年4月に鉄道敷設免許状が下付された。ところが設立早々出資者から杜撰な土地開発計画と資金使途が不明であるとして宮崎、島が詐欺横領背任罪として1921年告発され[5][6][7]、翌年に不起訴になる[8]という騒動があった。実際この路線は筑豊炭田から築造中の大久保埠頭への石炭輸送が目的でありながら連携輸送を考えていた小倉鉄道は東小倉に専用桟橋をもっており、増産されない限り、輸送量を確保する見込みはなかった。しかし完成した大久保埠頭を遊ばせる訳も行かず大久保から門司駅貨物線の外浜荷扱所までの延長線[9]を建設することとし既免許線は放置された[10]。
この延長線は農林省の食料備蓄倉庫が大久保埠頭に建設されることになり陸上輸送路として貨物線が必要とされたためといわれる。1927年-1928年にかけて国立米穀倉庫[11]が完成し、貨物線は1929年(昭和4年)2月に開業した。もっとも貨物(米穀類)の輸送量は農林省の計画により左右されているため業績は不安定であった。戦時中は好況だったものの1955年以降はトラック輸送に移り貨物線の地位も低下した。そんなとき朝鮮動乱時に米軍が門司港の第1・2号埠頭を接収したため1954年(昭和29年)より運輸省の田野浦地区港湾整備事業が実施されることになった。1960年(昭和35年)4月貨物線とその施設は買収されることになり門司市(北九州市)が管理運営することとなる。会社は5月に門築産業株式会社に名称変更し、事業目的を自動車運送、不動産、食品販売、株式取引等に変更した。
一方の鉄道線とは別に開発地区と市街地の間の交通確保の必要から軌道線を敷設し九州電気軌道と連絡することにして1922年(大正11年)に軌道敷設特許状が下付された。この軌道建設に尽力したのが取締役に加わった五島慶太[12]である。五島の取締役就任は監査役の京阪電気鉄道の太田光凞の依頼によるもので、太田は「駆け出しの後輩に活躍の場を与え[13]」るため会社の経営をまかせたとされる。
1920年(大正9年)3月25日 門司築港株式会社設立(本社大阪北浜)[14][15]。
1920年(大正9年)4月28日 鉄道免許状下付(門司市-企救郡霧岳村間、企救郡企救町-同郡曾根村間 動力蒸気)[16]
1922年(大正11年)9月1日 軌道特許状下付(門司市日出町-同市田ノ浦間 動力電気)[17]
1923年(大正12年)12月20日 日ノ出町九丁目 - 田ノ浦間及び九州電気軌道日ノ出町九丁目-東本町三丁目間開業[18]。
1926年(大正15年)8月19日 軌道特許状下付(門司市大字田ノ浦-同市大字門司間)[19]
1929年(昭和4年)2月13日 門司(現・門司港) - 門築大久保間開業(軌間1067mm 貨物線)[20]。
1930年(昭和5年)4月1日 門司 - 門築大久保間に外浜駅開業。門司 - 外浜間が国鉄鹿児島本線貨物支線となる。
1932年(昭和7年)12月21日 日ノ出町九丁目 - 田ノ浦間を九州電気軌道に運営委託[15]、同社の田ノ浦線となる。
1936年(昭和11年)1月11日 日ノ出町九丁目 - 田ノ浦間及び九州電気軌道日ノ出町九丁目-東本町三丁目間廃止[21]。
1936年(昭和11年)4月1日 起業廃止(許可)(1926年8月19日特許 門司市大字田ノ浦-同市大字門司間)[22]
1943年(昭和18年)12月 門築土地鉄道株式会社に社名変更。
1949年(昭和24年)2月15日 起業廃止(許可)(1920年4月28日免許)
1960年(昭和35年)4月15日 外浜 - 門築大久保間廃止。門司市が譲り受け市営田野浦公共臨港鉄道となる。
1960年(昭和35年)5月24日 門築産業株式会社に社名変更。
軌道線[編集]
停留所[編集]
1936年当時
(門司) - 東本町 - 日ノ出町二丁目 - 日ノ出町四丁目 - 日ノ出町九丁目 - 大久保越 - 大久保海岸 - 新開 - 田ノ浦
門司 - 東本町間は九州電気軌道北九州本線に乗り入れ
接続路線[編集]
東本町:九州電気軌道北九州本線
鉄道線[編集]
駅一覧[編集]
廃止時
外浜駅 - 門築大久保駅
接続路線[編集]
外浜駅:国鉄鹿児島本線貨物支線
輸送・収支実績[編集]
軌道線
年度 輸送人員(人) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円)
1924 686,530 62,159 51,014 11,145
1925 749,892 60,064 62,766 ▲ 2,702
1926 787,787 65,342 50,345 14,997 300,000 償却金450,000
1927 804,157 70,312 45,682 24,630 雑損172
1928 838,452 66,812 41,727 25,085 雑損273
1929 820,327 55,219 41,075 14,144 地方鉄道5,266 雑損3,041
1930 693,947 44,792 50,134 ▲ 5,342 地方鉄道4,468
1931 400,510 22,811 36,139 ▲ 13,328 地方鉄道10,937 雑損15,872
1932 297,195 18,587 40,083 ▲ 21,496 地方鉄道848 土地建物1,180
鉄道線(貨物線)
年度 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円)
1929 13,122 8,042 5,266 2,776 11,103
1930 2,921 1,983 4,551 ▲ 2,568 軌道業7,090雑損151
1931 24,718 14,334 5,775 8,559 軌道業10,950雑損15,872
1932 25,741 8,048 7,199 849 軌道土地業22,677
1933 52,505 18,625 11,385 7,240 土地建物1,575雑損50,624
1934 87,018 27,620 13,729 13,891 土地建物5,134 雑損償却金13,509
1935 93,936 34,556 12,260 22,296 土地建物業5,364雑損償却金13,259
1936 89,675 29,988 11,718 18,270 軌道業その他1,376,297償却金185,541
1937 101,325 29,659 18,570 11,089 土地建物業38,016
1939 122,987
1941 175,276
1943 281,925
1945 80,830
1949 107,017
1952 92,339
1958 58,660
鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版
車両[編集]
軌道線 すべて木製2軸車
1-3 1923年岡部鉄工所製、定員40人
4・5 1924年阪神急行電鉄から購入。元成宗電気軌道定員40人。
6・7 1930年大阪市より購入。元大阪市電202・284号
九州電気軌道に委託後全車東邦電力(後の西鉄福岡市内線)へ売却。1-3→89-87、4・5→86・85、6・7→84・83[23]となる。
脚注[編集]
[ヘルプ]
^ 鉄道路線の歴史「北九州線(九州電気軌道)」 - 西日本鉄道
^ 『財界楽屋新人と旧人』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『財界楽屋新人と旧人』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 同名会社が1913年に鉄道免許状(門司市大字田ノ浦-企救郡曾根村間 動力蒸気)(「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年11月28日)が下付されたが失効(「鉄道免許失効」『官報』1916年1月19日)している。こちらの発起人は門司市及び沿線地方の資産家であった。
^ 「門司築港訴訟の事件から大政党の醜事暴露 宮崎敬介氏が築港会社の巨額の利益金を渡した先々不払事件が端緒で判明」東京朝日新聞 1921年9月20日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
^ 「長居は無用と社長までが逃出した 『門司築港』は創立の時から矛盾だらけ」大阪朝日新聞 1921年9月20日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
^ 「島、宮崎両氏を更に追告発す」大阪朝日新聞 1921年9月27日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
^ 「門築事件は不起訴」東京朝日新聞1922年9月16日聞蔵IIビジュアル
^ 『鉄道統計資料. 昭和2年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 1949年2月15日 起業廃止(許可)「門司築港(軌道線)・門築土地鉄道沿革史 前編」66頁
^ 国立米穀倉庫写真『門司市史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第31回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 小川功「京阪グループの系譜」『鉄道ピクトリアル』No.695、118頁
^ 『日本全国諸会社役員録。 第29回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道。 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年4月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道特許状下付」『官報』1922年9月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道特許状下付」『官報』1926年8月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年2月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道統計資料. 昭和10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軌道起業廃止」『官報』1936年4月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 柴田東吾「車両履歴から見た西鉄の路面電車」『鉄道ピクトリアル』No.847
参考文献[編集]
谷口良忠「門司築港(軌道線)・門築土地鉄道沿革史」『鉄道ピクトリアル』No.502-503
和久田康雄『日本の市内電車 -1895 - 1945-』成山堂書店、2009年
『海峽大觀 : 関門海峽及北九州の對外的發展と其將来』(国立国会図書館デジタルコレクション)
関連項目[編集]
日本の廃止鉄道路線一覧
平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線
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表 話 編 歴
日本の路面電車
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